1 :
待った名無しさん:
北デブと一時代を築くも、後半はスタミナ切れして胸を合わされての
寄りに敗れていた人間バカ輪島を語ろう
2 :
待った名無しさん:2009/07/22(水) 13:50:31 0
野月はゲイ
3 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 17:11:28 0
という印象は、北の湖や高見山といった巨漢相手を除けば、最晩年の話。
30歳くらいまでは、若三杉(若乃花U)に対し、左四つがっぷりから吊り寄り、投げで力勝ちしていた。
4 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:03:31 O
深浦のローション
5 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:11:52 0
矢内のクリ
6 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:12:44 O
マグロwww
7 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:16:32 0
ゴールデンアームボンバー
8 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:18:37 O
ワジー
9 :
待った名無しさん:2009/07/26(日) 18:21:23 O
全日本女子バレーで一番好きな選手は?PART2
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/volley/1194154909/ 828 名無し@チャチャチャ 2008/01/04(金) 16:37:19 ID:fdI+i1MN
ごめんなさい。
もう書き込みやめます。
828 名無し@チャチャチャ 2008/01/04(金) 16:37:19 ID:fdI+i1MN
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828 名無し@チャチャチャ 2008/01/04(金) 16:37:19 ID:fdI+i1MN
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
10 :
待った名無しさん:2009/07/27(月) 13:05:05 0
輪島は稽古が少なく才能勝負だったから、年とるにつれスタミナ切れが
目立つようになった
北の湖が「輪島関はなかなか左下手をとらせてくれないが、取って腰を
密着させて寄るのが効いた」とインタビューで応えている
11 :
待った名無しさん:2009/07/27(月) 14:04:20 0
タイガージェットシンとのデビュー戦はワロタ
12 :
待った名無しさん:2009/07/27(月) 14:14:06 0
馬場がいすを投げつけられたやつか
13 :
待った名無しさん:2009/08/05(水) 13:28:17 0
輪島ほど新聞記事や相撲本で寄りで敗れている写真が多い力士はいない。
それと輪島が寄り切られる時、やや天を仰ぐように口をあけ「あぁ〜」って
感じの惚けた表情がたまらん。
14 :
待った名無しさん:2009/08/05(水) 21:48:08 O
黄金のたれ
15 :
待った名無しさん:2009/08/05(水) 23:23:53 O
里見の膣
16 :
待った名無しさん:2009/08/06(木) 23:13:12 O
澤田のつくし
ようつべの動画とか、少ないね
10個ぐらいしかない
1980年ぐらいだったらもっと見れそうだが
18 :
待った名無しさん:2009/08/11(火) 11:42:19 0
大関に上がる頃は、貴ノ花とは水入りのものすごい大勝負を繰り広げていた。
今の感覚の相撲ではなく、なんか輪島vs貴ノ花という競技みたいな、鬼気迫るものだった。
ほんと、もっと稽古してれば、優勝三十回はいったんじゃないかなあ。
19 :
待った名無しさん:2009/08/11(火) 14:10:07 O
塩をよく舐める人だったな。
取組直後のコメント
輪島「塩を舐めすぎてノドがカラカラだ」
20 :
待った名無しさん:2009/08/13(木) 02:12:23 O
露払い 三杉磯
太刀持ち 荒勢
21 :
待った名無しさん:2009/08/13(木) 22:01:45 0
昭和46年1月場所、横綱玉の海、露払い輪島、太刀持ちはたぶん二子岳だったと思う。
貴ノ花、大鵬戦での負傷で休場のため6日目から貴ノ花のピンチヒッターで同門の輪島となった。
この場所入門7場所目で大銀杏も結えずちょんまげの新入幕輪島のコメント
「急に言われました。横綱(玉の海)に(土俵入りの)作法を教えてもらいました。自分の取り組みより(土俵入りの方が)緊張しました。」
卒業論文
輪島博
おわり
23 :
待った名無しさん:2009/08/14(金) 00:31:07 O
私が大相撲に興味を持ち始めたのが昭和54年頃で
このとき既に輪島は衰え気味で横綱戦となると
北の湖、若乃花、三重ノ海に落ちる相撲ではなく寄りで力負けしてたのを覚えています。
増位山の足技にも土俵中央で転がされて体が硬直したように顔を歪めて
『しまったー!やられた』という表情が今でも忘れられません。
そんな衰えた輪島を見てただけに昭和55年の九州で優勝した時は嬉しかったです。13日目に北の湖に勝ったのも初めて見て
凄い興奮したのが記憶にあります。
24 :
待った名無しさん:2009/08/14(金) 08:33:10 O
12勝2敗1休っていう時の優勝があったな
25 :
待った名無しさん:2009/08/14(金) 20:41:21 O
輪島大士伝説
記者「横綱、下の名前はどう書くんですか?」
輪島「俺の名前は大きいに土って書くんだ」
記者「何人きょうだいですか?」
輪島「きょうだいはいません。妹が一人です」
本人は、きょうだい=兄弟だから兄と弟はいないと言いたかった模様
引退後に北の湖についてコメントを求められ
「私にとって彼は宿敵のライバルでした」
(誤)宿敵のライバル
(正)宿命のライバル
同じく引退後に"輪島さんにとって横綱とは?"と聞かれると
「かけがえのない人でしたねぇ」←人って…?アンタ本人だろ!
その他…
・小切手に書かれた金額の0の数が5つ以上になるとわからなくなる
・売上と利益の違いがわからず、経営してたちゃんこ店のレジからその日の売上金を鷲掴みにして銀座へ直行し散財。店を速攻で潰した
など
26 :
待った名無しさん:2009/08/14(金) 22:23:09 0
輪島大士伝説
「好きなものは?」と聞かれ、「さちこめんたいこ」と答える。
(辛子明太子の事だと思われる)
場所の初日。
アナ「幸先の良い白星スタートとなりましたね」
輪島「初日を終わって全勝がいなくなったからな、優勝できそうだよ」
27 :
待った名無しさん:2009/08/15(土) 15:04:23 0
要するにバカなんだな。相撲は巧いが。だがスタミナがなく胸を合わされての
寄りには弱い。
28 :
待った名無しさん:2009/08/15(土) 16:07:24 O
>>25-26 おもろいな。他にはないの?
それの長嶋茂雄や佐藤藍子のバージョンみたいな発言をまとめたサイトがあったら紹介たのむ。
>>27 あなたはヤボな人だね。
輪島さんや長嶋さんみたいなタイプの人は「バカ」とはまた種類が違うんだよ。
32 :
待った名無しさん:2009/08/16(日) 10:16:52 0
・九州場所での花籠部屋の宿舎「ピネオ荘」について聞かれて
「ピネオ荘の『ピ』はパピプペポの『ペ』だよ」
・思わぬ黒星に
「オレのコンピュータも時には曲がるさ」
33 :
待った名無しさん:2009/08/16(日) 10:57:06 0
輪島といえば黄金のゆるふん。若い時は水入りした後、ゆるふんを利用して
大概勝っていた。犠牲者は貴ノ花や大麒麟等枚挙に暇がない。大麒麟は露骨
に文句を言っていた。
>>24 貴ノ花の執念というか怨念だな。全場所から完璧な相撲を続けていた
27連勝目の相手はかつてのライバル貴ノ花。その相撲で右手人差し指と
中指の間を3センチ切り裂く大怪我で6針縫う羽目になった。翌日は右手を
使えないまま北の富士に惨敗。連勝が止まったとともに大横綱になる運気も
失った。
>>26 その他、47年大晦日のレコード大賞で最優秀歌唱賞を取った和田アキ子に
白と黄色の菊の花束を持って祝福にかけつけたこともある。またとある大雪の日
に「部屋から阿佐ヶ谷駅まで5キロも歩いた」と報道陣に話すと、記者から「
駅まで500メートルくらいでは」との突っ込み。それに応えて「だから5キロ
と言った」と真顔で切り返したこともある。
>>32 「ピネオ荘」じゃなくて「ピオネ荘」だったはず。
日大受験のときに高校の担任から
「いいか輪島、受験番号と名前だけは書き忘れるなよ」
借金のゴタゴタで相撲界を去ることになったとき、借金取り(ヤクザ)の一人がこう言った。
「あいつは学士様やろ。中卒の俺よりものを知らんとはどういうこっちゃ」
37 :
待った名無しさん:2009/08/17(月) 01:13:08 O
怒り肩
38 :
待った名無しさん:2009/08/19(水) 23:20:15 0
>>32 飯ふいたじゃねえかよ、バカww
他にもこんな輪島伝説がある。
「横綱は本名で相撲を取られていますが、改名する予定はないのですか?」
「馬鹿いうなよ。相撲取るときはしこ名で取るんだよ。本名でなんか取っていないよ」
「横綱はあまり本を読まれませんが、お好きではないのですか?」
「そんなことは無いよ。朝日新聞は毎日読んでいるよ。」
____
/ ,------\
/ < o° )
( ノ ━ ━|
(6. <・) <・)
ヾ、 , db |
ヽ( ∈∋ノ < 一見バカに見える珍種、というなら宇野勝氏も加えていいのではないでしょうか。
\__/
>>38 ____
/ ,------\
/ < o° )
( ノ ━ ━|
(6. <・) <・)
ヾ、 , db |
ヽ( ∈∋ノ < あまり調子に乗ってコピペを続けては、ろくな目をみませんよ。
\__/
衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ
民主が国政第一党になる
↓
公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立
↓
国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進
↓
人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる
↓
国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増
↓
在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅
↓
日本乗っ取り完了
「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索
42 :
待った名無しさん:2009/09/04(金) 13:23:49 0
輪島は相撲は巧い だがたしかにスタミナがなくがっぷりでの寄りには
弱かった 足腰がいいから転んで負けるより寄られて負けるほうがマシだと
思ってたんだろ
43 :
待った名無しさん:2009/09/04(金) 14:18:53 O
右のしぼり
44 :
待った名無しさん:2009/09/04(金) 20:37:27 0
輪島の金に対する無頓着ぶりは、琴錦の下半身の無頓着ぶり、千代大海の八百長に対する無頓着ぶり
そして豪風の外見の無頓着ぶりに匹敵
北の湖曰く
「みんな輪島さんのことを『黄金の左』って言うけど、本当は『黄金の右』なんです。
右からのおっつけ、絞りが強烈で腰を伸ばされる。そこで左から投げがくるから残せないんです。
逆に輪島さんの左は強いと思ったことはないです」
46 :
待った名無しさん:2009/09/04(金) 21:21:11 O
輪島語録でこれも有名 「きょうだいはいません。妹がいます。」
47 :
待った名無しさん:2009/09/05(土) 07:44:32 0
それって功一?
48 :
待った名無しさん:2009/09/05(土) 11:01:16 0
>>45 北の湖は昭和49年名古屋がトラウマになっているんだよ。右のおっつけ
は強かったかもしれんけど、あの場所で本割、決定戦での左下手投げに連続
で斬られたのはおっつけはあまり関係ない。無理に寄って行って、それをうまく
利用されて体をかわし気味に左下手投げを打たれた。腰が伸びていたとしても
おっつけで浮いていたというのだはないだろう。単なる負け惜しみに聞こえる。
>>42 若い頃はスタミナも万全だったよ。輪湖鼎立時代以降は単に歳を取って
スタミナがなくなっただけ。もともと稽古をする方でなかったからスタミナに
関する衰えは早かった。
49 :
待った名無しさん:2009/09/14(月) 01:47:33 O
輪島の破天荒なスタイルは昭和最後の大横綱
50 :
待った名無しさん:2009/09/14(月) 01:57:14 O
日大同期の佐藤道郎(南海→大洋)にいつもシバかれていた
51 :
待った名無しさん:2009/09/14(月) 02:02:56 O
>47
横綱輪島の発言
辛子明太子を さちこめんたいこ(幸子明太子)と読み間違い
52 :
待った名無しさん:2009/09/14(月) 02:45:22 0
悪いがスレタイは的はずれだと思う
『「寄りには弱い」』も『大横綱』も
53 :
待った名無しさん:2009/09/14(月) 17:31:30 O
才能のある横綱でしたよね
ちょっとやり方が汚いが
まあいいだろう
55 :
ハッマGo!Go!:2009/09/16(水) 21:48:06 O
ちなみにハッマは輪島のファンでした。老いぼれとか言わないでくれよ(^^)
あっ忘れるとこだった
Go!Go!です
56 :
待った名無しさん:2009/09/17(木) 14:53:45 0
大横綱はちと疑問だけど、たしかに相撲の本や過去の新聞記事からすると
「がっぷりになって寄られると弱い」ってのは感じるな。
あとバカってのは当たってる罠w
57 :
待った名無しさん:2009/09/17(木) 15:11:02 0
高見山を苦手にしてたが、やっぱり寄り切りで負けたのが多かったかな
58 :
柳川仮面:2009/09/17(木) 17:19:19 O
輪島は喉輪や張り手を苦手にしており
高見の喉輪によくやられており増した。
高見山(押し倒し)輪島 高見山(上手投げ)輪島 です。
60 :
待った名無しさん:2009/09/20(日) 23:49:32 0
昭和53年名古屋13日目の若乃花を下手投げで勝ったのはカッコよかった。
14日目の北の湖戦、水入りの後北の湖の頭を押さえつけた上手投げの後下手投げを打ち返すか
右おっつけで仕留めてほしかった。
スタミナ切れもあっただろうがガップリになられ万事休す、北の湖の寄りに屈した。31年前やけど残念。
豊山にやられる輪島に萌えていたあの頃
62 :
待った名無しさん:2009/09/30(水) 16:02:16 0
輪島は小兵には吊りとかを多用し強かった 高見山みたいなデブ系突っ走って
くるタイプは苦手だった あと胸を合わされての寄りには弱かった
と言っても、双葉山、大鵬、千代の富士、北の湖、玉の海、朝青龍、白鵬に
次ぐ史上8番目の強豪横綱だと思う。
(この種のランキングでは、栃若が上に位置付けられることが多いが、とんでももない、輪島が上)
ここで貴ヲタが一言
↓
貴乃花は9位。優勝回数の比較ではなく、勝負勘、技の切れなどの点で輪島が上位
>>61 漏れは、小兵に強いのに何故か北瀬海には苦戦していた(7−3)輪島に萌えた。
>>65 10位は誰かな? 栃若、北の富士、佐田の山、曙、武蔵丸あたりの争いか。
67 :
待った名無しさん:2009/10/29(木) 15:29:53 0
輪島は貴ノ花戦以外は水入り相撲は全敗。やっぱり持久戦に弱い スタミナがないのは
否めない。大抵、絞りを諦めて胸を合わされて万事休す。寄りに敗れていた。
特に北デブとの昭和53年7月の対戦、輪島が投げを打っても寄っても北デブが
ほとんど動かず、輪島が北デブの肩越しにアゴをうずめて「あぁー疲れたぁ もうダメェ」
って表情をするのが萌える。 輪島がため息をついた途端、胸を合わされお約束の寄り
。寄り切られる瞬間輪島が天をあおいで「あぁー」って感じの表情するのがたまらん。
輪島の下手投げで秀逸なのは52秋若三杉かな。
全場所全勝ながら?気の抜けた相撲をとっていた輪島が見せた豪快勝ち相撲。
腰に若三杉が完全に乗って吹っ飛んだ。
69 :
待った名無しさん:2009/11/10(火) 00:05:31 O
輪島の萌えコメント
昭和55年3月北の湖との長い相撲の末寄り切りで敗れ「ああ 疲れた。精根尽きたよ」
70 :
待った名無しさん:2009/11/10(火) 20:22:28 0
昭和52年名古屋の若三杉戦。
若三杉が頭をつけていい形になったところ
輪島がしばらく上手を探るとみせてからの右おっつけで
若の体をぐいと浮き上がらせてつり出した一番は
輪島のおっつけの威力を見せ付けた名勝負だったと思う。
71 :
待った名無しさん:2009/11/11(水) 12:23:37 O
>>65 勝負勘や技のキレなら、若乃花(勝)でもランクインする
優勝回数の比較じゃないなら、それこそ貴乃花は上に評価
せざるを得ないだろ。本格真髄の力士として
72 :
待った名無しさん:2009/11/11(水) 16:01:28 O
張り手に弱い輪島。三重ノ海浮上のきっかけとなった52年11月もさることながら
晩年の貴ノ花にも張り手食らって負けたことある(54年9月)。
73 :
待った名無しさん:2009/11/11(水) 16:27:03 O
晩年、信じらんない相手に負けたケース。
@55.7魁輝戦
A55.9増位山戦
B引退直前のトーナメント北天佑戦
74 :
待った名無しさん:2009/11/11(水) 17:08:50 O
この見出しも萌える
昭和五十一年九州
「輪島昇天。熱戦大相撲の末輪島力尽きる」
北の湖 寄り切り 輪島
>>73 55.3黒瀬川戦の輪島に喝や! 右差し左おっつけで一方的に寄り切られた。
北天佑は豪快な吊りだったな。
昇天ってw
77 :
待った名無しさん:2009/11/12(木) 07:34:23 O
朝青龍ほどではないが、輪島も横綱になってからは初顔に強かったな。
記憶では金城に初顔から2連敗喰ったくらい?
琉王に押し出された輪島も喝!
