1 :
美麗島の名無桑:
本日発売の週刊文春の記事によると、槙田に対する処罰として、彼を
次の日台交流協会の局長に左遷するなるという人事が内部で決定された
そうです。
しかし、槙田など送りつけられても、台湾の人たちも迷惑であろう・・・。
日帝・文部科学省は「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史と公民の中学教科書を検定合格させた。それは日帝のアジア再侵略戦争宣言である。アジア人民の怒りの決起にこたえ、連帯して、「つくる会」教科書を弾劾し、採択を阻止しなければならない。「つくる会」歴史教科書の際だった特徴は、日帝の戦争犯罪の事実や被害者数などに関する記述が、全編をとおしてただの一カ所もないことである。検定意見により加筆した個所でも「これまでの歴史で、戦争をして、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなく、日本も例外ではない」と抽象的に記すのみで、日本の戦争犯罪それ自身を抹殺している。その一方で、他国の戦争犯罪は具体的人数をあげて記している。ここに彼らの致命的な弱点と犯罪性がある。ついに登場した歴史歪曲・戦争賛美・皇国史観の教科書を絶対に教室で使わせてはならない。
「つくる会」歴史教科書の冒頭には「歴史を学ぶとは」と題して、次の三つの文章がある。
@「歴史を学ぶのは過去の事実を知ることではない。過去の人が過去の事実についてどう考えていたかを学ぶことだ」
この言葉は「つくる会」が過去の歴史的事実をいかに恐れているかを自認するものであり、過去の事実を教えないために登場した教科書であることを公言したものだ。
「過去の人がどう考えていたか」と言うが、そこには侵略されたアジア人民、暗黒支配下の労働者人民は存在しない。その反対に、侵略者・弾圧者であった当時の日帝支配階級の「考えていたこと」だけを歴史として教え、侵略と戦争の歴史のすべてを正当化し賛美しようとしているのだ。
A「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない」「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」
これは「つくる会」歴史教科書の狙いを示す言葉である。そもそも「つくる会」の大目的は、歴史教科書から南京大虐殺、軍隊慰安婦、七三一部隊、強制連行などの侵略の具体的事実の記述を抹殺することである。日帝の植民地支配責任・戦争責任を追及するアジア人民、それと連帯した日本人民の闘いをたたきつぶすために登場したものなのだ。
日帝の過去の侵略と戦争を裁くな、批判するな、反省するなと強弁し、居直り肯定することが、この教科書の目的なのである。
B「歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かも知れない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないかも知れない」
ここでは、歴史を学問でも科学でもなく、世界中どこでも通用するものでもなく、日本の中だけで通用する自己中心的なものにすると言っている。何のためにこんなことを言うのか。天皇制を賛美し、神話を歴史としてまかり通らせるような教育は世界のどこでも通用しないからだ。そのことを自覚した上で、“日本だけの歴史゜をつくろうと言っているのだ。
戦前の学校教育は、つくり話にすぎない天皇神話を歴史的事実として教え、デマをそのまま暗唱させた。そのことによって、「天皇陛下万歳!」と言って戦地に赴くことのできる兵士を育てた。
「つくる会」教科書はその再現をめざし、新たな侵略戦争に向けた愛国主義と排外主義の「皇国史観」教育、「天皇に忠実な兵隊」をつくる戦前式教育を復活させようとしているのだ。
中国人民30万人を殺害した南京大虐殺は消せない史実
日帝は台湾と朝鮮を足場に敗戦の四五年まで凶暴な侵略戦争を継続した。三一年柳条湖事件、三二年「満州国」なる日帝のかいらい政権のデッチあげ、三七年七月七日の盧溝橋事件(関東軍が「兵士が行方不明になった」とデッチあげて中国軍を攻撃)から中国全面侵略戦争に突き進んだ。そして四一年十二月八日には日米戦争に突っ込み、また同日、東南アジア侵略戦争に突進した。
この「十五年戦争」における日帝の戦争犯罪を抹殺する主張について、最大の攻防点である南京大虐殺にしぼって見ていきたい。
「つくる会」教科書では、南京大虐殺に関する記述が二カ所ある。
「(三七年)十二月、南京を占領した。(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」
