インサイド:就活するメダリスト 競泳・松田丈志の苦悩/1
◇400社以上に手紙…未採用
今月14日。08年北京五輪で競泳男子二百メートルバタフライ銅メダルの松田丈志(26)が心残りの
まま、米国へと旅立った。パンパシフィック選手権(8月・米国)前の日本代表合宿に参加するためだ。
昨年末に大手不動産会社「レオパレス21」から業績悪化を理由に契約を解除されて以降、半年以上
も所属先が見つからない。直前まで就職活動に励んだが「採用通知」は届かなかった。2年前の五輪
メダリストがスポンサー探しに駆け回る苦悩の姿を追う。【堤浩一郎】
4月の日本選手権(東京)。松田はパンパシの代表権は手にしたが、二百メートルバタフライは自身の
日本記録より2秒21遅い1分55秒18と不本意な結果に終わった。「就活しながらの練習では集中で
きない時もあった」。めったに言い訳を口にしない男が珍しく弱音を吐く。4歳から指導する久世由美子
コーチ(63)。「肝っ玉母さん」とでも呼びたくなる元気な指導ぶりは変わらないが、この話になると「思
った以上に厳しい」と声を落とす。
◇北京五輪、分岐に
現在の所属は育った宮崎県延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブ(東海SC)に置く。400社以上の
企業に支援を求める手紙を送付してきたのは久世コーチの長女である中山泰代コーチ(38)だ。「イン
ターネット広告や新聞の株式欄を見て、片っ端から送った」。松田と久世コーチの二人三脚ぶりをつづ
る手紙に関心を示した企業も数社あり実際に訪問もした。だが、松田らが求める条件となかなか折り
合わない。
思えば、分岐点は夢見たメダルに「自分色」の名言を残した北京五輪だったか。英国スピード社製の高
速水着「レーザー・レーサー(LR)」が旋風を起こした大会。松田は当時所属のミズノ社製でなく、勝負
をかけてLRを選んだ。「後悔はない」が、銅メダルと引き換えに契約社員だったミズノからは自ら去るこ
とにした。
当時24歳と競泳界では決して若くなく、引退も考えた。だが、「最高の泳ぎ」を覚えた北京の決勝レース
での感覚をもう一度味わいたい思いに駆られる。救いの手を差し伸べたのが、日本水泳連盟のスポンサ
ーも務めるレオパレス21だった。
◇突然の契約解除
同社と契約した昨年は「練習に集中できる環境」(松田)。松田、久世コーチともに給与が保障され、年間
約1500万円の活動費も別途支援を受けた。トレーナーを伴った海外での高地合宿も行い、昨夏の世界
選手権(ローマ)は二百メートルバタフライで銅メダルと、12年ロンドン五輪へ向けて存在感を示した。
だが、会社の業績悪化までは予想していなかった。現在拠点とする東海SCは久世コーチらがボランティ
アで運営。プールも松田の母校である延岡市立東海中から借り受けたもので、活動資金を捻出(ねんしゅ
つ)する財力はない。
「お金に執着しているようなイメージで見られるのはつらい」と松田はこぼす。ただ、ロンドンまでの現役続
行を決めたからには北京以上の成績を狙いたい。そのための練習環境維持には、ある程度の資金が必
要だ。
また、松田は「契約書に印鑑を押し、会社の看板を背負って泳ぐことで緊張感、プライドも生まれる」と言う。
練習が苦しく嫌になる時も「やらねばならない」という気持ちがわき起こる。年齢的にも20代後半。「生活
設計のために安定した収入も必要」との久世コーチの言葉は正論だろう。父公生さん(59)が「普通なら
ば社会人として働いている年ごろ」と将来を案じる時も増えた。=つづく
http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100727ddm035050031000c.html