剣劇弐ちゃん
嫌な後味がする。
それは愛を力と断言して譲らない茂名の傲慢にも思える純粋さにもあるけど
何よりも愛と言う大義の下に、人を斬っていった後味の悪さだと思う。
スペースキーで敵を倒す、と言う仕組みはそこに活きているんじゃないかな。
タイミング合わせて反射神経を使ってボタンを押して話を進めていく快楽から
それがある時、取り返しの付かない後悔と狂気に逆転されるっていうか。
斬らねば斬られる。
そうでないと続かない一本の道だっただけに、最後にスペースキーを押した後に出される結末は、とても悲しい。
「茂名は間違っていたのか」
そして流れる、不協和音の「桃太郎さんパロ」には、痺れた。もう、それこそテーマにぴったりって感じで。
ただ、ちょっと物量と説明が不足かも。上の解釈も、深読みしすぎだと思ったし。勿体無くも思える。
それこそ鬼のように敵を殺戮させて、茂名の手を血で汚させていくボリュームやステージ数か
しぃ・ギコ・モララーを、もう少し一連の物として捉えさせて悲劇性を出す流れが欲しいかも。
最初の二人に対して、モララーへの繋がりが、ちょっと浮いてる感じ。
理想郷を出ていく毒男もその前にどこかで苦しい感じで顔見せさせとくと、効果的になったんじゃないかな。
とか何だかんだ言っても、やっぱりこの作品の不快は好きだ。毒男の気持ちにかなり共感。2chっぽい。
9日目
オルゴール
マスコットみたいなキャラの子供と、現実っぽい影絵風のパパ。
明らかに差のある絵から受ける違和感を利用した種明かしには、びくっした。
飼い主からしたら物言わぬペットとの印象が強いそれを
亀の語り口では多弁にさせたギャップも、とても効果的に作用していると思う。
ただ、見返してみると、繋がりに幾つかの疑問符が。
特に飼い主の「うるさい」と言う反応は、鳴かないし、じゃれたりしない亀への反応としては違和感を覚えた。
恐らく動物病院とのやり取りだろう電話口で「子供が大変なんです」とかも。
こうした作品は、改めてリプレイした後に「こういう事だったんだー。」と納得させるような伏線が欲しいところなのかも。
「やっぱりパパが好き」と言うハイテンションなオチも、ナイーブに進めてきた余韻を吹っ飛ばしてるなー。
言われてみれば、モチーフは亀と言うよりネコっぽかったりもした。やっぱりネコが好き。
けれど、涙腺を潤ませる感じは確かにあって、それは絵柄、オルゴール、方言から感じる暖かさからだと思う。
包み込むようなほわっとした手作りの感じ?そんなニュアンスが出ていると言うか。
ん、上の様な計算に捕らわれてないと思わせる自然体の姿が、却ってこの作品に力を与えている気がする。
計算式が見えたり、あざとさが出たら、消えてしまうニュアンスが。
こうした感想は、他にも増してほんとうに駄目だと思う。
少女
雰囲気のあるテンポや演出で、しっとりと詩が入って来た。
白黒の写真の生気の無い感じは、内容にとてもあっているし
ぎこちない立ち上がりと文字のピンクから青色の変化には、なんか吹っ切った感じがした。
特に、表情が鍵となる作品に、敢えてそれを隠す影絵を使ったのは、上手だなー。
後半に出てくる目が、強く印象に残って、不気味だった。
ここらへんを下手に描き過ぎていたら、
文によって広がる仮面のような表情のイメージを狭めていただろうと思う。
「りんご」に続くのだけど、個人的には「少女」の突き放した感じの不思議な読後感を単純に味わっていたかった。
んー、「りんご」は何か引き寄せる感じだったので、余韻がぶつかり合うと言うか。続けて見るにしても、間が欲しいかも。
異なる余韻の組み合わせを狙ったのかもしれないけど。そこらへんはわかんなくて。うーん。
詩心も女心も掴めてない、そんな自分発見。だからどうした。
硫化アリル
俺の背中を見て育て、って感じの「背中」を腰に据えた構図が、心にずしんと響いた。
親父の背中に存在感があって、その親父が何時の間にか追っていた娘の背中に寂しさがあって、
その二人が正面から向き合う最後に感慨も一塩。
背中だけで語る素敵さ。言葉で語るってのは、なんて野暮ったいんだろうと、身に滲みる。
それに絡んで、母の声がもの凄く優しく響く。
絵として姿形を回想シーンに一度しか出してないのだけど、その透明感が、なんか父娘を見守ってる感じを出してて。
ぐわー、言葉だけで語る素敵さまで教えて貰ってるじゃないか。ずたぼろだ。琴線を掻き乱しすぎ。
そんで、作品の世界に忠実で、無駄に虚飾した箇所を感じさせない丁寧な作りは、職人技だと思った。
ちらっと出る部屋の様子にも、如何にも頑固親父の家族が住んでそうな雰囲気への拘りが見えるし
画面中心に置いた文章にも、効果音の使い方にも、切り詰めたような静かさを感じる。
そのような絞った作品だから、
「言葉では語ろうとしない父」が、玉ねぎを刻むリズムを乱したり、新聞紙をぴくりと上げてしまったりして
「でも、身体からは想いがこぼれてしまう」みたいな、そう言う心憎い演出が嵌るのだと思う。
一つ一つの動きに、何らかの気持ちがこもっているような。玉ねぎ持っているだけなのにそこに意味が。
日常感が漂う話への、最後のささやかなファンタジー、祝福も、厳かな感じ。
でも、その想い出の中の娘が後押しする演出は、もう少しだけ自然にさり気無い形で見たかったかもしれない。
いきなり腕にぶらさがってるんだもん。
探し物
決して綺麗とはいえない手書きの絵だから、
ランプ、鏡、真っ直ぐに見詰める視線と、自分の内を照らし出そうとする中身と、マッチしていると思う。
文を出すテンポや出し方が、とても安定していて、じっくり読ませる感じ。
後半で絵と色が被って読みにくくなったけど、目を凝らしている内に、一瞬、黒に浮かび上がる感じで
演出として、凄いかも。
ただ作品の発表の仕方は、ほんとうに不器用っぽい。
発表時のコメントで見る前の段階なのに探し物の答えをネタバレしていたり、
努力をアピールする注意書きも、却って手抜きをしているように見えてしまうし。
それは素直さなんだと思うけど。でも、この素直さは眩しい。羨ましい。
あの猫が見るもの
大きい画面に映りこむ夕焼けに煙突の光景には、
神々しい曲に負けないぐらいに、ある種の力を持って迫って来る美しさを感じた。
しかも、それを前にした主人公の台詞が、イカス。グッと来るシーンだと思った。
それと、おばさんがすごくリアル。声も話し方も本当におばさんっぽいし、身振り手振りも正におばさん。
でも全体的に声の大きさが、自然に聞き取るには小さめかな。音量MAXでも、ちょっと微妙。
町を一気に見下ろすシーンの見せ方は、凝っていると思う。話と演出の、驚きの共有というか。
ただ、あの下町には、堪らない生活臭さと言うか、貧乏っぽさと言うか、人間っぽい澱みがあって、
この無味乾燥気味な俯瞰図だと、そこら辺が削ぎ落とされていて、そこさえしっかりしていれば、と思う。
高望みし過ぎ。
ちなみに、主人公の顔って、ホンモノに近い他の住民や猫と大きく違って、少女漫画調っぽく感じた。
