今も昔も、多くの人々を魅了してやまない、はんだや。
その起源は、皆さんご存知のあの標語のとおり、18世紀までさかのぼると言われる。
しかし、その詳細を記述した文献は全てフランス革命の混乱の中、消えていった。
現在、はんだやの起こりを知るすべは、我々には残されていない。
はんだやは仙台市内を中心に北は札幌まであるが、実際にはどれだけの店舗数があり、
どのように広がっていったのかは、誰も正確には知らない。
出生の謎だけでなく、はんだやにはミステリアスな事が数多くある。
存在が今もなお騒がれ、しかして誰もその実物を目にしたことが無い、『めし大』。
最近になり、寿司を寿司とは思わない、そのアバンギャルドな経営で、
人気急上昇の『きらら寿司』。しかし、この背後にも常にはんだやの影がちらつく。
そして、さらにその後ろに『びっくりドンキー』という巨大な権力が見え隠れする。
はんだやのフランチャイズ展開、経営母体、事業内容など
その全貌は、我々には全く見えてこないのだ。
はんだやはチェーン店でありながら、その店ごとに特色が全く違う。
このことを簡単に知るには、各々の店で豚汁を食べてみれば、その違いは明確にわかる。
味はもちろんのこと、具材の大きさ、温度と、とてもマニュアル化されてるとは思えない。
店舗規模もまちまちで、六丁の目や新進気鋭の西多賀などは、それこそファミレスのような店内で、
家族で利用していることもしばしば見られる。
先日、私が大きな衝撃を受けたのは、西多賀にて、家族連れの父親と思われる男性が、
「よーし、きょうはお父さん中を食べちゃうぞ!」と高らかに宣言していたことである。
この時、私はもうすでにはんだやは、混沌とした時代の渦の中で
新たな姿になろうとしているのだと気づかされた。
以前、共にはんだやを研究する同志はこのように述べた。
「人間には二通りの人間がいる。はんだやに行く人間と、はんだやへ行かない人間だ。」
つまりは、はんだやは人を選ぶ食堂だ、ということである。
しかし、もうおわかりのように、もはやはんだや(半田屋)の門戸は全ての人間に開かれたのだ。
一方、名掛丁や惜しまれつつも撤退した八幡は、食堂というよりはむしろ戦場であり、
前述のようなはんだやにしかいったことが無い者にとっては、もはや脅威であろう。
(もっとも、佐々久へ度々行くような歴戦の兵には、なんのことはないことはいうまでも無い)
これらのはんだやを家族で利用している場合は、何らかの事情があるものと思って間違いない。
決して、「何故近所のファミレスへ行かないのだろう?」といった無粋な考えをしてはいけない。
こういったはんだやでは、取るおかずに関しても十分な注意を払わなければならない。
例えば、「今日は暑いので、冷奴でも食べよう」などという行為は、耐性の無い人間には自殺行為である。
熱いからこそ、きちんと火の通ったものを食べたいところだ。
また、豚汁においても注意は必要である。煮込みすぎで見たこと無い色の豆腐や豚肉などは普通だが、
私のほかにも何人かが、かびた豆腐、虫などが入っていたことがある。
しかし、こんなことがあっても腹が立たず、また繰り返し行ってしまうのが、
はんだやの不思議な魅力の一つなのだろう。
ちなみに、店名が漢字表記の半田屋となっているのがクラスAはんだやである、
という学説があるが、私はそうは思わない。なぜなら、名取のそれは店内の状態もあるが、
豚汁がとてもAクラスとは思えないからである。もちろんこれには異論があるだろうが、
そういった、店名の表記についても現在研究途中であり、
はっきりとした結論が出るのはまだ先のことだろう。
324 :
やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:18
ただ安く多く食べられるだけではなく、チェーン店でありながら、
多種多様な様態を持ち、また、さまざまな人間模様が交差するはんだやが、私の心をとらえて離さない。
また今日も、新たな発見をするために豚汁を食べに街へ繰り出そうと思う。
長文、駄文申し訳ない。