_______/|| 渋谷慶一郎 -|_______ATAK

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1TR-774
日本でも数少ない世界に認められているアーティスト

スレがないのが不思議だったので
2TR-774:2006/09/16(土) 17:44:36 ID:???
スレタイはオシャレにしてみたんだけどw
3TR-774:2006/09/16(土) 17:55:22 ID:???
>>1
周回遅れの新参乙。
んで何、このひでえスレタイw オシャレ? センスないね


もうATAKスレの旬は過ぎたんだよ 完全に燃え尽きた


糞スレ終了_
4TR-774:2006/09/16(土) 18:18:45 ID:???
あら、そう?w
たしかに、立てたあとまずいと思ったww

でも、新しいアルバム出るから無問題w
5TR-774:2006/09/16(土) 18:22:27 ID:???
>>4
建てる前に気づけ。

というか、渋谷また太ったな・・・
前から肥満体だが。

6TR-774:2006/09/16(土) 18:28:29 ID:???
>>5
ごめん〜w

あれって、筋肉質なだけじゃないの?
日記読むと定期的にジム通ってるみたいだし。あんま、デブとか言わんでねw
7TR-774:2006/09/16(土) 18:38:04 ID:???
この人、借金がすごいってショップの人が言ってた
音楽はよく知らないけど
8TR-774:2006/09/17(日) 00:05:56 ID:azg8xb3+
いつどこの世界で認められたんだい?
9TR-774:2006/09/17(日) 00:15:42 ID:???
逃げろ、このスレは荒れる
10TR-774:2006/09/17(日) 00:46:50 ID:59t/Jr77
さっさと音響エレクトロニカ板つくったほうがいいな


【operate】新板をねだるスレ◆27【分割は別スレ】
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1155844150/465
11TR-774:2006/09/17(日) 02:25:03 ID:???
空気を読めないひとに「空気読め」と発声することは、それが「空気を読むべき場である」と
空気によって伝えるパフォーマンスに失敗した結果であるから、これは敗北宣言と言ってよい
(←「自分(たち)のペースを降り、(すくなくともその一言を発するため)相手のペースに
乗らざるをえなくなった」)。
まあ大概のひとは「空気」に対する感覚力と同等の操作力は持っていないわけだから
(演技の良し悪しがわかるひとのすべてが、自分のわかる上限の演技ができるわけではない)、
その自らの内部のギャップによってやらかしてしまう不粋ってかんじか。
で、「空気読んだうえで空気読まない」芸というのは、各人のそうしたギャップにつけこんで
リアクションを引き出す立場なので、トリックスターでありまたは肉食側といえるわけだ。
さらに、このような空気主義者にとってコミュニケーションとは決闘でなく舞踏会なので、
誰が勝とうが負けようがお構いなしに場は続いていくという世界観になる。
だからこの場合で「敗北宣言」といっても、自アンでいう「「釣れました」は敗北宣言」
ほどには強いニュアンスではない(←「釣れました」の敗北度はまさに「必死」だが、
「空気読め」は立場上の死を意味しない)。
しかしまあ、やはり、許容範囲というか、手の内の一部は明かすことになる。
12TR-774:2006/09/17(日) 08:19:52 ID:???
>>1
本人、乙
13TR-774:2006/09/20(水) 21:56:53 ID:IjFOih3F
>>5
ていうか、痩せていたときってあったの?
14TR-774:2006/09/20(水) 22:31:53 ID:nLfGCu69
新参乙
15TR-774:2006/09/20(水) 22:40:01 ID:???
>>1
本人乙
16Umeee ◆LL5uNS1156 :2006/09/21(木) 03:03:29 ID:???
もう、いくらなんでも盛り上がらないだろうね。

>>1
世界に認められたのではなく、認められているように見せている、な。
17TR-774:2006/09/24(日) 14:12:37 ID:0FRxrnAd
アタツク信者はみなオートマ限定と聞いたのですが
18TR-774:2006/09/24(日) 22:47:10 ID:???
――糸冬――
19TR-774:2006/09/27(水) 02:25:39 ID:uVdqtDaP
アタツク信者は二輪もオートマ限定だと聞いたのですが
20TR-774:2006/09/27(水) 02:34:27 ID:???
>>1
本人乙
21TR-774:2006/09/27(水) 03:27:10 ID:???
>>1
本人乙
22TR-774:2006/09/27(水) 03:30:48 ID:???
脂豚顔デカすぎw
23TR-774:2006/09/29(金) 10:22:15 ID:wyA9pEB/
アタツク信者は女に乗る時はマニュアル と
聞いたのですが
24TR-774:2006/09/29(金) 11:14:33 ID:???
全然良くないよねこの人。
25TR-774:2006/09/29(金) 20:29:38 ID:???
>>1
本人乙
26TR-774:2006/09/29(金) 21:39:36 ID:???
>>1
本人又は内輪乙
27TR-774:2006/09/29(金) 22:41:02 ID:wyA9pEB/
>>1
むしろ渋谷乙
28TR-774:2006/09/29(金) 23:44:56 ID:???
>>1
本人乙
29TR-774:2006/09/29(金) 23:49:52 ID:???
誰?
30TR-774:2006/09/29(金) 23:55:52 ID:???
>>1
本人乙
31TR-774:2006/09/30(土) 00:29:42 ID:t7pl/KnZ
ICCでのライブはすごかったぞ、結構
32TR-774:2006/09/30(土) 00:53:03 ID:???
>>31
本人乙
33TR-774:2006/09/30(土) 01:45:59 ID:???
                  //            ヽ
                ,:' ,:' ,:' /              ヽ
               ,' ,' ,' ,:' / / ,:',:' ,:'  ゙、     ゙、
                '‐'= '-'、_/ / ,' ,' ,'  r--、ヽ    ',
                   ヾl -ミヽ,/_,' ,'ミ=L_,`冂二 ̄| !
                 | `h、ヽ\ヾ>‐-‐ /7゙|`、  ̄ l   
                 ___ノ  ,リ );; U  ミ‐-‐/| | ',   !  
まあ、なんて悲惨な    ..',  ‐''-   u   '⌒ヽ_| |  |  |
                 :ヽ  ...:::::::......  (゙ノ ノ | |  |
スレなんでしょう・・・      }        -‐' /   ̄   |
                /,,~、_          ,'  /      ',
               ,-( {__}、7゙ク ゙̄',   ', (   ,'     ヽ
              ∧_}   ヽ {   |--‐ \ ゙、 (       `ヽ
             ( ヽ,     ゙、 r‐ノL__,,, 、-‐-、ヽ、        ヽ
            /(゙"       ノ /0/  /    ヽ ヽ      ゙、 ゙、
           (  \     / /o/ /       '、 `ヽ、  
34TR-774:2006/09/30(土) 03:31:08 ID:???
こういう音楽に慣れてない人はやっぱりスゴイとか思うんでしょ
こういった音楽が凡庸に分布してる状況に慣れてください。
35TR-774:2006/09/30(土) 03:56:59 ID:???
>>1
本人乙
36TR-774:2006/09/30(土) 04:20:56 ID:???
>>1
本人乙
37TR-774:2006/09/30(土) 06:24:16 ID:???
>>1
死豚乙
38TR-774:2006/09/30(土) 10:08:52 ID:???
このひとって坂本龍一の分析やってたひとですかい
アレかなり不満だった
39TR-774:2006/09/30(土) 21:15:53 ID:???
>>1
本人乙
40TR-774:2006/09/30(土) 22:44:26 ID:5RoYpBx9
>>1
本人乙
41TR-774:2006/09/30(土) 22:45:06 ID:???
>>1
むしろ酢豚煮乙
42TR-774:2006/09/30(土) 22:47:52 ID:5RoYpBx9
>>38
一方的な同族嫌悪ですから。。。
オサレエレクトロニカブーム終焉乙
43TR-774:2006/09/30(土) 22:52:18 ID:???
o(´□`o)ぽんぽんっ
44TR-774:2006/10/01(日) 00:17:46 ID:???
>>1
酢豚乙
45TR-774:2006/10/01(日) 02:04:22 ID:???
    |┃三 ガラッ
    |┃  ____
    |┃/⌒  ⌒\
    |┃(●)  (●) \ 
――‐.|┃:⌒(__人__)⌒:::::\   えへへっ
    |┃  |r┬-|     |⌒)  遊びに来たお!
    |┃   `ー'ォ     //
    (⌒ヽ・    ・ ̄ /
    |┃ノ       /
    |┃   つ   <
    |┃  (::)(::)   ヽ
    |┃/    >  )
    |┃     (__)



    |┃
    |┃  ____
    |┃/⌒  ⌒\
    |┃ (―)  (―)\ 
――‐.|┃:⌒(__人__)⌒:::::\   
    |┃           |
    |┃          /
    |┃ヽ・    ・ ̄ /
    |┃ \    ,.:∴~・:,゜・~・:,゜・ ,
    |┃ヽ_)つ‘∴・゜゜・・∴~・:,゜・・∴
    |┃  (::)(::)  ヽ    ・゜゜・∴~゜
    |┃/    >  )    ゜゜・∴:,゜・~
    |┃     (__)    :,゜・~:,゜・゜゜・~ 2 2
46TR-774:2006/10/01(日) 02:13:57 ID:???
>>1
本人乙
47TR-774:2006/10/01(日) 02:15:02 ID:???
>>45
本人乙
48TR-774:2006/10/01(日) 04:59:17 ID:???
>>45
死豚乙
49TR-774:2006/10/01(日) 11:15:54 ID:JFI0eAJs
なんでこんなに叩かれてるのか分からん・・
クラブとかにコンプ持ってるアキバ系の怨念?
50TR-774:2006/10/01(日) 11:16:35 ID:???
>>49
本人乙
51TR-774:2006/10/01(日) 12:17:47 ID:???
>>49
取巻き乙
52TR-774:2006/10/01(日) 13:13:22 ID:???
>>1
脂豚乙
53TR-774:2006/10/01(日) 17:23:30 ID:JFI0eAJs
流れ速いなー
ってか、つまらんよお前ら
54TR-774:2006/10/01(日) 21:11:44 ID:???
>>53
死ねよクズ
55Umeee ◆LL5uNS1156 :2006/10/01(日) 22:10:41 ID:???
49 :TR-774:2006/10/01(日) 11:15:54 ID:JFI0eAJs
なんでこんなに叩かれてるのか分からん・・
クラブとかにコンプ持ってるアキバ系の怨念?

53 :TR-774:2006/10/01(日) 17:23:30 ID:JFI0eAJs
流れ速いなー
ってか、つまらんよお前ら

酢豚がクラブ系?w
お前なんなの?

>>1
mai@会社乙
56TR-774:2006/10/02(月) 00:41:06 ID:WBBkMZ7z
脂豚って、かなり嫌われてるなあwww
57TR-774:2006/10/02(月) 01:51:43 ID:vLXBoK1u
はいはい自演乙
お前らみたいのがATAKについて話すと
ATAKまで寒い感じになるから
まじ勘弁おつかれっす
58TR-774:2006/10/02(月) 02:17:44 ID:???
>>57
信者乙
何度目の書きこみ?
59TR-774:2006/10/02(月) 03:09:25 ID:???
アンチごめん、ATAK Tグレイ買ってしまった。しかも、結構着てる。
プリントと生地のコントラストが良いんだ。ちなみにCDは一枚も持ってない。
60Umeee ◆LL5uNS1156 :2006/10/02(月) 08:33:18 ID:???
>>57
ATAKが寒いからこのようなスレになるのですが?w

>>59
サンドイッチマン乙
61TR-774:2006/10/02(月) 20:07:02 ID:vLXBoK1u
>>59
ボられ乙
62TR-774:2006/10/02(月) 20:31:35 ID:???
>>1
屍豚乙
63TR-774:2006/10/04(水) 20:03:33 ID:cAMDTcy2
>>1
脂豚家狂牛丼乙
64TR-774:2006/10/04(水) 22:22:47 ID:???
つーかウゼーおまえらはやくなないかな
65Umeee ◆LL5uNS1156 :2006/10/05(木) 05:56:33 ID:???
64 :TR-774(sage) New! :2006/10/04(水) 22:22:47 ID:???
つーかウゼーおまえらはやくなないかな

バカだ、バカがいる
66TR-774:2006/10/05(木) 19:13:47 ID:gJMrMS1E
>>64
icc乙
YMCA乙
67TR-774:2006/10/05(木) 19:19:08 ID:???
>>1
本人乙
68TR-774:2006/10/05(木) 22:00:45 ID:???
>>1
指豚二乙
69TR-774:2006/10/06(金) 20:03:41 ID:???
(=`(∞)´=) ブーブー!!
70TR-774:2006/10/06(金) 20:56:13 ID:???
渋谷慶一郎が出ないのが不思議だ
渋谷慶一郎が出ないのが不思議だ
渋谷慶一郎が出ないのが不思議だ
71TR-774:2006/10/06(金) 21:01:05 ID:???
>>1
本人乙
72TR-774:2006/10/06(金) 21:10:17 ID:???
>>1
本人乙
73TR-774:2006/10/06(金) 22:38:15 ID:???
本当に世界で認められてるの?DJ krushとか竹村ならわかるけど・・・。
74TR-774:2006/10/06(金) 23:02:05 ID:???
>>1
飼豚乙
75TR-774:2006/10/06(金) 23:37:40 ID:HllTguQn
デージェクラッシュ
タケムラ

wwwwwwwww
テクノゴット・イシイとかありえんからwwwwwwwww
ジャップ乙
76Umeee ◆LL5uNS1156 :2006/10/06(金) 23:50:37 ID:???

この馬鹿っぽいのがATAKリスナーなわけですよ
流石ですね渋谷さんwwww
77TR-774:2006/10/07(土) 00:01:30 ID:???
64=75?
78TR-774:2006/10/07(土) 00:45:00 ID:???
>>1
本人乙
79TR-774:2006/10/07(土) 13:02:09 ID:???
ここで半野の登場ですよ
80TR-774:2006/10/07(土) 17:32:20 ID:oOJ1Z7WO
このスレの行方がなかなか面白そうな方向に・・
81謎の中東系:2006/10/07(土) 22:06:43 ID:I0q3YiP3
シブヤハ アカデミーショ トレルーヨ
82TR-774:2006/10/07(土) 22:30:39 ID:I0q3YiP3
サウンドアート
83TR-774:2006/10/07(土) 22:54:11 ID:???
しょっぱい音楽
84TR-774:2006/10/07(土) 23:27:19 ID:I0q3YiP3
サウンドデザイン
85TR-774:2006/10/07(土) 23:28:10 ID:???
しょっぼい音楽
86TR-774:2006/10/07(土) 23:40:21 ID:I0q3YiP3
サウンドクリエイト
87TR-774:2006/10/08(日) 00:32:59 ID:???
底が浅い
88TR-774:2006/10/08(日) 00:50:55 ID:???
ここでYO!半野の登場ですよ
89渋谷です:2006/10/08(日) 23:29:13 ID:CjtqEoVR
どうも渋谷です。
90TR-774:2006/10/08(日) 23:40:00 ID:???
ブヒッ!
91TR-774:2006/10/08(日) 23:44:20 ID:???
             ([[[[[)<
  ([[[[[)<              ([[[[[)<
        ([[[[[)<
([[[[[)<                    ([[[[[)<
             ([[[[[)<

   ([[[[[)<  おおっとここでダンゴムシの大群が!  ([[[[[)<

        ([[[[[)<             ([[[[[)<
  ([[[[[)<                       ([[[[[)<
           ([[[[[)<
([[[[[)<             ([[[[[)<

92TR-774:2006/10/09(月) 01:29:16 ID:LlOoOmL9
どうも渋谷です。
大学時代はヤンチャしてましたが最近は丸くなりました(笑)
ライブぜひ来てくださいね。
93TR-774:2006/10/09(月) 01:41:18 ID:???
(豚語訳)ブヒブヒ。
ブーブーブーブーブヒブヒブヒブヒブウ(笑)
ライブーブヒブヒブーブブヒ。
94TR-774:2006/10/09(月) 02:26:18 ID:???
ぶひっ
95TR-774:2006/10/09(月) 13:12:31 ID:???
>>1
本人乙
96渋谷です:2006/10/09(月) 13:27:10 ID:???
どうも渋谷です。
sage を覚えました。
97TR-774:2006/10/09(月) 14:20:22 ID:???
ここで半野の登場ですよ
98TR-774:2006/10/09(月) 16:43:19 ID:???
      / ̄ ̄ ̄\
    / ─    ─ \
   /  (●)  (●)  \. 馬鹿らしい。オレはいそがしいんだお。さてと・・・
   |    (__人__)    |
   \    ` ⌒´    /
   /              \



     /_ノ ' ヽ_\
   /(≡)   (≡)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   シコシコ…ああっ、いいお、いいお…シコシコ
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /        シコシコ…そろそろイクお……ウッ!

99TR-774:2006/10/09(月) 17:37:31 ID:???
    ,,::"::::::::::::::/    ヽ/    ヽ:::::::::::::"::,,
   /::::::::::::::::;;;;l    ●|●    l;;;;::::::::::::::::\
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.| l|′       ,,if!lll!!゙゙゙‐'・・ .- , 、       .l|l ll
.ll |          ,〈,        ,,_,l,、      ,l゙,,l
.ll,,゙ l,     _,,,,ノ ゙゙゙゙ヽ,,,,_,,,,,,l/!゙゜ \_,,,、    ノ゙,,l 半野ですが何か?
: ゙゙llllヽ,  ,,ll゙~`       ̄"゙|″     ヽlq .,/゙’,l
  ll,,l l,,. |` _     _,,,_ .,,"__      l .,l゙ll,_,l′
   ゙゙|'!i, ゙ l,, .l(,,,, -=-´⌒=-´ ̄`ー,,,,,_,_),l".,/.l |゙’
   l  ゙l,,.ヽ ゙゙l~l l~/~,ll⌒l⌒l~ l l ノ゙゜/゜,√ ゙l| 
   ゙l 、゙゙l, ゙l,  `ヽ`- ┴,┴.┴‐┴´, / .,i/   |
   ,l゙|,,  〉、゙l、    ̄`~´ ̄     〈l゙`,lヘ .,/l、
   l`゙゙!,/゙ l,.'l、           ノ「./ .l/ '゙i,
100TR-774:2006/10/10(火) 06:43:57 ID:V12n3Adq
101TR-774:2006/10/10(火) 19:00:13 ID:???
こんなにスレが伸びるなんて
102TR-774:2006/10/11(水) 10:00:04 ID:???
これもYO!半野のお力です
103TR-774:2006/10/13(金) 16:31:10 ID:???
    ,,::"::::::::::::::/    ヽ/    ヽ:::::::::::::"::,,
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.ll,,゙ l,     _,,,,ノ ゙゙゙゙ヽ,,,,_,,,,,,l/!゙゜ \_,,,、    ノ゙,,l YO
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  ll,,l l,,. |` _     _,,,_ .,,"__      l .,l゙ll,_,l′
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104TR-774:2006/10/13(金) 17:34:35 ID:???
まだ渋谷死なないか?
105TR-774:2006/10/13(金) 18:02:51 ID:???
Shibuya is Not Dead
106TR-774:2006/10/16(月) 23:53:00 ID:AqCNR94b
渋谷のヘルスでコイヘルペスにかかる渋谷
そしておもむろに鼻うがいをしだすマリア
107TR-774:2006/11/05(日) 01:07:56 ID:rDAP/7zM
渋谷=金平会長
108TR-774:2006/11/14(火) 12:25:43 ID:lOrqcBA1
一ヶ月放置されてどうだった?ん?渋谷サン?
109TR-774:2006/12/10(日) 15:35:09 ID:???
ライブ動画見たけど頬杖つくのがむかつくな このデブ
110TR-774:2006/12/11(月) 01:50:33 ID:???
頭がでかいから疲れるんだろ、許してやれ。
111TR-774:2006/12/13(水) 01:27:58 ID:Le5w1JtP
確かに頭でかすぎだよなーwww
112TR-774:2006/12/20(水) 02:21:58 ID:kh/g590Y
debu
113TR-774:2006/12/22(金) 22:22:21 ID:???
nobu
114TR-774:2006/12/23(土) 12:37:17 ID:???
      / ̄\
    .r ┤    ト、  すぐ俺に言え      (´`)  ∩
    |.  \_/  ヽ            (´ヽ )i⌒i,|
    |   __( ̄  |          `ヽ !、∪ノ`.|現在時刻
    |    __)_ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   ) ノ
    ヽ___) ノ   /           (_ノ⌒ ̄   (⌒)真実の爆弾投下
      i⌒ヽ     │__________________________│---    ノ ~.レ-r┐
      |    〉    │ミミ ''''''''''''  '''''''''''' │      ノ__ | .| ト、
同意見 ̄ヽ ノ     │ミミ::  -    -   │   〈 ̄   `-Lλ_レ′
   |  ノ_/、/⌒i( |:::            | )   ̄`ー‐---‐/´)
  / ̄ヽノ i /   i.  │    /    ヽ  ソ       i´ヽ/ ノ最後の帝王
  |   i   |⌒iノ/    |丶  /::┏━┓ ヽ |        / ノノー―‐┐
  `ー ´;ヾ `~'  i     |:    ┃- ┃   ;    ―イ ´ノ  ーーイ
   `ヽ ⌒ヽ/  ヽ    \______ _________ ノ          (、 ̄´
    〈 ___ノ i    〉                 ̄`ー―-(_ノ
      ヽ      /  未来に届け、この思い!       /⌒ーー 、
      `ー /^‐━,                      i (⌒  ,ヽ世界遺産
渋谷の首領 /ノ―、='、       / ̄`ヽ´ ̄ヽ_    ヽ_( ̄ ̄  ,)
       /´ /  / ̄`i、     /     /      )  i (_ ̄_   ノ
      ノ  丿   l   | `i   〈     ヽ   ,ノ⌒   ヽ(____ノ
      |   〈 l   〈 〉  |   / ヽ_ , _  |マジ興味ねえ
      ゝ         ,/  ノ  i  i!  〉 〉
       ヽ、      ノ  (_ノ|, 、||  ヽ⌒ヽ
                      |  | |  ⌒ヽノ
                     ヽ_ノ \_ノ


115TR-774:2006/12/23(土) 22:38:35 ID:???
レイプミーってやつも貼って!
116TR-774:2006/12/25(月) 03:41:38 ID:a94y0ney
この人って主な収入源てなんなんだろ?
何で喰ってるのかすごい気になる。
117TR-774:2006/12/25(月) 06:23:12 ID:???
人一倍食い物に執着がありますし、ね。
118TR-774:2006/12/26(火) 16:37:28 ID:oeMt+eJt
大学の非常勤講師てかやってるからね、頭いいから
119TR-774:2006/12/26(火) 16:42:02 ID:oeMt+eJt
というか、意味がわからない
渋谷さんは海外ツアーやってるし、海外でも人気だし。もちろん日本でも。Tシャツも売れてるし
儲かってるでしょ


本人は忙しいんだから、こんなとこきません
120TR-774:2006/12/26(火) 16:53:28 ID:???
渋谷さん、ファッションが素敵で好き!
121TR-774:2006/12/26(火) 17:02:03 ID:???
ノイズミュージックで言えば、日本はドイツやイギリスやスウェーデンのシーンよりも進んでる

その中でも渋谷さんはトップに君臨してる
122TR-774:2006/12/26(火) 19:50:58 ID:???
↑4連投乙。

>ノイズミュージックで言えば、日本はドイツやイギリスやスウェーデンのシーンよりも進んでる

>その中でも渋谷さんはトップに君臨してる


君臨してるってw。こんな表現する子供を騙してるって訳か。
豚って、結局独自のアイデアなんて微塵もないじゃん、
音質こだわってるみたいだけど、格別良くはないし、まず内容が詰まらないし。
大言壮語ばかりで、その言葉に見合う物は一つも出せてないから嫌いなんだよね。
肥えてますし。
123TR-774:2006/12/27(水) 17:02:53 ID:???
ノイズミュージックにおいて日本が進んでたのは80年代まで。
90年代後半に入ってやっと評価されるようになったが
その流行も去って今にいたる。
ちなみに評価の対象になったのはいわゆるアルケミー周辺がメインであって
ラップトップ系で評価高い人はノイズに限らずほぼいないし
手法から出音まで海外の真似ばかり。
124TR-774:2006/12/29(金) 16:01:32 ID:Q0of1MoR
豚の中では頭がいい方だと思う・
125TR-774:2006/12/29(金) 16:38:35 ID:VB9UeDBd
豚の中ではお洒落な方だと思う・
126TR-774:2006/12/29(金) 22:03:17 ID:???
豚の中では頭のデカさは普通だろ
127TR-774:2006/12/30(土) 20:21:04 ID:???
128TR-774:2007/01/01(月) 07:41:37 ID:HyrXHifT
渋谷さん、素敵!
今年もアルバムだしてね!
129TR-774:2007/01/01(月) 11:17:28 ID:???
130TR-774:2007/01/01(月) 12:01:02 ID:???
今年こそ渋谷が死にますように
131TR-774:2007/01/01(月) 15:10:11 ID:???
毎日、何グラムの肉を食べるのかな?
132TR-774:2007/01/02(火) 14:01:32 ID:ZkAvPFsq
>>123
80年代www
笑えるwww

むしろ、80年代のほうが日本のノイズミュージックしょぼい


お前、ほんとは音楽詳しくないだろww
書いた後で後悔するなよw
133TR-774:2007/01/02(火) 19:41:05 ID:LDLdo8Jf
肉スレ
134TR-774:2007/01/04(木) 16:22:13 ID:???
      / ̄\
    .r ┤    ト、  すぐ俺に言え      (´`)  ∩
    |.  \_/  ヽ            (´ヽ )i⌒i,|
    |   __( ̄  |          `ヽ !、∪ノ`.|現在時刻
    |    __)_ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   ) ノ
    ヽ___) ノ   /           (_ノ⌒ ̄   (⌒)真実の爆弾投下
      i⌒ヽ     │__________________________│---    ノ ~.レ-r┐
      |    〉    │ミミ ''''''''''''  '''''''''''' │      ノ__ | .| ト、
同意見 ̄ヽ ノ     │ミミ::  -    -   │   〈 ̄   `-Lλ_レ′
   |  ノ_/、/⌒i( |:::            | )   ̄`ー‐---‐/´)
  / ̄ヽノ i /   i.  │    /    ヽ  ソ       i´ヽ/ ノ最後の帝王
  |   i   |⌒iノ/    |丶  /::┏━┓ ヽ |        / ノノー―‐┐
  `ー ´;ヾ `~'  i     |:    ┃- ┃   ;    ―イ ´ノ  ーーイ
   `ヽ ⌒ヽ/  ヽ    \______ _________ ノ          (、 ̄´
    〈 ___ノ i    〉                 ̄`ー―-(_ノ
      ヽ      /  未来に届け、この思い!       /⌒ーー 、
      `ー /^‐━,                      i (⌒  ,ヽ世界遺産
渋谷の首領 /ノ―、='、       / ̄`ヽ´ ̄ヽ_    ヽ_( ̄ ̄  ,)
       /´ /  / ̄`i、     /     /      )  i (_ ̄_   ノ
      ノ  丿   l   | `i   〈     ヽ   ,ノ⌒   ヽ(____ノ
      |   〈 l   〈 〉  |   / ヽ_ , _  |マジ興味ねえ
      ゝ         ,/  ノ  i  i!  〉 〉
       ヽ、      ノ  (_ノ|, 、||  ヽ⌒ヽ
                      |  | |  ⌒ヽノ
                     ヽ_ノ \_ノ

135TR-774:2007/01/04(木) 18:16:54 ID:???
136TR-774:2007/01/05(金) 08:32:42 ID:???
「千と千尋」にも出てたよね
137TR-774:2007/01/06(土) 07:52:16 ID:O+7ePU2z
なんであんなに顔がパンパンでおなかでてるの?

どうすれば渋谷さんみたいな肥満体になれるか教えてください!
138AK100:2007/01/06(土) 09:39:44 ID:??? BE:427276984-2BP(1000)
http://ciansumi.com/mephisto/Imperfect_combustion.mp3

Imperfect_combustion = 不完全燃焼

_Λ_
〉A〈
 ̄V ̄
139TR-774:2007/01/07(日) 01:09:23 ID:???
140TR-774:2007/01/07(日) 15:22:59 ID:???
141TR-774:2007/01/08(月) 00:50:26 ID:???
142TR-774:2007/01/08(月) 02:55:27 ID:iJbo3Le6
143TR-774:2007/01/11(木) 03:51:45 ID:???
http://www.uplink.co.jp/factory/log/shibuya.k.jpg

30越えたおっさんなのに、子どもっぽい雰囲気でキモイよぅ
144TR-774:2007/01/11(木) 16:00:32 ID:???
化粧してるのこれ?
ッキモい。
145TR-774:2007/01/11(木) 22:07:32 ID:???
こんどこいつのイベントにpansonic来るんだよね

キモデブのイベントじゃなければ・・・いったのに・・・
146TR-774:2007/01/15(月) 22:12:22 ID:t82cfOVq
本人にとってはベストショットなんだろうなあ
キモデブブサすぎwwww
147TR-774:2007/01/15(月) 23:38:08 ID:???
耳から垂れている紐が気味悪さを倍増させてるね^^
148TR-774:2007/01/16(火) 14:53:31 ID:???
面白い写真としてアピールしたほうが音楽売れるだろうね
149TR-774:2007/01/20(土) 16:57:37 ID:???
mariaって人とつきあってるんですか?

ゲイっていう噂を聞いたのですが…
カモフラージュ?
150TR-774:2007/01/20(土) 17:02:20 ID:n5yDosay
>>143
何これ?いつの写真?
なんか、別人じゃない?
151TR-774:2007/01/20(土) 22:15:08 ID:???
>>150
ヒント 画像修正
152TR-774:2007/01/21(日) 13:58:11 ID:UbY/PyVB
こんなに頭デカかったっけ?
ショック…
153TR-774:2007/01/24(水) 02:45:53 ID:???
>>150
正直ファンでもアンチでもないけど、この写真はキモい
154TR-774:2007/01/26(金) 03:07:37 ID:???
最近の豚日記は必死さが凄いな
あのフィルマシーンとかいう企画、よっぽど反応ないんだろーな
155TR-774:2007/01/29(月) 00:29:07 ID:3naTKpbf
てか、ここまでレスがついて音楽的な話題が皆無なのがうけるww
156TR-774:2007/01/29(月) 01:04:03 ID:???
渋谷さんの自分に興味を持つ人間=感覚が鋭い理論
これ、どうかと思います
157TR-774:2007/01/30(火) 17:36:18 ID:???
ぶー
158TR-774:2007/02/01(木) 02:58:32 ID:???
>みんなで富ヶ谷バラバラ殺人の下半身遺棄現場をまた見に行って

渋谷・・・やってることが低偏差値の高校生だよ
159TR-774:2007/02/03(土) 01:04:36 ID:QsMsaKaG
富ヶ谷バラバラ殺人の下半身遺棄現場を2度も観にいくなんて
性格に問題があるのはわかった
160TR-774:2007/02/05(月) 16:19:47 ID:???
http://msi.ycam.jp/pro_f.html
この写真もキモいなw
161TR-774:2007/02/09(金) 21:31:32 ID:???
162TR-774:2007/02/15(木) 20:08:48 ID:ryx4l0q1
シブヤ:
トントロニカって言葉は、去年初めて聞いたんですよ。
雑誌の人に「最近は、トントロニカと呼ばれてますよね?」って言われて。
「何ですか、それ?」って。とりあえず、串かつで食ったんですけど、
ボロカスで(笑)
豚肉に脂が乗ってるだけじゃん。
なんであれがそんなに評判良いのかって‥‥、
僕がオカシイのかもしんないんだけど
163TR-774:2007/02/15(木) 21:07:39 ID:???
新譜なかなかかっこいいじゃん
164TR-774:2007/02/16(金) 04:38:24 ID:???
      / ̄\
    .r ┤    ト、  すぐ俺に言え      (´`)  ∩
    |.  \_/  ヽ            (´ヽ )i⌒i,|
    |   __( ̄  |          `ヽ !、∪ノ`.|現在時刻
    |    __)_ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   ) ノ
    ヽ___) ノ   /           (_ノ⌒ ̄   (⌒)真実の爆弾投下
      i⌒ヽ     │__________________________│---    ノ ~.レ-r┐
      |    〉    │ミミ ''''''''''''  '''''''''''' │      ノ__ | .| ト、
同意見 ̄ヽ ノ     │ミミ::  -    -   │   〈 ̄   `-Lλ_レ′
   |  ノ_/、/⌒i( |:::            | )   ̄`ー‐---‐/´)
  / ̄ヽノ i /   i.  │    /    ヽ  ソ       i´ヽ/ ノ最後の帝王
  |   i   |⌒iノ/    |丶  /::┏━┓ ヽ |        / ノノー―‐┐
  `ー ´;ヾ `~'  i     |:    ┃- ┃   ;    ―イ ´ノ  ーーイ
   `ヽ ⌒ヽ/  ヽ    \______ _________ ノ          (、 ̄´
    〈 ___ノ i    〉                 ̄`ー―-(_ノ
      ヽ      /  未来に届け、この思い!       /⌒ーー 、
      `ー /^‐━,                      i (⌒  ,ヽ世界遺産
渋谷の首領 /ノ―、='、       / ̄`ヽ´ ̄ヽ_    ヽ_( ̄ ̄  ,)
       /´ /  / ̄`i、     /     /      )  i (_ ̄_   ノ
      ノ  丿   l   | `i   〈     ヽ   ,ノ⌒   ヽ(____ノ
      |   〈 l   〈 〉  |   / ヽ_ , _  |マジ興味ねえ
      ゝ         ,/  ノ  i  i!  〉 〉
       ヽ、      ノ  (_ノ|, 、||  ヽ⌒ヽ
                      |  | |  ⌒ヽノ
                     ヽ_ノ \_ノ
165Umeee ◆LL5uNS1156 :2007/02/16(金) 09:05:03 ID:+qHsL4PJ
>必ずヘッドフォン、またはイヤホンでお聴きください。

音が移動しているのを分かりやすくしたかったのかな?
豚君、相変わらずセンスない音だな。ダルくて聴けないよ、こんなの。
166TR-774:2007/02/22(木) 00:56:47 ID:???
今月のサウンド&レコーディングマガジンにも渋谷先生でてますよ!
耳から何かでててキモイ!
167TR-774:2007/02/22(木) 15:13:26 ID:W9epcGgA
なあ縦や斜めの移動なんか全然聴こえねえんだけど。
真ん中でダンゴになってるだけなんだけど。
お前ら聴こえるの?
168TR-774:2007/02/22(木) 18:29:56 ID:???
つーか、こういう技術は昔から普通にあるよ
http://gprime.net/flash.php/soundimmersion
169TR-774:2007/02/25(日) 05:57:49 ID:???
十年くらい前に遊園地で、
暗闇の中で立体的に聞こえるヘッドフォンして怖い話聴くってのがあったけど、
本気で怖かったし衝撃的だった。
あれに比べたら全然大した事ない。
170TR-774:2007/02/25(日) 16:36:23 ID:???
atak信者に、コレのどこが良い?って聞いたら、言葉で説明しそうだな
171TR-774:2007/02/25(日) 16:57:44 ID:???
>>170
言葉で質問している以上
言葉で答えるのは普通だと思うなあ
172TR-774:2007/02/25(日) 20:53:13 ID:???
ほらねw
173TR-774:2007/02/26(月) 02:54:02 ID:???
atak信者に、コレのどこが良い?って聞いたら、言葉で説明しそうだな
174TR-774:2007/02/26(月) 04:09:41 ID:???
>>172
おれはATAKの音源を聴いたことないのだよ。
期待を裏切って申し訳ない。
175TR-774:2007/02/26(月) 14:09:48 ID:???
必死だな
176TR-774:2007/02/28(水) 11:02:52 ID:???

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177TR-774:2007/03/03(土) 01:21:11 ID:XP+Lis++
池田亮司を聴いて、「メチャクチャ面白い!!」と言って、東京フォーラム、ICCまで自発的に見に行くようになった俺の彼女。
ATAKを聴いて一言「つまんない。なんかお笑いセンスつまんなそう」
178TR-774:2007/03/03(土) 01:39:01 ID:???
エレクトロニカ、ポストロック、音響系
http://music8.2ch.net/nika/
179TR-774:2007/03/04(日) 02:06:27 ID:???
>>177
だーかーらー
池田と渋谷を一緒にするなて
180TR-774:2007/03/04(日) 03:19:11 ID:???
つってもさ、池田は渋谷に関心があってさ渋谷も池田の事が好きなんだぜ?
相思相愛っていうんじゃないのかよ、こういうの。

ここにはATAK_NIGHT_3に対する書き込みも感想もないんだなw
そろそろ素直に渋谷さんの事を認める時期なんじゃないのかな、ベイベー。
181TR-774:2007/03/04(日) 18:29:06 ID:???
認める認めないとか見当違い

聞くけど既出のアイディアじゃない作品て因にどれ?
182sage:2007/03/07(水) 10:09:06 ID:9fv/z6b1
183TR-774:2007/03/09(金) 00:56:30 ID:???
渋谷さんてマーケティングと啓蒙に関しては才能あるよね
184長与乳房:2007/03/09(金) 03:48:45 ID:iecdzVMa
うんこ
185TR-774:2007/03/16(金) 00:15:34 ID:DLxb7gun
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2005/PossibleFutures/Performance/Image/performance04_3.jpg
豚の二重顎がかわいらしい。
目は整形らしいね。
186TR-774:2007/03/16(金) 01:27:11 ID:???
正面から見ると、異常なくらい受け口だよね。
鯉を連想した。
187TR-774:2007/03/17(土) 00:57:40 ID:eV0jez6k
F.BAYLEとかフランス周辺をDISってたよねこの人。
188TR-774:2007/03/17(土) 21:41:31 ID:???
      / ̄\
    .r ┤    ト、  すぐ俺に言え      (´`)  ∩
    |.  \_/  ヽ            (´ヽ )i⌒i,|
    |   __( ̄  |          `ヽ !、∪ノ`.|現在時刻
    |    __)_ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   ) ノ
    ヽ___) ノ   /           (_ノ⌒ ̄   (⌒)真実の爆弾投下
      i⌒ヽ     │__________________________│---    ノ ~.レ-r┐
      |    〉    │ミミ ''''''''''''  '''''''''''' │      ノ__ | .| ト、
同意見 ̄ヽ ノ     │ミミ::  -    -   │   〈 ̄   `-Lλ_レ′
   |  ノ_/、/⌒i( |:::            | )   ̄`ー‐---‐/´)
  / ̄ヽノ i /   i.  │    /    ヽ  ソ       i´ヽ/ ノ最後の帝王
  |   i   |⌒iノ/    |丶  /::┏━┓ ヽ |        / ノノー―‐┐
  `ー ´;ヾ `~'  i     |:    ┃- ┃   ;    ―イ ´ノ  ーーイ
   `ヽ ⌒ヽ/  ヽ    \______ _________ ノ          (、 ̄´
    〈 ___ノ i    〉                 ̄`ー―-(_ノ
      ヽ      /  未来に届け、この思い!       /⌒ーー 、
      `ー /^‐━,                      i (⌒  ,ヽ世界遺産
渋谷の首領 /ノ―、='、       / ̄`ヽ´ ̄ヽ_    ヽ_( ̄ ̄  ,)
       /´ /  / ̄`i、     /     /      )  i (_ ̄_   ノ
      ノ  丿   l   | `i   〈     ヽ   ,ノ⌒   ヽ(____ノ
      |   〈 l   〈 〉  |   / ヽ_ , _  |マジ興味ねえ
      ゝ         ,/  ノ  i  i!  〉 〉
       ヽ、      ノ  (_ノ|, 、||  ヽ⌒ヽ
                      |  | |  ⌒ヽノ
                     ヽ_ノ \_ノ



189TR-774:2007/03/22(木) 20:42:16 ID:1sB0bJZ0
Special Interview - 渋谷慶一郎『filmachine phonics』
http://www.apple.com/jp/articles/interviews/shibuyakeiichiro/
190TR-774:2007/03/22(木) 22:16:40 ID:???
191TR-774:2007/03/23(金) 00:57:55 ID:???
渋谷さん、ATAK NIGHT 京都 お疲れさまでした。
岩村さんは普段はちゃんとした人ですよ、
渋谷さんが不愉快な人間なので嫌がらせしたくなっただけですよ><
192TR-774:2007/03/24(土) 01:29:12 ID:???
>>189
堀江かw
193TR-774:2007/03/24(土) 02:01:02 ID:???
客層がキモいな。
194TR-774:2007/03/30(金) 04:16:51 ID:???
http://www.honeyee.com/think/2007/shibuya_nomura/index.html

渋豚さんのドライヤーで適当に乾かしました。みたいな髪型ってかっこいいんすか?
写真の日付が去年になってるんですけど
195TR-774:2007/05/14(月) 13:29:50 ID:usmarmcl
CDすごいよかった!!!
いろんなとこからサウンドが聞こえる!!!
196TR-774:2007/05/15(火) 19:25:38 ID:VGGApMys
Tシャツまた出して欲しい
197TR-774:2007/05/15(火) 21:30:18 ID:???
ニカ/音響板でやれ
198TR-774:2007/05/17(木) 16:35:57 ID:???
日記に「いつも、年齢より若くみられる。ヨガのおかげかな」
みたいに書いてあったんだけど


単純に、太ってるからじゃないのか?
199TR-774:2007/05/17(木) 19:29:55 ID:???
渋谷さんのヨガやってる姿
みたい(^^;)
200TR-774:2007/05/18(金) 04:39:34 ID:???
太ってるから、肌がパンパンでツルテカですからね。
201TR-774:2007/05/18(金) 19:16:26 ID:QkFh8uy2
メタボじゃ
202TR-774:2007/05/19(土) 04:54:28 ID:???
中原昌也と太り方が似てるような・・・
203TR-774:2007/05/19(土) 15:00:59 ID:???
mariaとかっていう寄生虫は元気なの?
204TR-774:2007/05/20(日) 01:31:55 ID:???
むしろ渋谷がmariaの寄生虫では
205TR-774:2007/05/20(日) 13:26:41 ID:???
mariaってかなりの美人さんなんですね
206TR-774:2007/05/20(日) 20:19:03 ID:JsIxgaym
ハーフ?
207TR-774:2007/05/22(火) 21:06:10 ID:0g/0oRWQ
mariaってミクシーにいるね
208TR-774:2007/05/22(火) 21:16:21 ID:???
こいつ音楽はそれほど嫌いではないがブログがキモいな
いちいちマズイ飯屋とかほぼ実名で書くなよ
そこそこは影響力あるんだよ
209TR-774:2007/05/23(水) 00:52:39 ID:???
影響力あるか?
210TR-774:2007/05/23(水) 01:26:09 ID:???
やりちん
211TR-774:2007/05/25(金) 11:56:48 ID:zG9O/wQW
サイトの第三項音楽進化論のページが中途半端な状態で終わってる
212TR-774:2007/05/26(土) 16:45:13 ID:Pmj/UkLC
この人、自分が好きなもの否定されるとすさまじい勢いでピキピキくるよな
水声通信のジョン・ケージ特集での池上との対談でもそんな感じで笑えた
213TR-774:2007/05/27(日) 14:46:33 ID:???
水声通信本屋に売ってない
自己啓発系PHP出版以外の本も仕入れてください・・・
214TR-774:2007/05/27(日) 20:25:26 ID:???
どういう文脈の人なのかよく知らないけど、
カールステン・ニコライや12Kあたりの音楽に似てますね。
影響とかあるんでしょうか?
215sage:2007/05/29(火) 12:31:01 ID:MriVf7YS
渋谷で生まれ育った人っていますか
216TR-774:2007/05/31(木) 21:42:10 ID:9s29x8mn
最初は一晩でスレ一本消費する勢いあって面白かた
217TR-774:2007/06/01(金) 00:19:50 ID:???
当時から佐々木敦とかが無理矢理持ち上げている感があったけど
218TR-774:2007/06/01(金) 04:41:13 ID:???
いや、もう重すぎて持ち上がらないですよ
219TR-774:2007/06/01(金) 15:47:43 ID:???
なのに渋谷の日記には「デブ」とか「太った奴」
といった記述が妙に多い気がするですよ
2201:2007/06/05(火) 23:59:17 ID:???
最初はそんなにスレ盛り上がってたのか!!それってATAK立ち上げた直後?
みたかったー
221TR-774:2007/06/06(水) 01:46:46 ID:???
おっぱいおっぱい
222TR-774:2007/06/06(水) 15:40:08 ID:???
223TR-774:2007/06/06(水) 20:16:32 ID:DaM0FVO5
この2つを見比べて誰かなんとか言ってくれ

Designers Republic
ttp://www.thedesignersrepublic.com

atak
ttp://atak.jp
224TR-774:2007/06/08(金) 16:45:10 ID:8WlBSyQR
アンジェラアキがリサ・ローブのぱくりで
おもしろくもなんともない
とかっていう日記には同感した

似合いもしないファッションとか、髪型とか、ジムとかヨガの話は
いらないと思うけど
225TR-774:2007/06/09(土) 08:07:59 ID:Ar364AGG
渋谷とか菊池成孔とか

外見に欠陥がある人って
結果、理論武装に走っちゃって
中も外も醜くなる
226TR-774:2007/06/10(日) 19:01:18 ID:???
人生の折り返し地点過ぎたと書いてたけど、弱気になるんじゃねーぜ!
渋谷らしく、えーと、魂。こめてがんばってちょ!
227TR-774:2007/06/19(火) 22:40:11 ID:???
>>222
今読むと、渋谷さん、相当書き込んでたのがわかるね。すげえ。
228TR-774:2007/06/20(水) 21:47:06 ID:???
渋谷さんがradioheadファン!
信じられん
229TR-774:2007/06/20(水) 22:43:30 ID:???
>>227
え、マジ?
ATAK擁護の書き込みは全部渋谷さんだと判断したなんてことじゃなく?
230TR-774:2007/06/21(木) 02:10:25 ID:AGVACF/N
>>229
渋谷乙
231TR-774:2007/07/05(木) 15:54:24 ID:???
>他の追随を許さずに、独自の音響芸術を極めるATAK。

どこが独自やねん
232TR-774:2007/07/06(金) 22:21:57 ID:nvPQ/Msj
渋谷さんの音楽を自分なりにまとめていい?

