ネルフVS花の慶次ー雲のかなたにー

このエントリーをはてなブックマークに追加
227ぽち
 シンジはすっかりこの綾波レイという少女にいかれてしまった。つまり、ぞっこん
惚れこんでしまったのである。
仮にも雷の天子の名で呼ばれるラミエルの加粒子砲を零号機で遮りながら、この少女
は眉毛ひと筋動かそうとしなかった。泣き言も漏らさなかった。
 どれほど辛くても、戦いは戦いであり、無慈悲に見えても使徒を倒さなくては、シ
ンジを守れないことを、この少女はしかと承知していたのである。
 加粒子砲は一度その身で受けているシンジである。あの時の苦しみが脳裏に浮かぶ。
命を落す破目になるかもしれないことは判りきっていた。並みの人間なら顔色変えて
怯えるところだが、綾波は涼しい顔をしていた。
 自分の生きざまによほどの自信を持っていなければ、こんな事が出来るわけがない。
しかも綾波はこの年、まだ十四歳の若さである。
 恐るべき少女としか云いようがなかった。
228ぽち :2001/07/17(火) 18:52

 この戦いの三日後、シンジは古びたマンションに綾波を訪れている。検査入院から
退院したばかりで、生活に不自由しているだろうと思ったからだ。必要とあらば、炊
事・洗濯・掃除すべて行ってもいい、と覚悟をきめていた。だからお気に入りのエプ
ロンを持参して、おさんどん支度で行った。