と言うか、クリクリの瞳としても、なんかの法則を破るギリギリにあるような大きさの瞳。ちょっと大きすぎかも。
でも、こうした差異が、「彼女はこの町の世界に居るべき住人ではない」、と暗に思わせたのかもしれない。
なんか、彼女は抜け出せる感じがした。肯定的な明るさみたいなもの。そんな後味が付け加わった気がする。考えすぎ。
神の映像 【前編】
声無しverも見てみたい、は禁句なのだろうか。禁句だろうから、黙っておこう。
さり気無くも沢山のカットを使って、沢山の方向から映していたり、アップとかも効果的に使っていて、
見ていて全く飽きさせないものがあったと思う。
演出効果みたいなのも手馴れていて、冒頭のテロップから紅葉とかトンボとか、
そう言うのが凝っていて遊び心があるなー、と思った。猿がやけにすげー。
ただ肝心要の「神の映像」に遊びを入れたのには「おやっ?」とした。
「20人連続 フラれた」とか文字が出たり、車から幽霊を飛び出したりさせるサービス。
「在り得ない!夢の道具が!目の前に!現実として!確かにある!すげーぜ!」だっただけに、
そこに施されたあからさまな嘘にはちょっと後ずさりしてしまうと言うか。
後編には期待。
色々と広がりそうな設定だけど、まずは高級フランス料理をどう魅せるのかを重視して期待したい。
あったのかー。ありがとう。
環境音だけだと、想像したよりもがらりと雰囲気が変わって、びっくりした。
忍者とクックルの素敵な関係
何だろう。見終わった後にぞくっとするような、何かを達観したような笑いが。
普段は、一言も喋らない+激しく+忍者とクックルが、コタツ越しに対話している事に、どうしようもない違和感があって
それが進むごとに、笑いとかで納められない所までに殺伐と広がっていく。
けれど、最後になって、今までの「忍者とクックルの関係」そのものが、木っ端微塵に破壊されたことを知る。
いつものマウントでボコボコにされてエリア88と言う安定しきったシュールはそこにはない。
新しい「素敵な関係」が結ばれた事を思い知らされる。
何かが貫かれている。シュールと呼ばれ慣れたものを一回りさせたらシュールだった。そんな感じがした。どんな感じだ。
何言ってんだろう。えと、多分、最初の間の使い方がとても巧みだったんだと思う。
わけわかんない大江戸戦隊の後の、ちょっと長く取った、あの冷たい白けた時間の流れ方。
そこでもう、メロメロになってしまったのだろうと。
ヤセたーーーい。
スタート前に流れるやり取りに和む。タイトルにもすごく惹かれたし、魅惑的な掴みだと思う。
演出も枠の大きさを変えていて、メリハリがあって、枠の外からひょこっと顔を出して語りかける女の子がキュート。
なんか曲の不思議な落ち着いた雰囲気に合っていて、浸れる感じがあった。
内容は数字を出すと論に強さが出るんだなー、と思う。
○○kalとか具体的に正確に数値化されると「へぇーっ」て納得してしまうし、
そこから550000000キロリットルなんて桁違いの数値を出されると、どこか遠いところに連れてかれる驚きがあったりした。
その転換のさせ方も、
個人の体内のエネルギー「消費」を促す行為は、別の視点から見ると地球資源の「節約」になる、
って言うのにはハッとさせられるし、エゴとエコ、わたしとわたしたちを結びつけた感じで素敵だと思う。
敢えて突っ込みを入れると、提示された模擬が、身体のダイエットに役立つことを否定しちゃう言葉に疑問。
『せっかく運動しても たいしてやせません』
この「小さな事をコツコツやっても、あんま効果ないのよ」って理由は、身体よりももっと大きな地球にはもっと突き刺さってしまうと思う。
同じ理由でダイエットは否定されんのに、環境運動ならいいのか。って感じ?
そこらへんを「地球って一人の身体よりも大切よん」って考え方とか
「一人一人は大したこと無いけど皆でやれば凄い数字になるのよん」とかの考え方が支えているのだろうけど。
そこらへんが後編では、流されてしまって、納得はしても説得まではされないっつーか。
そこらへんをもう少し深く示唆するか、身体の為と地球の為にチマチマでもやっていこう、みたいな転換が欲しいかも。
しかし、アマノジャクな見方をしとるなー。
むしろ突っ込むところは、地球を大切にと呼びかけられる一方で、ないがしろにされ続ける埼玉県民にあったんじゃないか。
まーちゃんのりんご
音程を誤りながらも延々と続く落ち着きの無いピアノの音と、遠くから響いてくる笑い声。
椅子にもたれて想いかえせば、何時も初めにそれがあり、どうにも胸をざわめかせる。
この誘拐事件の女の子には、未知の何者かに操られたかのような不気味さと凄惨が漂う。
それは「緑色の少年」のみに拠るものでは無いように思われた。
この舞台を司る、「神達の手」を嫌と言うほど、見せられた為だ。
黒色の手と、彼らの延長上にある棒は、忙しなく動き、その存在を誇示し続ける。
彼らは何を考えているのか。
煙草を吸い、さようならと手を振り、花をぐりぐりと直すその姿は、無邪気で奔放に思える。
悪戯が過ぎて時にはくるりと紙を回転させ、知らせては為らない筈の紙の人物の裏側すらも見せてしまう。
いや、裏方に徹するべきその手を表舞台に堂々と露出させる彼らには
通常の人形劇の制約は何ら意味を持たないのだろう。
彼らはせっかちで少々あわてんぼうでもあるようだ。
紙の前後や裏表、出す手順を間違えると言った、幾つかのうっかりとた失跡を冒している。
しかし、こうして劇はぎこちなく壊れながらも、それらは繕われながら、止まることなく進行していく。恐ろしいくらいに平然と。
それは諸所で待ちきれぬように出される、女の子の首と其れゆえの彼女の存在の危うさとも連なる。
砂上の楼閣のようでありながら、崩壊しそうで崩壊させない、悲劇へと通じる抜け出せない悪夢への不安と不快。
そのような印象を与えられた。実を言うと、その演出の過剰さにいらっとした感覚もあった。
とにかく、どうにもこの黒い手が気にかかる。
彼らへのイメージは冒頭の「落ち着きの無いピアノの音と、遠くから響いてくる笑い声」と妙に符合するのだ。
この作品は遂には舞台裏すら見せてしまうのだけど、その時だけピアノの音が消えるし。
あのたどたどしく弾いていた手は彼らのものだったのではないか。
とまでは確信できないけれど、全体を通して「手」を感じる。
それは絵筆で塗り固められた感じの絵からもそうだったし。あの手の無邪気な執着心の怖さ。
感想は駄目な方向に、転がる。酷いことになるので、読まない事を推奨。
手によって導かれる話、強調される虚構性。何者かによって作られ演じられ、進められていくと言う感じ。
それが少女の劇中の「人形劇」「夢」の言葉に悲惨さを持たせると言うか。
まさかそれを発する彼女自体が既に作られている、運命に絡め取られているなんて、思ってもいなかっただろうと言う悲惨さ。
あと、この物語の夢みたいな浮遊感、不思議な感じは、上から落ちる糸の伸び縮みや、滑る宇宙船、投げ出される紙の絵、
と言った、重力をきちんと演出しているからなんじゃないか、と思った。重さを感じさせるから無重力が際立つ?