大錦には1つ勝った後連敗、その後対戦が遠のき、1つ勝って終わった。
麒麟児に2つ勝った後5連敗したのはいただけない。
79 :
待った名無しさん:2009/11/13(金) 07:25:18 O
>>77 そしてそれが金城にとって生涯唯2の横綱戦勝利であった。
80 :
待った名無しさん:2009/11/20(金) 23:26:10 0
輪島21−15貴乃花 輪島18−6若乃花B 輪島17−17白鵬
朝青龍18−10輪島 小錦20−13輪島 武蔵丸18−14輪島 曙18−3輪島
81 :
待った名無しさん:2009/11/21(土) 01:34:35 0
輪島0-1玉の海 輪島5-7勝昭 輪島7−6琴桜 輪島23-21北の湖 輪島6−1千代の富士 輪島27-14三重ノ海 輪島19−14若乃花(間垣) 輪島10-1隆の里
輪島10-2清国 輪島13-3大麒麟 輪島8-2前の山 輪島29−4旭国 輪島30-8増位山 輪島18−2大受
輪島8-3琴風 輪島6-2朝潮 輪島31-18貴ノ花 。
82 :
待った名無しさん:2009/11/21(土) 18:43:23 O
47年頃の貴ノ花との大相撲の末吊りだした相撲と53年の北の湖に寄り切りで敗れた相撲 この水入りの二番最高
83 :
待った名無しさん:2009/11/21(土) 18:45:54 0
52年春の北の湖との水入りの末負けた相撲も最高。
負けて絵になる数少ない力士。
84 :
待った名無しさん:2009/11/23(月) 20:32:39 O
「ああ〜」って表情な 寄り切られる時の。もう精も根も尽き果てたって負け方がイイw
85 :
待った名無しさん:2009/11/23(月) 20:55:12 0
塩を舐める仕草が何とも勝負師っぽくて様になってた。
味のあるいい横綱だった。
86 :
待った名無しさん:2009/11/23(月) 21:23:53 0
魁皇との対戦は見てみたいな。
でも魁皇相手だと案外左四つよりも右四つ狙いで行くかもな。
輪島はバカだけど、相撲に関しちゃ色んな型に対応できるからな。
87 :
待った名無しさん:2009/11/23(月) 21:41:53 O
横綱の化粧まわしが
よく似合う人だった
88 :
待った名無しさん:2009/11/23(月) 22:48:04 0
今日の中入り昭和53年11月場所の映像で輪島の一番がなかったのは残念だった。
若乃花には水入りで敗れて優勝は逃したけど勝った相撲内容では若乃花よりよかったといわれた。
輪島の前半戦の磐石な相撲を一番でも映してほしかった。
89 :
待った名無しさん:2009/11/25(水) 10:35:18 O
水入り相撲ではほぼ全敗先に疲れアゴがあがってしまう 特に30過ぎてから北の湖や若乃花にそこを見透かされ持久戦に持ちこまれて敗れたな。輪島は吊りが多かったが逆に吊りだされる相撲に萌えたなぁ
90 :
待った名無しさん:2009/12/06(日) 09:14:58 0
>>81 これはこれすごいね
大関横綱総当たりでも余裕で10勝以上できるという・・
そら、そうよ。史上8位にはなる強豪やからのぅ
92 :
柳川仮面:2009/12/06(日) 13:51:50 O
まあ、清原みたいなもんで乱れた私生活で無ければこんなもんじゃあ無かったよ!
高鉄山も「14回しか優勝していないのが不思議なほど強かった」と書いてたからな
人間性についてはボロクソだったが
もし玉の海が健在だったなら輪島も壁にぶつかってもっと稽古をしてもっと強くなっていたかも知れない
95 :
待った名無しさん:2009/12/06(日) 18:50:14 O
輪島は最晩年の玉の海と対戦し寄り切りで敗れている
>>28 ある都市に巡業に行ったとき、宿舎にて
付き人「横綱どこにいってたんですか?探しましたよ」
輪島「いやー、駅に着いたはいいが、なかなかタクシー捕まえられないから
歩いてきたんだよ。5kmはきついな(笑)」
付き人「・・・あの、駅からこの宿舎まではせいぜい500mくらいですよ?」
輪島「だから5kmじゃねーかよ!500mだろ」
>>45 輪島本人も引退後、「相撲」で同じ事言ってる。
左の握力はせいぜい70kgくらいだったが、右の絞り・ひねりとセットで
左下手投げを打っていたから相手に効いたのだと。
>>73 Aは増位山の伝家の宝刀、内掛けを食らって腰が砕けた
>>93 確か土俵中央で内掛けが決まって輪島が
『あちゃーしまったー!』っていう表情で顔をしかめてて
しばらく倒れた同じ態勢で硬直してたやつですね
>>99 翌日のスポーツ紙その他の見出しが
「輪ッ!島ッた! 二敗目」
結局この場所は11勝4敗で終わり、場所後結婚を控えた若乃花が最後の優勝
昭和55年初場所初日の増位山戦、外掛けでひっくり返された相撲もショッキングシーン。
よろよろと下がりながら落ちていった・・・
103 :
待った名無しさん:2009/12/08(火) 00:16:39 O
昭和51九州 北の湖との結びの優勝かけた一番、長い相撲の末スタミナ尽きた感じで寄り切りで敗れた 輪島は胸を合わされて寄られると一度は残しても二度めの寄りは残せない事が多い
105 :
待った名無しさん:2009/12/09(水) 22:01:53 O
新横綱の場所、北の富士との横綱対決、気合い空回り 上手を許しいい所なく寄り切りで敗れた
次の場所は貴ノ花を高々と吊り出した 萌えぇ
106 :
待った名無しさん:2009/12/12(土) 10:28:38 O
51年5月場所 対北の湖戦 本割は長い相撲の末輪島が絞りを効かせて堂々寄り切って勝つ。決定戦となり四つ、北は頭をつけて寄る、輪島はなんとか残したが北の再度の寄りに力尽きたように土俵を割った。
しかし翌場所の東横綱はなぜか輪島のまま
>>107 決定戦の勝敗は番付に加味されないから。
平成9年までこの制度は続いた。
そう、その改悪がなければ、白鵬は永遠に東横綱だもんね。
オイこそが111へと〜
112 :
待った名無しさん:2009/12/13(日) 22:01:43 0
輪島にスタミナ不足のイメージがあるのは、年取ってからの北の湖戦がクローズ
アップされるから。全盛期はそのようなことはなかった。むしろ5歳も若い
大横綱北の湖に、かなりの間立ちはだかったのはすごいと思う。
いつだったか土俵中央で、切り返しで北の湖に勝った相撲は強烈に覚えている
(翌日の新聞の見出しは「神技})
113 :
待った名無しさん:2009/12/14(月) 12:23:55 O
輪島が特に北の湖との相撲でスタミナ切れで敗れたのは昭和51九州が最初だな 水入りで勝ったのは47年の貴ノ花戦だけで他は全敗だ
昭和55年夏場所12日目だったか、あの琴風戦がある限り、輪島はスタミナ不足ではないべ。
115 :
待った名無しさん:2009/12/17(木) 20:40:36 0
小学生の時、福岡の宿舎前でサインをしてもらった。 私が間違って赤のマジックを
差し出すと、「赤は死んだ人が書くんだよ」と教えてくれた。 黒でサインをして
もらった後、ニコニコしながら私の肩をポンと一つ叩いてくれた。嬉しかった。
さすが大卒だと思った。
116 :
待った名無しさん:2009/12/17(木) 20:45:09 0
公衆電話どうしで話していて、相手が「ああもうすぐ電話が切れる」と言ったら、
輪島は「こちらから10円入れるから大丈夫だよ」と言った。
>>114 覚えてるわ。輪島がんばるなあ、と思った相撲。
終わった後、しばらく二人とも立ち上がれなかったよね。
118 :
待った名無しさん:2009/12/22(火) 00:59:24 O
輪島は北の湖との相撲について「あの太鼓腹で寄られるとたまんないのよ」と発言してるがどういう意味だろ
輪島と栃錦は同じぐらいの強さなんだろうな
なんとなくだが
120 :
待った名無しさん:2009/12/22(火) 06:15:21 O
121 :
待った名無しさん:2009/12/22(火) 18:42:27 0
>>121 いや、あの・・・
君墓地とかにいったことある?
123 :
待った名無しさん:2009/12/26(土) 00:44:45 0
北の湖「輪島関はもう落ち目ですよ。」
輪島「北の湖はまだガキだろう。」
輪島が高見山を苦手とした原因の一つに、高見山の体重のかけ方が変則的だったことが挙げられる。
普通は寄るときに差し手の方の足(左四つなら左足)に体重をかけ、差し手の側に体を寄せて寄るのがセオリー。
その方が相手にかかる圧力が増し相手の逃げ場もなくなり上手投げも打ちやすいし、といいことづくめだからだ。
ところが高見山は左四つなのに右足に体重をかける癖があった。
それゆえに右おっつけを駆使しても攻めるのが軸足側ではないので相手の重心が浮かない上に、
左から投げを打とうとしても体重をかけられているので重くて動かない。
そのあたりが相性の悪さにつながったものと思われる。
高見山が北の湖にまるっきり通じなかったのも同じ理由による。
体重のかけ方がセオリーと逆なので実際の体重以上に投げやすいからだ。
125 :
待った名無しさん:2009/12/26(土) 07:41:42 O
>>124 おー博識。ではスレチ承知で質問。
北の湖が年間5敗しかしなかった時、2回も勝った琴風がその後全く勝てなくなったのはなぜ?
>>123 74年の春巡業での応酬だね
正確には
北の湖「輪島関には右上手をとれば大丈夫だし、貴ノ花はたいしたことない。
大受?次に大関落ちるでしょ?」
輪島「ガキのくせにしやがって。食いまくってブクブク太ってんだから
そのうち糖尿病になって、こうだよ(手をぶらぶらさせる)」」
へー、そんな舌戦があったんだ。
北の湖も後年の優等生イメージと違って
なかなか言うね
>>119 栃若より輪島の方が強いよ。
仮に直接対戦したら、輪島の小兵を捌く上手さを加味すると、
栃若が勝つのは10回に1回くらい。(輪島−旭国戦のような成績になる)
129 :
待った名無しさん:2010/01/02(土) 13:20:33 0
輪島は20代後半から特にスタミナ切れが目立ち長い相撲に弱くなった
特に胸が合っての寄りに弱い なんか相撲がジイサン臭い
130 :
待った名無しさん:2010/01/02(土) 18:08:01 0
131 :
待った名無しさん:2010/01/03(日) 00:38:21 0
輪島の土俵入りに実況解説が付いていた時があるのを思い出す。
せり上がるときに胸から上が紅潮し、天狗のような表情になる時に
アナウンサーが
「輪島、気合いが入っています」てな具合に
土俵入りを食い入るようにみれた横綱は彼だけだ。
132 :
待った名無しさん:2010/01/03(日) 16:10:48 0
「寄りに弱い」というより、おカネに弱かった、というところ
133 :
待った名無しさん:2010/01/03(日) 19:34:56 0
輪島はおカネに全く無頓着だった。
金勘定が出来なかったことが破産の元凶。
134 :
待った名無しさん:2010/01/03(日) 20:45:47 0
あと中盆の麒麟児にもよく負けていたと思うが
表向きは「突き押しに弱いから」ということになっていたけど
真相はどうなんだろう?
>>134 良く負けていたって・・・
麒麟児がまだ若くて、連続勝ち越し記録続けて大関候補と言われたころなんだが
まあ、誰かに「あれは八百長だろ」と言って欲しくてそう書いてんだろうけどなw
136 :
待った名無しさん:2010/01/04(月) 01:58:25 0
137 :
待った名無しさん:2010/01/04(月) 04:29:49 0
139 :
待った名無しさん:2010/01/04(月) 10:58:05 O
輪島=寄りに弱く頭も弱いワロタ
140 :
待った名無しさん:2010/01/04(月) 16:55:12 0
マグロ
141 :
待った名無しさん:2010/01/04(月) 18:20:05 O
輪島ってホモなん!?
元阪神の江本も言ってたからな
「野球選手は○○大学○○学部卒ではない
○○大学野球部卒だ」と
岡田の中一レベルの英語力にはビビったそうだ
↓以後、スレや板に関係なく学歴と野球ネタが続きます。
144 :
待った名無しさん:2010/01/06(水) 09:16:24 O
輪島は両刀遣いだよ
石川県出身といえば、小嶋達也やろ。
146 :
待った名無しさん:2010/01/07(木) 17:52:28 O
輪島は女が大好きだけど男も好き それだけ
>>145 珍オタ乙! ただよ、小嶋は大阪か兵庫の出身じゃなかった?
148 :
待った名無しさん:2010/01/09(土) 23:40:04 O
輪島と一緒の布団に寝てちちくりあった付き人の記事を大昔読んだなぁ
149 :
待った名無しさん:2010/01/11(月) 18:21:35 O
まじかよ 輪島はバイなのか
150 :
待った名無しさん:2010/01/11(月) 20:42:18 0
巡業中、二子山親方(元若乃花)から「おまえ横綱のくせに、稽古しないで勝てる
と思ってんのか! この馬鹿野郎!」と怒られた輪島。
「歯が痛いから稽古を休みます」と言って、花籠親方から「死んじまえ!」と
怒られた輪島。 天下の横綱で輪島ほど親方に怒られた人はいなかっただろう。
でも私は輪島が好きでした。 ファンを大事にする人でした。
>>150 巡業で「昨日マッチ棒で耳掃除してたら中耳炎になって耳が痛い。うんで稽古休みます」
これが当時の大相撲の巡業レポで掲載されたんだからなw
152 :
待った名無しさん:2010/01/11(月) 22:20:18 0
今日は輪島62歳の誕生日。
2年遅れの還暦土俵入りやろうぜ。
太刀持ち、北の湖、露払い、病床の若乃花2に代わって三重ノ海。
太刀持ち、北尾、露払い、曙のプロレスラートリオでも良いぞ。
153 :
待った名無しさん:2010/01/11(月) 22:22:02 0
横綱のくせに、抜けたところがあるのが好きな人にとってはたまらんのだろうな。
154 :
待った名無しさん:2010/01/12(火) 14:21:43 0
鹿島中学⇒金沢高校⇒日大⇒花籠⇒プロレスラー⇒タレント・・・
ワジーは王道マッシグラ!
155 :
待った名無しさん:2010/01/12(火) 16:30:29 0
玉の海−輪島戦をもっと見たかった。
大鵬の引退が一場所おそかったら対輪島戦も見れたのに。
156 :
待った名無しさん:2010/01/13(水) 10:34:34 O
玉の海とは一度対戦して寄り切りで負けたな
大鵬とやったら四つのいい相撲になるだろ
157 :
待った名無しさん:2010/01/13(水) 11:07:38 0
輪島はもう少し体重があれば史上最強だったかも
太れない体質だったみたいで引退後もあっという間に萎んだ
158 :
待った名無しさん:2010/01/13(水) 17:29:07 O
禿げて激痩せして醜く老けやつれたナ
159 :
待った名無しさん:2010/01/16(土) 10:13:39 O
輪島は若い時分はホモだった 結婚も偽装臭い 付き人とイイ仲だったらしい
160 :
待った名無しさん:2010/01/16(土) 15:56:19 0
あのムック&DVD集の第1巻、皆さんは買いました?あの下手投げ2番は必見でしょうか。
161 :
待った名無しさん:2010/01/17(日) 12:38:40 O
>>159 マジ?w まぁ輪島ホモぽいかも 笑う時両手で口押さえて笑ってたしw
162 :
待った名無しさん:2010/01/17(日) 18:50:29 O
がいしゅつ。女も男も好き。故貴ノ花と若い頃親友以上だった。
163 :
待った名無しさん:2010/01/24(日) 09:57:56 0
DVDムックの輪湖時代が楽しみ&記憶にない北玉時代も。
このころの相撲が一番面白かったわ
165 :
待った名無しさん:2010/01/27(水) 00:06:07 O
輪島の長い相撲になっての疲れたぁって顔、寄り切られる時の「あぁ〜」って表情見たい マジ萌えるw
輪島23−17把瑠都 輪島18−11琴欧洲 輪島18−5琴光喜
輪島22−2日馬富士 輪島12−1逆鉾 輪島15−0寺尾
167 :
待った名無しさん:2010/01/31(日) 18:18:58 0
>>157 現代なら食事とかトレーニングでなんとかなるだろうにね
168 :
待った名無しさん:2010/01/31(日) 22:13:46 0
輪島7−35貴乃花 輪島11−31武蔵丸 輪島8−44小錦
輪島5−40曙 輪島15−27白鵬 輪島10−22朝青龍
輪島18−15貴乃花 輪島19−6若乃花V 輪島20−7貴ノ浪
輪島9−16朝青龍 輪島15−15白鵬 輪島21−13千代大海 輪島23−10魁皇
170 :
待った名無しさん:2010/02/06(土) 15:15:56 0
輪島と花田憲子はまだつきあってんのか?
171 :
待った名無しさん:2010/02/06(土) 17:38:55 0
モノマネでよくやる
「バカなんだよねぇ」っていうのはこの人?
それともボクシング?
172 :
待った名無しさん:2010/02/07(日) 22:52:17 0
ボクシングだよw
>168、169
>輪島10−22朝青龍 輪島9−16朝青龍
ないない。ドルジは劣化勝の栃東Uと途中まで五分五分だったんだから、
輪島21-7朝青龍ぐらいだろう。
いや、晩年の輪島−三重ノ海と似たイメージ。で、朝青龍はそれより遥かに強敵で。
175 :
待った名無しさん:2010/02/13(土) 19:58:04 0
輪島の対横綱、大関の戦績はすごいの一言だけど
朝潮との対戦成績ご存知の方います?
輪島6−2朝潮でしたっけ?