1、アクーースモニウムのように、複数のスピーカーを使う

スピーカーを空間的に配置して、色んな方向から音を鳴らす

2、アクーースモニウムから従来の音楽的な要素を抜く

ノイズを色んな方向から鳴らす

3、ノイズに動きをつける。(速度感とか距離感とかを変化させる)

まるで音が動いてるかのような、今までにない音楽的体感を得る

こんなとこかな?

ちなみにメルツバウのライブでは台風が目の前にあるような体感がある訳で、
低域から高域への駆け上がりで人が吹っ飛んだりする。
「音の運動」にびっくりして。
(まず渋谷さんはメルツのライブ行ったことないんだと思うが)

渋谷慶一朗とメルツバウがもし同じ日にライブしたら、
普通に渋谷さん負ける希ガス

二人の音楽を音の運動という単位で解体すればそうなる、という話だけど。
233TR-774:2007/07/10(火) 12:13:23 ID:???
あのさー、filmachine phonics聞いてるんだけど、これ、マジで上下方向の音の移動、ありますか?

渋谷さんには耳が悪い、とか一蹴されそうな感じですがw
それともヘッドホン周りのシステムが悪いんだろうか・・

聞いた方、どうです?
234TR-774:2007/07/10(火) 21:30:11 ID:???
上下方向は分からんが、倍音使いまくってるのは分かった。
235TR-774:2007/07/10(火) 22:53:59 ID:???
わからん、っていうのは、上下に動いてるように聞こえないってこと?
236TR-774:2007/07/11(水) 00:34:21 ID:???
最初よくわかんなかったけど途中からわかったよ。
俺の彼女は最初からわかったみたい。
237TR-774:2007/07/11(水) 04:07:57 ID:???
移動してるように聞かせようとしてるのは感じた。
渋谷は風呂敷を広げすぎだから、こうして被害者が出るんだよ。
もう少し慎ましくなれないのかなぁ?
238TR-774:2007/07/11(水) 13:04:46 ID:???
>>236
サンクス
まあ、はっきりとはわからないってことでいいのかな
ATAKの技術の問題じゃなくて松下の技術だからなー
音が上下に移動するのをはっきりと体感できたらホントにすごいと思ったのに
239TR-774:2007/07/11(水) 17:38:49 ID:???
インスタレーション版、はやく東京でやってくれないかな
240TR-774:2007/07/14(土) 08:23:01 ID:TtBJRNU3
おれも見たい。インスタレーション。
CDだとよくわかんねー。
241TR-774:2007/07/14(土) 08:32:05 ID:???
上下方向に動く音がそんなに聴きたいなら
そういうプラグイン買えば良いじゃん。すでにあるよ。
242TR-774:2007/07/14(土) 21:33:06 ID:???
あるある。GRM toolsのドップラーかければ音の移動なんて簡単にできる
243TR-774:2007/07/15(日) 03:28:52 ID:???
しっかし、渋谷ってどんな音楽作っても
自分が初めて試みたアイデアみたいな態度とるよね。
244TR-774:2007/07/15(日) 04:45:22 ID:???
真のパイオニアになれないのが渋谷の劣等感なんだと思う
245TR-774:2007/07/15(日) 12:05:11 ID:aVUQdZPW
プラグイン買えばいいじゃんって、それって音楽作る人に対して言ってるんだよね?
246TR-774:2007/12/30(日) 17:46:54 ID:???
豚浮上
247TR-774:2008/02/21(木) 23:52:16 ID:EDvuRDOq
上下とかまじどうでもいいしwwww
248TR-774:2008/02/22(金) 15:04:50 ID:???
>>243
おめでたいやつなんだよw
249TR-774:2008/02/25(月) 06:13:15 ID:ayaoV4Q6
24
250TR-774:2008/03/08(土) 00:53:31 ID:EYPQOCUz
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨・・・・・・
 (´)  (`)  (´) (´)  (`)  (´) (´)   (`) (´) (´)  (`) (´)  (´) (`)
. .ヘ⌒ヽフ  ε ⌒ヘ⌒ヽフ   ε ⌒ヘ⌒ヽフ  ε ⌒ヘ⌒ヽフ   . ε ⌒ヘ⌒ヽフ
(  ・ω・) (   (  ・ω・)  (   (  ・ω・)  (   (  ・ω・)   (   (  ・ω・) ブヒー
ヽ_ヽ-ヽヽ ノ,ノーヽ_ヽ-ヽヽ ノ,ノーノ_ノ-ノノ   ノ,ノーヽ_ヽ-ヽヽ  ノ,ノーノ_ノ-ノノ
 . ε ⌒ヘ⌒ヽフ    ε ⌒ヘ⌒ヽフ    ε ⌒ヘ⌒ヽフ  . ε ⌒ヘ⌒ヽフ
  (   (  ・ω・)   (   (  ・ω・)   (   (  ・ω・)  (   (  ・ω・) ブヒー
  ノ,ノーノ_ノ-ノノ    ノ,ノーヽ_ヽ-ヽヽ  ノ,ノーノ_ノ-ノノ   ノ,ノーヽ_ヽ-ヽヽ
251TR-774:2008/03/08(土) 16:49:56 ID:???
(´・(ェ)・`)
252TR-774:2008/03/08(土) 22:29:05 ID:w3+/WYLh
80年代のニュー赤とか坂本龍一の動きを追従して、信じてる節がある。
東浩紀に「モダニストなんだよ」って言われてビビってたけどw、
結局坂本龍一になれなかった村上龍だね、渋谷は。
253TR-774:2008/03/11(火) 04:10:11 ID:???
渋谷さんを馬鹿にするな
254TR-774:2008/04/27(日) 00:19:29 ID:y45GViY3
揚げときますね
255TR-774:2008/04/27(日) 00:20:29 ID:???
懐かしすぎるなこのスレ
256TR-774:2008/04/27(日) 12:40:21 ID:aiO3n+K4
ラスターから出んの?
257TR-774:2008/04/28(月) 14:29:31 ID:???
渋谷さん自分の夢を疑問形にしないで><
258TR-774:2008/04/29(火) 22:14:02 ID:Ar1UhtiR
坂本「リニアが嫌い」
渋谷「リニアが嫌い」
259TR-774:2008/05/04(日) 13:58:34 ID:???
必死に坂本に媚を売るが全く相手にされない渋谷。
260TR-774:2008/05/27(火) 22:50:53 ID:HpLoiD+F
揚げますね
261TR-774:2008/06/21(土) 03:13:12 ID:Xy9Sd6B1
マリア合掌
262TR-774:2008/06/21(土) 08:23:41 ID:vUOmam+6
マリアさんってなんで亡くなったの?
未だに信じられないんだけど

ttp://atak.jp/info/
263TR-774:2008/06/21(土) 08:29:05 ID:vUOmam+6
264TR-774:2008/06/21(土) 08:55:29 ID:ljn6CxNF
>>263
代わりに君が死ねば良かったのに。
265TR-774:2008/06/22(日) 20:42:49 ID:bpjIYcjj
マリアさんってモデルの方ですか?
266TR-774:2008/06/22(日) 21:05:03 ID:???
ATAK解散か…
267TR-774:2008/06/24(火) 09:11:13 ID:???
マリアさんもしかして自殺だったの?
268TR-774:2008/06/24(火) 12:39:08 ID:???
死因書いてないね
mixi退会してる?
269TR-774:2008/06/24(火) 23:15:10 ID:5iXA/MCq
東浩紀のblogで知った

mixiは多分残ってるんじゃね アド忘れたけど
270TR-774:2008/06/24(火) 23:24:24 ID:23wCWP+G
お塩先生「お前らぶっ殺しに来たんだよ!」

http://m.nicovideo.jp/watch/sm2542795
271TR-774:2008/06/24(火) 23:33:54 ID:5iXA/MCq
渋谷マリアを追悼するスレ【ATAK】
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/techno/1214317971/
272TR-774:2008/06/25(水) 02:22:57 ID:???
渋谷生`
273TR-774:2008/06/25(水) 02:28:29 ID:???
274TR-774:2008/06/29(日) 22:52:36 ID:???
俺からも
渋谷生`
275TR-774:2008/07/13(日) 21:13:26 ID:F2OMLhQe
あららww
276TR-774:2008/07/13(日) 21:20:46 ID:F2OMLhQe
渋谷さん、詩人になっちゃったの?
277TR-774:2008/07/17(木) 14:56:37 ID:cA1wAYK4
友達がマイミクだった。自殺の数日前に鬱死ってタイトルで日記を書いて
その数日後にミク退会・・・だったらしい。
278TR-774:2008/07/17(木) 15:04:50 ID:gHOXIXRe
日記の中身が気になるな
大体それなら渋谷は十分気付けたはずじゃん
279TR-774:2008/07/28(月) 18:15:09 ID:???
この人普通に精神状態ヤバくなってない?
大丈夫なのか?
280TR-774:2008/08/09(土) 14:30:41 ID:bZqTD42V
ATAKもここまでか..

短い期間だがよく頑張ったね
281TR-774:2008/08/10(日) 23:36:17 ID:iOMoQ9lT
for mariaって企画がサム過ぎるんだが。
悠治まで巻き込むなっつうの。
282TR-774:2008/08/11(月) 02:17:16 ID:???
うん.でもそれやらなきゃ渋谷死んじゃうかも
283TR-774:2008/08/12(火) 23:25:14 ID:???
渋谷てB型臭がぷんぷんするんだが
284TR-774:2008/08/13(水) 22:49:21 ID:nWkqmArJ
for mariaってほんと勘違いだよね

亡くなった人を思う事はこういうことじゃないよね

渋谷には常に人間的な未成熟さを感じてしまうのは俺だけか??
285TR-774:2008/08/14(木) 20:14:08 ID:???
うん。お葬式は済んでるんだし。
故人の誕生日を、内々じゃなく、ライブイベントにするなんて…
もし自分が親兄弟だったら、ちょっとカチンときてしまうかもしれない。
286TR-774:2008/08/14(木) 23:59:42 ID:55bwApeb
こりゃこのイベント録音してトリヴュート作りかねないな

天国のマリアさんはただゆっくり休みたかっただけなのに..

渋谷の愛はやっぱりどこかノーマルじゃない
287TR-774:2008/08/15(金) 09:24:29 ID:YkIaV/0s
故人の追悼イベントやるので出演して下さいって言われたら断れるか?
288TR-774:2008/08/16(土) 12:59:25 ID:???
Klockさんの時も思ったんだけど、なんかこういう形でのイベントって違うよな。
渋谷ブログも完全な構ってメンヘラーみたいだし、気味が悪い。
289TR-774:2008/08/16(土) 21:18:15 ID:vgVNZk8G
追悼イベントって言ってもセルジュゲンズブールの追悼イベントとは訳が違うぞ

ついこの前死んだ自分の奥さんのイベントをこんな時期にするなんて異常だろ

喪に服すという言葉を渋谷はしらないのか

イベントに誘われた人は断れないだろうけど迷惑に違いない

大体どんな気持ちで演奏すればいいんだ

チケットの予約が殺到しているなんて書いてるけど考えられない

率先してこれに参加する人間は故人を思うことをはき違えている
290TR-774:2008/08/17(日) 13:14:21 ID:???
悲劇に酔ってて気持ち悪いよ渋谷
291TR-774:2008/08/17(日) 17:34:44 ID:???
いっつも行間空けてる人って同一人物?
292TR-774:2008/08/18(月) 19:56:16 ID:???
で、弾く曲はどうせまた坂本の二番煎じなんでしょ?
293TR-774:2008/08/18(月) 20:16:38 ID:???
弾きながら感極まって泣くんですね、分かります。
294TR-774:2008/08/23(土) 22:23:52 ID:???
百歩譲ってイベントやるのは良しとしても、追加公演はないわw
儲ける気満々じゃねーか
295TR-774:2008/08/24(日) 13:29:06 ID:???
チケット取れなかった追加うれしい
296TR-774:2008/08/24(日) 17:03:44 ID:???
ATAKのこの後を結構リアルに予想してみた

・for maria終了後、渋谷氏自身が直々に編集を行った限定DVD「for maria」発売。

・mariaと交友のあったアーティストらが追悼の意を込めて制作した曲をアセンブラしたコンピレーションCD、「for maria」限定発売。

・ビーサンの刺繍入りTシャツ発売。

・ピアノ曲を作曲し、CDリリース。
タイトルに「for maria」は使われていないが、その苦難を乗り越える希望を感じさせるタイトルがつけられる。

その後、失ったものは二つあった事に気づく。
ひとつは「最愛の妻」。もうひとつは
「プロモーションやコネなどATAKへもたらす経済的資質の多く」。
297TR-774:2008/08/27(水) 00:29:19 ID:heddoRwB
多くの方に参加を望んでもらえて本当に嬉しいと同時に僕の見込み違いも確かにあったわけで、申し訳ないですがよろしくお願いします。今は盛大な誕生日パーティーにしてあげたいと思っています。

あほ
298TR-774:2008/08/27(水) 01:50:45 ID:8P3WmPtB
 
299TR-774:2008/08/27(水) 01:55:34 ID:8P3WmPtB
渋谷さん今年は儲かりそうですね。
300TR-774:2008/08/28(木) 18:35:00 ID:zFtj9q1s
追加公演は常識はずれだろ 他の演奏者は何回お別れ会すればいいんだよ
まわりはドン引きだな
301TR-774:2008/08/28(木) 18:36:56 ID:zFtj9q1s
っていうか既に精神的に病んでて冷静じゃないんだろうな
302TR-774:2008/08/31(日) 02:56:32 ID:???
PIRAMI  at 08.08.29(Fri) 20:16:37

普通
イベントを企画してTシャツの売り上げをかんがえたり、
その上
曲を書き下ろすなんて
配偶者を亡くしたばかりの人が出来ることじゃないと思うんだけど。。。

「僕自身の為でもある」

って
いう
911 なんだとおもうんだけど・・・

たとえば、作曲家としての先輩の人もたくさん
君のまわりにはいると思うんだけど

ちょっと立ち位置が違わない?

3つもコメント書いてしまったけど、
どれもすごい変だから、コメントかえさず消してくれていいです。

みんなに慕われてる渋谷くんを知ってるから
かえって心配です。
shibuya at 08.08.30(Sat) 05:42:36

うん、病院行ってください。
僕は僕のやり方でやるよ。
PIRAMI at 08.08.30(Sat) 10:24:21

はい。行って来ます。すいませんね〜。
303TR-774:2008/08/31(日) 03:05:32 ID:???
【渋谷の今後を予測】
mariaの死

渋谷収入激減

atak解散

モーニング娘。のアレンジャーとして引っ張りだこに。
304TR-774:2008/08/31(日) 12:41:11 ID:???
米欄メンヘラだらけだな・・
あとファッションに悩むスイーツ系の若者とか
305TR-774:2008/08/31(日) 13:17:11 ID:???
渋谷は病んでるが、PIRAMIも相当キモイ
プライベートで語れよ
306TR-774:2008/08/31(日) 15:32:10 ID:???
>08.08.28(Thu)

>あと明日のDJ来てください。エントランスフリーで場所は渋谷のビームスの裏です。
>できればATAK T着用で。
>着用の方は優先入場にしてもらいましょう。

(笑)
307TR-774:2008/08/31(日) 15:37:58 ID:???
必死だなw

ttp://pirami.vox.com/
ぴらみってこいつ?
308TR-774:2008/08/31(日) 19:29:55 ID:+dbNjYCM
笑 第2弾

もうすぐ限定のmariaTシャツが出来上がってくる。数日後にはATAK web shopに入荷するはずで、これは一般の方よりもここを見ているようなATAKのファン、友達に着てもらいたいから破格でリリースする予定。

こりゃだめだ
309TR-774:2008/08/31(日) 20:22:01 ID:???
死者をモティーフにしたTシャツを
「破格でリリース」とか言ってる時点で怖いよ渋谷。
310TR-774:2008/08/31(日) 20:36:22 ID:???
maria関連の色々、そういうのはクリエイティブとは違いますよって誰か教えてあげて
多分止まんねーぞ
311TR-774:2008/08/31(日) 23:35:22 ID:???
アパレルって粗利70〜80%くらい取ってんだぜ(バーゲンで半額セールとかやっても余裕で儲かる)
販売価格8,000円のATAK Tの原価は、2,000円位か(多分もっと安いw)

さて、破格の値段とは幾らになるか期待してみようじゃないか
312TR-774:2008/09/01(月) 00:51:10 ID:???
こうなるともう、死者を悼んでいるというより
営利目的にしか見えない。
313TR-774:2008/09/01(月) 23:56:49 ID:T0BinGSt
なんまいだー
314TR-774:2008/09/02(火) 03:24:57 ID:???
また粘着メンへらが日記に米んとしている
本人は励ましているつもりだろうが結果として追いつめている
315TR-774:2008/09/02(火) 08:03:22 ID:???
ほんとだ。PIRAMIきめぇ。
病院池って言われてるのに、意味理解してないねー
316TR-774:2008/09/02(火) 08:37:16 ID:???
PIRAMIは僕たちの代弁者である訳で、普通の人です。
渋谷は個性派であろうとするイタイ子です。
317TR-774:2008/09/02(火) 10:14:05 ID:???
渋谷:勘違い系
pirami:構ってちゃん
318TR-774:2008/09/02(火) 12:20:55 ID:???
 

       マリア、マリア、マリア安いよー!


              マリアのバーゲンセールだよー!(AA略)
319TR-774:2008/09/02(火) 20:05:33 ID:???
PIRAMIのブログ見てみたけどこれはひどい・・・
音楽の才能はどうか知らんけど、
頭のおかしな腐女子にしかみえん。
320TR-774:2008/09/02(火) 21:20:57 ID:???
>頭のおかしな腐女子
二回しか会ってないのにmariaと友達面してるしねー

321TR-774:2008/09/03(水) 18:25:05 ID:???
mariaTシャツの値段が全然破格じゃない件について
322TR-774:2008/09/03(水) 19:29:17 ID:???
323TR-774:2008/09/04(木) 01:02:17 ID:DH4I0COb
カンパってやつか。。
周りの奴等は災難だな。
324TR-774:2008/09/04(木) 17:30:19 ID:???
243 :7分74秒:2008/02/06(水) 22:49:17 ID:WOcFSYRZ
職業なんだから金は稼がんとなぁ。
高橋悠治って裕福なのかな。
金持ちには見えんかw

250 :7分74秒:2008/02/08(金) 20:26:22 ID:/YODhk0u
>>243
ピアノならうと一時間10万、作曲でも一時間10万だぞ。

251 :7分74秒:2008/02/08(金) 23:46:59 ID:hVqly/Qk
>>250

ホンマかいな。

253 :7分74秒:2008/02/10(日) 06:45:33 ID:adrfAU7H
>>250
いい先生だとそのくらいはとるね
ただ、俺はその半額ぐらいだったぞ

255 :7分74秒:2008/02/10(日) 08:49:10 ID:4QL5SVdx
10万払って禅問答っすか。

256 :7分74秒:2008/02/10(日) 10:19:18 ID:0sDG5IMH
>>250
どこの有名音大教授だよw
そもそも悠治は他人にものを教えるのをもっとも嫌うタイプ

257 :7分74秒:2008/02/10(日) 11:03:35 ID:cCmj/r2h
あほくせ
325maria の知人:2008/09/04(木) 18:29:14 ID:9mx9UOQY


Tシャツの納品をやってたのはmaria
今、それを渋谷さんが、必死にやりながら
曲かけないかもって
格闘してることは
かなりmaria にとっては供養になってると思います。

問題は、
911の後とか
ぷつっとやる気がなくなった時に
何もかも
めんどうくさくなったり、
気持ちの緊張感が途切れた時です。

誰かお金持ちの方
(オノヨーコ とか)

渋谷になんらかの方法で、お金を振り込んであげてください。

とりあえず、お金があれば、1年間海外でゆっくりするとかで、
すこしは正気になれるし
渋谷慶一郎という個性を
僕らも失わなくてすみます。

326TR-774:2008/09/04(木) 22:05:12 ID:???
>>325
おまえ改行の仕方でPIRAMIってバレバレ(笑)。
病院行こうね。
327TR-774:2008/09/05(金) 19:33:56 ID:???
おまえらPIRAMIさんを馬鹿にしてるが
彼女の曲を聴いたら何も言えなくなるぞ
328TR-774:2008/09/05(金) 20:32:35 ID:???
「僕」とか言ってるし
329TR-774:2008/09/05(金) 21:07:01 ID:???
そっとしておいてあげようよ
渋谷もにちゃん見ない方が良いよしばらく
330TR-774:2008/09/06(土) 01:24:02 ID:RCk2KhXM
渋谷みたいなガチガチな頭のやつの作るモノは心に響かないんだよね。
芸術にも色々なタイプが有っても良いんだけど、
問題は糞色の人間性。あまりチョロチョロしないでね。
331TR-774:2008/09/06(土) 01:44:12 ID:???
>>325
むしろ失いたい。
332TR-774:2008/09/06(土) 03:03:44 ID:???
空気を読めないひとに「空気読め」と発声することは、それが「空気を読むべき場である」と
空気によって伝えるパフォーマンスに失敗した結果であるから、これは敗北宣言と言ってよい
(←「自分(たち)のペースを降り、(すくなくともその一言を発するため)相手のペースに
乗らざるをえなくなった」)。
まあ大概のひとは「空気」に対する感覚力と同等の操作力は持っていないわけだから
(演技の良し悪しがわかるひとのすべてが、自分のわかる上限の演技ができるわけではない)、
その自らの内部のギャップによってやらかしてしまう不粋ってかんじか。
で、「空気読んだうえで空気読まない」芸というのは、各人のそうしたギャップにつけこんで
リアクションを引き出す立場なので、トリックスターでありまたは肉食側といえるわけだ。
さらに、このような空気主義者にとってコミュニケーションとは決闘でなく舞踏会なので、
誰が勝とうが負けようがお構いなしに場は続いていくという世界観になる。
だからこの場合で「敗北宣言」といっても、自アンでいう「「釣れました」は敗北宣言」
ほどには強いニュアンスではない(←「釣れました」の敗北度はまさに「必死」だが、
「空気読め」は立場上の死を意味しない)。
しかしまあ、やはり、許容範囲というか、手の内の一部は明かすことになる。
333TR-774:2008/09/06(土) 03:04:12 ID:???
空気を読めないひとに「空気読め」と発声することは、それが「空気を読むべき場である」と
空気によって伝えるパフォーマンスに失敗した結果であるから、これは敗北宣言と言ってよい
(←「自分(たち)のペースを降り、(すくなくともその一言を発するため)相手のペースに
乗らざるをえなくなった」)。
まあ大概のひとは「空気」に対する感覚力と同等の操作力は持っていないわけだから
(演技の良し悪しがわかるひとのすべてが、自分のわかる上限の演技ができるわけではない)、
その自らの内部のギャップによってやらかしてしまう不粋ってかんじか。
で、「空気読んだうえで空気読まない」芸というのは、各人のそうしたギャップにつけこんで
リアクションを引き出す立場なので、トリックスターでありまたは肉食側といえるわけだ。
さらに、このような空気主義者にとってコミュニケーションとは決闘でなく舞踏会なので、
誰が勝とうが負けようがお構いなしに場は続いていくという世界観になる。
だからこの場合で「敗北宣言」といっても、自アンでいう「「釣れました」は敗北宣言」
ほどには強いニュアンスではない(←「釣れました」の敗北度はまさに「必死」だが、
「空気読め」は立場上の死を意味しない)。
しかしまあ、やはり、許容範囲というか、手の内の一部は明かすことになる。
334TR-774:2008/09/06(土) 03:04:27 ID:???
空気を読めないひとに「空気読め」と発声することは、それが「空気を読むべき場である」と
空気によって伝えるパフォーマンスに失敗した結果であるから、これは敗北宣言と言ってよい
(←「自分(たち)のペースを降り、(すくなくともその一言を発するため)相手のペースに
乗らざるをえなくなった」)。
まあ大概のひとは「空気」に対する感覚力と同等の操作力は持っていないわけだから
(演技の良し悪しがわかるひとのすべてが、自分のわかる上限の演技ができるわけではない)、
その自らの内部のギャップによってやらかしてしまう不粋ってかんじか。
で、「空気読んだうえで空気読まない」芸というのは、各人のそうしたギャップにつけこんで
リアクションを引き出す立場なので、トリックスターでありまたは肉食側といえるわけだ。
さらに、このような空気主義者にとってコミュニケーションとは決闘でなく舞踏会なので、
誰が勝とうが負けようがお構いなしに場は続いていくという世界観になる。
だからこの場合で「敗北宣言」といっても、自アンでいう「「釣れました」は敗北宣言」
ほどには強いニュアンスではない(←「釣れました」の敗北度はまさに「必死」だが、
「空気読め」は立場上の死を意味しない)。
しかしまあ、やはり、許容範囲というか、手の内の一部は明かすことになる。
335TR-774:2008/09/06(土) 03:52:05 ID:???
他人のブログを閉鎖に追い込もうと必死で、誹謗中傷の繰り返し。
その結果FC2凍結。
一切反省はなく、すぐにアメーバに移動。
現在のブログ
http://ameblo.jp/moonstone-17/

過去の記事は全部削除。のうのうと運営し続け。
しかし、ひどいのが一個残ってる。
「月石の青い光」「読めなくなったブログ」でググって
キャッシュで読んでみて。
こんなひどいのって許される?

下品なおばさんのブログ。遊びの彼氏の「モッコリ」が好きなんだって。
336TR-774:2008/09/06(土) 03:53:25 ID:???
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/mental/1214062809/301-400


>383 :優しい名無しさん:2008/06/28(土) 12:54:30 ID:NjCjFcDw
>もうひとつ 非常に迷惑なので
>言っておくけどね 俺
>「南条あや 研究家」 なんて いつ言いましたっけ
>紛争処理ネゴシエーター だよ

苺氏が生前の南条あやのメールさらしたり父親がでてきたり・・・
一人5役の紛争処理ネゴシエーター(ただの逝かれた基地外)まで出てきて
ワロタ
337TR-774:2008/09/06(土) 03:53:51 ID:???
「LOVE×SMILE」
愛と笑顔で…
「WORLDPEACE」
世界をもっと楽しくしよう♪

俺たちは…
たった一つの丸い地球に生まれた。

身体の色も…
生まれた場所も時間も…
信じるモノや考え方さえも…
それぞれが違うけど…

「この指とーまれ♪」

By くせ者
http://ameblo.jp/6hearts-oneworld/
http://ameblo.jp/6hearts-oneworld/entry-10097289078.html
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=10416156
338TR-774:2008/09/06(土) 03:54:35 ID:???
晒してる奴等全て女と思い込んでる
ナルシストきもジャニヲタ荒らしや
晒しでは捕まらない
^^
ウザい粘着ブスヲタ 自分が
クォーターと言う事を自慢しまくってる
痛々しいナルシスト

http://www.alfoo.org/diary18/ajh/

http://blog.crooz.jp/usr/sexyboyjinkun/sexyboyjinlife/

仁と健はあたしの物

友達の彼氏を寝盗ったあばずれ

嫌いと書きながらヤる
自称
テレビ局社長と繋がり
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
339TR-774:2008/09/06(土) 03:55:33 ID:???
http://ameblo.jp/aonyanxx/entry-10099294906.html#c10147321324
2008-05-23 07:36:40

昨日は免停の
講習に行ってきました♪
朝から夕方まで...
実に長かった.....。
9時からだから
そんくらぃに行けばぃいと
思ってゆっくりしてたら
用紙をょく見たら
8時半までに受け付けを
行ってくださぃ!!!!

ん・・・・・!!!?
只今の時刻!!!!!
8時20分(笑)

バイクでぶッ飛ばして
免許センターへ.......。

お父さんが送ってやるって
言ったのに帰ってこなぃから
免停中に乗ってしまった(泣)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
340TR-774:2008/09/06(土) 03:56:19 ID:???
ネットは危険だのなんだのと、もっともらしい事を書いているが
http://limo.jp/a.php?rs=910901262057
そういう自分はネットストーカー
http://sid0525.006.burogu.jp/
その上、オンナ大好き出会い厨
http://0bbs.jp/loup/

http://b4.spline.tv/sidvicious/
http://0bbs.jp/sid/
341TR-774:2008/09/06(土) 03:56:53 ID:???
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=kiseki52
なりきりサイトで自分が
ちやほやされなくなってきたら
機嫌悪くして連絡なしに閉鎖しすぐに新しいなりきりサイトを立ち上げ続ける阿呆管理人。
これは今日オープンした新設サイト。
日記はhttp://id2.fm-p.jp/222/tukinohana33/index.php?module=viewdr&action=ptop2&stid=3
342TR-774:2008/09/06(土) 03:57:14 ID:???
343TR-774:2008/09/06(土) 03:57:32 ID:???
http://blog.auone.jp/amakishiyokitare/

うつ薬中毒
逃げられた、元妻に責任転換な男
キモい
344TR-774:2008/09/06(土) 03:58:33 ID:???
http://blog.crooz.jp/usr/xxssxyyxx/xxssxyyxx/

http://blog.crooz.jp/usr/SakUrAisHo0125/1103AraShi/

http://blog.crooz.jp/usr/xxluvxxj/xxluvxxj/

自称達のオンパレード
wwwwwwwwww
被害妄想してる時間があるなら
人生の勉強してから、ネットに来てね^^

ド不細工3人組
証拠無し
345TR-774:2008/09/06(土) 15:12:51 ID:jz6+M+GN
 この無意識の反応は、善くも悪くも、長い間、自らの心の中に培われて
きた人類の意識のクセである。それが常識であれ、知識であれ、教養で
あれ、情報であれ、自己防衛手段であれ,,,,,,人類が生き抜く為に、長い間に
わたって身に付けてきたクセである。
 この思いのクセ、習慣のクセ、体験のクセ、歴史的、文化的に身に付けて
きたクセ、伝統的なクセ、環境によるクセ,,,,,,,,などは、そう簡単に変わる
ものではない(無限なる能力!)。

 例えば数年まえのこと。内モンゴルの空港の待合室で、いくつもの椅子を、
5、6人の男女が占領し、自分たちの荷物やテントを置き、さらに各々が、
三つの椅子を確保し横に並べて、寝そべっていた。椅子にすわれず立って
いる外国人旅行者がいるのに、である。
 彼らは少しも気にすることなく、のんびりと食べたり飲んだり、大声で
しゃべったりしていた。教養も知識もない人たちだと思えたのだが、よく
よく眺めていると、彼らは実におおらかで、平和で、人の良さそうな、
穏やかな顔をしているのである。

 彼らにとって、それは横柄な態度ではなく、当たり前の全くの自然体
だったのである。大草原で馬を駆り立て走り回り、テントで暮らしている
彼らにとって、他人との距離感や個人的な空間の取り方が、理解できて
いなかっただけのことである。
346TR-774:2008/09/06(土) 15:14:55 ID:???
 我々日本人はといえば、狭い島国で一億人以上の人々が暮らしている。
 特に過密都市に住んでいる人々にとって、空間は大変貴重な存在である。
毎日ギューギュー詰めの満員通勤電車に揉まれて、雑踏の中を人とぶつかり
合いながら、歩いているのである。また、小さなオフイスでは、仕事の
内容の話し合いであっても、他の人々に遠慮しながら話す、というように、
小さくなって働いているのである。

 日本人は無意識のうちに、他人に迷惑がかからないよう、少しでも多くの
人が限りなく座れるよう、譲り合い、詰め合いながら、配慮して座る習慣が
あるのである。そんな習慣があるのである。そんな習慣のクセを身に付けて
いる私などは、たくさんの座席を占領して、寝そべっている人々を見た時、
つい呆れてしまったのである(無限なる赦し!)。

 今の例は、ごくユーモアあふれる、一例であるが、世の中はこんな
生ぬるいものでは決してない。みなとても深刻である。
 国の違い、経済の違い、政治の違い、宗教の違い、伝統の違い、文化の
違い、歴史の違い、思考の違い、教育の違い、環境の違い、人種や民族の
違いからくる、長い長い習慣のクセ、体験のクセ、思考のクセはそれこそ、
それこそ一朝一夕で切り崩せるものではない。
 大きな弊害となって、人類の上ののしかかってくるのである。

 それらあらゆる違いからくる思考、体験、習慣のクセ、信念のクセには、
善いものもあるし、弊害になるものもある。だがどちらにせよ、その違いを
根こそぎ破壊して、すべてを改革しようと思うと、それは大変なことと
なる。混乱を生じさせ、対立を生じさせ、争いを生じさせ、それこそ戦争
にまで発展しかねないのである。
 そんなことでもしようものならば、人類は自らの手で破滅の道へと
突っ走っていってしまうのである。
347TR-774:2008/09/06(土) 15:18:43 ID:jz6+M+GN
 人類はみな、同じことを繰り返して生きているのである。
 たとえそれが無意識であれ、意識的であれ、常にマイナスのことを
思えば、それがマイナスの現象を引きつけるのである。全人類的にそれを
繰り返しているのである。
 この悪連鎖の輪の想念を断ち切らなければ、世界と個人の平和も幸せも
ないのである。

 すべては個々人の意識の持ち方次第で、人生は変わるのである。世界も
変わるのである。人類一人一人が最も強く思っていることが、自分に対する
不安や不信であるならば、人類の未来は不安や不信から脱することは
出来ない。そこに神人の存在理由があるのである。
 神人が常日頃、強く思うことは、思いつづけることは、そして思うより
限りなく努力しつづけていることは、「我即神也」「人類即神也」
「成就」そのものである。

 それしかないため、たとえ人類のすべてがマイナスの思考想念を繰り
返し、想いつづけていたとしてさえも、神人がこの世に存在する限り、
マイナスの状況をプラスに、光に希望に変換しつづけているのである。
348TR-774:2008/09/06(土) 15:19:59 ID:???
 人類は決して一人では生きてはいかれない。
 生きとし生けるものすべての生命の犠牲によって、我々は食物の糧をとり、
初めて生きてゆかれるのである。そして、特に重要なことは、神によって
生かされているのである。その恩恵を忘れ果て、自分だけで生きていると
勘違いをしてしまっている。

 そして、そのように傲慢になっている人類が、逆に、自分自身を全く
信じられないのである。「何をしても出来ない」「不可能、無理だ」と
思い込んでしまっている。自らの固定観念で自らを縛り付け、そのあげく
にその枠から抜け出せずに苦悩しつづけて、自分には「自由がない」など
と叫んでいるのである。
 そのような愚かさに一刻も早く気づくべきである。自分に確固たる自信が
ないからこそ、人の目を恐れ、人にどう思われるかが悩みの種となる。
そして、自分に信念がないから、常に迷い、疑い、自信がない。こういった
生き方を人類は繰り返し、果てしなく繰り返している。

 このような信念こそが、今の自分の人生を創造しつづけてきたのである。
自信のない自分。信念のない自分。固定観念に縛られている自分。そして
自由がない、希望がない、輝かしい未来がないと思い込んでいる自分。
 そういう思いを常に発信しつづけているから、そういう人生が自分に
引きつけられてくるのである。悪循環の最たるものである。
349TR-774:2008/09/06(土) 15:23:55 ID:???
 故に、自分の人生に起って欲しくないこと、生じて欲しくないこと、避け
たいことに対しては、限りなく自分の思考感情想念を、そのマイナスの一点
一方向に集中させるのを止めることである。
 また病気に関する恐れや、死に対する恐怖、事故や事件、そして自然災害
などに巻き込まれそうな不安や要因など,,,,,,,、そうしたマイナスの思考感情に
把われないよう、極力、自己コントロールが出来るよう、努力することが
大切である。

 それこそ、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の中に、それらのマイナス
の不安、恐怖の念を投げ込み、自らの心から放つことが大切なのである。
 そして、「我即神也、成就、人類即神也」という究極の真理の呼吸法を
しつづけることである。神人たる者は、言うまでもなく、すでに過ぎ去りし
過去一切の想念から想いを放ち、未来に向けて、ただ一点一方向「我即神也」「人類即神也」「成就」のみに、意識を集中させ、生きるべきである。

 人間というもの、自分の心を放っておけば、限りなく日々瞬々、ダラダラ
と下らないことに思いをはせる。次から次へと止むことなく、途切れること
なく、現われては消えてゆく、つけっぱなしのテレビのようなものである。
 そのような無駄な時間、無駄なエネルギー、無駄な働きを止めるべきなの
だ。そして、生命のある限り、自らの生命エネルギーをプラスの方向、ただ
それ一点のみに集中させて生き切るのである。
 それが出来る人こそが、聖人、賢人、神人と称される人たちである。

 宇宙の法則は、厳然たるものである。それがたとえ、いかに不可能と思える
出来事や状況や環境であろうとも、自分が不可能と思わなければ、不可能では
なく完璧に可能なのである。
 不可能という思いの一点一方向に意識が集中するからこそ、不可能になるのである。
 思えば、人間は自らの全生命に感謝を忘れてしまっている。あまりにも傲慢
になりすぎて生きてしまっている。生きていることに対し、当然のことのよう
に考えているのである。それはとんでもない誤りである。
350TR-774:2008/09/06(土) 15:28:25 ID:???
 自分が今、考えていることが、自分の未来を創り出してゆく。それが人生で
ある。人はすべて一人残らず、誰一人の例外もなく、自分の人生を自分の思考
感情で作り上げているという事実。そこには不平等も不条理も差異もない。
 そして人間とは、一瞬たりとも思考を止めることなく、常に思考しつづけて
いる動物であると言えるのである。と言うことは、常に創造しつづけていると
いうことでもある。

 特に、意識的であれ、無意識的であれ、自分が一番把らわれていること、
執着していること、不安に感じていること、恐怖を抱きつづけていることに
ついて思いつづけている。自分が今、一番頭から離れないこと、その一点
一方向に向けて集中し、そしてそれは必ず自分の人生に実現してゆくのである。
 であるからこそ、自分の人生を振り返ってみると、自分が一番なって欲しくない状況や、不安や悩み、心配ごとが、逆に、人生の上に生じていることに、
気づかされるのである。

 いかに自分の思考エネルギーがそのことに把われ、その一点一方向に集中していたかの証である。
従って、今、自分の人生を振り返ってみて、自分が今日まで歩んできた過去に思いをはせた時、
少しの幸せな時も、喜びの時も、平安な時も、満たされた時も、安らかな時も、感謝の時も見いだせないという人は、それだけ自分の思考や感情が、
善きことのみの一点一方向に、集中出来ていなかったことになるのである。
351TR-774:2008/09/06(土) 15:29:25 ID:???
 それだけマイナスの方向にエネルギーが向けられ、集中していたことに
なる。結果、そのような現実が創造されていったのである。
 逆に、自分の思考や感情のエネルギーが、「我即神也」「人類即神也」
「成就」の一点一方向に向けられ、集中した時、其れは100%現実化されて
くる。故に、世界人類一人一人すべてが、一人残らず自分の人生を創造して
いると言えるのである。

 いかなる人も一人の例外もなく、自分が日頃何を考え、何を思い、何を
煩い、何を想像し、何に向けられているかによって、人それぞれの人生が
編み出されてくるのである。
 故に、決して一瞬たりとも、一時たりとも、一片たりともマイナスの思考
感情想念を抱いては駄目なのである。その真実を心から知るべきである。

 だが、仮に抱いたとしても、必ず消えてゆく姿で世界平和の祈りに入れ
込むか、「我即神也」の真理に思考を切り替えれば、すべては全く消え去る
ので、現実化はしない。真理の法則は絶対である。
 絶対であるからこそ、その通りの結果が自分の人生に、顕現されてくるの
である。イエスの言われた通り、「自らが蒔いた種は自らが刈り取る」ので
ある。全くその通りである。

 そして、自分の蒔いた種こそが、自分の未来を創り出してゆく因である。
352TR-774:2008/09/06(土) 19:47:39 ID:???
スレッド終了?
353TR-774:2008/09/06(土) 20:18:31 ID:???
 人間というものは 別れてはいるけれども
  実は 元は一つなのです
  それがわからないで
  地上の肉体の世界ばかり見ている人達が
  神様を離れてしまって
  神様である人間を忘れてしまって
  業想念を作ったんです
  あなたと私は別なんだ 向こうとこちらは別なんだ
  と 全然別個に考えた
  いわゆる相対的にものを考えた
  ところが相対的というのは 現われの世界だけであって
  本当の霊の世界においては 絶対なのです

  太陽から光線が出ていますね
  それを見て ああ光線は別々だとは思わない
  それと同じように
  人間は「絶対」から出ている光線なのです
  人間は神の子なんです 神の子人間なんです
  それを神というのを忘れて
  人間という 肉体人間になってしまった
354TR-774:2008/09/06(土) 20:19:29 ID:???
  肉体人間というものより
  霊的人間の方が 非常に感受性が強い
  運命の危険な線も 避けることが出来るようになる
  守護霊や守護神の注意が すみやかにわかるのです
  自然に危機というものを避ける力が強くなる

