>>558 >>570 『お言葉ですが…(4)猿も休暇の巻』(高島俊男、文藝春秋)
英語は禁じられていないし、また禁じ得るわけがない。「ガソリンの一滴は血の
一滴」「パーマネントはやめましょう」などの標語があったし、「エンヂンの音
轟々と」「七つボタンは桜に錨」などの歌は大いに歌われていた。われわれ子ども
は冬になると拍子木をたたいて「マッチ一本火事のもと」と夜回りをしていた。
かりに英語はまかりならぬと命じたとしても、日常だれもが口にする、
ガラス、コップ、タオル、歯ブラシ、バケツ、メリヤス、(略)等々々の、どれが
英語やらポルトガル語やらなにやら、ふつうの日本人にわかるものか。警官だって
わからない。
なんなら昭和十九年の春に出た太宰治の『津輕』でもちょいとのぞいてみるとよい。
いくらでもカタカナ語が出てくる。そのほとんどが英語である。