南京虐殺で実際に殺された数は?

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597グース
わしが「陣中日記、戦闘詳報を使用しない理由」
わしは「南京問題」において「数」を問題としているから(笑)
(このスレの1を読んでね)理解してねん。

まず「日露戦争」から行ってみっか。
明治38年3月10日 奉天会戦は日本軍の勝利で幕を閉じた。
司令部「野津大将」の元には「捕獲兵器」の報告や「捕虜確保」
の「報告が殺到」した(笑)
最終的には「捕虜確保9万」まで膨れ上がり司令部は対応するべく
「臨時委員会」を作り食料や管理などをどうするか悩んでいた。

大本営に対し司令部は「捕虜確保10万」と水増し報告。

翌日3/11日
正午までの「捕虜」の総数はたった「29000人」(笑)
司令部は困ったらしい。

この原因は白旗を振って出てきたロシア軍を「各部隊が別個」
に「戦果として報告」したためである(笑)

つまり「戦闘詳報」とは「がんばりましたぁ!」という報告
であり、まちがいなく「数は過大」になる。
2〜3倍になることは「珍しくはない」
また「隣接する部隊」との「重複報告」の問題もある。
   〜〜〜〜〜〜    〜〜〜〜〜
この場合は、実際の戦果の「5〜10倍」になることもある。
598グース:2001/02/27(火) 06:42
わしが「陣中日記、戦闘詳報を使用しない理由」 2
わしは「南京問題」において「数」を問題としているから(笑

では「南京において」はどうだったか?実際の報告から見てみよう。

12/13早朝歩45第11中隊 揚子江東岸(上河鎮、新河鎮付近)
優勢な中国軍(兵力4万と目算)と遭遇戦を演じ、中隊長以下
戦死16、負傷36の損害を受けながら、これを撃退した。
(遺棄死体約6000と目算)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とまぁ「戦闘詳報」はこんな感じ。
高橋中尉は「死体は枕木を敷き詰めたよう」と表現し
第6師団長「谷中将」は「川岸一面死体をもって覆われたる」
と表現している。
谷中将は「死体の数は過少申告の可能性」ありと再調査を命じる。
          〜〜〜〜
ところが、12/20に調査した結果「遺棄死体は2377体」しかなかった。

「戦果は過大に報告される」これは先行研究を踏まえてれば
「当然のこと」だから「戦闘詳報を積み上げて」戦果を研究
するのは難しいのねん。

また、「現在確認中」なのだが(資料を探してるとこ)
当時第11軍司令官だった「阿南日記」には
「戦果に関する数字は慣例に従って3倍に計上した」
という意味の記述があるという。

また、「2000体」程度の死体でも「枕木を敷き詰めた」
ように見えるのだから「死体の数」を数えるのは難しい。
ということがわかる。

公式資料である「戦闘詳報」ですら「戦果」については
この程度である。「陣中日記」の精度は「個人の感覚」
で記載されるので「戦闘詳報」以上ということはない。

結論 「数の研究」には「陣中日記」「戦闘詳報」は不向きである。

ただし「陣中日記」「戦闘詳報」においてしか「わからない」
事実もたくさんある。「捕虜殺害」の違法性や
「誰が命令を下したか」については「重要な資料」といえる。