1 :
TR-774 :
2008/10/20(月) 03:26:19 ID:f9XTINs/ このスレはTECHNO来歴スレだ。
前スレでは主に70年代日本のムーヴメント「テクノポップ」を考察してきた。
前スレを読んでくれた方なら、テクノポップとはどういうものかが大体のところ解ってくれたと思う。
さて続編にあたる今回のスレでは皆と共にTECHNOとはなんであるか、発生した文化的背景などに迫って行きたいと思う。
賢明な諸君なら荒らしは無視してくれると信じて、前置きを終わらせよう。
前スレ
TECHNO と テクノポップ(笑) の違い
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/techno/1211961184/
2 :
TR-774 :2008/10/20(月) 03:35:22 ID:???
やっと次スレ立ったか。おせぇよ。とりあえず
>>1 乙
3 :
TR-774 :2008/10/20(月) 04:06:59 ID:???
そもそも収集や分類オタクが多いはずの日本で、いまだに「テクノとハウスの違いってなんですか?」とかこの辺のダンスミュージックはものすごく混乱しているし、 そのまま放置され続けている。解説も漠然としか書かれない。なぜか? 新しいものを追い続けるのがかっこいいクラバーっと思っている人がいるのが一つ。 あまりに決まった解答が示されていないので、皆独自解釈で喧嘩しあう「群盲ゾウをなでる」が嫌いだからジャンル分け自体を避ける人がいるのが一つ。 それに日本にハウスミュージックが到達したのが遅かったってのがある。
4 :
TR-774 :2008/10/20(月) 04:19:53 ID:???
よくも悪くも日本ではディスコの影響が大きかったのだろう。 さて、ものの本によれば初の日本産のメジャーレーベルから出し、認知されたハウスミュージックは、1989年の小泉今日子「KOIZUMI IN THE HOUSE」だそうである。 日本人でハウスDJ歴が長い福富幸宏は雑誌で「90年代初め頃やっと日本にハウスが入ってきた」「最初マスには全く相手にされなかった」と話している。 日本で「ハウスミュージック」という言葉がマスメディアに普通に出るようになったのが90年前後。TECHNOが日本に入ってきたのもそのすぐ後。ハウスはより激しいTECHNOの影に隠れてしまった。 また日本にはすでに「テクノ御三家」だとか「トリオ・ザ・テクノ」などテクノという、似た名前の別の音楽が根付いてしまっていたので、 TECHNOというダンスミュージックもまた巨大な「テクノポップ」つまりYMOなどの影に隠されてしまったのである。 というわけで日本の世論は誤解、混乱したまま今まで来てしまった。
5 :
TR-774 :2008/10/20(月) 04:33:04 ID:???
日本に入ってきたテクノって、 もちろんデトロイトのレコードをコアな人は買っていただろうけど、 そうじゃなくて90年代頭の「ジュリアナテクノ」って呼ばれていたレイヴ音楽。 細かく言うとデトロイトのハードテクノがヨーロッパのインダストリアルやボディミュージック、ハイエナジーなんかと結びついたベルジャンハードコアっていう音楽。 ベルギーの曲が多かった。 これが新しい「テクノ」ってイメージになった。 日本TECHNO上陸の章終わる。次は、「TECHNOの思想、ダンスミュージックの始まり」
6 :
TR-774 :2008/10/20(月) 06:37:01 ID:qD8fm8lN
7 :
TR-774 :2008/10/20(月) 08:52:52 ID:???
>原動力の中心 日本以外のテクノ=カウンターカルチャーの延長 日本のテクノ=ただの消費文化
8 :
TR-774 :2008/10/20(月) 11:55:42 ID:5QaWiHHx
俺は仕事サボって今からツタヤに行く
9 :
TR-774 :2008/10/20(月) 15:31:44 ID:???
10 :
TR-774 :2008/10/20(月) 15:59:32 ID:???
日本のテクノは電ヲタのセンスで守られているからそれでいいんだよ
11 :
TR-774 :2008/10/20(月) 21:01:06 ID:???
ディスコ――すべての始まり 時は戦後のヨーロッパ。物量難でナイトクラブに楽団を呼ぶのが難しくなってきたフランスで、 楽団の代わりに録音された音を蓄音機で流して踊ると言うスタイルが生まれた。 週末にドレスアップして女性を誘い、ショーを見てカクテルを飲み、生演奏で女性とともにちょっと踊る。 これが大昔からのアメリカの健全な若者の娯楽だった。サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」とかでお馴染みの描写だ。 そんな場面で生の代わりにレコードで踊るのは少し微妙なものであり、新しいスタイルは流行りはしたがあまり一般的にはならなかった。 それがガラッと変わったのは70年代に入ったアメリカ、ニューヨークからである。
12 :
TR-774 :2008/10/20(月) 21:08:29 ID:???
70年代頭、孤児院育ちのオーディオマニア、禁止前からLSDが好きでパーティーではヨガも教えていたという東海岸のヒッピー風の男、 「デイヴィッド・マンキューソ」 ニューヨークのダンスミュージックの始まりはこの男から。 招待状を持たないと入れない閉じられた最初のパーティだったそうだ。会員制でカンパしか取らない、ただし、音は最高、音楽はなんでもかけ、毎回本物のホームパーティの雰囲気を出していた。その場はいつのまにかこう呼ばれるようになった。「ザ・ロフト」 後々出てくるニューヨークの有名ディスコDJもみなこのロフトに集まって感銘を受け、後々ロフトの雰囲気を再現させようとしていた。 ディスコ初期終わる
13 :
TR-774 :2008/10/20(月) 21:49:58 ID:???
