【食育】玄米菜食のマクロビオティック7【ロハス】

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・最近の食の急変
 江戸時代ごろから白米を食べる人が増えはじめた。白米にすると脚気という病気になる。
 明治時代に農業改革が進み、米の生産量は著しくあがり、白米を食べるようになった。
 それにつれて、脚気は明治から大正にかけて死亡原因の上位を占めていた。
 シカやイノシシ、オオカミは、明治10年代以降の乱獲などで激減。
 >10年後の日露戦争では戦死者が4万7千名出ましたが、
 >脚気死者が2万7千8百名も出てしまいました。
 http://www.bl.mmtr.or.jp/~shinjou/kakke.htm
 >中でも軍人の体格が問題になり、時の総理、伊藤博文は食事に起因するとして洋食、特に肉食化を提案した。
 >かくして、明治政府の思惑は外れ、すき焼き、豚カツの他にあんパンが生まれた。
 >だが、敗戦とは本当に惨めだ。食糧不足も手伝っただろうが、たった一冊の本が国民のパン食にはずみをつけてしまった。
 >魚も同罪であった。イワシやサバは多価の不飽和脂肪酸を多く含む。
 >今日では健康によいとして注目されているが、その当時はこのことが災いして批判の的になった。
 http://www.nrifs.affrc.go.jp/news/news19/nisioka.htm

 >こうして学校給食は「パン食普及」の最前線となっていく。
 >「栄養改善運動」という粉食奨励のための一大キャンペーンであった。
 >厚生省ばかりでなく、農林省、文部省が協力し、日本栄養士会もこれを支えた。
 >「栄養改善運動」の旗振り役を努めた厚生省栄養課長(当時)の大磯敏雄もまた、自著『栄養随想』で米は貧乏につながるから、
 >日本人は「米とのきずなをどこかで断ち切らねばならない」とまで書いている。
 >「大正時代には日本人の九五パーセントが和食でした。
 >これが六五(昭和四〇)年ごろに和食・洋食・中華が三分の一ずつとなり、 その割合は今日までほとんど変わっていません
 http://blog.livedoor.jp/planet_knsd/archives/cat_1501991.html
 戦後、1954年(昭和29年)あたりから小麦を輸入しだしたけど、小麦の消費量は現在まで大きく増えてはいない。
 増えたのは乳製品20倍、肉10倍、卵7倍、油などは急激に消費量があがった。
 http://homepage2.nifty.com/smark/KomugSen.htm
 肉の消費量は1947年2.1kgから1960年6.8kgで3倍以上になっている。
 1960年から2002年では、米が1日約2合だったのが1合と食べる量が半分になったかわりに、畜産物が5倍、油脂が3.7倍ぐらいになっている。
 http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamashita/06.html
 食料自給率は低下している。油や餌など輸入に頼る食べものが増え、1965年には73%だったが、1998年には40%にまで低下している。
 1972年(昭和47年)の100歳長寿者などは戦前の和食で育った人でしょう。