  例えば放射能というものがある
  放射能の波は やはり物質の波ですから
  放射能を受けても
  あまり感じなくなるということになるでしょう
  住んでいる次元が違ってくるわけです
  肉体にいながらも
  自分の住んでいる世界は 霊界になってしまう
  そういう人がたくさん出れば
  不幸がそれだけなくなるのです

  人間は物質だ 肉体だと思っている
  その意識はなかなか消えません
  相当長い間 つめこんで聞かされないと
  人間は肉体だと思っています
  人間は物質だと思っています

  頭が痛い ああ病気と思います
  ところが私どもの世界では
  頭が痛くても 腹が痛くても
  別に病気だと思うことはありません
  波がかかって来て 消える姿だと思っているんです
  みんな波だと思っているんですよ
  全部現われがすべて波だと思っている
355TR-774:2008/09/06(土) 20:20:07 ID:???
「消えてゆく姿」というひとつの真理は、
 実践している人たちにとっては、
 何と言うことのない習慣になってしまっていて、
 初めて知った方や、やり始めてから、そんなに時間の
 たっていない方々にとっては、そう効果があるわけでは
 ないし、ある種、なかなか消えそうもないので、
 厳しい面もあるかと思う。

 しかし、「自他を赦す」という「究極の愛」に覚醒する
 までのプロセスとして「消えてゆく姿で世界平和の祈り」
 という方法を、教えていただいたことは、私にとって
 何よりの僥倖だったといえる。

 このポイントは「消える」、即ち「有限である」という
 ことであろう。病気も不幸も貧しさも、個人の争い、
 紛争も戦争も、みな有限であり、いつかは消え去ってしまう。
 無限なものは、ポジティブな自分、光そのものの自分、
 肉体いつかは消えても、魂は永遠に生き続ける。

 辛さも苦しさも、悲しみも淋しさも、憎しみも妬みも、
 痛みも傷みも、怒りも憤りも、すべて「消えてゆく」。
 自分の中からこのような激しい、暗い、じめじめした
 ネガティブな感情がなくなったら、どんなにか肩が軽く
 なるだろう。
 どんなにか胸のつかえがおりて、いつも笑顔でいられる
 だろう。
356TR-774:2008/09/06(土) 20:37:18 ID:zmf2r0sN
で?? 渋谷の話は?
357TR-774:2008/09/06(土) 20:46:03 ID:zmf2r0sN
今日はじめてTしゃつみたけど ビビった
http://cart02.lolipop.jp/LA08128271/?mode=ITEM2&p_id=PR00101444436
358TR-774:2008/09/06(土) 22:48:03 ID:???
死体写真なのこれ?
359TR-774:2008/09/06(土) 22:48:27 ID:???
本当の人間の姿というのは、神さまそのものの完全な姿
 愛、調和、喜びというものです。
 人間は神さまから分かれてきたもので、
 神の分霊(わけみたま)であり、
 分生命(わけいのち)です。

 その分霊、分生命が肉体という
 不自由な形の世界に入ってしまったものだから、
 肉体界の制約の中で生きなければならなくなったんです。
 そしてだんだん神としての自分を忘れてしまい、
 長い時間がたち、迷いがだんだん深くなり、
 神さまなんか、霊魂なんかあるかないか分からない、
 人間は、肉体だけだと思っているのだから、
 「死んでしまえばそれまでよ」と思っている。

 ところが浪花節の文句じゃないけど
 「バカは死ななきゃ治らない」というのは、真実なのです。
 死んでみると、意識がよみがえりますから、
 初めて、
 「ああ肉体だけじゃなかったんだ」
 「霊魂というものがあったんだ」
 「幽体というものがあったんだ」
 「霊体というものがあったんだ」
 ということがわかる。

 しかし、死なないうちにわかってもらいたいと思って、
 私はいろいろ説いているわけです。
360TR-774:2008/09/06(土) 22:49:05 ID:???
肉体の他に体があるのです。
 肉体に霊魂が入る前に、霊体をつけ、
 それから幽体をつけ、それから肉体をまとう
 そのようになっているんです。
 その霊体であり、幽体であり、肉体である人間が
 この地上界に生きている。
 ですから人間は肉体の中だけに生きているのではなくて、
 幽界にも、霊界にも、神界にも生きているのです。

 この幽界の幽体の中に潜在意識というものが溜まっている。
 前の世の想い、その前の世の想い、いわゆる過去世の想いが
 いっぱい溜まっていて、その過去世の想いの善悪に従って、
 この世の現象の幸、不幸の生活が出来ている。
 だから誕生するにも、ある人は貧乏なところに生まれる。
 或いは金持ちで、いくら使っても使い切れないような
 ところに生まれる場合もある。
 天皇陛下の子供に生まれる子もある、というように
 生まれながらにして、生まれる場所が違います。

 才能ということも違ってきます。
 生まれながらにして非常に鋭敏なる頭を持っている
 かもしれない。
 生まれながらにして勉強のほうはお留守かもしれない。
 或いは五体不満足かもしれない。
 生まれながらにして運命がみんな違っています。
 違うということは、過去世があるという証拠なのです。

 この不平等なこの世を造ったのは誰かというと、
 人間自身なのです。神さまの責任ではありません。
 私が説くのは、神さまは完全円満で
 悪いことを造っていない。
361TR-774:2008/09/06(土) 22:50:12 ID:???
 どうすればいいのかというと、いつでも自分は、
 神様に守られているものだ、という想いを強くすることです。
 自分の中にある、「私は神経質なんだ」「私は臆病なんだ」
 「私は短気なんだ」「私は傲慢なんだ」などという想いは、
 どうにもならない、直らないと思っている以上は直りません。
 そういう想いはそのままに、自分を責め裁かず、
 ただひたすら、
 守護霊さん守護神さんありがとうございますと、思っていると
 消して下さるのです。

 ところがほとんどの人は、自分に守護霊がついて
 一生懸命守ってくれているとか、守護神が守ってくれていると
 いうことがわからないんです。
 だから、自分の運命が悪くなってしまう。
 それで霊能者などに「うちの神様を拝め」なんて言われると
 ついてゆく。なんだかお経や呪文を唱えたりする。
 そんなことじゃ救われませんよ。
 何故かというと、自分の魂の力、神性を一番良く知っているのは、
 守護霊であり、守護神なのです。自分なんですよ。
 なのに、他人に頼む必要はないでしょう。

 ひどいのがあるのですよ。
 あなたに良い守護霊をつけてあげますと。
 バカいっちゃいけないよ。自分の魂についているのに。
 うちで守護神をつけてやるからと、お金を要求する。
 お金で守護神がつくわけがない。
 もともと自分と一体なんだから。

 信仰というのは、自分の力を出すこと、
 自分の中の神様を出してくれるというものなのです。
 それを、本当の宗教というのです。
362TR-774:2008/09/06(土) 23:05:15 ID:???
どんなものも消えないものはない
  どんなシャクの種も、やがて消えてゆく。
  そのシャクの種を、再び呼び戻すからいけない。
  例えば前に失敗した経験を、また繰り返して
  「あの時ああしなければ、こうしなければ」という。
  そんなこと言ったって、しちゃったものは仕方がない。
  覆水盆に返らず、というでしょう。
  してしまったことを、いつまで悔やんでもしょうがない。

  ところが大概の人は、してしまったことを悔やむのです。
  また、してしまったことを怒るのです。
  「お前、バカなことをしてしまって、このやろう」と怒るでしょう。
  やったことは仕方がない。
  相手は「しまった」と思って、自分で自分をいじめているところに
  また誰かに叱られる。

  子供が失敗する。
  そうすると親がかさにかかって怒っていますね。
  一緒にいた子供がどぶに落っこちたりすると、
  よく、お母さんが怒っています。
怒ったって、子供の方は災難なんです。うっかりして落ちたんだから。
  どぶの中で泥だらけになっているのに、親が叱りつけて、おまけに
  お尻を叩いている。どぶに落ちて痛いのに、そこから上がったところを
  お尻を叩かれちゃかなわない。
  それを盗人に追い銭という。みんなやっています。

  してしまったことは「消えてゆく姿」。
  しまった、どぶに落っこちた。
  「ああ痛い。これはもっとひどいことがあることが消えて、
  こんなに軽く済んだんだ。ありがとうございます」
  そう思えばいいのに、かさにかかって怒る。
  これはダメですよ」
363TR-774:2008/09/06(土) 23:09:50 ID:???
364TR-774:2008/09/06(土) 23:14:52 ID:???
子供を叱る場合でも、感情的に叱ってはいけない。
  私はいつも言うんだ。
  「心臓がバクバクするような叱り方をしてはいけない」
  いくら大きな声で怒鳴りつけてもいいから、
  心臓が平静でなけりゃだめですよ。
  子供を叱るのでも、夫を叱るのでも、妻を叱るのでも(笑)
  心臓がバクバクするような叱り方では、悪影響を及ぼす。

  たしなめなければならない場合もあります。
  子供でも夫でも妻でも、注意しなけりゃならないことがあるんだから、
  注意するのは結構だけれど、心臓がバクバクするというのは、
  注意ではなくて、感情で怒っているんです。
  叱らなければならない状況に巻き込まれ、
  その業に負けているんだから、
  自分の心臓を痛め、胃腸を痛め、それで相手の心臓を害するんです。
  だから常に自分というものを客観的に見て、
  神様の側に立って、自分の感情の動きを見ていればいいんです。

  ムラムラする感情が湧いてきたとする。
  出てきたな、いつ消えるだろうと眺めていると、
  いつのまにか消えてしまう。
365TR-774:2008/09/06(土) 23:15:23 ID:???
 だからいつでも、
  自分の感情というものと、自分の知性というものが
  別個になっていて、知性が奥のほうにある、感情が前にある。
  自分が怒ろうと脅えようと、何しようと、奥のほうから見ていて、
  「あー、それは消えてゆく姿、勝手に消えてゆくな」
  と眺めながら祈っていると、あとはしばらく出ません。
  また、やがて他の違うものが出てくる。
  しかしそれも、「ああ、消えてゆく姿だな」と思うと、
  また出て、消えていってしまう。

  だんだん喉元までくると、外に現われる前に
  フーッと消えちゃいますよ。
  それが達人になると、喉元に来ない前にヒューッと消えます。
  これを繰り返し、繰り返し、日頃の修練が大事なんです」
366TR-774:2008/09/06(土) 23:55:44 ID:FaYCbl77
侮辱的
367TR-774:2008/09/07(日) 01:58:22 ID:???
過去を呼び戻すな 未来に生きよ
 未来は明るくて、過去はもう過ぎ去ったものです。暗い過去もあるでしょう、苦しい過去もあるでしょう。
しかし、過去はすべて過ぎ去ったものなのです。ですから、
過去に把われないで、未来に生きなさいというのです。過去はすべて通り過ぎたもので、消えていったものです。
未来へ未来へ想いを向けることです。
 一週間後、一年後の自分はどうなっているか、どれだけ大きくなっているか、どれだけ神様を信ずる力が
出てきたか、どれだけ自分の力量が大きくなった、包容力、
やさしさが生まれてきたか、つまり自分のことだけではなく、
どれだけ他人に心を向けるエネルギーが出てきたか、
目が養われてきたか、という楽しみ、喜びがあります。

 子供がもし東大に落ちたらどうしよう、ヤクザになったら
どうしよう、病気になったらどうしようと想う。
今、生き生きとして生きている子供に対してそう想うという
ことは、運命線に何もない、白紙のような状態にある子供の
運命に、親の不安の影を入れ込んでいることになるのです。
 子供にも守護霊さま守護神さまがついていらっしゃるし、
子供にも素晴らしい運命があるのです。
 今、自殺が多いのは何故か?
子供の中には、将来はこうなったらどうしようという不安は
元々なかったのです。親が勝手に心配して作り上げたものが、
子供の運命線に影を落としているのです。親が子供の中へ
入れる、循環してその波を受けた子供が自分の運命を心配
し始めるようになる。 そうして二進も三進もいかなくて、自殺なんていうことが
起るわけです。

 子供たちも妻も夫も、みんな守護霊さま守護神さまが
ついていらっしゃるんだ、これでいいんだ、明日も明後日も
守り続けて下さっているのだ、神様ありがとうございます、といえば、自分の将来の運命線に不安や恐怖や心配の波の影は
入りません。
 取り越し苦労、心配性の方は「神様、助けて!」でもいいんです。許しを願って、神様に一生懸命入ってゆけば、
不安の波、恐怖の波はきれいに拭われるのです。
368TR-774:2008/09/07(日) 01:58:59 ID:???
子供には、きれいな生命線がついているのです。
それを親の勝手な自己満足、感情を満足させるために、
自分がいい人間と思われたい、完璧な母親であると思われたい
と、願えば願えば願うほど、子供の運命線に汚点をつけてゆくのです。
 危ない時、危ない所があったら、母親は守ってあげればよいのです。
 取り越し苦労が出てきたら、消えてゆく姿と思って、
世界人類が平和でありますように、と祈り続ける。
それが自分を楽にします。自分の苦しみ、不安が楽になると、子供や舅姑さんたちに与える波も楽になるのです。
 自分が苦しんでいるだけで、まわりには迷惑をかけていないわ、と自分だけで終わっているように思っては、とんでもない間違いです。自分の心の派動が全部、子供や夫や自分のまわりに影響を及ぼしているのです。

 親が苦しんでいるだけ、子供も同じような苦しみを抱いて
います。お母様が楽天家のお子様はやはり楽天家です。お母様が暢気にかまえていれば、お子様も暢気です。
 けれど、お母様が常に完璧を目指して、人間はこうでなければいけない、というように自分も周囲も作っていると、
子供は人の心をとても気にし、人の顔色を伺う緊張した子供になります。

 自分の心の中に、常に神様があり、常に素直で、神の愛を信じて、暢気に暮らしていると、家族にもその楽天さ、明るさ、暢気さが伝わり、家族全体が喜び、調和の心が響き渡ります。

 毎日毎日の世界平和の祈りの繰り返しが、皆様方の新しい運命を創るのです。
369TR-774:2008/09/07(日) 02:09:19 ID:???
370TR-774:2008/09/07(日) 02:10:43 ID:???
 人間が救われるというのは、この世で救われるか、
あの世で救われるか、また次に生まれて救われるか、
その人の前生によって救われる次元が違います。
今、苦しんでいる状態を見て、あの人は救われていないとは
誰も言い切れないし、今、幸せで不幸が無い状態の人を見て、
あの人は救われているとはいえないのです。
みな、救われる条件、環境が違います。

 今、3歳の女児を見て、あの人は素晴らしい頭よ、あの人は
立派な人よ、悟っている、といえますか?素晴らしい両親に
育てられ、教育も受けて、健康で大変幸せであるその姿を見て、
彼女は悟っているとはいえない。
 この3歳の女児の時期というのは、我々が百年の肉体を
持った時期と同じようなものです。何故なら、肉体を持っている
期間というのは、永遠の生命からみたらほんの一瞬です。
その一齣の中で、救われる、救われない、幸せになれるか、
なれないか、そんな問題ではないんです。
371TR-774:2008/09/07(日) 02:11:17 ID:???
 この肉体界に生まれてきた目的は、自分の天命をよりよく
生かそう、神さまの姿を現わそう、神さまの愛を更に深く感じよう、
霊魂は永遠なるものであると、より深く知ろう、とする努力や体験を
することなのです。
 そうした目的を果たすのにふさわしい環境に、守護霊さま
守護神さまが置いて下さるのだし、修業を与えるわけです。
 ですからどんなに信仰心が深く、人々に尽くしていても、
交通事故で亡くなる、癌で亡くなる、愛する子に先立たれる、
ということがあります。それは、その人には果たさなければ
ならない因縁があったのだし、それでも大きなものを小さく
消していただいているのです。

 一瞬の出来事を見て、不幸だ、幸せだということは出来ないし、
言い切れない。彼にとっては、そうやって消すのが一番よい方法で
あったに違いない「あの方の天命が完うされますように」と、
自然に思えるように、自分の心を高め上げ、もし、自分が
そういう立場になった時、自分はこれでいいのです。
守護霊守護神さまが自分に一番ふさわしい方法として消えて
ゆく姿をさせて下さったんだ、と自然に思えることが、
素晴らしいことなのです。
何が幸せで何が不幸か、永い永遠の生命から見たら分からないんだ、
ただ神さまがその人に一番ふさわしいことをなさって
いるのだから、そこから早く立ち直れるように、早く苦しみ
が取れるようにお祈りしてさしあげるのが、いいのだと
思います。
372TR-774:2008/09/07(日) 02:16:47 ID:???

 本当は、すべてに感謝をすることが人間が幸せになる一番の
早道なのに、それを忘れてしまって、すぐに自我を出すほうが先なのです。
 自我があればあるほど感謝は遠のいていきます。
 自我を少なくしていれば、感謝は近づいてきます。
 悪いのは政府のせい、悪いのは隣の人、悪いのは夫、
悪いのは妻、悪いのは子供、いいのは全部自分、そんな人に
感謝などありえません。

 不幸の因(もと)というのは自我です。自分自分と自分がありすぎる人
ほど不幸せな人、不満足の人です。
 自分が今、不幸せだな、何か嫌なことがある、いろんなこと
を抱えていやだなと思ったら、よく反省してみたください。
結局そこに、自分を見せたい虚栄心、自分を主張したい自我というものが
あるから、自分が苦しんだり、いやになったり、悲しんだりするのです、
 ちょっと退いて、客観的にものを考えた時、物事はスムーズに運ぶようになっているのです。これは秘訣です。
とても多いのです。
373TR-774:2008/09/07(日) 02:18:22 ID:???
wskt乙
374TR-774:2008/09/07(日) 02:29:18 ID:???
私たちが知らなければならないことは、この肉体に現われている現象、
人生だけがすべてではないということです。
その現われだけで物事を判断するのでは、ダメなのです。
もっと全体的に、宇宙を見るような目で見ていただきたい。
あらゆることは、幸、不幸と一朝一夕ではいえません。
これがいい会社、ダメな企業ともいえない。
 子供の姿を見て、簡単に、頭のいい子だ、バカで間抜けだ
なんていえないのです。間抜けな子が立派になるかもしれない。
 この世の常識、観念で判断したら誤ちが起りやすい。
肉体の目は肉体しか見えないし、肉体の耳はある範囲のもの
しか聞こえない。
 けれど、奥の目がある。それは奥まで見通す神さまの目です。この世に聞こえないものを聞く耳があります。ですから、
肉体に把われ、自分があればあるほど、この世的なものしか
見えないし聞こえない。
 その自我をなくした時、神さまから流れてくる直観力が
現われてきます。
 その時、外見上はそれほど美しくない人でも、その人から
素晴らしい光を感じたり、立派そうに見えても、みすぼらしい魂の持ち主で気の毒だなと、感じる場合もある。
 そして、適確に自分の運命を切り拓くことが出来ます。
誰もが持っている精神の目、命の目、命の耳、命の言葉を生かすように
するには、直観力が出るようになるには、祈り以外はありません。
375TR-774:2008/09/07(日) 02:46:35 ID:???
人間として一番大事なことは、
 思いやりということとなんです。
 こうやったらあの人の心が痛みやしないかな、
 こうやったらあの人は喜びやしないかな、という心づかいです。
 例えば電話をかけています。
 もしもしといって喋る、自分の話が終えると、ガチャンと切る。
 相手は受話器に耳をつけていますから、ガチャンと切られれば
 耳が痛いでしょう。そういう人が随分あります。
 私などにかけてきても、物を頼んでおいて、先にガチャンと
 切っちゃう。こっちは耳が痛い。そういう人は思いやりが
 ないでしょう。
 こんな場合は、話が終わったら、相手が受話器をおろした
 音を聞いて、こちらもおろす。それが思いやりです。

 それから人が訪ねてきて、用件が終わって帰っていく。
 「さようなら」と、相手が玄関を出た途端戸を閉める。
 そして鍵をガチガチかける。あれも嫌ですね。
 私が戸を閉める場合は、お客さんが後ろを振り向かないで
 ゆく頃になってから鍵をかける。そうすると向うは気持ちが
 よいでしょう。
376TR-774:2008/09/07(日) 02:46:54 ID:???
こういう細かな日常生活の在り方の中に、本当は宗教精神が
生きているんです。世界平和の祈りをしていても、日常生活の
中に少しも思いやりがなくてはね。相手がどう思うか、相手が
心が痛むことはちっとも感じないという、そういう無神経な
生き方をしたら、その人は嫌われるでしょう。

 神経をよく使うということは、やっぱり愛なんですよ。
 思いやりの精神を培う、常に思いやりの習慣をつけることは、
 とても大事です。
 あまり思うと神経衰弱になりますかから、それは適当だけれども、
 相手が喜ぶようなことを常に思って生活をする、それが、
 世界平和の一番の根本なんです。
 世界平和の祈りというのは、そういうことが自然に行えるように
 するわけです。平和の祈りですから、調和したひびきが
 出てきて、地球全体にも広まってゆくわけです。てですから、
 平和の祈りをしている人は、平和の祈りをしていない人よりも、
 思いやりが深くならなければなならないわけです。
377TR-774:2008/09/07(日) 02:50:13 ID:???
 世界平和の祈りというのは、相手が喜ぶようなことを
自然に行えるようにするわけです。
 しかし、ある人たちの中には、世界平和は祈っている、
でも思いやりは別、というのがあるんです。ある宗教団体に
いた時代ですが、活動にはとても熱心な青年たちがいまして、
電車に乗って座席に座り、「霊は・・・、神さまは・・・、
精神は・・・」とやっていた。その青年たちの前に、よぼよぼ
のおばあさんが立って、ヨロヨロしてるのね。
 ところが青年たちは、一生懸命話をしていて、それを見ながらも
誰もちっとも立とうとしない。だから私はスッと立っていって、おばあさんに
かけてもらった。神さまだ、霊だ、真理だと話していながら、一番易しい、
しなければならないことをしないんですよ。それじゃ、教えが
何もなりませんでしょう。
 だから大きな神とのつながり、世界平和の祈りは勿論よいけれども、
日常茶飯事の思いやりの心が欠けていたら、宗教精神に傷が
つくわけです。
378TR-774:2008/09/07(日) 02:50:52 ID:???
また電話のことですけど、顔を合わせていないから、ニコニコしているか
どうか、電話じゃわかりません。だから電話の場合には、特に優しく
話さないといけない。電話だと、ちょっと強い言葉を出しても顔が
分かりませんから、とてもきつく聞こえるんですよ。何か頼まれて
断る時には、特に優しくしなければいけません。
 断られるのは、みんな嫌なんです。だから断る時には、心をこめて、誠を尽くして断らなければいけません。

 頼む時は誰だってヘコヘコしますよね。断る立場にある、自分が優位の
時には、余計優しくしなければいけない。
 お金を貸す時もそうです。お金をあげる時もそうです。そういう時には、
絶対に上からやってはいけません。かえって「すみません、どうぞどうぞ」
と言いながらあげることです。私なんかは大概そうしてますよ。
 何かをあげて、すみませんということはないんだけど、本当は
貰ってもらうほうがありがたいのね。それだけ徳を積ませてもらうんだから。
379TR-774:2008/09/07(日) 03:09:03 ID:???
 自分が優位に立って何かをする時には、常に低姿勢にならなければ
いけませんね。頼む時には、言わなくたって低姿勢です。「オイ、金くれ」
なんて言う人は、いないんですから。自分の立場がよい時には、
低姿勢にならなければならない。それを私は講師の人などにも言っているんです。
 自分が教えの立場にある時は、やっぱり低姿勢でなければいけない
のです。顔だけ、ハイハイなんて言ったってダメです。心で馬鹿にしていれば顔に映りますから。ですから心の底から人間を尊重する。

 平和の祈りをしながら、その平和の祈りを自分に生かさなければならない。自分に生かすにはどうしたらよいかというと、相手の命を尊重する。
どんな馬鹿なように見える人でも、どんなお年寄りの人でも、どんな貧乏な人であろうと、みんな神さまの命では一つなんだ、平等なんだ、ありがとうございます、という心が根本にあって、相対さなければいけないんですよ。私はいつもそうしています。

 難しいことなんか何もないんですよ。
お互いの命は神さまから来ていて、平等なんだ、お互いが思いやって
労わりあって、相手に苦労をかけまい、相手が喜ぶように、
相手が嫌がることはしまい。そういうようなことを常に想っていれば、
相手を傷つけることはないんです。
380TR-774:2008/09/07(日) 03:09:48 ID:???
 それからもう一つは、自分を傷つけてもいけません。間違ったことを
してしまうと、しまったと思います。その時、いつまでもしまったと
自分を責めることはありません。「これは何か過去世の因縁で
そうなったんだ、これは消えてゆく姿だ、もう再びこういうことはすまい、
愛深い自分になりますように」といってお祈りに変えてしまうのです。
 もし相手が間違ったことをしたとする、こちらはいちいち癪にさわりますね。そうしたらすぐ、
それも過去世の因縁の消えてゆく姿だ「どうかお互いの魂が立派になりますように、
愛深い私でありますように」と、自分の心をきれいにする。また、相手の心をきれいにするように祈る。
そういうことが大事なんですよ。

 ですからあらゆる不幸な立場に立ち、あらゆる病気、あらゆる災難に
向かった時、ぶち当たった場合には、心をフラフラさせないこと、
心を神さまの中へスッパリ入れて「世界人類が平和でありますように、
神さまありがとうございます」と、そればかりの中へ入るんです。そうすると、
一年かかって治るものなら、三月で治る、
一月で治るという風に、ずっと早く病気も治ります。
381TR-774:2008/09/07(日) 03:16:37 ID:???
 私たちは、その人がどういう人か、その人の肉体を眺めれば、
中に宿っている魂とか、性格を考えなくとも、この人は大らかな
人だとか、この人はだらしがない人だとか、この人は真面目な
人だとか、嫉妬深い人、機敏な人、緊張感の強い人・・・とか、
およその見当はつくものです。
 常に髪をボサボサにして手入れをしないで、汚れたままの
だらしのない人を見ますと、その人の生き方は大体その外見に
現われているような生き方を、してきたに違いないと想像が
つくものです。

 私たちは、精神の手入れと共に、肉体の手入れもしなければならない。肉体は、軽蔑すべきものではなく、自分自身の肉体を尊敬し大切にし、
自分の精神を表現する器として、扱わなければならないのです。
 とかく宗教に凝った人、修行した人の中には、魂だけが大事で
あって、肉体は汚らわしいもの、肉体即セックスに結び付けて、
淫らなものと考えている方がおられますが、私は決してそのようには
思っておりません。
 肉体と精神は、全く一つ、裏表の関係であって、肉体の状態を
見れば、その人のふだんの肉体に対する扱い方がわかる、
その人の心がけがわかると思うのです。
382TR-774:2008/09/07(日) 03:28:29 ID:???
 育った環境や人間関係、それプラス食事の内容、運動の仕方、
それらによって精神とは別に、肉体も次第に形づくられていきます。
 好き嫌いが激しく栄養が片寄っていたら、やはりそれが肉体に
現われるでしょうし、ゴロゴロ寝てテレビばかり見て運動も
しなかったら、しまりのない肉体になるでしょう。
 朝起きて顔も洗わず、髪も手入れをしないで過ごしている人を
見ると、この人は生きるだけで精一杯で、自分の肉体を手入れ
するゆとりがなかった、肉体を疎かに扱ってきたのだと、私は見るのです。
 だからといって何時も手入れして、お化粧をしろということ
ではありません。肉体も大切に扱わなければいけないという
ことなのです。

 神界霊界でも体がないわけではないのです。体というものは、
自分の意志でいつでも現わすことができるのです。
 肉体を見てある程度その人の状況が判ると同時に、その人の発している雰囲気で
判ることもあります。雰囲気というのは、その人の発している魂のバイブレーションが、
肉体を通して出ているわけですから、バイブレーションによって、知的な人か、だらしない人か、
意地悪で欲の深い人か、卑しい人か、ある程度、判断はつくものと思うのです。
383TR-774:2008/09/07(日) 03:28:45 ID:???

 町を歩いていても、電車の中でも、見知らぬ人に出会った時、
一見してこの人は好ましい人だとか、この人は近寄ったら何か
喧嘩でもふっかけられそうな人だとか、いわゆる直観で、その人が
大体どういう人か見分けがつくと思うのです。
 やはり肉体を大事に扱っている人、肉体をいとおしみ肉体に
感謝を捧げている人、肉体の手入れが行き届いている人は、
肉体そのものに美を感じます。
 けれども肉体を尊く思わない人たちの肉体というものは、
心の腐敗と同じように、見る人に好感を与えないのです。

 それと同時に栄養とか適度の運動とかの面も大事です。
今の日本では、いろいろな国の料理を味わうことができますが、
食欲を満足させていって、自分の肉体にどういう影響を
与えていくかも、現実的な問題です。

 世界平和の祈りを祈ることによって、私たちはまず精神に
活力を与え、栄養を与え、神の無限なる英知を、パワーを注ぎ込む。
そうすることよって、知らないうちに肉体そのものが輝いて、清潔で
美しくなっていく。これは「魂が変われば 肉体も変わる」という要素を
秘めているのです。
384TR-774:2008/09/07(日) 03:37:59 ID:???
おまいら、なんで強姦魔が辞められないか知ってる?
経験者から聞いた話なんだが、レイプしようとすると大抵の女は始めは嫌がるんだが、
暴れて疲れるとほとんど身動きも出来なくなる。もう好きにして状態になる。
そして驚く事に、女はレイプされるともの凄く感じる。普通にセックスした時よりも、
比べ物にならないほど激しくイクらしい。痙攣してイキまくる。だから通報できない女が多い。
大抵の女性はレイプされるとありえないほどの快感を覚える。
それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。
吊り橋効果と似ていて、レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、
アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、
自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、
体が快感を覚えて反応し、挿入からしばらくすると、
膣が充血する事で、クリトリスや膣内の性感帯が過敏になり、
膣が刺激される度にピストン運動にあわせて脊髄反射で腰を振ってしまったり、
痛みに対して悲鳴を上げるように、快感に対してよがり声をあげてしまうわけなのです。
女性というのは、そういう風に出来ているのだそうだ。
だから強姦はクセになってしまうのだそうです。ついでに言うと、
強姦被害者がよく自殺なんて話があるが、あれは強姦されたことが嫌で死ぬわけではなく、
強姦されて激しく快感を覚えた自分の体に嫌悪して死ぬのだそうですよ。
ちなみにこれは知り合いの弁護士が連続強姦魔から聞いた話です。
強姦魔の話では、強姦をするときに女性が自分が感じてしまっている事への戸惑いと、
快楽に身を任せる表情とが入り混じってたまらないと言います。
どんな美人でも最後には泣きながら自分から腰を振るそうです。
嫌だとは思いながらも体は感じすぎてしまい拒絶できない。むしろ自分から求めてしまうそうです。
強姦魔によると、美人が泣きながらも苦悶の表情で、「イク」と言うのがたまらないと言います。
一度知ったら誰であろうと絶対に辞められるわけないとも言っておりました。
385TR-774:2008/09/07(日) 03:58:42 ID:???
 老年になって肉体が不恰好に醜くなるのは、間違った
  飲食、間違った行為、間違った思考・習慣の反映である
  ことは無論です。
   老醜は死すべき定めの人間にとっては、避けられぬこと
  だと考えるのが常識になっていますが、これは誤った考え
  ではないでしょうか。魂が完全に自己を掌握していれば、
  魂の力は肉体という外界投影をも完全に支配し、「老年」
  という現象は起りえないことになるでしょう。

 私もこれと殆ど意見を同じくしておりまして、ふつう人は、老人になると、
だんだん醜くなってくるのが当然だという、一般大衆の固定観念に影響され、年をとると容姿の端麗さに欠け、行動の機敏さに欠けるという状態になってくるのであります。

 けれども、ここで述べているように、魂が完全に自己を掌握していれば、肉体が衰えるということはないのです。
 「魂が完全に自己を掌握していれば」という意味は、自分自身が自分の本質、真理が判っているということです。
386TR-774:2008/09/07(日) 03:59:34 ID:???
 常に自分の心の中に、無限なる愛、無限なる治癒力、
 無限なる生命、無限なる健康、無限なる若さ、無限なる美
 というものを100%入れ込んでいけば、年を重ねるごとに
 無限性が現われてくる。逆になるのです。
  年をとれば逆に美しくなる。醜くなるのではないのです。
  若い人たちはピチピチした肉体の若さに恵まれていますが
 あの若さとは違った、もっと奥行きの深い本当の美しさが滲み出てくる。 勿論若さの美というのは大変美しいものですが、それとは違った、
年を重ねるごとの美しさというものです。

  年を重ね、魂があらゆる体験を積み、その体験を通して
 自分が磨かれていく。体験の数をこなすほど自分の人格が
 大きく形成され、生き方がちがっていく。
  苦しみ、悲しみ、困難を乗り越えていくところに、
 自分の心が磨かれ、それが積み重なっていくうちに自然に
 真理に近づいていく。そして、近づいていけばいくほど、
 魂がさらに高い真理に到達する。

  年を重ねるごとに魂が神に近づき、無限なるものの中に
 入り込んでいく。と同時に美しく輝いていく。
 これが私の唱えている無限なる生命、無限なる健康、
 無限なる若さということになるわけです。
387TR-774:2008/09/07(日) 04:00:04 ID:???
肉体は自分の魂を表現している道具なのだと、常に肉体を
 大事にいたわり、尊敬しなければならないのです。
  私はいつもお風呂に入る時
 「内臓さんありがとう、骨さん ありがとう」と
 細胞一つ一つに感謝し、自分の肉体をとてもいとおしみ、
 とても尊敬し続けております。
  やはり自分の生命があっても、それが宿る肉体がなければ
 自分という魂はこの世に存在できるものではないわけですから、
 その魂を入れてもらっている住まいに対し感謝し、住まいを
 より美しく磨いていかなければなりません。

 魂が高くなれば、肉体もそれにふさわしい器にならなければならない。
 「肉体さん、今日も一日働いて下さって本当にありがとう」と
 感謝しなければならないのです。

 肉体は百年経てば滅びます。けれども魂は永遠に生き続けます。
精神と共にここに現われている肉体も同時に磨き上げていくというのが、
この世界平和の祈りなのです。肉体が輝き、肉体に品位があり、
清々しい肉体であることが大事です。
388TR-774:2008/09/07(日) 04:04:39 ID:???
あまり俺を甘く見ない方がいいよ。
俺が”ポテチ”をプロデュースする能力はお前たち凡夫の想像を超えている。
日本でプリングルズを広めたのも俺。
カルビー→コイケヤ→ナビスコ→ヤマヨシ→P&G

この因子たちを芽吹かせいつの間にか美味さと手軽さの巨木に育てた。
私は0を1にしたり1を1000にする能力はないが、
10を1000にする能力はあるんだよ。
というかこの因子自体が私のプロデュースによるものなのだがな。

因子さえあれば大衆向けの解りやすい物語をプロデュースして潰せる。
デブは太っていたんじゃない、わたしがポテチで太らしたのだよ。
いや正確にはデブではなくお菓子好きをだがな。

ポテチ業界はあと6ヶ月で太らせるプロットができている。
もうお前らはM.E.D(メタボリック完了済み)だ。
389TR-774:2008/09/07(日) 04:08:17 ID:???
あるお坊さんの般若心経解説の中に
”肉体は虚無をはなれない。虚無は肉体をはなれない。肉体は
そのまま虚無であり、虚無はそのまま肉体である・・・すべて
が虚無だということは、それらが生ずるものではなく、滅する
ものでもなく、汚れもせず、浄くもならず、増しもせず減りも
せん、ということである。だから虚である”ということである。
 だから虚無の世界では肉体もなく感覚も想念も、意欲も自由
もない・・・従ってかつて経験した世界もない。盲目的本能も
なければ、本能の尽きることもない。また老死もなければ、
老死のつきることもない。苦悩もなければ安心もない。
安心もなければ修行もない。知ることもなければ、得るべき
こともない。本来何ものもないからである。真理を求める上種
はこのような徹底した智恵によって、心にこだわりがない。
こだわりがないから恐怖がない。恐怖がないからあらゆる迷妄
邪悪な観念からはなれて、永遠にして静寂なる境地が得られる
のである”
 と説いていらっしゃるけれど、先生の解説をお願いします。
 それからこのように説かれた人は、この世を去ってから
どういう世界に行くのか、またこのように説かれた人に従った
人たちの死後の世界は、どういう所でしょうか
390TR-774:2008/09/07(日) 04:09:07 ID:???
「般若というのは深い智恵、大智恵という意味です。ですから般若心経というのは、
深い智恵の本当の教えというのです。お釈迦さまが観世音菩薩の形になって説いていらっしゃるのです。
それには何が書いてあるかというと、ナイナイづくしなんです。
 悩みもなければ、悩みを生ずることもない。肉体もなければ、肉体の生ずることもない。
あらゆることの現われはすべてないのだ、と、すべて無い、無いなのです。
 今の質問の中では虚無と書いていますが、そういうように普通のお坊さんは説くわけです。
ナイナイづくしになりますから、仏教をやっている人とか、お坊さんの中には、虚無主義の人が多いです。
すべてこの世は仮の姿で、無いとか虚無なんだとかいうと、何する気力もなくなってしまう、
目的がなくなってしまう。無目的、虚無ですね。そういうふうに説きますと、
生きている張り合いもなければ、何もなくなってしまう。
 無だ、虚無だといわれて、ハッと思って悟りに入る人は、滅多にあるもんじゃなくて、
今度は虚無に把われてしまって、ないものなら何をしてもかまわない、どうしたっていい、
ああ生きていくのは面倒くさい、なんて自殺したりする形になっていきやすいのです。
 ところがお釈迦さまは、そういう説き方をしたのではないのです」
391TR-774:2008/09/07(日) 04:11:35 ID:???
「ここに(現象界に)現われているものは色というのです。
そして色はものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、
現われている五官で見えているものは、一遍空にしないと、空と断じ切らないと、
本当のものが現われてこない。だから目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻に嗅ぐもの、
すべてこの世に現われているものは空なんだ。
 そして空と空だと断じ切った時、はじめて本当の光り輝くものが現われる。
五官に感じられ、六感に感じられるものはすべて空なんだ、それに把われてはいけない。
 あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空と断ち切って、
それに把われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現われてくる。
空から現われてくるものが、本当の光であり、実体なのだ、そこで色即是空、空即是色と並べてあるわけです」
392TR-774:2008/09/07(日) 04:49:36 ID:???
ところがお坊さんは、ここに現われている姿、形も事柄も空なんだ、虚無なんだ、そして虚無は即ち物であり、現われである、とこう説くのですね。
 これではなんのことを説いているのかわかりゃしません。
把われを放すことよりも、何も生きていく意義がなくなってしまう。
生きていく意義もなくなれば、目的もなくなれば、何のために生きているのか、何のために
人間があるんだか、さっぱりわからない。
 何でも虚無なんですね。そういうふうに説いていますと、実相がないんだから、
みんな虚無から出ているんだから、虚無が現われて形の姿をしているだけですからと、
すべてがそう説かれてしまうと、何が何だかわからないでしょ。そして、
肉体がなくなって霊界に行った時には何もない。真っ暗な虚無の中を、虚無の嵐が吹きすさんでいると言う。

 ところが虚無といっても実際にはあるんですよ。
でも、ないと言っている人がその世界に行くと、そこに何が現われてくるかというと、虚無、
光のない闇が現われてくるんです。闇の中をトボトボと虚無だ、ないんだ、何もないんだ、
虚無、虚無と歩いている。飲むものも、食うものも何もない所を歩くようになるんです。
 だからその説き方が本当だと思って教わった人は、みんなお師匠さんのさ迷っている世界へ
ついて行ってしまうわけです。虚無の世界、まっくらな闇の世界へついてゆくより仕方がない。
393TR-774:2008/09/07(日) 04:50:15 ID:???
 そういう教え方をすることは、お釈迦さまのみ心に反すること甚だしい。そういうのを、
ものを知らないのに知っているふりをする、自らを智者と思っている愚か者というんです。
 知らなければ知らないでいいのです。知ったふりをする学者、お坊さんというのは一番先に地獄に落ちます。

 色即是空、空即是色も、形に表れていることだけを説くから、結局、虚無になって、
この世は何もないんだ、肉体もなければ何もない、ナイナイと言っているのです。
そこにはあるんです。生命もあります。
ナイナイなんて、お釈迦さまほどの智恵者が説くわけがない。

 この世界には、永遠の生命が神界から霊界を通して、この肉体界に現われている。
ところが肉体界に現われるまでに、私がいつも言うように、霊界もあれば幽界もある。
幽界というのは光明波動と暗黒波動が両方玉石混淆して、生命の実体もあれば、
仮の姿の肉体人間が、幽体の想いで作った想念波動の世界もあって、混ざっている。
 ですから玉石混淆の汚れた石のほう、肉体人間が作ったほうのすべてをなくせばいいわけです。
しかし、なくせといっても難しい。それだけでは困るから、選り分けることです。

 そこで私たちは、玉石混淆をそのまま消えてゆく姿として、世界平和の祈りで神さまのみ
心の中に入れてしまうわけです。神さまのみ心の中で自然に選り分けてもらって、
汚いものは消してもらって、いい光だけ出てくるようにするわけです。
394TR-774:2008/09/07(日) 05:01:39 ID:???
本当の教えというのは、ナイナイづくしではなくて、神さまは光り輝く大光明であって、
大光明波動の分生命が人間であるというのです。しかし、肉体の人間というのは、神の分
生命であることを忘れてしまって、幽体、あるいは肉体で作った想いの中で生きている。
 その想いというものは無いというわけです。しかし現実問題として肉体が現われてあるんだから、
無いのではなく、現われている。しかし、実体ではないわけです。現われて、消えてゆくのです。

 そこで、その現われている肉体のほうに、あるいは肉体から発生した出来事にすべて把われないで、
把われたら把われたでいいから、消えてゆく姿にして祈り心の中に入れてしまいなさい、
と私は説いているのです。
 そうすると入れ替わって、実体だけは残ってくる。生命の実体だけ残って、
いわゆる空即是色になるわけです。
395TR-774:2008/09/07(日) 05:02:18 ID:???
 それを仏教学者というのは、みんな色即是空も空即是色も混ぜて、虚無なんだ、ないんだ、
ここに現われているもの、色というものはないんだと、ただそれだけなのです。
 ないんだ、なんてそんな無責任なことはない。何もないものなら、殺されたって何したって
悪いことはないでしょ。人殺しがどうして悪いのか、何にもない虚無ならば、殺したって何したって、
虚無だ無だと説いている坊さんを殺したって、虚無では何にも悪くない。ないのだから、殺したこともない。
そういうことになるわけです。
 そんなバカなことを言って、この世に通用するわけではない。それは間違えて伝えているだけなのです。

 この世の罪や悪や間違った想念所業は、要するに神さま、仏さまから現われて来ているものではなくて
、肉体人間が勝手に作ったものなんです。だからそれは実態の中にはない。
 しかし無いといっても分からないから、一度現われの世界に座を下ろして、一応そういうものを認めて、
認めると同時に過去世の因縁の消えてゆく姿として、神さまの中へ入れてしまいなさい、
と私はすすめているわけです。

 そして、祈りの中から、神さまと直通して神さまの光だけを間断なくつぎこんでおくと、
間違った肉体人間の想いのほうはどんどん消えてしまう。それが本当の色即是空、空即是色なのです。

