美奈萌とまひるの午後のティーラウンジ

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「男は男らしくあるべきよ」

 香澄のこの言葉に、嫌な予感を覚えなかったわけではない。
 いや、むしろ第一級警戒体勢だった。これでも、付き合いは長い。
 もちろん、放課後を待ってすぐさま逃げようと努力した。しかしやはりと言うかなんと言うか、失敗に終わ
った。
 まさか、透まで抱きこんでいたとは。うかつだった。
「悪いな。俺も、命が惜しい」
「といいつつなんだー!その札ビラはなんだーっ!?」
「労働に対する正当な報酬というやつだ」
「売ったのかー!あんたあたしを売ったのかー!?」
「はいはい、そろそろいくよ、まひる」
 荒縄で縛られた恰好で、まひるはずるずると連行されていった。
「達者でなー」
「恨むー!呪うー!とり憑いてやるー!」
「殺されるみたいに言うな!」


 香澄の部屋に通される。長らく入院していたこともあって、来るのは久しぶりだ。
「さて、これからあんたを男らしくさせる訓練をするわけだけど」
「はーいせんせー。しつもーん」
「なに」
「本人の意思の確認は?」
「却下。他には?」
「……いえ」
 本気だ。どうしようもないくらいに、香澄は本気だ。
「じゃあ納得もいったところで、これを見て」
 香澄は、部屋の隅に丸めて立てかけてあった長い紙を広げると、壁に張り出した。
「とりあえずまひるには、これを目標に頑張ってもらうわ」
 達者な筆で描かれた、等身大の人物図。
「……どなた?」
「あんた」
「……」

 この、長ラン高ゲタで筋骨たくましい人物が、いつも鏡で見る可愛い女の子と同一人物だと。
 この、鉢巻の上に眉毛がはみ出ておられる御仁が?


 まず、なぜこの方は裸の上に長ランを着ているのか。
 そしてなぜ、お腹にサラシを巻いていらっしゃるのか。やくざ?
 今時こんな恰好のお人は、男塾にでも行かなければ出会えないと思うのだけれど。

 上から見てみよう。
 まず、顔。
 不精髭生えまくり。
 そして口にはなぜか、葉っぱを咥えている。
 ドカベンの岩鬼が、いつから男塾に入学したというのだろう。
 だが、彼ならあそこでも、きっと充分以上にやっていけるだろう……いけない、現実逃避しかけた。
 さらに、目。
 どこを目指しているのか、むっちゃ遠くを見ている。土佐桂浜の坂本竜馬像とタメ張れるくらいに。タイト
ルは『俺の空』で決まりだ。
 南下して、胸。
 厚!胸板、厚っ!ガンダム?
 たしかにバストサイズはもう少し欲しいなー、と常々思ってはいたけれど。
 あたしは女性らしいふくよかなおチチが欲しいのであって、別にザクマシンガンを弾き返したいわけじゃな
い。
 香澄みたいなかっこいい身体だったらなー、と思ってたわけで、戦術兵器としてかっこよくなってどうする
のか。
 そして、足には下駄……いや、まさかこれは!?伝説の鉄ゲタ!?

 総合的にいって、”バンカラ”の一言で形容すべき地獄絵図だった。

「香澄……あんたの趣味って……」
「ばっ……!別に趣味じゃないわよ!ただ、あんたには正しくあるべき男であってほしいの!」
「あたし、こういう人、まだ体育祭のときくらいにしか見たことないんだけど」
「あんなのは偽者よ。本物は、常日頃からこうでないと」
 毎日こういうカッコで過ごせと。
「無理。帰る」
「待ちなさいっ」
 慌てて引きとめてくる、香澄。
「大丈夫よ。いきなりは無理だなんてこと、私にもわかってるから。順々にいきましょ?ね?」
 詐欺師の笑顔だ。
「そして最終的には、これ?」
「まずはかたちから入っていきましょうか」
 質問、無視。
「……かたちからって?」
「あんた、今下着何つけてる?」
「……え?」
「下着」
「い、いやだなあ香澄。そんな、いくら同性同士だからってそんな、セクハラオヤジみたいな」
 てれてれと、顔を赤くするまひる。
「同性じゃないでしょ」
 香澄は、冷たい。
「……ピンクの、リボンのついたやつ」
「脱げ」
 いきなりなお言葉。
「えええ?」
「脱ぎなさい!なんで男の子が、そんなの履いてるのっ!」
「あたしが何を履こうが自由だー!それに、ここでノーパンになれってかーっ!」
「大丈夫よ。代わりの下着は、ちゃんと用意してあるから」
 そう言って香澄がとりだしたものは、細長い布だった。
「何、それ」
「あら、知らない?」
「……マンガで見た、フンドシっていうのに似てる」
「似てるって言うか、そのものよ」
「……それを、どうせよと?」
「締めるの。あんたが」

 ……。

「いやだー!そんなのいやー!」
「大丈夫よ!新品なんだから!」
「そ、そんな新手のプレイみたいの、いやー!」
「ええい、もう観念しなさい!」
 香澄の手が下着にかかり、膝までずり下ろされる。貞操のピンチだ。
「で、殿中でござる!殿中でござるよ!」
「この、おとなしく……」
 香澄が切れかけたところで