「乙女ハウス」「キラキラハウス」など、メジャーハウスの流れは、
実は毎日放送ヤンタンで明石家さんまのアシスタントパーソナリティーをしてたり、
KBSで「玉井健二のサタデーやんちゃ倶楽部」 という番組を持っていた
玉井健二さんが仕掛けたのがきっかけなんだよ。
彼自身バンドマンで元レゼルブのVo,
92年には原田真二さんのプロデュースでソロデビューして、
音楽通には知られた存在。
つんくさんやBAKUの谷口さんと仲がいい。
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g58189469 ハウスにも造詣が深く、YUKIの「Joy」をプロデュースした際、
エリックカッパーにリミックスをさせたり、
その音源をKingStreetに持ち込み12インチを切らせ、
NYハウスシーンでヒットさせた事は記憶に新しい。
伝説のクラブ、LOFTのオーナーであり看板DJ、デビッドマンキューゾとも親交があり、
マンキューゾが「Joy」をヘヴィープレーしたことはハウスフリークの間でも伝説になっている。
「元気ロケッツ」も実は玉井さんが仕掛けるダンスプロジェクト。
事務所近くのカフェ、
http://croix.cc/にしばしば現れるとか 。
14 :
TR-774 :2008/10/20(月) 22:26:23 ID:???
モダンDJの始まり。「ニッキー・シアーノ」イタリア系でゲイのシアーノもロフトのマンキューソに入れあげた一人だった。 ただこの男がマンキューソと違った点は、より自分のパーティの人々を踊らせるため、大胆にも二台並んだターンテーブルのレコードを次々ブレンドし、 スイッチをオフにすることでスピーカーのローやハイだけを切ったりしたという。 マンキューソは音楽を愛していたため、音楽は最初から最後までかけ、一曲が終わったら次の曲が始まるまで拍手が続いたそうだ。 ディスコはその頃登場し始めていた12インチシングル(ばかでかいシングル盤。通常3、4分のシングルが12分程度まで引き伸ばせた)とともに、より長く激しいものとなっていく。 次は肝心のサウンド面へ
15 :
TR-774 :2008/10/20(月) 22:27:49 ID:???
ディスコ音楽とはなにか? 初期には、それは単にディスコで掛けられている音楽という意味でしかなかった。 ラジオで流されている流行りの音楽。少しアップテンポなパーティミュージック。 やはりノリが良い曲は黒人が作ったものが多かったので、ソウルやブルース、つまり後のR&Bだった。 当時のプレイリストがある。一部を抜粋すると、ジェームス・ブラウン、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス、ブッカーT、ウォー、アルグリーン。 これらと共に、いわゆるディスコのためのディスコミュージックが作られて来た。 1971年、コロムビアレコードが市場を調査したところ売れゆきの30%がいわゆるR&Bとクロスオーバーした音楽だった。 黒人音楽が急激に白人層にも広がっていたのである。この結果を元にコロムビアの親会社CBSがアメリカフィラデルフィアにフィラデルフィア・インターナショナルを作った。
16 :
TR-774 :2008/10/20(月) 22:32:03 ID:???
フィラデルフィアインターナショナル このレーベルが重要なのは雇ったナイトクラブの流しのミュージシャン、ベースのベイカー、ギターのハリス、ドラムのヤングが産み出したサウンドにある。 黒人音楽の中心地デトロイトのモータウンサウンドを下敷きにしながらも新しい音楽を作り出していった。 モータウンはその特徴としてドラムの鳴り物で4/4拍子を使っていた。 「カッ、カッ、カッ、カッ」 ヤングはシンバルが好きだったので4/4ビートをバスドラムで刻んだら、シンバルで別のパターンを演奏できるんじゃないかと考えた。 後にディスコビートと呼ばれる四つ打ちはここに誕生した。 ヤングはさらにフィラデルフィアインターナショナルから、あのソウルトレインのテーマ「ラブ・イズ・メッセージ」が生む。ここにディスコのフォーマットが生まれたのである。 そのあともフィラデルフィアインターナショナルナショナルからヤングらを含むミュージシャンを引き抜いたニューヨークの「サルソウル」は続けざまにディスコヒットを飛ばしていく。 ファンクからうねる低音を持ち込み、踊るために四つ打ちになりビートが強調された。 ディスコサウンド紹介終わる。
17 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:06:33 ID:???
話はまたディスコに戻る。 76年、ニッキー・シアーノがコカインで自滅し自身のディスコをつぶした後、 シアーノのゲイの恋人だった黒人でゲイ、ラリー・レヴァンらが巨大ディスコを作る。 そこは巨大な倉庫の跡地であり、一見車の修理工場か何かだった。「パラダイス・ガラージ」そのディスコはそう名付けられた。 ラリー・レヴァンもまたマンキューソに劣らずありとあらゆる曲を流した。日本人アイドルのレコードまで流していたそうである。だかそこは部外者から特定のイメージを持たれていた。いわく「流れるような鍵盤の音、肺を振り絞るような黒人女性ボーカル、ソウルミュージック」 建物名から「ガラージ」と呼ばれるようになる。ガラージはニューヨークのハウス扱いもされるが、 間違いなくハウス前夜、ディスコの音である。 一説によるとニュージャージーのDJがプロデュースしていた「ジャージーサウンド」と呼ばれるディスコミュージックがパラダイスガラージでかけられていたこともガラージ誕生に関係が深いそうだ。
18 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:08:42 ID:???
