【輪湖時代回顧録】〜奇跡の輪湖時代を語るスレ 2

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1待った名無しさん
前スレ
【輪湖時代回顧録】〜奇跡の輪湖時代を語るスレ
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1138604234/(html化待ち)

今日放送された「大相撲あの年・昭和54年」で流れた取組
初場所14日目 ●若乃花−北の湖○
春場所14日目 ○北の湖−輪島●
夏場所14日目 ●三重ノ海−若乃花○
名古屋場所14日目 ●若乃花−輪島○
名古屋場所決定戦 ○輪島−三重ノ海●
九州場所初日 ●黒瀬川−三重ノ海○
九州場所千秋楽 ●北の湖−三重ノ海○
2待った名無しさん:2006/03/21(火) 16:25:34
何で前スレ急に消えたんだ?
3待った名無しさん:2006/03/21(火) 16:30:24
>>1
昭和54年って横綱陣が充実していたから
あまりわくわくする取組がないね。
この年なら栃赤城とか、北の湖を破るベテラン黒姫山とか
そういうワキの人で面白い取組が結構あるんだけど。
旭國と魁傑の最後の相撲とか。
4待った名無しさん:2006/03/21(火) 16:32:24
北の湖の相撲が長かったってのはわかるけど
通常の位置からの映像にしてほしかったな・・・
なんかドキュメンタリーで使うみたいな映像にされても
5待った名無しさん:2006/03/21(火) 16:39:53
むしろ俺は名古屋の決定戦を流してくれたので有り難かった
晩年の輪島は三重ノ海にほとんど勝てなかったと思うので貴重
6待った名無しさん:2006/03/21(火) 16:48:43
個人的に見たい昭和54年の名取組の数々

初場所10日目 ●魁傑−出羽の花○  魁傑最後の一番
初場所10日目 ●貴ノ花−長岡○  長岡(のち大関朝潮)、大関初挑戦で殊勲の星
春場所9日目 ○三重ノ海−栃赤城●  投げの打ち合いで取り直し、三重流血
夏場所10日目 ●北の湖−三重ノ海○  北の湖33連勝ならず
夏場所13日目 ○若乃花−輪島●  全勝対1敗、水入りの大勝負
名古屋場所初日 ●三重ノ海−栃赤城○  とったりを打ち返され、綱取り三重初日黒星
秋場所7日目 ○三重ノ海−旭國●  旭國最後の一番
秋場所中日 ●北の湖−玉ノ富士○  玉ノ富士、対北の湖20度目の挑戦で遂に初勝利
九州場所12日目 ●輪島−栃赤城○  栃赤城、史上3人目(当時)の1場所3金星獲得

半分以上が三重ノ海と栃赤城絡みになってしまったな
別にファンだったわけではないんだが
7待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:03:40
これも
初場所7日目 ●北の湖−黒姫山○ 北の湖、苦手黒姫山に連敗
初場所13日目 ●若乃花−三重ノ海○ 立ち合いの一瞬に肩透かしと首捻りの複合技
名古屋場所6日目 ○栃赤城−貴ノ花● 北出アナが「この人の相撲は最後の最後まで分かりません」と絶叫
秋場所4日目 ○三杉磯−北の湖●
秋場所5日目 ●三重ノ海−三杉磯○ 三杉磯一瞬の輝き、勝ち越せば確実に三賞だったが…
8待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:05:19
三重ノ海確変の年だよな。
この年は若乃花の優勝はあったっけ?
北の湖と輪島と三重は覚えているが。
9待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:09:56
夏場所14勝1敗(北の湖のみに負け)で優勝
この年4横綱全員が優勝を記録している
10待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:18:20
>>9
昭和54年の優勝力士

初 北の湖
春 北の湖
夏 若乃花
名 輪 島
秋 北の湖
九 三重海
でFA?
11待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:18:53
>>10
ok
12待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:22:02
>>10
イエス。

初 北の湖  14−1(黒姫山)
春 北の湖  15−0
夏 若乃花  14−1(北の湖)
名 輪 島  14−1(三重ノ海)
秋 北の湖  13−2(三杉磯、玉ノ富士)
九 三重海  14−1(栃赤城)
13待った名無しさん:2006/03/21(火) 17:33:59
>>12
ハイレベルな星の内容で優勝していたんだね。
横綱陣すごすぎ。
14待った名無しさん:2006/03/21(火) 21:29:19
この年の横綱の成績

初 輪10−5 北14−1 若11−4 (三11−4)
春 輪12−3 北15−0 若12−3 (三10−5)
夏 輪12−3 北13−2 若14−1 (三13−2)
名 輪14−1 北12−3 若11−4 (三14−1)
秋 輪10−5 北13−2 若11−4 三11−4
九 輪10−5 北10−5 若12−3 三14−1

計 輪68−22 北77−13 若71−19 三73−17
15待った名無しさん:2006/03/21(火) 22:40:56
>>14
一桁勝利が四人で一度も無いとは…素晴らしい。

ちなみに55年は、
初三重ノ海
春北の湖
夏北の湖
名北の湖
秋若乃花
九輪島
54・55年は北の湖と三横綱の時代と言えるだろう。
16待った名無しさん:2006/03/21(火) 23:07:00
三重の海は本当に一瞬の輝きだったんだね・・。
翌年の九州場所前に引退発表だいね?
17待った名無しさん:2006/03/22(水) 00:54:06
◎昭和55年

初 三重ノ海 15−0
春 北の湖   13−2(朝汐、若乃花)
夏 北の湖  14−1(朝汐)
名 北の湖  15−0
秋 若乃花  14−1(巨砲)
九 輪  島  14−1(若乃花)

こんだけ磐石な四横綱時代も56年に入ると一気に世代交代の波が来て
優勝したのは北の湖だけになってしまうんだよな…

>>16
55年九州場所2日目・玉ノ富士戦が最後の一番ですね
18待った名無しさん:2006/03/22(水) 01:11:37
玉ノ富士が立ち合いに変化して、三重ノ海はあっさりと落ちた。
しかし、琴ノ若に勝った駿傑のように、2chで叩かれなかった。
19待った名無しさん:2006/03/22(水) 01:32:02
若乃花、三重ノ海、輪島、北の湖全員連続優勝無しで横綱昇進

やっぱ今の基準厳し過ぎないか?
20待った名無しさん:2006/03/22(水) 10:10:05
>>2
レス数が980超えると短期間でdat落ちしちゃうんだって。
1000までいけば24時間は残ってるんだけど。
失敗したなぁ〜ログ保存しときゃよかった・・・
21待った名無しさん:2006/03/22(水) 11:35:21
【輪湖時代回顧録】〜奇跡の輪湖時代を語るスレ
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1138604234/
2220:2006/03/22(水) 14:04:17
>>21
それ過去ログ倉庫行きになってんでしょ?
オレ普通のIEだし●もないから見れないんだよね。
にくちゃんねるで検索しても出てこないし。
自分のPCにログ保存しときゃよかったorz
23待った名無しさん:2006/03/23(木) 01:44:30
>>19
直前3場所の成績
輪 島 11−4 13−2  15−0優= 39−6
北の湖 10−5 13−2優 13−2 = 36−9
若三杉 13−2 13−2  14−1 = 40−5
三重海 10−5 13−2  14−1 = 37−8

栃 東 2J2 14−1優 8−3(11日目終了時点)

というわけで来場所ガンガレ>栃東
24待った名無しさん:2006/03/23(木) 16:23:41
櫻の咲く頃、都内でオフ会キボンヌどうよ?漏れの頭の中は輪湖や脇役でパンクしそうですよ
25待った名無しさん:2006/03/23(木) 16:32:28
この前蔦谷で借りた昭和の名勝負で昭和53年の北の湖対輪島の13連勝対決見たけど
あれは鳥肌モノだね
負けた輪島はあの後箸も持てなくなったそうな
この頃の北の湖に勝てるやつってこれ以降では平成6〜8年の貴乃花もしくは曙くらい?
26待った名無しさん:2006/03/23(木) 18:36:24
輪島・・・琴風、北の湖・・・多賀竜、若乃花U・・・朝潮、三重ノ海・・・玉ノ富士。
現役最後の一番を考えると、琴風に負けた輪島だけが突然?という記憶がある。
初日勝って2日目に負けただけなのにね。あとの3人はもう刀つき矢折れた感じ
だったけど・・・
27待った名無しさん:2006/03/23(木) 20:08:22
>>26
輪島は余力を残しての引退だったよね。
花籠継承があったから・・・
28待った名無しさん:2006/03/23(木) 20:37:39
輪島は二枚鑑札説もあったよな。
花籠も死期を悟っていたのかな、
引退の半年後に亡くなってしまった。
29待った名無しさん:2006/03/23(木) 21:09:53
ハクホウというのは美しい響きがあるといわれるが
○ンコというのは忘れがたい響きがある
30待った名無しさん:2006/03/23(木) 21:50:21
都内オフ会か。裏山シス。
それがしは現在関西在住なもんで。負け惜しみ言うと、桜の名所が近いw

輪島ー琴風と言えば、現役最晩年の大相撲トーナメントで例によってがぶって出る
琴風を、左を引いた輪島がぶん投げて転がし(上手か下手か失念)、実況で
「輪島の黄金の左は生きています!」と絶叫してたのが印象に残ってる。

まあ、ありがちな安っぽい実況なのかもしれんが、このスレではおそらく若僧の
51年初頭以降の輪島ファンだった俺は問答無用に感動した!w

前スレがなぜか落ちて残念だったが、ここの住人の大半が輪湖はじめ、当時の相撲を
こよなく愛しておられる諸氏でうれしい。それがし同様に当時、砂場相撲を楽しまれた
諸氏もおられるようだw。いまさらながらスレ立ての御仁乙!

いや、なにも今も引き続き相撲を楽しんでおられる方々に「最近の相撲は・・・」
などとしたり顔でけなすつもりはない(あんまり見てないしw)。

パート2もちょくちょく拝見させていただこうw
31若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/23(木) 23:10:42
輪島もがっぷり四つで負けたけど、さあ明日頑張ろうという感じだったけど、
花籠親方の定年が春場所中だったはずでその絡みで引退。
しかし、2日目に1敗して引退しなくてもという気持ちだった。

あと、増位山もひっくり返って負けたような記憶だけど、まだやれるんじゃないの
と思ったけど相当ヒジが悪かったみたい。

昭和54年の相撲を放送してたけど、熱戦・好取組の復活がないかなあ。
あれは大相撲あの年は、時事の放送で相撲の歴史じゃない感じがするから少し嫌。
32待った名無しさん:2006/03/23(木) 23:21:13
>>31
ハゲ道。大相撲あの年は世相を振り返るのはメインになている。
いぜんの熱戦・好取組は相撲だけを流してくれるのでたくさんの
好勝負が見れたのに。
今でも覚えているのは10年前に昭和51年秋場所を放送したんだわ。
麒麟児が北の湖か輪島のどっちかを破ったり、最後は筆さまが魁傑と
高見山の優勝決定の相撲が出たり、充実していた。
あのころはハワイ勢全盛でパワー勝負の時代だったから、昔の相撲が
余計懐かしく感じたものだ。技の攻防、手さばきの妙味があったからな。
33待った名無しさん:2006/03/24(金) 13:20:00
>>31確かに。輪島が引退して2日後増位山も栃赤城に負け(浴びせ倒しだっけ?)、引退
したけどその時点でまだ2勝2敗だったな。でもそのおかげで5日目を休場する予定だった
隆の里が増位山引退のニュースを聞きつけ、急遽休場を撤回して棚ボタの5連勝をモノに
したのを憶えている。まあ、この時期は3場所連続で三重ノ海・貴ノ花・輪島・増位山の2
横綱2大関が引退するという、ちょっと異常なタイミングだった。
34待った名無しさん:2006/03/24(金) 15:08:08
80九から81春、91夏から92年、02年から03年は
時代の転換期だった。
35Lemonbalm:2006/03/24(金) 17:22:33
>>30自分も昭和51年頃からの輪湖時代が大好きですが、もう43歳なんで若輩とは言えないかも知れ
ません。この2人の偉大な横綱とただ1回のみ対決できた幸運な力士で思い出のあるのが、次の2名です。
琴ヶ嶽:幕内在位僅か6場所ながら、昭和52年3月場所の11勝4敗という好成績で翌場所筆頭に昇進。3
勝12敗と散々ながら輪島とは四つに組んで大善戦した。北の湖ともこの場所1度きりの対戦でこっちは
完敗。細身ながら力が強そうで、吊りが得意。十両時代の千代の富士も吊り出してました。
騏ノ嵐:北の湖と唯一対戦した昭和57年9月場所で生涯1個の金星獲得。幕内→三段目→幕内復帰した史
上初の力士。でも隆の里ファンだった自分には敵役でした(隆の里に2勝1敗)。こっちはアンコ型でやは
り吊り出しをよく見せてた気がする。幕内復帰した昭和62年3月場所、まだ平幕だった霧島を吊り上げ、
「衰えてないなぁ」と思ったものでした。
36Lemonbalm:2006/03/24(金) 18:55:17
あ、間違えてた!北の湖は翌昭和57年11月場所で騏ノ嵐には雪辱してましたっっっ。この場所は
休場のイメージがつきまとってたんでまさか終盤まで取っていたとは・・・因みに前スレを拝見して
いないんで既出かも知れませんが、「輪湖」と対戦した力士で最も遅くまで現役でいたのは誰ですか
ね?矢張り、輪島が引退して10年以上現役だった千代の富士でしょうか?
37待った名無しさん:2006/03/24(金) 21:04:49
>>36
小錦じゃまいか?
38待った名無しさん:2006/03/24(金) 21:16:58
>>37
北の湖ならそうだろうけど、輪湖ってことなら巨砲あたりかしら。
39待った名無しさん:2006/03/24(金) 21:22:22
あー、巨砲ぽい
40若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/24(金) 22:27:45
>>33

当時増位山の不戦敗は、てっきり休場と勘違いしてた。
翌日の新聞で引退を知ってしまったというオチがあった。

横綱大関の相次いでの引退はちょっと問題になってた。
41レモンバーム:2006/03/24(金) 23:01:15
38・39さん、ありがとうございます。確かに巨砲ですね、千代の冨士が平成3年5月、
巨砲が平成4年1月引退ですものね。それにしてもこのスレは素晴らしいです。皆さん
本当に国技・相撲を愛していらっしゃるんだなあと・・・37さん、北の湖だと小錦っぽい
です。さすがに北の湖が引退して13年も現役だった小錦を凌ぐ人物はいなさそうです。
でも、このスレの住人は優秀だから思いがけない人物を掘り当てたりして・・・
42待った名無しさん:2006/03/26(日) 00:06:08
優勝を賭ける白鵬vs大関残留を賭ける魁皇か

49年夏場所14日目の北の湖vs大受を思い出すぜ
43待った名無しさん:2006/03/26(日) 01:29:36
輪島は滅多に投げ技なんて食わないんだけれど、
たま〜に負けて土俵に横転したとき、
いつまでも亀の子をひっくり返したような姿勢で
土俵に寝っ転がっていることがあった。
当時の「相撲」誌で更科四郎の漫画で
あれはみっともないからやめてくれと書かれていたのを覚えている。
44待った名無しさん:2006/03/26(日) 02:14:06
「相撲」誌の漫画といえば、荒川かん氏は?
45待った名無しさん:2006/03/26(日) 09:42:12
>>43
どんな力士でも(曙、小錦ほか、あの類の巨漢除く)、廻しを絞めた股下露わに
転がっているところは無様&ハファハファだけれど、輪島とか若乃花Aのようなスマートな
力士はエロエロやったな。
輪島だと、昭和53年夏6日目の高見山戦(●寄り倒し)が凄エロ。
46待った名無しさん:2006/03/26(日) 11:47:22
>>45
この前流れた54春北の湖戦も凄いぞ。
47待った名無しさん:2006/03/27(月) 11:05:39
北の湖初の連覇は53年春で、かなり遅い印象がある。
48若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/27(月) 12:49:48
>>45

エロはともかく、若乃花は大錦にひっくり返されてた。
49待った名無しさん:2006/03/27(月) 14:16:40
>>47
やっぱり輪島っていう強力なライバルがいたからなんだろうねぇ。
50待った名無しさん:2006/03/27(月) 17:14:46
今週土曜日17時蔵前集合でオフ会どうだろうか?漏れも輪湖ファンの端くれ言い出した以上責任持ちます。敵前逃亡しないよ!
51待った名無しさん:2006/03/27(月) 17:39:47
夜の帝王輪島と努力の人北の湖の覇権争奪の輪湖時代浪花節だよ!ハアハア
52待った名無しさん:2006/03/27(月) 19:28:23
>>50
蔵前ね・・・オレは前スレでも言った通り北海道の田舎なんで
参加はムリだけど、もし実現したら思い切り楽しんでください。
53待った名無しさん:2006/03/27(月) 22:19:58
49名の本割りで負けた時の北の湖の形相は物凄く、
ベテランの相撲記者も今まで見たことがない程の悔しさが溢れた表情だったそうだ。
54待った名無しさん:2006/03/27(月) 23:46:55
昨日の優勝決定戦が大相撲だったのは確かだけど、この時代はもっと大相撲になってた取り組みが多かったよね。
すべて輪島絡みだけど、VS北の湖、VS貴ノ花、VS若乃花は熱戦が多かったね。
この三つの取り組みは、毎場所楽しみでしたよ。特集でDVD出ないかなあ。
55待った名無しさん:2006/03/30(木) 16:15:25
輪湖2強時代といえる51年・52年を思い起こしました。まずは51年。相撲内容などは
省き、優勝争いを中心に見てみました。この年の優勝は北の湖3、輪島2、魁傑1.