「この東京裁判では、日本軍が一九三七(昭和一二)年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。なお、この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」
後者は、「今日、この裁判については、国際法上の正当性を疑う見解もある」として、大虐殺の事実そのものに疑問をはさみ、否定している。
南京大虐殺をめぐっては、右翼勢力が一貫して「南京大虐殺はまぼろし」と主張し、その事実を抹殺しようとしてきた。現都知事の石原慎太郎も、その先頭に立ってきた人物だ。しかし中国人民の告発と闘いによって、また多くの人びとの真相究明の取り組みによって、「南京大虐殺否定論」は完全に粉砕されてきた。にもかかわらず「つくる会」教科書は正面から「南京大虐殺否定論」を主張しているのだ。
南京大虐殺は、まさに世界史的にも類例を見ない戦争犯罪であり、帝国主義戦争の残虐の極致を示したものであった。それは三七年十二月十三日の南京城攻略をはさんで、十二月初めから三八年三月まで三カ月以上におよぶ、中国の投降兵・捕虜と一般市民の無差別大量虐殺であり、さらに市民に対する強姦(ごうかん)、暴行、略奪・放火の全体をさし、犠牲になった人は二十万人をはるかに超え、三十万人にもおよぶ。
まず捕虜の組織的殺害が行われた。日本軍が十二月十三日に南京城を攻略した時には、十万人近い中国兵が逃げ遅れて投降した。それに対し日本軍は「事変だから戦時国際法は適用しない」と組織的に殺害した。日本側資料で明らかになっているだけでも第一六師団は二万四、五千人の捕虜を「片づけ」、山田支隊は幕府山付近で一万四千七百七十七人を捕虜にして揚子江岸で射刺殺した。第九師団は六千六百七十人を「処断した」。ほかにも資料に残っている捕虜の殺害は多くある。これだけでも数万人が殺害された。
さらに市内掃討と集団処刑である。日本軍は「軍人が軍服を脱いで便衣(平服のこと)に着替えて市内に潜伏している」として、「便衣兵の剔出(てきしゅつ)」の名で、青壮年を片っ端から処刑した。この数は日本側の記録によってだけでも一万五千人をこえ、南京城外も加えればはるかにふくれあがる。
さらに非戦闘員である一般市民への残虐行為、とりわけ女性に対する強姦殺人である。日本軍は女性を見つければ年齢を問わず片っ端から強姦し殺害、さらに子どもも高齢者も片っ端から皆殺しにした。一般市民の死者数を正確に数えることは不可能だが、当時の南京安全区の国際委員会の委員長ラーベ(ナチス党支部長)が、城内だけでも「五万か六万くらい」と報告している。一般市民の被害は市内よりも周辺農村部の方がはるかに多い。
「つくる会」教科書は、修正前の申請本では、「当時の資料によると、そのときの南京の人口は二十万人で、しかも日本軍の攻略の一カ月後には、二十五万人に増えている」と記していた。しかし実際には、南京戦が始まる前の南京の城市部の人口は百万を超え、近郊県部の人口は百三十万以上であった。さらに南京攻略の時には、南京防衛軍の約十五万人の兵士が加わっていた。「人口は二十万人」というのは、南京大虐殺の事実を覆い隠すためのデマである。
しかも南京大虐殺の犠牲者数を示すものとして、南京で犠牲になった人びとの遺体埋葬記録がある。慈善団体などが虐殺され放置された遺体を埋葬した数を記録している。「世界紅卍会南京分会」が合計四万八千七十一体、「崇善堂」が合計十一万二千二百六十七体、「中国紅十字会南京分会」が南京周辺で二万二千六百七十一体、「南京自治委員会」(日本軍のかいらい機関)の衛生局が一万七百九十四体である。これらの中には、いったん埋葬したものを改めて埋め直したために重複している数はあるかもしれないが、いずれにせよおびただしい数であることは間違いない。
南京大虐殺とは絶対に消すことのできない史実である。「つくる会」教科書がこの事実を消し去ることを絶対に許してはならない。
「アジアを解放」「自存自衛」と日帝の侵略戦争全面肯定
以上のように「つくる会」教科書は、歴史の事実を徹底的に抹殺し、歪曲し、ねつ造している。その目的はただ一つ、「日本の戦争はアジア解放と自存自衛のための正義の戦争だった」と描くことにある。
「つくる会」教科書は、四一年十二月真珠湾攻撃による対米開戦について「日本の戦争目的は、自存自衛」であったとするために、次のように記している。
「アメリカ、イギリス、中国、オランダの諸国が共同して日本を経済的に追いつめるABCD包囲網が形成された」「(四一年)十一月、アメリカのハル国務長官は、日本側にハル・ノートとよばれる強硬な提案を突きつけた。ハル・ノートは、日本が中国から無条件で即時撤退することを要求していた」
いずれも“アメリカに追い込まれた結果の自存自衛の戦争だった゜と日帝の戦争を正当化しようとする。