 般若心経の真理は、色即是空、空即是色を説き明かすことにあるのです。
396TR-774:2008/09/07(日) 05:02:52 ID:???
他人の悪をあばいて 自分の利益にしようとする
そういう個人と同じように
未来への創造も光明ももたず
与党の過去の悪事をあばきぬいて
自党の活路にしようとする政治家たちの
小さい醜い生き方の中から
いったい日本の運命がどう開けるというのだ
国と国との関係でも たまには助け合いがみえて
人類に希望を持たせることもあるのに
日本人同志が足の引っ張り合いに終始している
愚かな状態を黙ってみていてよいのか
真実日本を愛し 地球の運命を案ずるなら
個人もそして政党も
先ず未来への光明の道を見出すことに努めなければならない
過去の過ちの中ばかりに顔を突っ込んでいて何になる
光明心を掲げて前へ進むのだ
宗教も科学も実業も
みんな地球に永遠の生命を持たせるように
大光明心を掲げて 前へ前へと進むのだ
世界平和の祈りはその中心の大きな力となって
その歩みを力強い不屈なものにしてゆくのである
397TR-774:2008/09/07(日) 14:38:09 ID:qzZ5tNk4
他人の悪をあばいて 自分の利益にしようとする
そういう個人と同じように
未来への創造も光明ももたず
与党の過去の悪事をあばきぬいて
自党の活路にしようとする政治家たちの
小さい醜い生き方の中から
いったい日本の運命がどう開けるというのだ
国と国との関係でも たまには助け合いがみえて
人類に希望を持たせることもあるのに
日本人同志が足の引っ張り合いに終始している
愚かな状態を黙ってみていてよいのか
真実日本を愛し 地球の運命を案ずるなら
個人もそして政党も
先ず未来への光明の道を見出すことに努めなければならない
過去の過ちの中ばかりに顔を突っ込んでいて何になる
光明心を掲げて前へ進むのだ
宗教も科学も実業も
みんな地球に永遠の生命を持たせるように
大光明心を掲げて 前へ前へと進むのだ
世界平和の祈りはその中心の大きな力となって
その歩みを力強い不屈なものにしてゆくのである
398TR-774:2008/09/07(日) 14:42:53 ID:???
空気を読めないひとに「空気読め」と発声することは、それが「空気を読むべき場である」と
空気によって伝えるパフォーマンスに失敗した結果であるから、これは敗北宣言と言ってよい
(←「自分(たち)のペースを降り、(すくなくともその一言を発するため)相手のペースに
乗らざるをえなくなった」)。
まあ大概のひとは「空気」に対する感覚力と同等の操作力は持っていないわけだから
(演技の良し悪しがわかるひとのすべてが、自分のわかる上限の演技ができるわけではない)、
その自らの内部のギャップによってやらかしてしまう不粋ってかんじか。
で、「空気読んだうえで空気読まない」芸というのは、各人のそうしたギャップにつけこんで
リアクションを引き出す立場なので、トリックスターでありまたは肉食側といえるわけだ。
さらに、このような空気主義者にとってコミュニケーションとは決闘でなく舞踏会なので、
誰が勝とうが負けようがお構いなしに場は続いていくという世界観になる。
だからこの場合で「敗北宣言」といっても、自アンでいう「「釣れました」は敗北宣言」
ほどには強いニュアンスではない(←「釣れました」の敗北度はまさに「必死」だが、
「空気読め」は立場上の死を意味しない)。
しかしまあ、やはり、許容範囲というか、手の内の一部は明かすことになる。
399TR-774:2008/09/07(日) 18:44:27 ID:SFuOUHOE
ところで、私の陰茎がこんなにも紅潮して
張り裂けんばかりに勃起しているのはいささか危険だ。
たったいま、眼前にあるのはテレビで、
なにを映し出しているのかと言えば神妙な面持ちで挽肉を捏ねる中村玉緒だ。
それはつまり、性欲の暴走を意味するのだが、それは物事の一面を表すだけで、
醜い、そして美しい感情の発露と言う点で私が一切恥ずべきことではない。

挽肉をハンバーグの形に成形するうちに、
突如笑いだした玉緒を津川雅彦がしかめっ面で見ている。

最高にクールだ。
我慢出来なくなった私はランジェリーを膝までずらし、
えいっとカーテンを開ける。

これは一種の敗北宣言だが、あくまで世間一般レベルの話だ。
400TR-774:2008/09/07(日) 19:12:46 ID:SFuOUHOE
「私はカブトムシ」
声に出して言ってみる。
「少し背の高い貴男の頬に寄せたおでこ」

最高に笑える。

そっと紅を唇に。
弟夫妻が遊びに来た時、弟の嫁の匂いを嗅いで勃起したことを思い出して、不適に笑う。
弟の嫁にはオレがTシャツの下にブラを付けているのが透けて見えているらしく、侮蔑の表情を浮かべている。
それからと言うもの、わざとTシャツに水をこぼしてブラの模様を際立たせてみたりとオレは上機嫌だった。

一通りメイクも終わりチャイナドレスに袖を通す。
どうだい、見てくれたまいよ。
この醜い身体をばよぉ。

即チャイナを脱いで、今、オレは膝を抱えている。
婆ちゃんのことを思い出して涙か止まらないからだ。
401TR-774:2008/09/07(日) 19:33:45 ID:SFuOUHOE
「あいつのこと、好きなんだよねぇ」

嬉しそうに彼女は言った。
それからというもの彼女は途切れることなく自分の恋愛事情、
あいつへの思いを遂げるのを邪魔するいくつもの障害(てめえの面構えを除く)を、辛そうに真剣に話した。
オレが成人用紙オムツを纏い、2回ほどフィーバーしてるのも知らずに、だ。

飲み会で真剣に話を聞いてくれたし、話してくれたこと。
友達と子どものようにはしゃぐこと。
そんなところが好きなんだと。

なにが飲み会だ。
男女が真剣に話をして、子どものようにはしゃぐ。
そんな飲み会なんか細菌テロにあえばいいんだ。

いいか、このブスカワイコちゃん。
それ以上、油断丸出しでオレのじゃがりこを食い続けると、お前んちの前でオレが死ぬぞ。
イヤだろう?自分ちの前でオレが死んでたら。
402TR-774:2008/09/07(日) 19:39:33 ID:???
わっふわっふる
403TR-774:2008/09/07(日) 19:51:35 ID:SFuOUHOE
松沢さんは優しい人だ。

オレがワンカップを買うには小銭が足らず泣いていたら、
なんにも言わず一晩中抱き締めていてくれた。
今年で60だというのに、凄い力だった。
寒くて震えてる時に豚汁と毛布をくれたし、酔うとオレが女言葉になるのも笑わないでくれた。

一度だけ松沢さんが泣いているのを見たことがある。
「ボクはホントは貴族の生まれなんだ。
レモンとリンゴの精がボクをダメにしたんだ。」
と言って公衆電話の受話器を泣きながらしゃぶっていた。
松沢さんはホントに優しい人だが、あの時以来、オレは松沢さんのことを心底クズだと思っている。
404TR-774:2008/09/07(日) 20:14:21 ID:SFuOUHOE
家に帰ったらまずメールをチェック。
メールが来ていたならば嬉しい。

今日も来てない、か。

寂しいんでしょう?
いえいえ、そんな。
強がってない?
うぅん、どうでしょう。自分ではそんなに。

メールが届く。
チェーンメール。
いつものだ。

五年前、SM専門のテレクラで知り合った女王さまにデジカメで撮られた画像。
縄で縛られた身体中にオレ一人で撮った大量のプリクラを貼られてニッコリ笑うオレの画像。
「三人に転送すると重い病気も治る」というデマと共に、
世界中の重病人に愛されている。
405TR-774:2008/09/07(日) 20:22:19 ID:???
れらの神々は肉体を持たないから、肉体のわずらいがない。だから自由自在に働けるわけです。
肉体を持っている人間は、たとえ真理がわかっても、真理そのままを他に伝えられない。
真理の通りには実行できないからです。
 たとえばイエスのように”右の頬を打たれたら左の頬も打たせよ、上衣をとるものがあったら
下衣も与えよ、姦淫の想いをもって女を見ればしたも同じだ”といいましても、実際は出来ないでしょう。
苦しくなってしまいます。
 そこで私の立場というのは、真理を私が受けて、みんなにやさしく実行できるように伝えているわけです。
 それが”消えてゆく姿で世界平和の祈り”になったんですよ。

 自分の中に悪い想いがでますね。他人をやっつけたい想いも出る、嫉妬の想いも出る、
いろんなことが出ます。それも過去世の因縁の消えてゆく姿、消して下さるのは守護の神霊及び宇宙の神々です。
だから”守護霊さま守護神さまありがとうございます、といって消えてゆく姿として消しなさい”というわけです。
 憎らしい人が現われる、不幸なことが現われる、災難が出てきた時に、ああ、
これが消えてゆく姿だなと思って、神さまありがとうございます、世界平和の祈りをしなさい、
と教えるわけですね。これは、やさしいですよね。

 この”消えてゆく姿だ”と思っていう時が大事なのね。
こんな悪いことが起ったのも消えてゆく姿だ、私にこんな悪い想いが出たのも消えてゆく姿だ、
ああ神さまお許し下さい、世界人類が平和でありますように、みなが平和でありますように、
みなが幸せでありますようにと祈ります。
 すると、災いが転じて福となる。悪いことが出てくるのだけれども、それは自然に世界平和の祈りが出来るような、大きな幸せに転換させられるわけです。
406TR-774:2008/09/07(日) 20:23:20 ID:???
煩悩即菩提というのがあります。
煩悩が起ってくる、それだ祈る、すると菩薩心がわいてくる。
潜在意識の中に過去世からの、いろんな悪いものが蓄っているわけです。いろいろ修行した
善いものも蓄っている。
徳が積んである。しかし、不徳も積んであるわけですね。その不徳の面は、いろんな悪い運命
として現われてくる。
 それが輪廻してゆくのだけれども、しかし、消えてゆく姿だな、と思って神さまありがとうございます、
世界人類が平和でありますように、とやりますと、悪いものが全部神さまのほうに持っていかれてしまう。
神さまは大光明ですから、どんな悪いものも消えてしまう。

 潜在意識には何が残るかというと、光明燦然たる、世界を救おうとする、世界の運命を善くしようという
愛の想いなのです。
 ですから悪いことが現われ、悪い想いがあらわれたりするたびに、逆に、祈りによって潜在意識がきれいに
浄まってゆくわけです。そうするといつの間にか、きれいなきれいな魂になっています。これが私の教えです。

 こういうことは他の宗教ではやっていないのです。
他では、あなたの心が悪いから心をよくしなければダメだ、あなたが夫を敬わないから夫が悪くなるんですよ。
あなたの子供が悪いのはお母さんのせいですよ。とか、他人に責められるわけですよ。それではいつまで
たってもよくならない。

 想いというものは変なもので、思うまいと思っても出てきちゃうんです。怖いなぁと思うまいとしても
怖いなぁと出てくる。嫉妬しまいとしても嫉妬する。淋しい想いが出てきてはいけないと思っても淋しい、
が出てくる。
 それは何故かというと、自分の中にそういう想いがあるし、この地球人類の中にそういう想いがいっぱい
充満している。
 想いは波動です。だから、自分の中にもあるから感応して、引っ張り出される訳です。
それで出してはいけないといったって、出てきちゃうわけです。
407TR-774:2008/09/07(日) 20:33:13 ID:SFuOUHOE
なんだ。
渋谷なんとかって人、なんか頭良さそうな音楽やってる人だから、
ファンの人もこんなに真面目に難しいこと語ってんのか。って思ったのに。
真剣に語り合ってるのに水をさしてやろうと思ったのに。
コピペなのか。
頑張って損した!!
せっかくバカからかって遊んでる気分だったのに、
オレだけバカだったんだな。
思いのほか、良い文章が書けたから自分のmixiの日記にコピペしようっと。
じゃあ頑張ってねぇ!!
408TR-774:2008/09/07(日) 20:46:13 ID:???
それを出しちゃいけない、短気を起しちゃいけない、何しちゃいけないといっても、それは無理な話です。
だから想いを上手く出して消してしまう。そうするとなくなるわけです。押えたんではいつまでたっても、
グルグル廻って中に入っちゃうわけです。
 へんな例えですが、ものを食べて、ここで出しちゃいけない、出しちゃいけないとやっていると、そ
れこそ変に音が出ちゃう。我慢していると五臓六腑をかけめぐって痛くなる。
上手く出さなければいけないです。それで出すなら、お便所へ行って出せばいい。そのように、
想いをどこへ出したらいいかというと、神さまの大光明の中へ出してしまえばいい。
そうすると神さまがきれいに消してくれるわけです。

 悪い想いで、悪い運命が出た場合には”これは消えてゆく姿だな、これでよくなるのだな、
神さまどうぞ世界が平和になりますように、私達の天命が完うされますようにとやっていますと、
自分のためにもなると同時に、他人のためにもなるんですよ。
 どうしてかというと、世界平和の入りの大光明が宇宙にパーッとひびきわたる。
それだけで大変なお役目なです。政治家、総理大臣より大きな役目なのです。
 総理大臣は果たしてよいことをしているか、これはわかりません。
今では総理大臣になるんでもお金が何億と動くのでしょ。お金のやりとりです。
 そういうのがいいか、純粋に世界平和を願って、お祈りした方がよいのか、
純粋にお祈りした方がよいです。それで総理大臣にかつがれたら、
その善い心がますますよくなるに決まっています。

 この世の中には、大きい魂と小さい魂とがあります。どんな小さな魂でも、
きれいに輝いている人は、大きい魂と同じになるわけです。何故かというと、
きれいに純粋に輝いていると、守護霊守護神の光が入ってくるでしょう。
 また宇宙天使、神々の光も入ってくるから、大きな働きが出来るわけです。

 だから気の小さい人があったとすれば、それは過去世の癖ですから、習慣の想いですから、
魂とは関係ないこと。ああ癖なんだ、消えてゆく姿なんだ、本当はさんざん修業したんだから魂は大きいんだ、
と思い返せばいいんです。そうすると大胆不敵になります。
 臆病だった人が平和の祈りをやっていまして、非常に勇気が出た人が随分あります。
409TR-774:2008/09/07(日) 20:57:44 ID:???
仏教には”南無阿弥陀仏””南無妙法蓮華経”というお経がありますが、誰もがパッと納得するものではありませんね。
まして現代では、それだけでは充分ではないのです。
 何故かといいますと、”南無妙法蓮華経”の教えをやりながら、唱えながら戦争をしたり、
”南無阿弥陀仏”と言って悪い事をしていた。7、800年も経っていますから、
長い間にいろんな業がその唱え言の中にしみているんです。汚れてきているわけです。
その汚れを浄化しなければなりません。

 南無阿弥陀仏と念仏をやっていても結構、南無妙法蓮華経と題目しても結構だけれども、
それに世界人類が平和でありますようにと加えますと、念仏なり題目なり、お祈りが浄まるんですね。
何のお経をやっても結構ですから、それに加えて必ず平和の祈りをやりますと、
今までやっていましたお経が光ってゆくわけです。祝詞をあげれば、祝詞が光っていく。

 そういうわけで、世界平和の祈りというのは、神々が、地球だけの神々でなくて、宇宙の、
地球を助太刀する神々ともぴたりと波長が合う、ひびきが合う祈りですから、
自分が”世界人類が平和でありますように”と祈っている時には、自分の体を通して、
神々の光が地球にパーッとふりまかれているんだ、という自覚をどうぞ深くもたれまして、
大いにおやりくださるよう、お願いいたします。
410TR-774:2008/09/07(日) 23:03:41 ID:QApTNO7i
411TR-774:2008/09/07(日) 23:34:13 ID:???
人々が一番悩むことは何でしょうか?それは病気だと思います。運命の挫折、会社が上手くいかない、
対人関係がだめ、それでノイローゼになる、といったように、人々の悩みの70%を占めているのが
病気の問題です。

 今日、皆様と統一をしていましたら、ある方がパーッとクローズアップされてきました。
その人は胃のことを大変心配しています。私はレントゲンのように、その人の胃の状態を
見せていただきました。でも、なんでもないのです。なのにその人は胃のことが心配で
心配でしょうがなくて、無言で訴えているのです。

 今の医学は極端に言えば、胃が悪ければその胃の部分を元通りにすれば、胃がよくなると思っています。
腸に悪いところがあれば、腸を調べて腸だけ完全に元通りにすれば、その人の病気はよくなると思っています。
 昔はそうではなく、病気というと、体全体を病気としてみたのです。体全体の関連性をよく知っていました。
 ところが文明が発達して、顕微鏡が発明され、病気の原因はビールスとか最近の災いである
(勿論そればかりではありませんが)と発表して、動物実験を繰り返して、今日の医学に発展してきたわけです。
 その発展ぶりは素晴らしいものがあります。しかしながら大きな間違いがあるのです。
412TR-774:2008/09/07(日) 23:34:47 ID:???
 それはどういうことかといいますと、最初にいいましたように、胃はなんでもないのに、
胃が悪いと思い込んでいるということです。
 その人の胃を完全な胃、完全な腸にし、きれいな酸素の多い血液を流し込んで、
100%完全な臓器にし、機能を働かせたとしても、その人が果たして病気にならないか、
健康のままで生きていけるかというと、そうではないのです。
 内臓自体が完全になっても、働けないのです。おかしなことがあるものだ、とお思いになるでしょうけど、
そうなのです。
 なぜなら、人間には動物と違って、想いがあります。言語を持っています。肉体の病気というより先に、
この想いというものが病気になっているのです。ですからそれが肉体に反映して、
臓器が動かなくなってしまっているのです。
 臓器自体は何も悪くないのに、その人は病気なのです。想いが病んでしまっているわけです。
413TR-774:2008/09/08(月) 00:12:12 ID:bv6GoBmQ
天皇陛下万歳\(^O^)/
天皇陛下万歳\(^O^)/
天皇陛下万歳\(^O^)/
天皇陛下万歳\(^O^)/
天皇陛下万歳\(^O^)/
414TR-774:2008/09/08(月) 02:18:52 ID:???
ですから、ここに来て(かつてあった聖ヶ丘道場)私の話をお聞きになり、皆さんがそうお思いになると、
だんだん精神が明るくなってゆきます。
そして肉体のすべての働きが活発になってゆくのです。活発になってゆくから、考え方も肉体もなんとなく
活動的になり、なんとなく陽気になる。
 ところが家へ帰って二、三日すると、また以前と同じ想い、暗い考え、いやな考え、否定的な考えで
占領されてゆくから、肉体に現われることが、また暗い、憂鬱な痛む想いが出てくるわけです。ですから
想いというものは、肉体に直結するわけです。
 実際にここに梅干しがなくて、梅干しは酸っぱいと字で書いたとしても、思ったとしても、口の中に
唾液が出てくる。ということは、想いが即肉体に反応する、ということです。
 氷は冷たい、というと、冷たいという感覚が肉体に走ります。そういうように、想い、考え、言語
というものは、すぐ肉体にひびくものなのです。

そういたしますと、「自分はだめなんだ、何をしても自分は出来ないんだ、自分はくだらない人間だ、
成功しないんだ」と思い続けてきたら、その人は絶対に成功しません。そう思い続けていた人に成功した
人はいません。
 いまの自分が大したものでなくとも「今にみろ、あいつに見直させてやるんだ、見下してやるんだ」と。
それは上等な考えでないかもしれないけれど、「今にみろ、自分は金持ちになってやる」という想いが、
自分の精神を占領していると、その人に必ずお金が入るのです。
 何しろ自分の心の世界を占領しているものが、肉体生活に、社会にすべて出てくるわけです。

 だから世の中が悪くなっている、ソ連がどうだ、アメリカがどうだ、中国がどうだ、日本の政府が
どうだといおうと、それはみんな想いの結果でそうなったのです。想いが即社会情勢にも現われるんです。
 一人一人の想い方、それが自分の肉体もだめにし、運命もだめにし、ひいては国も滅ぼしてゆくわけです。
 想い方の中で一番だめなのは、否定的な暗い想い方です。
 これが一番自分をだめにし、家族をだめにし、日本をだめにし、世界をだめにするのです。
415TR-774:2008/09/08(月) 02:19:49 ID:???
とはいっても、だめなことはないんです。想いが”絶対大丈夫”という一言を想うだけで、
その人の天寿が完うされることになっているのです。
 神さまは愛なんだ、私を救ってくれるんだ、私は努力してやってみる、という、光明一点張りでいくのです。
こういう想いを自分の精神の中に充満させていけば、
必ず肉体は健康になるし、自分の運命は過ぎらしい運命へと転換されるし、日本も安定した国づくりが
出来るわけです。

 皆さまお一人お一人の、想い、考えは、責任のない考え方、想い方のように思われても、
皆さま方一人一人の想いが世界を左右しているのです。
”世界人類が平和でありますように”という祈りが、皆さま方の心を占領していれば、充満していれば、
この言葉は大調和のひびきですから、肉体は調和されてきます。この言葉は光明です。神さまの愛を
絶対に信じた言葉です。
 ですからどんな暗い想い、否定的な、不安な、恐ろしい想いも打ち消します。そして自分の肉体、
心が、世界が平和であるという、神のみ心の世界のひびきと一つになります。

 肉体の世界は物質的な世界であると同時に、宇宙の分かれであるのです。一つの肉体ではなくて、
世界なのです。宇宙なのです。それが平和になる、調和になる、ということなのです。
416TR-774:2008/09/08(月) 02:20:37 ID:???
ちょっと胃が悪いと、癌じゃないか、癌じゃないか、と思う。そう思っては”いけないいけない、光明思想だ、
否定しなけりゃ、絶対大丈夫なんだ”と不安を打ち消す。その打ち消すこと自体がもう把われている想い
なんです。
 ということは、打ち消しているから大丈夫なように思われているけれど、なるんじゃないかという不安の
想いが出てくるから打ち消すんであって、そういう生き方では明るくならないんです。
 ただ言葉、観念で言っているだけなのです。打ち消したとしても、もっと奥底で、そうなるんじゃないか、
という念のほうが強いから、打ち消すのがあいまいになっています。

 もっと強く自分の運命を信じ、神の愛を信じて、癌になるという、癌自体も消してゆかなければ
なりません。
 でもそれは、なかなか難しい。難しいから、ただ明るい心を充満させることだけに徹底的に努力する。
そうすれば自分の病気なり、対人関係なり、会社での自分の地位なり、そういうものが変化してゆくのです。
 どんなに今困っている状態であっても、想いを神さまの中に入れてゆく。否定的な想念はみな消えてゆく
姿と思って、世界平和の祈りに切り替えてゆく。消えてゆく姿というのは把われがないんです。
この言葉の出てきた世界が、愛と光明の世界だからです。

 私たちは本当に、一日一日、自分の想いを整理して、祈りに切り替えてゆくことが大切です。今、
自分の心を占める想いは何か、夫を憎む想いか、嫁や姑を憎む想いか、妻を恨む想いか、そうした想いが
占領していたら、日常生活にそのように現われてきます。
 本当に子供を愛して愛して、愛する心で占領されているならば、子供は立派に育っていきます。例え
自分が病気で寝ていても、手をかけられなくとも、その子供は愛深い人間に育ってゆくものなのです。

 ですから心の持ち方というのは大事です。想いは、肉体を社会を、運命を左右するものなのです
417TR-774:2008/09/08(月) 02:25:44 ID:???
例えばここにお茶碗があります。このお茶碗を上から眺めたもの、下から見たもの、側面から見たもの、
また半分にバサッと切ってきた断面と、みな違います。けれど全体的には一つのお茶碗です。
 それと同じように、ここに一人の男性がいるとします。会社で働いている時の自分、家庭に帰り
くつろいでいる自分、子供に接している時の自分、妻と話し合っている時の自分、親友と会っている時の自分、
その時々でいろいろな自分が演出されていますが、一体どういう時の自分が本当のものなのか、
わからないんです。
 けれどお茶碗を多面から見たと同じように、いろいろな自分があり、全部心の状態は異なりますけれども、
一つの自分であることには変わりはなく、すべてをひっくるめて自分というものが、
そこに存在しているわけです。

 ですから人間というものは、部分だけを見て判断してはいけない。全体で判断しなければいけないと思います。

 同じように、物事を行動に移す時もそうです。勉強を一生懸命やっていて遊ばない人と、
全然勉強をしないで遊んでばかりいる人とは、全然異なって、合致するところがないように思うでしょうが、
ある部分では同じなのです。
418TR-774:2008/09/08(月) 02:26:20 ID:???
 健康管理の面でもそうでして、自分の体は大事だから、一生懸命健康法を取り入れて、食事療法、
ヨガ体操、なにんとか療法・・・とあんまり健康を気にしすぎて管理しすぎる人と、全く健康に
無頓着で一切健康を省みない人と、同じ結果を生むことがあります。
 これも違うように見えて合致する部分があるわけです。
 やりすぎてはいけない、片寄ってはいけないということですね。よいことだろうと思って、
一生懸命一つのことをやりすぎたり、あでもない、こうでもないと考えすぎたりして失敗したことと、
考えないでパッと行って失敗したこと、けっ果的には同じ失敗なんです。

 ようするにその部分だけ一生懸命力を入れて、全体を忘れてしまうと、
人間というものはわからなくなるということです。そこで中庸という言葉も出てきました。
平常心是れ道、と言う言葉もあります。
419TR-774:2008/09/08(月) 06:19:09 ID:???
子供に接する時はなんてよい父親で、やさしい人だろう、という人間が会社に行って、
会社の人と接するとなんと冷たい、なんと嫉妬深く、なんて意地悪な、という人間性を
発揮する場合もあるわけです。

 そうかと思いますと、人にはやさしくて、よく尽くしてこんな良い人はいないと思うのですが、
家に帰ると、実に冷たくて暴君でメチャクチャな振る舞いをしている人もいます。こういう性格も断面、
側面、上面、下から見た面というのが現われてきます。
 それも突き詰めれば全部、因縁の問題なのです。

 子供と自分の因縁がよければ、よい状態よい関連として現われてくるし、会社での同僚、上司との前生の
因縁関係が悪いものであれば、悪い方面へ現われてきます。
 けれど、その一部分だけ取り上げて、その人はこうなんだ、と言い切れません。あの人は不幸なんだ、
罪深い人なんだ、前生ではひどいことをしたんだ、とは言い切れないのです。
 また逆に、他の所では、実に素晴らしい人間性を発揮している部分があるわけです。
 なので、私たちはは最終的に、自分が自分自身を知るということは、大変難しいことなのです。

 それで統一をしたり、瞑想したり、神の御名を呼ぶことによって、人間が断面的に発揮する性格を、
全体的に一つの調和の取れた人間、真実の人間、神の子人間へと昇華させることが必要なわけです。
 部分の生き方は、全体の生き方を現わすための一つの生き方でもあるわけです。
420TR-774:2008/09/08(月) 06:19:44 ID:???
私たちは、全体的に調和をとりながら、自分を見つめながら、どこが出すぎて、どこが引っ込みすぎているか、
全体を観る訓練が大事です。部分的に人を判断してはいけないし、自分をも判断してはいけません。
 夫が自分の妻にだけ見せる部分というのは、夫の一面であって、全体ではありません。

 五井先生と私たちとどういうところが違っているか、と申しますと、奥様に接する時の先生、
子供と接する先生、老人と接する先生、政治家や財界人、権力と名誉の冠をつけた人たちと接する先生、
私たちと接する先生、みな同じなのです。
 あの人と接する時はにこにこ、こういう人と接する時はけんもほろろの態度になる、なんていう
変わり方ではないのです。
一様にすべて愛なのです。気取らないのです。
421TR-774:2008/09/08(月) 06:20:21 ID:???
子供に対しても、主人に対しても、妻に対しても、同僚に対しても、近所の人に対しても、
どんな人に対しても変わらないもの、この世でもあの世でも変わらないもの、時代が移り世の中が
どんなに変わっても、変わらないもの、それは真理です。つまりそれは愛というものです。

 皆さまの心の中に愛が満ちあふれ、側面でも断面でも、裏からも表からも、どこからも愛が現われていれば、
もうその人は完全なる人、といっても過言ではありません。
 ですから部分的に愛が現われ、その反面、影が現われるというのではまだまだ未発達、
未開発の状態というわけです。

 人間は死ぬまで、自分の真実の価値、他人の真実の価値を見極め、調和のとれた
人間性を創り上げていくよう、一生懸命学んでゆく。そういうところに、人生最大の
目的があるのではないかと思います。
 そのためには、何回も何回も統一をして(この会では統一テープというもので、
意識を神界に合わせる行をやっている)、自分の多方面に散らばっていった性格を一つにまとめ、
引っ込んでいる部分を出し、出すぎていた嫌な部分を引っ込め、まるくまるくしてゆくことが必要です。

 自分の性格というものも、他人の性格というものも、現われているだけで判断したら、
その人の価値判断を誤るものだと思います。全体的にみるよう、努めてまいりましょう。
422TR-774:2008/09/08(月) 06:21:11 ID:???
人間の心は一つではなく、肉体界、幽界の心と霊界神界の心とで出来ていて、
前者を想念といい、後者を生命(いのち)といいます。
 肉体界幽界の想いが業で、”ここにあなたがいる”というのは、想いがいるのです。
その想いから抜けきれないから、人間が悩むわけです。

 しかし本当の想いの源は神霊界にあって、肉体界、幽界にその波が来ているのです。
だから自分の想いを神霊界に持っていけば、過去の”怖い、悲しい、辛い、憎い”という想いの波は、
グルグル廻って消え去って、やがて神霊界の想いだけが出てくるのです。

 また幽体離脱といって、自分の霊界の想いを少し粗くして、目の前に肉体と平行に出すのがありますが、
私のは離脱ではなく、解脱といって霊界を建てに突き抜けて、神界の直霊の想いまで達する。
 直霊のところまで行って、そして、肉体界幽界の想いの中で、グルグル廻りながら”痛い、辛い”と
いっているのを、自身は痛まず、上のほうから眺めて”ああ、今によくなるな”と見ている。
 すると生命を投げ出さずとも、業想念というものを”消えてゆく”とフッと消せる。消えるということは、
守護霊守護神、直霊と一体になることです。

 全部消しきって、直霊と一体になるまでは、苦悩は無くならないけれど、無くなるまでは常に上から、
想いの自分を客観的に見て、消えてゆくのだと思えば、業に煩わされているのがバカらしくなります。
423TR-774:2008/09/08(月) 06:22:00 ID:???
業というのは、録音盤に録音されているのとおなじようなものですから、それが縁に触れて、
過去世からの想念をいろいろな音にして出すのだから、何か悪いことがあった時、失敗した時は
”過去の録音の一幕が終わって消えたんだ”と思うことです。
 病気になった時は、過去の何かの思いが消えたのです。
それを病気だ、大変だ、大変だと慌てて、また新しく病念、恐怖の想念を吹き込んでいるわけです。
”ああ、これで過去世の業が消えたのだ、これでよくなるのだ”と、録音盤に吹き込めばいいのです。

 だから悪いものが出たら、本当はシメタもので”これでよくなる”と想い、そして守護霊守護神さんに
感謝して、直霊と一体にならしめたまえと祈ることです。
 このようにすれば、過去の業は残りません。悔い改め、改心をしたことになるのです。

 この光明燦然たる生命、霊はすべての人にあります。それがわかるためには、あってもなくてもよいような、
よけいな想いをめぐらせないことです。
 人は、今あっても明日ない想念を実在だと思い込み、それに把われて、揺るぎない本体を忘れてしまう。
迷いの想念を人間だと思ってしまっています。

 ですから、業は廻るなら廻るままにし、人間は光りそのもの、光明燦然たる生命なのだ!と、つねに想い、
内なる神を呼ぶのです。
 廻る業想念を、こんなものは自分ではない、消えてゆくものなのだ、と否定すること。
これが宗教の根本なのです。
424TR-774:2008/09/08(月) 06:25:57 ID:???
私の教えは、湧いてくる業(カルマ、感情想念など)をこらえさせたり、我慢させたりしないのです。
こらえたり、我慢させたりしてしまいますと、かえって業を積み重ねて、撥ね返す力を大きくしてしまいます。
 それより輪廻する業は、そのまま現われるままにして消すことです。業は現われれば必ず消えるのです。
”出て来た業は消えてゆく、これで業が消えて浄まったのだ”と思って、守護霊守護神に感謝することです。

 四六時中、神を想い、守護霊、守護神に繋がって守られているのだ、と固く信じているなら、
いくら相手が敵意を持って攻めてきても、神の光がそれを撥ね付けてしまいます。
 霊光(守護霊、守護神の世界からの)の波動は、非常に微妙で強靭です。それに守られ、
またなりきっている人は、粗い、鈍い波動の災害を撥ね付けてしまいます。
 密度の細かい霊の光を鉄に例えるなら、密度の薄く、動きの鈍い害意、災害の波は綿のようなもので、
綿がいくら鉄にぶつかったとしても、鉄はびともしません。

 大事なことは”こうしなければ生きられない”というような、自己限定的な想いと恐怖をすべて捨てることです。
そして自分の内なる霊と外なる自然に生かされているのだ、と、生かされている自分を知ることです。

 病気、不幸、すべて悪いことが起っても、すべてはよいほうに進んでいるのだと、
絶対思えるようにならなければなりません。不動の精神、不動の心を得させるのが本当の宗教なのです。
425TR-774:2008/09/08(月) 06:26:35 ID:???
人間は神の子である。物質はない、業はない”といっても、現在の世の中には泥棒もいるし、
強盗も殺人犯もいます。悪人がいるのですよ。その悪をも拝む必要はありません。悪は悪なのです。

 例えば、子供が作文を書いてきたとします。これをただうまいとだけほめては、
その子供の作文は上達しないし、子供がいい気になるかもしれません。だから、ここはうまい、
けれどここは悪いからこう直したほうがよい、と言ってやれば、ああそうかと了解して、
その子供の作文は上達します。
 こんな小さなことからでも、善悪をはっきり区別させることは大事なことなのです。

 また物の価値判断をちゃんとつけることも大事です。
それをうやむやにすることは、信仰する人の一番陥り易く、一番危険な盲点であり、死点なのです。
 理性、常識もなくし、麻痺させてしまうので”宗教は阿片なり”とか言われてしまうわけです。
 当たり前のことを、当たり前に見られる。当たり前に判断できるような人になることですね。

 神さまにすがってお任せしていますから、泥棒なんか入らないと、鍵をかけないでおいたら、
泥棒はしめたとばかり入ってきて、みな盗んでいってしままいすよ。火の不始末をしておいて、
神さまが守っていてくださるから大丈夫だと、何もしないでいたら、
火事になって家はきれいに焼けてしまいます。
 お任せと怠惰の違いをはっきりと知らなければなりません。
426TR-774:2008/09/08(月) 06:28:31 ID:???
どんな現われが出てこようとも”これで業が消えてゆく、消えたのだ。
ありがとうございます”と、感謝することです。
そうなるには、練習が必要なのです。毎日毎時毎分神を想い、感謝するこ
とです。たった一回想っただけでそうなる、なんていうものではないのです。
 一朝一夕で出来るものではなく、毎日かかさず守護霊守護神に感謝をし
ていれば、必ず、現われてきたものが、業からきたものか、
神よりきたものか、区別することが出来るようになり、本当に相手を拝めるようになり、
感謝が出来るようになるのです。

 今、悪い想いを出したから悪いことが現われたと、大体人は思いますね。しかし、
今現われている病気も不幸も、今出来たのではなく、昔あった、
間違った想いが、今、消えてゆく姿として現われたのです。
 あったものが消えてゆくのであって、新たに出来たのではないのです。
もし消えないとすれば、自分はとうに下敷きになって潰されています。
ですから、今の不幸の現われの原因は、現在の不幸にあるわけではないのです。
 今現われた悪いことも、過去のずっと昔の悪い想いが縁を得て、消えるために出てきたのです。
ですから、その消えてゆく悪いものを掴んで引き止める必要はないわけです。
”消えてゆくのだ、これで消えたのだ”という想いは、後ですく”これからよくなるのだ、
これで浄まったのだ、ありがたい”という善い想いになるんです。

 神さまは業生の殻の厚い現在、肉体を持たしたまま人間を救おうとなされて、
守護霊を一人一人の背後につけ、人間の業を消してゆくように、さかんに働かせていらっしゃるわけなのです。
 どんな業といえど、だから消えてゆくのです。業が消えれば守護霊を通して、本来の光りが出てくるのです。
 幕が開けば、すでに名優たちが舞台に待っているのです。
427TR-774:2008/09/08(月) 06:29:01 ID:???
癖は想念の習慣が出るものなのです。今の性格は昔の癖が現われて
いるわけです。人格のような顔をして現われていますが、それは過去の
想念なのであって、消えてゆくものなのです。
癖は自分を責めることなく否定し、否定してゆけば消えてゆくものなの
です。 ”悪かった、しまった”と思った時は、もうその悪を二度と再びしまいと思った時なのです。
そこで”これで悪は消えたのだ、業は消えたのだ”と、今度は本当の姿を掴んでゆくことです。
悪業は消えて、光明燦然たる
光のみが残るのです。
 ”病気が出た、しめたこれで業が消えた”
 ”不幸が来た、よくこれで業が消えて浄まるのだ。ありがたい”と
思える勇気が必要ですね。

 善念を持ち続け、善をなし続けてきたが、その結果が出ない。
善果どころか悪果がどんどん出てくる。最後の瀬戸際まできてしまった。
 しかし、最後の土壇場へ来ても、これで本来の光、本来の姿が現
われるのだ、と固く信じてください。そのように明るい善念を
持ち続けていたら、必ず悪はすべて消えて、本来の光が現われてきます。

 神に全生命を任せて、これで死んでもよいのだと思って、最後まで
善念を堅持するなら、いかなる悪念といえども必ず消えるのです
428TR-774:2008/09/08(月) 06:39:08 ID:???
私たちは日頃、漫然と時間を過ごしていることがあるのではないでしょうか?
 例えば、一日の生活を見てみると、まず歯を磨き、顔を洗う。その時”今日も一日が始まった、がんばろう”
と思う人もいるし、”辛いな、頭がぼーっとする、もっと寝ていたいな、でも仕事に行かなければいけない”
と思う人もいます。
 ”今日は大変な仕事が待っている。難しい交渉がある””今日のパーティは誰が来るのだろう””今日は子供を
幼稚園に早く迎えに行かなければならない”などと、おそらく一日の計画を頭の中でめぐらせながら、
それぞれの一日の生活が始まることでしょう。
 それは毎日の行動の一部であり、その時の意識は、とりたてて自覚されるほどのものではありません。
感情が意識の表面だけを流れていきます。

 そして”今日は辛いから、学校へ行きたくないな」「もっと寝ていたいなあ」などと思いながら顔を洗い、
そして朝食をいただく。しかし、朝食に自分のいのちの元をいただいている”ありがたさ”を感じることはない
のではないでしょうか。
 食欲の無いまま”朝食をとらなければ体によくない。おいしくないけれど食べなければ”と考える人もいれば、
朝の食事を楽しみに”これが自分の喜びだ”と思っていただく人もいます。ほとんどが、ことさら自覚
された行動というわけではありません。
 当たり前に食事を出し、また出された食事を食べるだけです。もちろん”おいしいおかずだね
””まずい肉だな”などという感想はあるでしょう。しかし、ご飯やパン、味噌汁や卵焼き、
ハムなどの食べ物に対して、特別の感謝、心からの喜びは湧いてこないという人がほとんどです。
429TR-774:2008/09/08(月) 06:43:32 ID:???
 自分の行為を自覚しない、物事の意味を表面的にしか捉えない行動は、何も食事に対してばかりではありません。
 仕事に行く時は歩いたり、バスや電車、自動車を利用します。いつものように女子学生がいれば”かわいいな”と思うかも
しれません。バスが遅れれば”何かあったのかな”と感じる。それはそこで起きる状況に対して、
頭の中でただ表面的に反応しているだけで、心の中から意識的に反応しているわけではありません。
 たんに目や耳や舌に飛び込んできた事物、あるいは皮膚などがとらえた刺激に反応しているだけです。

 会社や学校に着くと、また昨日と同じ仕事や授業の繰り返しが待っています。
きっと、何一つ変わっていないと思うことでしょう。心から喜んで、自分の天命だと
感じて仕事をこなしているわけではないから、無事にすめばよい、失敗がなければよい、
今日もうまくいくようにと願いながら、仕事や勉強をこなしています。
 仕事が終われると”お疲れさま”で家に帰る。食事をして、風呂に入って、テレビを見て、寝る。
もちろん、これがすべてではありませんが、日本人の多くの”無事な一日”のパターンとは
このまようなものではないでしょうか。
430TR-774:2008/09/08(月) 06:44:24 ID:???
私たちは、状況や状況に対する自分自身の反応、そして反応から引き起こされる感情に無自覚であるために、
とてももったいない生き方をしているのかもしれません。
 無駄な時間を過ごし、無駄なエネルギーを費やし、無駄な人生を送ってはいないでしょうか。
 一日でもいいから、自分の心の動きを意識的に捉え、その日を過ごすと、今までの日常生活とは
まるで違う一日が訪れます。朝起きて、いつものように漫然と過ごすと、肉体の状態に反応して、
感情だけが意識の表面を流れていきます。
 体がだるいという感覚によって”もっと寝ていたいな”と反応し、そこで無意識に”仕事に行くのは嫌だな、
今日は辛いな”という感情を引き起していくのです。

 しかし、この反応や感情を意識的に捉えると、いつもなら”辛いな”と起き上がるところを、
辛い状態が辛くなくなってきます。
 ”よし、この状態も自分の心の持ち方でいかようにも変えられる””この辛いことは、
かえって自分をより磨くためにいいことだ”ととポジティブな想いに切り替えることができるからです。
 ”今日一日意識的に生きよう””今日一日意識的に頑張ってみよう”という信念があれば、
起きたときの気持ちを明るくすることができます。そして素晴らしいことを思い描くことができ、
必ずよくなると信じることが出来るのです。

 意識しないと”今日も同じことか、ああ嫌だな””嫌な仕事が待っているな、ああ辛いな”と、
必ずネガティブに心が動いていきます。ところが、意識的に捉えると、まるで180度違った人生が訪れます。
431TR-774:2008/09/08(月) 06:45:09 ID:???
 昨日までは、洗面所で鏡に映った自分の顔を見たら、気が入っていない、憂鬱そうな顔だったのにが、
”今日一日輝かしく生きよう、今日は昨日よりもっと良くなる、もっと素晴らしくなる”と意識して想うと、
自分の顔をはっきりと、輝かしく明るくなります。
 そして”会う人すべてに、この目を通して愛を与えよう””喜びを与えよう””喜びを語ろう””
喜びのエネルギーを放出しよう”と想うと、腫れぼったい重々しい顔が、どんどんピンク色に
変わっていくことが認められます。

 自分が、このようにただ意識的に生活することによって、自分の意識を通したエネルギーが
他の人にまで影響を及ぼします。
 明るくなる、素晴らしくなる、輝かしくなる、もっと良くなるというエネルギーが周りに影響を及ぼすのです。
 奥さんや子供の明るいエネルギーを受けたご主人が、会社へ行くと、何か気持ちが明るくなり、
何事もうまくいきそうな気がしてきます。ご主人の隣に座っている人も、明るくなってきます。
そうするとそのご主人は、とてもスムーズに仕事をすることができるのです。

 食事も意識的に感謝してとれば、いつもよりおいしく感じられ、”今日はなんてありがたい日なんだ”と、
ますます感謝の念が増してきます。
 ”これはいのちを作っている元なんだ””いままでは意識しないで食べていたけれど、
意識して食べよう”と想ってたべれば、一つ一つの食べ物がありがたく感じられ、
その結果素晴らしい一日になり、明日はさらに良くなります。
 そしてますます”生きることは素晴らしい”と、感謝するようになるのです。
432TR-774:2008/09/08(月) 07:04:40 ID:???
漫然と無自覚に生きている人の発するエネルギーはネガティブで暗く、そして、
その磁場に入り込んだ人たちは何となく憂鬱で暗く、思い気分になります。
 その反対に、物事を意識的に前向きに、良くなるんだ、素晴らしくなるんだと
捉える人が発するエネルギーは、ポジティブで明るく、周りにそういう波動が広がっていきます。
そして、その磁場に入った人もなんとなく心が明るくなり、良くなるんだと何か直感的にひらめいたり、
今日は素晴らしい一日になりそうだと感じたり、すべてが輝いて見えるようになるものです。

