★★ 今日も小泉オンステージ!(3) ★★

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784昔話〜花の人〜
「香月屋の美代吉さんですね?」
突然声をかけられ、和服姿の女は振り向いた。その名で呼ばれたのは随分久しぶりだった。
忘れかけていた、といってもいい。振り向いた先にいたのは見知らぬ男だった。
軽く眉をひそめ、「何か?」と答える。
男は相手の不審気な様子にも慣れているらしく、ひるむことなく名刺を差し出した。
印刷されている身分は大手週刊誌の記者。女は「ああ…。」という顔をした。
「小泉総理、ご存知ですよね?」
探るような質問に、女は何でもないように答える。
「ええ。テレビでよく拝見していますから。」
「そうでなくて…。」
男は「まいったな」という風に頭をかいた。
「あなたが芸者をされていた頃、随分贔屓にされたとか。」
和服の女は困ったように笑い、「さあ…。」と言った。
言いながら、昔のことを思い出していた。
785昔話〜花の人〜:2001/07/17(火) 21:46
「今夜は『菊のバッチ』のお座敷だよ。」
女将に言われ、美代吉はいそいそと仕度をはじめた。あの人に会えるかもしれない…と思うと心が浮き立つ。
お座敷に上がりはじめた頃は、「菊のバッチ」の席は憂鬱だった。
バッチにものを言わせ、やたらいばりちらす客。
芸などろくに見もしないで芸者を追いまわし、酒の勢いで体をまさぐるようになぜる客。
姉さんたちは「ああいう人たちはいつも回りに押さえつけられてるから」と言っていたが、
美代吉はどうにも我慢できなかった。芸者になぞなるのではなかった、とも思った。
しかし、そんな客の中にあの人がいた。おだやかに笑いながら杯を傾け、
「君、筋がいいね。もう一曲聞かせてくれないか。」
と、美代吉のまだ拙い三味線を、目を閉じながら気持ちよさそうに聞いてくれた。
それからその客の座敷に上がるのを心待ちにするようになった。自分でも現金なものだ、と思う。
化粧をしようと水白粉の刷毛を手に取ると、それがついっと取り上げられた。
振り向くと、艶やかな女が悪戯っぽく笑っていた。先輩芸者の小菊だ。
「馬鹿にうれしそうじゃないか。」
「そんなこと…。」
「ははん。」
「何よ。」
「『純さん』だろ。」
まだ化粧をしない美代吉の頬がぽっと赤らんだ。「違うわ。」と言ってみてもあとの祭りだ。
「本当にあんたはわかりやすい子だねえ。」
笑いながら小菊は美代吉の首筋に白粉を塗ってやる。ひやりとした感触に、美代吉の少し火照った身がすくんだ。そこへ
「でもあの人は駄目だよ。」と、妙に真面目な小菊の声。
「どうして?」
「すごくモテるしね。それに…。」
「それに…何よ?」
自分でも驚くほどムキになっていた。無邪気に頬を膨らませる美代吉を、
「すぐにわかるさ。」と、小菊は笑いながらいなした。
786昔話〜花の人〜:2001/07/17(火) 21:48
彼が他の置屋の芸者と「良い仲」だという噂が、間もなく美代吉の耳にも届いた。
相手の芸者は大層な売れっ妓で、「菊のバッチ」の客の中にも大勢の贔屓がいるという。
「わたしだったら、純さん一人に尽くすのに…。」
かなわぬことを考え、美代吉はため息をつく。褒められた三味線の稽古にも身が入らない。
ふてくされ、思わず三味線の撥(ばち)を放り投げる。その瞬間、
「美代吉!」と鋭い声が飛んだ。キャッと身をすくませる。女将の声だ。
「三味線は芸者の命だよ!撥も同じさ。それをほうるなんざ、どういう了見なんだい!?」
美代吉の前に座した女将は、鬼のような顔をしている。激しく叱責され、美代吉はあわてて手をついた。
「お母さん、堪忍してください。もう二度としませんから。」
女将の言うことはもっともだ。竹の物差しで手を打たれても文句は言えない。
しかし美代吉にとって一番つらいのは、お座敷に上げてもらえなくなることだった。
あの人に会えなくなる…。美代吉は畳に額をすりつけんばかりにして謝った。
美代吉の必死な様子に、「今度だけだよ。」と女将も角を収めた。
「だけどお前、近頃おかしいよ。何ぼーっとしてたんだい?」
さっきとはうって変わった心配そうな声。美代吉は答えられない。
「男かい?」
男、といえば確かにそうだ。でもあの人は自分のこんな気持ちも知らないだろう。
「ま、いいさ。でも本気になると泣きを見るのはこっちだよ。男なんてみんな同じさ。」
「そんな…そんなことないです!」
ぱっと顔を上げ、女将を見据える。叱られた、ということも忘れていた。
女将は美代吉の目を見た。強い目だ。女の目だ。この子がこんな目をするようになるとは…。
芸者衆に「母さん」と慕われる女は、母のような笑みを浮かべて言った。
「あの人は近頃には珍しい、芸の分かるお人だよ。恥ずかしくないようにせいぜい稽古するんだね。」
「…はい!」
美代吉はまた頭を下げた。やはり気づかれている。自分の顔が耳まで赤くなっているのが分かった。
女将はとっくに立ち去ったのに、美代吉はしばらく顔を上げられなかった。
                                  /続(?)


・・・このお話はどこを取ってもフィクションです。