「あら、にぎやかね」

 がちゃり、と部屋のドアが開けられて、香澄の母がお盆を抱えて現れた。
「……」
「……」
「……」
 必死で下着とスカートの裾を守る恰好の、まひる。
 高々と揚げた片手にはフンドシを握り、片手では友人の下着を膝までずり下ろしている、香澄。
 そして、母。
 三人の時が、止まった。

「ご……ごめんなさい。お母さん……お邪魔だったわね。ま、まひるちゃん、ごゆっくり……ね」


 ふらり、と今にも倒れそうな様子で、ドアの向こうに消える香澄母。
 直後、ドアの向こうで号泣の声が遠ざかっていった。
「ち、ちがうのお母さん!お母さーーんっ!?」
 何が違うのかしらないが、香澄は慌てて母のあとを追っていくのだった。

 ……思えば。その時逃げておくのだった。

 今になってそう思う。
 荒縄で緊縛された、今になってようやく。
 残されたジュースとケーキに未練を残した己の浅ましさが、敗因だったか。
「こうなれば最後の手段しかないわ。ごめんね、まひる。きついだろうけど、少しだけ我慢して。すぐ楽にな
れるから」
 なぜ亀甲縛りなのかは、謎だ。
「一体、あたしをどうする気だあ」
「簡単よ。一番の問題は、あんたに男の自覚が無いことなの。……なら、あんたが自分で、自分が男なんだっ
て思いこむようにすればいいってことじゃない?」
 それは、一般に洗脳とよばれる行為なのじゃないでしょうか。
「いやだー!いやー!く、薬使ったりするんでしょ!?それで、あたしにオクレ兄さんとか叫ばせる気なんだ
ー!」
「なによそれ?大丈夫。薬だなんて、まひるにそんな乱暴なマネするわけないでしょ?」
 主人がペットに対するような絶対者の優しさで微笑む、香澄。
 ぴええ、と怯えるまひるをよそ目に、ぽんぽんと手を叩いて声をあげた。
「先生!先生!出番です!」

「呼んだかね」

 細長い体躯をした、細長い目の男。
 ……って、言うか。
「透ー!またあんたかー!」
 こちらのツッコミを無視して、香澄と透は頼んだわよ、まかせとけなどとわかった風に頷きあっている。
「悪いな。これも捨てきれぬ祖先からの因縁というもの」
「そのポケットからはみ出た万札はなんだーっ!?」
 まひるの指摘に、透はおっと、などと言ってそれを手で奥に押しこめる。
「さあ、これをみるんだ。まひる」
 透の指先にぶら下がるのは、紐の先にくくられた五円玉。
「リラックスしてー。さー、お前はだんだん眠くなるー」
「うぐぐ、むむ……」
 それ、洗脳って言うか催眠術。
 そうツッコミを入れることさえ出来ず、まひるは夢の世界へ落ちていった。
 こんな古典的な、子供だましのような催眠術で眠れてしまう自分の単純さを呪いつつ。


 翌日。
『こんにちは。昼休みの一時をどうお過ごしでしょうか。今日の”ランチタイムボックス”はムーディ音楽特
集です。お相手は私、蛍坂こす……あひゃあっ!?せ、せんぱい!?』
 スピーカーから流れる緊急事態に、夕凪美奈萌は飲んでいたジュースをぶっ、と吐き出した。
 放送室でお昼を過ごすことも多いのだが、今日はたまたま香澄たちと過ごすことになったのだ。
 その香澄は、真剣な眼差しでスピーカーを見上げている。
 やがて。

 どーしたんだーへへーべいべーバッテリーはびんびんだぜーえ♪(右上がり調子)

「ま……まひるっ!?」
 ハンカチで口を拭いつつ、呻く美奈萌。
 このお間抜けかつ調子外れな歌声は、間違えようがない。
 香澄が、傍らで得意げな顔になっている透を睨み据える。
「透。あんた、しくじったわね」
「何を言う。男の中の男といえば、清志郎だろう?」
「……」

 とりあえず透を血の海に沈めておいて、香澄は放送室に急いだ。
 しかし、残念ながら、彼女がそこに辿りつく前に、惨劇は起きた。

『かっすみぃー!愛っしてるぜぇー!』

 全校放送での熱烈な告白に、香澄は大地(廊下)に伏した。


「注目……受けてるねえ」
「誰のせいよ」
「あたしのせいかっ!?」
 涙目で抗議するまひるに、さすがに香澄もそれ以上の追求はしない。
「私、今日またラブレターもらっちゃったよ……まひると別れて、付き合って下さいって…」
「よかったじゃん」
「女の子からよっ!」
「あ、あたしも言われたよー。『私の方が本気なんだから、桜庭先輩と別れてください』って」

 いま、二人は全校公認のレズカップルとして扱われていた。
 男と女なのに。

「まひる……二人で転校しよっか……」
「女子高に?」
「……どこか、誰もしらないところへ」
「縄とお薬をもって、どちらの学校へいくのかなー……あはは……」

 二人の行く末に、幸多からんことを。

(終わり)