テクノやトランスのパーティーも最初は反商業主義的なイベントとして始まったのです。
彼らは、最初は廃墟として使われなくなった工場や倉庫を使ってウェアハウス (=倉庫)パーティを開きました。
では、日本にはこのようなDiY的なパーティカルチャーの展開はなかったのでしょうか。
単にひとつの新しい若者消費者 文化として紹介されていたように思えます。
メインストリームの文化の中では、DiYの 文化的・政治的・経済的な意味合いは消されてしまっていました。
自分たちの手で自分たちの音楽と空間を作っていこうという観点がほとんど伝えられなかったのです。