「エーックス」
バスケットボール、球技ではサッカーに次いで世界で2番目の人気を誇る
しかし、日本ではマイナー競技だった
社会人リーグJBLはガラガラだった、新聞も報道すらしなかった。
JBLに入れるのは毎年5人前後、多くの選手が学生でバスケ人生が終わった。
オリンピック出場は、30年間なかった
世間の人々は言った「体格の劣る日本人じゃバスケは無理だよ」
ビートたけしに「バスケの代表はアメリカの高校生より弱いんだから」あざ笑われた。
事実、ヨーロッパの1大学にも勝てなかった。
さいたまスーパーアリーナのこけらおとし記念で行われた、
日本代表とNBA選抜のアメリカ代表の試合、屈辱のダブルスコアで負けた。
しかも、観客はなんとアメリカ代表を応援していたのだった、むなしかった。
河内敏光らは、日本で行われるバスケ世界選手権2006、北京五輪2008に向けて
代表を強化し、日本のバスケを盛り上げるためプロリーグ「bjリーグ」を設立することを宣言した。
しかし、バスケ協会は認めようとしなかった。マスコミも冷たく、ドラフト会議もほとんどのマスコミが無視した。
「できるわけないさ」「1年で潰れるさ」世間の人々は言った。
石川武を頂点とするバスケ協会は、さまざまな妨害工作を仕掛けてきた。
石川武は「子供達をbjリーグに接触させるな」命令を地方協会に下した。
これは、日本のバスケットボールをメジャーにしようと奮闘した、人々のドラマである。
プレマッチの試合風景
http://www.geocities.jp/ms_da_13/IMG_02711.jpg サインを求めに集まった子供達
http://www.geocities.jp/ms_da_13/IMG_02991.jpg