日本のチベット、山梨医大。

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152名無しさん@おだいじに
「山梨大学が生き残るためには」

山梨大学長 椎貝博美

平成12年度 山梨工業会東京支部総会 特別講演
153名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:44 ID:???
1 序論

与えられた題目は時宜に適し、当を得たものでありますが、その一方やや刺激的な感じがございます。といいますのは、私は、現在話題になっております国立大学の独立行政法人化、あるいはこれを少し修正した国立大学法人化の問題は、それはかなりの問題ではありますが、非常に大変な問題だとは考えていないからです。

山梨大学の年間予算は、およそ80億円です。現状ではその使い方は、これは人件費、これは機材費、というように決まっています。 もし大学が独立行政法人化いたしますと、大学の判断で予算がかなり自由に使えるようになります。これを、3年から5年続けたところで、大学の業績評価が行われます。評価がよければ、予算は増えますが、もし悪ければ減ることもあるだろうということです。

その一方、例えばTLO,これは大学の特許を世話する一種の会社ですが、を作って大学が稼ぐことも可能になります。また企業から寄付金、受託研究を受けることも今までよりずっと簡単になりますから、大学が自分の努力で予算を増やすことができるわけです。それに応じて、先生方の給料も大学で決めることができるようにもなるようです。

このことがそんなに大変なことであるとは思えません。もし企業ならば、年間80億円さし上げます、これをどのように使っても結構ですが、5年たったら文部省はその企業の業績評価をいたします、というのですから、かなりよい条件です。しかし、世間の荒波をよく知らない人は、これは大変だと思うかもしれません。
154名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:45 ID:???
2 山梨医科大学と山梨大学の統合問題

こういう問題のある一方、山梨大学においては、ちょっとしたできごとがございました。それは山梨大学と山梨医大との統合の合意がなされたことです。

これに関してマスコミは一斉に報道いたしました。もっとも、一番最初にこのニュースを抜いたのは東京新聞でしたが、その後は「生き残りをかけて二つの大学が統合を…」というのがマスコミ共通のスロ−ガンとなりました。

私は、生き残りをかけて、といわれるが、大学が生き残ること自体はそんなに難しくはない、問題はどのように生き残るか、ということではありませんか、と申し上げたところ、その後あまり「生き残りをかけて」というスローガンは使われなくなったように思われます。

私は、山梨大と山梨医大の統合というのは、独立行政法人問題とは別の話だと考えています。むしろこれは、歴史のなかのひとつの流れであって、独立行政法人化問題があろうとなかろうと、大学として真剣に取り組むべき問題であったということです。
155名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:45 ID:???
まず昭和24年の新制大学発足のときに、山梨県には山梨高専、山梨医専、それに山梨師範があったのです。そのときにこの三つの学校が一緒になって、新制大学が発足することになっていました。

不幸なことに、山梨医専は戦災を受けており、新制大学になることを断念しました。山梨県もがんばって、次の年に県立の医科大学を作ることを検討したようですが、これも成功しませんでした。

この流れを受けて、昭和45年頃に山梨大学から医学部設置の概算要求が出ています。不幸なことにその頃政府は方針転換を行い、医学部の無い県には独立の医科大学をつくることになったのです。

これに対して山梨大学は、山梨医科大学設置の概算要求を気持ちよく出しました。これが直ちに認められて、山梨医大が誕生したわけです。

医大の設立準備室は山梨大の中におかれたそうで、医大の学長もしばらく山梨大の部屋を使われていたようです。さらにかなりの数の事務官が山梨大から医大の方に移られました。

こんなわけで、二つの大学は大変仲がよいわけです。

これだけ仲がよいのに、どうしてこれまで一緒にならなかったのか、不思議です。つまり、統合は独立行政法人化と関係なく行われてもよいことであったわけです。
156名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:46 ID:???
昨年の5月、国立大学協会の会合のとき、医大の吉田学長と私が隣同士に座っておりまして、どちらからともなく統合の話が出たとき、学長同士はそれは結構なことだろうということになりました。それから話がトントン拍子に進みました。私はそのあたりからかえって慎重になって、多くの教職員の方と話をしたり、意見を聞いたり、また説明をしたりいたしました。

