語れ■(表現力)  芸術性について2■死ぬまで

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55氷上の名無しさん
>>46
長文だけど読んだら意外と面白かった。


この見方をふまえて、逆に表現者が自分を消し、表現体となる場合はどうなのか。
(例えば「能」。演者の個性は能面によって抹消され
演じる役が演者に降臨する、いわばシャマーン的な表現)

フィギュアスケーターでは太田由希奈やユナ・キムあたりが近い形だけど
完璧にこなせてはいないから例えとしては微妙か。
バレエなら、アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」などがそのタイプ。

表現者が「人」でなくなるため、それを見る観客も自分の中の「人の生」に引きずられず、「忘我」の状態に近づく。
自分を見なくて良いということは、人の醜い部分を見なくてすむということであり、
そこから「安心感」、「現実から逃避した恍惚」さらには「神秘性」「世界との連帯感」などを感じることができる。

>>45の「理想の人体」も突き詰めればこのタイプにあてはまる。
理想的で無駄のない肉体は、自然の植物や動物のような「物」に近くなる。
つまり「理想の人体」からは「人の生への共感」と同時に「世界との連帯感」が生まれると考えられる。



なんかこういう真面目くさった文体は馴れないなw
「自分じゃない何か」になるような表現について書こうと思ったんだけど、難しいわ。
芸術が「衝撃」によって新たな世界の認識・実感を広げるものだとして
その「衝撃」がナマナマしい生の実感から来るものだけでなく、
普通っぽいあっけらかんとした「キレイだな〜」という感覚からも来るんじゃないか、とか
そういうハナシに持っていきたかったんだが…