落下の感覚が怖いから、ぎりぎりの浮遊感が際立つ?これが夢っぽさ虚構っぽさに一味を加えている気がするのだけど。
もっと駄目な方向に、転がる。ほとんど思いつき。
前述した手によって操られる女の子のやるせない哀れさ。でも、同じ作り物の筈の緑の少年は、そんなに哀れに見えない。
それは舞台裏を見せる時の、構成のとり方にあるように思える。
この時に出てくるのは女の子とネコだけ。少年は作り物であることを、過激には暴かれない。
その代わりに、その前後の「井戸へと女の子を投げ込む」、「ネコを連れ出す」と言う決定的なシーンで登場する。
そこで、手の不気味さと、少年の不気味さが感覚的に同一視されると言うか。
二つの操り主が、あの時に変なハーモニーを奏でている気がする。上手いと唸った。
もっともっと駄目な方向に、転がる。リンゴの謎。
リンゴって何だろう。何と結びつくのだろう。沢山連想できる。
そもそもリンゴは太古の神話から広く用いられたモチーフ。
エデンの園のリンゴ、黄金のリンゴ、魔女の毒リンゴ、万有引力を発見したリンゴ、病気の時に食べるリンゴ。
色々と脳内で考えてみたけど、花に対しての受粉の結果としての果実。
もう花には戻れない。終ってしまって、後戻りできない感じ。感覚的にはここが近かった。
ただこのリンゴと向き合えば向き合うほど、惑わされる感覚。キャラクターの希薄な感覚。
これには確かで強烈なデジャヴ感がある。それも最近。年末のどこかの紅白の作品内で体験した感覚だ。
さて、どこだ?
『少女』の革命前に女性と誘惑を伴って供される林檎?
『空を飛びたい女の子の話』の手によって破壊される紙芝居の脆さ?
『プーキー』の布団に潜り落ちる感覚と、切り刻まれるリンゴと潰れる真っ赤なトマト?
いや、戸棚のもう一段上。これだ。多分、誰も気付いていない一つの点。結びつける。
『りんご戦士の冒険』のリンゴ。
誰も想像しないだろう一本の線が繋がった。ここに書かなければ、知る由も無い。
いや、わざわざ引かなくても良いから、そんな線。何やってんだ、と小一時間問い詰めたくなる気持ちもわかる。
けれどどうしても、それを一番言いたかった。無性に言いたかった。
ごめんなさい。
Depths
内へ内へと沈んで行く旅なんかな。難解って感じが無くて、親切で優しい感じがした。
食べたら食べられたり、非常口だったり、ストローで吸い上げたりと言った
展開のさせ方の妙を、驚きながら楽しめた。
中でも場面として惹かれたのは、水中を沈むシーン。
あそこからのあの色の持って行き方と、曲の感じと、アザラシ(?)がヒレをばたばたさせて泳いでいる感じ。
イイと思った。
全体的には寂しげな荒涼とした心象風景の印象だった。
その要因は、やっぱりそのシンプルさと生命感の無さにあるのだろうか。
これは作品のメッセージと合っていると個人的には思う。最後にその欠落が埋められる感じだったので。
けど、そうなるとその前にムードがあり過ぎる森を出していて、
その通り過ぎる一風景の森の方が豊かに生命が息づいている感じがするのが疑問かな。
描いた時期が違うんかなと一見して思ったし、見た目的にもずれてる感じがする。
おいしいコロッケをつくろう!
選択形式と言う事で、あらかじめ「こうなるだろう」と予測をするんだけど、ことごとく裏切られる感じ。
「こうなっちゃうのかよ!」って言う笑いがやって来た。ツッコミを入れる間も取れるし。
呆気に取られて呆然とさせられる間だったりもしたけど。
普通、この形式だと、幾つかの他の分岐のオチを見れば
作者の思考パターンと言うか、この人はこう来るだろう、と言う予測が生まれてきたりする。
例えばこれを選んだら死にオチだろうとか、こう外してくるだろうとか、癖で先を読もうとしたりする。
そう言うのがこの作品には通じないって言うか、そう言う予測すらも裏切って笑いにしちゃうのは
笑いがワンパターン化してなくて、本当に色々な種類のネタを、この一本に詰め込んでいるんだなー、って思う。
何気に選んだ選択なのに凄いオチでぶつっと話を切ったかと思えば、意地悪な選択を選んでもちゃんと話が進んだりするし。
中でも、ツボにズバッと来たのは、写真パート。
非合理な展開のさせ方が、現実っぽい写真と影絵に合うんだと思った。
もうちょっと考え込むと、元ネタは明らかに「かまいたちの夜」と言うTVゲームのソフトで
いきなりゲームのパロディに連れて行かれた不思議さが、笑いになったんだと思う。
更に考え込むと、Flash自体の「ゲーム感覚で」のゲームは、この種のソフトを指しているんじゃないかなー。
>>19 >>20のフローチャートは、この作品がかまいたちと同じ形式にある証左じゃないかと。
実は硬派で恐怖物のサウンドノベルと、妙にしっくりと連結してしまう可笑しさを感じたのだと思う。
えと、このFlashにはモチーフの面影は全く無いし、どんな推理も裏切るって、間逆を向いていると思うのだけど。
だからこそ、当然の様に繋がったのが衝撃的と言うか。
紅白ミニ特番「ウマークッキング」
全体的にちょっと早いテンポな感じかな。
せかせかしてるのが、料理番組のまたーりとした雰囲気を目減りしている気がする。
プロデューサーの1さんと喧嘩、八頭身に殴られてコブ辺りと、ゲストの紹介と料理の開始の間に、ちょっとぶつ切り感。
上手く展開を繋げる間を作るカットが欲しいところかも。
一つの同じ字幕内で3人(+八頭身)の台詞を分けているのは、かなり面白い試みだと思った。
映像の口パクが効果的に働いているのだけど、これは各キャラの口癖、口調による所が大きいとも思う。
しぃは女の子らしい丁寧語口調、ギコはぶっきらぼうな江戸っ子口調、ジエンは子供っぽいカタカナって感じで。
とても明確でくっきり。
それにしてもジエン可愛いなー。ぴょんぴょんと跳ねて、本当に愉快な感じ。
10日目
この日のスケジューリングは何か凄まじいーと思った。
「黒い天使 #9 天使」、「Gun Smokc Chiken ー銃の堕天使ー」、「ハクシャクノテンシ」を一日で見せるスケジューリング。
まずは、聖女、天使の神聖なイメージを普通の女の子(人間)側に接近させて感情を動かす作品。
そんで銃をぶっぱなつ人間と吸血鬼の混血児、で何故か堕天使になるって言う、
天使も悪魔も人間もどんなもんだいっていう臨界点っぽい混濁したパワーとダイナミックさがある作品。
締めに、今度はもう余りに人間っぽくなっちゃって、逆にらしさを失って困り果ててる吸血鬼と天使が出てくる作品。
なんか凄まじい。上手く纏まらんけど。
狂艶姫
あー、なんか21世紀がやって来たー。
演出とか凝ってるー。
画面がぐいーっとスクロールしたり、カラスが姫の姿になったりした前半はスゲーと思ったら、後半はもっとスゲー。
何か生まれるよ。うにょうにょしてちゃぷちゃぷしてるよ。
樹と水の動きが、凄く躍動的に迫ってきた。これをこう表現するか。色艶も素敵。
単体で突き詰めていっても、やってけそうなのを、惜し気もなく投入してるっつーか。すげー。
でも、肝心の姫の舞いはあれが演出意図だったんだろうか。
多分すごく細かく滑らかに踊っていると思うのだけど、人形の白い手足の動きが白い背景に食われてしまって、
この画面サイズであのカメラの位置では、その舞いの細部に宿る艶美な感じを十分に堪能したとは思えない。
敢えて、ぼかしたのかもしれないけど。
うー、でも、もうちっとこの人の他のシーンで見られる底力を発揮して正面から立ち向かった凄いのを見たかった。
あと、これは好みだけど、舞いを封じ込めた坊主の念仏を覆すのは、やはり舞いであって欲しかった、みたいな願望も。
それと短い尺に色々と詰めこんでんなー、って感じはする。
