【MTG】最新セット雑談スレ411

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206名無しプレイヤー@手札いっぱい。
○2枚のカードはなぜ禁止されたの?
スタンダード環境は数カ月もの間、停滞し、そして不健全であり続けた。
勝っているデッキリストの中に大ジェイスは驚くべき割合で登場し続け、また石鍛冶もほとんど同じくらい現れ続けた。
例えば最近では、GPシンガポールの2日目に残ったデッキの88%はジェイスを含んでいて、また70%は石鍛冶を含んでいた。PTQやSCGオープンといった大きな大会での結果を見ても同様であった。

私たちは、特定のカードがここまで環境を支配したのを、これまで見たことがない。
親和(これ以前にスタンダードにおいて禁止カードを出すことになった最後の例)においてさえ、環境はここまでの一極化を見せはしなかった。
更には、2枚のカードがレガシーすらも含む多くのフォーマットで活躍し(ジェイスに至ってはヴィンテージさえ)ていることを鑑みると、
これらのカードはただ単にあまりに強すぎるという意見に対して、反論することは難しくなってきた。

「何も禁止する必要はない、なぜなら今のスタンダードは楽しいし、また勝つためにはきちんとした技術が要求されるからだ」といった議論を、インターネット上で沢山見てきた。
この意見は確かに正しい――GPシンガポールにおけるTop16には有名なプレイヤーが多かったし、SCGにおいても毎週似たような名前が上位に連なっている。
競技における側面として、たとえあなたがジェイスや石鍛冶1枚に負けたとしても、それでもやはり、マジックのゲームをプレイしてるようには感じるだろう。
有能なサーチカードと、ジェイスによってもたらされるアドヴァンテージの雪崩にやがては負けることになっても、あなたにはクリーチャーをキャストする暇もあれば、攻撃する自由もブロックする機会も与えられた。
かつて禁止カードを制定させるに至ったデッキ、たとえばトレイリアのアカデミーからの天才のひらめきや、電結の荒廃者&大霊堂の信奉者&頭蓋囲いによる2ターンキル、などに比べて、ずっとゲームをしてるとは思える。
これらのケースはゲームにおける運の要素が余りに強すぎたし、禁止すべきだというのは明白だった。

今回のケースにおいては以前の例ほどわかりやすくはなかった。
そこで我々は、プレイヤーがたった一つの、ただし技術は要する、デッキの環境支配に耐えられるのかどうかを見たかった。
我々の究極のゴールはプレイヤーに楽しんでもらうことであり、そして多くのプレイヤーが実際に楽しんでいるならば、勝っているデッキリストを見て機械的に禁止を判断する必要はないのだ。

結果として不平不満は漏れ始めた。
大きくはPTQにおいて、はたまた先日のゲームデイの結果を受けて、そして最も悪いことに、FNMにおいても。
プレイヤーの多くがゲームの現状を快く思っていないならば、我々はそれを変えねばならない。

競技に重きを置くプレイヤーの中には、ただただ勝ちを目指し、特定のカードやデッキに対する傾倒というものがなく、己の技術と能力の研鑽に心血を注ぐタイプも多くいる。
私たちの経営理念にもそれを推奨している部分はもちろんあるし、そういったプレイヤーたちには申し訳なく思う。
ただ、特定のカードやデッキ自体に愛着を見出し、自らの創造性をゲームにおいて発揮したいと考えてるプレイヤーもたくさんいて、そしてそちらの方がずっと数が多いのだ。
彼らは自分にあったデッキを使いたいと考え、マジックにおいてそのような楽しみ方をしたいと考えている。
ここ数カ月のスタンダードはそういった機会を奪ってきたのは事実で、そしてそれは是正されなければならない。

我々は、どんなフォーマットにおいても軽々しく禁止を制定することはないし、とりわけスタンダードにおいてはそれを嫌う。
禁止するという行為が我々自身のミスを認めることに他ならないばかりでなく、製品の消費者に対する正当性を少なからず奪うことになる。
プレイヤーは多くの時間と金銭をかけてトーナメントデッキのためのカードを手に入れたのに、それを奪われることになるのだ。
幸運なことに、今回のケースにおいては、どちらのカードも他のフォーマットにおいて十分有用であるという点で、僅かながらもダメージを軽減させてはいる。

つい最近これらのカードを手に入れた人々には大変申し訳ないものの、これらのカードはスタンダード環境において十分活躍する機会を与えられた。
これらはいずれにせよこの秋にはローテーション落ちするはずであったし、それに、これから多くのプレイヤーによって、ここ数カ月の間スタンダードが陥っていた環境よりずっと、よりよいゲームが形作られていくであろう。