第二点。社会システム理論によれば、近代社会はリベラリズムと民主制に
よって成立しているとされる。リベラリズムとは「他者への寛容」、すな
わち「本人が望み、かつ他者の権利を侵害しないならば、彼の行為は全て
認められるべきである」という理念を重要な一部として含んでいる。
これがあるからこそ、コスプレという行為もまた無関係な他者によって認
められているわけである。簡単に言えば「コスプレなんて気持ち悪い」、
「バスやレストランで大声出すからうざい」といった批判に対する反論と
して、リベラリズムは有効に機能している(「迷惑を(大して)かけてな
いんだからいいだろ」というふうに)。
だが、一方でこうした恩恵に浴しながらも、カメコに対するあなたの発言
にはリベラリズム的寛容が欠けている。つまり自分(レイヤー)と他者
(カメコ)とで許されるべき限度が異なると暗に示しているのである。こ
うしたダブルスタンダード(二重基準)はもちろん論理的矛盾でしかない。
なお、もしあなたが「カメコの方が周りに迷惑をかけている。これは寛容
の限度を超えている」といった種の反論をするならば、それを実証的に証
明する必要がある。具体的には統計学的に有意なデータを見せて欲しい、
ということだ。それができないならば、上記の如き反論は(まことに残念
ながら)無根拠なものであるから考慮には値しない。
第三点。ではあなたが言うようにイベントからカメコを排除すれば、「コ
スプレをする人がお互いを認め合」う「本来の形」が戻ってくるだろうか?
社会学の知見はこれを否定する。現時点においてカメコは集団内の圧力を
抜き、さらには皆で叩くことで集団の凝集性を高めるために選ばれたスケー
プゴートに過ぎず、これを本当に排除してしまえば、残った者の中から新
たな生け贄(たとえば「イケてないレイヤー」)が選ばれることは歴史的
事実からも明らかである。一例をあげれば、1950年代の米国で黒人を排除
した白人のみの共同体がつくられたが、その中でも所得や職業などによって
差別は生じた。
つまり、カメコという「他者」を認められない者たちが「お互いを認め合」
うことは不可能なのである。あなたが本当に「コスプレをする人がお互い
を認め合」う「本来の形」を希求するならば、カメコを差別する心性と決別
するのが先決だろう。