 太陽は美しく輝き、緑は新緑のように光って見えます。すべてが楽しく、
いつも出会う職場の女性も今日は特別に輝いているように見えるようになります。
自分の見る目が変わっているからです。

 無自覚に、マンネリズムに陥って過ごしている一日を、あえて意識的に捉えるのです。
必ず良くなるんだ、絶対よくなる、ずっと調和する、もっと素晴らしくなると念じるのです。
 それによって自分の放出するエネルギーは、ポジティブな光明エネルギーになって、
それを周りの人々も受け取って、やがてその人々の意識が変わってゆきます。

 一日でも、意識的に生きるということを、自分の行動で試してみると、その影響の事実を見れば、
一挙手一投足、自分に触れるものすべてに意味があり、今まで自分が気がつかなかったこと、
見落としていたことが、自分のため、自分を磨くために、いかに大切なことだったかと、気づくはずです。
 必ず自然発生的に感謝の念が起り、良くなるんだ、もっとすばらしくなるんだということが、
観念ではなく、自分の実感として感じられるようになってきます。

 あらゆる物事を意識的に捉える生き方をするか、無自覚のまま漫然と生きていくかによって、
両者には非常に大きな差が出てきます。
 その捉え方によって、世の中がまったく違って見えてくるはずです。毎日接する人々に対しても、
まったく違う感覚で相手を捉えるようになります。
 嫌だった相手が、とても懐かしい相手に変わってくるのです。
 まず今日一日だけでも、意識的に生きてみてください。きっと何かが得られるはずです
433TR-774:2008/09/08(月) 07:05:29 ID:???
 人間にとって、もっとも難しい行為について、昌美先生にダメだしされたことがあった。
私はつい「でも・・・」と、私の意見を言おうとしたが、昌美先生はいついかなる時も、
たとえ自分が正しくとも、相手の心境を思いやって、すぐ謝罪をされると伺い、深く考え、
いまではずい分実行できるようになってきている。

「謝ると、一言とで言っても、実際に行動に現わすことは大変難しいことでしょう。友達に対しても、
なかなか素直に謝ることはできません。夫婦関係においてさえ、妻が夫に謝る、
あるいは夫が妻に謝るということは、なかなか難しいものです。
 なぜ人は素直に謝れないのでしょうか?なぜ失敗を失敗として認められないのでしょうか?
 それは、自分自身の自我か強いためだと、私は思っています。そのような人は、
謝ることは自分の失敗にさらに追い討ちをかけ、自我か打ちのめされ、
自分が負けたことになると思っています。
 このような謝った固定観念があるので、なかなか人に対して謝れないのです。

 自我かなくては人間は生きていくことができません。自分の存在を確認し、
人生を貫く意志も自我意識から発せられます。また自分の理想を社会に具現化するために
自分自身を導いてゆくのも、自我なのです。
 ところが自我があまりに強くなると、自分と他人を常に対立した構図で見てしまうようになります。
自分は他人より勝っているか、劣っているかにもっぱら関心がゆくようになります。
 自我の強い人は自意識も強く、絶対人に負けたくないと思っています。いつも他人に対して、
有利に立っていたいと願うのです」
434TR-774:2008/09/08(月) 07:21:57 ID:???
他人に対して有利に立っていたいといっても、人間は自分に手の届かないレベルや無関係な
世界にいる人に対しては、嫉妬や怒りや批判は湧き起らないものです。
 日曜ゴルファーが、世界のトッププロゴルファーに対して、競争意識は持ちようもありません。
カラオケを楽しんでいる一般の人が、世界的なプロ歌手に対して
嫉妬を覚えることはないでしょう。
 自分の技術、才能、能力の限界が分かっている限り、一流スポーツ選手や一流芸術家などの、
自分をはるかにしのぐ能力の持ち主に対して、競争意識の芽生える余地はありません。
どんな好成績をあげようと、優勝して大勢の人から称賛をうけようと、まったくこだわりが起きません。
自分も一緒になってうれしくなり、共に喜びを分かち合うことができます。

 けれどもそれが血のつながりのある家族や兄弟、いとこや叔父、叔母、友人や同僚といった自分と
関係の深い人に対しては、いつでも競争心が起きてきます。要するに、自分の身近にいる人に対して、
競争心を燃やすのです。
 能力や生活環境が似ているもの同士、同じ学校を出ていたり、同じ塾に通っていたり、
年齢が同世代であったりした場合、そこに優劣の佐賀生ずると、心の中が穏やかではなくなります。
相手が自分より優勢であれば、憎しみ、嫉妬、そして今度は自分の方が何かと有利に立とうとして、
競争心が芽生えるのです。
435TR-774:2008/09/08(月) 07:37:52 ID:???
 競争心の芽生えは、強い自我の現われを意味しています。
”自分はあの人より優れているのだから、大勢の人たちから認められたい””自分というこの存在を
明らかにしたい”という気持ちが、とても強く芽生えてきます。
 相手が自分よりも素晴らしいと思われることを成し遂げたり、自分よりも優れたアイデアを
出したりすると、それに対して心から称賛できません。心から相手を称えることができないのです。
 しかし、一方では自分自身のいたらなさを棚に上げて相手を憎み、怒りや不満を感じてしまうのです。

 それは他人に向けられた憎しみであり、嫉妬であり、不平不満ですが、苦しむのは結局自分自身です。
自己嫌悪や劣等感に陥ったり、自分の才能に絶望を感じたり、葛藤にもだえます。
 そうすると、常に競争に負けまいとして、自分自身を叱咤激励していなければなりません。
殆どの人は、そのような苦しみを毎日毎日繰り返し、一日一日を過ごしているのではないでしょうか
436TR-774:2008/09/08(月) 07:46:33 ID:???
 では、常に競争意識が生まれ、嫉妬心や自己嫌悪に陥る人たちはどうすればよいのか

「まず、自分自身の自我を向上させるよう、もっていこうとですね。また、
自分の心を抑制する方法も知らなくてはならない。抑制といっても、自分の自我を押し込めて、
表に出さないのではなく、コントロールするのです。
 自我が芽生えるには、ものすごいエネルギーが必要です。そのエネルギーをもっと
有効な方向に向けるのです。もっと自分の良さを引き出し、能力をより発揮でき、
より自然体でいられるような方向に、エネルギーを転換してゆくのです。
 平安と喜びに満ちた人生を送るためにコントロールしてゆくのです。
 自分という、他にない個性を伸ばしていく方向に、そのエネルギーを使うのです。

 自分の能力は、誰よりも自分自身が知っています。だから相手と比較して嫉妬し、
憎しみを抱いて苦しんでいる自分に、いくら他人がなく゛さめの言葉を投げかけても、
自分自身が承知しないし、納得できません。
 エネルギーを転換する方法を知らなければ、いつまでたってもこの苦しみや悩み、
悲惨さから自分自身を救うことはできません。
 多くの人たちは、与えられたエネルギーを常に否定的な想念に使い果たしてしまいがちです。
しかし、どうしても自分自身の力で、エネルギーを転換しなければなりません。

 まずエネルギー転換を図る第一歩は、自分が作り上げている固定観念の殻を破ることです。
自己を縛りつけている固定観念から解放されることが第一です。
 競争意識に捉われたままでは、エネルギーが自己を高める本来の方向に行かず、
他への憎しみへといってしまいます。日々、そのような状態が続いていくのです。
 どこかでエネルギーの方向を変え、自分が伸びていくために、自分の神性を輝かす
ために使っていくという、本来の生き方を求めなければなりません。

 そのためには、真理を知ることです。真理を知らないために99%の人たちが苦しみ、
悩み、悶えています。
437TR-774:2008/09/08(月) 07:53:18 ID:???
「ひとたび所有欲にとりつかれると、人は所有の増大にのみ関心を奪われ、金銭の奴隷となって、
それ以外の人間の大事に心が及ばない。家族への配慮とか愛とか慈悲とか、人間としての最も大
事なことにさえ気が向かわず、富貴な人は必ず慳貪(けんどん)になる。そればかりでなく、
物の取得や保全に心を奪われて、自らの精神の自由をさえ失っている」

だから光悦は、最上の茶器でさえも「やれ落とすな、やれ失くすな」と気を奪われるのがうるさいと、
すべて人に与えてしまったくらいです、と書いています。

「所有を必要最小限にすることが精神の活動を自由にする。所有に心を奪われていては、
人間的な心の動きが阻害される」という下りに、「清貧の思想とは、自我の狭小な壁に
閉じこめられないための工夫であり、宇宙の生命に参じるための積極的な原理である」
という著者の熱い思いもよくわかりました。

また「精神の脱物質化」ね、と思いました。
438TR-774:2008/09/08(月) 08:22:15 ID:XCJJDB5t
kciyugtuty
439TR-774:2008/09/08(月) 13:30:00 ID:???
 私も以前はそうだった。例えば「この世は悲惨だ」「この世は苦悩ばかりだ」
「生きるということは苦しいものだ」「喜怒哀楽があるからこそ人間なのだ」と思っていたし、
そう言ってばかりいる人が周囲にいた。
 ところがここ近年、ボランティアをするようになって、また真理を知ることで、
すごく意識が変わってきている。

「真理を知るとは、どういうことかと申しますと、本来人間は神の子である、
神そのものであるというたった一つのことを知ってさえいればいい、ということです。
 あの人も、私も、みな神の子であって、神の子であれば優劣はなく、
比較して不平不満を起すこともありません。
 神の子が能力的に劣っているわけでもないし、神の子が愛と思いやりに欠けているわけがないのです。
神の子であれば、すべてが完全であるし、円満であるし、思いやり深く愛に満ちているし、
あらゆる才能が伸びてゆく可能性に満ちています。

 あらゆる可能性が現在のあなたの中に内在しています。100%の愛が内在し、100%の叡智が内在し、
100%の才能が内在しています。そのような神の子である自分の、今ここにある能力を、
どうやって伸ばしていくか、いかに発散していくかが大事なのです」
440TR-774:2008/09/08(月) 14:08:37 ID:???
 以前に昌美先生は、先生は「謝ることが大好き!」とおっしゃられたことがある。もう10年も前で、
若かった私は、エッ!どうしてそんな心になれるのかと、先生の心の広さ、自我の無さからくるその言葉が、
正直理解できなかった。
 いまでも、どこまで理解し、納得し、実践できているか否か自信が持てないのだが・・・。

「私は謝ることが大好きな人間です。たとえ五歳の子供に対しても、自分が悪かったと思えば、
素直に喜んで謝ります。母親や友人や周りの人たちに対しても、すぐに誤ります。相手によく思われようとか、
相手から馬鹿にされるとか、相手から蔑視されるとか、そんなことは問題ではありません。

 素直に謝れば、相手は私を赦してくれるし、寛大な心で思いやりと愛の言葉を述べてくれます。
そのことを発端にして、お互いはより調和し、信頼が増し、素晴らしい大きな輪になって進んでいけるわけです。

 さらに私の場合、相手の方が悪いと分かっていても、自分から先に謝ってしまいます。いつまでも不機嫌な、
不調和な、滅入るような状態を引きずっていては、生命エネルギーの無駄であると、
本心から考えているからです。
 問題が起ればそのつど、その場で解決し、新しく出直したいのです。
 これは、新しい気分で新しい一日を始めるという、私の信念でもあります。一刻も早く、
その場所、その時から再出発したいと思うのです」
441TR-774:2008/09/09(火) 04:08:33 ID:???
 「相手が悪いことが分かっていても、自分が謝るのは間違っているのではないか」
 と思われるかもしれません。
 「それは弱い人間のすることではないか」「相手に迎合することではないか」
「相手に媚びることではないか」
「相手に対してさらに業をつませる事ではないか」などと考えることも出来ます。
 しかし、私はそうではないと思っています。

 一つのことに対して一時間でも二時間でも、一日でも引きずっているということは、生命エネルギーの浪費
以外の何ものでもありません。一刻も早くその場で解決して、生命エネルギーを新たに神に近づいてゆくために
使いたいのです。
 真理が判らない人に対して反省を促しても、何年たっても謝られることはないでしょう。そういう問題を
引きずっていることほど虚しく、愚かしいことはないと思います。

 また、相手が真理に目覚めるよう導くうえでも、まずこちらが素直に謝って問題をなくしてしまい、
相手に新しい因縁を作らせないようにするのです。そして、喜びをもって再出発するようもっていきます。
 相手にいつまでも悩み続けてもらいたくないのです。そういう心を引きずって仕事をしたり、子育てを
したりしてほしくないのです。
442TR-774:2008/09/09(火) 04:09:10 ID:???
 嫁姑問題でも、いつまでもいがみ合って生活していると、その雰囲気が夫や子供たちや孫といった
周りの人たちに、影響を与えるに違いありません。そのような状態を一刻も早く食い止めるためには、
真理を知った人がまず謝ればよいのです。
 それにより、相手が喜んで生きてゆかれるなら、それでよいのではないでしょうか。
 自分が謝ることによって、「相手の天命が完うされますように」あるいは「相手が一刻早く真理に
目覚めますように」と願うことは、決して負けたことではないし、相手に媚びることではないし、
相手を立てることでもありません。

 お互いが喧嘩や失敗などを通して、消えてゆく姿で消えていって、これから良くなろうとする瞬間ですから、
消えてゆく時には、憎しみや不平不満や嫉妬心など、あらゆる業想念が出てきてもかまいません。
 その出た後が大事です。まず、素直に心から謝らなければいけません。
 謝れば、新しい生き方、新しいアイデア、新しい喜び、希望に満ちあふれた出発ができます。

 ところが謝ることが出来なければ、その後ずっと悩みが続きます。その日一日胸がふさがって、
重くため息ばかりつくことになるでしょう。
 あるいは相手の謝るのを待ち続けても、不満や怒り、憎しみや嫉妬心などが渦巻き、自己嫌悪に陥ります。
 こけれは無駄な虚しい時間の使い方なのです」
443TR-774:2008/09/09(火) 04:41:23 ID:???
「まず、思い切って謝ることから始めてください。相手が謝るべきものに対しても自分から謝ってしまう。
一回自分から頭を下げてしまえば、謝ることなんて何でもないことです。自分が傷つくこともなければ、
もちろん相手が傷つくことでもありません。
 その時、その場の雰囲気や出来事によって言葉は違ってくるでしょう。しかし、謝ることによって、
相手は真理に目覚めることを促されます。そして、相手は自分が悪かったということに気がつき、
新しい出発ができるのです。

  謝ることのできる人は、立派な人です。
  謝ることができる人は、勇気ある人です。
  謝ることができる人は、器の大きい人です。
  謝ることができる人は、真理を知っている人です。
  謝ることができる人は、愛深い人です。

  その逆に、謝ることのできない人は、自我の強い人です。
  謝ることのできない人は、競争心の強い人です。
  謝ることのできない人は、弱い人です。
  謝ることのできない人は、器量の小さい人です。
  謝ることができない人は、
  人生がいつも苦悩と悲しみの連続です。

 このように考えてくると、謝ることは、生きていくためには根本的な行為ということが分かります。
444TR-774:2008/09/09(火) 04:41:54 ID:???
 毎日の朝の「おはようございます」、食事を「いただきます」、寝る前の「おやすみなさい」。
これは人間とって、最低限必要なコミニュケーションです。
 それと同じように、相手を思いやる言葉、褒める言葉、それと謝る言葉は人間にとって
必要な言葉なのです。

 ですからいままでなかなか自我が強くて、また競争心が強くて、勇気がなくて謝ることができなかった人は、
どうぞこれから自分の心を強くして、一回謝ってみて下さい。何でもないことが分かるでしょう。
 そうすると、自分の人生が変わってくるし、自分を取り巻く周りの人たちの生き方も変わるはずです」

 私も少しずつ、一歩一歩、赦せない思いを消えてゆく姿にしていくうちに、相手に対して心からの愛が
わいてくるようになり、謝ることが素直に、自然にできるようになっていった。
 やはり、これも訓練なのだ。最初は自分も相手も戸惑いがあるが、やはり、真理をより分かっているほうが
謝るということは、理にかなっていると思う。
445TR-774:2008/09/09(火) 04:58:26 ID:???
 私は以前から「自然体」を心がけているが、人によってはなかなか「自然体」に振舞えず、
杓子定規に生きている人もいて、疲れたり、悩んだりしている様子を見ることがある。
 ずい分前に「自然体」について、昌美先生が書かれている。

☆ 自然体とは人と自分を比べないこと

 自然体というと、一見簡単なように見えますが、自然体に振舞うことほど大変なことはありません。
自分自身がそのまま裸の心になって、何も包み隠さず相手にみてもらう。いわば、相手に評価を任せて
しまうという態度ですから、自分の中味、自分そのものがなければ、自然体に振舞うことができません。

 それから、自分の心に嘘や魂胆があると、特に初めて出会う人には自然体で振舞えなくなります。
詐欺師のように人を騙そうとする気持ちがあると、自然体でいられなくなります。
 また、自分が良く思われたい、今以上に立派な人間、優秀な人に思われたい、誠心誠意の人に思われたい、
といった虚勢を張っていると、初めて出会った人に対して、自然体に振舞えなくなるのです。
446TR-774:2008/09/09(火) 04:59:01 ID:???
 人間というものは、無意識のうちに人と自分を比べてしまうものです。
 相手よりバックグラウンドや才能、学歴、知識といった点で自分の方が劣っていると見た途端に、
自分の姿や自分の見識や自分の力がみすぼらしく、貧しく思えてきて、相手にへつらうようになります。
 その結果、相手を敬い、反対に自分をおとしめてゆくのです。しかしそれは、正しい関係ではありません。

 自然体で振舞える中味のある人間は、相手に評価を下しません。優劣をつけません。他人と自分との比較を
決して行わないのです。他人は他人として認め、他人の生きる道がどんな道であろうと、
それは他人の行く道であって。決して自分と比較することがありません。
 また自分に自信がありますから、他人の良い面を見ることができ、積極的に素晴らしい面を
掴み取ろうとします。

 相手が立派な人なら尊敬してやまない心を備えており、世間の評価で、たとえ自分以下のように見えても、
決して以下とは思いません。
 「いまこの人はこのような体験をしているが、半面、素晴らしいところがある」と相手を認めようとします。
 今、悲惨で苦悩多く、一見バカのように見える人に対しても、その人の中に尊い姿、美しい面をできるだけ
心がけて見出そうとするのです。そういう姿勢は、相手の心に自信を持たせ、
相手の心に本当の喜びをもたらし、忌憚なく話し合うことができ、そして真に親しくなれるのです。
447TR-774:2008/09/09(火) 08:54:50 ID:???
 我即神也と思えない人は、この本心と業想念の区別がついていないため、究極の真理
そのものを理解していないため、そう思えないのです。「我即神也」という究極の真理が
判っている人、そう思える人は、もうずてに本心そのものと一体になり得ている人たちです。
 たとえ未だに不安、恐怖、怒り、憎しみなどのマイナス想念があったとしても、本心と
消えてゆく姿の区別をはっきりと認識し、真理を理解しているのです。それらはあくまでも
前生の因縁の消えてゆく姿であり、今生に現われれば必ず消え去るものであると、はっきり
判っているのです。
448TR-774:2008/09/10(水) 08:00:35 ID:???
自然体で接すると終生の人材を得る

 自然体で振舞うということは、相手に自分のことを正しく評価してもらうということです。
そうでないと、せっかくのかけがえのない出会いをみすみす逃す結果にもなりかねません。

 人間関係においては、無心に接すること、本当に裸の心で接することが大切です。
 才人や有能な人の中には、慢心や偏見を持っていて、どうしても無心で人に接することができない人が
多いものです。自分を偉そうに見せたり、博学のように見せたり、自分のバックグラウンドが優秀である
ように吹聴したりします。
 知識欲のある人や、指導的な上に立つ人はおうおうにして自己主張が強く、自分がどれだけ素晴らしいかを
主張したがるものです。

 自分がどういう存在であるかを、ありのまま説明するのなら、相手も自然に納得します。本当に
正直な心というものは、人を説得し、人の心を魅了するものなのです。
 けれどもそこに、偽りの影や虚飾を感じますと、人は心からその人を尊敬しないし、従うことも、
友達になることも嫌がります。
 一番なさなければならないことは、常に自然体であることです。これができる人は、大勢の、しかもいろいろなタイプの友を得ることができます。
449TR-774:2008/09/10(水) 08:03:35 ID:???
 さまざまな困難、挫折に出会ったとき、あるいは厳しい立場に立たされたとき、悲惨な状況に陥ったとき、
手を差し伸べてくれるのは友達なのです。
 友達はお金や知識では得られない財産です。自然体で、誠心誠意付き合う中から、真の友達が現われて
くるのです。
 病気になったとき、事業で失敗したとき、あるいは夫婦間のトラブルで落ち込んだとき、子供のことで
の悩みなど、さまざまな人生の局面で助けてくれる、
素晴らしい人と出会うことができるのも、日頃から自然体で人と接していればこそ、です。

「自分がどう思われるだろう」と、他人の評価でビクビクしている人は、虚心で人と接することは
できません。そう思った時点で良い友を得ることはできないのです。その人は、「自分の人生に自信を
持って生きることができない人」といえるでしょう。
 自分に信念があり、自分に実力があり、自分に相当の力がある人は、人からどう思われようと関心がなく、
人に良く思われるために飾ろうというような姑息な考えも心に浮かびません。

 裸の心になってすべてを捨て、どう思われようと構わない、虚心坦懐になって人と付き合うことが
できる人です。
 接する人たちの意見を、自分のことのように聞き、アドバイスに感謝し、自己を主張せず、
相手の立場に立って赤子のように純粋に受け入れる。そのことが一番大事なのです。
450TR-774:2008/09/11(木) 02:39:15 ID:3R+k+WMK
詐欺
451TR-774:2008/09/11(木) 03:52:06 ID:???
 自分の存在を決して否定してはなりません。自分の存在そのものを感謝し、赦し、
抱擁しつづけるのです。たとえそう思えなくても、本心を見つめようと努力すること
によって、高次元レベルの自分を思い描くことによって、次第にそのようになってゆく
のです。
 そのためには真理の書を読むことです。そして実行することです。「我即神也」の
印を組み、そして毎日毎日、神の無限なる愛を思い描くことによって、その想念エネルギー
で必ずそのように現実に引き起こされてゆくのであります。

 それこそ真理の法則です。この法則を応用すればよいのです。この法則を利用する
のです。すべてよい想念に変えることによって、よい現象、よい結果を引き付ける
のです。業想念の自分がどうであれ、自分自身を、人を、積極的に愛しつづけるのです。
人を、自分を赦しつづけるのです。今現在、たとえ消えてゆく姿の真っ只中にいようとも、
消えてゆく姿の黒雲に巻き込まれていようとも、自分がすることは、人にすがる前に、
人に頼る前に、人に愛を求める前に、人が自分のことを愛する以前に、自分から人を
愛するのです。いつまでもいつでも愛しつづけるのです。

 このことは本来、あえてことさらそうしようと努めずとも、誰でも本心ではやりつづけて
いる行為なのです。要するに、本心と自らの想念、言葉、行為が一致すればよいこと
なのです。本心を覆い隠すカルマこそ曲者なのです。
 人類はみな一人残らず、神に至るのです。「我即神也」を顕現するのです。ならば、
そのプロセスにおいて、いかなる低次元レベルのマイナスの言葉、想念、行為があった
にしろ、それらが現われることによって究極の真理、「我即神也」の境地へと導かれてゆく
ならば、何と有り難いことではないでしょうか。
452TR-774:2008/09/11(木) 03:52:34 ID:???
 そのような光り輝く立派な境地へと飛翔し、到達する縁となった過去の罪や過ち、
汚れや悪などの消えてゆく姿を、何故(なにゆえ)いつまでも恥じ、隠し、偽り、処罰
しつづける必要があるでしょうか。
 自分の罪は人類一人一人の罪であり、自分の苦悩は人類一人一人の苦悩からきて
おり、自分の卑しさは人類一人一人の卑しさから端を発しています。自分の罪、汚れ、
自分の恥は人類一人一人の共通する罪であり、汚れであり、恥であるのです。

 あなた一人が抱え込むことでは決してありません。あなたの心は人類を代表している
心です。人類一人一人に共通の心です。あなた一人が苦しむ必要はないのです。
あなた一人が責め裁かれるわけがないのです。あなた一人が恥じる必要など、どこに
ありましょうか。
 すべては前生の因縁の消えてゆく姿です。本心に至る道です。真理に目覚めるプロセス
です。それはすべて、人類一人一人の責任であり、罪であり、汚れなのであります。

 故に、人類そのものが、人類すべての人たちが究極の真理に目覚めなければ、
一人一人の平安はないのです。一人一人の幸せや救われはありません。
 それは、人類一人一人の真理の目覚めかかっているのです。
453TR-774:2008/09/11(木) 11:33:28 ID:4kiGkYS+
創価学会にはストーカーマニュアルがあってうろつきや盗聴方法について細かく指示されている
うろつきについては「子供が襲われないように地域の安全のためにパトロールしましょう」だそうだwww
盗聴については「たまたま自分の家が盗聴されてないかどうか調べてたら声が聞こえてきて
子供の安全のためにこれからはこれを利用してみんなで盗聴しましょう」だそうだwww
この言い訳使ってたらまず創価学会に間違いないし他の言い訳使ってんなら創価学会じゃない可能性が高い

熊本隆談www
454TR-774:2008/09/12(金) 17:25:21 ID:???
人と人との関係は、必ず自分や相手以外にも、第三者からの評価なり、批評、批判を受けます。
 そのときに、どんなふうに思われてもよい、弁解もしなければ繕うこともしない、自分のやっていることを改めて人に知らせる必要もない。
「ただ自分のありのままの姿を各自のレベルにおいて見てもらえれば充分だ」と、思えるだけの人間になれば大したものです。

 私はそのように思えるまで、ずい分時間がかかりました。指導者と言われる仕事を与えられたとき、それまでその立場にあった五井先生と比べて、「どうしてもかなうわけがない」と情けない気持ちになった時期もありました。
 五井先生の使命感、天命そしてその大きな魂と、私の魂を比べたら雲泥の差であります。それを五井先生と比べて「自分はどこまで達しているだろう」と思ってしまったら、もう指導者どころか、人を導くことすらできません。
 ですから、比べるのではなく、自分のカラーをそのまま、自分の持っている範囲のものをそのまま現わしてゆけばいいと思ったのです。

 人からどう思われようと、また五井先生と比較されて、まだまだ至らない、器が足りないといった、あらゆるご批評やご非難があるに違いありません。
 でもそれは、その人の思い方、考え方であって、自分自身としては、自分の持っているものを努めて発揮するべきであり、五井先生と比べるべきではないとわかったのです。
455TR-774:2008/09/12(金) 17:26:24 ID:???
 私自身、五井先生と同じような道を進んでいるわけではありません。
 もちろん五井先生のシンリ、メソッド(方法、方式)、五井先生のなさった行いに敬意を払い、その道にしたがってゆくものであります。
けれども、五井先生と違った自分自身のカラー、自分自身の生き方、自分自身の才能、自分自身の能力というものを生かしながら、
五井先生に近づこうと努力しています。
 しかし、五井先生と同じだという評価を得たいという気持ちは、私の中には一切ありません。本当に心から一切ありません。

 五井先生と私は違うという観点に立っていますから、比較をしません。
 もしも常に五井先生と比較してみて、劣等感に落ち込み、自分の至らなさを恥じ、情けなく思い、心の貧しさを感じていたならば、
人の上に立つ指導者になれるはずはありません。
 やはり五井先生と違ったカラーで行動し、そのカラーが尊重され、そして役立つので、五井先生をはじめ、神々様が
私を人類の指導者にしてくださったのだと、私は自負しております。

 私の心の中には五井先生そのものが入り込んでおりますし、五井先生と同じ心を持ち、同じ感覚を持ち、同じ真理の中に生きていると思っております。
そして私は、五井先生の境地に達するまで、あの五井先生の深い慈愛に満ちた、そして人類のことのみに生きた、
私心のひとかけらもなかった、神のみ心に沿った生き方をしたいと、常日頃思っております。

 どんなにその人を自分が尊敬していたとしても、その人に自分がなる必要はないし、
またその人と比べて自分が劣っているとして「情けない」とか「心が貧しい」と思って、卑下することもありません。
 自分自身の個性、自分自身のカラー、自分自身の天命を見出して、自分自身を成長させ、
完成に近づけてゆくことこそ、本当の生き方ではないかと思うのです。
456TR-774:2008/09/12(金) 17:27:15 ID:???
 最終的にはどの道を通っても神の子、神になるということに変わりはありません。自分も神の子であるし、
五井先生も神の子であるし、そしてまた、縁によって出会う人も神の子であるわけです。そこで比較することはないのです。

 神に至るプロセスにおいて優劣があろうとも、結果においてはまったく同じです。最後はまったく神そのものになるのです。
そこに自分を良く見せる必要もないし、自分を飾る必要もありません。
 自分そのままの姿を見せてゆけば、しまいには誰も彼もが神の子の姿を現わしてゆきます。それが早いか遅いかの違いがあるだけです。
遅い人もいれば早い人もいる。それは前生の因縁によって決まるものです。

 「自分自身をそのまま飾らずに、裸の心を持って人と接する」この一言に尽きます。どうぞそのように心がけて、
人との尊い結びつき、縁を大事になさっていただきたいと思います
457TR-774:2008/09/14(日) 12:27:23 ID:brVgg8Uf
マリアのTシャツで金稼ぎしてんなよ
458TR-774:2008/09/15(月) 23:56:09 ID:c3ToqaYQ
実際だいぶ苦しいみたいよ(経済面)
459TR-774:2008/09/16(火) 00:23:54 ID:???
 私は仕事柄、友人知人、親戚からお見合いや結婚について尋ねられたり、相談を受けたりすることがあります。
そのようなとき何を根本に置くかといいますと、一番大事なことは、当人と相手の方の因縁性なのです。
 当人たちが良い因縁の相手を選んで、今生で自分自身を磨き高め上げ、
立派な人間として人生を歩んでいくこと、それが人間一人ひとりに与えられている天命です。
 したがって、結婚を通して自分を磨き上げる人になってほしいと願うのです。

 結婚して、夫婦間で磨きあって素晴らしく向上する人がいます。また生まれた子供によって自分が磨かれ、
立派になっていくケースもあります。
 もちろん結婚をしないで独身を通して、自分自身を高め上げ、天命の道を歩む人たちもいるわけですが、
因縁によって結婚の人生を選ぶ限り、できれば自らをより高みに導いていってもらいたいと希望するのです。

 ところが、わたしが因縁性に基づいて「この方がよろしいんではないですか」とお伝えしても、
実際にお見合いをしてみると、どうしても結婚に結びつかないケースも出てきます。
いくら周りの人が「この人がふさわしい」と決めても、「気に入らないから」
「自分の望んでいる人と違う」と、本人の方から断られたりします。

 しかし、ここで大事なことは、あくまでも「本人の意思」によって自分の配偶者を決めなければならない、
ということと、因縁性という面から考えますと、自分の結婚にふさわしい縁の人は、
この世で「たった一人ではない」ということです。
 配偶者の候補は、人によって個人差はありますけれども、10人、20人、30人、40人と、
いくらでも縁によって出てきます。そこでお見合いを20回も30回もする人がいらっしゃるわけです。
460TR-774:2008/09/16(火) 00:24:59 ID:???
 「袖触れ合うも他生の縁」という言葉があります。家族や友人といった親しい人ばかりでなく、
町ですれ違っただけの間柄にも、前生の因縁があるものだという意味です。
 現在、地球上には60億もの人々が住んでいますが、このうち、殆どの人とは会うことも話すこともなく
一生を終えてしまいます。
 しかし、その人類全体の中から、毎日の生活で、何百何千の知らない人たちと、どこかしらで
出会いを繰り返しています。駅のホームで、会社や学校で、喫茶店でデパートで会っています。
それは話した事もない、どこの誰かも知らない赤の他人であったり、記憶にも残らない人たちであるわけです。
 そういう数多くの出会いの中にあってねやがて知り合いとなり、
たった一人の自分の結婚相手が浮き彫りにされてくるわけです。
461TR-774:2008/09/16(火) 00:26:02 ID:???
 私は、結婚相手に相応しい方として、因縁性を根本に置くと言いました。
では、因縁性のどこを見てなのかと言いますと、パズルを想像していただければよいと思います。

 一人の男性の写真があったとします。その写真を百枚に切ってバラバラにしたとします。
テーブルの上に散らばった百枚のピースを改めて、一つ一つ拾い上げ、頭や手、足、唇、目、小指・・・
そういうものを、ジグソーパズルを完成させるように組み合わせていって、元の姿に仕上げていくと
思ってください。
 そのときに一番大事なのは、やはり人間でいうと脳の収められている頭の部分です。頭部には、
耳や目や口や鼻があります。
 次にその下に胴体があり、胴体には手と足が付いています。それで、この人は当人の頭部に
あたる人だろうかと、判断するわけです。

 重要な順番に並べれば、頭部からだんだん出来上がっていかなければなりません。しかし、
例えば自分がフッと取り上げてみると、それが左手の小指であったりするかもしれません。
 そうすると、左手の小指は本当に末端にあって、重要な頭部からはずい分遠くにあるものです。
早く完成させたければ、小指よりも、まず右目や左目が出てこなければいけないし、
鼻が出てこなければならない。
 そうして頭を早く完成したいのですが、また次に出てきたのは足であったり、
手の親指であったりして、なかなか本命である目や鼻や額が自分では見つけ出せないで、
どんどん周りのほうから拾い上げていくこともあるわけです。

 ところが、そこで拾い上げた左手の小指一本が、その人を形作るのに必要ないものかというと、
とんでもないことです。左手の小指が自分を構成していく順序としては、
真っ先に必要ないかもしれないけれども、完成された人間として見た場合には、
いくら左手の小指であっても、その存在はいかに大事かということがよくわかります。
462TR-774:2008/09/16(火) 18:43:01 ID:???
日記更新止まってる。ここ最近面白いヲチ先だったのに
463TR-774:2008/09/17(水) 03:44:50 ID:???
 お見合いの話に戻りますと、お見合いの相手は小指に当たる人もいれば、親指に当たる人もいれば、
右足に当たる人もいれば、おへそにあたる人もいます。
 ですから、その人にとって、たとえ小指に当たる人でも、全然関係ない人とは、私には言えません。
また、その一生を通じて目になる人、耳になる人、鼻になる人がいつ現われてくるか、
これは私にもわかりません。

 しかし、その人の因縁が引き寄せてくる人、あるいはその人の想念が自分に相応しい相手として
引き寄せてくる人はいます。
 その人が、理想とする人を強く念じたり、自分が一生かけてやりたい目的をもっていて、
それを一緒になる人とともにやり遂げたい、という想念が強ければ強いほど、目的の人は現われてきます。
 このような人と添い遂げたいと、はっきり目的のある願望を持ち、具体的な像を描けるほどであれば、
それに相応しい人を引き付けるのです。

 結婚するためには、それぞれ結婚にふさわしい、因縁あるものが引き付けられていくわけですから、
小指一本に相当する女性も、とても大切なものです。自分の中の一つを構成している大切なものとして、
小指としての存在である女性、あるいは男性が現れてくるのです。
464TR-774:2008/09/17(水) 03:45:25 ID:???
お見合いの時に、その人が、自分の目的を達成するためには、小指は自分には遠い存在に思え、
自分の気持ちとはかけ離れてしまっているので、
合わないと考えたとします。すると、このお見合いは失敗するわけです。失敗というより、
この相手は今の自分には必要ないと思うわけです。

 その次のお見合いで、今度は左手の薬指に相当する人に出会ったとします。しかし、
これも関係ないと思う。こうして、どんどんパズル式に、指の次には足が、足の次には手が現われ、
手の次には胴体が現われるというふうに、自分という全体像を完成させるために、
さまざまなピースが現われ、そして最後に本命として、自分の一生の目的を達成するのに
相応しい相手に出会うわけです。
465TR-774:2008/09/17(水) 03:46:20 ID:???
 何十回何百回お見合いして、それが無駄であったと思う必要はありません。
お見合いするのなら、できるだけいろんな人と出会って、最後に、自分の一番本命の人に
突き当たればよいのです。
 お見合いを何十回も重ねる人もいれば、最初から自分の本命が現われる人もいます。
それは個人差であって、自分の中に強い願望、強い目的がある人は、一回か二回できめることができます。
そのような人には、相応しい人が引き付けられるからです。

 一方、自分に目的意識があまりなくて、両親任せで自分の運命を決めるものだと思い込んでいる場合には、
何十回お見合いしても、なかなか本命は現われません。
 けれども前生の因縁によって、結婚相手の何十人かはこの世に配置されていますから、
そういう意味で、因縁のある人はどんどん現われては消えていき、現われては消えていきして、
その因縁を果たしていくわけです。
 果たしていくうちに、次第に本命に近づいて、最後には自分と人生を共にし、
目的を共にする相手との出会いが叶うわけです。

 お見合いの場合、相手の名前がのぼったとき、そのときがすでに縁なのです。
見合いにつきものの履歴書一枚にしても、履歴書が自分の手元に届けば、
その人は縁の深い人に違いありません。縁が深くなければ、履歴書も届くはずがないわけです。
 そして履歴書を見て、「私に合うだろう」「この顔は好みでない」
「寂しそうだ」「男っぽい」「病気がちかな」などと感じたり、「どこの学校の何科を卒業した」
「趣味が合いそうだ
」など履歴書によって、ある程度判断がつきます。
 そうして、お見合いにいたる以前に、履歴書の段階で因縁を消していく場合もたくさんあるわけです。
466TR-774:2008/09/17(水) 03:50:00 ID:???
 お見合いの写真や履歴書が何枚も何枚も自分の前を通り過ぎていきますが、これは無駄なこと、
しなくてもよいことと思えるかもしれませんが、実は自然になされ、自然に消えていって、
だんだん本命に近づいていくということなのです。

 そのようにして因縁を消していって、最後には本命である、自分に本当に因縁の深い人と
巡り合って夫婦になり、そこでお互いの因縁を消しながら、より豊かに、より立派に、
より磨かれ、神に近づいていく、無限なる愛、無限なる繁栄、無限なる幸せを得るよう
自分自身が高まっていくわけです。

 お見合いがうまくいかない、いくらやっても成就しないと、悩むことはありません。
因縁がそうやって消えていかなければ、本命に近づいていけないのですから、
履歴書の段階で見つけられなくても、断られても、お見合いの段階で失敗しても、
これらはすべて無駄ではなく、これらはすべて本命に近づくための、自分の本当の
素晴らしい伴侶と出会うためのプロセスなのです。
 このプロセスを抜きに本当の素晴らしい伴侶と、出会うわけではないのです。

 これからお見合いをする人、お見合いを勧めているご両親、そして間に立つお仲人さんも、
その原点を踏まえていらっしゃれば焦ることも、焦らせることもなくなります。
 お見合いは、因縁を消していくプロセスで、最終的には本当に縁の深い人と出会うのだなと
思っていただけばよいのです。
467TR-774:2008/09/17(水) 03:50:28 ID:???
 何十回もお見合いを繰り返すには、やはり繰り返すだけの必要性がその人にはあります。
 すぐに決まる人は、それだけの人に出会う必要性がないということです。
これも前生の因縁によるですから、繰り返すことが良いことだとも悪いことだとも、
繰り返さないことが良いことだとも悪いことだともいえません。

 一回ですぐに決まったから良縁かと思ったところ、結婚した後「しまった」という人も
ずい分いらっしゃいます。何十回お見合いしても相手が見つからず、最後に出会った人と非常に
素晴らしい結婚生活を送って、お見合いは数多くすべきだと、関心させたケースもあります。
 もちろんいまだに出会わない人もいるわけです。

 お見合いにしろ、結婚にしろ、過去の因縁が消えていくそれ以外の何ものでもありません。
 そして結婚すれば、伴侶として自分を磨くことが一番神に近づく道なのです。
 お見合いには、そのような尊い気持ちで臨むことが大事だと思います。
468TR-774:2008/09/17(水) 03:55:51 ID:???
自由について

 自由は、人間が神から与えられた、もっとも素晴らしい特権です。
もしも人間から自由性を奪ってしまえば、その人はまったくロボットも同然になってしまうでしょう。
人間としての喜びや悲しみを心から体験できない、味気ない人生となってしまうのです。

 ところが、自由がこれほど大事だというのに、多くの人々は自由をさまたげ、悲しいことに、
自由を奪っています。
 相手によかれと思ったことが束縛を生んだり、あるいは自由の本当の意味を知らないで、
自由を奪ってしまう結果になることもあります。
 このような自由をめぐる葛藤は、深い愛情で結ばれた親子の間でさえ起きてくることがあります。
469TR-774:2008/09/17(水) 03:57:39 ID:???
子供に対する親の「執着の愛」

 親の愛とは、子供が真っ直ぐに伸びやかに育ってくれるようにと願う、無私の愛です。
 とくに母親の愛は、我(が)を捨てた愛です。自分がどんなに苦しくても、自分の体が不自由でも、
たとえ病気であっても、子供を守るためには自分が犠牲になることもいとわず、子供が生き生きとして
輝かしい人生を歩めるように、子供に徹底して愛を注ぎます。

 野生動物の世界でも、子供を守る愛があります。動物には危険な敵や自然災害から子供を守ろうとする
本能が備わっています。子供を安全な場所へ導き、大自然の中でたった一人でも生きていけるように、
あらゆる技術を教え込みます。

 正しいところへ導こうとする愛。それが親の愛というものです。

 しかし、人間の場合、無限に注ぐ愛が、子供の生き方や成長を縛り付けてしまう愛となることがあります。
ゆき過ぎた親の愛は、時として「親のエゴ」となり、「執着の愛」に変えて子供を歪めてしまいます。
 子供は本来、自分の意志で、自由性をもって、人生のゴールに達したいと望むものです。そのため、
子供が「この学問の道へ進みたい」「あの専門技術を学びたい」と願い出ているとき、
しばしば親の意見と対立することがあります。
470TR-774:2008/09/17(水) 03:58:38 ID:???
 親は子供に言います。「その道はあなたが進むべき道ではないむ「あなたには合わない」
「常識では考えられない道だ」「それは家風に合わない」「家柄にふさわしくない職業だ」
「それは教養がない人たちが就く道だ」などと、親が子供の望む進路を妨げようとするのです。
 もちろんこのような言葉は、親の立場からみれば、子供を愛するがための言葉であり、親として、
充分理由のある意見なのです。

 子供の無意識の中には、両親の知性、家風などの生れ育った家庭環境の影響が自然に入り込んでいます。
そのように、家の雰囲気や教育に対する常識、家柄などを身につけて育った子供が、
突然、それまでとまったく違った方向に進みたいと宣言すれば、両親が戸惑うのは当たり前のことでしょう。

 子供が家柄や家風の方向とはまったく異なった進路を示したとき、多くの親は次のように考えます。
 「これまでの自分たちの価値観とは相容れない、今までとはまったく違った考え方だ。
自分たちの知的レベル、自分たちの家柄、自分たちの家風に従って教え導いた子が、
まったく違う価値観の世界に進んでいけば、子供は迷うに違いない。そしてきっと苦しむだろう。
 悲しむこともあるかもしれない。必ず苦労するに違いない。このまま進んでゆけば、
最後には自分の世界しか見ない、私たちを寄せ付けない、排他的な存在になっていってしまうかもしれない」
 このような心配から、親は子供の進路を拒否し、規制してしまって、本当に子供が行きたい道、
本当に子供が心から志す道を閉ざしてしまうのです。
471TR-774:2008/09/17(水) 05:36:43 ID:???
素直な子ほど不完全燃焼となる