177 :
175:2010/02/18(木) 00:13:44 0
ありがとうございます、輪島はやっぱりすごいですね
40代前半ですけど、今でも輪島は心のヒーローです
今思い出すと隆の里との対戦成績には驚愕しますね
イメージでは怪力の隆の里に輪島大苦戦みたいなかんじですから
178 :
待った名無しさん:2010/02/18(木) 07:28:48 0
輪島の全対戦成績
http://sumodb.sumogames.com/Rikishi_opp.aspx?r=4074&l=j このサイトは別に輪島だけでなく、全相撲界の歴史のデーターと言っても良く
リンク先から飛ぶ際の紹介にドイツ人が作った?とか書かれていて
あまりのデーターでびっくり
輪島の対戦成績って、先輩横綱に少し分が悪いを除き、ほとんどの力士に対し勝ち越してる
前頭時代以前しか対戦していないが栃富士って力士に1-4で負け越してる
この力士、ほとんどが十両時代で終えた力士で、幕内は10場所ほどしか経験していないが
生涯において数少ない横綱との対戦の中、大鵬柏戸から一度だけの対戦で金星上げている
179 :
待った名無しさん:2010/02/18(木) 13:21:51 0
180 :
待った名無しさん:2010/02/18(木) 14:47:00 0
輪島12−18貴乃花 輪島10−20武蔵丸 輪島18−12若乃花
輪島5−25曙 輪島15−15白鵬 輪島15−15朝青龍
>>177 当時は隆の里とは全く地力が違ったからね。負けた1番も四つに組んでのものではないし。
僕の紙相撲では、一度、隆の里に吊られて振り回されて負けたけれどねww。
>>180 貴乃花より輪島が勝つやろ。
あと、小兵捌きの抜群の上手さらみて、若乃花(Vでしょ?)には圧倒するよ。
182 :
待った名無しさん:2010/02/21(日) 08:53:31 0
あの曲者の鷲羽山に18−0ってw
183 :
待った名無しさん:2010/02/21(日) 09:42:07 0
ハンディのある小兵力士は別として、失礼ない方だけど中途半端な力士に
輪島は圧倒的に勝ち越している、これは横綱すべてに言えるかもしれない
>>183 輪島曰く、「ああいう小柄で相撲巧者タイプが当時の学生相撲の強豪に多かったから」
って言ってたな。
185 :
184:2010/02/21(日) 23:02:51 0
中途半端は誠に失礼な言い方なんだけど
個人的に思うのは体格もまあまあで四つに組んで寄りとかが得意で
いつも幕内にいるけど、横綱大関には全く歯が立たないと
真っ先に思い浮かぶのはM田山、B竜山、T輝山(なぜか同い年w)
あと強そうなのに上には勝てないA葉城、K輝、あげたらきりがないw
あの怪力出羽の花も不戦勝以外は輪島に勝てなかったんですね
186 :
183:2010/02/21(日) 23:15:47 0
失礼183です
>>185 偽者名乗るなw 184を書いたのは俺だw
188 :
183:2010/02/25(木) 23:35:14 0
だから訂正してますってww
189 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 02:16:32 0
DVDマガジン「国技大相撲」輪島VS北の湖
輪湖戦のDVDの映像、51,1 51,3 51,5本割、決定戦 51,7 51,11 52,1 52,3 52,7 52,11
の10番も見れたのは感動した。
時代が違い錯覚してるかもしれないが、あの時の輪島の強さだったら今の白鵬と取ってもいい勝負するかも、、
190 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 02:52:13 0
当時、輪島ファンだった俺は、北の湖には立ち合い変化すれば勝てるのにと思った。
輪島はたまに下位の力士にも変化する事があったから。
しかし、北の湖との相撲では、ついに一番も変化しなかった。
北の湖に対しての意地もあったのだろうが、日本中の相撲ファンが注目している優勝のかかった一番で、
注文相撲はできないと思ったのだと思う。
優勝決定戦で、立ち合い一瞬の変化で勝った栃東や白鵬のような、
ファンをシラけさせる相撲は大舞台では取らなかった。
191 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 16:51:34 0
北の湖は見て立つ方だから無理だと思う。
逆に北の湖が低く踏み込むのも変化があるから無理だと思う。
今の相撲みたいに変化も何にもないのなら変化するだろうけど。
子供のころ親の影響で北の湖が好きだった俺は、
輪島に決定戦に持ち込まれるのが非常に嫌だった。
192 :
待った名無しさん:2010/03/01(月) 10:28:28 0
北の湖に右上手十分取らせて勝負できるのは輪島だけ
これって凄い事だ
193 :
待った名無しさん:2010/03/01(月) 11:02:30 0
>>192 DVDで改めて見たけど、輪島すげ〜。
何がすごいかって、下手を深くねじ込んで北の湖の上手を常に肩越しにしてるとこ。
あの状態で引き付けて振り回す北の湖も異常だけど、ねじ込めなかったら、
下手一本で北の湖を振り回す凄まじさ。
輪島自身は左が弱かったとか言ってるがうそつきだな。
どこまで三味線弾いてるんだw
>>193 握力は左の方が5kgくらい強かったはず。
ただし北の湖の証言「自分にとって輪島さんは『黄金の右』なんです」や
相撲を見る限りでは、腕力は右の方が強かったと思われる。
昭和52年名古屋の北の湖戦の右の使い方がその典型例。
上手を取った後、徐々に浅くしながら肘を上手く使って北の湖の下手を殺しながら前に出るところね。
195 :
待った名無しさん:2010/03/03(水) 22:10:12 0
>>194 それもわかるんだけど、実際見るとやっぱり黄金の左だ。
相手が北の湖だけに余計に感じるよ。
左一本でも投げが強烈。
北の湖に右上手取らせてだからやはりすごい。
蔵間さんが輪島の握力が120kgあったとテレビで言ってたなあw
真偽のほどはわからないけど
197 :
待った名無しさん:2010/03/04(木) 00:11:13 0
子供の頃読んだスポーツ本に、
輪島の特技としてビール瓶の栓を素手でこじあけると書いてあった。
これが力士としてどのくらい凄いのかよくわからんが。
公式の握力は70kg台だったような。
199 :
待った名無しさん:2010/03/04(木) 00:26:22 0
>>197 歯で開けるのはまだわかるけど、素手ですか?
聞いたことないですね、類人猿並みの芸当だと思いますw
>>198 本人もそういってるね>82年「相撲」の連載対談で
202 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 00:39:35 O
北の富士に寄り切りで負けた相撲に萌えぇ
貴ノ花との吊りあいに萌えぇ 北の湖との長い相撲であぁ疲れたぁって輪島の顔に萌えぇ
203 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 01:48:07 0
DVD見たけど51〜52の北の湖と輪島は実力が拮抗してて
おもしろい取り組みが多いな
まるでハンで押したように輪島が左半身になることが多い
204 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 12:22:52 O
で 負ける時は判で押したように胸合わされての寄り切り。長くなると疲れちゃって自分から絞りやめて回し取りにいくんだものw
205 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 15:10:32 0
印象としては全盛期の強さ
朝青龍>北の湖>>>>>>白鵬>輪島
だな
輪島がとんねるずの「生ダラ」に初登場した時、石橋貴明が輪島に組み付いて
「輪島、右から絞る!」って言った時は最高だったな
>>198 あののらり輪島がマジで握力測ったことなんかないはず。
力士の身体検査にも一度も行ったことがなく身長も「満のに1cm足しといてくれ」
で、貴ノ花がずっと183cmだったから輪島もずっと184cm
>>205 んなーことはない。
君は輪島の全盛期を知らないかあるいは晩年のスタミナ切れしてる印象が強く残ってるだけと思われ
大関時代など少なくとも今の白鵬よりずっと力強かった
208 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 23:40:07 0
>>206 貴さんにかかっては、名横綱・輪島も甲子園のアイドル・定岡も同列だった気がする。
209 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 00:04:49 0
>>207 同意。スタミナ切れはあくまで晩年の印象。むしろ5歳も若い北の湖に対して、
かなりの期間立ちはだかったのことの方が、すごいと思う。また、横綱2場所目
から27連勝してた頃は、まさに無敵の強さだった。貴ノ花戦で右手を大怪我
して、それでも翌日の北の富士戦に出てきたのは、片手で北の富士に勝つつもり
だったのだと思う。
青
211 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 00:34:04 0
単純に北の湖>輪島と言い切れないからなあ。
輪島とか貴乃花は引退後の印象で損してる気がする。
212 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 00:43:19 0
>>207 青が北の湖の上に来てるの見ただけでたちの悪いドルジヲタというのがわかる。
北の湖も輪島も見た事ないと思われw
213 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 16:00:28 0
北の湖>千代の富士>>朝ボケ≧輪島
214 :
待った名無しさん:2010/03/07(日) 01:56:40 0
>>207 大関時代の輪島も知ってるけど正直今の白鵬よりは下だと思うよ
輪島は受ける相撲取るタイプには弱かったし
215 :
あ:2010/03/07(日) 02:42:11 0
>>214 うんうん
白鵬、大鵬とかはさ強さが伝わってこないんだよね
朝青龍、千代の富士に比べて
輪島は歴代横綱と比較すると
北の湖>白鵬≧千代の富士>輪島≧朝青龍
216 :
待った名無しさん:2010/03/07(日) 09:41:45 0
今の白鵬よりは下って・・・
白はそんなに強くないだろ。
バルトもカロも膝をやってる腰の高い力士、それを寄れないからな。
それに勝てない日本人の集団。回し取られて喜んでるんだから程度が知れてる。
そんな中の一等星がそんなに強いのか?
朝も白もはっきり言って強くないよ。
217 :
待った名無しさん:2010/03/07(日) 10:10:27 0
よく「AとBどちらが強かったか?」という議論が発生するが、時代の異なる存在同士
を並び立てて、無理に優劣をつけようとすることはナンセンスだと思う。
218 :
待った名無しさん:2010/03/07(日) 10:28:04 0
貴乃花も曙も北の湖も大鵬も膝をやって引退してる。
相撲は相手の圧力を足で受ける競技だから膝の故障は致命傷なわけよ。
逆に言えば膝をやってる力士が上位で何年も好成績を収められる時代ってのは、
レベルが低いんじゃないかと思うけどね。
相手がそれだけの圧力をかけることが出来なかったという証拠だから。
で、白鵬の相手は朝除いたらカロ、バルト、日馬ぐらいしかいないわけよ。
この状態のどこがレベルが高いんだ?
朝なんかもっとひどかったけどな。
周囲のレベルを考えず一律に記録を考えるとレベルの高い時代の力士はかわいそうだわ。
219 :
待った名無しさん:2010/03/08(月) 00:51:40 0
輪島対白鵬を筆頭とするモンゴル勢対決は面白い相撲になると思う
220 :
待った名無しさん:2010/03/08(月) 00:59:03 O
>>204 強いときは強いんだけどね 30過ぎてからだな 相撲が長くなりアゴが上がって絞り諦めて自ら胸を合わせちゃう この時点で勝ちを諦めてる訳よ…さぁ寄って!みたいな感じな
221 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 01:22:03 O
輪島は胸を合わせるのを避け半身で戦ったけど長い相撲になって胸合わされて寄られると残せない感じはあったな 特に吊り寄りに弱い感じ。
222 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 02:28:12 0
なんせ絶対的な稽古量が少ないんだから
晩年スタミナ切れが顕著になったのはしょうがないね
でもがっぷりになってもそんなに弱いイメージはないんだけどな
>>222 晩年にがっぷりでダメだったのは
北の湖、若乃花くらいかな。それまではがっぷりでも若乃花を圧倒してた。
三重ノ海には速さ負けという気がしたね。
224 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 18:11:44 0
>>220 対北の湖
疲労困憊の輪島が絞りをあきらめて上手を取る瞬間
まさに全ては終ったという合図だな
その後土俵を割るまでの表情、これまた味がある
225 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 19:26:54 0
輪湖時代のDVDにはしびれたよ。
右の厳しい絞りを堪能した。
226 :
待った名無しさん:2010/03/17(水) 05:53:50 O
>>224 わかる! 長い相撲になって胸合わされて寄り切られる瞬間の「ああ〜 もうダメェ〜」て表情!精根尽きたって感じの。
227 :
待った名無しさん:2010/03/17(水) 13:39:16 0
DVDお買い得感あったね
12号で北の湖独走時代(53〜55年)もフィーチャーされるからそちらも要チェック!
こちらは輪島苦闘編といえるかも^^;
>>227 あと後に出る47〜48も注目。
輪島全盛期が見れる。
229 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 11:45:49 0
輪島ってイケメンだよな。北の湖と違って
北の湖はブ男ではないよ
よく見ると整った顔
ただ仏頂面なだけw
231 :
待った名無しさん:2010/03/23(火) 21:57:40 O
北の湖に大相撲の末、寄り切りで敗れての輪島のコメント
「ああ 疲れたぁ。ホント精根尽きたよ」
貴ノ花に吊り合いの末、寄り切りで敗れて「くたびれたよ。貴関は俺の弱点よぅわかっとるわ」
萌えコメント
引退直前に巨砲相手に長い相撲取って
「ああ疲れた腕が痺れた」とか巨砲のことを「こって牛」
なんて言ってたなあ30過ぎてから爺いモードに入ってたねw
233 :
待った名無しさん:2010/03/27(土) 01:06:02 0
>>232 でも、朝汐(現・高砂)が仕切りの際に見せていたガッツポーズのような仕草に
反発する気概はもっていた。
234 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 18:10:55 0
白鵬が輪島の名前を出すとは
235 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 18:16:26 0
単に回数の話だろうが
少しは相撲を勉強しているようだ
236 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 18:31:34 0
>>234 輪島の引退した1981年以来29年ぶりだよな。「輪島」の名前が「館内」に流れたのって。
これは地味に凄いことだよ。
237 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 19:05:51 0
白鵬は、幕内平均体重とほぼ一致していますが、
輪島は、幕内平均体重より重かったの?軽かったの?
238 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 20:32:08 0
>>237 若干軽いくらい
70年代後半で幕内平均体重130キロくらい
>>231 そんなのに萌えているようじゃ、
S53年初場所10日目の豊山戦を視たら、失神してまうぞ。
それから、同年夏場所6日目の高見山戦で勝負が決着した後の姿を
黒房土俵の上から撮った写真(雑誌「相撲」掲載)を見たら、即死してまうぞ。
240 :
待った名無しさん:2010/04/07(水) 15:09:51 O
萌え相撲
47年輪島〇吊り出し●貴ノ花
51年九州 輪島●寄り切り〇北の湖
53年名古屋 輪島●寄り切り〇北の湖
55年輪島●寄り切り〇北の湖
241 :
待った名無しさん:2010/04/07(水) 15:47:48 0
リアルタイムで見た記憶では当時の上位陣の中で
北の湖だけが輪島の下手投げに極端に弱かったような気がする。
北の富士、長谷川、三重ノ海は足の送りが下手で面白いように投げられていたよ。
>>241 昭和49年名古屋の本割・決定戦とも下手投げで連勝というのがあるから印象が強いんだろうが、
北の湖が横綱に昇進してから下手投げで輪島が勝ったのは3回だけだから決して多くはない。
しかもすべて北の湖が不調の場所。
それより輪島―北の湖戦で面白いのは、北の湖が横綱昇進後は
・北の湖が勝ったときの決まり手はほとんどが寄り切りで、他に吊り出しと寄り倒しがあるだけ
・当該場所の星で輪島が上回っているときはすべて輪島が勝っている
というのが面白い。(横綱昇進前はどちらも1回ずつ例外あり)
>>240 昭和52年夏場所 黒姫山(叩き込み)輪島
昭和54年春場所 北の湖(寄り倒し)輪島
も忘れずに。
80年秋 増位山(内掛け)輪島
246 :
待った名無しさん:2010/04/09(金) 14:30:11 0
53年九州 若乃花○(寄り倒し)●輪島
247 :
待った名無しさん:2010/04/10(土) 21:19:53 O
元横綱輪島こと輪島改めザ・ワジマって生ダラでやってたな
248 :
待った名無しさん:2010/04/10(土) 22:44:10 O
55初 増位山 外掛け 輪島
51名 麒麟児 突き倒し 輪島
もいい。
249 :
待った名無しさん:2010/04/10(土) 23:05:29 O
露払い 三杉磯
太刀持ち 荒勢
この二人と同部屋じゃなかったらもっと黒星が増えてたような気がする
250 :
待った名無しさん:2010/04/10(土) 23:38:45 0
52〜54年ごろの若乃花戦は
対北の湖以上に熱戦が多かったと思うんだが観る機会が無いなあ
輪島の力強い吊りが見られた取り組みで好きだったよ
251 :
待った名無しさん:2010/04/11(日) 00:45:07 0
>>249 なんで魁傑はそこにいれてもらえないの?
>>251 あぁ、そうだった
すっかり魁傑の存在を忘れてた。当時、輪島の土俵入りの時には常に三杉磯と荒勢の姿が目に焼き付いていたものですから....
北の湖が増位山
貴ノ花が若三杉
との対戦が無かったように輪島も魁傑との対戦が無かった分、得してた?
どうだろうかこの考え?
三杉磯は北の湖にも三重ノ海にも勝ってますぞ
>>254 例の79年秋場所だけだろ、三杉磯が上位食ったの
しかもその場所大負けだし
256 :
待った名無しさん:2010/04/11(日) 22:14:13 O
>>255 6-9だから大負けではない。
この場所の三杉磯だが2金星の陰で11日目、優勝争い単独トップの朝汐に
勝った事を皆忘れてる、スレ違いスマソ
おまえら必死に昔の星取り表を掘り返して読んでるだけじゃん。
内容で話せよばか。
258 :
待った名無しさん:2010/04/11(日) 22:46:03 O
とにかく輪島は地味な力士に弱かった
4日目の北の湖戦は左四つから北の湖が一気に出て行くところを捨て身の上手投げ、
一瞬早く北の湖が落ちて軍配三杉磯。同体ではないかと物言いがついたが軍配通り。
審判長(確か中立=栃ノ海)が場内説明で若三杉と言い間違えたはずw
5日目の三重ノ海戦は徹底して突き押しで攻めて押し倒し。
三重ノ海は翌日も敗れて3勝3敗となって心配されたが後半立ち直って11勝。
11日目の朝汐戦は内容忘れたけど上手投げで勝ったはず。
あ、間違えた。北の湖に軍配挙がって差し違いだったかな。
262 :
待った名無しさん:2010/04/12(月) 18:33:54 O
若乃花には最初は吊りで圧していたが53年頃から持久戦の末、輪島が力尽きて寄り切られる相撲が増えた 萌えぇ
263 :
待った名無しさん:2010/04/13(火) 23:15:41 0
輪島が特に晩年持久戦弱かったのは
やっぱり若い頃からの稽古不足に依るものだろうな
何せ稽古不足どころか殆ど稽古しないんだから
ほとんど稽古しないのに、その相手に勝てないヤツばっかりだとしたら
他の連中のしてる稽古ってなんなの?
>>263 高校から大学のときにプロ顔負けの猛稽古(とくに四股・すり足などの基礎運動)
を徹底的にやらされたからね
266 :
待った名無しさん:2010/04/14(水) 22:18:29 0
>>265 それが嘘かホントか知らないが
よく「場所前の稽古量がどうのこうの」と解説者やら識者がよく言う台詞はまるで寝言&無意味ってことだな?
プロの世界はどの分野でもそうだが、もともととんでもなく才能のある人間を
並の才能の人間が努力だけで追い越すことは極めて困難というのが事実。
それでもみんな稽古稽古言うのは単純に「そいつの真似をして他の者に怠け癖が身に付いては困る」というのが一番大きいんだよ。
それと、相撲は一瞬の反応の差が勝負を分けるから、稽古量がいつもより少ないと
勘が鈍って勝てる勝負を落とすことがままある。
そういう意味でいつも最高の状態で身体が反応するために稽古を重ねろと言っているというのもある。
要するに輪島の場合、もともと破格の才能の持ち主なので、稽古してなかろうが
並の才能の力士じゃ太刀打ちできなかったってこと。
とは言ってもスタミナは稽古でしか身に付かないから、年齢と共にスタミナがなくなってきたのを見抜かれて
北の湖や若乃花に持久戦に持ち込まれると勝てなくなった、ということになるんだろうな。
268 :
待った名無しさん:2010/04/15(木) 09:50:31 0
40`以上重い北の湖はともかく
体格の変わらない若乃花に勝てなくなったのは寂しかったな
269 :
待った名無しさん:2010/04/16(金) 20:27:10 0
どこかの地方でサラ金の看板に輪島の顔が出てたぞ
270 :
待った名無しさん:2010/04/16(金) 20:33:29 O
>>267 板井は高校時代以外は稽古をしなかったようだね。
ガチを貫いて星の調整をしなければ稽古せずとも
大関くらいはなれたらしいな。
271 :
待った名無しさん:2010/04/16(金) 21:30:49 0
板井の言うことほど当てにならんものもないぞ。
北の湖に29戦全敗と完封されたのを初め横綱にまるで歯が立たなかった金城を評して「ガチでやってれば大関」だぜ?