その時に、この機会にキャンパス統合も、という意見が確かに出ました。しかし国家財政を考えると、今がよい時期であるとは思えませんので、これは将来の検討事項といたしました。

とにかく統合の話は、教職員の方々が前向きに受け止めてくれました。一部の学生さんは、自分達も意見があるといってやや不満そうですが、学生さん全体の意見をまとめることは非常に難しいので、今後色々なかたちで意見を聞いたり、説明をしたり、広報に力を入れたいと考えています。

そのような状況下で、文部省に統合をしたいと相談にいったところ、国立大学の統合ははじめてのことだというんです。それで、とにかく文部省では、相談の窓口をひとつに絞ってくれました。文部省には課が沢山ありますから、これは大変な好意です。

注 その後本学と山梨医科大学とは共通の統合に関する協議会をもち、統合の具体的な検討に入っています。
157名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:46 ID:???
4 独立行政法人化問題の進展

山梨大学の生き残りということに問題を戻します。私の筑波大学時代に、当時の大学長の江崎先生が、君、いい研究をすれば世界が認めてくれる、というのは正しくはない、といわれたことがありました。江崎先生は、まず、いい研究をして、それをフェアに宣伝しなくてはだめなんだよ、と教えてくださったことをおもいだします。確かにそうで、日本の風土にはなじまないかもしれませんが、山梨大としても、今後何事につけても、フェアな宣伝を心がけていく必要があるでしょう。

アメリカでも大学の倒産というのは時々あるのです。かなり優秀な学者をそろえていてもそういうことは、大学の欠点によっておきるものです。

有名なアメリカのMITにしても、ずっと以前に一度倒産しかかったことがあるそうです。このときは、ストラットンという若いハーヴァードの助手を学長にして、さらに全学的に努力して危機をのりこえたそうです。この方は相当長いこと学長を勤められました。 

このようにいくら有名でも、またよい研究をしていても、財政がうまくいかなければ大学は倒産するもののようです。

このことを念頭において考えてみますと、現在の国立大学は私立大学に比べて、明らかに恵まれており、平均すれば、教育・研究においては私立大学より優れているでしょう。しかしそれは、財政・経営という大きな負担が国立大学にはないからだ、ということを見落としてはなりません。
158名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:47 ID:???
国立大学の独立行政法人化というのは、大学に財政・経営という負担が、直接かかってくることですから、やはりその運営は簡単ではないでしょう。ですから、文部省も大事を取って、運営費は交付するが、五年くらいの間に業績評価をするといっているわけです。

これは国立大学が受ける試験のようなものであって、不意試験ではなく予告試験ですから、逃げ腰になる必要はないと思います。

学生には試験を課しているのですから、われわれが逃げ腰になってはどうしようもありません。

そのためには、大学として、あるいは学長として、やらなくてはならないのは、先生の特性を把握することです。

今のところ、国立大学では研究至上主義ですが、教育がうまい先生には教育を沢山やっていただいて、それを評価することが必要です。また、講義がうまくない人でも、研究に優れていればそれを評価し、また大学運営に優れている方はそれを評価する、といったように、先生の特性を把握した運営を心がけることが必要になると考えます。

このようなことを達成するためには、予算の重点配分と平等配分とをうまく使い分けていくことが重要でしょう。そうなってくると、どうしても新しい日本型の大学運営を運営を作り出していくことが必要になると考えます。
159名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:48 ID:???
これらを簡単にまとめてみれば、次の四点ということになります。

1 教官の特性の把握

2 基礎運営費の平等配分

3 研究費の重点的配分

4 教育費の重点的配分

現在多くの国立大学では、教官に対する一種の評価のウエイトとして、研究、教育、運営という順番があると思います。これはこれまでの国立大学の運営は、いわゆる護送船団方式という言葉に象徴される方式であったこと、さらに国立大学に対する国民の信頼の高かったためでありましょう。

多分、教育技術というものは、どの教官も平等な能力を持っているというたてまえがあったと思われます。さらにその影響を受けて、教官の評価の差は研究面において生ずる、という一種の了解事項が国立大学の中に生じたためでありましょう。