姫と坊主の対決に、侍と遊女のエピソードを挿入したら、けっこうダイジェストっぽい感じになったんだと思う。
一時間のアニメのオープニングとか、プロモーションビデオっぽい。
例えば登場が雑魚敵みたいな感じの1シーンに限定されてしまった坊主から
彼が食われて消える怖さ、彼を食らう姫の妖しさがどれだけ伝わったのかと問われれば、
うーん、どうなんでしょー、と答えると思う。
花札 〜花鳥風月〜
花札には季節があるのかー。知らんかったー。
このアプローチには、痺れるもんがあった。
「松に鶴」みたいな月毎の簡潔な決まり文句が、この形式だと映えていたと思う。
月名や決まり文句の文字の出し方も、月毎に場所を変えるなどの工夫をしているし
花札のカードと言う特性を利用した裏表を見せる演出が、飽きを防止してスピーディに見せているのだと感じた。
んー、ただ、反面、文字出しの秩序がごちゃっとし過ぎて、
コンセプトにあった花札に映された季節感や四季の移り変わりを何処まで追体験できたのかってのがあるかなー、と。
イントロみたいなテンポと白線の繊細な感じ中心で、和の風情を感じたかったのかな。ヒキに凄く惹かれたので。
カードはちょっと浮いているっぽく思えた。
それとカード自体を派手に動かしてアッと言わせても、それは花札の絵の魅力に還元されるんだろうか。
むしろ鉄火場っぽくない?
SG(仮)
思いっきり好み。手放しに好み。これが萌えのツボなのか。芽生えなのか。
「明日は なかなおりしよう」
何だか一杯のおしゃれ心と信頼と優しさと感謝が詰まってて、好きだー。
プルプルしてるのが愛らしい。色もなんかイイ感じ。丁寧に作ってる細かい仕草や演出もイイ。
それと、カットとカメラ位置の使い方が、もの凄く素敵だと思う。
ダンボールに閉じこもってギコが去った後に、ひょこっと耳を出す後姿に、びりびりした。
それとか、ヤクザが高い所から見下ろす視点でしぃを撮って、ピンチを演出して、
次いでギコとヤクザを並べたカットで身長差や体格差を強調して、
もっとでっかい香具師に押し潰されて絶体絶命っぽい感じにしたと思ったら、
今度はギコが立っている電柱の高所から、逆にこいつを見下ろさせてキョロキョロさせる所とか。
派手技とか派手武器とか派手派手エフェクトとか無くても、
何かこれだけで逆転の快楽っつーか、「安全マンつえーっ、カッケーっ」てのが伝わってきたんだと思う。
ステイシ
カットインとかデフォルメとか色々な演出を意欲的にやってるんだけど、ちょっと未整理でゴテゴテしてる感じがする。
特にギコがマシンガンの弾を避ける時の遺跡の背景に突飛感が大きいかなー。他は黒白で統一されてるだけに。
あとは、同じ色で同じ姿形のAAが複数いると、
特徴的な顔が見えない状態や後姿だと、誰が誰だか識別できないで混乱しちゃうのが難だろうか。
こう言うのは使い所が良ければ、長所に化けるとは思うんだけど。
最後の、神殺し宣言。
画面に突き刺さる銃弾の跡が逆照射されて、背景のあの人の眉間をぶち抜いているように見えるのは
斬新でスペクタクルだと思った。
なにかとうまくいく
この女性の感じる「なにかとうまくいく」は、ちょっと不思議な感じ。
ゴミ箱に入った(空き缶をゴミ箱に捨てる)、グローブに入った(ボールを少年に返す)と
根底には降りかかる不幸に対して、誰かの幸せを自分の幸せのように感じる自然な優しさや奉仕心があるんだと思う。
電車にき然として飛び込むっつー驚きの展開もその延長上にあって、説得力を感じてしまう。
カットも多く取ってるし、背景も手抜きを感じさせないし、自作の効果音もけっこう雰囲気出してる。
ボールが飛んでくる時の注意と驚きの喚起として使われるテロップの早回しはよさげだし、曲と踏み切り音が重なって味を出してるし、
フラッシュバックに写真画像を使ったのも、なんかあの画風だからぴたりと収まったんだと思う。
ただ、やっぱ独特の感じがある。特に後半。
「タイトルの割には〜」と女性がFlashのタイトル名を何故か知っていたり。(これはドラマだと言う認識をキャラが持ってる)
人身事故に近い形で電車に急に飛び込んで跳ねられたのに、けっこう元気で楽観的だったり。
事故を伝えるニュース番組が、ここだけ妙な声が入ってそれも異様に早口だったり。
やけに細か過ぎるスタッフロールだったり。
と、並べてみると一種これって不条理なりに繋がっていて、おかしみを作っていると思うのだけど。
正直言うと、個人的には削らないで欲しい。好き放題、思う存分やって、これからも楽しませて欲しい。
うーん、話の整合性を取るなら、女性を死なせたくなかったのなら、別に電車に跳ねられんでも。
間一髪助かって、打ち身や打撲で入院とか。
黒い天使 #9 天使
ジャンヌダルクをパリ市街に行かせるって、粋な演出だと思う。
これは救世主としての、大敗して成せなかったパリへの進軍っつー百年戦争の苦い事情と、
農村の田舎娘としての、華の都パリへの乙女チックな憧れっつー、ダブルで来る感じがあった。
謎解きのネタ出しの仕方も、軽快なテンポの明るい会話に乗って心地良く感じたし、
最初は奇抜なウケだと思った女子高生のセーラー服が、鎧の対として、伏線に絡んだ時は見事だなーと思った。
文字色で発言主を変えているのは、とても分かり易い工夫だと思う。
けどジャンヌ【白】、案内人【赤に近いピンク】だから、ジャンヌの心の声がピンクがかっていると案内人のものと混同しちゃうかも。
問題点は、「黒い天使」の隠語っつーか主人公達の役割(外見が不良少女なのに実は天使で、成仏できない魂を救済する?)が
シリーズ読者じゃないとわかリずらいところだろうか。
最初のジャンヌの発した「貴方たちは何者なんですか?」の問答をもう少し広げれば
如何ようにも会話の流れで自然に示唆できたと思うだけに、そこをカットしちゃったのがちょっと惜しい感じがする。
けっこう伏線や推理の罠として妙味のあるシチュエーションだったと思うし。
全感想マジでお疲れさん。
非常に参考になります。
RMSG
SFCのRPGゲームのPV。
画、構成、音楽等にマイナス点がなかった事は、評価に値します。
しかし、目に止まる見せ場や、突出した点が感じられなかったのも
確かなので、演出に変化が欲しかったです。
一番思ったのは、元ネタ頼りな事。
このflashを観て一番強く感じたのは、このゲームの懐かしさでした。
でもそれは、このflashの力じゃありません。
自分が、偶々元ネタのゲームをやった事があるから、懐かしく思うのであって、
この元ネタのゲームをやった事のない者には、懐かしさは、当然感じられません。
もっと言えば、意味が判らず、ついていけなかったかもしれません。
敢えて非AA作品に挑んだ意気込みは、確かに好意的です。
ですが、2CHでやるのだから、まだAAの作品の方が、レトロなゲームを題材にするより、
受け口が広く、判り易かったのでは?、と思いました。
まとめると、元ネタのゲームをやった事がある者からみれば、
懐かしさは感じられるが、flash自体に魅力が無く、
オリジナリティが皆無な凡フラ。
ゲームがリニューアルされたとはいえ、レトロすぎるのも、大きな痛手です。
もっと、鑑賞者の立場と、何か印象に残るポイントを
考慮してもらいたかったです。
>>137 勿体無い言葉を、ありがと。土下座したいくらい嬉しい。
こんな無駄に長く駄目になっていくのに振り切られないなんて、こっちこそお疲れさんですと言いたいです。
LAND WARRIOR
んー、今一歩ロシア青年が何者だったのかわからず。
「電子機器の代わりの高機能自閉症」?「あの地獄のような日々」?