【51年】
〜初場所〜
優勝は北の湖。輪湖による2敗相星決戦を制した。輪島は初日2日と連敗、北も序盤で
2敗したが、その後は勝ち続け、輪湖初の相星決戦が実現した場所。
〜春場所〜
優勝は輪島。北の湖が低調で10勝どまり。輪島も終盤やや息切れしたが、落日の輪湖戦も
制して13勝2敗でV8。輪島は北瀬海と貴ノ花に負けた。
〜夏場所〜
優勝は北の湖で6回目。輪湖2人だけの場所となり、北の湖1敗、輪島2敗で迎えた
千秋楽、本割りは輪島が勝ったが、決定戦では北の湖がお返し。決定戦に弱いジンクスを破った。
〜名古屋〜
優勝は輪島。先場所とは逆のパターンで、輪島は1敗、北の湖は2敗で楽日を迎えた。ちなみに
ともに麒麟児に敗れている。輪島が本割りですっきり勝って優勝。
〜秋場所〜
優勝は前頭4枚目の魁傑。対戦のない輪島が苦手の高見山に破れるなどして3敗、北の湖は終盤の
大関戦で3連敗して10勝止まり。大関陣も2桁がやっとというなか、魁傑が2度目の
優勝をさらった。元大関である。
〜九州場所〜
輪湖相星決戦を制した北の湖が優勝。北の湖は5日目、輪島は9日目にそれぞれ若三杉に敗れたが
その他は両者勝ちっぱなしを続け1敗同士の相星決戦となった。まさに輪湖時代そのものと
いえる場所。北の湖は大一番でも力が出せるようになってきた。
56待った名無しさん:2006/03/30(木) 16:54:35
【52年】
〜初場所〜
優勝は輪島で大台のV10。相星決戦を制した。勝ち続けた北の湖が12日目に大関取りの
若三杉に敗れ混戦に。若三杉は輪湖をそろって倒し、11勝。大関昇進を決めた。貴ノ花は
久々に12勝。北の湖が14日目に貴に敗れたため、2敗同士による2場所連続の輪湖決戦。
〜春場所〜
北の湖が自身初の全勝優勝。貴輪湖の3者の争いで、残り3日の時点で、全勝北、1敗で貴輪
という展開。13日目貴ノ花が北の湖に挑んだがあえなく敗れ後退。しかし、翌14日目に1敗
の輪島を貴ノ花が破り2敗としたので、北の湖の優勝が決定した。最後は輪湖戦も制して全勝達成。
〜夏場所〜
大関若三杉が初優勝。輪島は序盤からポロポロ取りこぼし結局4敗。北の湖は中日黒姫山に敗れ、22
連勝でストップ。13日目に1敗若三杉が2敗北の湖を破り、13勝で初優勝を達成した。
〜名古屋〜
優勝は輪島。全勝優勝である。輪湖が圧倒的で、北の湖が苦手黒姫山に破れたのみ。千秋楽は全勝と1敗
の輪湖決戦。大相撲を輪島が制してV11。綱取り若三杉は10勝止まり。まさに輪湖時代。
〜秋場所〜
優勝は北の湖。こちらも全勝優勝である。王者の風格も出てきた北の湖。輪島が終盤崩れるなか、北と優勝
を争ったのは大関・旭国。こちらも勝ち続けた。14日目に全勝同士による大一番。しかし、北の牙城を
崩せなかった。旭国はこの負けだけで14勝。結びの輪湖戦で輪島が勝てば再び北の湖への挑戦権を得たのだが
北の湖の勝ち。憎らしいほど強いとはまさにこのこと。
〜九州場所〜
優勝は輪島。北の湖独走時代に待ったをかけた。北の湖が4日目新鋭琴風に敗れ、輪島も中日に
三重ノ海に敗れた。しかし、それだけ。両者勝ち続け、1敗同士の相星決戦。52年をしめくくる
大一番は先輩輪島が制した。12回目の優勝、双葉山に並ぶ史上2位である。

北の湖が年間80勝をあげ、いよいよ大横綱への予感を感じさせた年だったが、この年の
優勝者は輪島3、北の湖2、若三杉1。北の湖が強味を増すなかでも、2度の相星決戦、1度
の1差決戦を制した輪島は見事だった。輪島は年間75勝。輪湖がやはり抜けていた。
57待った名無しさん:2006/03/30(木) 16:55:19
すぐにまわしをとらすへぼい時代
58待った名無しさん:2006/03/30(木) 18:47:22
>>55
>>56
乙です。
やはりレベルの高い優勝が多いですねえ。

59待った名無しさん:2006/03/30(木) 20:57:13
>>55>>56
GJ!!参考になります!やはり2強はすごい・・・
60待った名無しさん:2006/03/30(木) 21:41:22
>>56
乙。
ううむ、52年は輪島に3回も優勝をさらわれながら80勝した北の湖はさすがだな。
輪島ファンだった俺も素直に脱帽だ。その全盛期を迎えた北の湖に立ちふさがった
輪島をうれしくも称えたいとも思う。
61雪と氷の名無しさん:2006/03/31(金) 00:22:48
俺は51年に魁傑が14勝1敗で平幕優勝したのが印象深い。
この場所は北の湖は10勝5敗輪島も同だったと思う。
魁傑の1敗は北の湖。このあと魁傑は大関に復帰する。
62待った名無しさん:2006/03/31(金) 00:32:35
>>55>>56
輪湖強すぎ・・・いい時代だな。
63待った名無しさん:2006/03/31(金) 01:11:04
所詮日本人だけの時代か
高見山はともかk
64待った名無しさん:2006/03/31(金) 05:08:30
>>56
あと若三杉の成長ぶりも目を引きますね。
65太刀山型の土俵入り:2006/03/31(金) 05:39:32
>>63
三重ノry
66待った名無しさん:2006/03/31(金) 15:44:19
>>55
>【51年】
>〜春場所〜
>輪島も終盤やや息切れしたが、落日の輪湖戦も
>制して13勝2敗でV8。

これちょっと違う。
この場所は輪島と旭国が13勝2敗で優勝決定戦をやって輪島が勝ったんだよ。
輪島は前の年の大スランプを乗り越え9場所振りの優勝だった。
67待った名無しさん:2006/03/31(金) 22:02:50
今日のプロ野球の開幕戦見ていて思い出したんだが、
昭和51年の巨人の開幕戦の始球式は輪島とボクシングの輪島功一のコンビが
バッテリーで登場したはず。
輪島は前年のスランプから再起、そして輪島功一も王座に返り咲いて、
前年史上初の最下位の巨人もそれにあやかって再起・・・という趣向だったと思う。
6855,56:2006/03/31(金) 22:08:43
>>66すみません。旭国との決定戦を書き逃しました・・・
69待った名無しさん:2006/03/32(土) 22:20:13
>>66
この場所は旭國(準優勝&技能賞、場所後大関昇進)、
鷲羽山(北の湖と貴ノ花に勝ち敢闘賞受賞)、
北瀬海(輪島から金星を挙げ12勝で殊勲賞)と小兵力士が活躍して
チビッコ旋風って言われた場所だったねえ
70待った名無しさん:2006/03/32(土) 22:23:06
>>67
始球式って、神宮でやったやつだっけ?(ヤクルトvs讀賣)
71待った名無しさん:2006/03/32(土) 22:36:27
>>43
その癖はレスラー時代も残ってて、技かけられたあと「うがー」って寝転んだままで
馬場に苦言を呈せられてた。
7267:2006/04/02(日) 11:30:18
>>70
そうかもしれない。
じゃヤクルトの開幕主催試合だったのか。
巨人は前年最下位だから本拠地開幕権がないもんね。

>>71
言われてたねえ。
寝転んだままでよく天龍に背中蹴っ飛ばされてたな。
73待った名無しさん:2006/04/02(日) 11:34:03
高見山ののどわからの押しや増位山あたりの足技で転がったときに
顔をしかめたままでしばらくそのままの姿勢だったなw

切れ味抜群・黄金の左からの投げのかっこよさでガキどもを興奮させ、
確かで隙のない相撲の上手さで通を唸らせ、
負けて転がったときのみっともなさでアンチから笑いを取る。

一人で何度でもおいしい輪島はやはりすばらしいなw
74待った名無しさん:2006/04/02(日) 12:32:23
輪島は投げ技で負けることは少なかったが、がっぷりに組んで寄られると
かなり弱かった希ガス 北の湖も輪島には腰を密着させて寄るのが効くと
言っている 尤もなかなかそういう形にさせてくれなかったとも述べてるが

75待った名無しさん:2006/04/02(日) 13:39:27
黒姫山や富士桜の引き技に転がされていた輪島にも萌える。
76待った名無しさん:2006/04/02(日) 15:08:29
黒姫山に引き落とされて
相手の股の間に首突っ込んでたときあったなw
77待った名無しさん:2006/04/02(日) 19:08:42
>>74
晩年はねぇ。輪島の体力が落ちたから。
若乃花にはよく負けてたなぁ。
78待った名無しさん:2006/04/02(日) 20:59:48
>>74>>77
51,52年頃は若三杉(若乃花U)に苦戦する北の湖(対戦成績で一時リードを
許してたと思う)を尻目に、輪島はがっぷりからしばしば若三杉をつり出していたな
79待った名無しさん:2006/04/02(日) 21:02:35
>>78
大関時代は若三杉のほうが勝ってたね。北の右上手をうまく切ってた。
80待った名無しさん:2006/04/03(月) 01:39:06
>>56
>【52年】
>〜春場所〜
>最後は輪湖戦も制して全勝達成。

これ確か水入りの大相撲だったよね。
既に北の湖の優勝は決まっているので、輪島が勝っても関係ないんだけど、
北の湖の全勝だけは阻止せんと頑張る輪島の闘志はすごかったな。
81待った名無しさん:2006/04/03(月) 12:40:50
「サチコメンタイコなんて出来たのか!」

「大通りへ出るまで、五キロも歩いたよ」
「大通りまで五百メートルぐらいですが」
「だから五キロじゃないかよ」
82待った名無しさん:2006/04/04(火) 12:36:12
>>80
でも長い相撲の末、精根尽き果てて吊り出しで敗れて北の湖の全勝を
阻止できなかったね。
輪湖対決は昭和49年頃のまだ輪島が力が上で北の湖を寄りや投げでぶっ倒す
相撲、昭和51年以降の大相撲の末、北の湖の怒涛の寄りが冴える相撲がイイ。
輪島の晩年はあまりに輪島が衰えて色褪せた感がある。51,52年が最高。
83待った名無しさん:2006/04/04(火) 15:23:25
51・2年は輪島の七勝五敗ですな。
84待った名無しさん:2006/04/04(火) 16:32:43
輪島が勝つときは電光石火の切り返しとか一瞬の投げ技が多くなってきたね。
85待った名無しさん:2006/04/05(水) 22:07:20
輪島の下手投げを喰らっていた北の富士、大麒麟、長谷川、足の送りが下手な力士ばかりだね。
86待った名無しさん:2006/04/06(木) 18:01:58
>>84
52年の名古屋が大相撲の末に輪島が北の湖を破った最後の相撲だね
個人的に輪島の生涯最高の一番だと思う
87待った名無しさん:2006/04/10(月) 15:24:43
ところで本州のほうじゃそろそろ花見も終わり、ってところも
あるみたいだけどオフ会の話はどうなりました?北海道じゃ花見なんて
まだまだ先だけどw
88待った名無しさん:2006/04/11(火) 20:22:35
「僕にとって休むことは仕事を放棄すること」。
あの大記録をつくった阪神タイガース・金本選手のことば
を耳にして、「休場は試合放棄」の名語録を残した元大関
魁傑の放駒親方を思い出した。
89待った名無しさん:2006/04/11(火) 21:32:44
>>81笑った。ていうか輪島はなんで大学に進んだんだろうね?高校じゃそんなに素質開花してたわけじゃないのかな?
90待った名無しさん:2006/04/11(火) 22:22:21
>>89
詳しくはわからんがあの脳ミソで日大進学できたんだから大器の片鱗はあったろう。
名前忘れたが高校野球の名門星稜(松井秀の母校)の部長が元は相撲の猛者だった
らしいが、一人とんでもない怪物に敗れ相撲を諦めたんだとか。それが輪島。

この時代はスポーツで突出した能力あると進学は今以上に容易だったのかも。
嘘か真か北野たけしが友人の松尾雄治(ラグビー新日鉄釜石の名スタンドオフ)の
事を「松尾なんて日大受けに行ったのに明治から合格通知来たんだからすごいよ」
といっていたなw
91待った名無しさん:2006/04/11(火) 22:34:19
>>90
惜しかったね。後1秒書き込み時間が遅ければw
でも輪島だったら「1分だろ?」とか・・・
言わないか、流石にw
92待った名無しさん:2006/04/11(火) 22:45:26
>>90サンクスです。卒論に名前だけ書いて出したなんていうのは有名な話ですよね。
93待った名無しさん:2006/04/11(火) 23:50:56
>>92
後年借金で相撲界を追われたときに、取り立ての人間(多分筋者)が
「あいつは学士さんやろ。中卒の俺よりものを知らないってどういうこっちゃ」
と言ったというエピソードもある。
94待った名無しさん:2006/04/12(水) 00:33:29
>>89
高校の時に監督の家での泊まり込み生活ですり足などの基本を叩き込まれたと聞いた。
95待った名無しさん:2006/04/12(水) 00:48:42
輪島がランニングを行ってる事に対して、当時はランニングは腰高になるから相撲の稽古には
向いてないとか、何かそんな感じの否定的な意見が多かったみたいですけど実際にはどうなんでしょう。
96待った名無しさん:2006/04/12(水) 01:12:22
野球なんかだと足腰を鍛えるには、とにかく走りこめ!というようなことは
よく言いますね。足腰の筋力を鍛えるのには役立ったのではないでしょうか。
腰を落とすということは、普段の摺り足の稽古で身に付けることも出来ますし。
97待った名無しさん:2006/04/12(水) 06:03:07
親方連中は「走って相撲が強くなるならマラソンの君原は大横綱だ」って
笑ってたらしいけどね。でも結局は最高峰を極めちゃったからね。
どんなジャンルでも常人とは違うこと、あるいはできないことをやって
そこまでいっちゃうのが天才の天才たる所以では?
98太刀山型の土俵入り:2006/04/12(水) 06:05:48
あの当時でMYポットを既に持ち歩いて輪島はハイカラさんが通る。
99待った名無しさん:2006/04/13(木) 22:46:33
>>89
邪推すると、相撲の非凡さは群を抜いていたからスカウトも殺到したのかも
しれんが、あの脳ミソを心配した周囲が進学を薦めたのかもしれんな。

大学行っても勉強するわけじゃなく相撲づけだから
脳ミソはなんもかわらんかったわけだがw
しかしそれが相撲の天才輪島の輪島たる所以w
100待った名無しさん:2006/04/14(金) 02:54:17
輪島はスランプん時はまじぼこぼこに書かれてた夜の帝王だとか博打横綱とか。意外に土俵外でもお騒がせ者だったような気がする。
101待った名無しさん:2006/04/16(日) 09:16:47
輪島といえば、三役時代にピンクの派手な化粧箱を持っていた記憶がある。
102待った名無しさん:2006/04/16(日) 11:50:05
転がったときの輪島のみっともなさのネタ出てたが、Number編集の「昭和の名勝負」
(上巻)昨日借りてきて見たが、輪島転がりまくりだったぞ。輪島ファンとしては
実に不愉快だ。貴輪時代でせいぜい貴乃花とセットで持ち上げてるくらい。

あと栃若時代の相撲は単純に面白いな。どうも編集者は若乃花、貴乃花兄弟の
ファンだったと思われる。まぁ、世論の人気考えての編集かもしれんが。
僅かだが、富士桜、麒麟児、鷲羽山も見れるぞw


103待った名無しさん:2006/04/16(日) 17:47:37
>>100
輪島は当時ヤ●ザとの賭博で、最初大勝させてウマみを覚えさせたあと
最後はケツの毛までむしり取るという彼らの常套手段にものの見事に
ハマリまくった、と週刊誌で読んだことがあるな。
104待った名無しさん:2006/04/19(水) 15:21:25
高校生の時、能登まで当時現役で内弟子集めをしていた大鵬がスカウトにきたそうだね。
熱っぽく勧誘する大鵬の言葉も耳に入らず、大鵬の羽織の紐についているダイヤモンドばかり
見つめていたそうだけどw
105待った名無しさん:2006/04/23(日) 00:46:04
大ノ海と若の海ってのが幕尻のほうで揃って9勝6敗って場所があったと思う。
どっちも力士としての印象は全く無いんだが(消防1,2年頃だったのでw)、
大ノ海がプロレスラーの石川敬士だったよな。
106待った名無しさん:2006/04/24(月) 22:42:55
全日時代も大の海は輪島に敬意を表していた、花籠部屋時代は雲の上の人だったから
107待った名無しさん:2006/04/27(木) 12:21:35
力の入った長い相撲の末、北の湖の寄りに輪島は力尽きたように
土俵を割った
108待った名無しさん:2006/04/27(木) 19:57:43
>>107
そして疲れ果てた表情でゆるふんを直した。
先場所決定戦の白鵬は表情もそっくりでおかしかった。
109待った名無しさん:2006/04/28(金) 00:06:43
輪島と北の湖の時代て水入りの大相撲とか千秋楽相星決戦がほんと多いよね
110待った名無しさん:2006/04/28(金) 00:32:24
大相撲に、白鵬は大鵬、輪島、貴乃花に似ているとあったね。
111待った名無しさん:2006/04/28(金) 00:39:40
>>110
確かにその3人の要素があると思う。ことに四つ身においては差し手や形の違いこそ
あれ下半身は輪島が一番似ている気がする。
112待った名無しさん:2006/04/28(金) 01:08:45
>>111
だよね。ガニ股なとことか。
113待った名無しさん:2006/04/29(土) 18:29:22
輪島、北の湖それぞれの最強相撲/最弱相撲はどの一番ですかね?
114待った名無しさん:2006/05/02(火) 06:56:16
北の湖の最弱相撲とは言えないかもしれんけど初の全休明けの
57年秋場所初日、大寿山に負けたのはショックだったな。
あの北の湖がつり出しで負けたってのが信じられなかった。
115待った名無しさん:2006/05/02(火) 10:52:35
輪島全盛期の相撲を見たい…27連勝中の相撲は見る機会が非常に少ないんだよね。
116待った名無しさん:2006/05/04(木) 23:59:04
輪島は小兵を捌くのが上手く、鷲羽山、旭国、北瀬海あたりを圧倒していたな。
鷲羽山には全勝だったと思うが。
117待った名無しさん:2006/05/05(金) 13:32:12
>>115輪島27連勝の軌跡の一部

