放駒理事長に『八百長部屋は師匠も含めて追放して出直すべき』とまで進言していた
らしく、それが北の湖親方や九重親方らの理事辞任にがったと見られている」(スポー
ツ紙相撲担当記者)
これが“鳴戸糾弾”ムードの起爆剤となった。
「鳴戸親方に厳しい処分を求めた親方衆の多くは、現役時代から注射力士だった者が
多く、八百長問題で処分された親方もいる。稀勢の里にまで処分を求めるのは、そうした
怨念があったからだ」(相撲協会幹部)
そうした“八百長派”の反攻は、確実に鳴戸親方を苦しめていたようだ。鳴戸親方の知人
が語る。
「週刊誌に報じられた疑惑について、親方は“強い力士を育てるためだ”という信念を曲げ
なかった。協会の聴取でもそう説明し、『これでは、まともな弟子も育てられない』とこぼし
ていた。ただし、稀勢の里が暴行に加担していたことは頑なに否定していました」
“度を超したかわいがり”を是とする鳴戸親方の認識の甘さは否めない。だが、この知人
の証言からは、「稀勢の里に累が及ぶことはあってはならない」と考えていた様子が読み
取れる。
※週刊ポスト2011年11月25日号
http://news.biglobe.ne.jp/sports/1114/sgk_111114_2181269335.html ( 終わり )