大江健三郎は何故嫌われるのか

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167吾輩は名無しである
>>166
>「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは当然成立する。現在の日本で人を殺す
>ことはいけないことと認知されているからね。

問いが成立することの根拠が、法律によって禁止されているからってこと?
違うでしょう?自然状態から見て人が人を殺してはいけないということの
確実な根拠がないと考えられているからでしょう?

俺は大江の文章を読んだわけではないけど、154の引用によると大江はその問い自体に
何か不穏なものを感じているという。俺はその部分に同意するということ。不穏なもの
というか、ある種の罠みたいなものが隠されている。つまりあなたのいう「問いが成り
立つ」という考えには真っ向から反論する。

168吾輩は名無しである:2000/12/19(火) 01:12
なぜ問いが成り立たないのか。それはこの問いがすでにある種の前提のもとに成り立っている
からです。その前提とは、「『人を殺してはいけない』という考えは法律上の取り決めにすぎない。
それを超えた自然状態の下では人が人を殺してはいけない根拠は何ひとつないだろう」というもの
でしょう。しかしこの前提は間違っています。なぜなら、人が人を殺すということは「自然ではない」
からです。
動物などを見ても分かるように、必要がないのに同族が同族を殺したりはしません。
つまりこの「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、「なぜ必要がないのに人を殺しては
いけないのか」ということなのです。この問いがおかしいのは自明でしょう。こんな問いに
答えることなどできるはずがない。むしろこちらが問わなければならない。
「なぜ必要がないのに人を殺すのだ?」と。


169吾輩は名無しである:2000/12/19(火) 01:13
もちろん人間は「必要がないのに人を殺す」ものである。だがそれは人間のやましい部分、
ニーチェの言う「病気」の部分である。だからそういう部分を正当化するような「なぜ殺しては
いけないのか」という問いに対して、大江は「まともな子供なら、そういう問いかけを口に
することを恥じるものだ」と答えるのです。そういうことであって、大江は決して「真摯な思考を
放棄し、倫理的・道徳的欺瞞を振りかざして逃げて」いるわけではない。むしろ大江ほど
こういった問題に対して真摯に考え抜いた者もいないのではないかと思うのだがどうか。
それは彼の今までの作品を読めばよく分かる。
以上、長文失礼。