♂♂♂ラムザの部屋♂♂♂

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887異端審問官ザルモゥ
>>879
嗚呼、道に迷いし聖騎士よ。
我らは聖アジョラではなく、神ならぬ身には 過ちと堕落はつきものだ。
確かに畏れ多くも聖アジョラの崇高なる教えを 都合の良い風に解釈し、
己の利益を図るものが歴史的に存在した事は 哀しいかな事実だ。
だが彼らはその行為によって信仰を裏切った背教者に 過ぎず、 我らが
崇高なる聖アジョラの教えそのものを否定する理由にはならぬ。
考えてみるがよい。近親相姦を否定したところで、個人的な利益を得る
人間が いるのかどうかを。それを考えれば、我らがベオルブ兄妹を糾弾する
理由は 正統なる聖アジョラの教えに基づいたものであり、貴殿の言うような、
教会の 権益を守る為の歪んだ攻撃とは別種である事は自明の筈だ。
888異端審問官ザルモゥ:2001/07/01(日) 03:59
>>879 続きだ。
それでもグレバドス教会の正義とは別の観点から、彼ら兄妹の考えの是非を
問いたいと言うのなら、逆に貴殿に訊ねたい。人間道徳とは何ぞや?
純粋とは何ぞや? 人は社会、即ち何らかの規則の中で生活しており、我ら
グレバドス教会の教えの行き届かぬ蛮地でさえ、近親相姦がタブーである事は
広く一般的である。それは即ち社会の秩序と安寧、あるいは人としての本能的
倫理観がそれを拒絶するからではないのか? 無論、時代や文化によって何を
持って近親とするかに差異はあろう。叔父と姪、叔母と甥、従兄弟同士、或いは
異母兄妹。それぞれに許される時と場所はあるが、我らのような高度な社会を
形成した文化において、同母同父のベオルブ兄妹のような濃厚な血縁間の関係が
許容されているという話は聞いた事が無い。思いが純粋であるからと言って、
社会と言う巨大な歯車を回すのに邪魔になるものは、結局排斥を免れぬのだ。
それを分かりながらも尚、社会通念に背いてまで思いを貫きたい、或いは社会
から離れてでも思いを貫きたいというのであれば、それは異端に他ならぬ。
幸いベオルブ兄妹は未だそこまで反社会的な考えに毒されてはおらぬようだ。
なればこそ、私は彼らに悔い改めるよう求めるのだ。