○48年秋3日目 豊山戦
 過去1勝3敗と嫌な相手、5場所ぶりの対戦で堅くなった輪島だが、
 相手得意の右四つながら、両廻しを切り、頭を付けて優位に。
 2度の上手投げを残された後、逆に左上手捻りで転がした。
○同13日目 富士桜戦
 富士桜の突き押しにやや後退した輪島だが、突いてくる富士桜の右を
 左から抱え込んで小手投げ。この一番で優勝を決めた。
○48年九州初日 大錦戦
 前場所旋風を起こした“佐渡の怪童”との初対戦。輪島はいきなり左に飛んで
 上手出し投げ。土俵際で残した大錦が左を差して寄ると、今度は右上手出し投げ。
 後ろ向きになった大錦を西土俵へ送り出した。
○同12日目 貴ノ花戦
 両差しを狙う貴ノ花の左をおっつけ、さらに突き合い。(この時、右手を負傷)
 輪島は左に体を開いて上手を引き、右下手もがっちり引きつける。
 貴ノ花は力の出ない組み手。輪島はぐいと吊り上げ、東土俵へ運んだ。

>>116北瀬海だけには7勝3敗と苦戦(3敗とも横綱で)
118待った名無しさん:2006/05/05(金) 14:40:13
左下手投げの切れ・破壊力が抜群だったという点で、
私は、どちらかというと、48年夏から名古屋にかけての21連勝の方が好き。
119待った名無しさん:2006/05/05(金) 15:24:49
嗚呼、パイオニアのDVDが欲しい。
二巻は奇跡的に買えたけど、他が見つからない…四巻は大して欲しく無いけどwwww
120待った名無しさん:2006/05/05(金) 20:41:44
パイオニアのDVDっていうと?「昭和の名力士」とは違うよね?
121待った名無しさん:2006/05/05(金) 20:46:59
>>120
うん、違う。2001年に出た全五巻の名力士名勝負全集ってやつ。
122120:2006/05/05(金) 21:15:25
>>121
へぇ〜そんなのがあるんだ。オレも探してみようかな。dクス。
123待った名無しさん:2006/05/06(土) 19:50:58
輪島新横綱の場所、11勝4敗に終わったけれど、
大関目指す大受戦の輪島には凄みを感じた。

【昭和48年名古屋12日目 輪島(上手出し投げ)大受】
輪島は左前ミツをしっかりと掴む。大受はこれを切ろうと必死に押し、おっつけ、
突き落としと繰り出すが、輪島は放さない。下半身どっしり、まったく下がらない。
輪島は右も廻しを引きつけ、大受がこれを突き放そうとしたところ、
上手出し投げを打ち、土俵中央に叩きつけた。
124待った名無しさん:2006/05/08(月) 21:05:28
連続結び対戦数15回。
これは2位以下を大きく引き離す素晴らしい記録。
125待った名無しさん:2006/05/13(土) 19:49:36
曙20−5輪島 曙16−9北の湖
126待った名無しさん:2006/05/14(日) 16:36:32
輪島は江川の如き天才で当時リアルで見ていた漏れに言わせると平幕には手抜き見え見えだからたまに取りこぼしがあるが本気にさせればあの理事長を土俵中央で黄金の左で投げ捨てる。あの北の湖を・・・・・!
127待った名無しさん:2006/05/14(日) 17:06:20
>>126
土俵中央で投げ捨てたのは、関脇−平幕時代の初対戦のときの左「上手」投げくらいでは?
最後に勝った一番は土俵中央で決まったけれど、浅い左下手からすっぽ抜け気味の投げで、
北の湖も転がってはいない(四つんばい)。
投げ捨てたのは、西土俵、向正面、正面土俵だったと思う。
128待った名無しさん:2006/05/14(日) 17:21:11
>>127 今でも脳裏に焼き付いて離れません!輪島渾身の引きつけからの下手投げ。アナウンサーが久々に見せた輪島黄金の左と絶叫し原則北の湖ファンの漏れも輪島の底力に戦慄しましたです!
129待った名無しさん:2006/05/14(日) 21:25:43
輪島は新関脇の頃は110キロしか無かったんだな。
もう少しあったのかと思った。
130待った名無しさん:2006/05/17(水) 00:13:22
輪島が昇竜の勢いで横綱に駆け上った足腰のいい若乃花(若三杉)を
黄金の左下手投げでぶん投げた相撲があったな・・・
131待った名無しさん:2006/05/17(水) 00:24:38
北の湖が富士桜(多分)と対戦。
押し得意の富士桜にがーんとぶつかって一気に逆に押し出した。アナウンサーが
実況する間もなく、「つ、強いっ!!」て呆然としてた。
132待った名無しさん:2006/05/17(水) 00:36:32
>>131
昭和54年春場所12日目だね。この場所北の湖は当然のように全勝優勝。
133待った名無しさん:2006/05/17(水) 06:28:20
北の湖が嫌いだった俺は、
対抗馬の若乃花には勝つが北の湖には全然歯が立たない旭国も嫌いだったよ。
若11連勝で迎えた12日目に若相手に食い下がり土をつけた旭国をどれだけ憎んだか。
その後若全敗、北の湖1敗のみ優勝。(54年初)
134待った名無しさん:2006/05/17(水) 07:37:27
>>133
極端なのが荒勢ですなw

旭国は51年頃までは北の湖に善戦してたんだがねぇ・・・
135待った名無しさん:2006/05/17(水) 08:16:28
北の湖と若三杉が激しく優勝争いした53年ごろから覚えているんですが、
その春場所は千秋楽に若三杉が勝ったのに決定戦で負けて北の湖が優勝。
俺「なんで若三杉が勝ったのに優勝にならないんだ?」と怒ったものだった。
翌場所も若三杉が勝ったけど千秋楽まで両者1敗のままで、
結びの一番の前、兄貴が「輪島は北の湖に勝ち越しているから期待する」
母親「輪島は自分に関係ない時は本気でやらないから無理」
母の予言どおり輪島、完敗。そしてその場所も・・・

余談だが、知り合いの家には「横綱若三杉」と書かれた醤油さしがあるw
136待った名無しさん:2006/05/17(水) 17:38:08
>>134
荒勢。あんまり印象ないねェ。嫌いだったことだけは覚えていたりしてw
137待った名無しさん:2006/05/17(水) 22:29:03
>>130
53名古屋13日目ですな。
138待った名無しさん:2006/05/21(日) 19:43:10
白鵬の今場所(平成18年夏場所)を見てたら、昭和48年3月場所、5月場所の輪島関の磐石の相撲を思い出だすなぁ
139待った名無しさん:2006/05/21(日) 19:49:10
白鵬の勝負度胸のよさは輪島並みだな
大一番でもめちゃ落ち着いてる
140待った名無しさん:2006/05/21(日) 19:50:56
プロレスのテリーファンクが輪島はビッグハートだて言ってた
141待った名無しさん:2006/05/21(日) 21:03:43
白鵬の優勝決定戦の出陣前の支度部屋から花道に行く前途中のすり足、輪島を彷彿させる。優勝のかかった北の湖戦の前、花道で四股を踏んでた輪島に似てるような、、
142待った名無しさん:2006/05/21(日) 21:24:11
私は生まれる前から相撲を観ており、中でも輪湖時代が一番熱を入れていましたが、
マジで白鵬と輪島を重ねる向きは、全く同意できない。似てるところないっすよ。
143待った名無しさん:2006/05/22(月) 18:48:07
>>142 激しく同意!輪湖をリアル消防で見ていた漏れだが輪島の勝負師としての殺気など白鵬には皆無! 平幕下位に立ち会い代わる白など輪島の格ではない!
144待った名無しさん:2006/05/22(月) 22:12:36
輪島ファンのくせに麒麟児戦の負け相撲がすぐ浮かぶ俺
145待った名無しさん:2006/05/23(火) 20:44:51
このころ大相撲の消しゴムがあったよな。
輪島、北の湖、若乃花、三重の海、貴ノ花、旭国、魁傑、増位山、
麒麟児、富士桜、高見山、長岡(朝潮、マゲを結わないバージョン)
146待った名無しさん:2006/05/23(火) 21:39:56
輪島は大横綱北の湖や若き日の千代の富士に勝ち越しているのは知ってるが
対若乃花や三重の海、後の横綱隆の里とか、それ以前の北の富士や琴桜など
の大体の対戦成績知ってる人います?もしかしてすべて勝ち越しだったらすごすぎる!
147待った名無しさん:2006/05/23(火) 21:51:17
大抵勝ち越してるよ ただ北の富士や琴桜はすでに衰えつつあったからな
北の富士には横綱になった場所は寄り切られて負けた
輪島は突き押しの力士が苦手だったが後半は突っ張りを覚えて対処していた
あと小兵力士には吊りを多用していたな 上手い相撲だった
148待った名無しさん:2006/05/23(火) 22:22:55
超横綱(うまいネーミングが思いうかばんw)の称号を輪島さんに与えるべき!
149待った名無しさん:2006/05/24(水) 12:01:13
対戦成績 輪島6-6琴桜(不戦勝で7-6)輪島5-7北の富士輪島19-14若乃花(終盤5連敗)
輪島10-1隆の里
150若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/05/24(水) 12:37:45
輪島の場合、負ける時はもろいので衰えたなあとあまり感じなかった。
でも、隆の里に負けた時は(肩透かしだったかな?)何も出来ず
ゴロンと転がされたので、もしかしたら衰えたのかなと思った。
千代の富士や朝汐に連敗した時は、さすがにもうダメだろう感じても、
また不死鳥のように蘇ると信じてた部分もあった。
151待った名無しさん:2006/05/24(水) 13:02:23
黒姫山が北の湖に勝つことを予言した解説者いなかったか?(53年11月)
152待った名無しさん:2006/05/24(水) 18:14:46
>>149
結局北の富士意外は横綱、後の横綱にすべて勝ち越してるわけですか・・
怪力の千代富士や隆の里に圧勝ってのがすごい。
長嶋の記録に残らない驚異的な得点圏打率とか、日本シリーズでの打率に相通ずるものがあります。
153待った名無しさん:2006/05/24(水) 20:40:21
あと玉の海戦はどうなんだろう。零勝だった記憶はあるけど。
154待った名無しさん:2006/05/24(水) 20:55:54
>>145
あったあったw
たしか昭和54、5年ごろじゃないか?それがしの弟がはまっていた。
トントン相撲すると貴乃花が気の毒なくらい弱く、前傾姿勢の麒麟児、
巨漢の高見山が強かったなw
 ただ、このスレは昭和48年前後の最盛期を知る輪島ファンも多く、
輪湖時代の輪島ファンのそれがしは年齢的に下のほう。
発売時は輪島最晩年だし、夢中になった方は少ないかも。
>>150
輪島・隆の里といえば印象に残る一番があります。
いつも工夫もなく輪島にあっさり負ける隆の里に解説の神風さんが
「いくら自分充分だからってあっさり輪島にまわし与えるようじゃ
今日もダメでしょう」という主旨の辛口解説。
相撲も輪島が両まわし引いて一気につり出そうとすると
珍しく隆の里が捨て身の外掛け。一瞬輪島がグラリとなるもそのままつり出す。
神風さん苦笑して「こうやって何でもいいからもっと抵抗しないと」・・・
いつも温かい(?)神風さんの苦言がやけに印象に残ったw
155待った名無しさん:2006/05/25(木) 18:12:07
>>154
その消しゴム十数年前に
おまけでもらいました。
北の湖・輪島・麒麟児・高見山・貴ノ花のセットだったかな。
156待った名無しさん:2006/05/25(木) 19:57:08
ミリオネアに輪湖キターーーーー
157待った名無しさん:2006/05/25(木) 20:09:15
>>156

北の湖を応援する輪島の図に、ほのかに
ジーンとしたよ。
158待った名無しさん:2006/05/25(木) 21:15:42
>>156>>157
うおー、見たかった・・・orz

さすがに輪島は回答者ではないかw
159待った名無しさん:2006/05/25(木) 21:19:59
北の湖、結構おちゃめ。
なんかワロタ
160待った名無しさん:2006/05/25(木) 21:29:39
誰かうPしてくれ…
161待った名無しさん:2006/05/26(金) 02:02:07
まさかミリオネアに出るとはねぇ
現役時代でさえほとんどTVなんか出なかったのに
意外にオモロイ人だなと思った
162待った名無しさん:2006/05/26(金) 19:46:14
>>154
>トントン相撲
12力士に加えてウルトラシリーズの尻尾なし怪獣を交えて本場所やったものだったw
兄貴なんか大学ノートにしっかりとデータまで書き込んで研究してたよ。
なんの役に立っているか、全く不明w
163待った名無しさん:2006/05/27(土) 00:30:55
玉の海、輪島戦最初で最後の対戦、昭和46年7月場所、1分以上越える大相撲の末左四つから玉の海の寄り切りの勝ちこの場所玉の海は全勝優勝、西2枚目の輪島は6-9、輪島は2年後横綱昇進するけどたらればやけど玉の海が健在で輪島戦を想像するだけで興奮してきます。
164待った名無しさん:2006/05/30(火) 12:09:12
輪島はこの相撲で玉の海に寄り切られて負け越しとなった。
玉の海は「今回は勝てたが、こいつは将来強くなるかも」と思っただろう。
玉の海が早世しなければ、熱戦の数々が見られただろう。
165待った名無しさん:2006/05/30(火) 20:56:17
俺は輪島と同じ下手まわしからの攻めを得意とした舞の海や若島津も
好きな力士だったけど、前者は輪島のちびっこ版、後者は輪島の非力版
といった感じで頼りなさは否めなかった。
輪島のような独特の四つの型を持ってあれだけの強さを見せた力士は過去に
皆無だったし、ひょっとすると絶後かもしれない。
166待った名無しさん:2006/06/01(木) 19:02:03
輪島左下手は取りましたが、がっぷり四つはどうですか?神風さん。
167待った名無しさん:2006/06/01(木) 22:13:49
>>165
たまに同郷の栃乃洋が彷彿とさせる取り口を見せる
巴富士とかも下手相撲だったな
168待った名無しさん:2006/06/03(土) 17:54:11
>>166
輪島は上手を離して絞るんじゃないでしょうかねぇ。 と神風が言った次の瞬間、
上手下手引きつけて吊り寄りで清国を持っていったS48年夏場所千秋楽w
169待った名無しさん:2006/06/04(日) 15:34:09
誰の試合だったか忘れたけどボクシングの試合でもそんなことがあったな。
「あんな大振りじゃ当たりませんよ」って言葉が終わるか終わらないかの
うちに大振りのフックが当たって相手は痛烈ダウン!そのままKO勝ちってのがw
ああいう時の解説者の心境ってどんなもんなんだろうなw
170待った名無しさん:2006/06/11(日) 19:18:44
鷲羽山のはたき込み!age
171待った名無しさん:2006/06/14(水) 07:12:09
今更だがミリオネアは回答者の北の湖を輪島が会場で応援してたの?
二人の会話やカラミはあったのかなあ 見た人教えて欲しい
北の湖が理事長の間だけでももう少し復権させて欲しいわ 北の湖が太刀持ちの
還暦土俵入りなんて夢だろうか 相撲協会主催はムリだとしても何らかの形で
実現しないかなあ
172待った名無しさん:2006/06/19(月) 23:36:28
プロレスラーの前田日明が高校時代のケンカ屋の時に腕試しに相撲取りにケンカ
売ろうと大阪府立体育館の出口で待ち撫せたらしいが、いきなり出てきたのが
時の横綱輪島でビビッて退散したんだとか。

後にプロレス入門して酷評された輪島だが、「横綱というものの凄さを
わからせるため」に遠慮会釈ない蹴り連発した天龍の凄みと耐える輪島見て
ガチンコプロレス標榜していたUWFの前田は「これではどっちがガチンコかわからん」
とビビッたそうな。輪島恐るべし。
173待った名無しさん:2006/06/20(火) 15:27:17
>>172
輪島と天龍の壮絶な闘いを見た前田は
「新日でもあれをやろう」と長州を蹴っ飛ばして追放処分。
174待った名無しさん:2006/06/20(火) 21:01:43
>>172
ビビって退散じゃなくて、「ファンで〜す」とニコニコしながらサインもらったらしいぞw
175待った名無しさん:2006/06/24(土) 05:56:22
北天佑が亡くなっちゃったね。。。・゚・(ノД`)・゚・。
去年の貴ノ花といいまだまだ若いのに・・・
輪島とは本場所ではスレ違いだったけど輪島が引退直前の大相撲トーンメントで
あの吊りの強い輪島を逆に吊り出したのが思い出されます

