アレクサンドリア許さない×2〔DISC5〕

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449名無しさん@LV5
アルテマウェポンとの激戦によって艦内各所に生じた、無数の故障個所を知らせる警告音が、
絶え間なく鳴り響く通路を、ジタンは音も無く駆け抜けた。常人が全力を出しても到底及ばぬ
速度の疾走でありながら、侵入者に接近を悟られぬよう、気配の完全な遮断をも並行して
実行するという、ジタンならではの神技的な走りである。極めて高度なレベルで実行される
気配の隠蔽は、仮にジタンが眼前を通り過ぎたとしても、幻と誤解するに違いないとすら思えた。
元来、盗賊としての技術を習得している上に、魔人と化した事により、人間だった頃とは比較に
ならない鋭敏な五感を手に入れたシナとルビィですら、常時警戒を怠らなかったにも関わらず、
ジタンが第2レクリエーションデッキの前に到着した事実を察知できなかった。
ジタンは無造作に壁に耳を押し当てると、全身の神経を聴覚に集中した。
『室内の呼吸音は三つ……一つはミコトで、あとは侵入者か…。呼吸音の位置からして、一人は
地面に伏している…これは……ミコトだ…侵入者の一人はミコトの側に座っていて…もう一人は…
この壁のすぐ向こうにもたれかかっているな…』
呼吸音の大きさから、中にいる人物の身長、体重、性別などを推測し、モグネットからの報告に
あったゾディアックブレイブの構成員と、頭の中で照合する。
『これは…シナ…それとルビィか…。あいつらがここまでやれる程の実力を身につけているとはな。
ゾディアックブレイブか…。エーコめ、ろくでもない化け物を作ってくれる』
ジタンの手の中に、前触れなく鈍い輝きが生じた。ジタンがクリスタルの『記憶』から創り出した
異世界の武器──本来ガイアには存在しない必殺の短刀「猫の爪」である。ガイアでも、格闘家が
使用する鉤爪状の武器に同名のものがあるが、それとは形状、用法、威力のすべてが根本的に異なる。
武器と呼ぶよりは、殺戮兵器と呼ぶのが相応しい、まさしく魔性の短刀であった。
450名無しさん@LV5:2000/12/14(木) 23:07
猫の爪を構えたジタンは、微かに眉間にしわを寄せた。意思の力によって、体内の生命力と気力、
そして魔力の流れをコントロールし、練り上げ、高め、増幅する。次の刹那、余剰エネルギーの
産物である魔法風が吹きぬけ、ジタンはトランス状態を完成させた。トランス状態の常時維持を
可能としたクジャとの戦いや、エンキドゥらを被験者とした一般人にトランス能力を付与する実験を
通じて、ジタンはトランスのメカニズムの秘密を、かなりの部分まで解明していた。その成果として、
ジタンは任意のタイミングでトランス状態に入る事を可能としていたのだ。自然発現的なトランスと
比較すると消耗がかなり大きいので、連続しての使用は困難だったし、クジャのようにトランス状態の
維持を任意に行えるまでには至っていないが、それでも戦闘の際には計り知れない恩恵を与えてくれる
能力であるのは間違いなかった。
トランス状態に入った事により、四肢に力が漲り、全身のあらゆる感覚が極限まで鋭敏化する。恐らく
この状態のジタンなら、暗闇の中でも数百メートルに及ぶ範囲を見通せるだろうし、虫が飛んだ程度の
僅かな空気の揺らぎをも感知できるだろう。
そしてその圧倒的な五感の能力を、ジタンは今、聴覚に集中した。トランス前ですらジタンの聴覚は、
壁の向こうの呼吸音を感知し、聞き分ける事ができた。トランスによって人間の限界を越えた聴覚は
ジタンに何を囁いたのか? 沈黙の中、壁の一点を無表情に凝視するジタンの胸に去来する思いは、
氷のように冷たい瞳からは何ひとつ窺えなかった。