いつまでたっても八百長ばっかり!Part9

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341待った名無しさん

「大相撲はスポーツではない。あいまいで矛盾を抱えているものです」 [スポーツ図書館]
土俵の矛盾・舞の海秀平著

 琴奨菊の大関昇進が決まったが、昨今の角界は新弟子暴行死、薬物、野球賭博関与、八百長と不祥事続き。その原因はどこにあるのか、この先大相撲はどうなるのか、どうすべきか。元小結の舞の海秀平氏がその答えに迫ったのがこの本だ。

――そもそもどういうきっかけでこの本を書いたのですか?

「もともとは師匠(50代横綱佐田の山=先代出羽海親方)のことを書くつもりでした。それが八百長問題などが起き、出版社からそれを含めて書いて欲しいとなったのです」

――舞の海さんは本の中で相撲は神事、伝統芸能、格闘技、武士道などの要素を持ち合わせ、スポーツではないと書かれてますね。

「相撲の歩んできた道を考えるとスポーツというより国民の娯楽、楽しみという方が近いと思います。国民の生活の中で日々、感じていること、心の動きを表現しているのが大相撲です。例えば相撲には『待った』があります。
陸上(短距離)ではフライングで失格、待ったはありません。取組前にマイクで東誰々、西誰々とアナウンスしてもいいが、行司が扇子を持って呼び上げて、力士は土俵に上がる。スポーツという位置付けには問題があると思います」

――ただ、勝ち負けを決め、番付を決め、興行として入場料を取る以上、ファンはスポーツとして見ているのではないか?

「相撲をひとつに押し込めるのがそもそも間違いだと思います。長い間、先人たちがいろいろなものを融合させて、生き残るために知恵を絞ってきた。相撲はあいまいで、矛盾を抱えているものなのです」

――スポーツとだけ見るからファンはフェアとか公正とかを求め、八百長にも厳しくなると……。

「不祥事が起こると、相撲界だけは起こしてほしくなかったとか、国技なのに、とか言われる。でも相撲が国技だといつ誰が決めたのでしょうか。相撲界だけ清廉潔白を求められるのはどうでしょうか。
世間を騒がせましたが、人気低迷中の大相撲なので、一般の人は八百長に関心は少ないと思います。現状では相撲にそんなに関心を持っていないのですから(笑い)」

(続く)

日刊ゲンダイ 2011/10/1
http://v.gendai.net/q?uid=1&sid=A817&i=article%2Fdetail&aid=245895&p=1
342待った名無しさん:2011/10/02(日) 19:21:20.37 O

(続き)

――野球賭博や薬物は法律違反で問題です。八百長は法律違反ではないが、相撲の根幹を揺るがす問題ではないのですか?

「私の現役の頃は力士が怪しい相撲を取ったときは協会から呼び出しがあった。そういう緊張感がありました。規律が緩んだり、厳しさがなくなると八百長につながりかねない。興行として成立しなくなるという危機感が昔の執行部にはありました。
その厳しさは足りなくなってきています。ただ八百長は相撲を見る人が実害を被るわけではありません。一般的な価値観だけで伝統文化の大相撲を見るには少々無理がある」

――今後、相撲界はどう進むべきと考えていますか?

「力士はやせることです。やせて足腰を鍛え、少々のことでは前に倒れないようにしないと。そうしないと押しと寄りだけの取組になって、攻防のある白熱した相撲がなくなります」

――協会はどうですか?

「相撲界は謙虚に運営してほしい。特別な組織という思いは通用しなくなった。だから何かあると逆に何倍も叩かれる。ちょんまげ、行司、呼び出しなど伝統文化、名人芸は変わってはいけないが、年寄名跡の問題などシステムや制度には変わらなければいけないものもあります」

――ファンに対してはいかがですか?

「相撲の神髄は武士道、ものの哀れです。相撲ファンはそれを知っていました。だから例えば人情相撲で星を譲ったのではと思っても、それはそれとして受け入れる、大人の見方、粋な見方をしてきました。
政治や社会、文化がそうであるように、相撲も世の中の生活と同じように、矛盾とあいまいさを受け入れている。そういう考えで相撲を見ていただければと思います。大相撲は世の中の出来事や人々の心を映している鏡なのです」

◇まいのうみ・しゅうへい 昭和43年2月17日、青森県出身。日大経済学部を経て出羽海部屋に入門。平成2年5月、初土俵を踏む(幕下付け出し)。平成11年11月、九州場所後引退。平成の牛若丸、技のデパートの愛称で親しまれた。最高位小結。現在、NHK大相撲解説者、スポーツキャスターとして活躍。