79 :
真性1:
2001年7月15日東京ミキサー計画報告
(趣旨)
我々は2001年7月15日東京ミキサー計画報告として予告どうり
計画を実行したことをここに報告する。
まず。我々は次の3点を標榜するものである。
@非表現性 A匿名性 B非作品性
である。なぜなら我々は常々「芸術は路傍の石である」ということ
を掲げているからである。そしてその考えが直接、今回の行動に結びついた。
まず都内某所になにか行動を起こすことで出た案が
「JR山手線内回り数カ所の駅、プラットホームにて「芸術とは何か。」とだけ
書いた名刺大のカードを掲示する」ということであった。
念のためいっておくがなぜ山手線だったかというとこれは「ネオ・ダダ」
に対するオマージュ、意思の引継ぎを意味するものである。本来、我々の
行動に表題や意味のようなものはない。しかし今回は「JR山手線」と
いった要素を使うにあたって、どうしてもいっておかなければならなく
なった言葉がある。
つまり「ダダはまだ生きている」と。
しかして「ハイレッドセンター」と我々が決定的に違うところがある。それは
表現をするか、しないかにある。彼らは多分に思わせ振りであってもギリギリの
表現をして、「ハイレッドセンター」という名前を前面に出したが、我々は
都会に生活の基盤を持つ匿名的な一個人の行動としているスタンスが「ハイ
レッドセンター」と決定的に違う。そして「ハイレッドセンター」が行って
きた衝撃的ともいえる表現を否定する。つまり、「圧倒的なつまらなさ」を
我々は前面に押し出していく。
我々はこの「圧倒的なつまらなさ」に美をみるものである。
かくしてその思いは行動にうつされた。
80 :
真性1:2001/07/15(日) 23:00
(行動)
7月15日13:30、JR山手線某駅内回りプラットホーム到着。
今回カードを掲示していく駅は池袋、高田馬場、新宿、渋谷、五反田、
品川、新橋、東京、秋葉原、上野、日暮里、巣鴨という主要な比較的
人通りの多い駅をリストアップする。
7月15日13:35、カードの掲示開始。
カードは縦6cm、横9cmの名刺大のカード。カードのなかに一言
「芸術とは何か。」とだけ書いてある。そのカードは長さ5cm
程度の黒のビニールテープで貼っていく。
貼り付ける場所は様々。ポスターの上だったりジュースの自販機だった
り時刻表、階段横の壁面のステンレスだったり。
なにごともなく順調に行動していく。途中の駅で2回ほど若い男性に
不思議そうな顔をされたりしたが、特に問題も起きず。淡々と行動は
進む。
7月15日15:30頃JR山手線某駅内回りの主要な駅に全て
カードを貼り付け行動を全て終了する。
81 :
真性1:2001/07/15(日) 23:03
(その後)
山手線の駅数カ所を観察したところ。あまりに普段とほとんどなにも
変わらない状況から、ほとんどの人々は名刺大の張り紙が張ってある
ことなど気がつかないようだった。寧ろ気がつくものかといった感じ
である。
このカードの行く末はおそらくあるカードは剥がされ、クチャクチャ
に丸められ、陵辱されきってゴミとして捨てられ、あるカードは風に
飛ばされ人々に踏みつけられ、文字も読めなくなっていつかその存在
をこの世から抹消していくのだろう。そこになんと儚い美しさがある
のかと思う。
確か新宿のプラットホームだったと思うが、カードを階段横のステン
レス製の壁面に貼り付けたのだが、だれもそれに気付く人はいな
かった。夥しい人、人、人。何かの目的にむかって突き進む人、人、人。
一瞬、ステンレスと紙製のカードという極めて無機質な関係だった
のが、ひっそりと谷間に咲く一輪の白百合に見えたような気がした。
かくも芸術はひっそりと悲しくも美しい。
誰にも気が付かれることなく存在する芸術。
2001年7月15日東京ミキサー計画報告 終了。
82 :
真性1:2001/07/15(日) 23:06
>77
何も出来ない煽り厨房、書きこみお断り。