また56年春(輪島引退)には若乃花Uが得意の上手投げに来た所を下手投げで
打ち返したり、とにかく技のキレる人でした 力も強かったしね

北の湖が最後に優勝した59年夏場所で最終的に兄弟子を援護したのも北天佑

輪湖世代にも何かと縁のある美しい力士でした ご冥福を祈ります m(__)m
176待った名無しさん:2006/06/24(土) 14:32:40
北海の白クマ
177太刀山型の土俵入り:2006/06/28(水) 05:48:40
玉の海1−0輪島
北の富士4−2北の湖
北の富士7−5輪島
178待った名無しさん:2006/06/30(金) 01:03:51
谷嵐のせがれがプロ初登板初勝利だってな
http://www.sanspo.com/sokuho/0629sokuho039.html
179待った名無しさん:2006/06/30(金) 08:09:07
>>178
高校時代は知ってたが、プロになったのか!!
山口だっけかな。
180待った名無しさん:2006/07/02(日) 07:11:38
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
181待った名無しさん:2006/07/05(水) 21:43:41
昨日、今日と東スポに輪島、白鵬、デーモン閣下の座談会掲載。

それによれば輪島は現在アマチュアキューバチーム監督、石川県観光大使、
能登半島観光親善大使などに就任してるようだ。アメフト総監督はやめたみたい。
北の湖とは今も親交あるようだし、白鵬親子が輪島宅にカラオケに来たんだとかw
キューバでは「カントク!」と呼ばれてるそうなw
182待った名無しさん:2006/07/07(金) 02:57:59
52名総決算号が欲しいな。輪島ファンとしては。探しに行こう。
183待った名無しさん:2006/07/09(日) 20:29:24
>>180
こんばんは、競馬板でトラウマになった愛知のキチガイ脳糞古川さんw
184待った名無しさん:2006/07/09(日) 21:25:00
今場所の「相撲界この一年」は昭和49年ですよお(7日目予定)
185待った名無しさん:2006/07/09(日) 21:26:54
>>184
名古屋であることだし、輪島逆転優勝が見れそうだね。
186待った名無しさん:2006/07/09(日) 21:27:53
>>184
おお、りんこ決戦とか、北の湖が横綱になって
2場所続けて初日に金剛に土を付けられる相撲が・・。
187待った名無しさん:2006/07/09(日) 22:00:13
とりあえず予想

初場所初日 ●輪島−北の湖○
初場所千秋楽 ○北の湖−三重ノ海●
春場所千秋楽 ○輪島−琴櫻●
夏場所14日目 ○北の湖−大受●
名古屋場所2日目 ○大受−北の富士●
名古屋場所決定戦 ○輪島−北の湖●
九州場所決定戦 ○魁傑−北の湖●
188待った名無しさん:2006/07/09(日) 22:20:28
ずいぶんベタだなあ・・。
三重の海の足が出た!ってのと
名古屋のりんこ決戦2番は確定だけど。
漏れ的には名古屋の三重の海-二子岳の引き分け相撲とか、
九州場所の若三杉旋風とかを入れて欲しい。
189待った名無しさん:2006/07/09(日) 22:32:23
>>188
いや、輪湖二番じゃなくて決定戦しか流れない気がする。
190187:2006/07/09(日) 22:36:44
いや、実際ベタな一番しか流さないじゃない。


あとはビデオが残っているかの問題だが…
191待った名無しさん:2006/07/09(日) 22:42:50
あのころのは全部は残っていないのかな?他には、
今野とだれかの下がりを拾って負けの相撲でもいいやんw
>>189
以前昭和45年を特集した時に、九州の鵬玉決戦は
本割り決定戦の両方が流れた。いままで見たなかで
あれが一番興奮した。

昔の熱戦・好取組のスタイルの方が流れる番数も多くて
よかったんだが・・。
192待った名無しさん:2006/07/09(日) 23:07:33
188殿 三重―二子の引き分けは秋場所
193待った名無しさん:2006/07/09(日) 23:11:51
お前ら全員こりん星に帰れ!
194若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/07/09(日) 23:22:40
ベタな相撲であれば、琴桜が旭国に負けた相撲も流れるのかな?
相撲界この一年は、ホントベタな相撲しか流れないから不満続出。
増位山の足技でも見れれば満足しますが、ちょっと微妙。
195待った名無しさん:2006/07/09(日) 23:25:56
>>194
あなたのカキコでこの年の九州場所、旭国が貴ノ花に
二丁投げで勝った相撲を思い出したよ。ありがとう。

行司でいえば、26代庄之助と新伊之助(熊谷)さんの頃だね。
196待った名無しさん:2006/07/09(日) 23:27:07
初場所の若獅子旋風も印象に残る。
197待った名無しさん:2006/07/09(日) 23:35:50
49九の福の花輪島戦が見たいな。
福の花最後の敢闘賞。
198待った名無しさん:2006/07/13(木) 23:51:43
初場所:富士桜の3横綱総ナメ
春場所:輪島(内掛け)貴ノ花
名古屋場所:貴ノ花、先輩大関の意地で北の湖を吊り出す
が見たいです。
199待った名無しさん:2006/07/14(金) 22:55:50
秋場所初日・九州場所初日
金剛に2場所連続して苦杯を嘗める北の湖が見たい。

これで長嶋氏げぽを出した日にはNHKに抗議する。
200待った名無しさん:2006/07/15(土) 11:23:11
じゃ、大錦に連敗する輪島もよろしく
201待った名無しさん:2006/07/15(土) 12:33:16
いよいよ今日ですなあ
202待った名無しさん:2006/07/15(土) 12:40:51
>>200
大錦って若い頃そんなに強かったのか・・。
昭和49年というと輪湖に魁傑の3人で優勝しているのか。
203待った名無しさん:2006/07/15(土) 15:47:34
今日の相撲界あの年・昭和49年は?

あの名古屋の輪島の逆転優勝やるのかな?

あの一番は、興奮したなぁ〜
北の湖が、一差リードで迎えた千秋楽…

輪島が、横綱の意地を見せた場面やるのかな?
204うすびぃ:2006/07/15(土) 16:13:00
いやあやっぱ輪島つええな
蔵前時代がなつかしい
あの怪物北の海に対抗できた唯一の力士だおr

かいけつえ
ほら吹き金剛を思い出すw
205うすびぃ:2006/07/15(土) 16:16:29
いっとくけど俺はまともだ
206待った名無しさん:2006/07/15(土) 16:18:17
優勝決定戦やらなかったねぇ…。楽しみにしていたのに…。

何でやらんの?

まぁ秋場所の千秋楽見れたからいぃかぁ〜

北の湖の巨体が、輪島の右おっつけで浮き上がったもんねぇ!

九州場所から、輪島の不振が始まったんだったなぁ〜

約一年ぐらい不振続いたんだったなぁ…。
207うすびぃ:2006/07/15(土) 16:25:56
この頃マジおもしろかったなぁ
くせものから小兵で本気で強い長谷川や貴乃花
大ジュの名前のだささといい
楽しい時代だた
208待った名無しさん:2006/07/15(土) 16:30:43
>>207
大受って頭の変形凄いねぇ…
押し相撲ばかりだと、あんなになちゃうのかな?
209待った名無しさん:2006/07/15(土) 18:04:56
>>208
入門の時、身長が足りないんで頭にシリコンか何かを入れたと聞きましたよ。
210待った名無しさん:2006/07/15(土) 21:18:34
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
211187:2006/07/15(土) 22:59:50
さぁそれでは答え合わせですよぉ(苦笑)

初場所13日目 ○北の湖−富士櫻●
初場所千秋楽 ○北の湖−三重ノ海●
夏場所14日目 ○北の湖−大受●
名古屋場所7日目 ○北の湖−長谷川●
秋場所14日目 ○輪島−貴ノ花●
秋場所千秋楽 ○輪島−北の湖●
九州場所決定戦 ○魁傑−北の湖●

…3つしか合ってねえ_| ̄|○
名古屋の決定戦は堅いと思ってたんだが…
212若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/07/15(土) 23:22:06
 引退する力士の相撲が全く無いというのは不満。
 あと、九州場所の映像がきれいだったのにびっくり。
213待った名無しさん:2006/07/15(土) 23:36:38
>>211
秋場所の輪湖戦は初見だったので得しました。
輪島の右おっつけが強烈でしたね。
214待った名無しさん:2006/07/15(土) 23:54:13
九州場所あたりからNHKのテープでも変わったのか
215待った名無しさん:2006/07/15(土) 23:55:45
>>208、209
舞の海も身長不足逃れるためにやってたねw

今日の相撲この1年、拝見しましたよw
輪島、力強いねぇ。昭和51年からの輪島ファンのそれがしは、北の湖には苦闘の末に
競り勝つ(あるいは競り負け)ってイメージインプットされてたから感動だねぇw
また、(放送では負けたが)貴乃花も力強いな。晩年のクンロク大関には
程遠い力強さを感じた。富士桜も下半身が昭和50年代に比べ大きく安定してる
のでは?あくまで一見の印象だけど・・・
216待った名無しさん:2006/07/16(日) 00:23:46
>>215
富士櫻本人も49年頃が一番馬力があったと言ってるしね。
49名は横綱総なめしてるし。
217待った名無しさん:2006/07/16(日) 00:28:07
218若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/07/16(日) 00:32:05
>>215

輪島の体ががっちりしていた。
晩年のイメージしかなくて、ひょろっとしてたと思ってたけど、あの体で
右からおっつけられたら勝てない。
219待った名無しさん:2006/07/16(日) 08:18:48
>>211
解答サンクス。しかし、りんこばかりだわ。
一気に世代交代した年というのをまざまざと見せつけられた。
秋場所の2番は今まであまり放送されてなかったのでわ?
見てみたかった。家にテレビがないから。
名古屋の北の湖-長谷川戦はなぜ取り上げられたのだろう?
>>215
輪島の最強期だからな。このあと北の湖が実力的に追いついて
りんこ時代となり、湖の独走期に入っていく。昭和50年はその挟間となった。
220待った名無しさん:2006/07/16(日) 08:29:59
昭和50年に入ってから!

北の湖は、輪島の右おっつけを封じる為に、輪島が右おっつけで来たら、上手出し投げの連発。

段々持久戦に持ち込み、輪島が、息切れしてから、がっぷり四つに持ち込み、寄り切るか、吊り気味に寄り切るという戦法になってから、輪島が、分が悪くなった…。
221待った名無しさん:2006/07/16(日) 14:06:18
輪島の体力が衰えてきてから、北が相撲のコツを覚えて長い相撲に持ち込み
、輪島が絞りを諦めてまわしを引いて胸が合って、最後は寄り切るパターンが増えた。
がっぷりになると観衆から「あぁーっ」という声が出た(勝負あったかという感じの)
北がビデオで「輪島関には上手を引いて腰を密着させて寄るのが効く」と言っていた。
222待った名無しさん:2006/07/16(日) 14:30:57
輪島のゆるふんは、子供心にも、卑怯だと思ったよ。
223待った名無しさん:2006/07/16(日) 14:31:36
>>220>>221
昭和53年以降特に顕著になったね。

51,52年は力と力、技と技に駆け引きが絡み、凄まじい水入りの相撲が多かった。
上にもあるが、この間はほぼ互角で優勝もほとんど輪湖がさらっていた。
224待った名無しさん:2006/07/16(日) 16:59:34
輪島-北の湖
47 2-0
48 5-1
49 4-2
50 1-3
51 4-2
52 3-3
53 1-3
54 2-4
55 1-3
56 0-1
225待った名無しさん:2006/07/17(月) 17:43:38
>>198>>216
あの場所は初日から、○北の富士、○輪島、●貴ノ花、○琴桜だったか?
3日目の貴ノ花戦は名勝負の一つ。押し合い、互いに強烈ないなしを残し合って、
最後は貴ノ花が左差し右前ミツを引いて寄り切った。
富士桜の好調はもちろん、大関昇進後低迷し続けていた貴ノ花の復調も印象づけた。
226待った名無しさん:2006/07/20(木) 23:01:37
今日のヤフーのスポーツトピックス大相撲「相撲界、昔と今何が違うか」で
モンゴル力士のハングリーさ気持ちの強さ褒めちぎる記事と並んで「輪島は天才だった!」
だと・・・w

さすが輪島w
227太刀山型の土俵入り:2006/07/20(木) 23:20:41
[輪島] 攻撃:12 素早さ:38 防御:41 命中:87 運:82 HP:126
[北の湖] 攻撃:28 素早さ:24 防御:48 命中:43 運:14 HP:156

輪島 vs 北の湖 戦闘開始!!
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は1のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は3のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は1のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は15のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は59のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は1のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は68のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は1のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は1のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は8のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は2のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 HIT [輪島]は1のダメージを受けた。
[輪島]の攻撃 HIT [北の湖]は87のダメージを受けた。
[輪島]が[北の湖]を倒しました(ラウンド数:7)。
228太刀山型の土俵入り:2006/07/20(木) 23:43:09
[若嶋津] 攻撃:91 素早さ:84 防御:62 命中:27 運:74 HP:144
[北の湖] 攻撃:28 素早さ:24 防御:48 命中:43 運:14 HP:156

若嶋津 vs 北の湖 戦闘開始!!
[若嶋津]の攻撃 HIT [北の湖]は152のダメージを受けた。
[北の湖]の攻撃 MISS [若嶋津]は攻撃を回避した。
[若嶋津]の攻撃 HIT [北の湖]は99のダメージを受けた。
[若嶋津]が[北の湖]を倒しました(ラウンド数:2)。
229待った名無しさん:2006/07/21(金) 16:55:04
>>227>>228
つまんねーよ
230待った名無しさん:2006/07/22(土) 00:39:42
輪湖時代には、関脇以下にも個性派力士がいっぱいいたな。高見山をはじめ、
二代目豊山・富士櫻・黒姫山・鷲羽山・荒勢・玉ノ富士・金城・麒麟児・
栃赤城などが印象深いな。高見山と二代目豊山は、輪島をカモっていたな。
黒姫山は、北の湖に強かったな。富士櫻と荒勢は、二代目若乃花に強かった
な。鷲羽山は、小兵ながら土俵を動き回った相撲が印象的。玉ノ富士は、
強いのか弱いのか良くわからなかった力士だったけど、大関・貴ノ花に
対して互角の取り口をしていたのが印象的だった。金城は、上位にからきし
弱かったけど、下位ではいい成績を残していたな。麒麟児は、上位で特別
カモにしていた上位力士がいなかったけど、突き押し相撲でかなり上位を
てこずらしていたのが印象に残るな。栃赤城はサーカス相撲で土俵を沸か
していたのが印象的だった。技能相撲というより半端相撲だったから大関へ
昇進することが出来なかったけど。
231待った名無しさん:2006/07/23(日) 14:00:18
いま54名が流れたけど見逃したぁぁぁ
232待った名無しさん:2006/07/24(月) 23:02:27
233待った名無しさん:2006/07/26(水) 06:13:11
輪島は30才過ぎた頃からスタミナ切れもさることながら
急に勝負に淡白になっちゃったんだよな。
若い頃のように、差されても自分の形になるまで徹底的に巻き返したりは
しなくなった。
それにしても白鵬の四つは輪島に似てると言われてるけど、
全盛期の輪島の相撲の厳しさにはまだまだ及ばないな。
234待った名無しさん:2006/07/26(水) 14:50:36
>>233
あと下半身がかなり細くなってしまったよね
235待った名無しさん:2006/07/26(水) 23:28:39
東輪島  横綱 北の湖 西
 若三杉 大関 貴乃花
 旭国  同張 魁傑
 三重ノ海
荒勢  関脇 玉の富士
 鷲羽山 小結 麒麟児
 高見山 前頭 富士桜
 北瀬海 同弐 豊山
 黒姫山 同参 琴風
 増位山 同四 蔵間
 青葉山 同五 青葉城

