◆◇◆ガラスの仮面・4◆◇◆

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434花と名無しさん
別冊<神社研究>歴史シリーズ『談山神社−大化改新1350年−』 新人物往来社 平成7年6月

談山神社諸論
ミラクル・トリップ 飛鳥夢幻行        美内すずえ

 ひとはどんなときに自分の『前世』を知るのだろうか。はじめて訪れた土地なのに妙に懐かしく感じられるとか、見覚えがある、というようなとき、ひとはどんな思いを抱くのだろう。
私にとって、飛鳥とはまさにそんな土地だった。十年前、私が漫画の取材ではじめて飛鳥を訪れたときのことだ。
 立っているだけで、空や大地や空間からふわっと全身を包みこむような不思議な暖かさと懐かしさを感じ、呆然となった。眼に映るなだらかな丘や、遠くの山、吹く風さえなんとも懐かしく、居るだけで幸せな感じがして、ここに住みたいとさえ思った。
 なぜかはわからない。不思議だった。
 今思うと、これが私のある”旅”のはじまりだったような気がする。
 それから八年が経った秋のこと。
 漫画「アマテラス・倭姫幻想まほろば編」を描くことになって、ふたりの友人と共に車で二十数カ所ある元伊勢(伊勢の前に天照大神を祭っていた所)を取材を兼ねて巡ることになった。奈良県三輪山北西にある元伊勢第一番の桧原神社をスタートしてまもなくだった。車の中で私は地図を見ていたのだが、ある地名が眼にはいったとたん、ドンと心に重しが乗っかったようになって、眼が動かなくなってしまった。元伊勢とは関係のないその場所がにわかに気になって、胸の中で大きな固りになってつきあがってくる。
もう、どうしてもそこへ行きたい。
 なんだかわからないけれども、行かなければおさまらない気がした。 琵琶湖の南端、大津と野洲である。
 「ごめんね、予定変更。琵琶湖の南へ行って」
 びっくりしているドライバー役の友人に、私は無茶を頼んだ。
 大津と野洲の、どこへ私は行きたいのだろう。なぜかはわからない。その辺り一帯が気になる、といったらいいのだろうか。
 だが、琵琶湖へむかう途中から夕暮れて、野洲の辺りで夜になり、仕方なく大津はあきらめて、その夜すごすごと奈良へ引き返した。日程のこともあり、翌日からは予定通りの旅を行うことにしたのだが、途中、湖東にある元伊勢を訪ねるため、再び琵琶湖へやってきた。
 湖東から湖北へ出て、湖西の安曇川辺りまでやってきたときだった。はじめて飛鳥を訪れたときのような、あの不思議な感覚を再び味わった。風景の中から母のようなやさしい暖かさが溢れてくるようで、思いもかけない懐かしさを覚えたのである。
 その感覚を説明するのは難しい。ただそこが大津の北西にあたり大津とそれほど遠くもないことが気になった。
 結局、日程のつごうで大津へは行けずじまいになったのだが、元伊勢巡りの旅が終わってからも大津のことが心に残った。


 <つづく>
435花と名無しさん:2001/05/13(日) 21:57
 <つづき>


 そして、あれは旅から帰って半月もした頃だったろうか。初老の品のいい御婦人が、どうして私に会いたい、とおっしゃって仕事場のある武蔵野までやってこられた。
 数年前から神霊との交信があるという、にこやかな暖かい感じのするその婦人は、しかしビックリするようなことをおっしゃる。
 「今朝こちらへくるとき、ナカノオオエノオオジとおっしゃる方から交信がありまして、あなたに来てくれるように、伝えてくれといわれました」
 −は?ナカノオオエノオオジ?−
 こちらがポカンとしてとまどっていると、再びニコニコとして「中大兄皇子、天智天皇ね。近江神宮の御祭神の……」とおっしゃるではないか。
 近江神宮という一言にギクリとした。あの惹かれてならなかった大津にある神宮ではないか。
 このとき私は、歴史上有名なその名を、確かにどこかで聞いたことがある、という程度の認識しかなく、その名がかかわる歴史にもたいして興味をもっていなかったのだ。
 それにしても「ナカノオオオエノオオジ」とおっしゃる方が、いったいこの私になんの御用があるというのだろう?
 それから一ヶ月ほどして、律儀な私はたったひとりで大津まで出かけて近江神宮に参詣し山科の天智天皇陵にもお参りをして帰ってきた。このときに、この方がそれまで奈良にあった都を大津に遷し、大津京を築かれた天皇だと知った。あとは別になにもなかった。気が済めばそれでよかった。
 さて。談山神社へ参詣することになったのは、それからまもなくのことである。
 神社の裏山に、世の中に変事があるとき鳴動する不思議な岩がある、ときいて興味をもって出かけたのである。
 御祭神が藤原鎌足である、という以外、その歴史的背景も、近江神宮の御祭神との関わりもこのときはさっぱり頭になく、むろん、たしか学生時代に歴史で習ったはずの『大化の改新』に結びつくはずもなかった。まったくもって私は、ノーテンキに出かけたのである。
 友人達とタクシーで神社へむかっていたとき、飛鳥ののどかな風景を眺めながら、ふと、はじめて飛鳥を訪れたときのあの不思議な感覚のことを思い出した。
 ああ、そういえば昔、なぜかこの地を懐かしく思ってたことがあったっけ……などとボンヤリ考えていたときだ。
 「あれが多武峰ですよ」
 運転手さんが、談山神社の近いことを教えてくれた。その瞬間。眠っていたわけでも、疲れていたわけでもない。一瞬意識がトリップしたとしかいいようがない。
 私は男で、馬に乗っていた。茶色っぽい古代の衣服を身にまとっている。数人の共を従えて、タクシーが向かうその同じ方向へむかっていた。心は重い。たぶん使者としての帰りなのだろう。重大な、しかし大変な知らせを抱えて、これからそれをある方達に報告しなければならない。
 それを告げたときの、人々の驚きや怒りや悲しみを思うと足取りも重く、いったいなんといったらいいものか……と苦渋に満ちた思いを抱えて、私は馬に揺られながらトボトボとその道を辿っているのである。
 瞬間、我に返った。
 あせって運転手の頭ごしに前方の景色を見る。夢ではない。今一瞬、全身に甦ったようなあの苦悩の感覚はなんなのか?
 ”ワタシ”がむかおうとしていたのは、どこなのか。いったい誰に会って、何を告げようとしていたのか。
 そして、そのあとどうなったのだろう?
 はじめて訪れた談山神社は美しかった。
 境内に佇みながら、私は心の中でバラバラになっていたピースを集め、幻のジグソーパズルを組みたててみる。もし『前世』を語ることが許されるなら、私は遠い昔、飛鳥に住み、今談山神社のあるこのあたりの地にいたある方にお仕えしていて、その後、その方について大津まで行ったのではないだろうか。
 そしてその方が亡くなられたあとも、私は大津にとどまり、その方の魂の安らかなることを祈りながら、湖西の安曇川の辺りで残りの人生を送ったのではないだろうか。
 『前世』を語るのに何の確証もないが、心のジグソーパズルはそんな”絵”を浮かび上がらせてくれるのである。
 美しい朱塗りの社の前で、時の流れを逆のぼり、私は夢幻の彼方に思いを馳せる。
 それから私は、やっとこの地に辿りついたことに気づいた。これから何がはじまるのだろうか。魂の旅は、まだやっと地図を手にしたところである。