いくら何でもありえんわ。
あと記者クラブでの質疑応答で「八百長の証拠は?」に対する回答が「この私が証拠です」だぞ?
もっと頭使った回答しろよと。
274 :
待った名無しさん:2010/04/17(土) 10:00:49 0
板井はイタイやつだ
275 :
待った名無しさん:2010/04/18(日) 09:49:34 0
昭和48年名8日目 貴ノ花(吊り出し)輪島
昭和49年夏4日目 増位山(上手出し投げ)輪島
昭和49年九7日目 高見山(上手投げ)輪島
昭和50年初初日 三重ノ海(上手投げ)輪島
昭和50年九6日目 金城(掬い投げ)輪島
昭和52年秋12日目 貴ノ花(吊り出し)輪島
昭和53年初10日目 豊山(掬い投げ)輪島
昭和53年夏6日目 高見山(寄り倒し)輪島
昭和55年春初日 富士桜(引き落とし)輪島
昭和55年夏6日目 巨砲(下手投げ)輪島 はどう?
276 :
待った名無しさん:2010/04/18(日) 12:32:18 O
輪島が簡単に負けた取り組みばかりですね。
高鉄山「いくら苦手でも横綱が平幕相手に星を返す形で八百長することはないだろう
おかげで高見山は金星が12個にもなってしまった」
278 :
待った名無しさん:2010/04/18(日) 21:55:02 0
>>275 萌える
貴ノ花に吊り出された一番あたりは特に
279 :
待った名無しさん:2010/04/22(木) 22:28:08 O
輪島は吊り寄りに弱いような感じがする
昭和49年初2日目 富士桜(叩き込み)輪島
昭和49年春3日目 長谷川(切り返し)輪島
昭和49年春7日目 高見山(寄り倒し)輪島
昭和50年夏2日目 麒麟児(押し倒し)輪島
昭和50年秋8日目 高見山(上手投げ)輪島
昭和51年秋10日目 富士桜(突き落とし)輪島
昭和53年初12日目 三重ノ海(外掛け)輪島
昭和54年初10日目 富士桜(突き落とし)輪島
昭和54年秋13日目 若乃花(寄り倒し)輪島
昭和55年名初日 魁輝(押し出し)輪島 はどうですか?
281 :
待った名無しさん:2010/04/23(金) 22:29:00 0
>>275>>276 でも最後の1980.5の巨砲戦は熱戦だったよ。
巨砲が両差しから輪島を吊り上げ、最後下手投げに破った
んだが1分を超す大相撲だった。
282 :
待った名無しさん:2010/04/23(金) 22:31:44 0
輪島が巨砲を「このコッテ牛め!」と言った一番?
283 :
待った名無しさん:2010/04/23(金) 22:35:08 0
輪島は大横綱じゃないよ
284 :
待った名無しさん:2010/04/28(水) 01:34:05 O
>>280 萌えんな 輪島は長い相撲の末 寄り切られたり吊られたりが萌えぇなんよ
285 :
待った名無しさん:2010/04/28(水) 07:54:43 0
そりゃあ、天才肌で、稽古嫌いのスタミナ不足のせいでしょ
286 :
待った名無しさん:2010/04/28(水) 09:03:32 0
天才という言葉は色んな分野で矢鱈と使われるが輪島は本物
相撲以外はちょっと抜けてる感じを見ても納得
287 :
待った名無しさん:2010/04/28(水) 10:00:53 0
最近入門した輪島の親類の子っていうのは、この横綱と血はどれぐらいつながってんの?
288 :
待った名無しさん:2010/04/28(水) 11:23:56 0
輪島功一とつながっている方が、世渡りうまそうでいいんでないかい。
これからのある若者にとっては。
>>283 優勝14回全勝3回なら大横綱クラスだろ
昭和49年九14日目 貴ノ花(吊り出し)輪島
昭和51年初初日 金城(掬い投げ)輪島
昭和52年秋11日目 豊山(寄り切り)輪島
昭和55年初2日目 豊山(寄り切り)輪島
白鵬が輪島にあやかって
黄金のまわし締めてたけど、
輪島とは違うな。
輪島のはもっと薄い色だった。
薄いというか、もっと地味な色だよね。
どうでもいいが、輪島の色と白鵬の以前の色を足して2で割ると大徹の色になる。
294 :
待った名無しさん:2010/05/27(木) 23:39:12 0
>>190 旭国との優勝決定戦で変化した記憶があるが・・・
295 :
待った名無しさん:2010/05/27(木) 23:41:26 0
>>292 もっと黄土色ぽかったよね。
白鵬のは金ピカすぎる。
当時はそれでもど派手だった。
「黄金の左」を意識した色だったんだよね?
あの廻しは三場所連続休場から再起したs50年秋場所が最初だっけ?
298 :
待った名無しさん:2010/05/28(金) 05:50:10 0
当時輪島の廻しは黄金というイメージは無かったなぁ
光沢があったわけでもないし黄土色という認識だった
>>298 そりゃおまえの家のテレビがトリニトロンじゃなかったからだろ。
300 :
待った名無しさん:2010/05/28(金) 18:56:59 0
>>290 昭和55年秋場所9日目 ○隆の里(肩透かし)輪島●
は?
301 :
待った名無しさん:2010/05/28(金) 21:44:26 0
輪島に関しては相撲の天才と言っていいと思う。
ほとんどけいこしなくてあの強さだったらしいし、長嶋みたく
天然だから。
303 :
待った名無しさん:2010/05/30(日) 11:23:44 0
輪島が休場明けの場所初日だったよね。
あれは大潮の勇み足っぽかった。
輪島が一瞬立ち止まって、
未練たらしく土俵上で審判員の顔見てた記憶がある。
305 :
待った名無しさん:2010/05/30(日) 19:54:14 0
貴乃花親方のお父さんであるというのは本当ですか。
>>304 あれははっきり行って誤審
これで腐ったか、輪島(休場明け)は9勝6敗
当時の「相撲」だか「大相撲」だかに載ってたね。
輪島の足は完全に俵の上に残っているのに、行司が大潮に軍配を上げて物言いすらつかなかった。
まあそれがなくともこの場所の輪島は不調だったけどね。
高見山や琴風にいっぺんに持っていかれたり。
不調の場所でも熱戦になる北の湖戦も今一つ気迫がなかったような。
輪島はあの大潮戦がよほど悔しかったらしく、
「(9勝に終わったが)ホントは10勝だった」
みたいなことを言って、「大相撲」か何かの座談会で
批判されてた。
勝った大潮もこの場所(5勝10敗)から転落が始まった。
310 :
待った名無しさん:2010/06/02(水) 18:12:14 0
>>309 ほほう、よく気づきましたね。
この昭和53年、輪島に勝った力士でその後転落の憂き目に遭った
力士が偶然にも3人いる。
@豊山:初場所勝って殊勲賞受賞もその後3場所大敗で十両落ち。
A大潮:
>>309さんの言う通り、一気に十両落ち。一度十両優勝し
て幕内復帰もその後は何と幕下陥落。
B琴風・夏場所勝って殊勲賞、しかし九州場所の怪我で大潮と仲
良く幕下落ち。
輪島は53年春場所初日、豊山の内掛けを切り返して勝ったのに
その際に捻挫して休場したんだよね。
んで再起の夏場所初日が
>>303の大潮戦
>>302 肩透かし連発で仕留められたような記憶がある…
313 :
待った名無しさん:2010/06/05(土) 21:46:30 0
すっかり衰えた晩年であってもなぜか千代の富士には負けなかった。
314 :
待った名無しさん:2010/06/14(月) 22:21:25 O
水入りでほぼ全敗 スタミナがなく疲れやすく胸を合わされて寄られると本当弱い 北の湖にはほとんど寄り切りで敗れてるし
>>313 さすがに81年初場所では負けてるがな>千代の富士初優勝
>>315さんが言ってるように千代の富士が初優勝の時に輪島に勝ってますが
どんな勝ち方したのでしょう?誰か教えてください。
317 :
待った名無しさん:2010/06/16(水) 11:01:37 O
北の湖に敗れたときは全部寄り切りとつり出しだな 輪島は寄られると残せないことが多い
318 :
待った名無しさん:2010/06/16(水) 11:04:43 0
私生活でも周りに持ち上げられて脇が甘くて寄り切られた
319 :
待った名無しさん:2010/06/19(土) 01:04:11 O
胸を合わされるのが嫌だけど、特に長い相撲で先に疲れて結局胸を合わされてしまい、寄られると一度は残しても二度目は残せない相撲は目立った。
320 :
待った名無しさん:2010/06/21(月) 18:27:47 O
たしかにね。寄られて踏ん張るんだけど最期は「ああ…もうだめぇ」みたいな感じで土俵を割ってたね
321 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 01:49:45 0
日大相撲部だしな。
あの大関も日大相撲部卒だ。
322 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 03:48:44 0
ノド輪に弱かった
323 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 06:47:37 O
誰も言わないから俺が言おう
実にアホなスレタイ
長引けばスタミナ切れしてたのは事実だが、
それは「寄りに弱い」ってことじゃないだろwww
北の湖にとっては胸を合わせれば有利だから寄りが多かっただけで…
輪島はどちらかというと
顔を突っ張られるのを嫌がる。
はい、終了
324 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 10:30:29 0
むしろ突き押しに弱かったんじゃないの?
325 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 10:40:30 0
相撲の技術は天下一品だったと思う。
何も考えてないのにみんなできてしまう天才。
北の湖がいなければ40回近く優勝したんじゃないか?
326 :
待った名無しさん:2010/06/24(木) 11:06:42 0
むしろ投げを食いにくい印象から逆説的に言ったんじゃないの?
>>325 直接優勝を争った場所を除くと
北の湖が優勝した時の輪島の成績は
10勝5敗とかも多いからそれはないだろう。
昭和49年名古屋で、北の湖は輪島に本割り・決定戦と立て続けに左下手投げで破れて
逆転優勝されたことが、その後も北の湖の脳裏にこびりついていたのではなかろうか?
3年後の昭和52年名古屋の千秋楽結びの一番で、1差で対戦した時もいつものように相撲が長引き、
輪島のスタミナが切れかかった頃、おもむろに北がまるで3年前の怨念を晴らすかのような
強引な右上手投げに来るところを、輪島が土俵際で左下手投げに打ち返して輪島の全勝優勝を許すという
白熱の取組みは、テレビの前で興奮しながら見た記憶が今も残っている。。
これ以後、北の湖は輪島には不用意な投げではなく四つに組み止めてスタミナ切れを待ってから
寄り切るという相撲が増えて、輪島は北の湖にほとんど勝てなくなったような記憶がある。
74年夏(10-5)、74年九州(9-6)のように、
その場所散々な成績でも北の湖には完勝するというのがすごかった。
まあ序盤で取りこぼすと気分的に投げる場所があったようなきもする>名横綱の割りに10-5多し
330 :
待った名無しさん:2010/06/26(土) 12:58:19 0
なぜか同期の豊山に弱かった
331 :
待った名無しさん:2010/06/26(土) 13:10:49 0
豊山は、学生時代からのライバルだから輪島が相手だと燃えたんじゃないの?
輪島の方も、普通の対戦相手なら歯牙にもかけなかっただろうけど、
豊山とは大学時代から覇権を競った仲だから、必要以上に意識もしただろうし・・・
結局、相撲における苦手力士って言うのは、このように精神的な問題が大きいと思う。
332 :
待った名無しさん:2010/06/26(土) 13:19:48 0
>>331 高校時代もだね。確か高校横綱を獲ったのは豊山の方だし、
何かの全国大会予選会でも、豊山が輪島をうっちゃって輪島
は全国大会出場を逃してる。
333 :
待った名無しさん:2010/06/27(日) 20:28:53 O
本人は足腰に自信があったから投げで負けるよりは寄りで負ける方がマシといっている 大相撲の100人 s54
胸合わされての寄りに弱いイメージはあるな
あと小兵に吊りを多用してたし嫌いな突っ張りを53年辺りから立ち会いに使ってたな
334 :
待った名無しさん:2010/06/28(月) 00:57:55 0
>>330 最後の対戦も豊山が勝ってるね
輪島絶不調で翌日から休場ある
335 :
待った名無しさん:2010/06/28(月) 02:42:03 0
おぉ河合奈保子を思い出すた
337 :
待った名無しさん:2010/06/30(水) 21:51:04 0
ほぅ輪島はあんな無骨な顔してて奈保子ファンか
338 :
谷嵐、覚えてる?:2010/07/01(木) 02:26:13 0
輪島は昭和54年初場所で玉ノ富士に寄り切られてから考え方を変えた。
↓
↓
↓
右四つ得意の相手には無理せずオレも右四つに組もう!
但し左上手は絶対に取らせない。
これで桶だヤッタね。
>>338 これで結果的に現役生活が2年伸びたってワケか
たしかに左四つに拘っていたら千代の富士あたりにもっと負けていたかもな
340 :
待った名無しさん:2010/07/01(木) 13:39:23 0
なんで彼がアメフトの監督に?世界7不思議の一つだね。
右のおっつけで相手を吊り出せるくらい浮かせて、右の下手投げに持っていくパターンは
この人にしかできない芸当だったけどねえ。
341 :
待った名無しさん:2010/07/07(水) 18:00:23 O
北の湖や若ノ花、貴ノ花辺りには左上手取られて寄り切られてたけどな。
板井に「あれだけ星売りまくってても10勝してしまう輪島は本当に強い」
と妙な褒め方されてた。
343 :
待った名無しさん:2010/07/15(木) 17:10:44 O
輪島が寄られて土俵を割る瞬間の「あぁ〜 もうダメ〜」て表情は萌えるw
344 :
待った名無しさん:2010/08/20(金) 11:38:11 O
天龍とのケンカマッチが懐かしい
345 :
待った名無しさん:2010/08/20(金) 17:43:15 O
相撲界辞めなければ…理事長だったかも?
346 :
待った名無しさん:2010/08/21(土) 00:07:05 O
今スポニチで毎日自伝書いてるよ。なかなか面白い
347 :
待った名無しさん:2010/08/21(土) 00:10:30 O
稽古嫌いだから巧さや相撲勘でスタミナ不足をカバーしきれなくなったな30歳前後から。今なにしてんのかな?
349 :
待った名無しさん:2010/09/04(土) 12:45:49 0
>>346 スポニチの写真が貴乃花にそっくりなんだが
350 :
待った名無しさん:2010/09/10(金) 00:59:18 O
小兵にはめっぽう強い
投げや吊りは秀逸
後半は突っ張りも多用
水入りではほぼ勝てない胸を合わされての寄りには弱い
吊りが得意だが逆に吊りでもよく敗れた
ライバル北の湖には殆ど寄りで敗れている
351 :
待った名無しさん:2010/09/10(金) 18:14:41 O
昭和49年頃は本当に強かった。負ける気がしなかった。でも琉王には負けた。
>>351 74年夏場所 10勝5敗
74年九州場所 9勝6敗
ですが何か?(この年はたしかに3度優勝してるが)
353 :
待った名無しさん:2010/09/17(金) 23:44:40 O
故北出清五郎が輪島は足の土踏まずが大きく切れ上がってるので寄られると残しにくいと何かの本で書いてたがそういうのってあんのかね? 確かに輪島は寄りに弱い感じはあるけども。
354 :
待った名無しさん:2010/09/18(土) 00:34:59 0
>>304 亀レスだが、この日は前理事長−現理事長の微妙な一番もあった記憶がある
(前理事長の勝ち)。
豊山にやられる輪島に萌えた
356 :
待った名無しさん:2010/09/20(月) 00:20:58 O
うん 大体寄り切りで負けてたな 豊山は割と苦手だったぽいな
吊られたり、投げられたりもしていたからな。昭和53年初場所10日目なんて、その最たるもの。
358 :
待った名無しさん:2010/09/20(月) 13:29:16 O
輪島が、48年九州で右手さえ怪我しなければ……。
45連勝以上はいったのではないか?
それに伴い右おっつけも威力を失い…のちに苦戦する原因になったのでは?
昭和53年いい所でスタミナ切れする相撲多数あった。
359 :
待った名無しさん:2010/09/20(月) 23:31:24 0
>>358 同意。怪我する前の輪島は本当に強くて負ける気がしなかった。怪我しても
翌日出てきたときは、左手一本でも北の富士に勝つんじゃないかと思った
くらい。怪我のあとでも右おっつけは北の湖を連続下手投げで負かす程の
強さがあったのだから、怪我さえしなければ・・・
しかし指の間が裂けるほどの大けがというのは、何か貴ノ花との因縁を感じて
しまう。
360 :
待った名無しさん:2010/09/22(水) 21:21:16 O
歴代横綱の中で必殺技っうか、この型になれば誰にも負けん!
そういうのは初代若の花と輪島だけかな?
大鵬の必殺技は?北の湖の必殺技は?
大鵬はどんな形でも負けぬ。北の湖は右上手+左をどの程度まで差せるかだった。
>>361 北の湖は上手取らなくても左差して腕を返すだけで平幕クラスは体が浮き上がって
無抵抗状態だった。
大鵬が左を差して腕を返した瞬間、相手はすっ転んでいたな。(決まり手は掬い投げ、肩透かし)
364 :
待った名無しさん:2010/10/01(金) 17:50:33 O
49年秋場所だったかな?輪島の右おっつけで北の湖の巨体が、浮き上がったぜ!
輪島14勝1敗。優勝!
365 :
待った名無しさん:2010/10/02(土) 00:12:13 O
私は輪島が昭和55年九州で初日から13連勝したときに凄く興奮しましたね。
特に13日目に北の湖との直接対決を黄金の左で下手出し投げに仕留めた時はテレビの前で座布団を投げたい気持ちでした。
輪島 14勝1敗 14回目優勝
366 :
待った名無しさん:2010/10/02(土) 19:52:14 O
>>365 輪島は、その場所14勝1敗か…。
輪島は、ホントはあと五回ぐらい全勝優勝出来たんだよねぇ〜
右手さえ怪我しなければ…。
三重ノ海や若乃花などに苦戦することはなかった!
367 :
待った名無しさん:2010/10/02(土) 19:59:20 0
368 :
待った名無しさん:2010/10/04(月) 20:15:38 O
思うに…輪湖時代が、一番相撲面白かった。
今は全くつまらん!見る気もしない。
白鵬?回りがだらし無いだけだよ!