 子供は、親に対して素直であればあるほど、親の意見に「いいえ」とは言いません。
両親から愛情をいっぱい注がれて育った子供は、親に対する感謝の気持ちにあふれています。
 そこで親の反対を押し切って自分の意志を通したら、親がどれほど嘆き悲しむだろうと
思ってしまうのです。
「母はどれだけ負担を感ずるだろう」「父はどれだけ不幸になるだろう」と、
子供のほうでも親を思いやり、「はい」と答えて親の言った通りの道を歩もうとします。
 親は、子供が自分たちの言うままに従う姿を見ると、「うちの子は本当に親の言うことをよく聞く」
と安心し、きっと子供をほめるでしょう。

 親が進路を決め、結婚相手を決め、何不自由ない生活を与え、すべてを用意してしまう。
そうしておいて親は「不甲斐ない親ではない」「私たちは立派な親だ」
「子供が欲することは何でもしてあげた」と感じて、自己満足にひたるわけです。
 一方子供の方は、親が満足であることが自分の幸せでもあると、自分で自分を納得させようとします。

 このように考えていくと、親は知らないうちに子供の自由な意志を奪ってしまっていることになります。

 子供にはこれまでに与えられた環境、雰囲気、知性、常識の中で、
子供なりの基礎ができています。そして、これから自分だけの人生、
誰からも邪魔されることのない、また誰も真似のできない人生を築いていこうとしているのです。
 まさにその時、親が「待った」をかけるのです。

 このような状況になると、子供の心に不完全燃焼が起ります。
472TR-774:2008/09/17(水) 05:52:43 ID:???
人間というものは、完全に燃え尽くして生きれば、すべての成果は自分に返ってくるものなのです。
たとえ悪い結果であろうと、完全燃焼していれば後悔はありません。

 それどころか、失敗がよい教訓となって、次に成長する糧となります。
 ですから人間というものは、常に完全燃焼したいと願う存在なのです。
ところが完全燃焼したいという思いが遂げられないと、そこに不満が生まれ、心の中に残ってしまいます。

 ところが親は「本当にうちの子ほど素直ないい子はいない」と信じていますから、
子供の心の傷ついた部分、不完全燃焼の部分に気がつかないで、うかうかと過ごしてしまうのです。

 子供が自分の意志を、もう少しはっきりと出せばよいのかもしれません。
「本当は、私はこの道を進みたいのです。この道を行くのが私の気持ちなのです」と、
はっきり親に「ノー」と言える子ならば、そこに生まれる葛藤はまた別なものとなるでしょう。

 ところが、子供は最後には言葉でも理屈でも親にはかないません。なぜなら、学校の費用も、
医療費も、洋服代も全部親から与えられたものだからです。
 親に逆らってまで自分の希望する道を選ぶことは、自分のわがままであるし、
自分勝手なことと思いがちです。素直ないい子ほどそのように考えるものです。
 親が誇らしげに親戚や、友人知人に自分のことを話している姿を見るにつけて、
子供は自分自身の希望を叶えることは、親を悲しませる行為だと思ってしまいます。

 つまり自分の内面である本心と、外に現われたふるまいは正反対ですから、
そこに葛藤が生まれ、苦しくなって、現在の生き方に耐えられなくなってしまうのです。
 何とかして解決したいと思っているうちに、とうとう病気になってしまうということもあるわけです。
473TR-774:2008/09/17(水) 05:54:00 ID:???
子供を悲しませないために不満が残る

 反対に、親の自由を子供が規制する場合があります。
 人は90歳になっても、たとえ100歳を過ぎても、自由を求める心はなくなりません。
人間にとって一番大事なことは、いくつになっても自由であるということです。
 ところが愛する老親をいたわる気持ちから出た言葉によって、子供は親の行動を束縛してしまいがちです。

「80歳になったのだから、外出は危ないですよ」「90歳なのだからおとなしく家にいてください」
「ころばないように外出は控えましょう。自動車がいっぱいだから、交通事故にあったら大変です」
「これ以上食べるのはやめましょう。食べすぎですよ」「その歳では、油っこいものはとらないように。
コレステロールが溜まりすぎますす」「甘いものは控えましょう。ここまでです」
 こうして、老いた親の欲求や意志をふさいでしまいます。親を苦しめないため、
病気にさせないため、交通事故に遭わせないための、心から愛するあまりの規制なのですが、
それが老いた親にとっては束縛以外の何ものでもありません。
474TR-774:2008/09/17(水) 05:54:24 ID:???
 しかし親はこう思っています。
「外へ出たいものだ。思う存分食べたいものだ。しかし、そうすると子供は叱るだろう。
そのような子供のイライラする姿は見たくない。だから素直に従おう」
「年をとって80、90になると、やはり娘や息子の厄介にならなければならない。
ならば、子供の言うことを聞いて、したいことを諦めなければならないだろう」
 もっともっと自分のやりたいことがあり、できる気持ちがありながらも、
子供たちによって規制され、やりたい意志をくじかれるのです。

 年をとった自分が、言うことをきかないで外出して、もしつまづいたら、必ず怒られるだろう。
「ほらごらんなさい。言った通りにしないからですよ」と。その怒る子供の姿を想像して、
親はしたいことを我慢してしまうのです。
「春の暖かい日に、一人で歩きながら、桜でもゆっくり見物したいなぁ。
娘や息子の世話にならないで、ゆっくり散歩できるのに、子供は心配して外出を許してくれない」

 そのような気持ちが募ると、やはりそこに不完全燃焼が起こります。
したいことをし、食べたいだけ食べるという欲求が全部抑えられてしまうと、
老人といえども、やはりうっぷんが溜まることになります。
475TR-774:2008/09/21(日) 23:57:54 ID:???
 私は、みんなが自由になれば、その時こそ本当の平和がやってくると、思っています。
 ところが殆どの人は、みんなが自由に振舞ったら何が起こるかわからないと恐れます。
「おそらく、盗みや殺人といった乱行が蔓延して、どうにも手がつけられない世界になるだろう」
「人間は愚かで、欲望が強い存在だ。そんな人間が勝手気ままに自分の自由を主張したら、
この世の中は弱肉強食の混乱状態に陥り、人類は破滅するに違いない」一般には、そう思われています。

 そこで、法律や常識によって自由を規制しようとするのが、今の世の中です。自由を束縛して、
人間でつくって枠の中で生きていくのが、一番幸せだと考えられています。
 要するに、かごの中の小鳥こそ一番幸せなんだと思っているのです。
でも、本当にその通りなのでしょうか。

 かごから放たれ、大空を自由自在に喜びながら飛んでいった小鳥は、
自分で虫を捕まえられないかもしれない。何日も何日も餌を口にしない日が続き、
ひもじい思いをするかもしれません。
 けれど、小鳥は本当に自由なのです。餌が取れなかったら、もっと別な場所に飛んで
いくこともできます。森に行って、虫のいる木を見つければ、どうにか食べていかれるかもしれません。
自由であれば、自ずからそのような自然の智恵が出てくるものなのです。
476TR-774:2008/09/22(月) 00:03:51 ID:???
 法律や常識という名の鳥かごに入れて、物や愛情という名の餌を与えているのが、今日の世の中です。
「お前には餌を充分に与えている。食べたいもの、飲みたいものに不自由はさせない、これ以上何の
不満があるというんだ。だからもう充分自由だろう」。
 しかし、そう言われても、鳥かごの中の小鳥は、羽ばたくことはできません。小鳥は思っています。
「もっと大空を自由自在に羽ばたきたい。鳥かごでどれだけの餌が与えられ、どれだけ新鮮な水が注がれても、
小鳥として本能のままには生きていかれない」と。

 なぜ、人々は自由を規制する法律や常識の枠に閉じ込められなければならないのでしょうか。
 それは、「人間が本来神の子」であるという、一番の原点を忘れてしまっているからなのです。
 人間本来神の子であるという信念さえあれば、また、人間一人ひとりの本当の自由性を尊重するならば、
自由を規制するという行為はありえません。束縛はないのです。

 みんなが自由であればあるほど、人に迷惑をかけまいとし、神の本質に目覚めた自由性を発揮して、
素晴らしい文化、文明を生み出すことができるのです。
477TR-774:2008/09/22(月) 00:04:55 ID:???
 自由が奪われ、束縛されると、人の心は歪んできます。
 歪んだ心から生まれるものは、屈折した欲望です。
 人間が人間を束縛し、人間が人間の自由を奪ったときに、人間には「業想念」が生まれます。
人をいじめたり、人を蹴落として自分だけが自由になりたい、得をしたいという気持ちが生まれてきます。
 乱行が生まれ、不祥事が生まれ、窃盗が生まれ、病気が生まれ、殺人が生まれてきます。

 でも、自由が100パーセント発揮されれば、業想念は生まれず、地獄のような奪い合う自由性を
追い求めたりはしないものなのです。自由の中からは、神そのものに近づいていこうという、
素晴らしい、本来性の「我即神也」の姿が必ず芽生えてくるのです。
 なぜなら、それが本来の人間のあり方だからです。迸る本当の神の心というものは、
どんな人間にもあるものなのです。

 お互いが、本当に自由を尊重し合う為には、そこに本当に目に見えない信頼関係が
生まれていなければ、できません。
 人を信頼すれば、信頼された人間はその自由性をフルに発揮させます。それは、
その人にとって、自分の心の中の神というものを芽生えさせるチャンスなのです。
478TR-774:2008/09/22(月) 00:05:35 ID:???
自分の愛する子供、または自分の愛する親、そのような人たちを自分が心配するあまり、
執着の愛で縛ってはいけないということを、心に銘じてください。
 自由にしたいだけさせればよいのです。もしも、そのために傷つき、その人が心から反省するなら、
二度と同じ過ちは繰り返さないでしょう。
 人は、失敗や病気、交通事故に遭ったり、挫折をしたとき、こんなことは二度とすまいと反省するものです。
 痛い経験ほど、魂に染み入るように反省して、それをステップにして、
後の人生を歩んでいくものなのです。親から守られて失敗した子供より、
自由性を得て失敗した子供の方が、次からは段違いによりよい成果をあげていくことになります。

 ところが、周りの人間によって自由が束縛され規制されて、安全が確保されてしまうと、
自分がどれだけやれるか限界を知ることができません。
 そのためいつも不完全燃焼となって、残りの人生をまったく無にしてしまうこともあるのです。

 ですから自由に行い、その結果失敗してもかまわないのです。
どんどん体験させた方がいいのです。そこから、子供も親も老人も、
男性も女性も自分で新しい道を見出していきます。
 それこそが、本当の自分の人生というものです。
479TR-774:2008/09/23(火) 11:03:39 ID:???
 私は昔から、巷間言われている「苦行」というものに対して、非常に懐疑的である。というより、
悟りを得るために滝に当たったり、山に登ったり、断食したり、ありとあらゆる肉体を苛めつくすか
のような行が嫌いなのである。というか、そんな大変なこと、やりたくなーい。
 苦行をしなければ悟れないのであれば、世界中で悟れる人は一握りもいないことになろう。
また、あらゆる宗教、修養団体は人類から見放されてしまうと思う。
 苦行は、自分の人生で体験する家庭、学校、社会での人間関係、あるいは貧しさ、病気、
思い通りにならない数々の出来事・・・これだけでたくさんだ・・・ではないだろうか。
 この上、何をすることがあろうか。体験の一つ一つを吟味して、反省して、浄化を願い、
進化向上を目指すのであれば、あえて苦行は必要ないと思うのだが。

 そんなことを思っていたら、昌美先生の苦行についてのエッセイを見つけた。

☆ 五官を否定する苦行は無意味
 ここに修行僧や苦行僧と呼ばれる人たちがいます。
彼らは、自分の五感の世界における喜びや悲しみを感じることは、人間にとって
一番悪いことだと思っています。
 従って、自分の肉体における感覚、いわゆる五感をいかに無にしていくか、そして
肉体の喜びを自分の中から抹殺していくことを自分に課しています。このように肉体の喜びを求めず、
感じることもせず、苦行に入る人たちです。

 女性を見ても愛のひとかけらも自分の心に見出してはならないし、セックスに結び付けてもならない。
また、おいしい物を食べたいという欲望も起してはならないと考えます。
 あらゆる欲望、食欲、性欲などは抑えなければならない。自分が生きるための食事についても、
最低限の粗食ですませ、食事を楽しんだり、満腹する食べ方はいけないとして、味覚をなるべく刺激せず、
味わいを少なくし、生きるために最低限の量と栄養をとる苦行を続けています。

 このように、宗教的な方面では、五感を抑え、肉体をいじめ、肉体的な欲望から脱皮することを
最大の目的とする人たちがいます。
480TR-774:2008/09/23(火) 11:06:38 ID:???
 一般の人たちは、このような修行や苦行を見て、自分たちができないこと、
自分たちがやろうとしても不可能だと思うことを、成し遂げた人として、
彼らをとても尊敬する傾向があります。彼らを「何て素晴らしい人なんだ」
「何て立派な方なんだ」と尊敬するばかりでなく、そういう人たちを崇め称えて
生き神様とまで尊ぶ人たちもいます。

 けれども私はこれを「大変な錯覚である」と思います。彼らは自分の肉体を苦しめ、
そしていじめて喜ぶマゾヒストのようなもので、決して宗教的に高い人物ではありません。

 昔から、人々を指導する立場にある聖者や賢者といった人は、自分自身の肉体的な喜びや、
五官の喜びを抑えている人だと思われてきました。
 女性を見て愛を感じたり、自分に親しい人を愛したり、可愛いもの、
美しい人を愛するといった個人的な感情を、一切無にしなければならないと考えられていました。
そういう偏った発想が、ずっと長きに渡って信じられてきたのです。
481TR-774:2008/09/23(火) 11:07:14 ID:???

 しかし、人は苦行に苦行を重ねて、一体何になるのでしょうか。苦行した結果、
果たして人類のためにいかほど役立っているでしょうか。人類を救済したり、
幸せにするために何か行っているでしょうか。
 彼らが、自分の肉体の苦行を通して何かを得たことと、人類を導く行為はまったく違うことなのです。
確かに、そういった人たちの中には、尊敬に値する立派な苦行僧もいます。
 けれども、そのような素晴らしい人は本当にまれです。

 苦行する人たちは、自分の肉体や肉体的な欲望は、汚いもの、卑しいものと見なし、
苦行によって自分をいじめ抜いて、最後には光り輝く世界へ入ろうとします。
 自分自身を否定して、否定して、否定した中から「無我の境地」「悟りの境地」に入ろうとします。
しかし、苦行を通して、つまり自分の肉体の五感の世界を捨てることによって「無」になったり、
「悟り」に至るわけではありません。

 地上界に降りてきた私たちの天命は、自分を否定し、苦行をすることではありません。
 私たちは肉体をいじめ、苦行をして悟りを開くために生まれたのでも、
そのために肉体が備わっているのでもないのです。

 肉体をそのような状態に置くということは、自分自身の肉体をすべての光から、
すべての希望から、すべての未来から閉ざしてしまうことに等しいのです。

 そのような肉体は、不自由なひろがりのない、
閉ざされた世界に追いやられたに等しいといってよいでしょう。
482TR-774:2008/09/24(水) 04:28:08 ID:???
 人間は本来「我即神也」であり、「神そのもの」「神の子」であります。この肉体は光り輝いているもの
であり、決して卑しいものでも、みじめなものでも、くだらないものでも、欲望深きものでもありません。

 私たちは、苦行をする必要はまったくないのです。むしろ自分の肉体を肯定し、素晴らしい、
何と無限なる能力を持っているのだろうかと讃えるのです。

 美しい風景、美しい音や自然のリズム、空気のすがすがしさ、太陽の日差しの暖かさ、柔らかさ、
病気を癒す慈しみ溢れる微風、水の冷たさ、緑の美しさ、かすかな香り・・・、
それはすべて神が創造したものであり、それらは癒しとして、希望として、人類に与えられたものです。
 そして、肉体によってはじめて、それらのすべてを感じ取ることができるのです。

 私たちはこの肉体を尊び、大事に使い、そして神そのものにまで高め上げてゆくことが大切です。
美しく輝かしく高め上げてゆくことが、私たちの本来の生き方なのです。

 ですから目に美しいものが映れば、欲望が出るからといって美しいものを否定してゆく。
女の人の声を聞けば、それによって自分が性衝動にかられるから、打ち消して聞かないようにする。
おいしい物を見ても、食べたいという欲望を消滅させる。
 このような想念は、自分の肉体、自分の神そのものの光り輝いている部分を、否定することになります。
このような生き方は、真理に全く逆行しています。

 もしそのような考えを持って修行して、果たして最後に「肉体は神そのものだ」「光り輝いている」と
悟ることができるのでしょうか。彼らがもし、そのような悟りを得たならば、普通の人たちこそ、
光り輝く素晴らしい人であると思って相対することが、できなければなりません。
483TR-774:2008/09/24(水) 04:29:29 ID:???
自分の肉体そのものが、光り輝く神そのものの姿であり、肉体の中に無限なる能力、
無限なる美、無限なる生命、無限なる健康が秘められていると本当に悟ったならば、
二度と苦行する必要はありません。
 ですから苦行を通して悟った人は、このように言わなければなりません。
 「私はこういう世界を通して、悟りの境地に入りましたけれども、
実はそのような苦行はする必要はなかったのです。間違っていました。
 私たちの肉体そのものはすでに尊く、美しく光り輝いています。その目をもって
神がつくった自然界の美しい姿を見ることができます。その耳をもって小鳥の美しいさえずりや
神がつくった自然界の美しい音を聞く事ができます。その舌でをもって神がつくった自然界の
おいしいものを食べることができます。
 自分の五官すべでて感じることができる。これが一番大事なのです。」

 神様から与えられたこの五官を通して、美しい姿を見、美しい音を聞き、
おいしい食物を味わうことによって、大自然を感じ、自らの肉体を光り輝かせることこそ、
人生にとって最も大切なことといえましょう。

 しかし、私たちの肉体はまだそこまでは十分に至っていません。私たちの肉体は、
神様から与えられた能力の30%40%しか発揮していません。
 神がつくりたもうた、この世界にある微妙な美しさをもっともっと感じ、
その深い深い美しさに触れ、自らを無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる希望にまで
高めていかなければならないのです。
 それが神の導きであり、人間本来の生きていく道なのです。

 神のつくった大自然のあらゆるものが輝いています。
 きらきら輝き、美しく、すべてが高揚し、すべてが踊っています。すべてかが歓喜に打ち震えています。
 この肉体を取り巻いている神のつくりたもうた、これらのすべてを否定しきるということは、
とんでもない過ちなのです。
484TR-774:2008/09/24(水) 04:32:09 ID:???
 自分自身の肉体そのものの中に、神の無限なるもののすべてが秘められています。
 その眠っている肉体を輝かしていく、そのプロセスに釘耀は一切必要ありません。
自分を苛め抜くことなど必要ないのです。

 美しいものをながめながら、おいしいものを食べながら、美しい恋愛をしながら、
さらに素晴らしい輝かしい自分に高めてゆくことです。
 自分の子供をいとおしみ、本当に愛し、そして自分とまったく関係ない人たちをも心から愛し、
そしてお互いの中に無限なる「善」を見、「善」なるものを輝かせ、認め合って伸びてゆくこと。
それこそが真実の生き方なのです。
 それはすでに、宗教を超えた生き方です。

 しかし人間はまだ宗教に依存し、執着しなければ生きていけない存在です。私は、
そういう人類の弱さを変えていきたいと思っています。
 既存の宗教に頼らないで生きていかなければなりません。現在の宗教は、業の世界、
しがらみの世界に陥っています。
 中には素晴らしい宗教もありますが、ほとんどが昔の規則や伝統といった形式のみに縛られ、
本当の人間のあり方、本当の真実を求める人々に対して、正しい答え、
そして素晴らしい体験を伝えてはいません。

 今の世界を見ていると、宗教の争いがたくさんあります。人間が人間を愛し、
尊び合う教えが宗教であるべきなのに、神の教えを説きながら、宗教同士で互いに殺し合い、
罵り合い、しかも、考えられないほど残酷な恐ろしい世界を創り出しています。
 それらは宗教の名のもとに行われている行為なのです。
神を信じている人たちの仕業(しわざ)なのです。
 このような現在の世界を見ていると、宗教が変わらなければ、
宗教の精神、あり方そのものが原点がくつがえされなければ、真の世界平和は成り立たないと思えます。
485TR-774:2008/09/24(水) 07:12:35 ID:???
  「過去、私たちは真理を忘れて生きてきました。
          真理を否定して生きてきました。
   自らが光であることを! 自らが愛であることを!
   そして自らが真理そのものであることを!
   これから、私たち人類は、意識を真理に向け、
   真理の道を歩み、真理を行いとして現わしてゆきます。

   私たち人類は、心の眼を宇宙神に向け、
   宇宙全体と調和し、大自然と調和し、
   生きとし生けるものすべてと調和し、
   かつまた自らの心そのものと調和してまいります。
   そして、私たち人類一人一人の生命(いのち)は、
   宇宙の創造を司る宇宙神と限りなく一体であります。

   さらに私たち人類は、宇宙神より与えられている、
   無限なる叡智、光、エネルギー、パワー、能力などを
   自己の生命(いのち)より引き出し、
   自らの人生を進化創造し築き上げ、
   さらに、宇宙の進化創造、宇宙の大調和の働き手、
   担い手として、
   絶対なる光明思想の生き方を
   人類の前に示してまいります」

 この宣言を、私自らの人生、生き方に反映させていくことは、かなり自己を律することが課せられる。
厳しいような、うれしいような・・・。やるなら徹底してやってみようと、決意した日でもありました。
486TR-774:2008/09/24(水) 07:13:53 ID:???
 私は今は「白光真宏会」という「世界平和の祈りむを祈る宗教団体に属しておりますが、
本来、宗教という名前は必要ないのです。
 人間一人ひとりが宗教宗派に入らないで、自分が確固たる信念をもって、
自分の肉体を輝かしていくことこそが大切であると思います。

 美しいものの中に、神の無限なる深さを見るための努力をしてゆくのです。
神がつくりたもうた、美しく調和した無限なる躍動を続ける大自然に心の波長を合わせてゆき、
自分自身を高め上げていくことこそ、真の生き方です。
 そのような生き方を求めるのには宗教も何もいりません。
 どこの団体や組織に所属する必要もあのりません。

 一人ひとりが自分の肉体を輝かせ、自分の能力を発揮するために、自分のすべてを肯定し、
自分が神の子であるという原点を認めて、さらに自分の至らないところを、
足りないところをもっともっと輝かせ、もっともっと全開してゆき、
100%光り輝く肉体を創り上げていくのです。

 その光り輝く肉体を創り上げていくためには、その根底である精神を高め上げていかなければなりません。
精神を高めるため上げるには、神の絶対なる真理を知らなければならないのです。
 ですから、そういう生き方に人類一人ひとりがみんな行き着くとき、本当の「救われ」を得ます。
そのときこそ、本当の輝かしい自分を現わすことができます。

 もし、宗教と呼ぶものが必要ならば、その真理を学ぶためのものでなければなりません。
487TR-774:2008/09/24(水) 07:15:28 ID:???
 病気とは一体何だろう?
 ここ何十年、疲れから出た帯状疱疹で皮膚科に通ったくらいで、病院とはとんとご縁がない。
自然治癒力を信じていることもさることながら、ちよっとした風邪や、腹痛は病気だとは
思っていないこともある。
 また、そのような肉体の状態は、何か大きなものを小さく消していただくために現われたのだと思い、
感謝の祈りをする。

 心の状態はどうかというと、大波小波はほとんどなく、いやなこと、気になることがあっても、
何かしているうちにどんどん忘れていく。「観の転換」が上手になってきたのだろう。
 昔は、些細なことでもひっかかって、何日も何日も、うんざりするほど覚えていたものだ。
でも、いまはスッカリ逞しくなった。

☆ 病気には肉体に現われる病気と、肉体には現われない心の中で進行していく病気の二つがある。

 肉体の表面に現われた病とは、例えば発熱やぜんそく、下痢、頭痛などの症状であったり、
がん、脳卒中、心臓病などの病気、あるいは体のどこかに受けたけがなどでしょう。
 このような状況にある人、あるいはハンディキャップを背負った人を見ると、
おそらく誰でもが「かわいそうだ」「気の毒だ」と同情をさそわれるに違いありません。
それは、古今東西変わらない人間の感情というものです。
 心から同情し「彼らを何とかして助けてあげたい」「生きやすいように、
楽に生活できるようにしてあげたい」という想いが自然に湧いてくるのです。

 ところが、心が病んでいる人に対しては、私たちはどういう態度をとるでしょうか。
 心が病んでいる人とは、例えば、誰かに対して怒りを持っている人、憎んでいる人、
嫉妬している人、蔑んでいる人のことです。このような心が病んでいる人に対して、
私たちは同情するでしょうか。
 そうではなく、相手と一緒になって、その病んでいる感情や想念と取っ組み合いを始めます。
彼らが心の病気にかかっているなどとは、決して思わないのです。
488TR-774:2008/09/25(木) 01:14:44 ID:???
ではなぜ、心の病んでいる人には同情しないのか?

 ではなぜ、心の病んでいる人に比べて、肉体に現われた病という不幸な状態にある人には、
同情せずにはいられないのでしょうか?
 それは、簡単に言うと、心を病んでいる人に比べ、肉体的に病気を持つ人に対しては、
自分が優位に立っていると思えるからです。

 働こうと思っても働けない人、努力しても病気のために体が動かない人、
思うように食べられない人・・・。このような人たちは、いわばは敗者と思われています。
 自分はこの点において彼らよりは恵まれており、健康であり、やりたいことができ、
ちゃんと働けると思えるので勝者なのです。
 だから「気の毒だ」「かわいそうだ」と、彼らの手助けをしてあげたいという気持ちが起こるのです。

 自分が優位に立っているということは、無意識の隠れた感情かもしれません。
しかし、その立場によって、同情という感情が生まれてきます。

 一方、怒り狂っている人、嫉妬に狂っている人、憎しみに燃えている人、
自分の能力の限界を感じている人、自暴自棄に陥っている人・・・。
そのような心の病にかかっている人たちに対して、肉体的な病気を抱えた人に対するのと同じように、
私たちが同情するかというと、決してそうではありません。
 自分や家族、友人に対して、怒りや、憎しみ、侮蔑、不平不満が向けられたら、
その相手に対して「かわいそうだ」「ああ、心が病んでいるんだな。何て気の毒な人なんだろう」
「何とか助けてあげたい。その怒りを静めてあげたい」「不平不満を解消してあげたい」と、
心から同情する人はいないでしょう。
489TR-774:2008/09/25(木) 01:16:07 ID:???
 むしろ心が乱され、同情するどころか、逆に相手を打ち負かそう、やっつけようとします。
相手をさげすんでやろう、めちゃくちゃに叩きのめしてやろう、という心が湧き出てきます。
 怒り、憎しみ、不平不満、蔑みなどが自分に向けられたとき、それは自分に対する挑戦であり、
競争であると受け止めてしまうのです。
 そのような感情、想念を持つ相手に対して、私たちは同情することはまずありません。
憎しみに対しては憎しみを投げかけ、怒りに対してはさらに大きな怒りを投げ返し、
侮蔑に対しては、さらにもっとひどい侮蔑を返す、というような状態を繰り返しています。

 人間というものは、自分が優位に立っているときには誰でも、他人に対して優しい心になれます。
慈悲心が出てきます。
 愛情深い人間になれるものです。
 反対に自分が、相手から攻撃され、打ち負かされそうになると、
自分のことしか見えなくなるものです。相手に負かされ、侮蔑され。
自分が悪者と決め付けられるような態度をとられると、そのことに対して優位に立とうと、
一生懸命になります。
 そして「お前には負けない」「お前より俺の方が強いんだ」
「あなたより、私のほうが素晴らしいんだわ」と、相手と闘争を始めるのです。

 このように、心の病に相対した場合、自分の心がかき乱され、
愛や慈悲心や思いやりの心どころか、相手を罵り、わめき散らし、
相手を侮蔑し、自分を優位に立たせようとする感情が起こります。
490TR-774:2008/09/30(火) 20:08:52 ID:???
 肉体の病は「病」として見るけれども、心の病は「病」としてみなされないことの、何と多いことか。
 実は、これが人生を不幸にする要因のひとつではないでしょうか。

 心の病は、肉体の病のように、例えば「がん」という実体として現われはしません。ベッドの上で、今にも死にそうな状態として
目に見えていないから、同情できないだけなのです。
 しかし、人の心の病も、肉体の病と同じように見なければ、人類の平和は、人類の幸せは訪れません。

 心の病も、現われ方は違いますが、実は体の病と状態は同じなのです。

 身体の病気は、風邪、高血圧、がんや心臓病、脳卒中など、比較的軽いものから重いものまで、いろいろな段階があります。
 心の病も同じように段階があります。
 心の病でも、子供同士のけんかや親子げんかなどは軽い症状かもしれません。しかし、相手を殺したくなるような憎しみや、
相手を引き裂きたくなるような嫉妬心、怒りは重症に入るでしょう。重症もひどくなると、自分の命をかけているわけです。ここまでくると、
心の病といえども、末期がんと同じような状態です。

 肉体のがんは、末期になり、死が間近に迫ってくると、周りの誰もが同情します。
 しかし、同じように心の病を続け、苦しみ、怒りのために狂いそうになり、自暴自棄になれば、人をあやめてしまい、
その結果、死刑になるかもしれません。
 これはもう、末期がんと同じような、生死の境をさまようような心の病の状態なのです。
491TR-774:2008/09/30(火) 20:09:42 ID:???
 ところが、このような心の病に対して同情するどころか、人々は威圧的につぶそうとします。その人を破壊し、抹殺しようとするのです。
これでは、心の病を持っている人の「救われ」はどこにもないことになります。

 私は、心の病も肉体の病も同レベルに考え、怒っている人、滅入っている人たちを見ると同情するし、
何とか助けてあげたいと思います。
 そして何とか、その心の病を取り除いてあげたい、健全なる心に戻してあげたいと、本当に心の底から思うのです。
肉体の病に苦しんでいる人以上に、心の病に苦しんでいる人に対して同情します。

 彼らは、自分自身の怒りや憎しみ、不平不満によって、苦しい立場、悲しい立場、苦悩に追い込まれています。
自分が抱えている心の病で精一杯なのに、その上、誰からも同情されないのです。ますます、
今の状況に輪をかけてひどい状況、例えば非難や批判、差別などが覆いかぶさってくるのです。
 自分自身の心が荒れ狂い、やり場のない虚無感に陥り、自分自身でもどうしていいかわからなってきます。
 人々の愛の手助けが最も必要なときに、それが与えられないのです。本当に、彼らには「救われ」がありません。

 最近では(1994年時点)、心理学や精神分析の分野で、さまざまな人たちが心の病を持った人に対して、
どうすれば心の病から解き放たれるか、という研究をしています。
 あるいは、宗教や哲学からのアプローチもあります。しかし、この問題に対しては、ごくわずかの人が理解しているにすぎません。
 ほとんどの人たちは、いまだに心の病を、肉体の病気と同じように同情心を持って見守ることはしないのです。
一種のわがままであるとか、非常識であるという枠にはめ込んで決め付けています。

 どうぞ、心の病んでいる人に対しては、肉体を病んでいる人と同じように愛の心を持って、
そして思いやりの心を持って、寛大な心を持ってお助けするよう、心をくだいていただきたいと思います。
492TR-774:2008/09/30(火) 21:05:28 ID:???
あっそで?
493TR-774:2008/10/01(水) 16:19:33 ID:???
 嫁と姑、小姑などの家族関係、職場をはじめとする上下関係、
友人との関係などにおいて、このような愛の心による見方をしない限り、
永遠に人類の救われはないと、思えてなりません。
 私たち一人ひとりが、少しずつでも心の病を持った人に対して
「この人は今、病気なんだから、何とか助けが必要なんだ」
「処方箋が必要なんだ」と、とっさに頭が働くように、
トレーニングしていかなければいけないと思います。
 また、そうすれば、彼らが自分に投げかける憎しみや嫉妬、
怒りや不平不満に巻き込まれず、反対に愛の心を持って、
寛大な心を持って、赦しの心を持って接することができるのです。

 心の病が肉体の病とどう違うかというと、
心の病を持った人には必ず相手がいます。
 
 肉体の病気の場合には、相手がいません。
肉体を病んだほとんどの人たちは、不思議なことに、
自分が悪いせいで病気になったと思いこむし、
周りの人は「自分のせいであの人が病気になったんだ」
「自分が関わったために、あの人が病気になった」とは思わないものです。
 彼ら自身の心によって、あるいは何らかの、
自分には関係のない原因によって彼らの身体が病気になったと思い、
だからこそ同情するわけです。

 ところが、心の病の場合には必ず相手がいます。
 もちろん自分自身の問題ではありますが、怒りには相手がいます。
憎しみにも相手がいます。嫉妬心も相手がいます。
相手がいるから嫉妬もするし、相手が気に入らないから憎むのですし、
相手がいるからこそ怒り狂うのです。
494TR-774:2008/10/01(水) 16:23:20 ID:???
 しかし、心の病を持った人から、そのような感情を投げつけられたとき、それを挑戦的な行為として受け止めないで、
思いやりと寛大と赦しをもって対処すれば、そのことが素晴らしい薬や手術となって、相手の心を癒していくことになります。

 相手から怒りをぶつけられても、憎まれても、それを赦してあげるのです。
そして慈しんであげる、愛してあげる、思いやるのです。そのように対処することによって、
それが素晴らしい薬、処方箋となって心の病は癒されていきます。

 家族の中でも、もちろん夫婦や嫁姑の間でも、そのような思いで接するのです。そのような間柄が続くことによって、
自然に調和した関係になってゆくし、また、自分が心の病気になったとき、例えば、
夫に憎しみや嫉妬心、怒り、不平不満をぶつけたとき、相手の赦しと思いやりと、深い愛によって自分が癒されていくのです。

 私たちは、心の病も身体の病とまったく同じに対処するように心がけていれば、
お互い慈しみ、思いやり、愛の交流ができるのです。

 病気には肉体の病気もあれば、心の病気もあります。
 もしも心の病気を見たとき、慈しみと愛の気持ちで接すれば、自分が毒されることも、悲しむこともなくなります。
 そして、相手は自分の心によって、今度は癒されていくという、素晴らしい展開になるのです。
495TR-774:2008/10/01(水) 16:23:46 ID:???

 もちろん、肉体の病を持っている人は、その病気を治すよう努力し、消えてゆく姿で世界平和の祈りに徹しなければなりません。
また自分が心の病気を持っていることに気がついた人は、同じように、消えてゆく姿で世界平和の祈りを行じ続けながら、
やはり大きな赦しをもって、祈り続けることです。

 心の病を持った人は、相手をやっつけようとするためだけに感情を迸らせているのではありません。
自分が発した怒りによりって自分自身が毒され、憎しみによって自分自身が破壊され、
怒りによって自分自身が炎のように焼き尽くされるのだと、気がつかなければなりません。

 そして、心の病は自分自身の力で治そうとする努力が必要なのです。その上でさらに、同情されることによって癒されていくのです。

 心の病気も肉体の病気も、決して同情だけが唯一の処方箋ではなく、
自分が自分の心身をコントロールすることによって、はじめて癒すことができるのです。
496TR-774:2008/10/01(水) 17:36:40 ID:???
このコピペきちがいってば、jessye ってのと同一人物だったりする?
497TR-774:2008/10/01(水) 22:21:53 ID:???
いや、すべてPIRAMIの仕業。
498TR-774:2008/10/02(木) 09:37:29 ID:???
よっぽど隠したい書き込みがあったのかな?
499TR-774:2008/10/02(木) 10:17:55 ID:???
ああなるほど、さっさと埋めて落とそうという魂胆かぁ。
500TR-774:2008/10/02(木) 16:10:37 ID:???
魂の本当に純粋なまま、素直なまま、無垢のまま大人になることは、
もちろん理想であります。けれども、周りの環境がそれを許しません。
積極的に学ぼうとしなくても、周りの環境から自然に体験してしまうのです。

 私たちは成長していくに従って、自分を取り巻く環境で起こる出来事、
両親や兄弟、友達などの行動を見たり聞いたりして、
自然にその振る舞いを身に着けていきます。
 生きていく上での手段、方法を知り、学び、覚えていくのです。
身につけるのは、嘘をつくという面ばかりではありません。
 さまざまな状況を体験するうちに、どういう状況が自分に不利になるか、
何が自分にとって得であり、
いかにして労力を使わず努力もしないですむかということを、
知らず知らず学習していくのです。
 お世辞を言って人と付き合う方法、あるいは片方で悪口を言い、
片方では褒めるという二枚舌を使って生きていく方法など、
さまざまな生き方を学びながら大人になっていきます。

 私たち大人は、いかにうまく人生を立ち回るかという知識を
欲している人がほとんどですから、それらを見て育つ子供も、
なるべく自分の有利に状況を展開させようとすることが、
当たり前と考えて育ってしまいます。
 そのような生き方を覚えてしまうことは、
それはそれで仕方がないと私は思います。
 しかし、物心もつかない幼い子供さえ、
誰から教わったわけでもないのに、嘘をつきます。
 なぜ人は、生まれながらにして、嘘をついてまで、
自分が有利になるような状況をつくろうとするのでしょうか。
501TR-774:2008/10/02(木) 16:12:33 ID:???
 4歳、5歳の子供の嘘ばかりでなく、大人になるまでにつく数々の嘘は、
自分が楽に生きていこうという、
生まれつき備わっている「守り」の本能なのです。

 それは自分を傷つけないための、自分を守るための方法です。
純粋に生きていたら、誰かから傷つけられ、叩きのめされ、苛められ、
それを許してしまっては、自分のこの世における生命の存在が
危ぶまれるからなのです。
 嘘をついて自分を守ろうとすることは、
本能的に身につけていることなのです。

 赤ちゃんを観察していますと、お腹がすいたら泣き、
体のどこかが痛くなったら泣き、おむつが濡れたら泣きます。
これはもう、自分の身を守るための本能であって、
泣くことによって大人たちが慌てて飛んできて、
「どうしたのか」と赤ちゃんを調べ、
すぐに世話をしてくれるからです。それで、
自分の生命を維持することができるのです。
 そういう意味で、赤ちゃんでさえ生まれた瞬間から手いるので、
自分が傷つけられないように、
自分を守っていくという本能を持っているのです。
 
 同じように、嘘をつくことも、
本能的に出てくるものに違いないと、私は思うのです。
502TR-774:2008/10/02(木) 16:43:23 ID:???
 どんな子供でも嘘をつきます。
 まして「嘘をつかないようにしなさい」と子供を叱っている大人たちは、
実際どれだけの嘘を積み重ねてここまできたことでしょうか。
あるいは、あちらに行ってこう言い、
こちらに行ってその反対のことを言う。
こういった二枚舌をどれだけ使ってきたことでしょうか。
 本当に自分にだけ都合のいいような言葉を繰り返して、
でたらめを並べて言いつくろってきたのです。

 人の悪口もたくさん口にしてきました。私たちは、
人の悪口を言って、自分のうっぷんを晴らしています。

 それから、偽り飾る言葉もたくさん使っています。
「本来の自分は人の思っているような人間ではないんだ」と考え、
そして「自分はあのような人間になりたいものだ」と憧れるのです。
 けれどもなかなか理想には辿り着けません。
そこには惨めで卑屈で劣等感に覆われた自分がいることに気がつきます。
しかし、そのような自分自身の現実を見て、
そのまま認めることはとても悔しく、納得ができません。
 ですから自分自身を言葉によって飾ってしまうのです。
偽りの衣で着飾って、よそ行きの装いで、
本来の自分とはまったく違う自分が世間に出て行くわけです。

 「嘘」「悪口」「二枚舌」「偽りで飾ること」。
これら四つの言葉に共通して言えることは、
敵から自分を守るべき手段であるということです。
 そうしなければ、自分自身が傷つき、
生きていくことができない、あるいは立ち直れなくなります。
 そこで、相手が自分を傷つける前に、
自分自身を守ろうとするのです。
503TR-774:2008/10/02(木) 16:59:57 ID:???
落としてもログは残るんだけどね
504TR-774:2008/10/02(木) 17:50:44 ID:hZTB/oIi
あげてみよっと。
別のATAKスレには、板同じでも出てないようだから、
渋谷に粘着してるんじゃなくて、このスレにだよね。
505TR-774:2008/10/02(木) 22:45:01 ID:???
別のスレってどこですか
ATAKってそもそも何ですか
506TR-774:2008/10/03(金) 15:36:45 ID:???
 もちろん、自分を守るために、本当は嘘をつかなくても、
悪口で人を陥れなくても、二枚舌を使わなくても、
あるいは自分自身を飾ったりしなくてもいいのです。
 人間性の素晴らしさは、そのような方法を用いなくても、
十分発揮できるものです。

 ところが人は、そういう種をすでに持ってなると
生まれてきています。そして年齢を重ねるにつれて、
その種もどんどん成長するにつれ、その嘘も巧みになるのです。

 幼いうちは、口の周りにいっぱいチョコレートをつけて
「ぼく、食べてないよ」と、本当に幼稚な嘘をついています。
 小学校になると少し利口になってきます。
算数のテストで50点をとったら、
そのまま持って帰ると親に叱られるから、
自分で点数を70点や80点に書き換えてしまう。
すると親は「まあ、よくできたね」と褒めて、
そして安心することになります。

 どうしてそのような嘘をつかなければならないのでしょう。
なぜ50点を持ち帰って、そのまま両親に報告できないのでしょうか。
それはそこに自分を守る本能があるからです。
 自分を守らなければ親から攻撃を受けるからです。
親から「おまえはできない子供だ」「努力が足りない」
「ばかだなぁ」と言われ続けて、心がこれ以上傷つくと立ち直れない、
もう耐えられなくなっているからなのです。
 子供は本能的に自分をかばっています。
それが嘘をついている姿なのです。
507TR-774:2008/10/03(金) 15:53:08 ID:???
 どうしてそのような嘘をつかなければならないのでしょう。
なぜ50点を持ち帰って、そのまま両親に報告できないのでしょうか。
それはそこに自分を守る本能があるからです。
 自分を守らなければ親から攻撃を受けるからです。
親から「おまえはできない子供だ」「努力が足りない」
「ばかだなぁ」と言われ続けて、心がこれ以上傷つくと立ち直れない、
もう耐えられなくなっているからなのです。
 子供は本能的に自分をかばっています。
それが嘘をついている姿なのです。

 やがて大人になって社会に出ると、今度は会社の中で、家庭の中で、
夫婦の間で、お互い嘘を付き合い、飾り合うようになります。
 そして、自分より地位の低い人をけなし、成績の優秀な人を
こきおろすことによって、自分が抱えている劣等感を
解消してしまうようになるのです。

 やはり人間という存在は、純粋に生きていかれない弱さというものを、
どこかに身につけて生まれてきています。
 
 しかし、私がここで強調しておきたいことは、本来は嘘をつかなくても、
二枚舌で欺かなくても、自分を偽り飾らなくても、
また人の悪口を言わなくても、純粋で無垢のまま、
しかも自分が傷つかないで、強く生きていく方法があるということです。