番外 若獅子、金城、天の山、大受
236待った名無しさん:2006/07/28(金) 10:48:12
28才(s51年)位から、スタミナ切れは目立つようになっていた。北の湖とかに
持久戦に持ち込まれて、精根尽きて負ける感じの相撲が増えた。
特に30才を迎えてから急に息切れ感が目立ってきた。上述されてるように若い頃の
勝負の気迫が萎えたな。
237待った名無しさん:2006/07/28(金) 13:37:42
s51年初場所千秋楽前の新聞(朝日)の予想に
「長引けば輪島有利」と書いてあった。
この頃はまだスタミナ勝負でも負けないと
思われてたのね。
238待った名無しさん:2006/07/28(金) 17:25:08
>>237
この頃は北の湖が勝つには
早く上手を取って胸を合わせるしかないと言われていた。
51九の決戦も輪島7北の湖3くらいの下馬評だったはず。
239待った名無しさん:2006/07/28(金) 20:01:36
待ったなし掲示板では輪島の話題で盛り上がってるな。
今は輪島が旬なのかな?
240待った名無しさん:2006/07/28(金) 21:35:07
51年九州場所輪湖決戦新聞の見出し
「輪湖対決 熱戦 輪島力尽きる」
 力の入った大相撲の末、北の湖が輪島を寄り切る。
241待った名無しさん:2006/07/30(日) 00:08:45
輪島の晩年は長引けば北の湖だなという印象だった。
しかしこの2人の対決はいつもワンパターンで、北の湖の差し手がどれだけ生きるか、
逆に言えば輪島の右が北の湖の左をどれだけ殺すかというところにかかっていた。
北の湖は突っ張っても良かったと思うのだが、愚直に左四つに組んでいた。互いに
自分の組み手への信頼、そして意地があるのだろうと思う。
242待った名無しさん:2006/07/30(日) 00:36:34
>>241
でもたまに違った動きがあったよ。地力が逆転した晩年、輪島が突っ張って出て
輪島左上手、北の湖右半身。巻きかえの応酬があっていつもの形になるんだけどw
243待った名無しさん:2006/07/31(月) 23:28:52
52,7の輪(14−0)湖(13−1)決戦と53,7の輪(13−0)湖(13−0)決戦、共に大一番、
映像を見比べたら、北の湖の表情の違い、52,7はそわそわしてたけど(輪島、生涯に残る一番?に勝ち全勝優勝)
、53,7は落ち着いて右上手を引いてた印象、(水入りの大相撲で北の湖の勝ち)
53,7の輪島の敗戦は、悔しかった。優勝回数も北の湖に抜かれた場所やし、、
でも、若乃花も投げ飛ばし、この場所の輪島はかっこ良かった。
244待った名無しさん:2006/08/02(水) 10:53:13
北の湖が輪島の弱点を掴み戦い方を覚えたからな 「長い相撲に持ち込んで
輪島の絞りを諦めさせ胸を合わせて寄る」という戦法。
245待った名無しさん:2006/08/03(木) 11:02:02
北出清五郎との対談だったか「輪島関はなかなかまわしを取らせてくれないんですよね。
まわしを取れば吊り寄りが効くんですけどね」と言っていた。
246待った名無しさん:2006/08/08(火) 10:59:13
長い相撲になって半身で絞る体勢に疲れたのか、輪島が北の湖の肩にアゴを
うずめて「あぁ 疲れたぁ もうダメェ」って表情に萌えた。
247待った名無しさん:2006/08/08(火) 12:21:05
輪湖時代と言えば、第二十六代、二十七代の木村庄之助。二代続いての名行司を生んだ。
248待った名無しさん:2006/08/08(火) 12:24:17
大相撲第三期黄金時代と言われた時代。

異能力士がいたり、技巧派がいたり。毎場所、富士桜×麒麟児の取組を楽しみにしていた。
249待った名無しさん:2006/08/08(火) 22:12:52
俺は影虎が好きだったな。江戸川区にあった九重部屋に見に行ったけ
250待った名無しさん:2006/08/09(水) 16:23:48
北の湖本人の言葉
輪湖戦で一番印象深いのは53年名古屋の全勝対決。
あの頃輪島さんは30くらいになってましたから体力が落ちてきていた。
長い勝負になれば自信があった。そして水入りまで持ち込んで勝った。
全てが計算通りに行ったので思い出深い。あの頃の私は一番力が出る時期だった。

輪島が懸命に絞っても北の湖は慌てない。苦し紛れに輪島が右上手を引き胸が
合うとここぞとばかりに寄り立てる・・・あっぱれ
251待った名無しさん:2006/08/10(木) 21:11:19
そうなったらもう輪島には残す体力気力はない・・・
252待った名無しさん:2006/08/11(金) 04:02:22
輪島の勝機は電光石火の切り返し技だな。
253待った名無しさん:2006/08/14(月) 22:47:39
輪島は部屋継承がなければまだ現役続けたかな?琴ノ若と同じような引退の仕方だったね。
254待った名無しさん:2006/08/15(火) 04:27:56
>>248
確かに富士櫻VS麒隣児はよかった。自分も時間前にたつのか?いつも気になってた。
今は時間前にたちそうな気配すらないね。
255待った名無しさん:2006/08/15(火) 13:53:08
>>253 いやあの時点で結構欠場が多かったから時間の問題だったかと。

>>254 そうそう、あの二人の対戦はお互いライバル心剥き出しで「おめぇには負けねー」
「手数も俺の方が上だ!」つーのが露骨に分かった。
で、あの当時思い出されるのが蔵間のガン飛ばし、神風さんに大関、横綱に対して不遜だ
何て言われてたけど、館内は盛り上がった。
256待った名無しさん:2006/08/15(火) 17:15:08
輪島は急激に衰えたというわけではないし、
大きな怪我をしたわけでもなく、
緩やかに下降線を辿って行っていた。
だからあのまま現役続けていたとして、
年1回優勝争いして、10勝が3回、休場が2場所ぐらいのパターンで
まだ2年ぐらいはやれたんじゃないか。
257待った名無しさん:2006/08/15(火) 18:19:12
妄想してみた
輪島があと2年現役続けたとして…
56春11―4(終盤までV争いも千代の富士、北の湖に連敗)
56夏10―5(序盤から若手の波に飲まれるが、千秋楽北の湖を倒し北―千代の決定戦を演出)
56名0―4.11休(白星出ず無念の休場、千代の富士昇進で四横綱時代となるが輪島限界が囁かれる)
56秋12―3優勝15(琴風との決定戦に勝利、不振の横綱陣の中最年長が踏ん張る)
56九11―4(北の湖、若乃花休場の中千代の富士と場所を引っ張る、千秋楽結びに敗れ決定戦進出を逃す)
つづく
258待った名無しさん:2006/08/15(火) 18:30:49
57初8―7(横綱大関戦全敗で8勝止まり)
57春11―4(千秋楽まで優勝圏内に残り、混戦場所を盛り上げる)
57夏1―3.11休(オツカレモードで休場)
57名10―5(なんとか復活14日目千代の富士を破り優勝争い掻き回す)
57秋12―3(横綱陣最高成績も隆の里全勝V.北の湖●、若乃花○と最後の対決)
57九13―2優勝16(千秋楽千代の富士との相星決戦、下馬評不利も豪快に吊り出す、最後の優勝)
つづく
259待った名無しさん:2006/08/15(火) 18:35:45
58初9―6(優勝で燃え尽きてしまったか?若乃花引退)
58春0―4引退(初日から三連敗で遂に引退、横綱在位59場所で大鵬を1場所上回り新記録(当時)残す)
こんな感じかな?
260若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/08/17(木) 17:32:57
自分は、輪島が昭和56年を乗り切れるかどうかだと思います。

不利 北の湖 琴風 朝汐 北天佑 隆の里 高見山
互角 若乃花 千代の富士
有利 鷲羽山ほか

朝汐や隆の里に負けた相撲は衰えたなあと感じさせたが、気力で不利の力士に
取りこぼさなければ、もしかしたら未踏地の昭和57年へ行けたかも。
協会が全て悪いんですがね。
261待った名無しさん:2006/08/17(木) 17:54:22
>>260
若乃花には不利では?最後五連敗だったし
262若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/08/18(金) 00:15:05
>>261

ケイ椎捻挫で一気に力が出なくなってしまったので互角にしました。
ちょうど、春場所の富士桜戦でやってしまったので。
263待った名無しさん:2006/08/18(金) 03:49:21
そう、56年以降の北の湖、若乃花なら輪島の勝機は充分ある。
264若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/08/18(金) 22:53:43
欲を言えば昭和60年まで輪島が現役でサンパチ世代を迎えうつというのも
夢のまた夢。

輪湖時代の晩年のほうが印象に残っていて、行司がよく転んだのもこの時代で
若手も伸び悩んでいたのも印象強い。
265待った名無しさん:2006/08/19(土) 03:11:02
有利、保志、琴ヶ梅、寺尾
不利、小錦、北尾
互角、大乃国、旭富士
なんとなくだけど‥
高見山戦を考えると小錦は絶対苦手にする
大乃国は北の湖、旭富士は若乃花と考えれば(強引か)…
北尾は規格外、輪島にとっては未知との遭遇
まぁこれはホントに夢のまた夢ですね。
266待った名無しさん:2006/08/19(土) 13:54:49
高見山はもう衰えていたし、輪島も53年夏を最後に負けていない。
だから不利ではないですね。佐田の海や巨砲、闘竜に苦しんだでしょう。
267待った名無しさん:2006/08/20(日) 22:45:12
昭和60年じゃ輪島も衰えてるでしょ。
ちなみに現実にプロレスデビューしたのは61年の年末なんだよな。
268待った名無しさん:2006/08/30(水) 10:18:40
輪島は胸を合わされての吊り寄り、寄りに弱い
269待った名無しさん:2006/08/30(水) 11:09:52
>>268
晩年はな
270待った名無しさん:2006/08/30(水) 20:13:30
北の湖なんかと長い相撲の末、精魂尽きた感じで寄り切られて負ける相撲は
53年頃から顕著になったな 北の湖が重たくて若い頃みたいに豪快に投げ飛ばしたり
できなくなって力の逆転を感じた
271待った名無しさん:2006/08/31(木) 21:46:14
>>268>>269
それは、実は若い頃の弱点ですよ。
一気に押されたり、がっぷりで吊られたすると渋太さが発揮できなかった。
272待った名無しさん:2006/09/02(土) 14:29:52
若い頃からまわしを取られて胸を合わされての吊り寄りには弱かった感じ
がする でも30の声を聞いてから更にそうなったね
273井華君:2006/09/03(日) 01:56:31
先日久しぶりに両国に行ってきたのですが駅前に三重の海と長谷川の額縁があってこのスレッドを思い出しましたです。それにしても理事長のはからいで輪島の協会復帰無いですかねえ。
274待った名無しさん:2006/09/08(金) 10:27:54
輪島は足の土踏まずが大きくて寄られると踏ん張りがききにくいんだろうって北出氏が
言っていた。 あとスタミナの無さも自覚していて、ランニング、肉の多食、強壮剤等々
かなり体に資本投下していたらしいな。
275待った名無しさん:2006/09/08(金) 10:36:40
輪島は魁皇とか無双山とか貴ノ浪といい勝負だと思う。
276待った名無しさん:2006/09/12(火) 21:12:18
輪島って若いころから相撲が長引くと「疲れたぁー」って顔するもんね
277待った名無しさん:2006/09/15(金) 01:02:02
>>274

スタミナのなさを自覚してじゃなくて、スタミナをつける為に子供の頃からランニングを日課にしていた
で角界入りしてからは、『わざわざ体重を落とすような事をして、バカじゃね〜の』って陰で言われ
親方からも『ランニングは止めたほうが・・・・』って忠告されたものの全く無視
そのおかげで『素質では遥かに上(輪島談)』の北の湖相手にスタミナを利して互角に戦うことが出来て
そのスタミナが衰えると相撲でも勝てなくなっちゃった
278待った名無しさん:2006/09/15(金) 10:54:12
輪島はバイだったらしいね
279待った名無しさん:2006/09/15(金) 17:02:16
明日の「相撲界この一年」は平成元年。


予想は…輪湖時代じゃないからいいやw
280待った名無しさん:2006/09/15(金) 18:40:17
>>279
同意。思い出の土俵とかも蔵前じゃないとがっかりするね。
281待った名無しさん:2006/09/16(土) 06:08:30
このころに手をつく立ち合いルールでやっていたら、
勢力地図になにか変化はあったろうか?
282待った名無しさん:2006/09/16(土) 09:43:47
>>281

この頃よりさらに前の栃若時代のほうが影響があったろうよ
栃錦は現役時代、双葉山を見慣れた世代から『立会いが汚い、もっと横綱らしく品格のある立会いを・・』って
批判の的になっていたが、本人は「体が小さいんだから仕方がない!」って歯牙にも掛けていなかったらしい
その一のライバルでやはり立会いに難を抱えていた若乃花が『土俵の充実を!』ってお題目を上げて罰金制度
まで取り入れたってのは、なんとも皮肉な話だ
283待った名無しさん:2006/09/16(土) 10:47:42
>>280
 同意。
 その点、大相撲の1世紀を振り返る特番が、
 BSで4時間に渡って放送されたことがあったけど、
 S-VHSの3倍で録画せざるを得なかったから、ぜひ再放送してほしいものだ。
284待った名無しさん:2006/09/19(火) 20:51:03
昭和51年春場所。小兵旋風。旭国、鷲羽山、北瀬海。
285待った名無しさん:2006/09/19(火) 21:09:16
54年秋場所。13年ぶりの四横綱時代到来。三重ノ海は輪湖時代のスバラシイ脇役だ.
その前さばきと速攻は絶品だった。柔剛技巧(若、湖、輪、三)といわれたものだ。横綱連続優勝独占時代は翌
55年九州まで続く。こんな良き時代は二度と来るまい。
286待った名無しさん:2006/09/19(火) 21:18:41
56年から状況はガラッと変わったね。私も大学に入学し、相撲を観なくなってしまっていた。 
春場所までにいろんな人も引退したしね。
287待った名無しさん:2006/09/19(火) 21:28:21
熊谷庄之助、尾崎伊之助、二代目伊三郎、後藤錦太夫、清三郎与太夫、 
伊之助庄太郎の時代ですね。
288待った名無しさん:2006/09/19(火) 21:30:46
次は伊之助正二郎ですかね。
289待った名無しさん:2006/09/19(火) 21:42:55
二十七代目軽妙、尾崎老境、伊三郎迫力、二十八代目技巧、与太わけわかんない、 
庄太郎元気、正二郎雅び、といったところですね。
290待った名無しさん:2006/09/19(火) 22:13:53
名脇役、中村と北陣の一戦よ、再び!
291待った名無しさん:2006/09/19(火) 22:23:35
54年九州、間垣ー武蔵川、三秒で武蔵川の勝ち。何が起こったのでしょうか、と、絶句の実況アナ。
292待った名無しさん:2006/09/19(火) 22:55:33
293待った名無しさん:2006/09/23(土) 14:14:20
昭和48年九州場所13日目 貴ノ花(外掛け)琴桜
 貴ノ花は右に変わって琴桜の出足を止め、左四つ右上手十分になる。
 そして琴桜には上手を与えず、じわじわ寄る。
 琴桜が苦しくなって左下手から振りにいった瞬間、貴ノ花は右外掛けを決めた。
琴桜は4敗となり、この瞬間に輪島の優勝が決まった。前日の貴ノ花戦で輪島は右手を負傷、
貴ノ花は良きライバル&親友の輪島のため、「何とか手助けしたかった」と言った。
貴ノ花の人間性をうかがわせる、懐かしいシーンですな。
294待った名無しさん:2006/09/23(土) 20:27:11
輪湖時代は最後の○○時代だったね。大鵬も強かったけど振り返ると一番
大相撲が盛り上がった時代だったような気がする。
295待った名無しさん:2006/09/24(日) 02:42:20
十両土俵入り前の思い出の土俵で昭和51年秋場所2日連続でたまたま見れてラッキー
296待った名無しさん:2006/09/24(日) 15:02:29
昭和52年初場所14日目 貴ノ花(押し出し)北の湖
 北の湖が左肩からかち上げにいくと、貴ノ花は左へ変わって北の湖の右肩口を叩く。
 北の湖は大きく西土俵へ泳ぎ、体勢を立て直す間もなく押し出された。
これで輪湖2敗で並び、楽日決戦を輪島が制した。貴ノ花の見事な援護射撃でした。
297待った名無しさん:2006/09/24(日) 17:35:37
千秋楽は5分も見れたw思い出の土俵
298若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/09/24(日) 19:29:11
魁傑の体の張りが戻ってきた感じで、鷲羽山もすばやい動きだった。
299待った名無しさん:2006/09/29(金) 23:06:06
千秋楽の思い出の土俵うpして
300待った名無しさん:2006/09/29(金) 23:07:07
>>291
54初じゃないの?
301待った名無しさん:2006/10/04(水) 00:34:38
今日の朝日新聞の夕刊に輪湖時代のことが載っていた。
当時、俺は輪島ファンだったけれど、北の湖っていい奴なんだな。
302待った名無しさん:2006/10/04(水) 17:48:52
>>301
どんな内容記事ですか?
303待った名無しさん:2006/10/04(水) 20:52:47
>>302
あの記事はまとめると安っぽくなってしまうような気がする
そんな長いものじゃないし大げさなものじゃないんだが、おそらくはしばらく忘れがたいであろう記事
輪湖、2人の写真の置き方もいい
俺は根岸敦生って人の名前を記憶しておくことにするよ。
304待った名無しさん:2006/10/07(土) 00:43:43
>>303
朝日新聞の記事は好きじゃないけど、あの記事は良質だと思ったよ。
305井華君:2006/10/07(土) 02:12:57
天才輪島努力の北の湖異質の個性の衝突と綺羅星のような脇役力士達良い時代だったよねえ。皆さん(^o^)v-~~~
306待った名無しさん:2006/10/07(土) 23:53:08
輪湖時代は、白鵬・北玉の両時代と比べて両者の現役時代より引退して
からかなり評価が高くなったイメージがある。これは、輪湖の年齢差が
5つとかなり離れていたためだと思う。両者の対戦成績は、輪島の
23勝21敗でほぼ拮抗していて、理想的なライバル関係といっても
いいと思う。
307待った名無しさん:2006/10/08(日) 16:34:45
>>306
たしかに、輪湖時代の評価は、両者の現役時代はあまり高くなかったと思う。
当時(昭和50年代前半)は、栃若時代が理想の相撲黄金時代で、それに比べて今の奴らはだらしないっていう評論家連中が多かった気がする。

輪島が引退直後からトラブル続きで廃業に追い込まれたことや、憎い北の湖(当時は)の凋落と共にカッコいい千代の富士(当時は)が黄金時代を築いたことなんかも、輪湖の影を薄くして、輪湖時代を過小評価させる原因だったのかな。

