>>905 哀れな娘よ。お前の言う通り、法と秩序、即ち大いなる主の教えは、
決して人の思いを押さえつける為のものではない。
信仰とは自らの良心を支える杖、悪徳の森に迷い込んだ時、
正しき方向に導いてくれる道標なのだ。
娘よ。許されざる気持ちを押さえるものは信仰でも法でもなく、
お前自身の強さであり、信仰はその手助けにしかならない。
娘よ。お前が誤った選択を下そうとしている今も、お前が
大いなる主とその教えに自らの所業を照らし合わせるだけの
分別を残している事は大きな喜びだ。お前は自分の気持ちから
もう逃げないと言うが、それは激情に流され、自分の良心から
逃げ出しているのではないのか?
哀れな娘よ。相克する感情の狭間に苦しむ者よ。
今私は、聖アジョラを奉じる一宗教者としての立場から言おう。
早まるな、悔い改めるのだと。今一度、自らの良心の声に耳を澄ませと。
お前達兄妹が、これ以上主の教えに背く道を進もうと言うのなら、
私は社会の秩序を守る異端審問官としての立場でお前たちに臨まねば
ならない日がやって来る。敢えてもう一度言おう。悔い改めよと。