house music初級者はどんなのから?

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プログレッシブ・ハウスの起源は1990年代初頭の英国においてゲリラ・レコーズからリリースされた曲や
レフトフィールドの初期のシングル(特にソング・オブ・ライフという曲)にある。

この“プログレッシブ・ハウス”という単語はこの様な音楽を言い表わす為に
英国のクラブ雑誌MIXMAGの編集者ドム・フィリップスによって作られた造語である。

1992年英国中部の街マンスフィールドにルネッサンスという名のクラブがオープンする。
そこでプレイしていたDJ達(特にサシャとジョン・ディグウィード)は
初期のプログレッシブ・ハウスを有名にするのに大きな役割を担っていたといえよう。
238237:2006/12/15(金) 18:19:12 ID:???
当時プログレッシブ・ハウスと呼ばれていた音楽は
四つ打ちのハウスビート、ディープかつダブの影響下にあるベースライン、
そして物悲しく感情的な雰囲気で構成されていた。

またプログレッシブ・ハウスにおいては他のジャンルの音楽の要素が混ぜ合わされて取り入れられる事がよくあった。
例えば、レフトフィールドのソング・オブ・ライフという曲は、
トリップホップの様な緩やかなブレイクビーツと
ハイエナジーの様なTB-303のリフによって出来ていた。
239237:2006/12/15(金) 18:36:14 ID:???
プログレッシブ・ハウスの音楽スタイルは過去何度となく移り変わってきている。

例えば、BTのデビュー・アルバムIMAがリリースされると、
その後リリースされたプログレッシブ・ハウスのレコードは澄み渡るようなメロディアスなスタイルになった。

さらにその後、トランスがよりメロディアスになり世界中で人気を博す様になると、
プログレッシブ・ハウスはその流れに対比するかの様にダークになり、
トライバル・ハウスと融合しミニマルでパーカッシブなサウンドへと変化していった。
240237:2006/12/15(金) 19:24:14 ID:???
一方その頃、Phil KやLuke Chable等に代表されるメルボルンを中心とした
オーストラリアのプログレッシブ・ハウス・シーンにおいて、
美しい旋律のパッド音や繊細なメロディーを特徴とする独特なサウンドが開拓されていった。
この様なスタイルはDave SeamanやAnthony Papa等のDJ達によって
英国及び世界各地へと広まっていった。

そしてそのサウンドスタイルはトランス・シーンにまでもフィードバックされる様になる。
Above & BeyondのレーベルAnjuna Beatsからリリースされるような曲、
所謂“アンジュナ・サウンド”等はその影響下にあるといえるだろう。


2005年以降、プログレッシブ・ハウス・シーンの著名なDJ達が
エレクトロ・ハウスやテック・ハウス、ミニマル・テクノ等をプレイするようになってきている。
ダンス・ミュージック・シーンにおいて“プログレッシブ・ハウス”という音楽自体の人気は
減少傾向にあるといえるのではないだろうか。