うー。抽象的で、わかった振りして頷くには躊躇いが残る。
何故なら彼はそれを切実に誰かに残したくて、世間に発表したかったのだから。
もうちょっとここを踏み込んでも、と。
それとミサイル発射と戦争勃発の恐れが、緊迫感を生む本線だったとして、
人間兵器っぽいロシア青年と直接的に繋げなかったのはともかく、何つーか中盤全体とちょっとした分離を来たしていた気がする。
話の終りにとってつけた様に思い出されて、いともあっさりと破壊されてしまったので。
音の使い方とか雰囲気の持って行き方、
高揚感あるオープニングや、木々の写真で無念を表現する演出はかっこいいと思っただけに、
細部の描写の甘さや説明不足がちょっと目立つ感じなんかなー。
濃淡とディティールを意識したプロットへと練りこんでいれば、大きく変わったと思う。
Gun Smokc Chiken ー銃の堕天使ー
なんだかワイルドな野性味を感じる作品だった。
回想シーンの演出は、メリハリが合って決まっていると思う。
この過去や形見が力の源っぽく描かれながら、そのコンプレックスっぷりをさらりと見せる最後の決め台詞が男気たっぷり。
主人公と敵の変身の順番は、逆の方がコテコテの王道なんだろか。
敵より先に主人公の方がバンパイアの本性と変身特性を晒したんで、同種族だったーて盛り上がりが薄れた気がした。
緩急の急がちょっと段差が小さく感じたかな。全体的にアクションの高揚感が緩く、べたっとしてる感じがする。
空中戦と銃撃戦と決戦に、もっとスピード感あるカットの連続とカメラワークの応酬と落下速度と移動速度の向上を!
ってのは、労力的にも容量的にもマイパソコン的にも、無茶な要求ではあるけれど。
ぃょぅ村
陰陽を付けたり、小物を多く配置したりした、とにかく丁寧な背景の描き込みと遊びが、旅情をかきたてるんだと思う。
背景に潜む沢山のキャラに、背景と同化した細かい遊び(相合傘とか旅館名とかカシワモーチとか数え切れないほど)が
「ぃょぅ村」に彩りと息吹を吹き込んでいるように感じた。
この村の遠い田舎のようでちょと違う長閑で不思議な景色には、とても惹きつけられる。
それこそ神隠しが起こったり化け物だって潜んでいそうな、そんな空気。
タイトルロゴのデザインとか、普通なら流し見してしまったり気付かない所への控え目な拘りって、好きだ。
シナリオは、夜への持って行き方の鐘と闇の切り替えが力あっただけに、ちょっとその後が淡白だったかも。
怪奇な妖怪の登場までの間の取り方もその登場も、短めでおとなしめだった感じで、怖さには欠ける感じ。
でもそんな夢を本気で怖がって、花畑で恥じらうぃょぅはカワエー。ポカポカとお日さまの匂いがした。むしろそっちが狙い?
ナレーションと台詞に分けて上下に画を挟んだダブルテロップ(凄く読み易い工夫だと思う)が消える画面の広がりもあって、またーり。
虹の橋
何処か昭和の郷愁がする屋台のおっちゃんに金魚鉢にノスタルジー。
対戦相手もそうだったけど、この真冬に出したのが、粋で乙な感じがした。
一カット一カットを丁寧に作ってるのがビンビンに感じた。
異世界に入ると、一気に引いて遠くからその神秘的な情景を映す所とか、持ってかれる。
この作品はサイレント(文字無し)なのが、共有性の高い物語にとても豊かな解釈の幅を与えていて、見事だと思う。
きちんと表情や心の動きを描けてるのと、分かり易いカットと焦点の当て方が、あってこその物だと思うし。
特に、金魚屋のおっちゃんの語り、金魚への少年の呼びかけとその返事を
観賞する側の想像に委ねたのが、ほんとうに上手いなーと思った。
ここほんとうに上手い。なんかが、伝わった。受信した。ピピッと痺れる。
スタッフロールの写真はわざわざ動かさなくてもいいから、もうちょいビシッと収まって余韻を残すものでも。
アームズパーティー
ローディングのおまけにハマル。本編そっちのけで魔法剣士になってえらく喜んでいる。
マウスを扱ったメジャーなゲームの先駆けとなるマリオペイントの「蝿叩き」に代表されるように、
利き手でマウスを掴み人差し指でボタンをカチンと押すって所作は、標的を捉えて叩く動きと強い因果を結ぶようだ。
本作の構造はそのターゲットに目星を付け接触し、それが上昇と下降をする間にタイミングよく当てる一連の動作を
連続的に成功させることで生じる連撃によって、高い得点を獲得する所にありそうだ。
このゲームでは、一体一体を潰すことはさほど難しくは無い。
コツとしては、接触した後に敵と合わせてマウスを上方向に動かし、
当たり判定のタイミングの幅を長く取れるジャンプ頂点付近を狙って一定のリズムを刻んでクリックするのが、オススメか。
こうして一体ずつ、ぷちぷちと潰していけば、容易に惨殺を積み重ねられるだろう。
しかし、このゲームにはもう一つの複雑な要素、面白味がある。
新たなジエン風味スライムの出現位置が、既存のそれと微妙に重なるのだ。
一体なら楽勝の相手でも、敵の判定の際に操作を誤って二体同時に襲われれば、難度は爆発的に高まる。
せっかく稼いだ高連撃と得点ボーナスを、こんな所で失いたくない。
放置して事態を悪化させるか、神が施した偶然の悪戯に挑むか。
その瞬間、こんがらがったスライムを解体しようとマウスを握る右手には、爆発物処理班のような緊張が走るのだ。
プルプルと震えるスライムの透明な容姿を利用した、巧みな遊びだと思う。
えっと。本編は、爆発とかの特殊効果や光彩もウマーだけど、何よりもカメラワークが凄いと思う。
三人の華麗な攻撃が、スピーディに連携するところに凄みを覚えたのだけど
それを殆どカメラの切り替えを行わないで、バリバリに動いたりアップしたりしたカメラワークで演出する事で
絶え間ない流れみたいな中での、その連結のスムーズさが輝いたのだと思う。
欲を言えば、アクション中にカメラに映るのが最後まで一名に限定されてしまうところに収まりの悪さを感じるのだろか。
一人一人の攻撃の特徴を紹介した後の最後は、同一画面内で三人が入り乱れるようなシーンでパーティ感をとか。
でも、それは贅沢の極み。
ハクシャクノテンシ
胸が詰まる。映画クレイマークレイマーのような、ほろ苦い後味。卒業式にも似ていた。
特に第二幕がかなりツボ。
屋台の湯気の雰囲気に、光の加減から、時間の漂わせ方、そんでテンシが恋をする演出まで、
本当に丁寧でお洒落で、心に滲みいる感じになっていると思う。
敢えて粗を探してみたけど、特訓中の絵本っぽい切り替えが、ちょこっと雰囲気を減じているかも。