ラリー・レヴァンの巨大ディスコ、パラダイス・ガラージは77年の大ヒット映画「サタデーナイト・フィーバー」の公開と共に大盛況となる。 同時にディスコが一番盛り上がった時期だ。 シカゴでもニューヨークスタイルのディスコを手作りで始める人たちがいた。 初めは人が集まったが、しかしやはり、DJだけは見よう見まねでは無理だと悟りニューヨークのラリー・レヴァンに声をかけたところ、 根っからのニューヨーカーだったレヴァンは即座に拒否。「あんな中西部のど田舎になんか行けるか」ということで、 いつもレヴァンと一緒に行動していたやはり黒人ゲイのフランキー・ナックルズに白羽が立ったのである。 当初ナックルズも、自分の生まれであり、ディスコが生まれて育ったニューヨークからは移るつもりは無かったが、 しかし示されたお金は魅力的だったので、若いナックルズはシカゴに住み込むことを決断した。 ここまでハウス前夜のディスコ/ニューヨーク編 次からいよいよハウスミュージック!
19 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:09:00 ID:???
セミの鳴き声はテクノ これが事実ならばテクノの元祖はセミの鳴き声 テクノの元祖は つまり セミ ということになる。
20 :
1 :2008/10/20(月) 23:16:42 ID:???
ここまで読んでも、「ディスコがなんだって?」「テクノ関係ないじゃん」と思うかもしれない。 ちゃんとつながってくるから心配するな。
21 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:38:39 ID:f9XTINs/
>>1 どうなるのか今後のスレの展開期待してます。
22 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:41:19 ID:???
抽出 ID:f9XTINs/ (2回)
1 名前:TR-774[] 投稿日:2008/10/20(月) 03:26:19 ID:f9XTINs/
このスレはTECHNO来歴スレだ。
前スレでは主に70年代日本のムーヴメント「テクノポップ」を考察してきた。
前スレを読んでくれた方なら、テクノポップとはどういうものかが大体のところ解ってくれたと思う。
さて続編にあたる今回のスレでは皆と共にTECHNOとはなんであるか、発生した文化的背景などに迫って行きたいと思う。
賢明な諸君なら荒らしは無視してくれると信じて、前置きを終わらせよう。
前スレ
TECHNO と テクノポップ(笑) の違い
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/techno/1211961184/ 21 名前:TR-774[] 投稿日:2008/10/20(月) 23:38:39 ID:f9XTINs/
>>1 どうなるのか今後のスレの展開期待してます
23 :
べティ :2008/10/20(月) 23:46:24 ID:f9XTINs/
24 :
TR-774 :2008/10/20(月) 23:48:18 ID:???
続きが気になるスレでげすな 実に興味深い!!
25 :
TR-774 :2008/10/21(火) 00:05:07 ID:???
26 :
TR-774 :2008/10/21(火) 00:38:04 ID:???
>>15-16 訂正
コロムビアのリサーチとは別
フィラデルフィア・インターナショナル(PIR)は独立系
ソウルトレインのテーマはTSOP
27 :
TR-774 :2008/10/21(火) 00:50:56 ID:???
いや、やっぱりコロムビアと提携して設立されたんだそうだ。 失礼。
28 :
TR-774 :2008/10/21(火) 02:30:42 ID:???
>>25 ロック専門局のたくさんのDJ達が煽り続けてとうとうイベントとして野球場でダイナマイトで吹き飛ばしたそうだね。
その動画にある有名なシーンだ。
映像にもある通り、そこにいるのは白人だけ。スポーツを愛する健全な人達。
ゲイも黒人も大嫌いだろうよ。
ディスコのレコードを持ってくれば入場を割り引くっていったら、野球場に入れないほど人が集まって、積み重ねたレコードは三メートルになったそうだ。
似たようなことは全国各地でロック専門局のDJが企画して、
動物に割らせたり、チェーンソーで切り刻んだりしたそう。
まあ、「サタデーナイトフィーバー」以降クソなポップディスコが溢れていたんで、
みんな飽きて誰も擁護しなかったみたいだ。
一方、実際に夜に回しているディスコDJたちは気にしてなかったみたい。
ディスコを攻撃してる層はもとから自分達のディスコには来ない、つまり客じゃないから客入りに関係ないから。
29 :
TR-774 :2008/10/21(火) 04:06:07 ID:???
1さんさすがです!! かっこ良すぎですね!
30 :
TR-774 :2008/10/21(火) 05:16:38 ID:???
>>28 ディスコ音楽の排斥運動を主導してたのは
原理キリスト教の右派?
それともCIAとか政府系の機関が裏で糸を引いてたの?
31 :
TR-774 :2008/10/21(火) 14:04:30 ID:???
32 :
TR-774 :2008/10/21(火) 17:28:04 ID:???
33 :
TR-774 :2008/10/21(火) 17:44:22 ID:???
余談だが俺もデトオタきもいと思う
34 :
TR-774 :2008/10/21(火) 17:45:03 ID:???
35 :
TR-774 :2008/10/21(火) 18:45:28 ID:???
既にデトロイト、シカゴの話に偏っている希ガス
36 :
TR-774 :2008/10/21(火) 19:50:04 ID:???
37 :
TR-774 :2008/10/21(火) 19:57:13 ID:???
セミの鳴き声はテクノ これが事実ならばテクノの元祖はセミの鳴き声 テクノの元祖は つまり セミ ということになる。
38 :
TR-774 :2008/10/21(火) 20:43:44 ID:???