 そして、ほとんどの人が、それをわかっていないということです。
508TR-774:2008/10/04(土) 15:50:23 ID:???
 世の中は、適当に善と悪の両方を兼ね備えて、
上手く混合させて、世渡りをすることが常識になっています。
 政治かも汚職するし、選挙でもごまかすことが当たり前のように
考えられています。そして、国と国との関係でも嘘や偽りが
まかり通っていますから、ついには、国同士の戦争にまで
発展していくことさえあるのです。

 宗教同士でも例外ではありません。嘘、偽り、二枚舌、悪口で
お互いの神をけなしあっています。そして自分たちの神だけが
正当だと言い張っています。

 どうして個人が信じている宗教が、
他の宗教と争わなければならないのでしょう。
 そこには、その神を支持している信者さん一人一人の心に
弱さがあるからです。

 自分の信仰する宗教の神は、他の宗教の神よりも強く、
素晴らしく、絶対的な存在だと神じ、ほかの宗教や神を
おとしめる背景には、その信仰や神の力によって
自分自身の心の弱さを拭い去りたいという願望があります。
 自分の宗教の神のみを支持することによって、弱い自分が
強くなれると思い込むのです。

 心の中では嘘偽りだと分かっていても、
長い間自分をごまかし、それを信じているうちに、
ついには正しいことだと信じてしまうようになります。
自分の中で嘘が真実に転化してしまうのです。
長年、嘘偽りが繰り返されていると、
それを真実として疑うことがなくなり、正当だと思いこんでしまいます。
509TR-774:2008/10/04(土) 15:52:03 ID:???
 「世界が平和であるように」「世界人類が調和していくように」
というスローガンを掲げるより前になさなければならないことがあります。
それは、自分自身の心を正し、調和させることです。
 嘘をつかなくても、二枚舌を使わなくても、自分を飾らなくても、
人の悪口を言わなくても、いっさい暗黒的なマイナスの
否定的な想念を出さなくても、自分自身の自然な姿を
見せていくことができなくてはなりません。

 一人ひとりが、自分で嘘をつくろい、かばうことなく、
強くなってそのままの姿を見せていく、
ありのままの姿で友をつくっていく、
ありのままの姿の夫婦になっていく、ありのままの自然体の姿で
親子関係を結んでいく。

 そうすると、嘘をつかなくても、飾らなくても、偽らなくても、
悪口を言わなくてもすむようになります。
510TR-774:2008/10/22(水) 21:24:51 ID:h9vI7GXh
あげますよ
511TR-774:2008/10/22(水) 23:51:26 ID:7OGpdn7g
この人ってまだ逮捕されないの?
512TR-774:2008/10/23(木) 21:06:11 ID:dhui/8xK
なにこのクソスレ
513TR-774:2008/10/23(木) 23:55:34 ID:CtpnD+9s
コピペ厨諦めろ。
スレ落としてもログ残るし、おれも保存してるから再アップするし。
514TR-774:2008/10/24(金) 05:52:53 ID:???
渋谷がそろそろ逮捕されそうという噂は本当?
515TR-774:2008/10/24(金) 09:18:15 ID:???
アゲんな。ニカ板行け
516TR-774:2008/10/24(金) 22:15:41 ID:S6sxiA4r
517TR-774:2008/10/25(土) 00:54:48 ID:JD6nHddt
>>514 ちょwwwkwsk
518TR-774:2008/10/25(土) 17:21:18 ID:???
ただの噂だろ

まぁ火のない所に煙は立たないと言うが
519TR-774:2008/10/27(月) 06:04:04 ID:???
逮捕されたらパーティーだな
520TR-774:2008/10/28(火) 04:40:50 ID:???
 嘘をつくのは、第一に人をごまかすためです。
 では、人をごまかして、それで心が平和で安心していられるかというと、決してそうではありません。
嘘をついていると、ついには自分を尊敬できなくなります。
 本来、人間の心は善そのものです。自分の中には、本当に太陽のようにすべてを照らし出している、
神そのものの本心の自分がいます。一方、嘘をつくことを許しているもう一人の自分がいます。

 その一番根本的な自分は、嘘をつくのを認めているもう一人の自分が許せません。
自分を愛することができない理由は、ここにあります。
 そして心の中で「自分は何て弱い人間だろう」「卑屈な人間だ」「何とずるい人間なんだ」と、
時間がたつにつれて、自分自身を批判する自分が形成されます。自分自身が自己分裂を起してしまうのです。
 正しい人間である自分と、ずるくて弱い人間である自分とに分かれてしまうのです。
さらに、そうした嘘をつく「ずるくて弱い」自分を認めることができないので、
自分自身をごまかすために嘘を重ねながら、成長していくことになります。

 ですから、1回嘘をついてしまうと、嘘の上塗りを続けていきます。その嘘がばれないように、
その嘘をつくろうために、また次の嘘をついてしまうのです。嘘が嘘を呼び、どんどん輪をかけて大きな嘘をつくことになります。
 小さな嘘が何十何百と重なって、大きな嘘となり、自分を塗り固めてしまいます。

 そうすると「本当の自分」ではない偽善者のような人間になっていくのです。
そして、本心ではそういう自分を愛せないし許せません。ですから、自分が自分を責め裁いてしまうようになるのです。
 責め裁くことによって、自分自身を納得させるのです。こういう悪循環をたどって、
自分を病気の方向へ、事故の方向へ、運命を悪い方向へともっていくことになります。

 病気になる、事故や災難に遭う、不調和になる、これらはすべて自己処罰の現われです。
 「自分は悪い人間なんだ。だから病気になって当たり前なんだ」
「何十年も嘘をつき続けてきた自分は、病気になって当然なんだ。ああ、病気になってよかった」と、
嘘によって人をごまかしてきた自分が、処罰を受けて、ほっと安心するのです。
521TR-774:2008/10/28(火) 04:41:31 ID:???
 ところが病気になったら、今度は病気に苦しみ悲しむ自分が芽生えてきます。
 この自分は「自分の嘘、偽りを自分で裁いた結果、病気になったんじゃない」
「自分は正当な理由があって病気になったんだ」「一生懸命仕事をしすぎて病気になったんだ」と思いたがります。

 そして周りの人に自分の病気を正当化するために、また嘘をつくのです。
 何しろ人間の人生を振り返ってみると、嘘、嘘、嘘の連続です。小さな小さな嘘、
人には分からない嘘の積み重ねの人生なのです。しかし、自分にはそのことがよく分かります。
 だからなんとなく、本当の自分に戻りたいと、どこかで願っているのです。

 しかし、「本心の自分に帰りたい」「神そのものに帰りたい」と心から欲すれば、
今まで嘘や人の悪口を言い続け、自分を嘘偽りで飾ってきた自分が許せなくなります。
 それを自己処罰してしまうという、繰り返しなのです。
 何と哀れで、何とばかげた、何と愚かな人間の人生なのでしょうか。
522TR-774:2008/10/28(火) 09:54:20 ID:???
 物心もつかない子供が、誰からも教えられないにも関わらず嘘をついてしまう姿。
それは、すでに心の中に前生の因縁の種がまかれてあって、それが現われて出て来た姿なのです。
 私たちは、どうあがいても、嘘をついてしまう存在だとすれば、これからいったい
どう考えて生きていけばよいのでしょう。
 「嘘をついてはいけない」「二枚舌を使ってはいけない」「自分を偽ってはいけない」と、
すべてを禁じてしまうと、とても苦しくなります。これでは、一方で嘘をつきながら、
もう一方でこれはしてはいけないという、偽善に変わってしまいます。

 「嘘はついてもいい、それは消えてゆく姿なのだから」
「自分は何百生転生を繰り返してきたんだから、これは前生の因縁だ」と考えるのです。
 そして、嘘をつき続けてきた自分を「消えてゆく姿」として、
世界平和の祈りの中へどんどん投げ入れることです。
 そういう不完全な自分があると同時に、一方では完全な自分、
神そのものの自分がいるんだと、その方向へ想いを集中することです。
 そうして、「私は神を顕そう、神の完全なる愛を顕そう」「顕すんだ」と、
神の中に、完全円満なる神の中に昇華していけば、嘘をつかないですむのです。

 嘘をつかないためには、もう一つ、「人間本来神そのものである」
「本心そのものは光り輝いているものである」という教えを、心の中にしっかり持っていれば、
嘘をつかないですむ人生が展開されてゆきます。そのためには、正しい教え、正しい宗教につながって、
自分の偽った人生を自分自身で壊し、新しい自分を見つけて、新しい人生を展開していくことが大事であると思います。
523TR-774:2008/10/28(火) 11:52:30 ID:???
 「私」の考えがあり、「私」の意志があり、「私」の肉体があり、
「私」の言動をなしている者がこの地球上に存在しています。
 この「私」、言い換えれば、この「自分」とは一体どういうものを指しているのでしょうか。

 周りの人々が、私を誰がわかりやすく知らせるためには、まず私の考えを紹介することでしょう。
それから性格を説明します。生い立ち、両親、子供などの家族や宗教、趣味といったバックグラウンドの説明も必要でしょう。
 そうすると、「私」というものは、自分に関するすべてのものを総称していることになりますが、
その中で「私」を代表させる主となるものは、「私」の持つ「考え」になると思います。

 では、その「考え」とは、いったいどこからきているのでしょうか。私はこういうことをしたい。
私はこういうものになりたいといった、自分自身の思い、考えというものは、何から発しているのでしょうか。
 それはすべて記憶から発しています。

 自分が生まれたときの両親の感情、どうやって迎え入れられたか、長男に生まれたのか、
次男に生まれたのか、長女か次女かといった兄弟のポジション、そのような出生のときの状況から始まり、
成長過程での出来事、体験が「私」の原点になっていくわけです。
 そして幼年期になって幼稚園や保育園などでの体験や友達関係、保母さんなどの大人との関係が記憶になってとどまります。
 自我はしっかりと確立されておらず、自分の体験を大きな視野から見ることもできませんが、
「私」の考え方、「私」の意志は知らないうちに、幼い体験を通して、記憶となって積み重ねられていきます。
524TR-774:2008/11/06(木) 00:19:59 ID:???
小学校に上がると、さらにさまざまな出来事を体験するようになります。
いじめもあるかもしれません。
 一生懸命勉強に励んでも、その結果が悪いこともあります。あるいは予想に反して良いこともあるでしょう。
努力が報いられたり、報いられなかったりします。
 学校以外でも、家庭が冷めていたり、暖かかったり、家族がいがみ合っていたり、
深く愛し合っていたりする状況もあるでしょう。反発、憎しみ、受容、思いやり、
感謝、嫉妬、そういう大小さまざまな感情が生まれ、想念が出てきます。

 さまざまな場面で湧き出て来た感情だけでなく、実際に生まれた行動も体験として残ります。
 親へのののしり、友達に対する侮蔑、そして取っ組み合いのけんか、闘争。そういう出来事は、
遠く過ぎ去ってしまえば表面的には消えてしまい、代わりに新しい事柄、新しい出来事、
新しい状況に対する感情や行動がどんどん現われてきます。

 するとその時点では、過去の体験や事柄は忘れ去ったかのように見えます。
 また忘れてしまわなければ、新しい出来事をクリアーできません。過去の失敗や苦しみ、
成果を引きずっていて、そのことに関する感情や想念が心に留まり続けるならば、
今日の新しい1日に繰り広げられてゆく自分の生活を正面からとらえ、積極的に対処することができなくなります。

 私たちは、常に過去の事柄を処理して生きています。
そのようにして「私」というものが築き上げられていくのです。

 自分に蓄積されている過去の感情や体験は心の奥に留まって現われてはこないので、
あたかも記憶からなくなっているように思いますが、しかし、ちゃんと自分の中には記憶として残っていて、
この記憶そのものの蓄積が「私」を形作るわけです。そしてそこから「私」の発想、「私」の意見、
「私」の意志といった「私」のすべてが出てくるのです。
525TR-774:2008/11/09(日) 23:08:43 ID:qk0gPfH6
良スレ
526TR-774:2008/11/10(月) 00:45:45 ID:???
嘘言うなw
527TR-774:2008/11/13(木) 21:41:50 ID:ZL7jIyFs
えっホリエモン 逮捕??
528TR-774:2008/11/13(木) 22:58:06 ID:wpTW4CeA
渋谷
529TR-774:2008/11/15(土) 05:44:40 ID:???
☆ 過去に積み重ねられた記憶が、現在の「私」をつくる

 5歳のときと40歳になったときとでは、記憶された体験によって「私」はまるで違っています。5歳では、5年間の体験が記憶されて「私」が築き上げられているのに対し、40歳では、5歳の「私」とはまったく違った、40歳の「私」が出てきます。
 それだけ経てきた体験が多く、その分だけ記憶がどんどん積み重ねられています。

 記憶装置にはこれまでの体験や感情、想念が蓄積されています。40歳で新しい状況にぶつかったとき、「私はこう思う」「私は過去にこうした」「私はこうしたい」と思い、考える「私」はどこから出てくるのかというと、この記憶装置からなのです。
 今の状況を解決するのに鍵となるような記憶が、心の奥の記憶装置から取り出されて、私の考え方、私の解決方法、私の意志、私の希望となるわけです。
 ですから、この「私」全体は、過去の体験の記憶そのものであるわけです。

 否定的な意志や感情が支配し、未来に希望がなく、人生はつらく苦しいものであるという意見や考え方が出てくるとすれば、それは自分の過去の体験や感情、想念が暗く惨めなもので、辛い記憶が積み重ねられてきた結果、ということにほかなりません。

 一つ一つの体験が見事に積み重ねられてきた記憶によって、「私」というものが築き上げられていきます。自分の意志や考え方が記憶によって現わされてゆくわけです。
 そうしますと、記憶というものは大変重要なもので、決しておろそかにしてはいけないものです。
 記憶は自分自身を支配してしまうものです。記憶によって導かれた方向に人間の運命は向かってしまうのです。
530TR-774:2008/11/19(水) 03:00:54 ID:/B+A+Mt8
あげるよー
531TR-774:2008/11/21(金) 22:18:47 ID:???
 あの人は駄目だとか、自分は駄目だとかいうのは、今のものではなく、前の世
からの想いの消えてゆく姿なのでしょう。それを駄目だ、駄目だと想いを出す。
出しているということは、業をつかんで引き寄せていることですよ。バカなことです。

 そう教えるのがあたかも宗教だと思って、「お前の心が悪いのだ」と今までの
宗教はやっていたのです。それは、はじめはいいのですが、それに心が習慣づけられ、
慣れると、人を見るとあの人はああだから、ああだ、あるいは自分のちょっとした
悪を見て、ああこれは・・・とやる。いちいち面倒くさい。自分や人をいじめて
ばかりいる。だから家の中が暗くなる。

 上機嫌でいるべきものが、あの人はあの心が悪い、私の心が悪いのだと悪ばかり
つかまえて、みんなを暗くさせて不機嫌にさせてしまう。それで神様、神様とやったって、
そんな神様は何にもならない。それでは神でも仏でもない。業想念です。

 悪をつかんでは駄目、悪は間違った想いの消えてゆく姿。実在するものではない。
ですから、本当の自分だけをつかめばよい。本当の自分とは何か。上機嫌の自分です。
 明るい自分、柔和な自分、光輝いている自分です。その他の自分はあるべきもの
ではない。消えてゆく姿の自分なのです。これを徹頭徹尾想うことです。

 自分の心を穢すもの、自分の心を不安にするもの、自分の心をヒステリーにする、
自分の心を妬み心にさせる、それらはみな消えてゆく姿です。ただ自分の本心を
通り過ぎてゆくだけなのです。通り過ぎてゆく間、神様の中に、世界平和の祈りの
中に入っていればよいのです。

 そうするとあとで明るく晴れやかになって、「ああ私はよかった」と思う。
 だからいつも本心と業想念を分けていることです。通り過ぎてゆくと思っていると、
だんだん光が大きくなって、宇宙大に光輝くようになります。
 そしていつも上機嫌でいられるようになるのです。
532TR-774:2008/11/22(土) 00:15:59 ID:???
自分の肉体そのものが、光り輝く神そのものの姿であり、肉体の中に無限なる能力、
無限なる美、無限なる生命、無限なる健康が秘められていると本当に悟ったならば、
二度と苦行する必要はありません。
 ですから苦行を通して悟った人は、このように言わなければなりません。
 「私はこういう世界を通して、悟りの境地に入りましたけれども、
実はそのような苦行はする必要はなかったのです。間違っていました。
 私たちの肉体そのものはすでに尊く、美しく光り輝いています。その目をもって
神がつくった自然界の美しい姿を見ることができます。その耳をもって小鳥の美しいさえずりや
神がつくった自然界の美しい音を聞く事ができます。その舌でをもって神がつくった自然界の
おいしいものを食べることができます。
 自分の五官すべでて感じることができる。これが一番大事なのです。」

 神様から与えられたこの五官を通して、美しい姿を見、美しい音を聞き、
おいしい食物を味わうことによって、大自然を感じ、自らの肉体を光り輝かせることこそ、
人生にとって最も大切なことといえましょう。

 しかし、私たちの肉体はまだそこまでは十分に至っていません。私たちの肉体は、
神様から与えられた能力の30%40%しか発揮していません。
 神がつくりたもうた、この世界にある微妙な美しさをもっともっと感じ、
その深い深い美しさに触れ、自らを無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる希望にまで
高めていかなければならないのです。
 それが神の導きであり、人間本来の生きていく道なのです。

 神のつくった大自然のあらゆるものが輝いています。
 きらきら輝き、美しく、すべてが高揚し、すべてが踊っています。すべてかが歓喜に打ち震えています。
 この肉体を取り巻いている神のつくりたもうた、これらのすべてを否定しきるということは、
とんでもない過ちなのです。
533TR-774:2008/11/22(土) 00:18:45 ID:???
 過去を捨て、過去を忘れてしまったから、もう過去の記憶がなくなったと思うのは大間違いです。
心の中から鮮明な記憶は薄らいだとしても、やはりその記憶というものは、はっきり自分の記憶装置に残っています。
心の中にぎっしり積み重ねられています。

 本を読んだときの同意する気持ち、反発する気持ち、不満、そういう感情もやはり記憶装置の中に入っています。
テレビのニュースや新聞などで読んだ情報でも、全部一つ残らず見事に記憶されてゆきます。
それらの記憶された情報が創造されて、今の「私」というものを作り上げているわけです。

 過去の記憶の蓄積が、自分の未来の運命をも支配しています。これが、人間の運命というものの、本当の姿なのです。

 過去の記憶があまりにも酷い人は、やはりその延長線上にある未来が酷くなります。
 自分が不利になった時に溢れ出した憎しみの感情、無視された惨めさ、不満、感謝のない心、相手を罵り、
相手に責任をなすりつける態度、そのような過去の記憶がたくさんあれば、その人の人物評は、
その過去の記憶通りのの人物評になるのです。

 過去の記憶が素晴らしく、バラ色に満ちて、愛に満ちて、神のような記憶をずっと持ち続けている人は、
やはり延長線上にある未来でも同じく、神のような生き方を現わし続けることでしょう。
534TR-774:2008/11/22(土) 00:19:24 ID:???
 あれほど鮮明に、重たくのしかかっていた嫌な体験、感情の記憶も、1日が終わり、2日がたち、3日も過ぎると、いつの間にか薄らいでゆきます。時間が悩みや後悔を解消してくれているわけです。
 しかし、同じような状況が現われてくると、また同じような言動をなしてしまいます。自分の中にある過去の記憶から引き出される、相手を侮蔑するような言葉が自分の意志として発せられ、自分の意見として浮かび上がり、相手を怒らせ、相手を憎ませることもあるのです。
 そしてそれが新たな記憶となって、再び自分の中に積み重ねられていきます。

 ですから、暗い過去の体験、憎しみ、人を侮蔑し、怒らせ、罪をつくり上げてしまった記憶というものは、そのつど、そのつど解消していかなければなりません。
 これこそ五井先生の説かれる「過去の消えてゆく姿」です。

 記憶というものは、大切に処理されなければなりません。
 五井先生は「消えてゆく姿で世界平和の祈り」という、素晴らしい人生、運命の改善方法を提唱されました。
 今、病気であるという状況にあろうと、腹立たしい状況にあろうと、憎しみに燃えたぎっている状況にあろうと、嫉妬心に狂う困難な状況にあろうと、それは過去の記憶、因縁が消えてゆく姿として現われているということです。

 あらゆるものは消えてゆく姿なのです。
 それは、今生だけでなく、前生におけるいろいろな過去の記憶が消えてゆき、新しい記憶に変わろうとする一瞬です。新しい体験を心の中に入れなおそうとする、大事な人生の一瞬なのです。

 直面する状況によって呼び覚まさせる過去の記憶を掴んで、同じような憎しみ、嫉妬の苦しみ、悲惨な状況を再び繰り返してしまうか、あるいはその過去の記憶を消えてゆく姿として、世界平和の祈りを祈り、消してしまうかは、本人次第です。

 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を行じると、憎しみや嫉妬といった、呼び覚まされた過去の記憶はきれいに消え去っていって、「世界平和の祈りに変えた」「ああ素晴らしかった」という、新しい体験が記憶装置にとどめられることになります。
 そのような記憶の連続が自分自身を築き上げていくのです。
535TR-774:2008/11/22(土) 08:27:38 ID:???
filmachine phonics発売から1年立ちましたが
あれを超える作品は誰か作りましたか?
536TR-774:2008/11/22(土) 09:05:19 ID:???
「幸せになりたい」「苦しみから救われたい」「もっと自由になりたい」。
 人は、普通、そう考えます。そして、そのもくてきに向かって努力し、常に幸せでね平安でいたいと願うものです。
そういう希望は誰もが等しく持っているものです。
 ところが実際に、常に平和で幸せで波風が立たず、怒りや苦しみや嫉妬などもなく、自分自身を神のように高め上げ、
常に平安な気持ちでいられるにはどうすればよいか、ということに心を砕く人は少ないのです。

 ただ「目の前の苦しみから逃れたい」「今の悩みから救われたい」「とりあえず欲望や願望を成就させたい」と、
目先の事に執われる人が多いのではないでしょうか。
 自分の長い一生をながめ、その上で心の平安を心から求め、その目的に向かって歩んでいる人はあまりに少ないのです。

 目先の幸せ、目先の平安、目先の喜びばかりを求めて、たとえ二年後、三年後に成功が得られ幸福や繁栄がおとずれたとしても、
さにら五年先、十年先も同様に幸せであるかというと、おそらく誰も確信は持てないでしょう。
 人生というものは、今の幸せを得た後、必ずまた不安がやってくるものです。「いつかこの幸せが崩れるかもしれない」
「いつかこの喜び失われるかもしれない」と心配になります。
 ほとんどの人が目先の苦しみや悲しみから逃れ、つかの間の幸せや喜び、悲しみに焦点を合わせて生きているのです。
 そして、なかなか永遠の平安を得ることができません。

 そう、では「あなたは誰なのか」「あなたはどこから来たのか」「あなたはいったいどこへ帰るのか」
「あなたは何のためにこの世に生きているのか」と、問いかけたい。

 こうした永遠の平安を得るためのカギとなる一つ一つの問いに答えられる人は、おそらくあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。
 「自分はどこから来て、どこへ帰るのか」。このたった二つの問いですら、なかなか答えられる人はいないと思います。
537TR-774:2008/11/22(土) 09:06:05 ID:???
自分はどこから来たのか。
 それは、人類70億の人たちは皆「神」の国から、
 「神から分かれて」来たのです。

 自分はどこへ帰るのか。
 それは「神の国」へ帰るのです。
 神そのものに帰ってゆくのです。

 人間は「大神さま」から「分生命」(わけいのち)として、
 この世に天降っています。

 この世に何のために来ているのか。
 それは「神の姿を現すため」に来ているのです。
 では、神の姿とはどういうものなのかと言いますと、
「我即神也」の宣言文の冒頭にありますように、
「私が語る言葉は神そのものの言葉であり、私が発する想念  は、神そのものの想念であり、
私が表す行為は、神そのもの の行為である」と言えます。

 私が語る言葉は、神そのものの言葉である。それを語るためにこの世に生まれてきているのです。
 私が発する想念は、神そのものの想念である。それを発するために肉体に今現われているのです。
 私が表す行為は、神そのものの行為である。それを表すためにこの世に生まれてきているのです。

 では「神の言葉」「神の想念」「神の行為」とは何でしょう。神の中には否定的な言葉、苦しみや悲しみは一切ありません。
神の中には努力や忍耐の言葉も一切ないのです。
 「神の言葉」「神の想念」「神の行為」は、完全円満、完全調和そのものなのです。
 神とは、無限なる愛、無限なる生命、無限なる健康、無限なる成功、無限なる繁栄、無限なる幸せ、無限なる光、
無限なるパワー、そういう無限なるものなのです。

 つまり私たちは、そのような神の分霊であるわけですから、大調和し、大発展するものがもともと自分の中にあり、
それをこの世に現わすために、この肉体があるのです。
538TR-774:2008/11/22(土) 09:06:49 ID:???
ではなぜ、苦しみや悲しみや痛みや怒りや嫉妬があるのでしょうか。これらはすべて、前生の因縁の「消えてゆく姿」なのです。
 前生で自分がどういうことをしてきたか、その結果がすべて今生に現われてきます。それを消しながら、できる限り神の姿に近づいていくのです。

 ですから、どんな苦しいこと、どんな悲しいこと、どんな辛いことがあっても、それは前生の因縁の消えてゆく姿であり、
それが消えれば、もっと神に近づいています。もっと純粋に、もっと汚れなく、もっと高く磨かれ、自分自身が神に近づいていくのです。

 死も怖くはありません。
 私たちは神の分霊でありますから、死とは、神の元に戻っていくことであり、苦しくもなく、悲しくもなく、寂しくもなく、痛みもない。
 ただ喜びをもって、自分の天命を完うしてその仕事を終えて、あちらの世界に行くだけなのです。

 誰の身にも、前生の因縁の消えてゆく姿が現われます。
 前生の因縁が癌などの病気として現われたり、夫婦仲が悪くて離婚という状況で現われたり、
子供が精神的に病んだりするなどの姿で現われます。
 あるいは、仕事でどんなに努力しても失敗し、お金を借りれば返せなくなってしまったり、
自分は才能がないと思って落ち込んでしまうこともあるかもしれません。

 前生の因縁は人それぞれ違っていますから、今生に現われる現象も人によって違ってきます。そして、
前生の因縁を背負って今生に生まれている以上は、必ず現われてきます。
539TR-774:2008/11/22(土) 09:08:11 ID:???
 自分自身に現われた状況は、前生の因縁の消えてゆく姿ですから、誰が素晴らしくて誰が悪い、誰が頭が良くて、誰が頭が悪い、
誰が成功者で誰が失敗者と、はっきり区別をつけることはできません。
 前生の因縁によって、あらゆる事柄が違ってきます。違っている事柄の内容が、
いいか悪いかということは、いっさい言えないわけです。

 その人にとっては、病気は本当に死ぬような苦しみかもしれません。けれども、ある人にとっては、
たとえ癌の宣告を受けたとしても、それほどショックではなく、精神的に痛みを感じないこともあります。
 ところが病気にはそれほど強い精神力を持っていながら、お金のこととなると、亡者のように変身してしまうかもしれません。
この場合、お金に対してとても因縁が強く現われているわけです。
 あるいは立派な政治家と思われていても色情因縁には弱いとか、自分の家庭にはとても暴君で思いやりがない、
といったことがあります。

 世間では、事業の成功者、権力や富を得た人たちは必ずといってよいほど、素晴らしいと称賛されていますが、
それは物質的な部分だけを、また私達の肉体的な目でわかる部分だけを認めて、誉めそやしているにすぎません。
 権力を持った人、立派な家に住んでいる人、それからある才能に秀でた人、学問で成功した人、事業で成功した人、
政治で名をなした人、そういう人たちが前生の因縁によって、ある分野ではものすごく卓越した素晴らしい才能を持っていたとしても、
その人が他の面でも同様に素晴らしいわけではないのです。

 自分の一番弱いところ、まだ完成していない範囲、卒業し終わっていない部分が磨かれていくわけですから、
病気に対して強かったから偉いとか、仕事が失敗したからだめだとか、他の人がその人の状況に対して、
いちいち判断することはできないのです。
 ある人の内面は、心が痛みで満たされ、苦しみ悩み、どん底に落とされているかもしれないけれど、
表面的にはほかの人にはわからないことです。
 またある人が、仕事に失敗し、そして病気に苦しみ、小さな貧しい家に住んでいる状況を、私たちは世間一般の価値観、
世界観で判断して見下すかもしれません。
540TR-774:2008/11/22(土) 09:08:29 ID:???
けれども、それは私たちがこの世的な物質的な価値判断のもとで評価したことであって、
彼の心には物質的に成功した人、才能に恵まれた人、そして地位や名誉や権力を得た人に比べて、
もっと素晴らしい心を持ち、もっと精神的な成功者であるかもしれないのです。
 その人の前生の因縁では、今生で成功を収めることはできませんでした。財力を蓄える因縁はなかったのです。
 みんなから立てられ、称賛される因縁もありませんでした。

 しかし、その心は本当に神に近づき、純粋に気高く、清らかに自分自身を高め上げてゆき、
自分をできる限り神に近づけているかもしれません。
 心は喜びと幸せと、そして平安に満たされているかもしれないのです。
541TR-774:2008/12/01(月) 14:03:42 ID:vSnj5FmI
病んでる、、、
542TR-774:2008/12/01(月) 15:23:17 ID:mMLQBx+2
なんだここ
543TR-774:2008/12/01(月) 20:30:45 ID:A0P6DXPN

 現在、この地球上に生きている70億の人たちは、すべて前生の因縁によってコントロールされ、
因縁を果たすためにこの世に来ています。
 なぜ前生の因縁を果たしてゆくのかというと、前生の因縁である悪いことも良いことも、
虚しいことも実りあることも、全部を消すことによって限りなく神に近づいてゆく、
神の元に戻ってゆくことができるからです。

 そして、完全円満なる神の姿に戻っていくプロセスにこそ、今生に生まれてきた意義があるのです。
 このプロセスを通らなければ、人間は神の元には戻れません。神の元に戻るためには、
消えてゆく姿を通して自己を高め、自己を磨き上げるしかないのです。

 そしてできる限り、悪い想念を発してはなりません。人に対しても、自分に対しても発してはならないのです。
「私は無能なの」「愛が薄いのよ」「私は冷酷なのよ」「私は意地悪なのよ」と自分を責めたり、自分を低く見ないで、
自分自身に対しても愛情深くならなければいけないのです。
 自分自身を無限に愛し、自分自身の中の無限なる才能を認めてあげること。
それが今生に生きているあなたの役目なのです。
 ですから今生では、良い言葉で話し、良い想念を発し、良い行いだけをするよう努めるのです。

 もし、それができないのであれば、それは前生の因縁で、できないわけですから、
前生の因縁が消えていけば、必ずできるようになります。
 ですから、できるだけ良い言葉を語り、良い想念を発し、良い行いをしようと、
この「三つの点」を常に心に留めておくと、それが自然にできるようになります。
 そして、悪い言葉を自分にも、他の人にも使わないようにするのです。
544TR-774:2008/12/01(月) 20:31:54 ID:???
ニカ板に行け
頭でっかちだな
545TR-774:2008/12/01(月) 20:34:54 ID:???
 成功も失敗も、優劣も善悪もない

 苦しみや悲しみ、喜び、成功、名誉、権力、そういうものは全部消えてゆく姿です。
失敗も消えてゆく姿であるけれど、成功も消えてゆく姿です。神の世界には失敗もなければ
成功もありません。繁栄もありません。すべてが完全調和されたものです。

 私たちの肉体レベルで見れば、お金を持っている人、仕事に成功した人は成功者と見ますが、
神の目から見たらそれは成功者に入りません。また失敗した人も、失敗者に入りません。全部が同じレベルです。

 人種が違い、民族が違い、宗教が違い、文化が違い、どの国で、どの立場で、
どのような環境に生きようとも、70億の人たちは皆、神の世界からやってきて、
神の姿を現わして、神の世界へ戻るという法則のもとに生かされているのです。

 人は皆等しく、神に近づこうとしています。そのための消えてゆく姿であるわけです。
消えてゆく姿には優劣も差別もありません。その人にとっては、その消えてゆく姿が一番尊いのです。
その人を磨くために一番大切な部分だからです。
 それは成功という姿で現われるかもしれません。成功を収めながら、名誉を得ながら、
権力を得ながら、財産を得ながら、しかし片方では罪をつくり、また別の因縁をつくらなければならない事情があります。
 また失敗や惨めな病気や、飢餓や闘争というものを通しながら、自分自身を神に近づけてゆく姿もあります。

 その材料は、その人の前生の因縁にまつわるものですから、大きな目から見れば、良し悪し、
優劣などの区別はありません。自然現象と同じように、皆共通の法則のもとで、立ち現われてくる現象なのです。

 ただ肉体が感じることのできる狭い範囲の、たった百年のレベルで見ると、
優劣がはっきりするような気がするし、善悪がはっきりするように見えるかもしれません。
 けれども何億、何兆年と続く永遠の時間の流れから見れば一瞬のことですし、
別に優劣も善悪も全く関係ないのです。


 人生の目的はたった一つだけしかないのです。神に近づいていくということのみであります。
546TR-774:2008/12/02(火) 11:24:05 ID:???
 ではなぜ、苦しみや悲しみや痛みや怒りや嫉妬があるのでしょうか。これらはすべて、
前生の因縁の「消えてゆく姿」なのです。
 前生で自分がどういうことをしてきたか、その結果がすべて今生に現われてきます。
それを消しながら、できる限り神の姿に近づいていくのです。

 ですから、どんな苦しいこと、どんな悲しいこと、どんな辛いことがあっても、
それは前生の因縁の消えてゆく姿であり、それが消えれば、もっと神に近づいています。
もっと純粋に、もっと汚れなく、もっと高く磨かれ、自分自身が神に近づいていくのです。

 死も怖くはありません。
 私たちは神の分霊でありますから、死とは、神の元に戻っていくことであり、
苦しくもなく、悲しくもなく、寂しくもなく、痛みもない。
 ただ喜びをもって、自分の天命を完うしてその仕事を終えて、あちらの世界に行くだけなのです。

 誰の身にも、前生の因縁の消えてゆく姿が現われます。
 前生の因縁が癌などの病気として現われたり、夫婦仲が悪くて離婚という状況で現われたり、
子供が精神的に病んだりするなどの姿で現われます。
 あるいは、仕事でどんなに努力しても失敗し、お金を借りれば返せなくなってしまったり、
自分は才能がないと思って落ち込んでしまうこともあるかもしれません。

 前生の因縁は人それぞれ違っていますから、今生に現われる現象も人によって違ってきます。
そして、前生の因縁を背負って今生に生まれている以上は、必ず現われてきます。
547TR-774:2008/12/02(火) 11:24:50 ID:???
 自分自身に現われた状況は、前生の因縁の消えてゆく姿ですから、誰が素晴らしくて誰が悪い、
誰が頭が良くて、誰が頭が悪い、誰が成功者で誰が失敗者と、はっきり区別をつけることはできません。
 前生の因縁によって、あらゆる事柄が違ってきます。違っている事柄の内容が、いいか悪いかということは、
いっさい言えないわけです。

 その人にとっては、病気は本当に死ぬような苦しみかもしれません。けれども、ある人にとっては、
たとえ癌の宣告を受けたとしても、それほどショックではなく、精神的に痛みを感じないこともあります。
 ところが病気にはそれほど強い精神力を持っていながら、お金のこととなると、亡者のように変身してしまうかもしれません。
この場合、お金に対してとても因縁が強く現われているわけです。
 あるいは立派な政治家と思われていても色情因縁には弱いとか、自分の家庭にはとても暴君で思いやりがない、
といったことがあります。

 世間では、事業の成功者、権力や富を得た人たちは必ずといってよいほど、素晴らしいと称賛されていますが、
それは物質的な部分だけを、また私達の肉体的な目でわかる部分だけを認めて、誉めそやしているにすぎません。
 権力を持った人、立派な家に住んでいる人、それからある才能に秀でた人、学問で成功した人、事業で成功した人、
政治で名をなした人、そういう人たちが前生の因縁によって、
ある分野ではものすごく卓越した素晴らしい才能を持っていたとしても、その人が他の面でも同様に素晴らしいわけではないのです。
548TR-774:2008/12/02(火) 11:25:26 ID:???
 自分の一番弱いところ、まだ完成していない範囲、卒業し終わっていない部分が磨かれていくわけですから、
病気に対して強かったから偉いとか、仕事が失敗したからだめだとか、他の人がその人の状況に対して、
いちいち判断することはできないのです。
 ある人の内面は、心が痛みで満たされ、苦しみ悩み、どん底に落とされているかもしれないけれど、
表面的にはほかの人にはわからないことです。
 またある人が、仕事に失敗し、そして病気に苦しみ、小さな貧しい家に住んでいる状況を、
私たちは世間一般の価値観、世界観で判断して見下すかもしれません。

 けれども、それは私たちがこの世的な物質的な価値判断のもとで評価したことであって、
彼の心には物質的に成功した人、才能に恵まれた人、そして地位や名誉や権力を得た人に比べて、
もっと素晴らしい心を持ち、もっと精神的な成功者であるかもしれないのです。
 その人の前生の因縁では、今生で成功を収めることはできませんでした。財力を蓄える因縁はなかったのです。
 みんなから立てられ、称賛される因縁もありませんでした。

 しかし、その心は本当に神に近づき、純粋に気高く、清らかに自分自身を高め上げてゆき、
自分をできる限り神に近づけているかもしれません。
 心は喜びと幸せと、そして平安に満たされているかもしれないのです。
549TR-774:2008/12/02(火) 11:27:25 ID:???
 現在、この地球上に生きている70億の人たちは、すべて前生の因縁によってコントロールされ、
因縁を果たすためにこの世に来ています。
 なぜ前生の因縁を果たしてゆくのかというと、前生の因縁である悪いことも良いことも、
虚しいことも実りあることも、全部を消すことによって限りなく神に近づいてゆく、神の元に戻ってゆくことができるからです。

 そして、完全円満なる神の姿に戻っていくプロセスにこそ、今生に生まれてきた意義があるのです。
 このプロセスを通らなければ、人間は神の元には戻れません。神の元に戻るためには、
消えてゆく姿を通して自己を高め、自己を磨き上げるしかないのです。

 そしてできる限り、悪い想念を発してはなりません。人に対しても、自分に対しても発してはならないのです。
「私は無能なの」「愛が薄いのよ」「私は冷酷なのよ」「私は意地悪なのよ」と自分を責めたり、
自分を低く見ないで、自分自身に対しても愛情深くならなければいけないのです。
 自分自身を無限に愛し、自分自身の中の無限なる才能を認めてあげること。それが今生に生きているあなたの役目なのです。
 ですから今生では、良い言葉で話し、良い想念を発し、良い行いだけをするよう努めるのです。

 もし、それができないのであれば、それは前生の因縁で、できないわけですから、
前生の因縁が消えていけば、必ずできるようになります。
 ですから、できるだけ良い言葉を語り、良い想念を発し、良い行いをしようと、
この「三つの点」を常に心に留めておくと、それが自然にできるようになります。
 そして、悪い言葉を自分にも、他の人にも使わないようにするのです。
550TR-774:2008/12/02(火) 11:42:04 ID:???
 苦しみや悲しみ、喜び、成功、名誉、権力、そういうものは全部消えてゆく姿です。
失敗も消えてゆく姿であるけれど、成功も消えてゆく姿です。神の世界には失敗もなければ成功もありません。
繁栄もありません。すべてが完全調和されたものです。

 私たちの肉体レベルで見れば、お金を持っている人、仕事に成功した人は成功者と見ますが、
神の目から見たらそれは成功者に入りません。また失敗した人も、失敗者に入りません。全部が同じレベルです。

 人種が違い、民族が違い、宗教が違い、文化が違い、どの国で、どの立場で、
どのような環境に生きようとも、70億の人たちは皆、神の世界からやってきて、
神の姿を現わして、神の世界へ戻るという法則のもとに生かされているのです。

 人は皆等しく、神に近づこうとしています。そのための消えてゆく姿であるわけです。
消えてゆく姿には優劣も差別もありません。その人にとっては、その消えてゆく姿が一番尊いのです。
その人を磨くために一番大切な部分だからです。
 それは成功という姿で現われるかもしれません。成功を収めながら、名誉を得ながら、
権力を得ながら、財産を得ながら、しかし片方では罪をつくり、また別の因縁をつくらなければならない事情があります。
 また失敗や惨めな病気や、飢餓や闘争というものを通しながら、自分自身を神に近づけてゆく姿もあります。
551TR-774:2008/12/02(火) 11:42:31 ID:???

