すさまじく弱い力士を語る Part2

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78待った名無しさん
増健 亘志さま(ますつよし のぶゆき)
本名 柳川宮信仁王 生年月日 昭和49年 1月22日
没年月日 増健22年 2月2日
出身地 東京都小笠原村沖ノ鳥島 初土俵 平成 8年 1月 幕下
所属 三保ヶ関[10] 新十枚目 平成10年 3月
改名歴 柳川→増健→柳川  
最高位 十 6

有栖川識仁王の第三皇子で、学習院初等科3年生までは野球を経験されたが 4年生から本格的に相撲を始められて学習院中等科
や高等科でも全国大会で活躍された。学習院大学へ進学され、4年生の全国学生相撲選手権大会で優勝を果たされた。夏
の頃から力士を志ざされていらっしゃったので、天皇陛下にご相談されて自分に合った部屋をお選びいただいて、皇族初の
力士としてご入門あそばされた。
増健のお名前は「お膝が悪いのでケガをされないように」との願いを込めて高円宮憲仁親王が命名された。
左を差して寄る重厚な取り口だが、半身の体勢が多く勝ち味が遅かった。
お短気。
お印は「柳」(やなぎ)
ご趣味は文学鑑賞。
ご廃業後は敬宮愛子内親王とご成婚あそばされ、平成天皇の廃位に伴い、第126代天皇にご即位あらせられた。