絵本が開くと舞台が始まるって感じの不思議な導入に痺れていたので。
蛇足。
不死の肉体を持ち人を畏怖させる伯爵と、天界の霊的な存在で人に祈祷される天使。
ふつーに原型を想像すれば、彼らは水と油の関係で、天使は伯爵を、伯爵は天使を倒そうとする。
でもこの作品に出てくるのは伯爵になりきれないハクシャクと、天使になりきれないテンシで、共に本物でないことに苦しんでいる。
それがあるから二人の奇妙な交友は成立すると思うし、逆に言うと、悩みの解決は別れを意味することは必然に思えてしまう。
このドラマチックな設定を最大限に活かしたのが、「舞台」と言う場なんじゃないかと考えさせられた。
そこでは二人はそれぞれ、ドラキュラ役を与えられた一人の男と、天使役を与えられた一人の女として、
舞台の上に居ながらも演じるべき役柄を演じきれない役者の姿として、立ち表れたんじゃないかなーと。
そんな世界には屋台やピアスから、とても現代的なタッチのキャラまで、何から何まで優しい嘘が溢れていて
そして物語を転がして霧を晴らすのもまた、とびっきりの嘘と芝居だったってのが、泣けた。
最後の「テンシの死体」(これも本来の天使にはあり得ないよなー)も映像で確たる形で見せつけられると、
なんだか色々な物が込み上げてくる。
死体ぶらぶら首吊り自殺未遂に、ラーメンを食べて、血を流しての展開と、頭のわっかが無いって言う天使としての欠落とか、
凄く自然な繋げ方なんだけど、なんか込み上げてきて、もうなんつーか言葉や解釈で汲み取れず。
二人のさようならと、歯車が回り始めて隣人の世界から離れゆく物語そのものからのさようならが、重なって、
どうしようもなく震わされた。おまけのサービスは余計じゃないかと思えたぐらい。
>>全部の感想のひと
お疲れさまです!!アナタの感想は読んでいて引き込まれてしまうのです。
読み終えたあと、その作品を見たくなる…
とてもいいコメンテーターさんです。あと一息、頑張って!!
紅白出したけど、こんな長文の感想もらえてうれしいのれす
もしもこんな駄目な感想に惹かれるところが少しでもあったとしたら、それは元のFlashの魅力なんだと思います。
窒息しそうな言葉を、ありがとう。
soul combustion
画面をざらざらっとさせる感じが凄いなーと思った。
最初の方がとても鮮明ですべっとしているのに対して、
後半になると、プロフィール紹介の背景の線がごにょごにょしたり、タバコを吸う女の子で出てくる線の荒い感じがニクイと思った。
同じ白黒でも、飽きさせないみたいな。綺麗な汚し方と言うか、画面にフィルターを走らせる感じなのだろか。
なんか、スプレーを画面に吹き付けたり、モヤの中に霞むタバコの煙みたいなシーンとか、雰囲気あると思う。
ギコが踊るAAキャラがわいわいする背景は暖かさと色があって、そこだけ浮いているんかな。色物扱いってことだろうか。寒い。
ダンスは最初のキャラの↓キーの動きが、ペラペラ感を利用していてユニークだと思った。
ペラペラって言う異次元な遊びと、ダンスの動きのリアルなカッコ良さがもっと融合すると、どうなるんだろって。
新・性機
人形さんがくにゃくにゃする仕草は、味があるなー。紅曲の後半のぐにゃぐにゃ感は、なんだかぐにゃぐにゃ。
多彩なキャラクターが出てくるけど、特に紅曲の男と女の子の会話、虹曲の口と蜂女が、音に乗っていて、気持ちよかった。
シック、ピンク、カラフルな曲にわけた演出も刺激的。
ただこの新性機の映像を前にして、低性能でちっちゃな旧式の頭ん中で喧嘩が起こった。
長丁場を何にも考えずぼけーっと見詰めてトランスして猫のようにふにゃけたい派と
一時的で目まぐるしく慌しく変わるインタラクティブな要素を犬のように必死で追い回したい派があらわれた。
何も考えずに画面中心の眼に合わせて視線を休ませるべきか、矢印と共にせかしなく画面全体を動き回るべきか、
みたいな所で妥協なき議論は平行線を辿る。
大惨事だった。最初は犬派が優勢だったがみたいな感じでワンワンニャーニャーコケコッコー。
必殺!!チュウシングラ
「忠臣蔵」の代名詞でもある決死の吉良邸討ち入りの相談から、「必殺仕事人」の依頼へのぶっ飛び方は、堪らなかった。
もう忠臣でもなんでもないし、吉良1が可哀想にも思えてくるカオス状態。
脈絡のない哀愁を漂わせるスタッフロールに、おまけの底抜けの明るさの急激な落差も楽しい。
侘しく背中を見せて帰ったんじゃないのか。踊りながら迫ってくるのか。っていうかダディが主役なのか。
なんか年末と正月らしい笑いを貰って、得をした気分。ああ、年末。
この作品は、所々で抜群に奥行きのある画面の取り方や、鋭い殺陣を演出しているのに、
それを本当にしょーも無いところに無駄使いして笑いにしているのが、素敵すぎ。
最初の8頭身が廊下を曲がって迫ってくるところの横から縦への動きとか
おまけの奥行きを感じさせて迫って来るキャラの配置の仕方とか、定型と力技と豪腕のミックスが素敵すぎ。
地下幻想奇譚 「座敷牢」
ちょこっと紅白当時のものと変わってるみたい。
何だかうろ覚えのそれと比べて、誕生の際のやり取りに、曖昧だった家と土地の呪縛と母の執着が匂って、ずしんとなった感じがする。
実は紅白verの「とりあえずビール」みたいな「とりあえず」から始まっちゃうだらんとした感じも、それはそれで怖かったけど。
(ここらへんは、うろ覚えなので不確か。ちなみにそん時の感想は
>>30)
綺麗な唄のナレーションと、濁った方言の本編との距離感とか
「今日も」暖めてやるべ、みたいな含みのある台詞とか、
ダルマ連発の母の切羽詰った追い込まれ方とか、節々にまで気を込めた言葉遣いの妙に、ガクガクブルブル。
でも、この作品はそれだけじゃなくて、絵と音がとても効果的に使われてるんじゃないかと思う。
般若の顔にチラつく蝋燭の火は、山場への予感を補佐してるし。
母娘のやり取りにかかる音とオルゴールのタイミングも絶妙で、長話が続いて緩みそうな所に、アクセントと雰囲気を与えていると思った。
個人的には、母側の狂気みたいのに、説得力を感じてしまう。
「だるま」に拘るしか、逃げ場が無い感じがして、こっち側に共感してしまうっていうか。
光を当て鎮魂される犬娘の悲劇の影にある、娘を生んで、生かし、育て、否定し、絶望して、慰められぬ人間側の悲劇っていうか。
夫を取られたっつー妻としての敗北を知らされながら
同時に子を産めない、唯一産めたのは、っていう母としてのギリギリの存在意義と劣等感を燻られる感じ。
