日本統治時代の台湾

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348taiwanboom
「創始改名」

台湾の皇民化政策として「創始改名」が行われました。
台湾人の姓名を日本名に変えるのです。

昭和15年、私が台南の花園尋常高等小学校4年のときのこと…。
朝授業をはじめる前に担任の先生が突然、台湾人のクラスメートの名前をあげて
「いまから君たちに日本の名前をつけてあげよう」といいました。
これを聞いたとき、私はなんのことかよく分かりませんでした。日本人の級友も
キョトンとしていました。
台湾人の級友がどんな顔をしていたか、まったく覚えていません。
先生が台湾人一人一人の「台湾名」を呼び上げ、次に「さてどんな名前がいいかな…」
といって、いろいろ考えて日本名を言い渡しました。
「”王”君は日本にもある姓なのでそのままでいいだろう。読むときは”おう”だよ」
「”翁”君も字はそのままでいいが”おう”と読むのはへんだね。”おきな”と読もう」
続いて名前のほうも決めましたが、プライバシーにかかわるので省略します。
このようにして台湾人同級生4人の「日本名」が決まりました。

いま振り返ると、先生は出来るだけ「台湾名」を残すように配慮したといえます。
日本陸軍にいた台湾人の「日本名」は、元の「台湾名」とは似ても似つかないまったく
別の名前になっていることから考えると、この先生の「配慮」は評価されます。
そのせいとは限りませんが、この年の4月の異動で先生は小さな台湾人の小学校(公学校)
に左遷?されました。
戦後、日本の植民地統治政策で非難の対象になっている「創始改名」のまさに「現場」に
私は遭遇したのです。
このとき日本人の同級生たちがどんな態度をとっていたか。騒々しい雰囲気だったことは
憶えていますが、たいして気にとめていなかったかもしれません。
改名後も台湾人の同級生に対する呼び方は、改名前とまったく変わりませんでした。
先生もそれを咎めませんでした。