>>368 それが王道の大相撲観ですな。
あと、千代の富士の相撲は見映えがして良かったね。その時代までですな。
白鵬は、千代の富士や貴乃花の時代以上に相手に恵まれているね。
三役から平幕上位に、かつての高見山・増位山・麒麟児・黒姫山・出羽の花・増位山・
栃乃和歌・琴ヶ梅・琴錦・栃東等々の役者が居ないからね。
370 :
待った名無しさん:2010/10/07(木) 19:25:36 O
ホントに右手さえ怪我しなければなぁ〜
優勝20回は行ったはず!
北の湖は別として、三重ノ海や若の花に負けるわけなかったはず!
いい所で負けて全勝優勝逃したのが、二回か三回あったからなぁ〜
右手の怪我が無くても、優勝20回は難しかったと思う。
なぜなら、もともと輪島は稽古嫌いでずば抜けた相撲カンだけで勝ってきた力士だから、
怪我が無くてもどこかで必ず壁に突き当たったはず。
昭和50年に入ると休場が続くが、これも右手負傷が遠因になっているとは思われない。
北の湖が躍進してくれば、体力的には劣るのは歴然なわけだから、北の湖がほとんど取りこぼしを
しなかった昭和53年頃以降はまず輪島に勝ち目はなかったものと思われる。
(昭和53年名古屋14日目の全勝決戦がその象徴。最後は完全に体力&スタミナの差が出た)
372 :
待った名無しさん:2010/10/08(金) 18:27:00 O
>>371 そんなことはない!
貴方は、相撲取りが片腕を満足に使えないっことが、どれほどか!全く分かってないな。
百の力が、五十に半減したら苦戦するのは当たり前です。
北の湖が、輪島攻略の為上手出し投げを連発していましたがねぇ!
百の力があればそんな技は、防げましたね。
373 :
待った名無しさん:2010/10/08(金) 18:41:19 0
冷静に考えてみたまえ。
右手負傷は昭和48年11月場所だろ?
もし右手の負傷の影響があるなら何で昭和49年に3度も優勝できるの?
昭和49年の時点で、すでに右手の負傷の影響はもう無くなったと見るのが常識だろ?
右手負傷で原因で優勝に絡めなかった場所は、昭和49年初場所のみ(北の湖の初優勝場所)
だから、昭和50年に入ってからの不振も右手とは関係が無いし、
(もし右手の負傷の後遺症があるなら、名古屋場所千秋楽で2番も続けて北の湖を下手投げで逆転できないはず)
昭和53年以降は、明らかに北の湖に体力負け(輪島の体力的衰えも)が顕著になってきたわけだから、
どう考えても、あと5〜6回優勝を加算するのは難しい。
相撲は腕だけで取るのではなく、総合的な力(スタミナであるとか地力であるとか)で決まるから、
右手負傷だけを捉えて、「怪我さえなければ・・・」などと言ってみてもそれは妄想に過ぎない。
374 :
待った名無しさん:2010/10/08(金) 19:09:29 O
>>373 貴方怪我したことないんか?怪我っうのは何年かに影響出てくるんだよ。
年令差確かにあるだろうが、右おっつけさえ完璧に発揮出来ればここまで苦戦する事なかった。
輪島は、余力を残して引退した。少なくも三重の海や若の花などに苦戦することなかったんだよ!
375 :
待った名無しさん:2010/10/08(金) 20:00:17 O
>>373 貴方にもう一つ真実を伝えておこう。
これは北の湖自身が、語っていたことだが。
「輪島さんは、不思議に右上手を取った時に引き付けることはなかった!」
怪我した為におっつけは出来るが、引き付けることは出来ない!
そのおっつけも力が半減されては…。
三重の海や若の花に苦戦するはずだわな。
何ってことない相手だったのにな。
左上手の相撲を多用するようになったのは、右手の影響があったのかどうか。
ただ、それは体重が多少増えて、大学時代の型に戻したという話が信憑性高いかね。
上手投げもすごかったねえ。
貴ノ花が土俵中央から吹っ飛んで行ったのは
いつだったっけ。
378 :
待った名無しさん:2010/10/11(月) 13:01:48 O
輪島は、【心・技・体】のうち【心】が、いま一歩だったなぁ〜
高見山に6連敗
麒麟児に6連敗
三重の海に8連敗などなど…。
苦手意識強すぎなんじゃないか?
いや、麒麟児には5連敗(昭和50年、名古屋を除く5場所)で止めたで。
若乃花にも5連敗かな。金城には、巡業での対戦を含めて、同じ投げ技で初顔から3連敗orz
確かにそうですね。
中盤戦を終えて1敗か2敗で優勝争いに残っていたのに終盤戦に北の湖、若乃花三重ノ海に星を落として脱落するパターンが多かった。
>>380 昭和54年秋・55年春・55年夏・55年秋ですな。
特に55年夏。
12日目終了の横綱リーグ戦前に北の湖と並んで1敗でトップ。2敗で若乃花、3敗で三重ノ海。
12日目までの相撲内容は4横綱で一番良いと言われていた。
しかも、この場所殊勲賞を受賞した琴風・朝汐の両力士に負けなかったのは4横綱では輪島だけだった。
しかし13日目若乃花・14日目北の湖と連敗して脱落し、千秋楽も三重ノ海に敗れて11勝4敗。
スタミナ切れを狙っていた若乃花、どっしり構えて振り回した北の湖に思い通りの相撲を取られてしまってはやむなしか。
>>374 相撲に「・・・たら、・・・れば」なんて仮定を言ってみても、何の意味も持たないと言うことがわからないのだろうか?
もし「怪我さえなければ・・・」なんて妄想を言い出したら、柏戸は間違いなく10回は優勝しただろうし、
逆に大鵬の優勝回数は25回前後で終わったはず。今さらそんなことを言ってみて始まらないのと同様に
輪島の右手の怪我なども、優勝回数に影響など及ぼさなかったと断言する。
輪島の場合は、天性の相撲勘だけで取ってきた力士だから、稽古の蓄積がない分、
年齢と共に著しい体力の衰えは隠せず、右手が負傷してなくても若乃花や三重の海に勝てなくなったのも
別に不思議でも何でもない。
昭和51・52年の輪湖決戦を見ればわかるが、もし右手負傷の後遺症が残っていたならば
すでに体力面スタミナ面で圧倒的に勝る北の湖とあれだけ互角に戦えるわけがない。
輪島の右手負傷を殊更に言うなら、前述の柏戸以外にももっと大怪我を負った横綱などごまんといる。
383 :
待った名無しさん:2010/10/12(火) 17:30:23 O
>>382 貴方?貴女?どのくらいな年代か?…存じませんがねぇ〜
しつこいよ!輪島ファンなの?違うの?どっち?
過去が変わらないのは、子供でも分かっているんだよ!
輪島ファンとして願望っうか、ああだったら…よかった。と思いを書いているんだよ。
揚げ足取るなよ!
384 :
382:2010/10/12(火) 20:15:33 0
俺は、輪島の現役時代よくテレビで応援していた生粋の輪島ファンだが、
どこをどう見ても右手負傷の後遺症が後年出たとは考えにくいから、当たり前に書いたつもりだけどね。
いくら願望と言ったって、右手負傷が無ければ20回は優勝できたとか言うのは願望というより誇大妄想だろ。
とは言っても納得しないだろうから、強いて輪島が優勝回数を増やすチャンスがあったとすれば、それは昭和50年だけだったと思う。
この年の輪島は優勝0だが、輪島にとってゲンのいい名古屋場所あたりは上位陣がバタバタして総崩れだったので
もしこの場所休場さえしなければ、輪島に優勝の目はあったかも?とは思う。
が、しかし昭和50年に仮に優勝3回できたとしても、どう考えても20回到達は無理。
昭和51・52年は、北の湖と互角だから妥当な戦いだし、昭和53年以降は明らかに輪島の衰えは否めなかった上に
北の湖が年間10敗しかしなかったのだから輪島に優勝の目は無かったと見るのが妥当。
すなわち右手負傷以降、優勝回数を現実以上に増やすチャンスは、そうそう無かったと言うことがわかる。
いくらファンの願望でも、自己満足の誇大妄想ではしょうがないだろ?
輪島の優勝回数も上位に位置しているんだから、むしろ優勝回数を増やせたとか言う妄想より
輪島の取り口や、輪湖決戦の記憶等を語った方が、よほど楽しい。
385 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 01:38:28 O
>>384が楽しくしてくれないからな。
ファンならヲタから願望まで奪うような言い方するなよ‥何が人の楽しみかはその人が決めればええ。
俺は貴ヲタだけど、ケガしてなかったらって妄想はやっぱよくするよ。
白鵬との対戦まではいかないまでも、成長したドルジと晩年の貴との対戦や、もちろん優勝回数もね。
貴と輪島を一緒にはできないけど。
輪島ファンだからこそ、あの結果で輪島!って気持ちもあるんだろうけど、ヒトリヨガリヨクナイ。
386 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 07:12:15 O
>>384 いいこと言った。
>>385 ホントは、北の湖ファンじゃねえ?
輪島ファンが言うことじゃないな。
387 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 07:14:58 O
「一人よがり」と言うのは、自分が好きだった力士のみ焦点を当てて、
怪我が無かったならどうだとか、自分の都合の良い論理中心にモノを考えることを言う。
輪島の右手負傷が無かったら云々言うなら、同時に横綱玉の海の急逝が無かったらとか
考えるのが、客観的な大人のモノの見方だろ?wwwwww
もし玉の海が生きていたら、昭和49年までの輪島の7回の優勝は間違いなく半分だったろう。
「もし・・・」と言うのが通用するなら、そういう輪島に不利な妄想も出てしまうということがわからんか?
輪島ファンだから、怪我が無ければ20回優勝できただの自分にだけ都合の良い妄想するのも結構だが、
一方で輪島の現役時代の取り口を回顧し、輪湖決戦の戦いの記憶を思いめぐらす
現実的視点に立つ輪島ファンもいると言うことを忘れるな!
389 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 12:09:38 O
>>388 現代的視点だぁ?笑わせんじゃねえよ!
柏戸とか大鵬だとか玉の海あんたいくつ?
こちとら生まれてないちゅうに。あんた、自分が、ひとりよがりじゃないちゅうか?
笑わせてくれるぜ。
390 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 12:23:42 O
輪島ってかなり年寄な気がしますが、協会に残ってればまだ現役の年寄だったんですね。今ごろ理事長ぐらいやってましたかね。
やはり波乱万丈の人生だともっと年寄の印象を抱かせるんでしょうな
391 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 13:05:43 0
>>389 ははは〜。人の文章はよく読めよ。>388のどこに「現代的視点」なんて書いてある?www
「現実的視点」だよ!「現実的視点」!もう一回>388を声を出して読んでみなww
現実的視点とは、過去の動かし難い事実を妄想や願望じゃなくキチンとした目で見ることなんだよ!
(一人よがりとは、その事実を自分の都合の良いように曲解するなり妄想することを指す言葉)
でも、あんたの一連の文章を読むと、輪島の取組をリアルタイムでは見たことが無いんだろうという事は
想像は付いてはいたが、だから「優勝20回はできた」なんて寝言が言えるんだろうなあ〜とは思う。
ちなみに、昭和54年名古屋場所の三重ノ海との決定戦に勝って13回目の優勝をしたときの
「相撲」誌の表紙に、『輪島涙の優勝』という見出しがある。
すでに輪島の体力も、北の湖はじめニッパチ組に通用しなくなっていた時期だけに、輪島ファンの俺も
たしかに涙の優勝は的を射ている表現だと思った。
まあ、実際にリアルタイムで輪島を見ていないから、妄想たくましい寝言を言ってられるんだろうが、
ある意味では、現実の輪島の土俵を知らない分、ヲタとして幸せなのかもしれないww
>>390 輪島は、反主流の二所一門だから、協会に残っていても理事長になれたかどうかは疑問。
ただ、その実績から協会の要職を歴任しただろうことは容易に想像はつく。
392 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 13:17:54 O
何を言ってるのですか。同じ花籠の弟子の若乃花が理事長になれて輪島がなれないわけないでしょ。
輪島よ、今からでも遅くないから、ぜひNHKの専属解説者として復活しなさい
若乃花の場合は、春日野理事長時代に理事長代行を務め、栃錦と一緒に新国技館建設に奔走したという
経緯から、春日野理事長勇退と同時に、盟友春日野から理事長職を移譲されたんだろ。
輪島もそういう状況なら、理事長になれなかったとは言えないのは事実。
394 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 14:02:09 O
>>391 まずあなたのその考え方が『楽しくない』って考える人がいる事を受け入れなきゃね。
相撲に対して現実的な見方が出来るんだから、人の気持ちに対しても客観的に考えれるようにならないとね。
頭のかたい団塊世代って言われてしまう。
それと、
>>385は相撲のみに対してでなく、『人の楽しみ方』に対して『一人よがり』って使ってるのは読めば分かるよね?
輪島ファンならそんな言い方しない!みたいな議論はあるけど、あなたの考え方を否定してる人は見受けられないけどな。
自分とは違う考え方に対して一人よがりって言うのは、それこそあなたが言う『楽しむ』ってことに矛盾してるよ。
395 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 14:38:23 0
>>394 そうそう。だから>391の最後の一行に、
「ある意味では、現実の輪島の土俵を知らない分、ヲタとして幸せなのかもしれないww 」と書いたのだよ。
むしろ好きな力士が、現実以上に強かったと思えるなら、それが一番楽しいのは当然のこと。
一方で現実の土俵を見ていれば、輪島の14回優勝はむしろ上出来であり、20回など無想だにできないのも事実。
だから現実を知らずに「輪島が20回優勝できた」だとか、現実とあまりに乖離した妄想が一人歩きする事は、
当時の土俵を見てきた人間からすると、それの方がむしろ「一人よがり」に思えてしまうのも事実。
現実に土俵を見た人間と、後世になってファンになった人間では、楽しみ方が違うのも分かってはいるが、
若いヲタが「20回優勝できた」という願望を持つことが楽しみであるなら、
当時を知るファンは「当時の輪島は精一杯取った」と輪島の戦跡を称えるのも楽しみの一つ。
ただ、若いヲタでも本当にファンなら当時の資料なり映像なりを見て、現実の輪島の戦いぶりを
もっと現実的に見てみるのも、楽しみを増やしていく材料になるのではないかという風に思ったまで。
396 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 15:34:42 O
397 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 15:46:01 0
388は、「たられば」のアホらしさを例えで出したに過ぎない。
だから388で書いてある「玉の海が生きていたなら・・・」なんて妄想は、
当時を知ってるファンならアホらしいとしか言いようがないのと同様に、
輪島20回優勝もアホらしいと言いたいんだよ。
「たられば」なんて妄想が、論破の材料になり得るわけないだろ?
398 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 17:20:05 O
じゃあこう言おうか?
輪島は、貴の花戦で右手を怪我しなければ確実にその場所も全勝優勝できました。連勝も三十連勝に。
これも
>>391は否定するんかな?
年配の方とみましたが…もっと温和な気持ちを持って下さいね。
399 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 17:32:37 0
↑それはその場所の調子や勢いから言ったら、当然の事だろ?
それと、優勝20回はレベルがあまりにも違いすぎるだろwww
このスレは、妄想や願望で輪島をホメ殺すスレなのか?
それなら妄想好きなヲタが泣いて喜ぶ、もっと盛大な妄想を言ってやろうか?
『北の湖さえ存在しなければ、輪島は一人横綱で優勝35回は間違いなかった!』
・・・どうだい?感涙にむせぶだろ?最近のヲタは、こういうので喜ぶとは俺も勉強不足もいいとこだった・・・・
結論:子供じゃないんだから、もうすこし大人の目で相撲を楽しみましょうね。
400 :
待った名無しさん:2010/10/13(水) 17:36:40 O
>>394 こういう人は、いくら言っても無駄です。
自分の意見が、すべて正しいと思っているようですから。人の意見に耳を傾けない。
不愉快になるから相手するのやめましょう。
ホントに輪島ファンか?疑わしいものです。
>>380-381 昭和53年中頃から、場所の後半戦で輪島が失速する場所が多くなった。
輪島の場合、年齢的な問題もあって1場所通しで体力を維持するのが難しくなった時期でもあり、
それは昭和53年名古屋14日目北の湖−輪島の全勝決戦を見ていて痛切に感じた。
解説の玉の海は、ここ一番の集中力は輪島の方が上だから、輪島に分があるのではないかと
珍しく片方の力士の肩を持つような意見を言ったのを今でも記憶に残っているが、
やはり北の湖にどっしり構えられると輪島の息が上がるのは、体力差スタミナの差から行って致し方ない。
若乃花も北の湖もこの頃から輪島戦はそういう取り口に変えていったように思う。
三重ノ海の場合は、逆に輪島有利の体勢に持ち込まれる前に速攻で勝負を決めにかかっていたように記憶している。
>>401 へぇ〜
そういう戦法で輪島の疲れを待って攻撃するっうのは、安易に攻撃したら輪島にやられるってことですかね?
輪島は足腰が良かったから、左下手を取られれば得意の半身の型で右からの攻めが強烈だし、
さらに上手廻しを取れば吊りも強力な武器だったから、相手力士から見れば持久戦に持ち込んで
輪島のスタミナ切れを待つという手は、場所後半戦の北の湖や若乃花の対戦ではよく見られたこと。
輪島の投げを警戒して、四つに組んだまま輪島の出方を伺うような取り口だから当然のごとく持久戦になる。
ただ、輪島の晩年は三重ノ海戦の対戦成績が極端に悪いけど、三重ノ海との対戦で持久戦になったという記憶は無いんだが・・・・・
輪島以上にスタミナ面で劣る三重ノ海は、逆に立ち会いから低く当って輪島の左差しを防いで食いつき、
輪島が自分の体勢を整える前に、出し投げで崩して一気の速攻で勝負を決めていたような記憶がある。
昭和52年九州(この場所輪島12回目の優勝)で、角番で苦しい星の三重ノ海に捨て身の張り手で
唯一の黒星をつけられてから、輪島は三重ノ海の速攻を苦手にし出したではなかろうか?