しかしはっきりさせるべきことがある。日米戦争|第二次大戦は、レーニンが『帝国主義論』において第一次大戦について記したのとまったく同じく、「どちらの側から見ても帝国主義戦争(すなわち、侵略的、略奪的、強盗的な戦争)であり、世界の分けどりのための、植民地や金融資本の『勢力範囲』等々の分割と再分割とのための戦争」だったということだ。
当時世界は、世界大恐慌と大不況にあえぐ各国帝国主義が、生き残りをかけて植民地・勢力圏の排他的な囲い込みに入り、世界経済が完全にブロック化していた。ドイツ、日本などの後発帝国主義は、生き残るためには侵略と膨張を必要とした。日本の「大東亜共栄圏」構想は、帝国主義間争闘戦で生き残るための勢力圏化攻撃であった。
こうした中で日帝は、最も凶暴な帝国主義として、中国|アジア侵略戦争と対米戦争に突き進んだ。「アメリカが悪い」と言って日帝の戦争を正当化することなど、けっしてできない。
次に「アジア解放の戦争」論の犯罪性だ。
「(四一年十二月の東南アジア侵略戦争突入の後に)日本政府はこの戦争を大東亜戦争と命名した。日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、『大東亜共栄圏』を建設することであると宣言した」
「戦争の当初、日本軍が連合国軍を打ち破ったことは、長い間、欧米の植民地支配のもとにいたアジアの人々を勇気づけた。……一九四三年十一月、この地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開催した。会議では、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、人種差別撤廃をうたう大東亜共同宣言が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。……これらの地域(インドネシア、インド、ビルマを指す)では、戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」
まさに歴史の偽造だ。朝鮮・中国|アジア人民の闘いは、侵略帝国主義=日帝にこそ向けられていた。そして日帝の植民地支配や侵略戦争があれほどの暴虐と残虐の限りを尽くしたのは、日帝自身に、アジア人民の民族解放闘争に対する根底的な恐怖があったからにほかならない。南京大虐殺はその典型である。
日帝は、帝国主義間戦争としての対米戦争に敗北したばかりではなく、アジア人民の不屈の民族解放闘争の前に敗北したのである。朝鮮・台湾人民の民族解放と独立を求める闘争、中国・アジア人民の抗日戦争によって、結局日帝は敗北したのだ。
しかも、「つくる会」教科書が「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」と主張する戦争は、日本帝国主義のほんの一部の支配層・ブルジョア階級の階級的利害をかけた戦争であった。
日本労働者人民は、スターリン主義の裏切りの中で、プロレタリア階級として解体され、屈服した結果として、アジア侵略に動員され、階級的・国際主義的連帯の相手であるアジア人民に対して、自ら侵略の刃を向けるという犯罪に手を染めた。それは自らの階級的利害とはまったく相反する、自らを支配し抑圧する階級のための戦争だった。
日本労働者人民は、この歴史への階級的自己批判をかけて、日帝の戦争責任追及と、「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いに総決起しなければならない。「二度とあやまちは繰り返さない」という戦後の誓いと決意を、今こそ貫きとおさなければならない。
日帝の侵略と戦争を真っ正面から賛美し、子どもたちに再び侵略の銃をとらせる「つくる会」教科書を、闘うアジア人民と連帯して絶対に粉砕しよう。
>>1 なんか台湾の人たちに失礼のような。
槙田の栄達は今回の件の失点でまずありえないが、
全然外交に影響しない閑職にすべき。そのうち自分から辞めるだろう。
7 :
美麗島の名無桑:2001/05/09(水) 20:42 ID:bmGhxoSg
そーだソーダ、槙田の終身便所掃除当番きぼーん。
槙田さんは外務省的には「頑張った」と評価されてるはず。
外務省外廓団体のいいポストに着けるでしょう。
中国大使は無理だけど。
ビザ発給問題は外務省内でも意見が分かれてたのでは?
最後まで抵抗したのが槙田だったとか。
ところで台北の交流協会って韓国大使が外務省を退職してから行くんだよね。
11 :
美麗島の名無桑:2001/05/10(木) 01:58 ID:vrZEIJ5.
槙田が局長なら李登輝氏はもう来日できませんね。
やっぱり槙田は交流協会のトップに左遷しようか。
13 :
名前:2001/05/10(木) 02:09 ID:8/i2Wjwg
1〜5の字が、おおすぎて、辛抱できんかった。
なんとなく賛成。
日本人にも賛成権ある?