>>30 そういうのがあったとは聞いていません。ただ各方面から嫌われていて仲間が少なかったのがここまで事が大袈裟になってしまった理由だと言われています。
特にロック側からすればディスコは生演奏不可、明確なスター不在、全国ツアー出来ない、歌がない、ビートがメインだからどれも同じに聞こえる、もちろんホモの音楽などなど、
すごく違和感があり受け入れられなかったそうです。
保守派からは「左翼でホモの音楽」と呼ばれ、ソ連からは「資本主義社会の退廃音楽」と呼ばれ、トルコの研究者の研究によれば、「動物にディスコを聴かせたら、豚の耳が聴こえなくなり、マウスが同性愛行為を始めた」とニュースが流れたそうですw
世間にも飽きられていたそうです。
39 :
TR-774 :2008/10/21(火) 20:52:56 ID:???
40 :
TR-774 :2008/10/21(火) 21:00:01 ID:???
>>35 いや、まだニューヨークのディスコシーンしか書いていませんよw
TECHNOのおじいちゃん、夜遊びで躍りが中心になり、ターンテーブルを使いこなすDJ文化が始まる、ここまでです。
次回までしばしお待ちを。
41 :
TR-774 :2008/10/21(火) 21:10:50 ID:???
>>35 君が何を期待しているのかは何となくわかるが、とりあえず最後まで待ってみよう。
42 :
TR-774 :2008/10/21(火) 21:52:03 ID:???
フランキーナックルズとウェアハウス 1977年ナックルズはウェアハウスに呼ばれた。その頃はディスコ全盛期であった。 ウェアハウスももちろん大盛況だった。なぜならニューヨークでは、そこのディスコか、いやあっちかと悩むところが、シカゴにはウェアハウスしかなかったのだから。 客もすれていなかった。ニューヨークでは当たり前のミックスも、初めて目にした客はみな大喜びしてくれたのである。 有名なエピソードがある。1981年ナックルズがドライブしていたときにふと目にしたバーの看板に「ハウスミュージックかけてます」とあった。ナックルズがあれはなんだと聞くと、となりに座っていた女の子は「あなたがウェアハウスでかけている音楽でしょ」と言った。 しかしナックルズは特に新しい音楽を選択していたわけではなかった。実際に回していたのは自分が遊んだ古い70年頭のフィリーソウルやサルソウルだった。 つまり「ハウス・ミュージック」はただのディスコミュージックのことではなく、 シカゴの人々がそれとして受け入れていたのは、 ニューヨーク式のDJミックスだったのである。
43 :
TR-774 :2008/10/21(火) 21:53:41 ID:???
80年頭、絶頂期を越え、ディスコ排斥運動などが起きたあと、急速に世間のディスコ熱は下がっていった。 ただしここ中西部にあるウェアハウスはまだまだ安泰だった。 流行りの中心地から遠いこともあり、世間でディスコが衰退したあとも客足は途絶えなかったそうである。 しかし、ディスコでかけられる曲のリリースは明らかに減り、 ナックルズもいつまでもフィリーソウルじゃ飽きられるので工夫を凝らしていった。 オープンリールのテープを切り貼りし、曲をエディットし始めた。また、バスドラムの音が弱い曲にはもっと踊れるようにドラムマシンでキックを載せてみたのである。 シカゴの他のDJも自分が回していない時間はナックルズのDJで躍りに来ていたので、 この手法はすぐにシカゴ中に広まった。もっとも、これらもやはりニューヨークでは何年も前から行われていたことだが、シカゴではスゴいことだった。人々はますますナックルズに熱狂した。 ハウス誕生終わる。次回、シカゴハウス!
44 :
TR-774 :2008/10/21(火) 22:00:37 ID:???
45 :
TR-774 :2008/10/21(火) 22:16:54 ID:???
1982年 ウェアハウスは不運に見舞われた。 ウェアハウスのオーナーが入場料を値上げし、また世間にもっと広げるため、白人を呼び込もうとしたのだ。 ナックルズはウェアハウスを辞め、自ら発電所の跡地に「パワープラント」を作ってそこに収まった。客も移動した。 オーナーは対抗策でウェアハウスの名前をやめて、「ミュージックボックス」とし、もともとシカゴ在住でカリフォルニアに住んでいたDJ「ロン・ハーディ」を呼び戻した。 ハーディはハードコアだった。ナックルズの静的で実験的なミックスに比べるとハーディは怒涛のようなミックスであったのだ。ハーディのミックスで興奮した人達はフロアでバタバタと気絶するくらいだったそうである。かける曲はナックルズと同じだったそうだが、 彼はあらゆるドラッグをやり、あらゆる曲のピッチをあげてかけた。 デリックメイは「ハーディがスティービー・ワンダーを+8でかけているのを見た」と語っている。(ターンテーブルのピッチを最大限に上げると+8) 今知られるシカゴのDJやプロデューサーなどはみんなこのロン・ハーディのミュージックボックスに通っていた。 DJ話はこれくらいにして、次から曲。
46 :
TR-774 :2008/10/21(火) 22:22:18 ID:???
>>44 イギリスは取り扱いません。
TECHNO成立前までです。
>踊れるようにドラムマシンでキックを載せてみたのである コレが例のアトキンスから入手した909でつか
48 :
TR-774 :2008/10/21(火) 23:03:00 ID:???
★日本の重油支援を豪など肩代わり 北朝鮮向け、米国軸に調整
・政府は拉致問題に進展がないとして拒否している北朝鮮への重油20万トン相当の
エネルギー支援について、オーストラリアやニュージーランド、欧州諸国の一部に
肩代わりしてもらう方向で、米国など関係国と調整に入った。
中曽根弘文外相が表明した核廃棄支援はエネルギー支援に参加しない代替措置と
位置付けられ、政府の対処方針の大枠が固まった。複数の日本政府関係者が
21日、明らかにした。
これまでにオーストラリア、ニュージーランドが1000万ドル(約10億円)ずつ、
合わせて重油3万トン余りに相当する資金提供を伝えてきた。英国などとも調整中で、
それでも足りなければ米国と韓国も拠出を検討する。
米韓が6カ国協議参加国以外にも対象を広げ、日本の肩代わりを打診してきた。
6カ国協議は現在、核計画申告と核施設の無能力化を中心とする「第2段階」。政府は
核廃棄の「第3段階」に向け、エネルギー支援を拒む代わりに核廃棄の資金や技術を
支援することで、拉致問題の進展を促す。
http://www.minyu-net.com/newspack/2008102101000668.html
49 :
TR-774 :2008/10/21(火) 23:15:50 ID:???
