日垣隆・総合スレ★10

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112大根役者
1.「それなら比較衡量して侵害されるコストが高ければ、表現の自由を制限してもいいんだな。
全然、問題ねえじゃん。今回の場合はコストが高すぎるだろ。」

気持ちはわかるんだけど、残念ながらそうはいかない。何故なら、比較衡量は都度個別具体的に行なわれるのではなく、
事前に投網的に包括的ルールを設ける際に行なわれる(日本では昭和20年代初頭に既に行なわれた)からだ。
また、コストが「高すぎる」かどうかを、誰が最終判断するのか。あなたは高い、高すぎると思っているようだが、それは
あなた個人のの一義的な評価だ。私は高すぎるとまではいえないと考える(これも私個人の一義的な評価に過ぎない)。

2.「『第3者のチェックを経てから放送』こそ事前『検閲』だろ。誰であっても(たとえ与党議員でも)
自由に意見要望を言っていい、と言っているだけだ。」

全く賛成です。なのに何故噛み合わないのか。
これも繰り返し言ってるんだが。与党議員が意見を言って構わないし、むしろ積極的に言ってほしい(それは「選出部分」の本分)とさえ私は思う。
問題は、われわれが放映前に知りえない内容を「勝手に」説明しに来たときに、「それはキミたち(つまりNHK)の編集権の問題であり、
キミが一職員として内容が偏っていると思うのなら、組織内部の自浄作用によって是正されるべきで、私(安倍)をかついで一体何を企んでいるのか」
と返し、それでも偏向的内容のまま放送されたら、その時点で厳正に内容を批判すればよろしい。

3.「だから、多くのマトモな人が『偏向』だと思うような放送を『公共放送』がしてはならんだろ。」

その判定は、特定の政治家によって放送前に行なわれてはならない。
われわれはその放送を見ることで、特定のイデオロギーを持つ団体が「市民」団体やNPOを名乗って跋扈している
ことを実感し、所要の構えや措置をとればよい。このことの意義は、何とかボートの立派なポスターが、特に都市部の商店街などに
時には法華や日共のポスターよりも多く張られている現在のこの国で、特に大きい。