 その材料は、その人の前生の因縁にまつわるものですから、大きな目から見れば、
良し悪し、優劣などの区別はありません。自然現象と同じように、皆共通の法則のもとで、立ち現われてくる現象なのです。

 ただ肉体が感じることのできる狭い範囲の、たった百年のレベルで見ると、優劣がはっきりするような気がするし、
善悪がはっきりするように見えるかもしれません。
 けれども何億、何兆年と続く永遠の時間の流れから見れば一瞬のことですし、別に優劣も善悪も全く関係ないのです。

 人生の目的はたった一つだけしかないのです。神に近づいていくということのみであります。
552TR-774:2008/12/02(火) 11:43:21 ID:???
ベトナムとカンボジアに行ったときのこと、カンボジアのアンコールワットという世界五大遺跡の一つと
言われるくらい見事なもので、その壮大な伽藍の芸術性に触れて、圧倒される想いがしました。

 しかしながら、ベトナムとカンボジアでは、一般の美術館に行く機会はまったくありませんでした。
美術館やオペラ、コンサートが大好きな私ですから、本来なら、残念に思うところですが、しかし、
「美術館やコンサートに行かれないことが、本当は残念なことではなかった。それは自分の一つの執われであった」と気づいたのです。
 芸術とは美術館だけにあるのではないし、音楽会の会場だけにあるのではないと思い至ったのです。

 ベトナムやカンボジアではじめて「真の芸術」「神の芸術」に出会った気がします。
 「真の芸術」「神の芸術」とは、生きた人間一人ひとりなのだという一番の根本に触れたような思いがしたのです。

 街角の貧しい人々、そしてその顔に一つ一つ刻まれた深い皺。それらを見た瞬間に、
私たちが美術館やコンサートに行って得られる「美しさ」や「幸福感」「歓喜」などといった感情以上のものを感じました。
 「神の芸術」とは、人間そのものであると直観したのです。生きている人間そのものであると。

 人が食べている姿が神の芸術であり、その人が何も食べられなくてやせ細って老いて死を間近に迎える姿、
何もできなくなってトロンとしたうつろな目で宙を見つめている姿にも、やはり神の芸術が宿っているのだと。
 また、どんな貧しい子供や赤ん坊を見ても、その瞳に生命の輝きを感じます。それは神が造った素晴らしい芸術です。

 神は芸術を通して私たちに何を訴え、何を言わんとしているのでしょう。神の芸術、真の芸術とは、
生きている人間そのものです。一人一人の生きている姿。生命そのものが芸術なのです。
553TR-774:2008/12/02(火) 11:44:39 ID:???
 お腹を空かして、動くこともできず、宙を見たまま横たわっている老人の姿にも、
私は胸が痛いほどの神の芸術を垣間見たのです。
 彼の人生がいかに貧しかったか。彼の人生がいかに困難であったか。過酷であったか、
厳しかったか。その姿は拷問や虐殺に満ちた時代を経てつくられた、彼の一生の芸術作品なのです。

 どんな人々の中にも神の芸術性が宿っています。芸術とは、美術品や劇場に行って見るものや、
コンサートに行って聴くものだけではなかったのです。
 私たちが本当に真の芸術に触れようと思う心があるならば、どこにでも神の芸術は存在します。
 自然の中に、埃(ほこり)の中に、喧騒の中に見ることができます。自分の存在をあからさまにせず、
ポッと咲いている赤いブーゲンビリア。そこに神の生きた芸術を感じることができます。
 牛にも馬にも、そして生きとし生けるもの、大自然の中にも、神の芸術を感じるのです。

 私たち一人ひとりの生きている姿が芸術であるならば、どんな国、どんな場所にいても、
人間という芸術に触れることができます。そして、人の心を動かすほどの芸術作品は、自らが作り上げていくものということになります。

 自分の肉体、自分の姿そのものが神の芸術であるならば、自分を通して人々が何を感ずるだろうか。
自分というこの芸術作品を通して、人々がどのように感じていくだろうか。
 そのように人間が真の芸術を理解したとき、人はたんに欲望を追いかけて生きていくよりも、
あるいは何か嫌なことがあったとき、不平不満を言って生きていくよりも、自分の中に神の生きた芸術を、
作り出していく道を選ぶのではないでしょうか。

 自らの芸術作品を、この肉体を通して作り出していく。そういう目的を持った人のほうが、
人々に感動を与え、人々に喜びと真の生きがいを感じさせるものだと、そのとき私は深く思ったのです。
554TR-774:2008/12/02(火) 11:50:33 ID:???
 人類一人一人の魂の奥底に、今生では計り知れないほどの強烈なる霊的エネルギーが潜んでいることに、誰も気づいてはいません。
 この霊的エネルギーは人類一人一人の人生に、常に関わりを持ち続け、いかなる時にも希望と創造を与え続けているのです。
内的生命力とでも言うべきものでしょうか。
このん意的な魂の力は、常に驚異的な働きを発揮しつづけ、人類に真の目覚めを促し、導いているのです。
その力によって人類は無限に高め上げられ、進化し続けているのです。

 この内的魂の力を一点にかき集め集中させることにより、いかようなことをも出来るようになるのです。
 いわゆる常識では計り知れないこと、また一般には不可能に思えることでも、この内なる魂の力を発揮させることによって、
何でも可能にしてしまうのです。

 この内的魂の力は誰にでもあります。
 それは、かつて周りの誰からも毒されずに、独自に神界と交流していた、あの赤子の頃の不可思議な力です。
かつてハイハイを体験し、そして二本の足で初めて真っ直ぐに立ち上がったあの頃の感動的な力、
さらには一歩一歩歩いては転び、転んでは歩くことを学んでいった、あの頃の不可思議なる力です。

 人間はどんな天才でも、生まれながらにして立つことも歩くことも出来ないのです。しかし、
いつか時が満つれば、どんな子でも歩き始めるのです。
 この歩くという行為は、今から思えば当然の行為のように思われますが、子供にとっては、
一つの心的、内的、霊的行為の発露でもあるのです。

 周りの誰からも決して教え導かれるわけではなく、自分の内で次第に時が満ち、長い準備期間を経たて、
すべてが整い、水平(ハイハイ)の方向から、初めて垂直の方向へと発展させてゆくのです。
 このような驚異的な行為を、子供はいとも簡単に成し遂げてゆきます。子供が歩き出すのは、
平均一切前後でしょう。この一歳前後の子供の一体どこに、このような漲るバイタリティーと、
計り知れない叡智が宿っているのでしょうか。
555TR-774:2008/12/03(水) 13:21:19 ID:ge6lUEnJ
これどっかからのコピペ?
物凄く病んでる、、、
渋谷さんは好きじゃないけどこれじゃ可哀想、、、
556TR-774:2008/12/03(水) 13:33:10 ID:???
好きじゃないのに可哀想っていう哀れんだ書き込みの方が可哀想だろ
557TR-774:2008/12/03(水) 17:51:34 ID:???
板違いだ
sageでやるかニカ板へ移動しろ
558TR-774:2008/12/04(木) 21:38:43 ID:???
 歩くことに関して、遅い、早い、鈍い、鋭い、感がよい、悪い、慎重派、積極的・・・等、
もって生まれた差はあれど、必ずみな歩けるというこの事実。
 ですから、”自分は何をしてもダメだ””自分には何の能力もない””自分は人より劣っている””自分は何も出来ない”・・・等とは、
決して言えないのです。
現に、素晴らしい能力があったらばこそ、歩いているではありませんか!

 それらのすべてを忘れ果て、何年も何年も長きに渡って、それらの偉大なる魂の力、霊的な力を心の奥に押し込めてしまっておいて、
自分にはそんな能力がない、力がない、出来ない、等と否定的な想念ばかりを出していたのでは、お話にもならないのです。
 人間はどんな人でも、その偉大なる魂の力を思い起こすだけで、今まで自分では為し得なかった驚異的なことを、
成し遂げることができるのです。

 それを具体的に現わしていく方法が『我即神也』の宣言文と印です。
 私たちは本来神そのものなのですから、いかなることも出ないわけはありません。出来ないという想いは、
長い間培われてきてしまった否定的想念の習慣によるものです。

 まず第一に、否定的想念を打ち破り、光明思想に切り替えることから始めることです。
 そしてある仕事なり、目的なり、望みなりを頭に描いたら、それを実現すべくその状態をイメージし、そのイメージしたことに対して、
強い光明の想い(無限なる繁栄、無限なる能力、無限なる成功、無限なる治癒力など)を集中させ、
身体のすみずみにある眠ったまま働いていないエネルギーをかき集め、そそして、「我即神也」を宣言し印を組むのです。
 すると、そのエネルギーは想像もできないほどの驚異的な力を発揮して、目的遂行にあたるのです。

 私たちは、今まではっきり意識して、自分の内にあるエネルギーをすべて使い切ることをしてこなかったのです。
 使い切れずに有り余ったエネルギーは、一体どこにゆくかと言うと、一つは身体のあちこちに止まってそのまま眠ってしまうか、
または有り余ったエネルギーは、何の目的もないと、逆に不平不満や自己破壊、不安、恐怖のような否定的想念として燃焼してゆくのです。
559TR-774:2008/12/04(木) 21:40:16 ID:???
 仮に今、我々大人が、そのような内から溢れ出るあの無限なる能力、無限なる叡智をすっかり忘れ果ててしまい、
知識のみで、初めてハイハイや垂直に立つことを体験するとしたら、一冊のマニュアルをもとに勉強し、学んでゆくしかありません。
 身体の構造、筋肉の働き、力の入れ方、重心のとり方を学び、それから実行に移してゆくには、大変な時間と労力と努力がいるでしょう。

 また、皆様方の右足の小指にひひが入ったと仮定してみましょう。すると、まず行われることは、
右足の小指に負担がかからないよう、内なる力が自然に発動され、それはただちに身体全体に作用します。
 そして一刻も早く元に戻るよう、その右足の小指を構成しているあらゆる筋肉、
組織、骨、器官等に十分な神経と注意力とを集中させ、働かせていることがわかるのです。全く自然に調和しながら、
見事に行われるのです。
 一体、そのような力はどこに存在しているのでしょうか・・・。知識だけは充分頭に詰め込んでいるけれども、
いざとなるとその知識は、何の役にも立ちません。かえって知識はマイナスとなって働いてしまいます。
 知識がなければ、直観によって行うことができるからです。

 このようにして一歳前後の子供は、内なる魂の霊的な力を得て、自分に一番ふさわしい時期に、
心より喜びをもって、好奇心でワクワクしながら、自信をもって歩くことに集中するのです。
そこには何一つ否定的想念はありません。失敗もありません。恐れもありません。不安もありません。
 ただ歩くことに無限なる希望と、夢と喜びをもって臨んでいるのです。

 そこには無限なる自由、無限なる喜び、無限なる可能性のみが、心的、内的、魂的、霊的力を通して注がれています。
 この力こそ、すべての人間が持ち合わせてている魂の力です。思ったことは何でも実現せしめてゆく無限なる霊なる力です。
 この偉大なる力は、子供の頃のみ発揮され、それでおわるのではなく、その後もずっと人間の中に存在し続け、働き続けているのです。

 人間は、子供の時に持っていたこの偉大なる力が、今も自分の中にはっきりと存在していることに、目覚めなければならないのです。
560TR-774:2008/12/05(金) 09:46:38 ID:???
a
561TR-774:2008/12/05(金) 09:46:44 ID:???
t
562TR-774:2008/12/05(金) 09:46:46 ID:???
a
563TR-774:2008/12/05(金) 09:46:49 ID:???
k
564TR-774:2008/12/05(金) 09:46:56 ID:???
a
565TR-774:2008/12/05(金) 09:47:00 ID:???
t
566TR-774:2008/12/05(金) 09:47:03 ID:???
a
567TR-774:2008/12/05(金) 09:47:05 ID:???
k
568TR-774:2008/12/05(金) 09:47:17 ID:???
a
569TR-774:2008/12/05(金) 09:47:19 ID:???
t
570TR-774:2008/12/05(金) 09:47:23 ID:???
a
571TR-774:2008/12/05(金) 09:47:24 ID:???
k
572TR-774:2008/12/05(金) 09:56:37 ID:???
 ですから、これからは自分の内にある偉大なる魂の力をはっきりと意識し、そして身体中の有り余ったエネルギーを、
目的遂行のためにしっかり出し、
「我即神也」の実現のために燃焼させ、自らが自らの上に神そのものを現わしてゆくべきなのです。
 その全人類の最終目的でもある「我即神也」に至るプロセスとして、自分の目的や夢や願望に意識を集中させ、
その目的遂行、達成を計ればよいのです。
 そうするならば、必ず今までとは全く違った新しい自分に目覚めてゆくはずです。そして必ず目的を達成できるのです。

 誰でも、自分の内にある偉大なる魂の力を認識し、その力を発揮させ、かつまた自分の内にある全エネルギーを最終目的である
「我即神也」の一点に集中し、事に当たるならば、必ず成るのです。
 決して、何事もならない等ということは有り得ないのです。

 人類が病気になったり、事故に遭ったり、災難に遭遇するのも、自分の有り余ったエネルギーを燃焼させるための
自殺行為に他ならないのです。
 自分の体内に持て余したエネルギーを貯えこまずに、すべてを目的遂行のために燃焼するならば、
病気や不幸や災難に遭わずにすむのです。

 エネルギーは、必ず何らかの形をとって完全燃焼しようとするのが常なのです。そのために有り余ったエネルギーは、
否定的想念となり、周りの否定的なものを自分に引き付け、同時に燃焼させてゆくものなのです。

 そのことが判ると、人はいついかなる時も自分の目的を捨てずに、自分の能力を信じ、
自分の内在せる偉大なる魂の力を自覚し、「我即神也」という絶対なる真理のもとに人生を突き進んでゆけるのです。
573TR-774:2008/12/05(金) 09:58:48 ID:???
愛とは与えるべきもの

 人類すべての切なる望みは、神の完全さを、神の無限なる愛を、自分の肉体を通して、
外界に表現したいという心そのものなのです。
 このことをよくよく噛み締めなければなりません。
 人間の魂には、真理を感じ取る能力が本来備わっています。
 と、同時に、愛を与えたい、愛を表現したい、愛を分かち合いたいという感覚が誰にでもあるのです。

 この、人類すべてに内在せる無限なる愛のエネルギーを、まず自らが率先して使い果たしていかなければ、
新たなる無限なる愛は、宇宙神から注がれてはこないのです。

 自分が今、いかなる状況にあっても、まず他に愛のエネルギーを注いでいくことが出来るのです。
愛は決して他から奪い取るものでもなければ、他から与えられるべきものでもありません。
 そして愛は、自分のためだけに使ってゆくものでもありません。愛は与えるべくして、
天からエネルギーとして授かっているのです。与えて与えて与え続けてゆくべきものです。
 愛はさまざまな姿、形となって表現されてゆきます。

 まず「我即神也」の宣言文の中の「私の語る言葉は、神(愛)そのものの言葉であり、
私が発する想念は、神(愛)そのものの想念であり、私が現わす行為は、神(愛)そのものの行為である)という、
その愛のの想念、愛の言葉、愛の行為こそが愛の表現の原点でしょう。
 「我即神也」であるならば、「我即愛也」でもあります。
 そこに自我という「個」の意識がなければ、愛は何の抵抗もなく迸り出てゆきます。
 さまざまな人々にさまざまな姿、形、言葉、行為となって溢れ出てゆきます。
574TR-774:2008/12/05(金) 10:00:44 ID:???
誰にでも出来る、いとも簡単な愛の表現が、何故、今生に現われてはこないのでしょうか。

 家庭の中で、職場の中で、行き交う道路上で、デパートの中で、レストランで、電車の中、バスの中で・・・
何故いたるところ、あらゆる地域、あらゆる場で、愛の表現が氾濫し、溢れ出てこないのでしょうか。
ほとんど為されていないのが不思議でなりません。
 今まで何十年と生きてきて、公共の場のちこちで、愛が表現されている光景にめったに出会ったことがありません。
皆様方も、あちこちで愛の表現に出会い、思わず微笑み、幸せな、心温まる体験をしたなどということは、めったにないでしょう。

 人類のすべてが、愛の表現を出し惜しみしてしまっています。あたかも心の中に愛そのものを閉じ込めて、
鍵をかけてしまっているかのようです。何故? 何故? 何故?

 愛は本来、愛の言葉、愛の感情、愛の行為として表現され続けてゆくものです。
 「ありがとう」「感謝します」「何て美しいの」「素晴らしい能力ですね」「何という配慮」「何と素晴らしい」
「愛している」「大好き」「とてもステキ」「輝いている」「尊敬している」・・・等、光明の表現、愛の表現は探せば無数にあります。
 それを何故、ふんだんに毎日瞬々刻々使おうとしないのでしょうか。現わそうとしないのでしょうか。

 これはただそう想っているだけでは駄目なのです。肉体の器を通して何らかの形(愛の言葉、想念、行為)に表現し、
実行してゆくべきものなのです。
 意識して自分自身に納得させ、語り尽くしていかねばなりません。そういない限り、なかなか自然に表現できないからです。
 愛の表現は、人類に対してだけとは限りません。動物、植物、鉱物、大地、海、山、空気、太陽・・・
神のつくり給いし生きとし生けるものすべてに、愛の表現が為されてゆくべきものなのです。

 ゆめゆめ他から自分に与えられるべきもの、自分に注がれるべきもの等と考えてはなりません。
愛とは、あくまでも与えるべきものです。与えて与えて、無限に与えつくしてゆくべきものです。
 愛を他に、そして外界に放出しない者こそが愛に飢えるのです。愛に恋焦がれるのです。孤独にさいなまされ、
幸せうすき人生を送るようになってしまうのです。
575TR-774:2008/12/06(土) 09:54:28 ID:???
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このスレはメンヘラに占拠されました
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608TR-774:2008/12/07(日) 06:15:56 ID:???
 愛は自分がいかなる立場にあろうと、いかなる環境にあろうと、いかなる境遇にあろうとも、
与えることが出来るのです。 病んでいようとも、貧乏のどん底に喘いでいようとも、かつまた事業に失敗し、
失望している状況にあってさえも、愛は何らかの言葉、想念、行為を通して与えることが出来るのです。
 それは、どんな人でも、日々神から無限なる愛をいただき続けているからです。

 その愛のエネルギーを、誰にも与えずただひたすら自分の内にしまい込み、貯え続けていても、何の役にも立たないのです。
 それどころか、本来与えるべきエネルギーを与えなければ、自分自身が干からびてしまうのです。早く年老い、
心に何一つの潤いもゆとりもなく、たちまち枯れてしまうのです。

 愛を与えれば与えるほど、自分自身が蘇えってくるのです。
 いつまでも若々しく、瑞々しく、美しくいられるのです。いつも健康で明るく輝いていられるのです。
何をしても順調で、何をしても成功し、誰とでも調和でき、すべてが完璧に整ってくるのです。
 愛を与え続ければ続けるほど、人々から慕われ、尊敬され、愛されるのです。愛のエネルギーはすべてを超えて人々に、
光と喜びと幸せをもたらすものです。

 愛を与え与え与え続けても、決して疲れることはありません。決して減ることはありません。
却って、与え続ける以前より、もっともっと無限に、愛のエネルギーは溢れてきます。充ちて来ます。
 これこそが、愛の法則です。
609TR-774:2008/12/07(日) 06:16:56 ID:???
 しかし、多くの人々は愛を与えようとはしません。
 親子でも夫婦でも、兄弟姉妹でも、嫁姑でも、友人知人でも、上司部下の関係においてでも、
愛はいついかなる時も表されるべきなのに、それが為されていません。
 愛を与える方も、与えられる方も自分の能力が高め上げられてゆきます。今まで破れなかった壁を、
突き破っていくほどのエネルギーと化します。
 愛を与えれば与えるほど、自分が至福に満たされてゆきます。自分が真理に目覚めてゆくのです。

 愛は人々の心を変えてゆきます。
 愛は世界平和を築き上げてゆきます。
 その究極の愛こそ「世界平和の祈り」であり、
 「我即神也」「人類即神也」の宣言文であり、印であります。
 これらは、いつでもどこでも心の中で唱えたり、声に出して言ったり、印を通して、完璧なる宇宙の愛を、
人類に伝え、表現してゆく行為なのです。
 この世界平和の祈りを祈るところは、祈る人の無限なる愛によって、必ずすべてが調和し、光り輝き、平和になってゆくのです。

 我々人間は、いついかなる時でも肉体のみで生きているのではありません。
いや、肉体のみで生きられるはずはないのです。自分の意識が気づいていないだけで、
常に霊界、神界と深いつながりをもって生かされているのです。

 人間本来、誰でも神そのものなのですから、自分の預かり知らぬところで内的、魂的、霊的力が
直観を通して我々自身を導いているのです。創造力を与え続け、
 また病気になれば、内的、魂的、霊的能力は我々に自然治癒力を大いに発揮させるよう、
無限なるエネルギーを注ぎ込んでくれるのです。
610TR-774:2008/12/07(日) 06:18:16 ID:???
 偉大なる力、素晴らしき力を人間は誰しも持ち合わせているにも関わらず、それらの力を自ら放棄し、
他に頼り、外の神々にすがりつき、
自らの力を他に与えてしまい、その奴隷と化してしまうのです。
 自分にはそのような偉大なる力はないと、愚かにも自分を馬鹿にし、低め、卑下することによって、
権能の力を他に与えてしまうのです。

 そのようにして、自らが自らの意志によって、他の人に自分の支配権を譲り渡しておきながら、
自分は駄目だ、自分は能力が無い等とわめき、のたまうのです。
 自分には力がないと思うのは間違っています。それは自分に内在せる偉大なる力の存在を認めないことから、生じているのです。

 本来、力は自分の中にあるということを、決して忘れてはなりません。そして、
その自分の力の背後に、常に宇宙神の力が注がれていることも決して忘れてはなりません。

 その真理が理解されると、人間は自分の人生を確信をもって生きてゆかれるのです。
自分にのみ与えられた自分の尊き生命、その自分の生命を生かしつつ、自分の人生を設計し、歩んでいくのです。
611TR-774:2008/12/07(日) 07:26:04 ID:???
 人類はみな一人残らず、無限なる可能性を秘めた神なる存在である。
 人類は、いかなる人も一人残らず、天賦の才能や才覚を持ち合わせて
いるのである。

 だが、残念なるかな、ほとんどの人がそれを発揮するチャンスを逸したまま、この世を去っていくのである。
もしその天賦の才能や才覚を、この地上に生きている間に発揮できたならば、人生はいかに素晴らしいものになるか、
計り知れないのである。
 まさに言語を絶するほどの輝かしい生き方を、誰もが送ることが出来るのである。

 しかし現実には、人類の90%以上の人々が重荷を抱え込んだまま、苦悩多き、罪深き人生を辿っている。
ほぼ誰もが、常に未知なる不安や恐怖を抱いて生きているのである。人類はみな、地上の抑圧された世界で、
無知と迷信に惑わされたまま、生きざるを得ないのである。
 そのため、人類は一生を通して、何かに飢えつづけているのである。
 幸せに飢え、健康に飢え、富に飢え、権力に飢え、成功に飢え、食に飢え、愛に飢え、肉欲に飢え、
家族に飢え、時間に飢え、才能に飢え、可能性に飢え、喜びに飢え、愛の言葉に飢え、真理に飢え、そして神性そのものに飢えている。

 そして、そうしたさまざまな「業欲の飢え」を満たさんがために、人類は常に飽くなき欲望に振り回されているのである。
 このような生き方を、人類一人一人が今日まで創造してきたのである。
612TR-774:2008/12/07(日) 07:27:28 ID:???
 この地上に存在する有限なるものを奪い合うのではなく、人類一人一人に内在している、
無限なるものを引き出すためのメソッドが、真理には織り込まれている。
 飢えを満たすためには、まずおのれ自身を知らなければならないのである。この世はあまりにも
不条理な様相を呈しているため、人類はどう生きてよいか判らないのである。

 人類の多くは、あまりにも肉体のみに関心を集中させ、肉体のみに執着し、肉体のみに栄養を与え過ぎていて、
精神面や霊性に栄養を与えようとしないのである。肉体と魂がアンバランスなのである。
そして、限られた思考の中で生きているのである。
 人類は真理を知ることによって、今までの偏った思考を拡大させることが出来る。
限られた思考から無限なる思考へと次元上昇させることによって、すべての飢えから解放されるのである。

 多くの人々は、無意識の欲求や必要性に迫られて生きてしまっている。自分が本来、
誰であるのか(我即神也)に全く気づいていない。
 このような人々の多くは、すべてに満たされたいという飢えをいつまでも抱えたまま、
その真の解決策を全く見出せないまま、生きているのである。これでは一生、自分の飢えから解放されることはない。
 自分自身で解決してこそ、初めて自らの飢えから解放されるのである。この飢えは、一定の低次元レベルにおいて、
グルグルと手を替え品を替え、次から次へと襲ってくるのである。

 いかなる飢えからも解放されたいのであるならば、真理を求める以外にないのである。
613TR-774:2008/12/07(日) 07:28:39 ID:???
 いかに贅沢を凝らしても、人間の心が満たされることはない。この世で超高価な食べ物をふんだんに食べても、
世界一高価な洋服や毛皮。宝石を身につけても、世界一ゴージャスな家に住み、たくさんの人々にかしづかれても、
決して本心から満足することはない。
 なぜ心は常に空虚なのか、なぜ心はいつも何かに飢えているのか・・・。

 それは魂(精神)が満たされていないからである。魂(精神)に栄養の糧を与えないからである。
魂(精神)こそが、すべての飢えの原因そのものである。
 人は自分の抱えている飢えが、何であるのか気づくまでに一生かかる。いや、一生かかっても、
今生にては答えを見出せない人々がほとんどである。
614TR-774:2008/12/07(日) 07:29:19 ID:???
いかに愛する家族がいて、健康な身体に恵まれ、才能ある明晰な頭脳を有していても、
それでも人は満たされはしない。自分の飢えが魂の飢えであることに気づき、その魂に栄養を与えてこそ、
真の至福に満たされるのである。

 逆に、肉体的に、物質的に、あらゆるものが欠けていても、充分に満たされていなくとも、
魂が真理に満たされていれば、愛と平安と至福に包まれた幸せな人生を送ることができるのである。
 だが、多くの人々は、一生かかってもその因を探ることが出来ない。常に業欲に振り回されてしまっているのである。
 まだ欲しい、もっともっと欲しい、まだ足りない、あれも、これも欲しい・・・
と飽くなき欲望のとりこになっている。このようなことを繰り返している人々は、
生きながらにして自分の生命を縮めているようなものである。

 みなが自らが自らを自殺行為に追い込んでいるようなものである。求めても求めてもなお、
心は満たされないまま何かに飢え続けている。
 これは一種の精神病であり、精神の栄養失調である。
 そしてついには、自らの肉体そのものを虐げ、傷つけてゆく。自分でも本当は何に飢えているのかが
皆目判らないまま、ただ手っ取り早い飢えの解消法として、食べ物であにゆる面の飢えを満たしてゆくのである。
 食べても食べても飽きずに食べる。食べることによって、取りあえず一時の飢えは治まるのである。この繰り返しである。

 その間、自らの肉体は少しずつ蝕まれていくのである。食べたものを肉体が消化しきれず、
かつまた栄養過多により、ガンや心臓病、高血圧、腎臓病などの病気への道を突き進んでゆく。
 そして精神も同様に病んでゆく。食べすぎで苦しみ、太り、醜くなってゆく自分の姿に拒否反応が起こってくる。
そしてついには、自分そのものを否定するようになる。
615TR-774:2008/12/10(水) 22:20:23 ID:543hOqof
age
616TR-774:2008/12/11(木) 10:43:01 ID:???
魂よりも先に感情的、肉体的な飢えを満たそうとしても、それは成り立たないのである。
なぜなら、有限なるものには限りがあるからである。
 自分の飢えを満たすためには、他の人のものを取るか、奪うかしなければならない。
人のものを奪って自分が満たされたとしても、奪われた人が、また新たな飢えに苦しむのである。
これは人々が無意識のうちに犯している罪である。

 このような生き方は真理ではない。真理とは有限なるものを奪い合うことではない。
いかなる人もみな満たされてこそ、真理なのである。
 そのためには「人間は本来、みな神なのである」というところから始めるのである。
神とは無限なのである。そして本来、自分が欲することは、すべて自分の中に内在しているということを知ることである。

 そしてこれらの無限なるものを、自らが真理を把握することによって引き出しさえすればよいのである。
眠っている細胞をオンすればよいだけであると、知ることである。

 自らに欠けたるもの、飢えたるもの、必要なるものを、自らの内より引き出していく。
パワーアップさせてゆく。DNAをオンにしてゆく。
 そうすることによって、自らの魂が自然に喜びと歓喜に溢れてくる。未知にたいする不安、恐怖が解消されてゆくのである。

 つまり飢えとは、今現在、そして未来において、自分に必要なものが与えられないという不安、
恐怖から作り出されてゆくのである。「持っていない」という不安、恐怖がなければ、飢えもないのである。
617TR-774:2008/12/11(木) 10:44:57 ID:???
 魂が真理に飢え、霊的に飢えたままでは、真の自分に出会うことは出来ない。
何十年かかっても、一生かかっても出会えない。
 ではなぜ、呼吸法の印は、人々の神性を限りなく目覚めさせ、引き出すことが出来るのか。
それはこの呼吸が自らを究極の真理の一部に結びつけ、自らのエネルギー場を拡大させ、
それによって自らは宇宙神のエネルギーを得られるようになるからである。

 その時に、今までの自分は「私がすべての中心・・・」「私の権利に・・・」「私を敬え・・・」
「私にすべてを与えよ・・・」「私は世界一・・・」というように、常に「私」を基準にした自己中心的な生き方をしていた、
ということに気づくのである。
 そして、宇宙神の無限なる大生命の流れをせき止めていたのは、まさに自分自身であったことに気づくのである。

 「私が、私が、私が」という私心、自己中心的な自我意識そのものが、宇宙神の大光明の無限なる流れを妨げていたのである。
 そのために真理に飢え、大光明に飢え、幸せに飢え、平和に飢えていたのである。この「私が、私が、私が」
という自我意識を、「私たちが・・・、私たちが・・・、私たちが・・・」という人類意識に変えた時、
宇宙神の無限なる大光明は、その流れを変え、自分の方に向けられるのである。
 それによって、今まですべてにおいて感傷的で、閉鎖的で、否定的であった自分が、霊的に拡大してゆくのである。
618TR-774:2008/12/11(木) 10:46:09 ID:???
すべては善くも悪くも、人類の信念がこの世に反映され、この世を形づくっているのである。
人類一人一人の信念が変われば、世の中も変わるのである。また、自らの信念が変われば、自らの信念も変わるのである。
 その人類一人一人が時間をかけて、年数をかけて、歴史を通して、輪廻転生をしつづけて
信じてきた信念とは、一体何だったのであろうか・・・。

 それは長い長い間、自らの神性を否定しつづけてきたこと、それ自体である。
 「我即神也」「人類即神也」という絶対なる究極の真理を、時間をかけて、年数をかけて、
歴史をかけて、輪廻転生をかけて否定し続けてきたことにある。
 ゆえに、人類一人一人が今日まで否定しつづけてきたその信念を覆すことによって、
世界の運命も個人の運命も変わってくるのである。

 要するに、人類一人一人が何を信ずるかによって、世界の運命は創造され、個人の運命も創造されてゆくのである。

 世の中を、そして自らの運命を築いてきたのは他では決してない。自分である。自分自身の信念によるものである。
その自分自身の信念こそが自らの思考、言葉、行為に影響を及ぼし、その自らの信念通りの結果を、自らが受け取っているのである。
 すべては平等である。何一つの矛盾もない。不条理もない。絶対なる大自然の法則である。
この世は不公平、不平等、不条理、矛盾に満ちていると、昔から言われ続けてきたが、そんなことはけっ
してない。

 この世に、そして個々人の人生に不公平、不平等、不条理、矛盾が生じるのは、
人類一人一人がそう強く信じ、自ら引き起こした結果にすぎない。ゆえに、個々人の信念が変われば゜、
それに応じて自らの肉体を構成している分子や原子、そして細胞に影響を及ぼしてゆくのである。
 否定的信念から光明なる信念に変わることにより、内なる組織を変化させることが出来るのである。

 そして、自らの信念を光明へと変えてゆくための方法が、呼吸法の印である。
619TR-774:2008/12/11(木) 12:28:23 ID:???
atak
620TR-774:2008/12/11(木) 14:44:38 ID:???
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639TR-774:2008/12/12(金) 16:38:45 ID:???
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640TR-774:2008/12/12(金) 16:38:47 ID:???
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642TR-774:2008/12/13(土) 20:49:54 ID:???
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643TR-774:2008/12/13(土) 20:54:10 ID:???
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644TR-774:2008/12/13(土) 23:51:24 ID:oSldtCCZ
良スレ
645TR-774:2008/12/14(日) 00:04:18 ID:???
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646TR-774:2008/12/14(日) 05:00:29 ID:???
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647TR-774:2008/12/14(日) 16:30:16 ID:???
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648TR-774:2008/12/14(日) 16:55:30 ID:???
 自分の生まれる以前から(前生)から、また生まれた瞬間から長い長い年月をかけて両親、先生、友人、知人、
恩師、そして自分を取り巻く多くの人々を介して、自分とともに創り上げてきたものが、現在の自己像です。
 その自己像とは、自分自身の強い思い込みと、他人による「自分に対する強い思い込み」とによって築き上げられてきたものです。

 幼児期から連続的に創り上げられてきた、この自分と他者の強い思い込みによる共同合作の自己像を、
当の本人は、真の自分そのものであると強く信じてやまないのです。
 自分とは、こういうものだという確固たる信念を持って生きているのです。

 両親や自分の周りにいる影響力のある人々が皆、真理を知り、真理を深く理解しているならば、
そしてそういった人々によって投げかけられてきたならば、今日の自己像はもっと違ったものになっていたはずです。
649TR-774:2008/12/14(日) 16:57:22 ID:???
 ところが自分という自己像は、こういった真理を知らない人々の強い思い込みや、
 全く無責任極まりない放言によって、創り上げられてきてしまったのです。赤子の
時の、子供の時のちょっとした振る舞い、言動によって決められてしまいます。おむつの
取れ方や歩くのが遅い、早い。知恵がつくのが遅い、早い。話すことが遅い、早い。

 反射神経が鈍い、素早い。理解力がすぐれているか否か。かわいい、きつい・・・等々。
 その子の人生にとって全く関わりのない、取るに足らない、くだらない理由により、
 その子の性格や自己像が決定されていってしまうのです。

 その傲慢さ、その恐ろしさ、その無責任さ、その慈悲心のなさに胸がつぶれる思いが
 します。その子を取り巻く両親をはじめ、多くの人々の無知、無悟、無徳、無光に
 腹立たしい思いがします。

 両親や恩師、友人知人を通して「あなたはこれこれこういう人なのだ」「あなたの才能は・・・」
「あなたの成績は・・・」「あなたの欠点は・・・」「あなたの性格は・・・」
「あなたは醜い。太っている。見苦しい」「あなたは・・・」と投げかけられます。

 その結果、「自分とはこういう人間なのだ」「自分は駄目なのだ」「自分は何をしても、
何も達成できない」「自分は醜い」「自分は頭が悪い」「自分の性格は悪い」等と思いこんで
しまうのです。

 このようにして、人それぞれなりの自己像を創り上げて、今日に至っているのです。
650TR-774:2008/12/15(月) 06:51:55 ID:???
 子供は直接、自分に語りかけられる言葉や動作を通してのみでなく、両親や周りの人々の言動、
想念をよく観察して自己像を創り上げてゆきます。両親や周りの人々の価値観が、
その子の価値観をも同時に創り上げていってしまうのであります。
 例えば、七五三のお祝いによそからぬいぐるみやお菓子を頂いたとします。子供にとっては何よりのお祝いですし、
喜びです。ところが親は子供がいる前で「気が利かないわねぇ。
お菓子やぬいぐるみよりも、現金のほうがいいのに」と言ってしまうのです。すると子供は、
お金に対して、とても敏感に反応するようになります。

 また子供のお祝い事ではなく、両親のお祝い事に関しても、お花や物を貰っても少しも感謝せず、
逆に現金の方がよかったのにと不平不満をもらすようになります。
それでは子供の自己像づくりにマイナスの影響を及ぼしていくのは必然であります。

 人を愛する心、感謝する心、物を大切にする心、美しい花や自然に対して感動する心、
動物をいたわる心、優しい心を通して、子供の自己像は立派に完成されてゆくのですが、
多くは全くその反対です。批判する心、差別する心、競争心、不平不満・・・等、両親や大人の無責任極まりない言葉、
想念、態度が子供の自己像の中に取り入れられてゆきます。
精神よりも物質が重んじられてゆきます。
 物事の認識、動機とともに価値観が植えつけられてゆきます。そして世の中や社会に対して自己をどのようにアピールし、
位置づけてゆくかを学んでゆくのです。

 いわゆる自己中心型の人間、物質万能主義の人間としての自己像が出来上がってゆくのです。
651TR-774:2008/12/16(火) 08:46:13 ID:???
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664TR-774:2008/12/19(金) 14:41:58 ID:???
 幼児の時から両親や周りの人からちやほやされ、やること為すことすべて褒められ、
偏愛されながら育っていった人の自己像は、その人の言葉、想念、行為のすべてが
自己中心的です。そのため権力欲が強く、野心にとみ、自分の才能はそれらのために
発揮され、虚言虚飾が多く、悪いことをも平気でやってしまいます。

 また幼児の時から両親や周りの人々から抑圧され、愛されなかったり、いじめられたり、
かつまた自分の存在を無視されるような言葉、想念、行為を受けた人々の自己像は、
常に何をするにも自信がなく、自分を卑下し続け、自分をいじめ、自分を認められず、
自分の存在そのものをも否定してしまうのです。

 どちらも歪められた自己像です。幼児の時からこのようにして創り上げられてゆく自己像が、
ほとんどと言っても過言ではありません。真理を知らない両親の元に生まれ、かつまた真理を
理解できない周りの人々によって、本来でない自分が創り上げられてゆくということは、全く恐ろしいとしか言いようがありません。

 「我即神也」の究極の心理が降ろされる前までは、皆それが全く当然のように思って
生きてきました。皆、醜く変形した自己像、他者像、人類像です。
 このようにして、世界人類は、およそ真の人間によって構成されているのではなく、
間違った思考、ねじ曲げられてしまった真理、異なった認識を持つ人間によって構成されているため、
今日のような戦争殺戮、飢餓、病気、貧乏・・・といった平和のない、幸せのない、不安恐怖の世界が展開されているのです。
665TR-774:2008/12/19(金) 15:02:43 ID:???
 では、間違って創られてしまった自己像を、どのようにして本来の自己像に変えて
いったらよいのでしょうか?これは並大抵の決意や努力や精進では出来そうもありません。
ねじ曲げてられてしまった自己を元に戻すには、どんな固い決意や努力や忍耐や精進を
もってしても、歯が立ちません。要するに、自己を変えようとするよりも、ただただ真理を
理解することにあります。

 今まで創り上げられてきた虚像そのものである自己像を解体し、全く本来の自己像を
再現してゆくためには、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」そして「我即神也」の宣言と印が、絶大なる効果を発揮します。

 今まで私たちは、自分の中で自分自身を見えない牢獄に閉じ込め、間違った思考、
想念で縛り、真の価値判断を誤り、肉体感情に振り回され、自由のない暗い灰色の
世界で生きていたのです。
 自分の間違った自己像を通して見てきた自分自身が、真理から全く外れてしまって
いたのです。自分を通して見る他人像もまた歪んで映ってきます。
 もし自分が正しい真理の目を通して見るならば、かつて歪んで見えていた同じ他人が、
神そのものの人として映し出されるのです。

 家族、社会、国家というのは、人と人とがお互いに関わりあいながら、築き上げられて
いくものですから、まずねじ曲げられている自分自身の自己像を切り崩さない限り、
どんな人、いかなる人と関わっても、自分にとって都合の悪い人たちは皆、不愉快な人
であり、気に入らない人であり、癪にさわる人であり、不平不満の対象となります。

 何故ならば、自分の思考、価値観が間違っているからです。「人とは、
こういうものであるべきだ」「人類とはこういうものでなければならない」等と、
自分の勝手な思い込みを投げかけて、それに応じない人々は皆、自分にとって不快な
対象の人物となるのです。
666TR-774:2008/12/19(金) 22:29:19 ID:???
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スレ落とそうとしてる人がいるね
732TR-774:2008/12/19(金) 23:07:35 ID:???
(それで得する人+ちょっと気が狂ってる人といえば一人しかいないような)
733TR-774:2008/12/19(金) 23:47:32 ID:???
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ぴらみか?
誰にしても必死すぎるw
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 事の一切は、すべて自分の歪められた自己像から発せられているのだということに
気づけば、まず他人を批判したり、非難したり、他人に不平不満をぶつけたり、
他人に対して怒ったりすること自体が理不尽であることが、すぐわかるはずです。
 人類の一人ひとりがこの真理に気づいてゆけば、誰も彼もが自分の失敗や挫折、
不幸、困難を人のせいにして、人を呪ったり、人を恨んだり、人と争ったりする心が
なくなります。

 そのためにはまず、幼児の時から今まで自分と他者が協力して、
一生懸命創り上げてきた間違った自己像を「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の中に投げ入れることです。

 自分は弱い人間だ思っていた自分
 自分は不幸ばかり背負っている人間だと思っていた自分
 自分は誰からも愛されていない人間だと思っていた自分
 自分は何をさせても駄目で、全く能力のなす人間だと思っていた自分
 自分はブスできつくて、意地悪でひねくれた者だと思っていた自分
 自分は病気ばかりして、いつも不安と恐怖にさいなまされている人間だと思っていた自分
 自分は勝気で気性が激しく、負けず嫌いで人の勝利や幸せを嫉妬し、人の不幸を
望んでいる人間だと思っていた自分
 自分は権力や名誉を常に重んじる、物質主義的な人間だと思っていた自分・・・

 これら一連の自己像は、すべて自分の独りよがりの強い思い込みと、
自分を取り巻く真理を知らない人々の手によって、創り上げられてきた虚像です。
 そんな過去の自己像、虚像はすべて前生の因縁の消えてゆく姿であって、本来の自分ではなく、
本来の自分は光り輝く神そのものの自分であるのだと、世界平和の祈りに投げ入れることです。

 そしてこれから真の自分を築いてゆくためには、究極の真理「我即神也」を宣言し、印を組むことです。
過去の虚像であった自己像を取り壊し、全く新しい真の自己像に創り変えてゆくことであります。
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 事の一切は、すべて自分の歪められた自己像から発せられているのだということに
気づけば、まず他人を批判したり、非難したり、他人に不平不満をぶつけたり、
他人に対して怒ったりすること自体が理不尽であることが、すぐわかるはずです。
 人類の一人ひとりがこの真理に気づいてゆけば、誰も彼もが自分の失敗や挫折、
不幸、困難を人のせいにして、人を呪ったり、人を恨んだり、人と争ったりする心が
なくなります。

 そのためにはまず、幼児の時から今まで自分と他者が協力して、
一生懸命創り上げてきた間違った自己像を「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の中に投げ入れることです。

 自分は弱い人間だ思っていた自分
 自分は不幸ばかり背負っている人間だと思っていた自分
 自分は誰からも愛されていない人間だと思っていた自分
 自分は何をさせても駄目で、全く能力のなす人間だと思っていた自分
 自分はブスできつくて、意地悪でひねくれた者だと思っていた自分
 自分は病気ばかりして、いつも不安と恐怖にさいなまされている人間だと思っていた自分
 自分は勝気で気性が激しく、負けず嫌いで人の勝利や幸せを嫉妬し、人の不幸を
望んでいる人間だと思っていた自分
 自分は権力や名誉を常に重んじる、物質主義的な人間だと思っていた自分・・・

 これら一連の自己像は、すべて自分の独りよがりの強い思い込みと、
自分を取り巻く真理を知らない人々の手によって、創り上げられてきた虚像です。
 そんな過去の自己像、虚像はすべて前生の因縁の消えてゆく姿であって、本来の自分ではなく、
本来の自分は光り輝く神そのものの自分であるのだと、世界平和の祈りに投げ入れることです。

 そしてこれから真の自分を築いてゆくためには、究極の真理「我即神也」を宣言し、印を組むことです。
過去の虚像であった自己像を取り壊し、全く新しい真の自己像に創り変えてゆくことであります。
803TR-774:2008/12/21(日) 17:00:51 ID:???
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 現今ではもう、個人個人が清らかになり、純粋な生活をしていくというだけでは、
この地球世界の滅亡を防ぐことにならぬばかりか、そうした善良な清らかな人々をも
含めて、大きな災害からくる肉体的な苦悩を、味あわねばならぬ段階に立ち至って
いるのです。

 今日ではこの地球世界、肉体世界においては、個人はそのまま世界につながって
いるものであり、世界人類の運命の波は、個人の運命を翻弄していまうのであります。
 それはいかにも巨億の富を持つ個人であっても、核兵器の爆発によっては、その人の
運命は瞬間的に変えられてしまう、という例をもってもわかります。この地球人類の運命は、
個人個人の想念行為の集積によって定められるのであります
が、その個人個人の想念行為というのは、長い年代のうちに、知らぬ間に地球滅亡の
方向に、運命をもってきてしまっているのです。

 どうしてそうなってしまったかといいますと、お互いが自己をかばい合う、自己保存
の本能から生まれた業想念行為によるのであります。自己をかばおうとする想い、
自己に利害を同じうする人々を守ろうとする想い、こうした想念行為は、お互いが
相手に優越しようとする働きになり、今日のような文明文化の華を咲かせることに
なったのでありますが、その一方、地球人類壊滅の方向に、人類の運命を引きずって
きてしまったのです。

 ところが人間というものは、そうした深いことは知りませんで、戦争も天変地異も
その他もろもろの人類の災害を、自己の想念行為とはまるで関係のない出来事のように
思っていて、その場その場の責任者たちだけを、悪者や愚者扱いにしてしまっている
のであります。人類というものは個人個人の集まりであって、海をへだてた国々の人々同志の間
でも、光の波、想念の波は伝わり合うのです。

 それはテレビジョン装置と同じなのであります。この事実が人類を滅亡にでも平和に
でも、人類の運命を運んでゆく、重大な一つの真理であることを人類は悟らなければ
ならないのです。
 地球人類を滅亡させてしまったとすれば、その責任は自分にもあるのであり、地球
人類が真の平和を築き上げたとすれば、その栄光を荷う1人と、自己もなっている
のであります。
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