いずれにしても、輪湖時代が見直されているってのは、嬉しいね。
308えはならなれい:2006/10/08(日) 20:20:45
歴史は正当に評価されなくてはならない。輪湖時代を肌で知っている30〜40代はもっと声を大にすべきだ。
野球を例にとるならば、20世紀ベストナインを投票で選ぶとき、古田や松井カズオが臆面もなく
が選出されるのは、我々世代の怠慢なのではないかとさえ、想ふ。もう少し歴史を大事にしようよ!
309待った名無しさん:2006/10/08(日) 21:22:32
>>308
そうだね。キャッチャーだったら野村克也、木俣、田淵のいずれかが、
ショートだったら吉田義男などが20世紀のベスト9に選出される
べきだと思う。輪湖時代も後世に伝えなければならないだろうね。
実を言うと輪島が衰えの目立った昭和53年以降しか主に知らないけど、
それでも輪島は優勝争いに終盤まで加わることが何回かあったからね。
昭和52年九州場所千秋楽の輪湖の1敗同士の相星決戦は、見ごたえが
あったね。輪島が北の湖に勝って、優勝したのが印象深い。
310若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/10/09(月) 00:02:58
輪島の晩年の時は、輪湖時代と書かれず北若時代と書かれていた。
ただ、北若時代も2年足らずで終焉。

この時代の醍醐味は、輪湖が難敵を倒して楽日決戦。
311待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:19:25
>>308
セカンドなら千葉茂とかだな。
かりに、20世紀ベストナインを自選すると・・。

投 江夏
一 王
二 千葉
三 ミスター
遊 吉田義男
左 大杉
中 張本
右 イチロー
捕 野村

助っ人

バース
バッキー
スタンカ
ブライアント

ざっとこんなところか。
312待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:24:49
>>311
高木守道、高木豊や篠塚もセカンドの候補に入りそうだね。
313待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:26:23
>>308
でも輪島とかは曙には2,3発でふっ飛ばされると思うよ
314待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:29:18
>>313
曙は怪力だったわりに活躍できた時期が短かったなあ。
315待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:35:46
>>311
サードは、中西太も忘れちゃいけないでしょう。
飛距離日本一の選手だから。
投手は、人材の宝庫だから特に難しいね。
316待った名無しさん:2006/10/09(月) 00:36:00
>>312
補足サンクス。高木守道を忘れていた。

総監督 藤本定義
監督  鶴岡一人
ヘッドコーチ 水原 茂 三原 脩
ヘッドコーチ補佐  西本幸雄
ヘッドコーチ補佐  川上哲治

317待った名無しさん:2006/10/09(月) 09:02:25
田中修氏(大相撲元幕内嗣子鵬)死去
http://www.tokyo-np.co.jp/00/fuho/20061008/ftu_____fuho____001.shtml
318待った名無しさん:2006/10/09(月) 09:45:21
「1番センター福本、2番指名打者張本」
319待った名無しさん:2006/10/09(月) 18:15:49
>>317
輪島戦に善戦したよね? 最後は左からの小手投げかなんかで負けたかな。
320待った名無しさん:2006/10/09(月) 21:19:21
輪島は昭和53年以降衰えが顕著になったにもかかわらず、
これ以降も2回優勝したのは立派だと思う。
321待った名無しさん:2006/10/09(月) 22:32:19
昭和53年まで北の湖に連覇がなかったのは輪島の頑張りによるところが大きかった。
52年までは、堂々の輪湖時代、それまで北の湖に独走させなかった輪島はすごい。
制限時間の塩まきに行く時ふとももの後ろをたたいて気合いを入れる輪島の姿はかっこいい、かったです。
322待った名無しさん:2006/10/10(火) 00:05:06
>>317
昔の満山だよね?
323待った名無しさん:2006/10/10(火) 00:09:35
>>322
その通り。
ttp://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19790901.htm
こちらはまだ没年月日がアップデートされていないが。
324待った名無しさん:2006/10/10(火) 01:18:16
輪島は引退するまで強い横綱だったと思う、
大きなケガもなかったし、
若手に飲み込まれたわけでもなく…
事情は違えど北の湖とは対照的。
325待った名無しさん:2006/10/11(水) 01:24:53
>>324
輪島は怪我が多かったけど、不死身のように復活しているケースが
何度もあるね。精神力は、かなり強かった力士だと思う。
326待った名無しさん:2006/10/11(水) 22:18:07
今日、玉の海の命日、輪島との対戦1度(玉の海の勝ち)あるけど、
たらればやけどもし玉の海が健在で輪島と20回対戦したら、輪島8−12玉の海ぐらい?
北の湖戦はどうか、15回対戦で北の湖4−11玉の海ぐらい?
327待った名無しさん:2006/10/11(水) 23:02:58
もうちょっと輪島が勝つような気もするが。
46名の取り組みを見る限りではね。なにせ右四つで玉が上手を切られるんだよ。
328待った名無しさん:2006/10/11(水) 23:16:06
きょうでもう35年経つんだねえ・・。
5年前に30年祭のスレッド立てたけど、もうダット落ちしてるしなあ・・。
329待った名無しさん:2006/10/13(金) 23:00:04
相撲とは多少離れるが、輪島は昭和46〜48年にかけて3年続けて大晦日の
レコード大賞で花束を贈呈している。
昭和46年は森進一(最優秀歌唱賞)に。
昭和47年は和田アキ子(最優秀歌唱賞)に。
昭和48年は五木ひろし(大賞)に。

しかも、この3年で小結・大関・横綱と駆け上がっている。
受賞者に花束を贈呈して輪島自身はとんとん拍子に出世する。まさに輪島は幸運の
男だった。
330待った名無しさん:2006/10/14(土) 02:08:37
玉の海が健在なら49年までは輪島の強力なライバルとなり、
輪島の優勝回数に大きな影響があっただろう、
50年以降は年齢的にも下り坂になっていったと思う。
331待った名無しさん:2006/10/14(土) 06:25:28
>>330
玉の海が健在ならば、北の富士がもっと活躍していただろうね。
昭和48年九州場所13日目に北の富士が全勝の輪島に外掛けで勝った
のが、北の富士が見せた最後の意地だろうね。なお輪島は、この勝負で
負けたにもかかわらず4回の優勝となった。
因みにその後の13日目の優勝は、北の湖が最後の24回目の優勝と
なった昭和59年夏場所でなんと10年半の間隔があった。
332井華君:2006/10/14(土) 07:55:53
貴輪戦では輪島の黄金の左で貴の体が一回転見ていた漏れは戦慄しますた!
333待った名無しさん:2006/10/14(土) 09:20:51
>>330>>331
俺は玉の海が健在だったら若い輪島の大きな壁になったから
輪島はもっともっと稽古に精進し大横綱になったかもと思うけどね。
丁度輪島が北の湖に立ちはだかって北の湖が大横綱になったみたいにね。


334待った名無しさん:2006/10/14(土) 11:29:10
47年いっぱいは北玉時代、
48〜49年が玉の海輪島対立時代、
50年以降北の湖が玉の海にとって代わる、
という感じになるだろうね。
335待った名無しさん:2006/10/14(土) 13:00:33
>>333
輪島の壁は、やっぱり北の湖だろう。
輪島本人も「北の湖がいなければあと5回多く優勝できた」
と言っているぐらいだから。
ただ玉の海がいれば昭和47年の大相撲は、上位がもっと
間違いなく安定していただろう。
336待った名無しさん:2006/10/14(土) 13:33:21
輪湖二人の優勝回数の合計や対戦回数は、
その両方において、栃若、柏鵬、千隆、貴曙のどれよりも多いのが凄いのだが、
世間的にはあまり知られていなさそうなのが残念。
337待った名無しさん:2006/10/14(土) 14:36:47
北の湖が晩年だった昭和58年秋場所2日目に舛田山に勝った時、
勝ち残りで東桟敷席に座った北の湖が審判員だった輪島に嬉しそうに
取り口を語っていたそうだ。微笑ましい光景と同時に北の湖の引退が
遠い日でないことを印象付ける話に思えた。そういえば晩年の北の湖は、
勝つと嬉しそうな表情をすることが多くなった印象がある。
338井華君:2006/10/14(土) 14:52:48
まあ北の湖に係わらずアンコ型力士は短命だよね┐(´ー`)┌ 輪島 千代の富士寺尾等傾向としてはソップ型は寿命が長いよねえ
339待った名無しさん:2006/10/14(土) 15:56:43
玉の海の急逝は輪島にとっても不幸だったな。
輪島はあまりにも楽に横綱に上り詰めて、第一人者の地位に
なってからは稽古せず遊びまわっていた。
後に北の湖の急成長に脅威を感じつつも一度身体に染み付いた
遊びグセは終に抜ける事はなかった。
玉の海が健在だったら逆に輪島の優勝回数は増えていたかもしれない。
340待った名無しさん:2006/10/14(土) 15:57:20
>>388
自分で書いた文章をもう一度読み直せ、馬鹿。
341待った名無しさん:2006/10/14(土) 15:59:48
>>339
輪島は、土俵上の稽古をあまりしなかったけど、
ジョギングを多くしたから33歳まで現役を
続けることが出来たような気がするけど。
342待った名無しさん:2006/10/14(土) 17:12:30
>>340
 顔文字を使ううえに、日本語も満足に書けない程度の奴に関わるな。
343井華君:2006/10/14(土) 19:28:17
玉の海の急死は北玉時代の突然の幕引きではあったが玉の海自身の油断というのか早期に受診すればどうという事はなかったはずではなかったか?
344待った名無しさん:2006/10/14(土) 22:29:46
輪島のことを稽古不足だと言う人がいるけど、
北の湖という難敵がいての優勝14回は立派
だと思う。
345待った名無しさん:2006/10/14(土) 23:50:40
輪島は稽古不足が祟って本場所で失態を見せ「錆付いたか黄金の左」などと
言われては「もう一度頑張る」と言って復活優勝→また失態→復活する繰り返しだった。
346待った名無しさん:2006/10/15(日) 01:04:40
旭國は、輪湖時代の犠牲者だと思う。昭和51年春場所では輪島との
優勝決定戦で敗れて優勝を逃したし、昭和52年秋場所では初日から
13連勝したにもかかわらず14日目に北の湖に寄り切りで敗れて
14勝1敗に終わり、北の湖が15戦全勝だったために優勝を逃した
から。
347待った名無しさん:2006/10/15(日) 01:22:05
>>346
14勝1敗で優勝できないんだからなあ・・。
ある意味、柏鵬時代の佐田の山みたいなもんだよな。
348待った名無しさん:2006/10/15(日) 06:02:24
旭國の生涯最高で最強の場所が52秋だというのはまず正しいと思う。
技に加えて、スピードや力強さまで増して圧巻の内容だった。ただ優勝を争った相手が北の湖…
しかも歴史上に残る金字塔、六場所連続85勝がスタートした場所だった。

>>347
実に42初の佐田の山と被るね。まさに上には上がいた。バヤジットとティムールのアンカラの戦いにも通ずる。
349待った名無しさん:2006/10/15(日) 14:49:00
昭和53年の前半までは、旭國・三重ノ海・貴ノ花の大関三羽ガラスの
中で旭國が最も安定していた。しかしその後旭國が停滞し、貴ノ花も
4場所連続8勝7敗で終わるなど精彩が無かったが、三重ノ海はこの年
の夏場所以降2桁勝利を挙げて見違えるように強くなった。翌年旭國が
現役引退、貴ノ花も満身創痍の土俵が続く中で三重の海はさらに強く
なり、ついにこの年の秋場所に横綱に昇進した。そして三重ノ海は、
翌九州場所と翌年の昭和55年初場所に2連覇をしたが、ここで力尽き
その年の九州場所引退した。その後貴ノ花も翌年の昭和56年初場所
7日目に引退した。
350待った名無しさん:2006/10/15(日) 16:08:25
旭国最後の相手がその場所新横綱の三重ノ海だった、54秋。
その後55九で三重ノ海も引退、56初で貴ノ花、春に輪島、増位山と続いて、
引退ブームとか言われてた。
351待った名無しさん:2006/10/15(日) 19:07:46
昭和55年は、長島監督の解任、王選手の現役引退、
元ビートルズのジョン・レノン暗殺など世間一般
の間でも激動の年だった。
352待った名無しさん:2006/10/15(日) 19:22:52
>>351
大平首相急逝、山口も燃え引退、大貫さんが1億円拾得、
新宿のバス放火事件、記録的な冷夏、高木守道引退と
確かに激動の年だった。
353待った名無しさん:2006/10/15(日) 19:51:09
結果だけど、おおよそ10年周期で大きな流れが変るのかな。引退の年を見てみると

昭和35〜37年(栃錦、若乃花)→昭和44〜46年(柏戸、大鵬)→昭和55〜56年(>>350の面々)
→平成3〜4年(千代の富士、大乃国、北勝海、旭富士)→平成12年〜15年(若乃花、曙、貴乃花、武蔵丸)

北の湖は、57年から急ブレーキ状態に。
354待った名無しさん:2006/10/15(日) 23:27:23
>>350
山口百恵・王貞治も引退するなど、まさに大激動の時代だった。
三重ノ海も貴ノ花も輪島も増位山も、山口百恵や王貞治の引退の影響があった
といえる。
355待った名無しさん:2006/10/15(日) 23:48:29
>>353
北の湖は57年から急ブレーキになったが、実際には55年までと56年の境
で大きく変わった。
昭和55年名古屋までは相手を吹っ飛ばすことはあっても吹っ飛ばされること
はなかったが、55年秋から異変が起こり、昭和56年になると逆に吹っ飛ば
されることが目立つようになってきた。
昭和56年春と夏の連覇も、いままでの北の湖と違い、圧倒的な強さにかげり
が見え始めた感じがした。昭和53年のころは無敵で、優勝回数30回は固い
と思ったが、56年の前半の時点でそれは無理とみてせいぜい28回がいいと
ころだと思った。そしてその年の夏巡業でのひざの故障で、ダメを押した。
対戦相手も昭和55年までは年上の力士のほうが多かったが、団塊世代の大量
引退で、北の湖より年上の力士より年下の力士のほうが昭和56年になると圧
倒的に多くなってきた。北の湖と同じニッパチ組も衰えが見え始めた。
356待った名無しさん:2006/10/15(日) 23:57:19
昭和55年頃、次代を担う千代の富士、琴風、朝潮、隆の里戦などでの負けるものかと顔も真っ赤にして
気合いを入れて勝負した輪島、特に琴風戦、印象的だった。輪島最後の1番になったけど。
357待った名無しさん:2006/10/16(月) 00:34:16
>>355
なるほど。
そういう意味では、北の湖時代も昭和55年までということになるのかな。
確か、昭和56年1月場所での決定戦で千代の富士に出し投げで引きずられた
時に、北の湖の足腰の衰えが指摘されていたね。
朝汐、若嶋津、大寿山、巨砲などの新世代への取りこぼしが目立ってきた
のも55年〜56年にかけてでしたか。
358待った名無しさん:2006/10/16(月) 19:10:54
昭和55年といえばYMOと漫才ブーム。この2つは80年代の文化のベースになった。
まさしく節目だった。(次の節目は15年後の1995年。茶髪が認知され、携帯電話
が出現した。94年までは何となくバブルの時代を引きずっていた)世の中とは連動して
いるものなのだ。
359待った名無しさん:2006/10/18(水) 21:01:31
>>358
95年も激動の年だったね。阪神大震災、地下鉄サリン事件そして年末は
ウインドウズ95が登場。あと野茂のMLBデビューもこの年だったね。
360待った名無しさん:2006/10/18(水) 21:17:57
全盛期まで北の湖と被ってしまった若三杉の方が悲劇
361待った名無しさん:2006/10/18(水) 22:50:38
北の湖の最後の黄金期だった昭和55年は、日本がモスクワ五輪に不参加を
表明したスポーツ界にとって暗い年だった。プロ野球も大相撲同様世代交代
が進んだ。野村克也引退や張本3000本安打を達成した年だった。低迷中
の巨人も投の江川・西本・定岡・角、打の中畑・松本・篠塚・山倉などが
台頭した。
362待った名無しさん:2006/10/19(木) 20:30:36
昭和55年。若者の髪が短くなった。1995年。若者の眉が細くなった。
363待った名無しさん:2006/10/19(木) 20:40:07
昭和55年秋場所、北の湖が千代の富士にうっちゃりで負けた。
今から考えるとこの取組が北の湖と千代との世代交代を予感させるきっかけとなった一番。
軽量の千代に土俵際で逆転負けしたのはショックだったと思う。
364待った名無しさん:2006/10/19(木) 20:45:20
55年前半の段階ではまだ北の湖や若乃花は、
千代の富士をナメてかかってたろうね、
その秋場所あたりから急成長を遂げたので相当に驚いたと思う。
365待った名無しさん:2006/10/19(木) 21:02:32
>>361
昭和55年はスポーツ芸能界では節目の年だったよね。
モスクワ五輪まではオリンピックは国家的な行事だったが
そのあとのロサンゼルスからはビジネス色が強くなった。
野球では王貞治が芸能界では山口百恵が引退。
相撲では北の湖から千代の富士への世代交代を予感させた。
366待った名無しさん:2006/10/20(金) 01:25:14
北の湖から千代の富士への世代交代は、
判断が難しい、57年前半までは互角の優勝争い、
その後北が休場続きで、千代の優勝が増えたけど、
北が復活すればまだまだ及ばないという声もあった、
復活はなかったが今度は千代の富士と隆の里の2強時代になり、千代の優勝頻度は鈍る、
そして北の湖が最後にひと花咲かせ引退、
隆の里も衰えここで初めて千代の富士時代が到来したと言える、
ただこの段階でも千代の富士が北の湖の優勝回数を越えるほどの大横綱になるとは誰も想像しなかっただろう。
だから北の湖が千代の富士に引導を渡されたという感じがあまりしない、
印象に残る対戦があまりない
千代の初優勝の時はまだまだ番狂わせという感じだし、まして最後の対戦は北の圧勝。
367待った名無しさん:2006/10/21(土) 11:11:10
千代の富士は間違いなく昭和末期の大横綱。小錦の登場が皮肉にも
千代の富士の黄金期を形成する基礎になったような気がする。小錦の
強烈な突き押しに対抗するために千代は、様々なトレーニングを
したと思う。ただ引退後は要職に就けないなど、協会内で冷遇されて
いるけど。同門の現役時代格下だった朝汐よりも低い立場だからね。
368待った名無しさん:2006/10/21(土) 13:47:37
   北の湖 若乃花 千代の富士
55名 15-0優 11-4  9-6(前2)
  秋 12-3  14-1優 10-5(小結)
  九 11-4  13-2  11-4(関脇)  優勝は輪島(14-1)
56初 14-1  10-5  14-1優
 春 13-2優 3-4-8  11-4(大関)
  夏 14-1優 0-3-12 13-2
  名 13-2  0-0-15 14-1優
  秋 10-5  11-4  1-2-12(横綱) 優勝は琴風(12-3)
  九 5-4-6  0-0-15 12-3優
57初 13-2優 9-6   12-3
  春 11-4  11-4  13-2優
  夏 9-4-2  12-3 13-2優      
  名 0-0-15 11-4  12-3優
  秋 10-5  10-5  10-5  優勝は隆の里(15-0)
  九 9-3-3  0-0-15 14-1優
58初 5-4-6  2-4引退12-3  優勝は琴風(14-1)
  春 0-0-15     15-0優
  夏 0-0-15      0-0-15 優勝は北天祐(14-1)
  名 0-0-15     13-2  優勝は隆の里(14-1)
  秋 4-1-10     14-1  優勝は隆の里(15-0)
  九 11-4      14-1優
59初 8-7       12-3  優勝は隆の里(14-1)
  春 10-5      4-4-7  優勝は若嶋津(14-1)
  夏 15-0優     11-4
  名 11-4      0-0-15 優勝は若嶋津(15-0)
  秋 0-3-12     10-5  優勝は多賀竜(13-2)
  九 3-4-8      14-1優
60初 0-3引退
   