実際には個人の能力にはそれぞれ、向き不向き、と、好き嫌い、いう二つの傾向がまず存在するわけです。護送船団方式のために、運営上の悩みが私立大学に比べて、国立大学には格段に少なかったためであることが、このような考え方の生じた主な理由でありましょう。

しかし、教官は学生を試験するわけですから、人間に個人差があることは自分自身一番よく知っている人種であるということも確かです。だからこそ、教官の能力評価ということに敏感になるのは当然でもあります。ここのところは、法人化が行われた場合、国立大学としてかなりの運営上の変革を迫られると思います。
160名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:48 ID:???
教官の特性についていえば、研究に向いている、教育に向いている、その両方に向いている、あるいは大学の運営に向いている、などのパターンが存在します。それらは、おおよそ次の5点に集約することができます。



 @ 研究能力

A 教育能力

B 大学の運営能力

C 社会への貢献能力(国際、日本、地域、学会)

D 学会等専門領域への貢献



 @の研究とAの教育能力は、もちろん大学教官の能力の中核をなすものであります。しかしながら、この点については教官個人個人の能力は千差万別であって、決して同じではありません。

従って、教官全員に平等に教育負担を割り振ることは公平ではあっても、公正ではあるとはいえないでしょう。

また研究における個人の能力差は明らかに存在いたします。こういった能力の相違は、個人の尊厳とか、価値とは何の関係もないものです。しかし、研究が国立大学の重要な部分の指標のひとつであることを考えれば、無視するわけには行きません。なお、論文の量は研究能力の一つの目安ではあっても、絶対的な尺度ではないことも付け加えておきます。

Bの大学の運営能力については、明らかに個人差が存在いたします。これは個人差というよりは、適性の相違といった方がよい指標です。しかしながら、その絶対的な評価方法、あるいは判定方法は存在しないといってもいいでしょう。

Cの社会への貢献についても、その判定、あるいは評価は簡単ではありません。その理由を一口に言うのであれば、社会に対する貢献の成果が評価されるためには、かなりの時間が要することがあげられるでしょう。

われわれは、個人個人の適性によって、社会の色々な部分に貢献することができます。従って貢献の種類による重要性について、評価をつけることはできないでしょう。しかし、貢献の効果については、明らかに相違があることを認識しなくてはなりません。
161名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:49 ID:???
地域社会に対する貢献は、大変重要なものです。すべての大学はこれを忘れてはなりません。しかし、例えば、世界的な研究成果を上げて、注目を受ける大学があったとすれば、その大学は地域に対する貢献をしないことになるのでしょうか。そんなことは決してありません。世界のために行った行為は、必ず地域によい効果をもたらすものです。

これらのことを考え合わせると、大学は色々なタイプの教員を持たなくてはならないということがわかります。全員がすぐれた研究能力を持っていることは期待できませんし、またそれを期待する必要もありません。研究に優れた教官が、構成員の10%もいれば、それは研究能力に優れた大学ということができるのではないでしょうか。

現在MITにはノーベル賞学者の一人として、利根川進先生がおられるわけです。スーザン・ファーというハーバードの女性教授が、MITでは利根川先生に1時間でも講義をやってもらいたいと思っている、と面白そうに話していました。利根川先生は、こんなできない学生に授業なんぞできるか、といって夜大学に来られて研究をしているのだそうです。 どうも利根川先生はもう一度ノーベル賞を取るだろう、とMITは期待しているようであり、ここいらに、アメリカの一流大学の凄みがあるといわなくてはなりません。
162名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:49 ID:???
5 独立行政法人化で考えなくてはならないこと

 ここで任期制について触れておきたいと思います。

今どうなっているか分かりませんが、私がいた頃のMITでは、若い先生の多くは1年契約でした。大勢の若い先生のほぼ半数が1年でMITを去っていました。アメリカはプラス志向の国です。従ってMITに一度は勤めたことを評価しますから、それでいいわけです。日本はマイナス志向ですから、どんな大学であろうと、1年で辞めさせられた先生は次の職を探すのに大変でしょう。

