日垣隆 氏について。

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806ともちゃん
>800
ヴァカ?
少年犯罪問題はたまたま自分に振りかかった近しい問題だから言及しているだけ。
本質的には、「“強者”が“強者”たらんとしようとするときにそれを許さないものを許さない」というのが日垣のスタンス。
意味わかる?
日垣は「強者の利益を剥奪しておきながら罰せられない者」が許せないの。
「強者の利益を剥奪しておきながら罰せられない者」の最たるものとは?
そう、『少年』であり『心神喪失者』だよね。
そしてこの“「強者の利益を剥奪する者」憎し”の感情が延長すると、古典的な“労働者憎し”にまで繋がる。
労働者や組合とは、強者の利益を剥奪する悪者以外の何者でもないとね。
佐高嫌いもここから来ているだけのこと。
何故なら佐高の仕事の最良のものは、企業悪の暴露だからね。
それを佐高の個人攻撃にすりかえている。
見てみな、日垣の経営者好き、組合嫌い。
ま、それで市民運動、住民運動嫌いの理由もわかろうってもんよ。
ダイオキシン問題への情熱も本質的にはそこから。
けどな、例えば日垣の家の隣に高層マンションが立つなんてときには率先して運動を指揮するはずだ。
それは、日垣自身という強者の利益が侵される場であるから。
「公憤を私憤に変える」とはそういう意味。
え? まだわからん?
日垣の『公憤』の“公”とは“公私”の公ではなく、“公共の福祉”の“公”なの。
公=強者という論理。
わかった?
日垣は自分を強者であると思っているし、思いたがっている。
原稿出稿量、読書量、速読量、収入並びに消費の過大なまでの“多さ”自慢はこの現れ。
どれほど日垣が強者志向であるかはいうまでもないが、日垣が犬に見える(文字通りのルックスも含めて)のはこんな深層の構造があるからなの〜。