>>403 そう言われれば北の湖も言っていましたね。
「この人と取り組む時だけは、胸を合わせてくれるまでじっと待つことを心掛けた。二人の年齢差はもちろん計算済みだ。
私も24〜25歳になると長い相撲が取れるようになってくる。逆に向こうは年齢がよってくる。だから私は、上手を取ったときには、長い相撲をわざと取りにいって、体重を全部相手にかけるようにした。
輪島さんと取るときは、そういう形でやらなければいけないと思った。」
405 :
待った名無しさん:2010/10/15(金) 06:57:01 0
>>380 4横綱時代(1979秋〜80九)の直接対決
断トツで勝率悪かったのが輪島
晩年とはいえやや評価を落とす要因になってしまったね
北の湖 12勝6敗 皆勤 (vs若乃花5勝3敗 vs三重ノ海2勝2敗 vs輪島5勝1敗)優勝C
若乃花 9勝9敗 皆勤 (vs三重ノ海1勝3敗 vs輪島5勝1敗)優勝@
三重ノ海 8勝3敗 休場4回 (vs輪島3勝0敗)優勝A
輪島 2勝13敗 休場2回 優勝@
信じ難い数字だが実際殆ど勝てなかった記憶があるので調べてみて納得
407 :
待った名無しさん:2010/10/15(金) 07:18:25 0
>>402 例えば不利な体制から強引に上手投げで自滅したり
最盛期北の湖の唯一の死角がややせっかちな面があった事
そんな北の湖が輪島戦だけはこれでもかというくらい慎重だったよ
それだけ底力を認めていたんでしょうな
特に49年名古屋における痛恨の連敗は教訓になってると思われる
輪島−北の湖戦は、輪島左下手取って十分、北の湖右上手取って十分の相四つだから、
両者十分の体勢になれば、相撲が長引くのは当然。
だから、立ち会いから数秒で勝負が決まるなんてことは横綱時代はまったくなかったと思う。
輪湖決戦のポイントは、輪島の右からの絞り如何にあったと思う。
北の湖に左下手をがっちり取られれば万事休す。北の湖が輪島の右からの絞りにあわてれば黄金の左腕が炸裂。
北の湖の場合、輪島の投げが要警戒だったが、輪島が右上手を取ったときの吊りも強力だったから、
なおさら慎重に輪島の出方を伺うような取り口になったのだろう。
いつの取組みだったか、土俵中央で違いに腰を落として吊り合いになったような取組みがあったように
記憶しているけど、重量の北の湖に対し吊りに行くんだから、輪島の吊りも手強いんだろうと見てて思った。
409 :
待った名無しさん:2010/10/15(金) 13:02:03 0
輪島は吊りの名手ではあったけどそれは小兵・軽量専門だったね
貴ノ花、旭國、鷲羽山、増位山、千代の富士、青葉山、玉ノ富士とか
重くても130`くらいの若乃花あたりまでかな
自分より40`以上も重い北の湖に対しては流石に自分から吊りは仕掛けなかったと思うが
相手が引き付けて来た時に堪えて両者腰を落としての攻防はよく見られたね
因みに貴ノ花は100`そこそこの身体で北の湖にさえ吊りを仕掛けていた吊り出しの名手
ただし自身もかなり吊り出しで負けている
弱点をつかれた輪島は、速攻相撲に切り替えるつもりはなかったんかな?千代の富士のように。
まぁ無理かぁ〜輪島の速攻相撲など見たことないしな。
411 :
待った名無しさん:2010/10/15(金) 22:33:22 0
輪島は立会いが腰高で踏み込みも鋭くないから
直ぐに主導権握って速攻という相撲は余り無かった
裏を返せば地力があるから速攻に頼る必要がない
412 :
待った名無しさん:2010/10/15(金) 22:49:05 0
>>407 そのせっかちさが一番悪い形で現れたのが
負けた時の対朝汐戦。
いいカモにされた、
昭和52〜55年ごろの北の湖が全ての相撲を輪島戦とまで行かなくとも
もっと慎重に取ることを心がければ凄い連勝記録が産まれたんではないだろうか?
そのかわり北の湖ならではの相手を蹴散らす様な
破壊力のある相撲は見られないかもしれないが
414 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 01:05:54 0
慎重にとっても、多分朝汐戦で(以下自粛)
大鵬のような負けない相撲は見る方としてはつまらない。
巨人、大鵬、佐藤栄作っていわれていただろう。安定しすぎてつまらないもの。
415 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 09:27:25 0
大鵬に対する柏戸と、北の湖に対する輪島は立場的にはよく似ている。
大鵬も北の湖も優勝回数等で群を抜く大横綱だが、柏戸・輪島はそれより成績は劣るとは言いながら
先輩横綱として前に立ちはだかり、一つの時代を築いた所などが共通している。
柏戸の土俵際の逆転をも顧みない速攻の寄りと、輪島の黄金の左腕からの強烈な下手投げは、
かなり強烈な印象で、大鵬や北の湖よりはるかに個性の強い横綱だったと思う。
だから大鵬や北の湖の負けない相撲っぷりより、柏戸の速攻や輪島の投げの方が見ていて非常に面白かった。
柏戸はかなり弱い部類に入る横綱。輪島に失礼や
417 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 12:38:26 0
大鵬にほぼ互角で渡り合えたのは柏戸と北葉山くらいのものなのに・・。
休場は多かったけど、人気はあった。
418 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 13:47:28 0
柏戸に度重なる怪我さえなければ、優勝回数は5回で終わる横綱ではなかったのは、好角家が等しく口にするところ。
「強さ」という点では、大鵬より柏戸の相撲の方がイメージできる。
ただ、大鵬のような「負けない相撲」ではなく、速攻という相撲っぷりから
いつポカ負けするかというドキドキ感もあったのも事実で、安定感は大鵬よりはるかに劣ったのも事実。
北の湖に比べ、輪島の場合は場所を通してスタミナ面で見劣りしたのもそれと同様で、
柏戸のポカ負けと、輪島のスタミナ切れさえ無く後半の直接対決にまで持ち込めば、
両者とも大鵬・北の湖と互角に渡り合える実力横綱だったというのはまぎれもない事実。
419 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 14:16:41 0
大鵬が負けない相撲というのはその通り
北の湖は負けない相撲というよりは相手を叩き潰す相撲では?
攻めの横綱の代表格に思える
420 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 14:20:40 0
北の湖は柏戸に近いと思う。
ポカが時々出る。それが朝汐戦に多かった。
基本は攻めの相撲。大鵬みたいなのが例外です。
柏戸はケガも多かったし体重が激減したり
コンディションに問題があったね
>>414 >慎重にとっても、多分朝汐戦で(以下自粛)
北の湖が慎重に取る相撲なら、まず朝潮をあそこまで苦手にしなかったと思う。
ラスト2番は相手の力を利用して上手く朝潮を料理していた。
朝潮に大きく負け越したのは全盛期終りから晩年にかけての対戦だったのが大きい。
攻め込んだところを引き落とし、突き落としされて逆転負け、を続け
苦手意識が芽生えたところで、怪我で急速に力を落とし、なすすべなく
馬力負けするようになってしまい、北の湖の天敵と言えば朝潮、という
事実が広く知れ渡ったが、北の湖が元気な時期に対戦を繰り返していたら、
恐らく一時期連敗しても、途中で朝潮の攻略法を見つけて対戦成績を
逆転していたと思うよ。
輪島同様、北の湖も下位力士に苦手意識を持つと連敗する癖があったが、
悉く元気な時期に対戦を重ねた苦手力士たちにも、最終的には対戦成績で
大きく勝ち越している(対黒姫山、琴風、魁輝など)。
輪島は別格として、北の湖が一時期、朝潮並に苦手にしていたのが、
前頭上位〜三役時代の若三杉(若乃花)で、50年〜52年夏の間に
4勝9敗とどちらが横綱かわからないくらい負け続けたが、
これも最終的には逆転して突き放した。
少なくとも北の湖の全盛期真っただ中に朝潮が登場していても、特別
優勝回数が影響受けたとは余り考えられないな。
415氏の北の湖観は他の人が指摘しているように事実に合っていないが、
(負けない大鵬、勝つ北の湖、がどう考えても正解)
輪島が唯一無二の個性の横綱だったのは間違いないね。
左半身下手で十分、なんて型で一時代を築く強豪力士なんて今後も
登場しないんじゃないか?
柏戸と輪島の決定的な違いは、柏戸が勝敗に淡泊な性格だったのに対し、
輪島は勝利に凄まじい執念をもっていたことかな。
この二人の性格の違いは大鵬と北の湖、柏戸と輪島の優勝回数の差にも
結構影響していると思われる。
423 :
待った名無しさん:2010/10/16(土) 18:29:38 0
たしかに柏戸と輪島の差は、ここ一番の集中力の差と、勝負の淡泊さにあったのは事実だな。
輪島の場合は、学生相撲上がりだからトーナメント戦を数多く経験して、この一番に負けたら終わりという
局面をよく心得ているから、肝心要の大事な勝負の時の集中力が凄かった。
ちなみに415で、大鵬と北の湖を同列に「負けない相撲」と乱雑に書いてしまったが、
昭和53年の5連覇の頃の北の湖は破壊力抜群で、勝ちに行く相撲であると同時に「負けない横綱」だなと
感じた(輪島ファンから見れば、北の湖が一番でも落とせば輪島にも優勝の目が出てくるから、
北の湖の自滅を多少は期待しながら見てたが、5連覇の頃はことごとくそれが裏切られ、輪島の方が
先に後半戦で星を落とす場面を目にするたび切歯扼腕したもの)
いま49年名古屋場所のDVD見ているんだけど、北の湖戦の本割りの時に輪島張り差しにいきましたね。
この頃よく輪島は、張り差し戦法にいきましたがね。張り差しってそんなに効果ある?
たいしてかわらんように思えるが?
逆に輪島が三重海あたりに張り差し食らうのは良くみたようなw
やるほうも脇が空くというリスクもあるので難しい
輪島が勝負師としての真骨頂を発揮したのがその49年名古屋だね。
あの二番は単に、逆転優勝をかけただけでなく、輪島にとってはその後の
土俵人生をかけた一世一代の大勝負だった。
48年に敵なしの独走状態だった輪島の前に突如立ちはだかったのが北の湖で、
49年初場所初日に敗れた時、輪島は相当イヤな印象を北の湖に抱いたようだ。
続く春場所にも敗れた時、輪島は北の湖に苦手意識を持ちかけたらしい。
そして名古屋場所を迎えるわけだが、その後の談話などからもこの時、
輪島は北の湖を自分の王座を脅かす最大の脅威だとはっきり認識していて、
ここで優勝を攫われると完全に時代を奪われる、という危機感を持っていたと思われる。
ゆえに本割で待ったを2度仕掛けてまで北の湖の心理を撹乱することで勝利し、
そのまま決定戦でも同様の流れで勝利。
第一人者の座を守ると同時に、逆に北の湖にトラウマを植え付けて、その後
しばらくカモにし続けることに成功した。
ここであっさり北の湖に優勝を許していたら、その後の輪湖時代は多分
なかっただろうね。
この二番で北の湖が受けたトラウマは相当深刻で、自身は優勝同点、優勝と好調で
輪島がスランプに陥り始めた49年九州場所、50年初場所ですら、完敗、徹底的に
カモにされた。もし、この状態が続いていたら、北の湖は大輪の花を咲かす前に、
輪島にその芽を完全に摘まれて終わってしまっていたかもしれない。
(この時点では5歳の年齢差は完全に輪島有利に働いていた)
ところが、ここで輪島のスランプがいよいよ悪化し3場所連続休場、この間、
北の湖が多少危なっかしくも一人横綱の責務を果たしたことで自信をつけ、
復帰したものの本調子でない輪島に連勝したことで、なんとか輪島と対等に
戦える立場に立つことができ、51・52年の輪湖対立の時代を迎えることになる。
上の方で輪島の優勝回数でのたらればのカキコミがあったが、私は48年九州の
手の負傷がなかったら、よりも、50年の長期休場がなかったら、の方がその後の
土俵の勢力図が変わっていた可能性はずっと大きかったように思うね。
>>417 北葉山って意外と強かったんですね
>>420 自分もそんなイメージがありました。
柏戸の進化形が北の湖のような。
北の湖と大鵬がもし戦えば柏戸と大鵬の対戦に近い内容になったかも知れませんね
429 :
待った名無しさん:2010/10/17(日) 07:46:42 0
北の湖は対応しながらどんどん進化していったからね
輪島には持久戦という勝利への方程式を探り出したし
若三杉時代の若乃花をやや苦手にしていたが後にこれも克服
魁傑なんかも一時期殆ど五分だったのが51年頃から完全なカモにした
輪島の張り差しは、小兵力士しか通じなかったのでは?
高見山戦なんかノド輪ハズ押しで…電車道
>若三杉時代の若乃花をやや苦手にしていたが後にこれも克服
51年など対若三杉は4戦全敗と56年の朝潮並に大苦戦。
懐が深く体の柔らかい若乃花は腕の短い北の湖の上手はいつでも切れる、
と豪語していたが、実際この頃は、若乃花が頭を着けて腰を引いて北の湖に
上手を許さず、投げ技で決めたり、崩して寄り切ったりと、同じような
取り口で北の湖を攻略し続けてた。
北の湖はその後、若乃花に対しては無理に上手を狙わず挟みつけて、
正面から組みとめて寄って行くようになって、それ以降は北の湖の優勢に
なっていたけれど。
>>428 大鵬から10勝以上上げたのは柏戸以外には北葉山だけです。
(大鵬の24勝11敗)
大鵬は佐田の山に27勝5敗、栃ノ海に17勝6敗、玉の海に21勝7敗、
北の富士に26勝5敗、豊山に28勝4敗、栃光に21戦全勝など、
同時代の横綱大関陣を悉く圧倒。
柏戸だけが、好調な大鵬に勝って優勝できる唯一の力士だった。
佐田の山は2度目の優勝こそ決定戦で大鵬を破ったけれど、
残り5度は対戦がないか、直接対決で負けるも大鵬不調で
優勝争いには影響なし、というパターンでしか優勝できなかった。
だから優勝回数で佐田の山が柏戸を上回っても、鵬佐と呼ばれず
柏鵬時代であり続けたんだな。
北の湖は柏戸ほど電車道の相撲は取らなかったけれど、もし大鵬と取るなら、
立ち会いのぶちかましからいっぺんに持っていく相撲に徹する必要あるかな。
大鵬の方が腕が長く、懐深いから四つに組んで相撲が長引くと不利になる。
ただし、北の湖が馬力相撲に徹したら、柏戸より体重があって破壊力でも
上回り、且つ足腰も柔軟で怪我が少ないから、柏戸以上に大鵬が苦戦した
だろうね。
>>428 北葉山は、たとえば佐田の山よりは対大鵬に善戦しているが、
互角というのは大嘘 騙されないように
>>432 通算じゃ大鵬の24勝11敗だからダブルスコア以上の差がついたが、
37年までは大鵬9勝北葉山8勝(10戦目までなら北葉山が6勝4敗でリード)
なんで、途中までなら互角だったと言っていい。
37年の時点で、柏戸、北葉山以外に大鵬と互角の成績を残せる上位力士は既にいなかった。
輪島は、なぜ三重の海に八連敗もしたのだろうか?
若い時は、三重の海は苦手にしていなかったはずだが…。
北の湖に猫騙しやったり、何をしてくるのか?分からん戦法だったからかな?
三重の海に負けぱなしっうのは、輪島ファンとして悔しかった!
大乃国が板井に張り手でKOされてから、板井を大の苦手にしたように、
輪島も昭和52年九州で、角番で4勝3敗と窮地に立たされていた大関三重ノ海の
なりふり構わぬ張り手からの速攻でこの場所唯一の黒星を付けられている。
それ以降、引退までに輪島の2勝10敗。
明らかにこの九州場所の一番以降、輪島が三重ノ海を嫌がったのは星取り表の上からも鮮明にわかる。
三重ノ海の対輪島戦の戦法は、北の湖のように持久に持ち込むのとは逆に、
立ち会いから低く当って食い下がり、輪島が自分有利の体勢に持ち込む前に得意の出し投げで崩して
寄る速攻が大半だったかと記憶している。
>>435 当時の雑誌を見たら輪島は、その一番脳震盪を起こしたらしいね。
それから二連勝してから八連敗か…。
張り手のトラウマなのか…
54年名古屋場所でも千終楽にも三重の海に敗れて全勝優勝逃しているね…。優勝決定戦には勝ったが…!