このようなことがありますから、独立行政法人化の問題にしても、結局はわれわれが自分で考え、解決していくことが必要になるでしょう。

実のところ、これまで大学運営に関して、大学側からは、文部省の規制や管理が厳しすぎる、という声が高かったことは確かです。しかし行政法人化の問題が現われ、大学の独自の運営が行える可能性ができてくると、そういう声は消えてしまいました。このことは国立大学全体として、経営というものに対して自信が欠落していたからかもしれません。

これまで企業経営に不可欠の複式簿記の採用は、国立大学においては全く不必要でした。それは資産評価という概念が国立大学になく、またそうする必要がなかったからです。しかし、年間80億の予算の経理を単式簿記でやっている方が不思議ではないでしょうか。

これは結構大きな問題でありますが、現在あまり問題にされていません。このように、先生方が問題としていないことが実は問題なのではないでしょうか。
163名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:50 ID:???
そもそも、独立行政法人化の問題は、国家公務員の25パーセント削減から話が出ています。国立大学の定員は約13万人ですが、この25パーセントというと、3万人強です。ここからさらに人員を減らそうというのが問題の発端ですが、これに対して、大学は独立行政法人として、公務員ではないが、公務員型にするから、定員削減からはずしてもらおう、というのが文部省の考えのようです。

ここのところは一般社会の方々には、分かり難いかと思います。このことについて国大協は、国立大学の独立行政法人化そのものに異議をとなえ、膠着状態となりました。

この点については、自民党が介入し、より国立大学方式に近い、国立大学法人案を提案しています。この案についてはこの原稿を書いている時点においては、事態は甚だ流動的です。

注 この件に関し、その後6月14日の国立大学協会の総会で一応の決着を見、国立大学協会が文部省と共同して、独立行政法人化問題について具体的な検討を開始することになりました。
164名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:50 ID:???
なお、この独立行政法人化は私立大学にかなりの影響を与えることは忘れてはなりません。私学は、国立大学の教育はとにかく、その研究能力は高く評価しています。従って、独立行政法人化が実施されて、国立大学が受託研究、協同研究を本格的に始めれば、私学に大きな影響を与えることは目に見えています。ですから、私学の中に国立大学の独立行政法人化がもっと遅れればいいという考え方があっても、決して不思議ではありません。

実際問題として、この点は文部省が配慮すべきことですが、それは文部省も基本的な研究費、教育費は国費から出すといっているわけですから、私学と国立大学の間に急に資金獲得競争が生ずるわけではないようです。

国立大学の学長選考については、自民党案では、学長選考者に「タックスペイヤー」を参加させろといっています。これは、まあ大学以外の第三者ということでしょうが、このかっこつきの「タックスペイヤー」という意味があまりはっきりとはしません。というのは、学長選考に関わる人はほとんどタックスペイヤーですから。

注 この学長選考の具体的方法に関しては、今後国大協と文部省とで委員会を作り、協議することになっています。
165名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:51 ID:???
蛇足ですが、英米圏では大学の学長選考はかなり大変な作業で、私は2回ほどこれに参加したことがありますが、色々な方法で適任者と思われる人のリストを作り、学長選考委員が80人ほどの候補者に対して面接を行います。結局選考委員会で数人の候補者に絞って、そこで教員も参加して、最後は投票で決めるわけですが、日本に比べて、段違いに金と手間をかけます。このようなことを形だけ真似をしてもだめですから、われわれもこういったことを参考にしながらも、日本に合った現実的な方式を作り出す必要があります。

結局、この問題に関しては、欧米に範を求めながらも、日本に適応した方法をあみだしていかなくてはならない事態に立ち至ったということができるでしょう。

そのようなわけで、これからひと波乱もふた波乱もあるだろうとは思いますが、先生は学生に試験をしながら、自分が試験を受ける立場になったら逃げ回るというわけにはいかないだろうと思います。