>>9 以下をご参照ください
http://www.webshincho.com/foresight/index.html JAPAN: Bureaucracy
李登輝訪日巡り外務省内部に不協和音
台湾の李登輝前総統の訪日問題をめぐり、外務省内の不協和音が表面
化した。四月六日付毎日新聞が「森首相、ビザ発給検討を指示」と報じ
た直後、福田康夫官房長官が記者懇談会で指示の事実はないと否定。
一方、同じ森派の安倍晋三官房副長官は番記者に対して首相が河野洋平
外相に電話をかけ検討するように指示したと言うなど、官邸の意見も統
一できないでいる。
当の外務省ではそれに先だって川島裕事務次官(昭和三十九年入省)
が主宰した省議で川島次官、加藤良三外務審議官(政務担当・四十年)
ら同省の首脳及び槙田邦彦アジア大洋州局長(四十三年)以外の全局長
が「ビザを発給すべきだ」という意見で一致したという。しかし、省内
“チャイナスクール”のトップである槙田局長は、自民党の外交部会を
始め、同党内で田中派以来の親中派の拠点といわれる橋本派に猛烈に
働きかけ、同時に中国寄りの河野外相の支持も得て、前述した省議を
ひっくり返してしまった。こうした槙田局長の行動の背後には、当時は
まだ総裁選出馬の可能性もあった野中広務前幹事長の存在があったとも
いわれており、結局、川島次官ら首脳部は押し切られてしまった。三月
末には小寺次郎ロシア課長(五十二年)が政治からの圧力で任期を残し
たまま交代するなど、政治に弱い同省の体質は、機密費流用事件以来
いっそう顕著となっている。
今週の週間文春によると槙田邦彦は李登輝氏訪日問題だけじゃなくて
金正男の処遇の最終決定も下したらしい。
こういうやつを売国奴と言うんだろう。
384 名前:槙田,金正男事件でも暗躍 投稿日:2001/05/10(木) 17:33
(週刊文春2001/5/17から)
5月2日午後,首相官邸で開かれた金正男問題についての警察庁,法
務省及び外務省の会議で,槙田邦彦外務省アジア太平洋州局長は
「拉致家族も当然ながら,ピョンヤンには,今,経済関係の訪朝団が
滞在している。
金正男を刑事事件の容疑者とすればいかなら報復があるかも知れま
せん
さらに,来る10日は本人の誕生日。盛大に行われる祝賀会に本人
の姿がなければファミリーのメンツにかかわる。
それまでに返してあげれば北朝鮮に貸しを作ることになる。」
と薄い唇でまくしたて,終始会議をリードし,その結果,槙田の意見
がとおって,金正男は帰されることになったそうです。
このバカ,ほんとうになんとかしてほしいものです
20 :
美麗島の名無桑:2001/05/11(金) 00:41 ID:29pdE5UU
21 :
槙田:2001/05/11(金) 00:54 ID:???
_------丶__
_/ ̄ ヽ;∵;∵ ~ヽ
//o ̄ ̄~\;∵;∵ ;∵ ヽ
//〆. . . ( ;∵;∵;∵ヽ
|.| ; . 中 : U \\;∵ ;∵ . |
|| U ;∵; . ; ;. ̄~| ;∵;∵. |;∵
∠二> ; ∠二>;∵ | .. |
|/<・>|= /<・> |==== | ;∵.. |
/|二二/ ヽ二二__/:∵ | . |
|∵: /;ヽ:; ;∵:∵:∵:| | / ̄ ̄ ̄ ̄
|.∵. (* *):∵.:U∵: ./ ∨~ノ/ |ワシは台北には行かん!!
.| 〆《巛ミヾ:;;:∵:∵ | | ||
|∵; |三三三>"ゞ∵ ;| |__ノj |
.\_;_─∵__;_____-==~~
梶原一騎の娘みたいに台湾で惨殺かもね(笑)
あっと、こんな国賊と一緒にされちゃ、梶原一騎の娘さん
も迷惑だね。
さっさと台湾に行って李登輝さんに対して、土下座してあやまってこい!
23 :
>:2001/05/11(金) 05:07 ID:???
李登輝の父親は日本人ですね。いつ日本に帰化するんだろう。
_\|/
_/ ̄;∵~~~~;∵~ヽ;∵;∵~ヽ
//o ̄ ̄~\;∵;∵ ;∵ ヽ
//〆. . . ( ;∵;∵;∵ヽ
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25 :
勹夂冂凵:2001/05/16(水) 18:33 ID:???
槙田邦彦は台湾で消えればいい!
>>25 だから、槙田を送るなよぉ。
反台の槙田が交流協会トップになったら、どうにもなんねーだろ。
諫められるヤツは、ほんとーに皆無になっちまう。
会食も「新党」オンリーかもしれんし、政府主催の催しにも出席
しないかもしれない。もっともっと酷くなる予想なら、いくらでも
できそうなヤツだろぉ・・・。
台湾側だって、日本がこんなヤツ送ってきたら、「また日本は
台湾を捨てた」になるよ。
はー。
人事凍結で結局大洋州局長のまま?
いえす
29 :
美麗島の名無桑:2001/06/27(水) 05:56 ID:e49tbwr.
>>23 デマ本いろいろ出てるがそのまま信じるやつは莫迦と言われている