 あいにく綾波は所用でネルフに行っているみたいだ。部屋の鍵は掛かっていなかっ
たので、部屋で待つことにした。部屋に入るなり、シンジは瞠目した。
 それはとても少女の部屋ではなかった。ミサトさんの部屋程ではないが、まごうこ
となき、ちらかった部屋だった。至るところに書物とゴミが散らばり、座る場所を探
すのが困難なほどだ。ゴミの大半は包帯であり、所々血の滲んだ跡がある。これほど
の包帯の山を、シンジは生まれてから見たことがなかった。ほとんど茫然とした。
(どういう女の子なんだ、これは)
戦場で見た綾波は、凛呼たるチルドレンだった。一目見ただけで、
(手強い相手だ)
シンジでさえ心を引き締めざるをえなかったような一箇の『いくさ人』だった。
 その『いくさ人』の印象と、この部屋の有り様とが巧くつながってくれないのだ。
(家事、苦手なのかな・・・)
 シンジは座りこんで思案に耽った。いや、耽らざるをえなかった、と云った方が正
解かもしれない。
229ぽち :2001/07/17(火) 20:38
 シンジは改めて、積まれてある書物を調べはじめた。美少年同士が逢瀬を重ねるも
のと、年上のお姉さんがいたいけな少年にイタズラするものの二種類がある。よく見
ると、<カカ×ベジ>などと書かれた付箋紙が挿まれていたりする。この同人誌の持ち
主は誰か。まさか・・・。
 廊下に足音が響いて、綾波が闊達な足どりで入って来た。挨拶もそこそこにシンジ
は訊いた。
「気を悪くしないでね。この本、綾波の?」
 綾波の頬が桜色に染まった。いたずらを見つかった少年のように恥じているように
見えた。
「・・・私の。」
 シンジは信じられないという顔で、まじまじと見つめた。
「じゃあ、綾波がコミケで全部買ってきたの?」
「・・いいえ。ネルフに用事のあるときは、やむをえず保安部の人たちに頼んだわ。
リストは渡していたから、買い漏らしは少ないはず・・」
 シンジは声が出ないように見えた。
「集めるだけで、なかなか読み返す暇がないわ・・」
 これは嘘だった。就寝前の『ベッドで読書の綾波さん』が、数少ない楽しみのひと
つになっているからだ。
 シンジは尚しばらく無言でいたが、やがてぽつりと云った。
「あんたは化け物だ」
「・・失礼ね」
230ぽち :2001/07/17(火) 20:38
 惚れたとなったら、一途になりすぎるのがシンジの悪い癖である。
 以後綾波は三日にあけず、シンジの訪問を受けることになった。もっともこの少年
は全く手がかからない。たとえば綾波本人が居ようが居まいが気にもかけない。居な
ければさっさと帰るか、或は勝手に上がりこんで日がな一日S−DATを聴いて過ご
すか、どちらかだった。
 食事は綾波の部屋で済ませることが多くなった。呆れ返ったことに味醂等の調味料
まで揃えてしまった。勝手に料理をして食べるわけだ。勿論、綾波がいれば勧めるが、
決して強制的ではない。まるで同居人だった。
 だが綾波は、この極めて身勝手な訪問者に、いやな顔ひとつしない。干渉もしない。
つまり放っておく。これも綾波の人柄だが、シンジの側にも、自然にそうさせるよう
な何かがあった。まぎれもなく勝手気ままなことをしているのだが、人の気にさわる
ことがない。へつらっているわけはない。むしろそれが皆無なことが、この結果を呼
ぶのである。どこの世界に家族同士でへつらう者がいようか。我侭勝手なことが出来
て、なんら咎められることもなく、気にもさわらないことが家族の条件だろう。
 綾波とシンジとの間には、ひとつの絆が結ばれようとしていたのである。
231ぽち :2001/07/17(火) 20:39
 ある日、シンジが上がりこんだ直後に、綾波が外出から戻って来たことがある。
 この頃にはこの二人は顔をあわせても挨拶ひとつしない。お互いに同じ室内にいる
のが、それほど自然になってしまっている。格別話などしなくてもいいのである。終
日一言も言葉をかわさないことも屡々だった。それで充分なのだ。二人とも、相手が
そこに居るということだけで、心が満たされ、平安なのだった。
 それが珍しいことにこの日は、綾波は入ってきた時から、まじまじとシンジを見つ
めている。
「・・・?」
 ボケボケっとS−DATを聴いていたシンジが、顔を上げて見返した。
232ぽち :2001/07/17(火) 20:40
「・・浮気はいけないわ」
 綾波がぽつんと言った。
「なあに」
 シンジはヘッドホンを外しもしない。また音楽に戻った。
「・・本命は誰・・」
 綾波にしては妙にこだわっている。シンジはようやくヘッドホンを置いた。
「・・私の見ている間に、三回も女を変えた・・」
 綾波はこの日もネルフで検査だった。終って家に帰る途中、買物袋を下げて悠々と
スーパーに入っていくシンジを見かけた。追いかけて一緒に帰ろうとしかけて、危う
く歩をとめた。顔見知りの雀斑が似合うおさげの少女が、シンジに話しかけたからだ。
 以後、その距離を保ったまま、トボトボとシンジの後をついていった。おさげの少
女と野菜売り場でしばらく談笑した後、シンジは本屋の前で黒髪の綺麗なメガネの似
合う内気そうな少女としばらく談笑し、最後に駄菓子屋の前で栗毛色のショートカッ
トが似合う元気そうな少女と『点取り占い@エヴァ』を楽しんでいたのだった。
233ぽち :2001/07/17(火) 20:41
「戦自ともつき合いがあるのか」
 シンジが面白そうに訊く。この男は自分の置かれている立場を全く理解していない。
見事といえた。
「戦自とネルフの合同演習のときに、一度見かけたわ。戦自の少年兵の中で『鋼鉄の
ガールフレンド』と称される泥棒猫よ・・」
 しばらくためらった後、ぽつりとこぼした。
「・・名前はマナと云うそうよ・・」
 『鋼鉄のガールフレンド』といえば、ネルフのオペレーターの間でも一目置かれる
存在だった。特技は移り気である。彼女は、老若男女どんな人間にも好かれる。ナン
パにも慣れているが、好みの男の子には自分からちょっかいをかけているらしい。狙
った獲物は嘗て逃したことがない。技術部のマヤが幾分の畏怖を籠めて、そう語って
くれた・・・。
234ぽち :2001/07/17(火) 20:41
「マナって云うのかあ」
 シンジの眼が子供のように輝いている。変わった人間が好きなのである。
「もう一度会えるかなあ」
 綾波は思わず失笑してしまった。会ってみたいどころではない。マナは現にシンジ
を狙っているのだ。マナには、ちょっとショタの属性があるらしい。おとなしそうな
シンジは、ど真ん中のストライクである。次にマナに会う時は、当然身体を張った勝
負になる。それをこの男は、のんびり世間話でもしたいという感じで、もう一度会い
たいなあ、などと云う。
235ぽち :2001/07/17(火) 20:42
「でも変だな」
 シンジが首をひねった。
「・・なに」
 綾波が訊く。
「ケンスケの美少女データベースって、あれでなかなか凄いんだよ。マナくらい綺麗
なら、教えてくれる筈なんだけど・・・」
 真実不思議そうな声だった。
「・・その程度なのよ、メガネは・・。それに碇君には私がいるもの。知っていても
云わないのかもしれないわ・・」
「あっ・・あ・や・な・み・さん・・」
 シンジは真っ赤になった。慌てて台所に行って、お湯を沸かし始めた。
「飲む?」
これは紅茶をいれるつもりだと云うことだった。
「・・戴くわ」
 これではどっちの家なのか判らないな、と綾波はおかしかった。それにしてもシン
ジのいれる紅茶は悠揚迫らず見事なものだった。マナのことなど綺麗に忘れているの
は明瞭だった。
 綾波は微笑し、首を振った。
(・・どう仕様もない子ね・・)
 その意味である。