ハウス・ミュージックはフランキー・ナックルズが始めたものだが、厳密に言えば彼がかけていたのはニューヨークのディスコであり、それに手を加えていたものだった。 本当の意味でのハウス・ミュージック、シカゴで作られた曲は、シカゴのDJジェシー・サンダースの「On And On」とジェイミー・プリンシプルの「Your Love」だった。 プリンシプルは楽器ができ、本人はクラブには行かなかったそうである。その曲はナックルズがよくかけた。 83年に作られ84年にレコード化された「On And On」はジェシーサンダース自分がDJを始める際に流していたミックスでいわば海賊版だった。 ベースラインがスペースインベーダーズでドナサマーのループとリップスインクのホーン。 B面はマイケルジャクソンとセルジオメンデスなんかのメガミックスだった。 ジェシーにレコード作成を持ちかけた17才の少年がレコードを作り売りさばき、莫大な金を生み出す。そして作られたレーベルが「トラックス」である。 ジェシーの稚拙な曲はだがシカゴのクラブやラジオで大人気だった。これなら俺でも作れる。みんなそう思った。そして実際に作り始めた。
50 :
TR-774 :2008/10/21(火) 23:19:48 ID:???
ミュージックボックスのために次々黒人少年たちは曲を作り始める。彼らはゲイじゃないにしろ、 ロンハーディにかけてもらえば、レコードが売れて大金持ちになれるのだ。 初めてレコードを作ったジェシーはDJをやっていて、自分のクラブで回したあとはナックルズのクラブで踊っていたため、ナックルズがドラムマシンを使っていたのを知っていた。 彼はドラムマシンを持っていたので、それを鳴らして、その他の素材はレコードから引っ張ってきていた。彼がお手本になり、みな自分でドラムマシンを買い込んだ。 ロンハーディがかけたヒット曲は、 「スリージー・G / I've Lost Control」「ミスターフィンガーズ / Can You Feel It」などなど。 そしてTB-303をいじっていた少年たちによりミュージックボックスで大当たりしたのがピエールの 「フューチャー / Acid Tracks」 同じくピエールの 「ファンタジー・クラブ / Dream Girl」バムバムの 「バムバム / Where's Your Child」 これらは「アシッドハウス」と呼ばれた。 これにより、ロン・ハーディのプレイはますます激しく、 そしてそれまでのハウスで流れていたソウルミュージックから変わっていった。 後で、文中で登場した曲をYouTubeにリンクを張って紹介しなおそうと思います。
51 :
TR-774 :2008/10/21(火) 23:47:14 ID:???
>>47 他のスレでも書きましたが、
シカゴに親戚がいて当時デトロイトとシカゴを行き来しハウスにぞっこんだったデリック・メイがフランキー・ナックルズにTR-909を売ったのは事実だそうですが
(逆にデリックはTR-909を売るのに反対だったという説もある)、
それはナックルズがウェアハウスをやめてパワープラントに移った後です。
ナックルズがウェアハウスでどれくらいドラムマシンを使っていたのか、
もしくは使っていなかったのかはわかりません。
パワープラントの備え付けの909(メイの中古)は初期のシカゴハウス作成によく使われていたことは事実で、
この辺からもシカゴハウスとデトロイトの強い関係がうかがえます。
52 :
TR-774 :2008/10/22(水) 05:29:10 ID:???
セミの鳴き声はテクノ これが事実ならばテクノの元祖はセミの鳴き声 テクノの元祖は つまり セミ ということになる。
53 :
1 :2008/10/22(水) 05:52:17 ID:???
54 :
TR-774 :2008/10/22(水) 06:21:15 ID:BaSqcvvB
55 :
TR-774 :2008/10/22(水) 06:33:40 ID:???
他国で他人の音楽を そこまで詳しく解析してなんになる?
56 :
TR-774 :2008/10/22(水) 06:44:02 ID:???
>>55 じゃあお前は演歌でも詳しく調べておいてくれ
あばよ
57 :
TR-774 :2008/10/22(水) 06:50:10 ID:???
58 :
TR-774 :2008/10/22(水) 09:43:04 ID:???
59 :
TR-774 :2008/10/22(水) 14:58:51 ID:???
また電オタのセンスか。
60 :
TR-774 :2008/10/22(水) 16:10:33 ID:???
結局イギリスはスルーか?ならテクノではなくアメリカのクラブの歴史どまりだろ ヨーロッパで起こったテクノのルーツに関るような流れについてはふれないのか? とはいえ続きを楽しみにしている
61 :
TR-774 :2008/10/22(水) 16:33:58 ID:???
62 :
TR-774 :2008/10/22(水) 19:20:28 ID:MZHX141C
>>60 テクノはアメリカのクラブの音楽だと思う。
63 :
60 :2008/10/22(水) 20:21:30 ID:???
