116 :
名無しさん@そうだ確定申告に行こう:
奥山改革って、意味ない気がする。日本はアメリカの10〜20年遅れっていうけど、まさにそのとおり。
117 :
116:03/10/08 00:45 ID:7WdrNfHY
HBR11月号「アメリカ資本市場:再生の選択」より抜粋
<会計監査:監査法人の自縄自縛>
おそらく後世の歴史家達は、会計士の評判が失墜した発端を、70年代半ばに起こった二つの変化に見つけるだろう。
第一の変化は、大手監査法人のカルテルを懸念した連邦取引委員会がビッグ8に対して、より積極的に競争するように指導したことである。
市場競争が活発になればコストが下がるだけでなく質も高まると考えたのだ。
第二の変化は、財務諸表虚偽記載に対して、投資家は企業と監査人をこれまでより簡単に訴えることができるようになったことである。
市場原理を会計監査に適用した結果、コスト削減とアカウンタビリティの工場は実現したが、会計監査の質と監査法人同士の
競争力学においては壊滅的な影響を及ぼした。
(市場原理の導入と監査業務の標準化)
まず、この改革を契機に、会計監査の理念は一変してしまった。コストを抑えると同時に訴訟への防衛策を整えるべく、
正確にして機械的ともいえる会計基準に改正しようと会計士たちは積極的なロビー活動を繰り広げた。
監査業務の標準化がもたらしたより深刻な問題とは、監査人の第一義である「情報の処理者」という責任を放棄することを
許してしまった点である。たとえばエンロンの監査人は、SPCについてはオフバランスの報告基準に従っていると保証した。
ところがエンロンの財務諸表が現実の財務状況を正しく反映していないという事実を認識し(たにもかかわらず、
形式的整合性のみをもって)、それに即した行動をなおざりにした。
(監査業務のコモディティ化)
機械的な会計監査が監査人に責任放棄の「手段」を与えた。そして、業界の競争力学の変化は、彼らに責任放棄の「動機」を与えた。
会計監査のコモディティ化が進み、熾烈な価格競争が巻き起こった。それ以上に打撃を与えたのは、監査の質ではほとんど差別化が
図れないことから、開き直って顧客のご機嫌取りをはじめたことである。実際、既存顧客を維持すると同時に、新規顧客を獲得しようと
奔走し始めた。監査法人の代表社員達の報酬と昇格は、トップ企業の経営者達とねんごろな関係を維持できるかどうかに掛かっていた。
118 :
116=117:03/10/08 00:46 ID:7WdrNfHY
(人材の質の低下)
会計監査業務の息の根を止めたのは、何あろう、おびただしい求人数と人材の質の低下だったことが後に判明することだろう。
80年代初め、アメリカ国内の大学で会計学の学位を取得した学生数は5万人だった。
ところが2002年は企業活動が活況であったにもかかわらず、4万人だた。さらに悪いことに、一流大学から監査法人に就職する
学生の数はどんどん減っている。2002年度、ペンシルバニア大学ウォートン校の学士課程において会計学を専攻した大卒者のなかで、
実際にこの職業に就いたのはわずか3%であった。
以上、会計監査にまつわる規制と法律が改正された結果、業界内には監査の質を低下させる圧力が働き、つまるところ、
この職業への信用を傷つけた。投資家と監督機関は、監査報告書は信頼できないこと、そして監査人は顧客企業の太鼓持ちであると
認識するようになった。
さらに、監査の焦点が狭まった結果、経営者達は株主がよりよい判断を下す上での材料というよりも、むしろ乗り越えなければならない
規制上のハードルであると考えるようになった。
この悪循環の最大の被害者が、監査法人自体であったのは当然といえば当然だろう。エンロンの不正会計疑惑によって、アーサーアンダーセンが
どれほどの苦境に陥ったのかを見れば、言うまでもなかろう。