369待った名無しさん:2006/10/22(日) 13:08:41
千秋楽、結びの一番は 輪島 対 北の湖 に決まっていて、とにかく 一大イベントだった
私が見始めてからは、やや北の湖に分があった。
左四つがっぷり、または 輪島、左半身。
北の湖右上手投げに左下手投げを打ち返す輪島。
輪島の肩が大きな息で揺れだした頃、水入り。
再開後、若さ、体力に勝る北の湖の寄り切り勝ち。
というのが基本パターンだった。
ただもちろんそんな簡単なものではなく、動きひとつひとつに意味があり、その内容は濃く、たまに輪島の左が勝るときもある、一瞬も目が離せない大一番だった。
370待った名無しさん:2006/10/23(月) 12:04:11
53年頃から、輪島が疲れて半身を諦めて自らがっぷりになり、最後は
北の湖が寄り切って勝つというパターンが増えた
371待った名無しさん:2006/10/24(火) 16:16:28
今月号の大相撲中継は52九州が載ってる。必見!
372若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/10/24(火) 20:15:42
北の湖の衰えというか急ブレーキがかかったと言うのは、朝汐苦手が
言われ始めてからだと思う。
千代の富士は、三連覇するまで短命横綱と言われた。

前にも書いたけど、昭和55年は高齢化番付と言う呼ばれ方だったか忘れたけど
若手があまりいなかった。
373やけくそ:2006/10/24(火) 20:43:15
いい時代でした。
あの頃、北の湖に右上手取られて勝てるのはいなかったですよね。しかし、輪島だけは
立会いから、右上手を取らすんですよ、自分が左下手を取れるから。あんな毎場所、同じ
パターンの取り口なのに、緊張感は最高でした。北の湖も強引にいったら下手投げで
やられるから水入り作戦だったし、あの頃の相撲というのは様式美というか、気品と
ある意味、神々しさを感じました。現在に、アレを求める気はありませんが、どうも若貴
の頃から、稽古場みたいな決着のつき方が増えたような(この感じわかりますか)
374待った名無しさん:2006/10/25(水) 22:12:42
>>373
昭和51・52年の輪湖の対決は、本当に名勝負が多かったなあ。
375待った名無しさん:2006/10/28(土) 05:35:47
53年当時、誰が後の北の湖のあの急ブレーキを予想したか・・・
俺を含め周囲の誰もが大鵬の優勝32回を抜くのは確実と思っていたのだが。
今思い返してみると北の湖の全盛期は51年〜54年。
この頃の強さは紛れもなく史上最強レベル。
してみると51〜52に互角に渡り合った輪島も実は最強レベルだったということ。
どうしても北の湖の陰で目立たないし最強スレとかで語られる事はほとんど無いけどね。
376待った名無しさん:2006/10/28(土) 15:44:12
>>375
しかも輪島の真の全盛期は昭和48年だしね。
377待った名無しさん:2006/10/28(土) 18:33:04
>>376
ケガが無ければS50〜53年頃にとてつもない全盛期を迎えていたかもしれない。
ケガの後、型のモデルチェンジ→腰痛→スランプとなって51年春にようやく復活した。
復活後は定番の型にこだわらなくなり右四つ左上手からでも取れるようになった。
(もっとも北の湖相手だと右四つではさすがに通じず定番の型にいつもなってたが)
378待った名無しさん:2006/10/28(土) 19:04:34
右四つでの吊りがかなり冴えていた気がする。
379待った名無しさん:2006/10/28(土) 20:27:10
若乃花Uが横綱になるまで、その全盛期バリバリの北の湖と
対戦成績がまったく互角だったっていうのもすげえな。
引退が早かったのと、優勝4回のせいで影が薄いが、実際は羽黒山、柏戸、
北玉あたりの名横綱と呼ばれる人たちと、同列に並べてもいいくらいの
実力者なんだよな。
380やけくそ:2006/10/28(土) 21:02:17
昭和55年〜56年頃って、輪島、北の湖、若乃花Uが13日〜14日まで負けなしで
終盤の星の潰し合いが見ごたえありました。玉の海は別格として北の富士より輪島、
若乃花Uは格上と思います。柏戸は、輪島、若乃花Uにとって苦手のタイプではないで
しょうか。
381待った名無しさん:2006/10/29(日) 14:08:15
>>377>>378
大学時代は右四つ左上手、吊り寄りの相撲でした。
プロ入りしてからは体格のハンデを克服するために、左下手で低く潜る相撲を習得しました。
復活後は体重も増えていたので、少なくとも下位力士相手の時は本来の相撲に戻しました。
(これが公式見解ですね)
382待った名無しさん:2006/11/03(金) 12:49:50
輪島は玉の海とは一回当たって、寄り切りで敗れたが、玉の海が長生きして
もっと対戦していれば、イイ相撲が取れたと思う。
あと大鵬があと数場所やっていれば、輪島と当たったのになぁ
383待った名無しさん:2006/11/03(金) 17:46:35
>>382
大鵬が引退場所(46夏)を皆勤すれば輪島との対戦があったはず。
輪島にとって大鵬は神様。相撲も少し似てて左四つ。おっつけが強くて捌きが
巧い天才肌。お互い右四つでも取れる。う〜ん見てみたかった!!
384待った名無しさん:2006/11/03(金) 22:36:30
ウイキペディアで二代目若乃花の苦手力士に富士櫻の名が上がって
いたけど、関脇以下の力士との対戦で最も苦手だったのは、荒勢だよ。
385待った名無しさん:2006/11/03(金) 22:42:14
富士櫻も大の苦手だよ。新横綱初日で負けた相手。
あと琴風、巨砲、出羽ノ花なんかにもよく負けていた。
386待った名無しさん:2006/11/03(金) 22:47:24
>>385
週刊ポストのインタビューで二代目若乃花は、押し相撲が苦手だったと
答えていた。苦手力士荒勢や富士櫻の名を上げていた。あと高見山に
対しても脅威を感じていたみたい。
387待った名無しさん:2006/11/03(金) 22:50:46
うんうん。当時の『相撲』でも「押し相撲の克服が北の湖へ対抗する条件」
と言われている。四つ身になれば巧さ、柔らかさがあり足腰の良さが目立ったのになあ
388待った名無しさん:2006/11/04(土) 11:23:10
>>385
あと55年だかに富士櫻が敢闘賞を取った場所にも
完敗してた気がする。
389待った名無しさん:2006/11/04(土) 23:45:44
>>388
二代目若乃花は横綱昇進後、荒勢とは1回しか敗れていないけど、
富士櫻とは不戦敗を含めて5回も負けているからね。荒勢が
若乃花の横綱昇進後上位に定着できなかったせいもあるけど。
390待った名無しさん:2006/11/05(日) 16:16:01
昭和53年九州場所13日目の全勝対決、若乃花−輪島戦は、
同年名古屋の輪湖戦ほど思い出の相撲として語られませんが、若乃花生涯のハイライトでしょうし、
もっと語り残したい4分10秒ちょっとの名勝負ですね。
 ・・・左四つ、輪島は上手を取らず半身、若乃花に下手を与えない場面もあったが、
    結局絞り切れずにがっぷり四つ。吊り、投げの応酬も決まらず、水入り。
    こうなると若さに勝る若乃花が優勢。左下手投げ気味に黒房下へ寄り倒した。
391待った名無しさん:2006/11/05(日) 16:57:42
ビデオでみたが、
最高級の名勝負だと思う。
392待った名無しさん:2006/11/05(日) 19:50:04
54年夏の対戦も水入りの大相撲だったようですが、どんな相撲でしたか?
393待った名無しさん:2006/11/08(水) 11:07:36
輪島は貴乃花戦以外、ほとんど水入り相撲では負けっぱなしだからなぁ
大相撲とるんだけど、最後は根負けして土俵を割るんだよねぇ
394待った名無しさん:2006/11/08(水) 21:42:15
北の湖って水入りで負けたことないのでは。
輪島戦が3回(52年春、53年名古屋、54年春)と若乃花II戦1回(55年初)。
395待った名無しさん:2006/11/09(木) 01:52:37
>>394
北の湖が体力勝ちするからだろうね。北の湖で思い出したけど、
巨漢の小錦も水入りで負けたことがなかった記憶があるけど。
396待った名無しさん:2006/11/11(土) 13:26:39
>>392
輪島のユルフン作戦、若乃花は取りずらそうでしたが、
行司が待ったをかけて輪島の廻しを締め直してからは、
両廻しを十分に引きつけて寄り切りましたね。
397:2006/11/12(日) 15:23:25
優勝
1位 大鵬 幸喜 32回
2位 千代の富士 貢 31回
3位 北の湖 敏満 24回
4位 貴乃花 光司 22回
5位 朝青龍 明徳 18回
6位 輪島 大士 14回
7位 武蔵丸 光洋 12回
8位 曙 太郎 11回
9位 栃錦 清隆
若乃花 幹士
北の富士 勝昭 10回
398:2006/11/12(日) 15:25:06
全勝優勝
1位 大鵬 幸喜 8回
2位 北の湖 敏満
  千代の富士 貢 7回
4位 貴乃花 光司
  朝青龍 明徳 4回
6位 北の富士 勝昭
  輪島 大士 3回
8位 隆の里 俊英 2回
399:2006/11/12(日) 15:27:58
優勝額掲額期間(蔵前國技館(改修後))
1位 輪島 大士 12年 4ヶ月(昭和47年 9月〜昭和60年 1月)
2位 北の湖 敏満 10年 8ヶ月(昭和49年 5月〜昭和60年 1月)
3位 三重ノ海 剛司 9年 0ヶ月(昭和51年 1月〜昭和60年 1月)
4位 琴櫻 傑將 8年 8ヶ月(昭和46年 1月〜昭和54年 9月)
5位 北の富士 勝昭 8年 4ヶ月(昭和46年 1月〜昭和54年 5月)
6位 魁傑 將晃 8年 0ヶ月(昭和50年 1月〜昭和58年 1月)
7位 若乃花 幹士 7年 4ヶ月(昭和52年 9月〜昭和60年 1月)
8位 玉の海 正洋 6年 8ヶ月(昭和46年 1月〜昭和52年 9月)
8位 貴ノ花 健士 6年 8ヶ月(昭和50年 5月〜昭和57年 1月)
10位 大鵬 幸喜 6年 4ヶ月(昭和46年 1月〜昭和52年 5月)
400待った名無しさん:2006/11/12(日) 17:29:55
輪島現役時代に「兄弟はいるか?」と聞かれてー言「兄弟はいません、妹が一人いるだけです」
401待った名無しさん:2006/11/15(水) 12:37:47
真性のバカなんだなw
402待った名無しさん:2006/11/15(水) 23:33:51
>>401
真性の天然ボケだよ。長嶋茂雄と一緒。
長嶋茂雄も輪島も共に天才肌。
403待った名無しさん:2006/11/25(土) 01:07:07
今年の九州場所で50年、輪島の九州場所の優勝は昭和48年、52年、55年、の3回、
北の湖の九州優勝は昭和51年の1敗同士輪湖決戦の勝ちの1回だけ、というのは意外
北の湖は東京場所に強いイメージがある。逆に輪島は1月場所の優勝1回しかないのも意外。
404待った名無しさん:2006/11/29(水) 11:30:17
>>403
輪島は最後の4回の優勝が名古屋、九州、名古屋、九州だったせいもあるのか
地方で強いイメージがあるな。

一方北の湖は東京で強いイメージが残っている。
でも新国技館では勝てずに辞めたんだよなあ。
405待った名無しさん:2006/11/30(木) 21:36:01
>>399
さすが「蔵前の星」輪島!w

406待った名無しさん:2006/11/30(木) 21:38:41
>>399
蔵前国技館の場所は59年9月で最後、
新国技館は60年1月開館なのに、なぜ60年1月は
蔵前での掲額があったの?
407待った名無しさん:2006/12/11(月) 01:57:04
若獅子のけたぐり
鷲羽山の肩すかし
増位山の内がけ
青葉山のつり
408待った名無しさん:2006/12/11(月) 19:56:18
旭国の内無双、三重ノ海の前さばき
409待った名無しさん:2006/12/11(月) 21:22:02
黒姫山のぶちかまし、いなし
北の湖のかちあげ
玉の富士の割り出し、引き
410待った名無しさん:2006/12/11(月) 21:52:20
高見山のかんぬき
貴乃花の粘り
荒勢のがぶり寄り

巨砲の遅い攻め
411待った名無しさん:2006/12/11(月) 23:14:37
福の花のフック
陸奥嵐の吊り吊られ
金剛の右前ミツ食い下がり
金城(栃光)の右半身
豊山の輪島戦だけ本気
若三杉の右上手投げ
北瀬海の両差し速攻
隆ノ里のがっぷり長い相撲
大錦の左半身速攻
出羽の花の左前ミツ
舛田山の叩き
412待った名無しさん:2006/12/11(月) 23:22:01
旭國のとったり
輪島の吊り、下手投げ
魁傑の突っ張り、掬い投げ
栃赤城の逆とったり、もろて突き
千代の富士の吊られ
大錦の腰を突き付ける寄り身
413待った名無しさん:2006/12/12(火) 18:28:31
私が一番印象に残っている輪島対北の湖戦は昭和52年名古屋場所千秋楽結びの一番。
輪島14戦全勝で、北の湖13勝1敗。
1分40秒近い大相撲の末、輪島が向こう正面に倒れ込むようにすくい投げで勝った。
輪島は全力を使い果たし、しばらく立ち上がれなかった。
後の相撲誌で「2,3日手が震えて箸が握れなかった」とコメントしている。
それだけ当時の北の湖は重くて強く、大変な実力者だったということだ。
当時輪島ファンだった私にとって輪島が全力を使い果たし、執念の全勝優勝したこの一番が一番印象に残っている。
私は柏鵬時代、北玉時代、輪湖時代、千代の冨士時代、曙貴時代、朝青龍時代と見てきたが、この輪湖時代が一番面白く、千秋楽結びの二人の対決に興奮したものだ。
白鵬も朝青龍とこのような対立時代を作ってほしい。
47歳男性、相撲観戦歴39年
414待った名無しさん:2006/12/13(水) 20:45:09
岩波(照の山)のノックアウト負け
琴風のがぶり寄り
富士桜の流血
蔵間の大善戦
黒瀬川の左差し寄り
佐田の海の右差し寄り
415待った名無しさん:2006/12/14(木) 18:39:13
三重ノ海の猫だまし
416待った名無しさん:2006/12/14(木) 23:16:35
琉王両ハズ、輪島を圧倒!
琴ヶ嶽の吊り、上手投げ
双津竜の重い腰
麒麟児の(相手に取られた)廻し切り
玉輝山の右四つ左上手
三重ノ海の張り手、輪島を圧殺!
青葉城の右上手、左差し手の返し