言われてみれば 電子音やループ、ミニマリズムといった流れから影響は受けているが そこまで遡る必要も無いね そもそも手法等の発祥はそれぞれ異なるが それらをダンスミュージックとして定型したのはアメリカだね
64 :
TR-774 :2008/10/22(水) 20:27:23 ID:BaSqcvvB
>>60 記事の引用元が『ブラック・マシン・ミュージック』だからだね。
手元に『クラブ・ミュージックの文化誌』があるから、
UKについても書いてみようかなーと思う。
>>62 結論づけなさんな。
65 :
1 :2008/10/22(水) 21:21:51 ID:???
66 :
TR-774 :2008/10/22(水) 21:23:28 ID:???
67 :
TR-774 :2008/10/22(水) 21:27:01 ID:???
デトロイト――ラジオDJ、エレクトリファイン・モジョ 「電気放出モジョ」。黒人音楽と自動車工場の町、デトロイトは80年代日本車の輸出攻勢により斜陽となっていた。 街にクラブシーンはなく、若者たちは夜になると毎晩ラジオに耳を傾けていた。 ホアン・アトキンスはモジョのラジオで初めてクラフトワークの「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」を聞いたという。 10才の頃親に楽器を渡され、13才でガレージファンクバンドとしてベースを演奏していた音楽好きの少年はその音にすぐにはまった。 モジョが毎晩五時間、フォーマットなしでやっていたラジオでは、普通のラジオ局と違い、 白人と黒人の音楽を分けなかった。そこでかかっていたのは、 ファンクやディスコ後(アメリカで流行らなくなった後でもヨーロッパではディスコが続いていた)の、 ユーロディスコ(主にイタリアもの)、後々ヨーロッパのニューウェーブが流れていた。 つまりシンセを使った電子音楽が多かった。そのせいもあってか、デトロイトはクラフトワークが全米一売れた都市であったそうである。
68 :
TR-774 :2008/10/22(水) 21:33:53 ID:???
モジョのラジオはモータウンの街なのにR&Bは無し。ロックも無し。ファンクはデトロイト出身のパーラメントやプリンスをかけていた。 ちなみにプリンスにジョージ・クリントンを紹介したのもモジョだそうだ。 15才の時にホアンと学年が一つ下のデリック・メイは出会う。その時はまだデリックは何も音楽のことは知らなかった。 ホアンが勝手にメイの持ち物のテープにクラフトワークを録音したり、モジョのラジオを聴くように説得したりして、徐々にメイは感化されていく。 ホアンは基本的にファンクが好きで、ベースのブーツィー・コリンズに憧れていた。同じくパーラメントのキーボーディスト、ファンクにシンセサイザーのムーグを持ち込んだ、 バーニー・ウォーレルを、「真のTECHNOの産みの親」ともインタビューで語っている。 メイが高校三年の時に、母親が再婚し母はシカゴに引っ越してしまう。地元でアメフトを続けたかったメイは1人デトロイトに残りホアンの家に居候する。 たまに母親に会いに車で4〜5時間かけてシカゴに行っていた。 そしてシカゴのレコード屋で友達を作り、夜にはナックルズのパワープラント、ハーディのミュージックボックスに通うようになる。 そこでは黒人がたくさん踊っていた。全員が黒人だった。メイは一発でその場が気に入ってしまった。
69 :
TR-774 :2008/10/22(水) 21:48:57 ID:???
初めてシカゴのクラブを体験した日、すぐさまメイはデトロイトのホアンに電話した。 ホアンは「オカマディスコだろ?」と応え、メイは必死に説明したそうだが、「とにかく単なるディスコじゃないか」といい電話を切ってしまう。 ホアンは最初はあまり乗り気ではなかったそうだが、 メイがホアンをシカゴのロン・ハーディのミュージックボックスに連れて行くなどするうちに、 ホアンもすぐに気に入ってしまったそうである。 そのままメイは友人と共に毎週末クラブにいくためにシカゴに通い続けた。 高校を卒業したホアンは地元のコミュニティカレッジに進み、そこで11才年上のSFや音楽については何でも詳しいリック・デイヴィスと出会う。デイヴィスはすでに自身の難解なレコードも出していた。 デイヴィスの家には録音用の機材が何でも揃っていた。彼はホアンにアルヴィン・トフラーの著作「第三の波」を読ませこれにホアンははまった。ホアンもまたこの本をメイらに「TECHNOのバイブル」だといって読ませた。 この落ち着いた白人とホアンは音楽の共同製作を始め、エレクトロのユニットを作る。それが「サイボトロン」である。 サイボトロンではヨーロッパのニューウェーヴに詳しく電子音楽通だったデイヴィスとホアンのファンクが出会ったエレクトロが展開し、 初シングルは「Alleys of Your Mind」。81年の作である。 ヒット作「Clear」は83年作。 前述のモジョが彼らの曲をラジオで押して地元デトロイトでは売れたそうである。
70 :
TR-774 :2008/10/22(水) 21:55:51 ID:???
メイは高校を卒業してからも相変わらずぶらぶらしながらホアンの家にお世話になっていた。 ホアンらが出すレコードを車に積み、シカゴに行きそこで売りシカゴのレコードを持ち帰る。 ホアンが曲作りの方法をメイに教え、またアメフト部でメイの一年後輩、 ニューヨーク出身のケヴィン・サンダーソン(兄がニューヨークでディスコのサウンドエンジニアをしていた)もそこに参加していく。 彼らはDJ集団「ディープ・スペース・サウンドワークス」を作り、単発的に行われる地元のパーティでDJをこなしていく。 85年、ホアンがデイヴィスとの音楽性の相違(デイヴィスはロックがやりたかったそうだ)から エレクトロのユニットであったサイボトロンを解消した。 ひとりのDJとなったホアンはエレクトロにこだわらない、よりダンスフロア寄りのレコードを出していく。 ホアンのソロ第一弾の二枚のシングルの中の一枚、「No UFO's」という曲がシカゴのクラブで大当たりし、 そのあと続けざまにメイらもX-レイ名義の「Let's Go」や「Nude Photo」などでシカゴのクラブでヒットを飛ばしていく。 そしてその評判は海をわたり、イギリスのダンスミュージックフリークに゙発見゙されたのだった。
71 :
1 :2008/10/22(水) 22:03:19 ID:???
