「悪いものは悪い」これが真理だ。

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820マジレスさん
>>814
> >>801
> >> 「自分は何者になりたいか」ということなのだよ。>マリー
> >そういう思考は嫌いだ。
>
> 嫌ですか?
嫌だ。ある問題を解決するときには、何らかの変化が必要ですが、その方向が
自分に向かうことが嫌いだ。が、そういう思考をしてしまっている自分を発見
して、さらに嫌になることが頻繁にある。

> >「環境をどのように変えるか」だ。
>
> 他人にとってみれば、自分も環境に含まれてしまうのですよ?
> つまり、他者が環境を変えようとした場合、
> それは自分が変えられてしまうことと同義であることもあるのです。
> それでもあなたは「環境を変えよう」と思いますか?
思う。他者が環境を変えようとした場合、自分が変わる訳ではないからである。
その場合は、俺にとっての環境が変化するだけなのである。
逆に尋ねたいのだけれども、ある問題を解決するときに、「自分は何者になり
たいか」が重要なのだろうか。自分が何者であるのか、そして自分が何者にさ
れているのか、特に後者を意識しつつ、自分を何者かにさせている環境のほう
を変化させたい。
上の言葉で伝えたいのは、極論すれば、環境を前提にして、そのなかで自分を
変化させるという思考と、自分を前提にして、環境を変化させるという思考を
極立たせて、後者の思考方法を自分はより望ましく感じてしまっているという
ことである。

> >>808 >>810
> あの「ひろしくん」に乗っ取られてしまったのです。あはは。
残念だ。本当に。
821マジレスさん:2001/04/22(日) 18:57
>>815
> こう言い換えてはどうでしょう。
> 「エサが取りやすくなる行いはミジンコにとって善い行い。
>  エサが取りにくくなる行いはミジンコにとって悪い行い」
>
> 思考の発達していない人間の善悪もこれと同等で、
> 例えば自己の生命を優先したり、自分にとって得なことを善とする。
> いや、そもそも善という概念がないのだから「善とする」とは言えないが、
> マリーが言うところの「感覚的に」それを選択する。
そのように言い換えて全く問題ない。問題ないどころか、むしろ分かりやすく
ていい。

> 故に、現存する生物はすべからく「自己を優先する」と考えて差し支えないのでは。
分からない。例外的な事例が幾つか報告されているから。
822マジレスさん:2001/04/22(日) 19:02
>>816
> ではなぜ人間は他の生物ほど利己的ではないのか。
人間以外の動物がすべからく「自己を優先する」かどうかは分からないけれど
も、それでも上の文には同感である。

> これは思考の存在に因るのだと思う。
全く同感である。

> つまり、思考のない生物にとっての善は「自己優先」で、
> 思考を肯定する人間の善は「他者との関係性優先」となる。
違う。「他者との関係性優先」ではない。思考を肯定する人間は「他者との関
係性」を環境の一部に含めるから、それを優先させるのである。

> 「他者があってこその思考」
全く同感である。拙い言葉と述べているけれども、俺は勝手に理解してしまっ
ているつもりになっている。
823マジレスさん:2001/04/22(日) 19:02
820=821さんは
別にソンケイしちゃわないな。