1 :
待った名無しさん:
我らのヒーロー、ナベツネをみんなで応援しよう。
ナ ベ ツ ネ !
2 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:10:29
ナ ベ ツ ネ !
3 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:24:46
4 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:29:06
渡邉恒雄
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年5月30日 - )は読売新聞グループ
本社代表取締役会長・主筆。読売巨人軍代表取締役会長。通称「ナベツネ」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:32:45
東京大学文学部を卒業して読売新聞社に入社。
週刊読売(現読売ウイークリー)記者を経て、政治部記者となる。
警察官僚出身の社長正力松太郎の目にかなって、自民党有力政治家の
大野伴睦の番記者になり保守政界と強い繋がりを持つようになった。
児玉誉士夫と懇意になり、児玉の指令のもとに九頭竜ダム建設の
補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍したとされている。
大野の死後は中曽根康弘と接近して、今日でもその親密ぶりはよく
知られている。
6 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:34:59
1977年渡邉は編集局総務局長待遇に就任する。1977年2月18日付社説は
百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いたが、1981年
7月8日付紙面では一転して二審判決の統治行為論を支持し裁判所の政治
介入を制限する主張にシフトした。渡邊の主張を取り入れ読売新聞が
中道から保守・反共に傾いていった結果だとされている。しかし、この
ことが読売新聞発行部数1000万部へと押し上げ、近年では常に将来の
国家像の提言を積極的に行うなど政治家、経済界、評論家、海外メディア、
読者などあらゆる方面から支持されている。
7 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:36:01
1981年取締役論説委員長に就任した渡邉は、1984年からの元旦社説を
自ら執筆した。その間、渡邉と意見を異にする論説委員の黒田清・山口正紀ら
が退社に追い込まれたという(渡邉恒雄氏におけるジャーナリズムの研究
〜前澤猛〜から)。1987年元読売新聞社会部記者のジャーナリスト大谷
昭宏は、渡邉が政治部の強権政治を強め社会部を迫害し始めたため読売新聞
を退社した。
1970年代から1980年代にかけて大手新聞新聞社の購読者獲得競争が熾烈
を極める。あの手この手の景品贈答合戦が繰り返され、特に朝日新聞社
と読売新聞社の間で繰り広げられた購読者数日本一の争いは社会問題に
もなった。新聞各社が販売店に厳しいノルマをかけて購読部数獲得を
競った。
8 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:37:14
渡邊は1991年に読売新聞社社長、横綱審議委員、1999年には日本新聞
協会会長に就任した。2005年現在は 読売新聞グループ本社の会長として
在籍している。ジャーナリスト魚住昭の評価によれば、渡邉は猜疑心が
強く不服従の部下には容赦ない攻撃を加えて排除して社内にワンマン体制
を確立した。
9 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:38:56
相撲と渡邉
渡邉は1991年から2005年までの間横綱審議委員として活動。
若貴ブームにわく大相撲界に影響を及ぼした。
ここでも保守的な立場から意見した。2002年9月2日、当時、
怪我に悩んでいた貴乃花光司に対し「秋場所に出ろ。
納得いかないのなら、私が委員長を辞めるしかない。」などと発言し、
膝の故障が完治しない貴乃花に出場を勧告し進退を迫った。
10 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:42:56
人となり
政界では中曽根康弘との親交の深さが殊に知られている。
1991年から2005年までは、日本相撲協会の諮問機関横綱審議委員会の
委員を務めた。ほかにも、大手新聞社の実力者であることを武器に、
様々な分野において影響力を誇示してきた。趣味は読書(哲学書など)
とクラシック音楽鑑賞。ハムスターを飼っている。葉巻とパイプ、
野鳥のえさやりをこよなく愛する。TVドラマ「渡る世間は鬼ばかり」
(橋田壽賀子脚本)の大ファン。 また、私の死亡記事と言う本の中では、
自分の死去はカラスを打ち落とそうとして、屋根から転落死。
葬儀は音楽葬の形式で、この時ジャイアンツが20連覇し、長嶋茂雄が
ノーベルスポーツ賞を初受賞する事が、最大の私への餞だと記載している。
本人は「ナベツネ」と呼ばれる事に嫌悪感を露骨に示している。
(その例が、ある時に記者団に囲まれた時「犯罪者だって被疑人とか付くのに、
何で俺だけナベツネと呼び捨てなんだ!名誉毀損で訴えてやる!
書類を用意しているから待っていろ"特に夕刊紙!」と放言した)
また、あまり知られていないが大変な愛妻家である。
今でも出かけるときはキスを忘れない(本人談)。
11 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:45:43
嫌われ者
読売新聞の敵対メディアからは、常にバッシング報道され
(特に朝日新聞の西村欣也は、渡邉とは関係無いことでもなにかにつけて
批判する。この記者は05年堀内監督辞任後の新監督候補に星野仙一の
名前が上がったことに対して自らのコラムで巨人星野監督に違和感と
題したコラムを書いたとき「一新聞記者がプロ野球の監督人事問題に
口出しするのはおかしい」と星野氏サイドからも批判された)
時にはありもしない報道もされ裁判沙汰になるがこれらの裁判で渡邉は、
全て勝訴している。しかし、現場の渡邉番のスポーツ紙記者によると
記事のネタがないときは、渡邉のところに行けばネタが拾えるため
記者たちは、ネタ欲しさのためこぞって渡邉のところに行く。
このことを現場の記者たちは、「こまった時のナベツネ頼み」と言う。
またそれを察した渡邉が自ら悪役になり記事になるような暴言を吐き
ネタを提供していることを現場の記者は知ってるため現場記者からは、
世間で作られた悪役イメージと違い好感を持たれている。
特に夕刊フジは読売系列と言われるほど好感を持っている
(例:「渡邉会長の慧眼」など)。
一方政界でもかつては大野伴睦と中曽根康弘が「犬猿の仲」である事を
知りながら、両者を渡り歩いた渡邉に対して嫌悪感を抱く者も少なくなかったが、
世代交代によってその事を知る世代が少なくなった事もあり、
そうした意見が聞かれる事はほとんど無くなったという。
12 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:55:39
朝日新聞の西村欣也・・・コイツ、広島の前田智徳についてひどい
記事を書いた香具師だな
13 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 22:56:17
長すぎて読む気せんわ。
14 :
待った名無しさん:2006/05/19(金) 23:00:47
ナ ベ ツ ネ !
16 :
待った名無しさん:2006/05/20(土) 07:12:24
たかが選手が!
17 :
待った名無しさん:2006/05/22(月) 19:07:42
え
18 :
待った名無しさん:2006/06/02(金) 23:55:38
私は声を大にして言いたい「地獄へ落ちろナベツネ!」
19 :
待った名無しさん:2006/06/11(日) 17:01:43
age
20 :
待った名無しさん:
(・ω・) ←ナベツネ