TECHNO はどこから来てどこへ行くのか

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327TR-774
>>325の続き
ヒップホップは世界中に衝撃をもたらしたのはご存じの通り。
85年頃のラップのヒット曲の連発で、ここイギリスでも作り始める人達がいた。
で、ニューヨークで現代に繋がるモダンDJがヒップホップとハウスの2つからほぼ同時期に出てるんだけど、くわしくは省きます。
イギリスにはもちろんそんなことをできる人も機材もないので、習得するには100年かかっても無理と判断。
アートオブノイズの伝統か、すべて音をサンプリングで済ませてしまった。
そしてこの曲
COLDCUT / Say Kids What Time Is It ?(1987)
http://jp.youtube.com/watch?v=eYiYYP257Tk
この曲にもやはりジェームズブラウン(のFunky Drummer)が使われているそうだ。
もうヒップホップっていうかコラージュなんだけど。
この曲は流行って、似たようなブレイクビーツのコラージュをするアーティストがUKにたくさん出た。ボムザベースとか。一発屋M/A/A/R/Sもこの曲の影響を認めている。
そのすぐあとからダンスのお祭りセカンドサマー・オヴ・ラヴが始まる。
イギリスは北部以外ヒップホップが先に伝わっていた。
シカゴでハウスが生まれた方が先なのに、シカゴハウスはずっとアングラだったから。
レイヴ仕様のダンスミュージックを国内作り出すときもまた、ハウスの四つ打ちよりヒップホップ(ブレイクビーツ)の方が親しみがあったんだろう。
レイヴにしてはちょっと後だけどブレイクビーツのダンスのヒット。
The Prodigy / Charly(1992)
http://jp.youtube.com/watch?v=XH7xdFUwAVY
前後するけどミートビートマニフェストとかいうブレイクビーツとロックの合体をさせる人がいて、
白人はロックが好きだからこの人も当たり、イギリスはこんな感じの音楽になってる。