一休み。何日か続きましたが、今夜中に全て書き終えます。
フィナーレです。
>>60 イギリスとのつながりも書きますね。期待しているような形ではないでしょうが。
>>63 電子音はエレクトロで、ループはファンクから、ミニマリズムはシカゴハウスや後のミニマルテクノを始めた人たちからだと思っています。
ただこれはあくまで個人的な意見です。
72 :
TR-774 :2008/10/22(水) 22:10:22 ID:???
プレTECHNO――そしてリスニングミュージックとの誤解 クラブヒットを出していたホアンたちは、イギリスの音楽雑誌の取材を度々受けるようになっていた。 87年の「NME」紙で彼らは「デトロイトのハウスマニアの三人」と書かれており、また取材でもメイは自分の音楽のことはハウスと呼び、SFや未来については全く語らなかった。 「俺たちのハウスは軟弱な音楽ではない。ハードなダンスミュージックなんだ」とも言っていた。 しかし、雑誌を書く上で記者がシカゴに行き、そこのDJの取材ならクラブシーンについて書くことがたくさんあったのだが、 デトロイトにはそれがなかったので、毎回難解なホアンの思想に紙面を割かざるをえなかった。 そして雑誌では知的なリスニングミュージックとしての音楽と言う一面が強調された。 実際は純粋にダンスフロアのために作られていたものだったのにもかかわらずである。 哲学を話すホアンはよくインタビューで「どこの大学を卒業したのですか?」と聞かれたそうである。 そんなこんなでホアンが語るイメージが固定され、それに沿うかのように彼らのレコードにドラムのないリミックスバージョンが作られ、 メイも自分の曲にビートがない大げさなイントロを付け加えたのだった。 88年、例のアルバムの大ヒットでTECHNOの名前は世界に広まっていく。 この辺はWikipedia「テクノ」を読んでください。
73 :
TR-774 :2008/10/22(水) 22:19:47 ID:???
おしまいに。 ディスコははじめ踊るためのアップテンポなパーティーミュージックから始まった。そこではビートルズやストーンズなどもかかった。 だんだんより踊りやすい黒人音楽に移っていき、そのうち自然な流れでディスコ専用の音楽がスタジオミュージシャンによって作られた。明確なダンスミュージック、のちのハウスミュージックの誕生である。 さらに楽器のひけない素人がドラムマシンの手を借りて自宅録音してダンスミュージックを目指したのがシカゴハウスである。 つまりシカゴハウスとは素人の作るチープなダンスミュージックことである。そこにSFのエッセンスをちょっぴりつけ加えたのがTECHNOであった。 では現在の、ハウスミュージックと比べて音楽的にかなり違うもののように感じられるTECHNOになったのはいつからなのだろう。 TECHNOはハウスミュージックと比べて、より歌が少なく、より音数が少なく、より荒々しく、より速くハードだ。 それはデトロイトの三人といわれたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンがやったことではない。 彼らの次の世代から、TECHNOとハウスミュージックは音楽的に別れていくことになる。 その話は本稿では扱わない。次の機会があればまた・・・ なお、先に記したように、この文章自体もまた全て書籍からの切り貼りである。
74 :
TR-774 :2008/10/22(水) 22:26:28 ID:BaSqcvvB
>>65 どれが引用元かなんて、はっきり分かんねーよ。
あんたも文章崩したり、省いたりして書いてんだろ?
『ブラック・マシン・ミュージック』もデトロイト以前は資料をもとに書いてるから、
似たり寄ったりの中身なんだよ。
75 :
TR-774 :2008/10/22(水) 22:33:42 ID:???
すばらしい!次回作はいつですか? プリントして出版社に持ち込もうかな!
76 :
1 :2008/10/22(水) 22:38:29 ID:???
>>74 >>67 以降はブラックマシンミュージックも参考にして書いていますよ。
>>75 やめてください。いきなり大金持ちになったりしたら困ります:-)
77 :
TR-774 :2008/10/22(水) 22:47:57 ID:???
78 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:03:40 ID:???
79 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:13:25 ID:???
日本のテクノなんて 知識願望を埋める洗脳ビジネスとか 低レベルの釣りでしょ?
80 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:15:36 ID:???
>>78 これは85年から88年までのTECHNOだな。いまでもクラブで聴ける永遠のクラシック。
このスレの通りTECHNOとはハウスミュージックだ。
わかったらさっさとテクノポップとTECHNOを同一視するゴミクズは消えろ
81 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:16:00 ID:???
82 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:16:29 ID:???
83 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:17:26 ID:???
すまぬ なぜにか連投になってしまった。。。
84 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:26:28 ID:???
>>82 大好きだけどね。ただこの人に同意見だな。
かといってシャリバリと同じ年に出たらしい「Alleys Of Your Mind」もとてもTECHNOだとは思えないけど。
Cybotron - Alleys Of Your Mind
http://www.discogs.com/release/162067 User Reviews:
JuneAtkinson, Sep 19, 2003
Fancy an argument anyone? imho THIS is the first techno track and not "Sharevari" by A Number of Names.
Why? Sharivari sounds more like like weird disco, lyrics aspire trendy clothes brands, sports cars etc... yawn).
85 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:26:40 ID:???