そこら辺って「良家のお嫁さんになる」のが絶対の女の幸せだった時代は、尚更きつかったんだろうなーと思うし。
根元から崩されていく感覚。時代背景を匂わせたのは、プラスだと思った。
そして、女としても、容姿や魅力で圧倒的に負けてしまってるのが苦しそう。絵でそう感じたのが凄いと思う。
白い肌に、綺麗な着物に、アニメっぽく描かれた事で出るこの世の物とは思えない「節子」っつーよりも「姫」に相応しい美しさみたいな感じ。
特に、白い吐息と舐めるようなカメラワークで表現された「大人になった瞬間」の
手足が生えて人となる願望とは裏腹に、妖女のようなかけ離れた何かになってしまった感じが凄いと感じる。
夫婦については、大雑把な陰影の付け方とか、全体的に不統一な感じとか、ちょっと動きがぎこちないかなーとか、
なんつーか重さとグダっとした感じはあったのだけど。
この伸び伸びとした感じで描かれた娘の美しさの前には、それすらも対比やギャップとして屈するっていうか。
特にあの肉感ある裸体は、八頭身モナーで培ったその実力を余すことなく発揮したのだと思う。
ただ、最後の影絵はセンセーショナルだけど、やりすぎかも。
12月16日
柔らかな温まる雰囲気。
それを形作っているのだろう、音と光が、ガラス細工のようで綺麗。
最初に不思議なオルゴールを聞かせて、そこから聞きなれた生活音へと移行して、それを消して無音にして、そしてまた、
といった音の構成に、持ってかれてしまった。
何時の間にかひょっこりと穴が開いたような欠落と寂しさに落ちる感覚と、それが埋まっていく感覚を、共有したような。
光の表現も見物だと思う。
電気の付いた部屋の現実的な明るさと、少女の夢の淡い明るさの使い分けとか、
バックライトと月に照らされた夜道の感じとか。
夕焼け空とそれを反射するドアと、誰も居ない感じの部屋の落陽の射し加減とか。
光を色々に映し取っている感じ。その豊かさが、うらやますぃ。
話も、心の揺れ動きを眉と瞳で、繊細に写し取っていて、こっち側にも伝わってくる感じだった。
なんか変化の前の揺れる感じが、じわーんと遠くから。
滞った空間の冷たさの後の、
スカートをなびかせ心を吹き抜ける軽快な風と、自動車の軽い振動によって滲むどきどきが、ここちいい。
途中の女の子の考え事の場面は、とても分かり易いけれど、そのぶん少しだけトーンが外れてる感じも。
はじまりの人へ(空蝉)
子供が産まれるのよ、三連続で、な怒涛のスケジューリング。
音の使い方が、この作品も凝っていると思う。
曲に沿って話が展開する歌詞方式で、音に身を委ねてスイスイと身軽に雰囲気に浸れる感じは
過去作で聞いたノスタルジックな曲に導かれ進む中で、少しずつ否定されていって。
現実風景の写真を下地にした平凡な一つの生の芽生えと、この世のものとは思えない背景を絵とした死の積み重ね。
どちらのパートもとても力強く思えるし、そこに施された仕掛けへの驚きも何だか凄い。
ただその両パートを繋げる、虚と実が転倒し錯綜する終部は、独立した作品だけで観るには辛いかも。
最後にパズルのピースが微妙に嵌らない感じ、驚きによる心の動きを感動に結べない感じが、もどかしかった。
幻想の元となる淡い想い出と、その対と為る悲恋の現実は、過去作を通して観ると輪郭がはっきりして、ずしんと来る。
時間の余裕のある時に、シリーズと関連付けて観るのを強くオススメしたいかも。
紅白当時はゲリラ的な趣向だったけど、この集大成感は体験しないと、すごく勿体無い。
ベラドンナ
落ち着いている内に記しておく。「紅」の字がちょっと画面から浮いていた気がした。いや、違った。気のせいだった。
わああー!UMAだー!UMAの来襲だー!この画面の構成に色彩に、色彩展開には度肝を抜かれたー!
前半部は、部分的に変化を重ねていって、後半部は画面全体を鮮やかに転換させてるんだろうか。
わー、よくわかんない。でも、前半みたいな変化の付け方は、なんだか衝撃だった。
なんか、モノクロの手すりに寄っかかるおねーさんと、タンクトップのおねーさんの、
画面そのものの主役は変えないで、少しずつ部分からシンボルを構築していって色を与えていって、
それが滲んでいくみたいに最後に写真その物を変質させるって感じは鳥肌ゾワゾワした。すげー構成。
こんなムズそうな曲に一つ一つ合わせているのも凄いし、それで緩急みたいな時間制御がされてる感じが凄い。
画面がとまっとる。静止している感じが凄くあって、映像の写真集みたいな迫力が。
それと蝶のはばたきやスライドする横の動きや、花が伸びる上昇の動き、終盤の鮮やかな変転は、それ自体の心地よさもあるけど、
あの快感が余韻として残るのは、画面全体での停や静や緩が幾つも散りばめられている為なのかもしれない。違うかもしれない。
中でも最もやられた場面はここ。
緩やかな間奏の最中、しずくが一粒、ぽちゃんと落ちる。すると、蝶たちが羽を広げ、舞い始める。
この同期っつーよりも、動と音の巧みな連鎖は、さりげないくせに、スーパーハイギガキャノン砲の轟きだった。
なんとまあ、甘美な色彩と構成で織られたFlashを目の当たりにしてのこの醜態。なにがUMA(未確認生物)だ。
say to do
クールでスタイリッシュで何処か大人な余裕のあるチョイ辛ファッション誌モデルのようなカワイサ。
(こんなのに疎いくせに浮かんでくる、なんとなくな嘘比喩にうんざりする)
縦と横のジグザクな感じの視点の楽しさと、
女性を映す縦方向への画面の緩やかな上昇と、横方向に線がスルリと滑り出す感じの交錯に、なんだかワクワクと。
出てくる文字も絞っていて、画面に彩を添えていて、
でも敢えて読んでみても何だかオシャレな雰囲気を崩さないそんな気遣いが、嬉しい。
でも、終り方が、曲の途中で終ってしまう感じは仕方無いにしても、
作品本編とかなりタッチが異なるギコ絵の締めに、余韻の消化の仕方に戸惑ってしまった。
それと横に幅を取ったワイドな画面は作風にとても合っていると思うのだけど
そのシャープさと画面の広がりを、下の親身ながらもゴテッとしたメッセージ諸々が少し薄めてしまってる感じがした。
なんだか窮屈そう。作品本編以外の所で、損をしてる感じがする。対戦相手とはその点、対照的なのかも。
たとえば、上京してきたモデルの一世一代の晴れ舞台に
故郷から応援に駆けつけたおっかさんが、ドテラ姿で懸命に三味線をジャンジャカ鳴らしながら
純真な笑顔でリンゴを一心不乱に配っているようなそんな感じ。泣ける。
紅白団
チャレンジブルに思えたのが、けっこうな数のキャラを同一画面に置いた掛け合い。
