>>842 人間性にまで話を広げてしまうのはいろんな意味で問題があると思う。
リレハンメルのビットの逸話も、近年でいうなら例えばスルツカヤの病気とか、
よくいわれるすぐりの「努力」とかも、
競技というくくりのなかでは、単なるサイドストーリーに過ぎないわけで、
そんなことまで演技の評価に入れてしまっては、それはもはやフィギュア論から逸脱する。
ただ、
たとえば「努力家すぐり」というイメージにフィットする曲(あるいは真逆のタイプの曲)を
選択することによって、演出効果を高める、というねらいがあるとすれば、
それが効果的に使われれば、「表現力」に関する評価に影響を与えるだろうとは思われる。
ビットのカルメンの「演劇性」については確かに当時賛否両論、って感じだった記憶はある。
主にラスト20秒間くらいの、「刺された」演技についてね。過剰だ、とか下品だ、とか。
自分も当時は「倒れこむ」のはやりすぎだろ、と思った記憶もある。
他に高度な技術をたくさん持ち合わせていたからこそ許された演出で、
他の選手がやったらお笑い、総スカン、ってもんだろう。