三重の海に二回も全勝優勝阻まれているね。
437 :
待った名無しさん:2010/10/20(水) 18:54:39 O
とにかく往年の輪島は、三重の海に負けぱなしのイメージがある。
輪島ファンとしては何で三重の海なんかに負けるんだ?と不思議だったのだが。なんとなく納得した。
438 :
待った名無しさん:2010/10/20(水) 20:02:02 O
輪島は人間国宝
悪く言ってはならない
439 :
待った名無しさん:2010/10/20(水) 20:31:32 O
輪島は人間国宝
悪く言ってはならない
440 :
待った名無しさん:2010/10/20(水) 21:30:52 0
>>427 まったく同感。
昭和48年の九州場所で指の間を裂傷しなければ、輪島独走の
時代はもう少し続いたと思う。指の怪我をする前の輪島は無敵状態だった。
貴ノ花が小結の時に大鵬に膝?をけがさせられなければ、横綱に
なれたであろうというのと同じ。
>>433 37年ってまだ大鵬22歳、横綱2年目じゃんw
>>440 427は48年九州の手の負傷より、50年の長期休場の方が影響でかかった、
と言ってるんで、そのレスは的外れだろw
>>441 既に4連覇一度、37年後半から最初の6連覇開始、怪我で不調の柏戸を尻目に
大鵬独走時代はとっくに始まっていたんだな。
大鵬ってのは入幕1年目でいきなり最多勝したくらい最初から強くて、
22歳、横綱2年目の時点で互角の対戦成績を残していた相手は柏戸、北葉山の二人だけ。
輪島は、二代目若乃花戦(若三杉)がっぷり四つでも輪島が、圧倒的に強かった。
48年九州場所で輪島が右手を怪我せず、連勝を30に伸ばしていたとしても、
史実通り49年初場所初日は北の湖に破れていたと思うよ。
相撲は相手あってのことだから、輪島の優勝回数が伸びた可能性に想いを馳せる時、
輪島だけああだったら、こうだったらと言っても片手落ち。
たらればを語るなら言うまでもなく、一番のポイントである北の湖を最大どこまで
抑え込め続けることが可能だったか、について考えなきゃならない。
そうすると、49年の北の湖の台頭に輪島の手の怪我はあまり影響してないんだな。
49年初場所初日の敗戦は、怪我の影響もないとは言わないが、
むしろ最大の敗因は油断だろう。
実際、右手に力が入らずに負けた、という内容ではない。
それどころか、右で絞るチャンスもあまりないまま完敗してるんだな。
48年までの北の湖は、立ち合いが強烈な訳でもなく、出足も特別鋭くない。
突っ張り主体ながら組んでも相撲が取れた、というと聞こえがいいが、実際には
これといって決め手に欠けた、どっちつかずの中途半端な取り口、という方が
この時期の北の湖には当てはまる。
輪島にとっても余り怖い相手ではなく、対戦成績でも7勝1敗と大きくリード。
49年初場所の時点でも5連勝中と、お得意さんの方だった。
だから輪島も、成長中とは言え、特別北の湖を警戒していたわけではなかったろう。
それが49年初場所になると、突然、北の湖はそれまでとは全く別次元の強さを持った
強豪力士へと変貌していた。
48年九州場所の輪島の怪我ばかり強調しているが、実は同じ12日、大怪我をした
力士がもう一人いた。富士桜戦で北の湖が左足首を骨折したんだな。
輪島、北の湖の二人を同日診察した医者に言わせると、北の湖の怪我の方が
より重症だったらしい。しかし輪島同様北の湖も休場せず強行出場、結果でも
輪島同様あっさり負けた。優勝が決まった輪島はここで無理せず休んだが、
北の湖は最後まで土俵に上がり、千秋楽白星をもぎ取り、この場所10勝目を上げる。
この1勝が自信となると同時に翌場所後の大関昇進にも大きくモノをいうことになった。
これ以上に重要だったのが、この骨折が北の湖には文字通り怪我の功名になったということ。
北の湖は、足首に負担をかけない為にも早い相撲を取ることを心がけて初場所に臨んだ。
その結果、立ち合いから思い切りブチかまして鋭い出足で前にでる、という
自分の持てる資質を最大限に活かせる取り口を身につけることになり、一気にその
素質が開花したんだな。
もう一つ、運命の綾になったのが、この場所の輪島ー北の湖戦が初日に組まれた、という点。
つまり輪島は北の湖の変貌を知らず、従来の北の湖をイメージしたままで対戦に臨んだ。
ところが、北の湖はもう前場所までの北の湖とは別人になっていた。
面喰った輪島は守勢のまま完敗。敗戦のインタビューで、「凄い圧力だった」と
嫌そうな表情で敗戦の弁を語った、という記事があったのを覚えているが、
輪島にとっても北の湖の急成長ぶりは余りに予想外だったんだろうね。
これが右手の怪我がなくても多分負けただろう、という理由。
だから右手を怪我していなかったとしても、多分49年の北の湖の急成長はまず
止められなかった。あえて言うなら、初場所の対戦が中日頃に組まれていたなら、
輪島も北の湖の変貌を目の当たりにした上で対戦に臨めたから、これなら
まだ自力で上回っていた輪島が北の湖を止められたかもしれないけど。
そうなると、次に輪島がどうすれば優勝回数をもっと伸ばせたか、を考えるには
北の湖の日の出の勢いに如何に歯止めをかけるか、というパターンを考えるしかない。
それは実際に49年名古屋場所から50年初場所にかけて、輪島は成功していたんだな。
もし50年春場所以降も北の湖を負かし続けていたら、北の湖はそこで潰れていた
可能性が十分あった。いずれ年齢差から追い抜かれただろうが、北の湖もかつての
東富士のように、実力は一番ながら時代を支配しきれない横綱、になって
しまっていたかもしれない。少なくとも51、2年は北の湖を抑えて輪島はもっと
優勝回数を伸ばすチャンスがあったろうし、53年もまだ優勝を稼げたかもしれない。
輪島が優勝回数を史実より伸ばせた可能性を考える時、これが一番ありえた
パターンだと思うし、だからこそ、50年のスランプと長期休場がの有無が
一番影響が大きかっただろう、と書いた。
これが右手の怪我がなかったら53年以降は北の湖に勝てなくても若乃花、三重ノ海
には負けなかったはずだ、というタラレバでは、残念ながらこの二人の優勝場所は
北の湖の優勝回数に加算されるだけで、輪島の優勝追加にはならなかったろうね。
>>444-447に書いてある話は、「たられば」の仮定話に対する明解な答えとして十分説得力を持つモノと思う。
前にも書いたけど、輪島の右腕負傷の有無で優勝回数20回の可能性などあり得なかったことは
当時の土俵を見れば分かるし、もし輪島に優勝回数を増やすチャンスがあったとすれば、
それは昭和50年の1年間だけだっただろうということも前に書いた。
もし、この年のスランプが無ければ?と想定すれば、当然2〜3回は優勝しただろうから、
16、7回は行った可能性は否定はしないが、昭和51・52年の輪島北の湖互角の時代に、
輪島が北の湖を大きく上回る優勝回数はちょっと考えられない。
この2年間の輪湖決戦を見ると、北の湖が勝つ場合は圧勝で、輪島が勝つ場合は大熱戦になっている。
つまりこの2年間の優勝は互角ではありながら、北の湖と輪島の1場所を通しての体力差・スタミナの差が
徐々に現われてきた2年間でもあったと思う。それが昭和53年春に輪島が休場したあたりから、
北の湖との体力差は顕著となった。それを象徴する一番が53年名古屋14日目の全勝決戦だったと思う。
輪島も得意の左下手右おっつけの体勢で水入りにまで持ち込んだけど、テレビを見ていて
北の湖の余裕のある表情に比べ、輪島の消耗ぶりが痛々しく、最後は刀折れ矢尽きた感じで土俵を割ったとき、
もう北の湖には今後勝てないのではないかとつくづく思った。
だから、昭和54年と55年に1回ずつ優勝を重ねて、双葉山を越える当時としては第3位の優勝回数を記録できた事は、
輪島は「精一杯取った」と言える、一つの根拠だと俺自身としては思っている。
449 :
待った名無しさん:2010/10/22(金) 20:49:37 O
>>448 あんたもしつけいねぇ!それはあんた個人の見解だれうがWWW
輪島ファンの人はそうは思ってないから!そういうレスがあるんだろうがWWW自分の意見が、すべて正しいと思わない方がいい。全国の輪島ファンの方々が見ているんだから。
450 :
448:2010/10/22(金) 21:03:14 0
俺は
>>444-447の意見に同意したまでだ。
個人的見解を述べて何がまずいんだ?
あんたこそ全国の輪島ファンは自分と同じ考えで、俺の個人的見解とは違うと断定してるだろ!
俺の意見は444-447とまったく同意見!
右手負傷云々より、北の湖との関わりの方に重点を置いた見方は至言である。
(ちなみに断って置くが、俺は444-447とは別人だからな!)
451 :
448:2010/10/22(金) 21:10:10 0
ちなみに、
>>444-447と俺の見解の違うところは、
447の文で、昭和51、52年に輪島が北の湖より優勝回数を伸ばせたチャンスはあった云々というところ。
448の俺の文章を読めば分かるとおり、俺は51、52年の2年間に北の湖を上回る優勝回数は
無理だったと見ている。むしろスランプの昭和50年に2〜3度優勝できていれば?の方の可能性を指摘している。
452 :
待った名無しさん:2010/10/22(金) 21:49:55 0
444〜447
説得力ある見解だと思う。同感。
右手の怪我以上に、北の湖の相撲の変貌がすごかったということ。
>>448 444-447は私だけれど、これはあくまでも輪島が史実よりも優勝を増やせた
可能性をあれこれ考えてみたもので、スランプがなければ絶対こうなっていた、
と思ってるわけではないです。
だから輪島にとって最も都合のよいパターンを描いたもの。
448氏はスランプがなくても、北の湖が史実通りに順調に成長しただろう、
という前提で考えているんでしょう。
私は50年のスランプについては、輪島がこの年優勝を稼げた可能性より、
北の湖の成長の芽を完全に摘み取ってしまう唯一最大のチャンスだった、
という点の方に重点を置いて考えた。。
427(これも私)で書いた通り、輪島が長期休場するまで、北の湖は
輪島には蛇に睨まれた蛙状態で、北の湖好調、輪島不調の時でも完敗していた。
(ご存じの通り、北の湖は苦手にはトコトン負け続ける悪癖があった)
北の湖が輪島に対する苦手意識を多少なりとも克服できたのは、
繰り返しになるけれど、一人横綱として踏ん張って自信をつけ、
且つ直接対決でも、復帰したものの本調子でない輪島に連勝したから。
つまり輪島が休場しなかった場合、北の湖は輪島コンプレックスを克服する
チャンスを得られないまま、心を完全に輪島に折られてしまっていた可能性も
あったんじゃないか?、というのがポイント。
もう一つ、51,2年の輪湖対立時代についても若干見解が異なる。
この2年間、二人は揃って優勝を5回するだけでなく、通算でも152勝28敗と
ピタリと同じ成績を残す。ここまで完璧なまでに長期間、互角の成績を
残したライバルは後にも先にもいない。
但し、更に細かく見ると、51年は輪島>北の湖、52年は北の湖>輪島、
だったことがわかるんだな。
まず51年は直接対決で、輪島が4勝2敗(決定戦含めると4勝3敗)とリード。
内容的にも、この年はまだ、輪島が得意の左半身の型から右で絞り上げ、
下手で北の湖を振り回し、そのまま投げ捨てたり、正面から寄り切ったりと、
自分から攻めて北の湖を倒す相撲が取れた。北の湖の方が頭を付けに行ったりと、
輪島攻略の為に試行錯誤しながら対抗していた感じなんだな。
成績全般でも優勝回数こそ北の湖3回、輪島2回だったが年間勝利数では輪島77勝、
北の湖72勝で輪島がリード。輪島が優勝を逃した4場所全てで準優勝だったのに対し、
北の湖は10勝5敗と大崩れした場所が2場所あった。
51年の時点では、体力的には既に北の湖が勝っていたとはいえまだ脆さもあり、
心技体のバランスにおいて、輪島の方がまだまだ一枚上手だったんだな。
ちなみに、輪島は体力的には48年が最盛期だろうが、総合力では51年が
ベストだったんじゃないかと個人的には思う。
つまり北の湖が輪島コンプレックスを克服できないまま51年に突入していたら、
千秋楽決戦でも輪島が悉く勝てた可能性が出てくる。
この力関係は52年になると一転する。
この年は前年とは正反対に、優勝回数は輪島3回、北の湖2回、しかし年間勝利数は
北の湖80勝、輪島75勝。北の湖の優勝は全て全勝、残り4場所の全て準優勝だった。
逆に輪島は10勝、11勝と崩れた場所があり、そろそろ体力的な陰りが出てきた。
これは直接対決にも反映し、3勝3敗ながら内容的には輪島はもう自分からは仕掛けられず、
北の湖の圧力に耐えながら一瞬の技の冴えで勝利をもぎ取る、という勝ち方になった。
反対に、北の湖は輪島を組みとめ持久戦に持ち込む、という輪島攻略パターンを
この年からモノにし始めたんだな。それでもかろうじて互角になったのは、
まだ輪島が余力を残していたのと、北の湖が輪島戦術を完全には体得しきって
いなかったからだろう。
但し、これももし北の湖が50年に輪島コンプレックスを克服できず、51年も劣勢なまま
52年を迎えていたら、果たして年間80勝もできる次元にまで成長できたかどうか。
そうなると輪島の優勝のチャンスが更に広がる。53年についても同じ。
繰り返すけれど、これは輪島にとって最も都合のよいパターン。
北の湖は苦手に負けこむ一方、対戦を重ねるうちに料理方法を身につけ、
最終的には実力通り圧倒してしまえるだけの対応能力があった。
晩年の天敵朝潮に対してさえ、最後の2番は攻略方法を見つけ、完勝して見せた。
だから輪島のスランプがなくても、史実通りに輪島に対する苦手意識を解消し、
51,2年の対立時代、53年の独走時代を築いた可能性も大いにある。
何より、49年名古屋場所、北の湖が輪島に逆転優勝を許さなかったら、
むしろここから一気に北の湖独走時代に入っていただろう。
いずれにせよ、史実ではこの二人はライバルとして競い合うことで、優勝回数を
損もしたが、切磋琢磨し強くなることもできた。
多分北の湖の成長がなければ、輪島は慢心してもっと早く引退していただろうし、
北の湖も同じく若くして成長が止まっていたかもしれない。
これは若乃花、三重ノ海についても同じで、遅れて強くなったこの二人に刺激されて
輪湖とも奮起させられた部分だって大いにあっただろう。
私も既に衰えていた輪島が強敵ひしめく中、54,5年に1度づつ優勝を
積み重ねられたことは実に素晴らしかったと思う。
上位陣が充実し、力相撲も多く、相撲の醍醐味を堪能できた本当によい時代だった。
457 :
448:2010/10/22(金) 23:46:42 0
>>453-456 細かい部分の相違はあるにせよ、貴殿の意見にほぼ同意です。
違うのは、仮に輪島の昭和50年のスランプが無ければ、輪島は2〜3回優勝できたであろうということと同時に、
もし昭和50年の輪島のスランプが無く、この年北の湖の芽を摘むくらい心理的打撃を与え得たとしても
北の湖の急激な成長ぶりを見れば、昭和51年の段階で北の湖はここ一番の弱さは克服できたのではないかという点。
昭和51年から52年にかけて輪島と北の湖は完全に互角だったが、それは北の湖の横綱として安定してきた上昇的傾向と
輪島の年齢的な体力の衰えによる低下傾向がちょうど交差する時期だったのだろうと思う。
それは
>>454で指摘されている「51年は輪島>北の湖、52年は北の湖>輪島」という図式に当てはまる。
だから、仮に昭和50年の段階で輪島が北の湖に心理的コンプレックス(苦手意識)を持たせるまで
徹底的に叩けたとしても、昭和51年のいずれかの段階で北の湖の決定戦に弱いという心理的な弱点は
克服されたものと考えている。そうなれば、力が逆転するちょうど境目の51、52年に輪島が北の湖より
優勝回数で大きく差を付けるのはちょっと考えにくくなると俺は考えたんだけどね。
輪島の相撲カンは北の湖が及ばないくらい鋭く、だから投げのタイミングを読む輪島の巧妙な取り口に
北の湖は何度も煮え湯を飲まされたわけだが、輪島の体力的衰え(スタミナ消耗)で、北の湖の体力を活かした
馬力相撲が、輪島の巧妙な取り口を圧倒できるまでに成長したのが昭和52年だったのだろうと見ている。
昭和53年になると、北の湖の圧倒的馬力相撲は安定感も増し、以前のバタバタ慌てるクセも潜めたので、
輪島が付け入るスキが無くなったのではないかと思える場面が度々見られた。
(448で書いた、昭和53年名古屋14日目の全勝決戦はそう言う意味で象徴的な一番だったと思う)
458 :
448:2010/10/22(金) 23:48:43 0
「たられば」は意味が無いと知りながら、もし昭和50年の輪島のスランプが無ければ、
輪湖の横綱同士の優勝決戦は、昭和50年から52年まで3年間にわたって続いたかもしれないという可能性も否定できない。
この年は貴ノ花は大関だから除外するとしても、関脇三重ノ海や平幕金剛あたりが
優勝しているわけだから、輪島が最低でも2回は優勝できておかしくない状況だったし、
北の湖も輪島の牙城を崩すために、横綱の責任として必死にぶつかっていったのではないかな?
そうなればもっと早い時期に輪島攻略法を体得した可能性もある。
>>457-458 その見解には私も同意できる部分が多いです。
444-447、453-456はあくまで輪島にとって最も都合のよいパターンで
想定したタラレバですから。
>北の湖も輪島の牙城を崩すために、横綱の責任として必死にぶつかっていったのではないかな?
>そうなればもっと早い時期に輪島攻略法を体得した可能性もある。
北の湖は苦手克服に少々時間がかかるが、学習能力は非常に高い力士だった。
むしろ、不調の輪島相手に対戦を重ね続けていたら、敗戦の中から光明を見つけ出し、
貴殿の言うように、むしろ輪島攻略を早く身に付けた可能性もある。
場合によっては、一気に北の湖が輪島を追い抜き、52年の半ば頃には明確な
差をつけた、というケースも想定できなくもない。
これは、北の湖が史実より優勝回数を増やすためのタラレバ、になるが。
49年〜50年にかけては、輪湖の二人のライバル関係が史実とは大きく異なった
方法に変えていたかもしてないターニングポイントが実に色々あったと改めて思うな。
逆に51年以降は輪湖限定で考えれば、タラレバを考える余地が余りなくなってくる。
北の湖が充実しすぎて、老いた輪島が史実以上に優勝できるチャンスが想定できないからね。
実際、54、55年の2年間は2回の優勝を除くと、輪島は準優勝もできなかった。
まあ、本当は、輪島が稽古熱心で晩年になってもスタミナ抜群だったら、
というのもありなんだけれど、なぜかこのパターンには皆余りふれないw
多分、ファンは稽古嫌いだけれど天賦の才で北の湖を切って落とす天才輪島、
が好きなんでしょうかね。
>昭和53年名古屋14日目の全勝決戦はそう言う意味で象徴的な一番だったと思う
51、52年の輪島、北の湖の成績が見事なまでに互角だったのは454の通りだけれど、
この53年名古屋場所の時点での両者の通算成績がまた、面白く、
優勝はともに12回、全勝も3回ずつ、北の湖横綱昇進後の対戦成績は10勝10敗、
とこれまた奇跡のように五分五分だった。
ただし、この時、最盛期の北の湖がこの記録をまだまだ余裕で伸ばせるの状態だったのに対し、
輪島の衰えは既に誰の目にも明らかで、記録を上積みするのは苦しい状態だった。
そんな状況下で、勝った方が通算記録でも相手を一歩リードする対戦が戦われた、
というのもなんとも象徴的だった気がする。
内容も448氏の書いた通り、両者のその時の状態をそのまま反映した一戦となった。
水入りに持ち込んだのが、輪島のせめてものプライドだったのだろう。
そして、二人の直接対決の行方がそのまま優勝に直結する大一番も、これが最後となった。
結果的に昭和53年は、輪島の優勝は0で終わったが、他にも優勝できるチャンスの場所があった。
昭和53年の九州場所。
この年1度も優勝していない輪島が奮起して、一方の北の湖が珍しく星を落とす中で後半戦まで勝ち進み、
13日目の横綱若乃花との全勝対決(事実上の優勝を左右する一番)を迎えるわけだけど
この一番も名古屋14日目の北の湖戦同様、若乃花に持久戦法に持ち込まれスタミナの差が出てしまった。
明らかに若乃花も、輪島の攻略法を体得しきった取り口だった。
北の湖が崩れた場所だっただけに、テレビを見ていてひとしお残念だったのも強烈な記憶として残っている。
462 :
待った名無しさん:2010/10/23(土) 12:09:29 0
上の方で51年と52年の比較が出てるけど
確かに51年は正攻法で北の湖に勝ってたけど
52年は誤魔化し誤魔化し何とか凌いでいた感じかな
ただし名古屋は力で捻じ伏せた感じがする
北の湖の53年以降の爆発の兆候がかなり出ていたのが52年
面白い事に内容や年間勝利数は輪島から見て51年>52年
でも優勝回数は51年2回で52年3回なんだよね
そして北の湖はこの逆
それだけ紙一重の攻防が続いてた2年間という事か
>>461 53年九州場所は惜しかったね。
確かに若乃花も北の湖を見習ったか、輪島には持久戦を仕掛けてくるようになった。
ただ、そこはさすがに輪島、北の湖には相手が不調な場所でしか勝てなくなった
53年以降でも54年までは若乃花には5勝5敗で互角の勝負。
若乃花は北の湖より軽く非力だったんで、がっぷりからよくヒョイ、とつり出した。
懐が深く柔軟な体質だったので、北の湖よりは投げるのには苦労していたが。
>>462 >ただし名古屋は力で捻じ伏せた感じがする
52年名古屋の掬い投げは、輪島の技と力が最高の形で融合した決め手だったと思う。
印象的なのは、勝った輪島の方が息絶え絶えで、しばらく起き上がれなかったこと。
文字通り精魂尽きた、という感じだった。
北の湖の上昇線と輪島の下降線がクロスしたギリギリの時期での対戦が、
輪島の劇的な勝利をもたらしたのだろう。
そしてこの1年後の名古屋での全勝決戦では448氏の書いた通り、精魂尽き果て
今度は敗れた。完全に二人の力は離れてしまっていた。
464 :
待った名無しさん:2010/10/23(土) 13:42:28 0
若乃花は自分でも非力を自覚していて
(ただし高いレベルにおける話だとは思うが)
もう少し腕力が欲しかったと言ってたな
昭和53年名古屋14日目の対北の湖戦は、水入り大一番で輪島の体力負けで終わったが、
その前日の13日目・新横綱若乃花戦での輪島の豪快な下手投げも強烈に印象に残っている。
あれだけ見事なまでの左下手投げが土俵中央で豪快に決まったのは、
昭和53年以降の土俵では珍しかったのではなかろうか?
