★国沢さん、それはないだろう【休憩所】18.5★

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12名無しさん@そうだドライブへ行こう
ttp://popup.tok2.com/home/nobu/pa/npd.htmより引用

■このタイプの人格障害の人は、人から賞賛されたいという強い欲求を持っています、それだけでなく、自分は賞賛されるに値するだけの優れた人間だと思い込んでおり(ナルシズム)、他方では他人のことには関心がありません。演技性人格障害が少なくとも異性からは愛くるしいと思われることもあるのに対して、このタイプは「自惚れていて、鼻持ちならない」と思われがちです。権力や完全、富や美を追求してやまぬようになり、完全な自己像、光り輝く自己イメージを保持し続けることが人生のテーマであるかのよに行動します。実際に知的水準が高く企画能力に優れ、営業的センスを兼ね備えている場合は、出世の確率が高いのも事実です。
“ナルシズム”を招来するおもな葛藤は、「見捨てられ抗うつ」で、生後5ヶ月頃から乳児は母から分離しようとしますが、その時に母が「見捨てられ不安」を感じて、分離を引き止めようとしたり、反対に攻撃的になって、故意に突き放したりしてしまうことがあり、この関係で条件づけられた、乳児の母からの不安(取り入れ)や、乳児自身がその時に感じる不安や恐怖感が、「見捨てられ抗うつ」という葛藤を招来します。
>>10のリンク先より一部引用

誇大感に満ちた空想は現実感を失わせてゆきます。たとえば、本当は自分が他人に嫉妬しているのに、他人が自分に嫉妬していると思ったりします。他人から批判されると、あれは私に嫉妬しているからだとなります。こういう詭弁によって立場を逆転させるのです。
なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。
他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。あまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。
妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。
他人を見下すということは、ときには他人からの報復攻撃として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、非常に疑い深くなったりします。他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。
こういったことは様々な不都合を生みますが、利点としては自我の崩壊を防ぐことができるということです。もし、妄想が崩れたら一気に鬱状態になったり、あるいはパニックになったりしますが、少なくとも妄想にしがみついていられる間はこのような悲惨な状態にはなりません。
しかし、現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。砂の城は波によって崩されていきます。妄想という砂の城を維持するためには、現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。やがて、妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまうのです。
  こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を」  ―― 中島敦 「山月記」より