手下3人は三身一体みたいな感じで一組と数えても、3人以上のやり取りって滅多にない感じがする。
お笑いでもピンとコンビが大部分を占めて、トリオになるとガクンと減っていく気がするし
Flashでも、複数のキャラが出てきても、大抵は入れ替えで場面上では1対1の対談方式となるのが主だった気がするし。
同時点での多人数の話し合いって只でさえ活用しにくい難しめなジャンルなのだろうし、
声色で発言主を識別化しにくいし短編っぽいFlashの場合は更にハードルが高いんかな、と思ったりする。
それを違和感無く可能にしている工夫は、確かにあるように思えた。
テキスト量を多く取りながら、前作との関連を用いて多数のキャラ紹介にかける行数を省いていたり、
更には吹き出し+クリック形式でキチリと進行を確認させることで、タコ足配線のようなもつれや分かり難さを無くしてたり。
中身は、ふとすると黒ネタギリギリで濃ゆい感じで重ためだけど、暴走する黒リーダーとヤバイ紅白側の両陣営を前にして
一般人代表な子分たちがかなり頑張ってそれらにツッコンで茶化していて、軽快さを保っているように感じた。
それでいて茶化しきって笑いにしながらも、後半でウエイトを占める「死者」をとても上手に調理している辺りは、
作品に流れる情念みたいなものを感じたり。
ただ、全体を通してやや抑揚が薄く雰囲気が寂しく思えたのは、音が流れない沈黙の間が意外に多かった為なのかも。
けれど、それは黒団が敢えて紅白で叫び続けた、何か足りない物足りなさなのかもしれない。
あのエンディング曲(KOKIA、「ありがとう」、あの有名な黒フラで使われてたり)を楽曲として流して、
スタッフロールに繋げるってのは、余りにも無謀な遠い、でも魅惑的な夢。
2ch 2004年史〜ω04
音との軽妙な一体感とメリハリは、効果音を曲と融合させることで、より強化されたと思う。
暴力的とも思えるぐらいの切れ味が。2chらしくもギリギリの線の快楽?
これも前作あってこそ成り立つ、かなりのチャレンジだと思う。
この2004年の回顧録のような作品。今年の3月になって改めて観てみたら、もう既になんだか懐かしい。
あの強烈なスピードで流れる白黒は、まるで走馬灯のようにも思えた。
通り過ぎていった数々の熱気の足跡。ヨン様でも、今年の年末まで、果たして2chで、いや日本で生き残っているのか。
なんつーか、えと、地の底のほうからごわっとなんかが噴き出してきて、それがパッとスポットライトに照らされると、
ぐわわっとどうしようもないくらいに眩しく煌めいて、それが列というか筋になって流れていくようなそんなイメージ。
そんな所に息していたんだなー、って。
と何かポエミーな感じに。既に赤面ものだが、三ヶ月後に万が一読んでしまったら、確実に切腹ものになるだろう。
水道
ただただコップを持って蛇口を捻るだけの見慣れた光景のはずなのに、
絡みつく感じの密着した極度のアップとカットの繋げ方で撮られると、異世界の儀式みたい。
それでいて、ドアップにも負けないくらいに、描き込みも凄くて、
顔の加減とか指のしわの感じや産毛とか、なんかリアルで、すげーと思ってしまう精緻さ。
効果音や音の使い方も雰囲気を出してて、独特の生活臭がした。キュッ…、キュッキュッとか。
あのコップの中のちょっと古めのトレンディドラマみたいな抜き加減も、なんだかシャレた雰囲気。
今度、蛇口を捻る時、この作品を思い返しながらニヤニヤしてしまいそう。
作品投下時に添えられた考えさせられる長めなコメントにも味があるけど、
最初の「水道とは〜」の鋭いユーモラスな前振りだけで、入っていくほうが好みかも。
ウシガエル
どこかで夢に描いていた重戦車やペット型機械と、懐かしい昭和風な建築物と空気に、そこに生きる人と動物が、
ごちゃまぜに一所に詰め込まれ、脈打つこの街は、とても魅力的に映った。
その探索の友となる小さな侵入者のネズミと、そこにごろんと寝そべる番犬のイヌ。
そんな室内という秩序ある空間に、新たな門番としてウシガエルが持ち込まれる所から旅はスタート。
害チュー(うーん)たるネズミを駆除しようとウシガエルは、めちゃくちゃ頑張って、天敵をがんがん追い詰めていく。
しかし、その熱心さの余りに部屋と静けさまで壊し始めた彼の暴挙に、さすがのイヌも黙ってはいない。
その体当たりはネズミを助けると共に、なにが侵入者でそうでないのかを判断する、門番同士のせめぎ合いにも見えた。
そして、初めは怖くもあったウシガエルの執拗さが、その盲目さの余り、どんどんとコミカルに。
イヌとネズミ達の活躍(逃げるだけ、というのはとても正しい選択だと思う)によって
ウシガエル達はむしろ人間と社会に危害を与える害虫と判断され、そして人の手によって、より大きな力で駆逐されていく。
なんて笑えながらも、悲哀をほんのり漂わせる世界の規律なんだろう。
ウシガエル達は、メカでありながら動物の形をして、とても躍動的に動いていた。
だから生き物達のルールに自然と組み込まれる不思議な楽しさがあるし、却ってその差が浮き彫りになる哀しさがある。
この世界の微妙な共存の面白さは、風景や取り合わせだけではないように思う。
ところで、ユニークなウシガエルと平凡なイヌの双方の門番のうち、
イヌへと自然に感情移入したのは、単にネズミの敵/味方だけだったわけでは無さそうに思えた。魅力ある世界の見方。
それはデータと種で存在の正否を判別するウシガエルの機械特有の冷たさに対する
ネズミの愛らしさ、それは一つ一つの仕草や表情、に動かされたイヌの温かさからではないか。ソロバンな世界の。
ただ、物語のアクロバチックな山場では、ウシガエル達の動的な迫力の圧倒の前に、
そうしたイヌとネズミの動きの細やかさや温かさが、後景に退いてしまった感じが少しだけ残念な気がする。
動物や人間、生き物だからこその、導入のネズミで見せたような生きた軽くて柔らかくて小さな動きを、もう少しだけ観てみたい。
これは「装脚戦車の憂鬱」の特に終盤と比べると大きく変化しているようにも思えるし、余りに贅沢な欲求なのだろうし、
完全に個人的な好みなのだけど。
おつかれさまでした!
長文感想、かなりふむふむと思いながら読ませて貰いました。
こういう思ったことをかけるひとってスゴイです。本気尊敬します。
>>159-160 作者以上のことを考えられてますね。
技術でなく内容面の感想は非常に貴重です。じつに参考になります。
ありがとうございました。
なるほどね
ウシガエルの夜杜ク□氏のHP消えてる…