>144忠告THANX
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このように 反応 をくれると、次に何を言えばいいのか分かってありがたい。
ほかにも「百合は香りなどではない」などの 反論 があればどうぞ。
「あのCM」が(あざとい)百合であるという意見も
百合に見えないという意見も、実のところ正しいと思う。
このところが、先の「百合とは香りである」との部分と
関わってくるところだけれども。
自分としては143で少し触れたように、構成と描写の仕方から
あのメインは青春のひととき(なりなんなり)などであって、
実際は少女同士の恋愛とは違うだろうと思う。(するならば
帰り道や台詞に托す想いなどをより深めたはずだから)
また、その1作目ですら、キスしたことありますかと尋ねる
「ような女の子(あるいはその年頃)」とその相手役の先生
がただ画面にあるだけで、二人の関係性がもっと描かれない
ことから別の目的から作られたと考えている。
この点で百合作品ではないと主張するのは正当だし、
にもかかわらず百合の香りは立ち上る。
ミステリーというジャンルを書くならば、まず一つの謎を設定し、
その謎が次第に解明されてゆくという構成をとればミステリーに
なろう。しかしハードボイルドは推理小説などのキャラクターや
設定や描写に工夫をし、それらを積み重ねることで
雰囲気を醸し出しているわけで、実際は「ハードボイルド
小説の必要十分条件」というものがあるわけではない。
また、少女同士の恋愛を主題として採用したからといって、
雰囲気もへったくれもなければ、レズビアン恋愛小説か青春小説か
とにかく内容と主張と筋立てがすべての物語となろうし、
一方で雰囲気があるためにただの学園ものに百合テイストを
見出すのもわれわれの現在のすがただ。
この点がまず、「百合とは結局、内容ではなく香りなのではないか」
の根拠だ。
で、「食事会に対するお茶会」という言い方だけれども、星新一だったか、
太宰治を評して「内容はどうでもいい、あの語り口がすばらしい」という
ように、料理ならば味ではなく匂いや飾り付け、歌謡ならば詩や歌でなく
歌いっぷりなど、講演でも内容でなく語り口など、味わい方は「もう一つの
見方」があるわけで、もちろん話し方講座が独り立ちして存在するように
「百合作品」として独り立ちするものはそれとして楽しみつつも、
自分たちがオルタナティブであることを自覚しつつ匂い立つ百合を楽しむ
やり方もあるのではないかと思うのだ。