大学の業績評価につきましても、国立大学から色々な先生を集めてやるわけですから、、馴れ合いになるかもしれませんが、おたがいにできるだけ切磋琢磨するということが必要なのではないでしょうか。なおこの学位授与機構の長の木村孟さんは、東工大でごく短期間ですが私の助手であり、その後は同僚としてすごし、その後東工大の学長も務められた、大変信頼のおける人です。したがって、そこに大学評価をまかせても、全く大丈夫であると私は確信しています。

そんなわけで、このようなお話はいくらやっても尽きませんが、現在週単位で事態が流動しております。その点はご了解いただきたいと思います。
166名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:51 ID:???
6 結論

これまで国立大学では、約束された運営資金と教職員の安定した雇用、それに大学の自治、という私学に比べてより安定した運営が行われてきました。これは一口に護送船団方式と言われています。

そのため、長期的な経営についての自律的な能力が未知数であり、法人化された場合、私立大学との競争においては、経営上のハンディを背負っていることは確かです。

山梨大学は国立大学ですが、法人化が行われた場合、どのようなことが起こるでしょうか。

もしその運営が今までと同様に、今後も堅実に行われるのであれば、山梨大学において早期に困難な問題が生ずる可能性はすくないと考えられます。

さらに山梨医科大学との対等の統合が行われた場合、大学の規模が経営上丁度よい大きさになることも大きな強みです。

(概数として、学生数4000+1000人、教員数300+300人、職員数200+700人、年間予算規模70+150億円:前の数字が山梨大学、後が医大)

従って、最初の数年間は、とにかく慎重な運営を行うことが大切です。さらに、よい伝統を損なわないようにしながらも、新しい環境に即応できる体制と運営方式を取ることは極めて大事です。
167名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:52 ID:???
法人化された国立大学にとって一番危険なのは受験生の減少です。従って、一層魅力ある授業を行うことは必要条件です。場合によっては、ある程度の経費を教育に投入する必要があるかもしれません。

その一方で、魅力ある研究に対しては過度にならないようにしながら重点的な投資を行なわなくてはなりません。多分これまでのような研究費の平等配分ということは経営上次第に望めなくなるでしょう。

このような運営方式は、強力な私立大学が取っている運営方式とかなり似通ってくることに注意してください。

全体としてみれば、政府が約束を守る限り、そして国立大学が考え方を多少変えられるのであれば、仮に法人化が行われたとしても、とりあえずはそれほど恐れることはありません。

大学の業績評価にしても、大学自身のたてた基本方針にしたがって評価されることになっていますから、そのとおりであれば、これはいかに具体的で現実的な計画が立てられるか、という大学自体の能力にかかわってくる問題です。

その一方で、護送船団方式から外れるということは、それなりに不安を伴います。従って、教育を一層充実させながら、3年から5年の間に新しい運営方式を考え出し、大学をその軌道に乗せていく必要があります。

過去の経過を見れば、かなりの国立大学は、より自主的な運営方式を文部省に対して要求してきたという経緯があります。その一方で、評価ということは望みませんでした。大学の評価は簡単にはなし難いものである、というのがその主たる理由であり、それには相応の正当性が存在します。

それにもかかわらず、大学はその国民の評価からは逃れることはできないことを忘れてはなりません。そして多くの国立大学は、これまで相当の評価をかちえていたことも確かです。
168名無しさん@おだいじに:2001/06/28(木) 11:52 ID:???
その一方、護送船団方式から除外されていた私立大学のあるものは、国立大学に劣らない評価を得ているという事実も存在します。

これらのことを考えれば、ある程度の問題は存在しても、法人化問題には積極的に立ち向かう姿勢が必要なのではないかと私は考えています。



付記:この講演は平成12年6月2日(金)夕刻、山梨工業会において行った講演に多少手を入れたものです。その後の情勢の変化につきましては、注を挿入させていただきました。

 この5月26日に、文部省によって、「国立大学・大学共同利用機関長学長等会議」が召集されました。

どうやら文部省は、大学等と検討を重ねながら、改良の上、独立行政法人化を推進することになったようです。これに対して国立大学協会は積極的に参加することになりました。

最後にこの原稿をおこしていただいた、山梨工業会の、若林誠様に御礼申し上げます。