それだけに、その翌日の対北の湖との全勝決戦に期待したんだけど・・・・・
>>463 昭和52年名古屋の輪湖戦は、北の湖が白房下土俵際で強引な上手投げにいくところを
輪島が渾身の左下手投げ(決まり手はすくい投げ)に打ち返して全勝優勝を決めたんだけど、
まだ北の湖の脳裏に3年前(49年名古屋の下手投げ2連敗)のトラウマが残っていたと見えて、
逆に土俵際で投げてやろうという下心が一瞬脳裏をよぎったのではなかろうか?
まだ北の湖の強引な攻めで自滅する悪い癖は、完全に払拭されていないのかな?・・・と思える一番だったが
52年の輪島の対北の湖戦は、浴びせ倒しとか切り返しなど、大技で勝ち星を挙げているが、
もう北の湖を寄りで土俵際まで持っていく相撲は厳しい状況だったことが、決まり手を見てもよく分かる。
>>465 そういえば昭和52年以降輪島が寄り切りで北の湖に勝ったのは一度しかないな(昭和54年夏場所)。
このときは北の湖が肩越しの一枚上手で強引に振り回そうとして横を向いたところを右脇について攻めたもので、
真っ正面から寄り切ったものではなかった。
輪島の天敵は?
高見山、麒麟児、三重の海てとこかね?
>>464 若乃花の同郷の後輩、旭富士も体型、体質がよく似ていて、
非力なところも一緒だった。旭富士はウェイトトレーニングで
腕力を鍛え、突っ張りも武器にするようになったけれど、
それが効果を発揮したのは小柄な相手に限り、力強さは最後まで
余り感じられなかった気が。あの手の体質の筋肉は、力強さは
得にくい質なんだろうか?
>>466 52年以降の対北の湖7勝の決まり手は浴びせ倒し2番、下手投げ2番、
掬い投げ、切り返し、寄り切りが各1番。
老いてなお、力相撲の末、黄金の左で2度北の湖を屠ったのが面目躍如だな。
(52年名古屋の掬い投げも下手投げに近い)
力相撲の多かった輪湖対決だけれど、珍しく早い勝負だったのが
54年名古屋の一番。北の湖が強引に輪島を上手から振り回したら腰が入り過ぎ、
輪島がタイミングよく浴びせ倒した。
469 :
待った名無しさん:2010/10/23(土) 19:43:01 0
52年名古屋は輪島が「勝負を決める為に」自分から上手を取って
渾身の引き付けからの勝利
腰が伸びて慌てた北の湖は強引な上手投げで輪島を呼び込み勝負有り
いつもは力尽きて「止む無く上手を取る」のだがこの時ばかりは違った
右上手からの引き付けは4年ぶりの全勝を目指す輪島の執念を感じたよ
>52年名古屋は輪島が「勝負を決める為に」自分から上手を取って
>渾身の引き付けからの勝利
勝負師輪島の一か八かの賭けだね。
もしここで北の湖が投げにこず、負けじと引き付け返してきて踏みとどまっていたら、
そこで輪島が力尽きて負けてしまうリスクも非常に高かった。
北の湖も予想外の攻勢&輪島の引きつけの強さに少々焦ったかな。
または465氏の見解のような心理も働いたのかもしれない。
ただ、さすがに北の湖相手に自分から上手を取って引き付けにいく戦法を
取ったのは、この一番くらいしか記憶にないな。
胸が合ってしまっては、やっぱり北の湖には分が悪いからね。
471 :
待った名無しさん:2010/10/27(水) 00:39:48 O
51年九州の相撲を見て今後は北の湖に勝つのは厳しくなると感じた。大相撲の末北の寄りに力尽きたように敗れた。52年は何とか機を狙って勝った感じで53年からは力の差は明らかになった。輪島が勝ちを諦めたように胸を合わされ寄り切られるのが定番化した。
472 :
待った名無しさん:2010/10/27(水) 01:08:09 0
昨日の朝日の朝刊に輪島のインタビュー記事
473 :
待った名無しさん:2010/10/27(水) 12:47:13 0
輪湖時代好きな人多いね
栃若や柏鵬にネームバリューは負けてるかもしれないが
内容は輪湖の方が濃い
474 :
待った名無しさん:2010/10/27(水) 13:59:55 0
輪湖戦の場合、両者相四つで輪島は得意の左下手、北の湖も得意の右上手は確実に取れるから
両者十分な体勢での勝負だったので、水入り大一番になる確率も高かったし、
北の湖は左下手をガッチリ引いてがっぷりに持ち込んで、持久戦で輪島のスタミナ消耗を図れるか?
輪島は左下手半身で右からどれだけ絞って北の湖の体を浮かせて左からの投げをきめられるか?
・・・と、見所のポイントが明確に分かっていたので、柏鵬戦のように瞬時に勝負の如何が決まるような
ケースが稀だったから、本当に見応えのある勝負が多かったのは事実。
もし、両者けんか四つだったら、立ち会いの一瞬で勝負の行方が決まるような内容が薄い一番も
かなり多くなったのではなかろうか?
476 :
待った名無しさん:2010/10/28(木) 22:23:49 O
輪島は若い頃の貴ノ花戦以外は北の湖とも若乃花とも水入りでは負け、殆ど寄りでとどめをさされている スタミナないのかね?輪島自身、汗っかきで疲れやすい まわしを取られて寄られるのは得意じゃないといってるが。
477 :
待った名無しさん:2010/10/28(木) 22:31:02 0
稽古がやっぱり足らんからだよ
必要以上な事は絶対にやらなさそうだもん
栃錦は30越しても
取り直し後に若乃花の奇襲の小手投げ食ったくらいで
水入りではほとんど負けてない
478 :
待った名無しさん:2010/10/29(金) 00:44:01 O
53年名古屋だったか、前半輪島が果敢に攻めて投げ打ったり寄るんだが北の湖がほとんど動かず「ああ〜 疲れたぁ〜」って表情で北の湖の肩越しにアゴをうずめてもう攻めれず力の差がついたと思ったよ
479 :
待った名無しさん:2010/10/29(金) 01:39:28 0
栃錦は衰えに応じて対若乃花戦の戦法を変えて吊りや速攻を見せたけど
輪島ってそういうメージはあんまりないよね
480 :
待った名無しさん:2010/10/30(土) 12:13:31 0
対北の湖における左差し右おっつけは
78年以降事実上通用しなくなったのだが
それでも型にこだわった輪島の意地が伺える
>>474 厳密には、北の湖は左下手も取って胸を合わせて初めて十分といえたかな。
他の力士相手なら上手取るだけでもう終わりだったけれど、
輪島だけは胸を合わせるまで油断ならなかった。
だから輪湖対決はまず輪島十分の体勢から始まる、これが輪島が体力的に
衰えてからもしばらくは北の湖相手に互角に戦えた秘訣だろう。
482 :
待った名無しさん:2010/10/31(日) 21:26:05 O
他の横綱と比べて輪島はやたら体力の衰えとかスタミナがないとかいわれるけどなんで?
483 :
待った名無しさん:2010/11/01(月) 01:37:13 O
持久戦で負けてるのが多いのと同時期に北の湖や若乃花ら若いのが台頭した、あと78年輪島が30なってからガクッと相撲に老いが目立ったからでは?
484 :
待った名無しさん:2010/11/01(月) 20:46:34 O
東方横綱輪島
西方横綱北の湖
行司は、木村正之助
呼出しは、寛吉であります。
485 :
待った名無しさん:2010/11/02(火) 00:56:59 O
輪島ってなんかじいさん臭い風貌も相撲っぷりも
51年、52年は輪島は、がっぷり四つでもかなり取れたと思うが…DVD見て確認した。
53年に入ってから北の湖、若の花の仕掛けてくる持久戦方で力尽きることしばしばになったな。
487 :
待った名無しさん:2010/11/03(水) 22:51:48 0
若乃花には53〜54年は持久戦で負けることもあったが
力勝負の吊り出しで捻じ伏せる場所もあって五分
でも最後の1年はやられたね
488 :
待った名無しさん:2010/11/03(水) 23:21:45 O
輪島が持久戦に弱いという弱点が露呈して北や若にやられたのが53年以降だな
輪島は、三重の海に負けて全勝優勝逃したのが二回あるね?
確かそういう記憶があるのだが…なんで三重の海なんかに負けるかな…!
悔しかった!
491 :
待った名無しさん:2010/11/09(火) 06:04:35 O
北の湖や若乃花には長い相撲に持ち込まれ精根尽きて寄り切りで敗れていた 三重ノ海にも寄りで敗れることが多かった。
492 :
待った名無しさん:2010/11/13(土) 20:34:46 O
輪島は30歳少し前から急速に持久力が落ちたな そこを北の湖に見透かされて持久戦で負けてたな 才能だけでは稽古不足を補えなくなった。巧さで北の湖の若さ馬力に対抗できなくなった。
493 :
待った名無しさん:2010/11/14(日) 12:08:23 0
半身で相撲が長引くのはキツイ
北の湖も「輪島関の上に覆いかぶさって体重をかけるようにしてた」って言ってたよ
おかげで輪島の左腕は麻痺してカチコチ
>>490 昭和52年の九州で、この場所不振だった三重ノ海が鬼神の如く輪島を張りまくって破った
この場所は輪島が優勝したが、それ以降カモにしていた三重ノ海が大の苦手になった
さらに北の湖、若乃花には持久戦に持ち込まれ、以降優勝は二回しかできなかった
495 :
待った名無しさん:2010/11/16(火) 06:33:29 O
それを聞くと三重の海は輪島に恨みでもあったんか?それともライバル心?
豊山も輪島戦には、闘志ムキ出しだったが?
496 :
待った名無しさん:2010/11/16(火) 21:21:29 0
輪島のスタミナ切れを待つしかない北の湖はあんまり馬力があるとはいえないな。
497 :
待った名無しさん:2010/11/16(火) 23:34:56 0
自分は当時北の湖の大ファンだったけれど、輪島に対して持久戦に持ち込む
相撲はいまいち好きになれなかった。輪島は本当に良きライバルという感じ
だった。嫌いだったのは朝潮と黒姫山。三重ノ海も変化してまで何で連勝を
止めるんだ!! 失礼しました・・・
>>495 記憶違いがあれば、お許しください。
昭和52年九州場所の三重ノ海は、カド番大関。肝炎をなんとか克服し、大関に昇進するも、ケガでわずか3場所で陥落。陥落直後関脇で10勝し、返り咲くも、大関維持が精一杯の感じ。
カド番の原因、秋場所も7勝3敗から5連敗で負け越し。さらにこの九州場所も7日目を終わり4勝3敗で、8日目が輪島戦をむかえる。師匠出羽海(元佐田の山)にも、進退(引導)について、声かけられていた。
そこで、張り手を交え、輪島に勝利。そして、カド番脱出→自信回復→2けた勝利を続け横綱へ。だったと思います。
輪島は、もともと張り手(つっぱり)が苦手(対高見山・麒麟児)速攻にもやや弱い(北瀬海に、もっていかれたこともある。)で、三重ノ海が、苦手に変わる。
499 :
待った名無しさん:2010/11/17(水) 13:39:05 0
輪島と三重ノ海は同級生(ともに昭和23年早生まれ)
入門は輪島が約7年も遅いにも拘らず
あっという間に追い越されてずっとカモにされていたからね
輪島に対する反骨心はずっと持ってたと思う
輪島からすれば眼中に無かった三重ノ海が突然覚醒した感じで面喰らっただろうね
500 :
待った名無しさん:2010/11/17(水) 23:32:26 0
三重ノ海は1976〜77頃の2横綱5大関で1番影が薄かったよね
誰も横綱になるなんて思わなかっただろう
そういう意味で輪島を張り手で破ったあの相撲は
彼の現役における最大の転機と言えるのでは?
501 :
待った名無しさん:2010/11/17(水) 23:37:35 0
三重の海といえば二子岳との引分の記憶
502 :
待った名無しさん:2010/11/18(木) 20:52:16 O
押した〜押した〜押し倒しぃぃぃぃ!
麒麟児の勝ち
503 :
待った名無しさん:2010/11/20(土) 21:10:52 O
麒麟児&高見山には…何回もやられたな。
両者には各六連敗だっけか?
504 :
待った名無しさん:2010/12/02(木) 07:35:49 O
輪島自身が悔やんでたのでは!再三北や若との持久戦に力尽きオレってスタミナないなぁ がっぷりで寄られると残せないなぁと それでも稽古嫌い変わらず そりゃ北に勝てなくなる罠w 輪島の特に北との持久戦で「あぁ〜疲れたぁもうダメ〜」って表情萌える
全盛時輪島のほうが全盛時北の湖より上だなあ。
タッパのある輪島が左を肩まで差すことによって北の上手を殺したうえで
左の下手を右から絞るかおっつけて殺したら北は打つ手がない。
北としても得意の形だからそうなるように持って行かざるを得ないし。
左が死んだ状態で上手だけ引きつけて出ようとしても、
輪島も左一本で北の巨体を振り回すほど力強いし。
なまじ半身で上手が取れるだけにたちが悪いよ。
千秋楽に52年九州流れたね。
見事な切り返しだった。
507 :
待った名無しさん:2010/12/09(木) 23:36:22 O
輪島は昭和52年から体力の衰えと北の湖が強くなったので寄りで持っていく相撲は見れなくなった。一瞬の機会をみての切り返しや浴びせ倒し、投げで何とか勝ってた感じだ。この年で事実上輪湖時代は終わった。
彗星のごとく…とはまさに輪島の駆け上がる頃の形容にピッタリだと思う
この前ザンバラ頭でデビューした学生さんがあっという間に三役、横綱だもんな
風貌も“お相撲さん”というより“力士”という感じで何ともかっこよかった
509 :
待った名無しさん:2010/12/10(金) 13:45:13 0
輪島は幕下付け出しだから参考記録扱いだけど初土俵から21場所で横綱昇進
仮に序ノ口から初土俵でも序ノ口〜三段目を一場所ずつで通過だろうから
年6場所制以降の最速記録(朝青龍の25場所)を
一場所縮める24場所で横綱に到達した可能性が高い
今なお地元能登半島では数多くの伝説を残す。
中学時代テストの点が全教科合計で30点だったとか(→選択問題を適当に埋めて正解する確率よりも低い?)
プロ入り後も後先考えない、というか考えられない放蕩な金の使い方とか。
ヤ●ザとの花札ではイカサマにまったく気付かずひたすらムシリ取られ続けたとか。
つまり、この人から相撲を取ったら生活力の全くない無力な人間ということになる。
頭のてっぺんから爪の先まですべて相撲で出来ている、そんな感じの人だ。
けど俺はそんな輪島を愛してやまない。
美容院(複数経営)のおぼっちゃまだからな
相撲界を追われることになった借金騒動のとき、取り立て役のヤ○ザの言った名言?というのもある。
「あいつは、学士さまやろ。中卒の俺より漢字を知らんとはどういうこっちゃ」
513 :
待った名無しさん:2010/12/11(土) 21:36:53 0
間違いなく輪島こそ
最強の横綱だ
白鵬でも勝てない
>>512 それは大学出=頭がいいというアホな思考回路してるヤクザが馬鹿って言いたいの?
515 :
待った名無しさん:2010/12/12(日) 08:23:01 0
親方株担保事件で各界追放になった時も、同じことして無罪放免だった二所ノ関みたいな手練手管もなく
ほとんど無抵抗で追い出されてるんだよなぁ…
完璧な相撲の取り口とは対照的に私生活の不器用さがよくわかる
土俵では天才だったが
それ以外では裸で捨てられた赤子同然
>>509 前相撲に出なきゃいけないからプラス4場所は確定
黒姫山(寄り切り)輪島 黒姫山(叩き込み)輪島 黒姫山(引き落とし)輪島
富士桜(叩き込み)輪島 富士桜(突き落とし)輪島 富士桜(引き落とし)輪島
輪島(寄り倒し)巨砲 輪島(上手投げ)千代の富士 輪島(吊り出し)鷲羽山
輪島(下手投げ)増位山 黒瀬川(寄り切り)輪島
>>514 当時の大卒のステータスは今と全然違う。
大学進学率も全然違うしね。
521 :
待った名無しさん:2010/12/15(水) 23:47:27 0
団塊の世代は高卒すら50%以下だったはず
大卒は10%ちょいくらい? 体育会だろうがエリート
522 :
待った名無しさん:2011/01/01(土) 17:37:05 O
あ
523 :
待った名無しさん:
アゲ