>>50より続く。
でもさ、最近ガッキーの主張に疑問に感じた。
刑法39条の問題は、次の三つの論点に分けられると思う。
1.一般論として、そもそも心神喪失者は存在し、犯罪を為しうるか
心神喪失者を、精神障害などにより、自由意思が無い者、と単純に定義
する。そう定義すると、やはり精神障害なり痴呆(認知症)なりで、
心神喪失者は存在すると思う。そして、やはり犯罪を為しうると思う。
2.心神喪失者が犯罪を犯した場合、免責すべきか
これも私は免責すべきだと思う。心神喪失者は自由意思が無い以上、
責任は問うべきではないから。他に選択の余地があったかも知れない
という、有責性が必要だ。緊急避難でも、命の危険があるという意味で
自由意思が無い、という共通点がある。
3.ある特定の犯罪者が、心神喪失者であると、客観的に判断できるか
この論点が、ガッキーが、基準が曖昧と非難してる点だと思う。
私も、ガッキーの主張は正しいと思う。でも、刑法39条廃止は賛成
できない。例えば、痴呆症は、脳のCTスキャンを取って、客観的に
心神喪失者であるか判定できる可能性がある。知的障害にも、同様の
客観性がある。犯罪者に対して自由意思があると推定し、心神喪失の
客観的な証拠が出てきたら、やはりその犯罪者は免責すべきと思う。
次へ続く
>>52から続く
で、前述の1-3の論点を全て満たすような犯罪者がいた場合、どのように
処遇すべきか、という問題が残る。ここから何だか禅問答っぽいなと、
自分でも思うけど、我慢して聞いてくれよ。
(刑事治療処遇の位置付け)
ガッキーは、この論点をどう考えてるの?実は、すでに発表していて、
私が知らないだけかも知れないけど。
前述の1-3の論点を全て満たすような犯罪者に、刑事治療処遇を科す場合、
何を根拠に科されるのか。論点1-3で、犯罪への有責性はブロックされてる
から、通常の刑法の論理は使えない。
で、私が考えたのが、犯罪を、症例の一つとして構成される病気(仮に
犯罪精神障害)と考え、その病気に対して、治療するのと社会防衛のため
に刑事治療処遇を科すというのはどうだろうか。
これならば、感染病者を強制隔離するのと類似した論理を使えるし、
単なる精神障害者の人権は守られる。
でも、犯罪を、症例の一つとして構成される病気(仮に犯罪精神障害)
などという臨床像は、存在しないと、医者たちに言われるだろうけど。