発表された年もセットにしてほしかったす
マンキューゾはレコードの流通システムを作ったりいわゆるDJとは異なりますが ワタクシ的に最もリスペクトしてます 年とっても選曲が凄い アナログメインな時代にはレコにメッセージとかスタジオ、 エンジニア、スペシャルサンクス等のクレジットがあり レコ屋のポップなんかからもいろんな背景が見え隠れしていました データ配信が主流になりつつある今こーゆー情報も忘れられていくのかと思うと、、、
87 :
TR-774 :2008/10/22(水) 23:49:49 ID:???
>>85 手抜きしました。できればDiscogsで確認してください。
一応2〜3年区切りで書いてみました。
ロフトと呼ばれたディスコが1970年にできたところから、
TECHNOの名がつく1988年までの18年間です。
80年以降は少し速足で。
>>86 ベリーベリー偉大ですね
としか言いようがない
88 :
TR-774 :2008/10/23(木) 00:03:27 ID:???
>>80 > このスレの通りTECHNOとはハウスミュージックだ。
> わかったらさっさとテクノポップとTECHNOを同一視するゴミクズは消えろ
解りやすい矛盾乙
89 :
TR-774 :2008/10/23(木) 00:36:24 ID:H3UZFhQb
さすがに今時、テクノとテクノポップを混同するやつはいないだろ
90 :
TR-774 :2008/10/23(木) 00:44:35 ID:???
>>89 テクノの紹介をするときに“元祖テクノ”のクラフトワークから紹介されるけど、あれも混同の一つだよね
91 :
TR-774 :2008/10/23(木) 00:44:39 ID:???
テクノはじめて物語?
http://jp.youtube.com/watch?v=st1D3Ut1PJs 85年から86年当時ハウスを聴いていたんだが
ハウスはなんでもありだった
アシッドもハウスだったし、8ビートのエレクトロニック風味なののもハウスだったし
ソウルフルなボーカルにピアノが絡むものもハウスと
でもオレは当時19才で、音楽を作るにあたってポップでクールなものではなく
普通の一般的なハウスサウンドでは飽き足りなくなってしまっていたのさ
そういう思いを携えてある日トラックを作ったのさ、
なにか特別なものを真正面に添えて、それはエクスタシーのボイスサンプル、、、
それがテクノと呼ばれるようになった経緯とかは実際どうでもよくて、、
ここでのエクスタシーはもちろんドラッグのことだが
とにかく抜群に感じれてキマれるトラックにしたかったのさ
各人>べた褒め
それがハウスであろうがテクノと呼ばれようが関係ない
リリースされて10年たった今もとにかく抜群に凄い曲だったことに変わりない
エナジーフラッシュはダンスミュージックの新たな限界を見出してしまったのだ
そのダークなミニマリズムはハウスミュージックシーンには収まりきらなくなっていた
それがイギリスや欧州に渡ったら、これはテクノだ!とかいわれ
そういうカテゴライズによって評価されるようになっていったが
オレはハウスミュージックを制作している気持ちには変わりないんだ
だけど違ったエッジをきかせて作ってるだけなのさ、、。
こうしてニューヨークが生んだハードコアサウンドは
精神的なホームグラウンドをヨーロッパに求めていったのだ
92 :
TR-774 :2008/10/23(木) 01:05:06 ID:???
>>91 そうだね。その後ハードなものがテクノって呼ばれるようになっていった
93 :
TR-774 :2008/10/23(木) 01:06:22 ID:???
デトヲタ&sasha厨まだいる?
いるなら知っておいた方がいい。
いいかい?
知らないと恥をかくぞ?
テクノの元祖はスナインコッコスマナラコッサーラ長老。
↓こういう単細胞中学生がムキになればなるほど、その存在は広く世間に知られていくのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/eilliff/43027174.html 皮肉なものですねw
セミの鳴き声がとか言ってるのもアホ。
そんなこと言い出したら、カンブリア紀にいた古代生物の心臓音もテクノになる。
あくまで人為的に作り出された反復によるダンスミュージックでなければならない。
94 :
TR-774 :2008/10/23(木) 01:12:14 ID:???
95 :
TR-774 :2008/10/23(木) 01:23:27 ID:???
とはいってもその曲 Joey Beltram / Energy Flash がテクノの方向を位置付けたんじゃなくて、 デトロイトで初期の三人の次にハードな曲を出すグループがあって・・・。 まあそれはこのスレの主旨と直接関係ないので。
96 :
TR-774 :2008/10/23(木) 01:34:16 ID:???
本当にルーツを辿ると。。。最近カールクレイグとモーリッツがカバーした ボレロなんかも踊る為に作曲されたループする音楽ですし 最終的にはアフリカとか民族音楽にいってしまいますね そもそもサンプリングしていたので起源はいたるところに見いだせてしまう、、、 上の動画でもアメリカのダンスミュージックがヨーロッパでうんぬんと解説しているので テクノの枠で語るならデスコあたりからのスタートでOKな気がしてきました かつてアメリカのジャズミュージシャンがヨーロッパを目指し 各地でジャズが進化したようにテクノもまた輸出された先で進化したと だれかヨーロッパの歴史を事教えて下さい
98 :
TR-774 :2008/10/23(木) 02:14:07 ID:???
UKの初期テクノDJって誰なん?
99 :
TR-774 :2008/10/23(木) 02:19:26 ID:???
>>98 セカンドサマーオブラブでアシッドハウスを回していた中にテクノが含まれていたってのが最初じゃないかなあ。
となるとレイヴのDJ?
>>1-78 乙。ごくろうさん。
ディスコとハウスは全く別のものだと思ってたよ。まあこうしてみると
初期のテクノとハウスはかわらんなぁ