めしのはんだや

このエントリーをはてなブックマークに追加
319やめられない名無しさん
今も昔も、多くの人々を魅了してやまない、はんだや。
その起源は、皆さんご存知のあの標語のとおり、18世紀までさかのぼると言われる。
しかし、その詳細を記述した文献は全てフランス革命の混乱の中、消えていった。
現在、はんだやの起こりを知るすべは、我々には残されていない。
はんだやは仙台市内を中心に北は札幌まであるが、実際にはどれだけの店舗数があり、
どのように広がっていったのかは、誰も正確には知らない。
320やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:17
出生の謎だけでなく、はんだやにはミステリアスな事が数多くある。
存在が今もなお騒がれ、しかして誰もその実物を目にしたことが無い、『めし大』。
最近になり、寿司を寿司とは思わない、そのアバンギャルドな経営で、
人気急上昇の『きらら寿司』。しかし、この背後にも常にはんだやの影がちらつく。
そして、さらにその後ろに『びっくりドンキー』という巨大な権力が見え隠れする。
はんだやのフランチャイズ展開、経営母体、事業内容など
その全貌は、我々には全く見えてこないのだ。
321やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:17
はんだやはチェーン店でありながら、その店ごとに特色が全く違う。
このことを簡単に知るには、各々の店で豚汁を食べてみれば、その違いは明確にわかる。
味はもちろんのこと、具材の大きさ、温度と、とてもマニュアル化されてるとは思えない。
店舗規模もまちまちで、六丁の目や新進気鋭の西多賀などは、それこそファミレスのような店内で、
家族で利用していることもしばしば見られる。
先日、私が大きな衝撃を受けたのは、西多賀にて、家族連れの父親と思われる男性が、
「よーし、きょうはお父さん中を食べちゃうぞ!」と高らかに宣言していたことである。
この時、私はもうすでにはんだやは、混沌とした時代の渦の中で
新たな姿になろうとしているのだと気づかされた。
以前、共にはんだやを研究する同志はこのように述べた。
「人間には二通りの人間がいる。はんだやに行く人間と、はんだやへ行かない人間だ。」
つまりは、はんだやは人を選ぶ食堂だ、ということである。
しかし、もうおわかりのように、もはやはんだや(半田屋)の門戸は全ての人間に開かれたのだ。
322やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:17
一方、名掛丁や惜しまれつつも撤退した八幡は、食堂というよりはむしろ戦場であり、
前述のようなはんだやにしかいったことが無い者にとっては、もはや脅威であろう。
(もっとも、佐々久へ度々行くような歴戦の兵には、なんのことはないことはいうまでも無い)
これらのはんだやを家族で利用している場合は、何らかの事情があるものと思って間違いない。
決して、「何故近所のファミレスへ行かないのだろう?」といった無粋な考えをしてはいけない。
こういったはんだやでは、取るおかずに関しても十分な注意を払わなければならない。
例えば、「今日は暑いので、冷奴でも食べよう」などという行為は、耐性の無い人間には自殺行為である。
熱いからこそ、きちんと火の通ったものを食べたいところだ。
また、豚汁においても注意は必要である。煮込みすぎで見たこと無い色の豆腐や豚肉などは普通だが、
私のほかにも何人かが、かびた豆腐、虫などが入っていたことがある。
しかし、こんなことがあっても腹が立たず、また繰り返し行ってしまうのが、
はんだやの不思議な魅力の一つなのだろう。
323やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:18
ちなみに、店名が漢字表記の半田屋となっているのがクラスAはんだやである、
という学説があるが、私はそうは思わない。なぜなら、名取のそれは店内の状態もあるが、
豚汁がとてもAクラスとは思えないからである。もちろんこれには異論があるだろうが、
そういった、店名の表記についても現在研究途中であり、
はっきりとした結論が出るのはまだ先のことだろう。
324やめられない名無しさん:2001/05/18(金) 17:18
ただ安く多く食べられるだけではなく、チェーン店でありながら、
多種多様な様態を持ち、また、さまざまな人間模様が交差するはんだやが、私の心をとらえて離さない。
また今日も、新たな発見をするために豚汁を食べに街へ繰り出そうと思う。

長文、駄文申し訳ない。