417待った名無しさん:2006/12/15(金) 18:07:25
小学校2年の昭和51年初場所から相撲を興味持って見だした私は幸せ者だ。
当時は何も思わずに見てたが、その後の相撲を見るにつけ、今思うと最高の
時代だったな。51〜4年にかけて輪島、北の湖、若三杉、三重の海、貴ノ花
がしのぎをを削った時代は最高だった。
418待った名無しさん:2006/12/15(金) 18:12:19
>>417
しかも全員が左4つ!!いつも相四つの大相撲! 最高の時だった。
この頃は今と違って左4つが多かったな。何故だ。
419待った名無しさん:2006/12/15(金) 18:16:51
当時大関の旭国や塊傑、増位山も左四つよね。 
右四つの千代の富士が代頭してから、速攻のあっけない相撲が増えてつまらなくなった。
420待った名無しさん:2006/12/15(金) 18:21:13
俺は417だが
最高に印象深い相撲は52年九州場所の輪湖対決。 画面が切り替わったら北の湖
が倒れてた、一瞬何が起こったのか分からなかった。
切り返しだったかな?
421待った名無しさん:2006/12/15(金) 18:27:07
>>420
あの相撲は天才輪島の真骨頂だよ。北の湖が押っつけに我慢できなくなって左差し手
を抜いて輪島の首に回して上手投げを打った(記憶が曖昧だが)時に、瞬間的に
切り返したと記憶している。
俺も小学4年だったからはっきりとは覚えてないがね・・・あってるかな?
422待った名無しさん:2006/12/15(金) 22:15:54
>>418
輪島も北の湖も若乃花も三重の海も雲竜型

砂場で土俵入りの猿真似したもんだw
423待った名無しさん:2006/12/15(金) 22:40:53
土俵入りは
輪島>三重>若>>>湖  だったな
とにかく輪島のせり上がりは格好いい
424待った名無しさん:2006/12/15(金) 22:51:08
北の湖の土俵入りはせっかちな性格がよく表れてた
425待った名無しさん:2006/12/16(土) 13:57:25
いや、輪島>北の湖>>>(越えられない壁)>>>その他多数の横綱 ですよ。
北の湖のあの迫力の拍手(威勢の良い音)、他の追従を許しませんぬ。
426待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:01:34
不知火型は、悲運の吉葉山から始まり、玉の海が早死にし、琴桜が短命、で縁起悪いということで
その後しばらく雲竜型が続いたね。
427待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:04:04
太刀山も不知火型だったね。
「太刀山型土俵入り」は最悪に縁起悪いね、本当に最悪・・・・
428待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:09:42
輪島対貴ノ花でがっぷり左四つでの吊り合いは見応えあったな。いつも輪島が
勝って吊り出すのだけど・・・輪島の腰の割り方は素晴らしかった。
肩幅広く眼光鋭く筋肉質・・・見栄えだけなら輪島は最高。 
429待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:15:58
輪島の顔は大魔神に似てるよな
430待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:16:55
輪島ってさ、左半身の右押っつけって北の湖戦以外はほとんど やらなかったね。
他の力士戦は全て、立ち会いから右上手取りにいってたね。
相手によっては左上手の右4つにいったりしてた。51年から見だしたけど、下手投げも
殆どやらなかった。 だから私の知ってる輪島は吊り寄り主体の本格的な四つ相撲のイメージある
431待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:24:06
大魔神というよりマグマ大使か。
432待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:25:22
吉葉山は琴桜に不知火型を指導してから四年後(ちょうど輪湖絶頂期)に亡くなっている、
琴桜の昇進がなければ不知火横綱の継承が途絶えていたことになるな。
433待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:31:25
琴桜の後は誰が不知火型をしましたか?
434待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:33:56
琴桜の昇進は奇跡だったね。 47.11〜48.1 の2場所のみの確変
だった。
435待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:35:07
>>433
隆の里
双羽黒
若乃花
436待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:37:59
>>435  サンクス
まともな横綱はいないね、不知火型を誰もやりたがらないわけだ。
歴代で不知火型で名横綱っていないだろう・・・
437435:2006/12/16(土) 17:41:12
旭冨士がぬけてた、スマソ(´・ω・`)
438待った名無しさん:2006/12/16(土) 17:44:06
旭富士のせり上がりは下手だった。 
439待った名無しさん:2006/12/16(土) 19:37:08
>>436
A級強豪横綱太刀山・羽黒山を忘れるな!
太刀のは見たことないが、羽黒の土俵入りは力感が籠もって素晴らしかった。不知火型なら一番だろう。
440待った名無しさん:2006/12/16(土) 19:45:21
羽黒山は文句なしの名横綱ですな。
太刀山は相撲版でくだらんレスを付けまくってる奴のイメージしかない。
441待った名無しさん:2006/12/16(土) 19:51:16
太刀山って名横綱とはいわんだろう。常陸山梅ヶ谷が衰え、栃木山大錦が台頭
するまでの、隙間の低レベル時代に連勝した不人気横綱にすぎない。
442待った名無しさん:2006/12/16(土) 22:05:44
輪島と三重ノ海は性質は違うが前捌きの横綱、北の湖は群を抜く地力、
若乃花は柔らかさ。バランスが取れてた。
443待った名無しさん:2006/12/16(土) 22:59:09
>>442
剛、柔、巧、技=北、若、輪、三 だったね。見事に彩りがとれてた。
  
444待った名無しさん:2006/12/16(土) 23:04:04
貴乃花 横綱 曙
北の湖 大関 輪島
若三杉 関脇 三重ノ海
445待った名無しさん:2006/12/16(土) 23:26:14
輪島は正真正銘の天才だった。あれに北の湖のような自覚があればもっと良い
横綱になったと思うんだけど・・・
446待った名無しさん:2006/12/17(日) 12:07:39
根は右四つの輪島。
447待った名無しさん:2006/12/18(月) 10:36:28
朝青龍はそうとう弱いんだろうなぁ。レベルが違いすぎる。
448待った名無しさん:2006/12/27(水) 18:27:09
青葉城(寄り切り)北の湖
449待った名無しさん:2006/12/27(水) 20:49:14
正に、戦後第三の黄金期だった。あのような時代は二度と来るまい。    
450待った名無しさん:2006/12/27(水) 20:52:50
昭和54年はあり得ない程、横綱陣のレヴェルが高かった。
451待った名無しさん:2006/12/27(水) 21:41:18
54年、55年の賜杯は
それぞれ大横綱北の湖が3、輪島、若乃花、三重ノ海各1。横綱が賜杯を独占した。
452待った名無しさん:2006/12/27(水) 21:53:54
各2でしょ!?
453待った名無しさん:2006/12/28(木) 01:06:20
第1回相撲トーナメントで優勝した北の湖がインタビューで
ライバルの輪島が早々と敗退したことについて聞かれて
「稽古が足らないんじゃないっすか?」と言い放ってた記憶がある
454待った名無しさん:2006/12/28(木) 20:57:10
金剛(寄り切り)北の湖  魁傑(上手投げ)北の湖
金城(掬い投げ)輪島  麒麟児(送り出し)輪島
出羽の花(上手投げ)若乃花  闘竜(打っ棄り)若乃花
増位山(内掛け)三重ノ海  千代の富士(浴びせ倒し)三重ノ海
455待った名無しさん:2006/12/29(金) 14:40:12
輪島(つり出し)貴ノ花 輪島(切り返し)北の湖
若乃花(寄り切り)輪島 北の湖(寄り切り)輪島
456待った名無しさん:2006/12/29(金) 20:11:14
北の湖(寄り切り)高見山 高見山(寄り倒し)輪島
輪島(吊り出し)鷲羽山 鷲羽山(肩透かし)北の湖
若乃花(吊り出し)玉ノ富士 玉ノ富士(叩き込み)三重ノ海
三重ノ海(寄り倒し)朝汐 朝汐(叩き込み)若乃花 
457待った名無しさん:2007/01/03(水) 22:57:33
昭和52年夏、旭國は「ピラニア」の異名の通りのしぶとさを発揮して北の湖を撃破。

突っ張って出る北の湖。旭國も応戦するが、北の湖が先に得意の右上手を引く。
旭國は左下手、次いで右前みつを引いて両差しの体勢となり、北の湖の右腰に食いつく。
食い下がられてはうるさいと北の湖が左をねじ込んで前に出ようとした瞬間、
旭國が左足を飛ばして内掛けの奇襲。
北の湖大いに慌て「あっ」と声を出して内掛けを外したところ、旭國もう一度内掛けで追い撃ち。
両足が大きく開いて腰が入った北の湖。それでもなんとか旭國を吊り上げようとするが、旭國今度は空中で左外掛け。
完全に腰が崩れた体勢から北の湖破れかぶれで右上手投げで逆転を狙うが、
旭國に体を預けられて北の湖仰向けに転がった。
458待った名無しさん:2007/01/05(金) 10:12:55
>>445 対極にある両横綱。だから人気があったんじゃないかなぁ。
459待った名無しさん:2007/01/07(日) 01:07:48
>>450
輪島ファンからすれば、スタミナもなくなって(すでに昭和53年以降からは)
北の湖に自力で完全に抜き去られた寂しい一年だった・・・
460待った名無しさん:2007/01/08(月) 00:21:54
ついに今場所両国国技館での貴乃花の優勝額が無くなってしまった。
両国国技館で輪島の優勝額が無くなったのは、昭和61年夏場所。
北の湖の両国国技館の優勝額が無くなったのは、平成2年初場所。
461待った名無しさん:2007/01/08(月) 09:52:49
取り外された優勝額は、どこへ行くんだろう?
462待った名無しさん:2007/01/08(月) 10:56:29
>>457 昭和52年秋14日目の全勝同士の一番も実況お願いします。
463待った名無しさん:2007/01/08(月) 12:11:15
全盛期が終わりかけた頃、円熟の時がやってくる。腐敗する直前の肉が最高の美味だという。
54年はあの時代の力士たちが、
円熟の4横綱を中心として、最後の光芒を放った年である。
正に一つの文化の最高到達点であり、爛熟の極みであった。
そしてそれは、確実に時代の終わりが、そこまで忍び寄っていることの証左でもある。
江戸時代でいえば、天保時代というべきか。事実、翌55年からは緩やかな衰退期に入って行く。
464待った名無しさん:2007/01/09(火) 16:43:22
大村崑が見にきてる!多分。
465待った名無しさん:2007/01/11(木) 22:14:42
>>413
その昭和52年名古屋場所の千秋楽結びの一番、覚えているよ。
私も輪島ファンだった。
でも、この結びの一番は正直勝てるとは思わなかった。
輪島は、この年春場所に北の湖に水入りの大相撲で負けて全勝優勝を許し、
夏場所も左四つで力負けし、2連敗中だった。
それに、3年前の名古屋で本割り、決定戦と黄金の下手投げで勝ち、
逆転優勝したが、今度は逆にやられるのではと不安だった。
この相撲は最後は土俵に倒れこんで、しばらく立ち上がれなかったね。
私も大相撲観戦歴40年近いが、私にとっては昭和46年初場所の優勝決
定戦の大鵬対玉の海の水入りの大相撲と並ぶ名勝負だな。
466待った名無しさん:2007/01/11(木) 23:03:02
>>465
昭和46年初場所の優勝決定戦の大鵬対玉の海は凄かったなぁ。
玉の海は3場所連続千秋楽結びで全勝を阻まれた。
そして、大鵬に決定戦でも負け、逆転優勝されてしまった。
大鵬にとって32回目の最後の優勝となった。
この相撲を輪湖の二人も見ていただろうなぁ・・・。
467待った名無しさん:2007/01/12(金) 10:22:44
昭和46年初場所、輪島は新入幕、北の湖は幕下で大竜川の付け人。
この3年後には二人の天下になるんだな。
468待った名無しさん:2007/01/13(土) 01:27:08
>>436
玉の海がいるじゃないか。残念ながら不慮の死だったけどね。
横綱在位10場所で130勝20敗は、立派な成績だよ。
469待った名無しさん:2007/01/13(土) 10:02:12
平成10年6月、今の解説者の北の富士さんがNHKのスタジオパークに出演した。
そして、ファンからのFAXの質問で、「現役時代一番強いと思った力士は誰?」
という質問があった。
彼の答は「色々いたけど、苦手という意味で輪島」と答えた。
てっきり「大鵬」と答えると思っていただけに意外だった。
まあ、北の富士は昭和39年春場所から全盛期の大鵬と対戦し、横綱同士でも
対戦した経験のある人だから言葉に重みがある。

470待った名無しさん:2007/01/13(土) 11:09:18
>>469
輪島は昭和46〜49年頃、左四つの力士には相手に簡単に右の上手を取らせ、
自分は左下手右おっつけで強烈に絞って下手投げを打っていた。
それで、典型的な左四つの北の富士は47年初〜夏場所まで3連敗した。
彼の発言の「・・苦手という意味で・・」とはその苦手意識と自分が実際
相撲を取って肌で感じた輪島の強さからそう言ったのだろう。
「色々いたけど・・」の中には当然大鵬、柏戸、玉の海らが入ると思われる。
471待った名無しさん:2007/01/13(土) 19:10:36
>>469
北の富士と北の湖は対戦成績4勝2敗で北の富士が勝っているが、最後の対戦が
昭和48年九州場所で北の湖が小結の時だ。このとき、浴せ倒しで北の湖が勝った。
まあ、全盛期が違うだけにあまり比較しようがないね。
472待った名無しさん:2007/01/13(土) 19:22:50
>>471
北の湖関脇だよ
473待った名無しさん:2007/01/13(土) 20:37:49
>>472
471だが、関脇か、すまん間違えた(汗)
474待った名無しさん:2007/01/20(土) 09:25:59
輪湖時代を知っている者としては!

最近相撲がつまらないんだよねぇ……。

朝青龍ってそんなに強いか!?

っうか大関陣がだらしないんだよ!

大関陣の闘志が全く感じられない……

勝ち越しだけで満足するなよ
475待った名無しさん:2007/01/20(土) 14:03:57
>>462北の湖−旭国名勝負
【昭和47年名古屋】
 突き合いから北の湖がまともに叩き、旭国が懐に入りかける。
 北の湖が思い直して突き立てると、旭国はたくみに右から叩き落とした。
 この一番を含め、初顔から3番続けて旭国が叩き込みで勝った。
【昭和50年九州】
 左四つ右上手を引いて食いさがった旭国。北の湖は終始上手が取れず、
 西土俵際で右突き落としを狙ったが及ばず土俵を割り、全勝に土。
【昭和52年夏】>>457
【昭和52年秋】
 旭国が突き勝って西土俵へ出る。北の湖が右へ回り込むと、旭国は左、右と
 浅い廻しを掴んで食い下がる絶好の体勢。しかし、北の湖は右から抱えて起こし、
 次いで強烈におっつけて出る。そして左ハズも利かして西土俵に攻め切り、大一番を馬力で制した。
【昭和53年夏】
 左四つ右上手を先に引いた旭国が懸命に寄る。しかし北の湖は下がりながら右上手を掴む。
 胸が合っては勝負あり。北の湖はぐいぐい出て正面土俵に寄り切った。
476待った名無しさん:2007/01/20(土) 14:04:07
小坂秀二が、北の富士に「あんたは輪島に勝てないからダメなんだよ」って言ったら、
泣かんばかりにどれだけ輪島が強いか小坂に延々力説したという話があったな。
477待った名無しさん:2007/01/20(土) 14:06:38
昭和47年初、春の輪島−北の富士戦は、輪島生涯のハイライトの一つ。
478待った名無しさん:2007/01/20(土) 14:37:44
輪島は昭和53年名古屋の14日目北の湖との全勝対決で敗れた後
次の日箸も持てなくなったほど疲労困憊したそうな
今の朝青龍でもこの頃の北の湖には10回やっても勝てんな
479待った名無しさん:2007/01/20(土) 21:20:34
昭和52年名古屋が輪島が貫禄を見せつけ、この年80勝して全盛期を迎えた
北の湖に年間4勝2敗と勝ち越して大きく立ちはだかったが、
昭和53年名古屋はまさに輪湖時代から北の湖時代(一瞬は北若と呼ばれたが)
に移行する関ヶ原になったわけだな・・・
480待った名無しさん:2007/01/26(金) 22:38:06
やばい、落ちそうじゃないか
増位山の内無双、若獅子のけたぐりage
481待った名無しさん:2007/01/26(金) 22:50:18
あの頃の行司も熊谷庄之助正直伊之助、伊三郎、後藤錦太夫、筆翁、江川勘太夫、玉光、茶原庄二郎、個性派ばっかりだったな。
今は…
アーカイブスで昭和50年代前半の大相撲千秋楽見たいな。
解説神風か玉の海実況北出か杉山
もう絶対永久保存版だな。
482待った名無しさん:2007/01/27(土) 13:32:04
小学生の頃(具体的には昭和56年3月 大阪春場所
だったと思います。記憶違いならすみません)
千秋楽で千代の富士と対戦して勝利。13勝2敗で優勝
した場所がありました。インタビューで足の親指の痛みは
大丈夫ですか?と尋ねられていて、ケガしてんのかな?
と漠然と思っていましたが、今考えればもっと深刻な
(たとえば軽い痛風とか)病気だったのでしょうか?

483待った名無しさん:2007/01/29(月) 02:04:56
昭和55年夏場所9日目 ○朝汐(押し出し)北の湖●
北の湖が朝汐を大の苦手にしていたのは今更言うまでもないが、そのきっかけとなった一番がこれ。

北の湖はいつもの通り左かちあげで右前まわしを狙う立ち合い。
だが組み止めてから勝負をつけようとしたのか踏み込みが甘かった。
(前場所土俵際で引き落とされている)
並の力士ならこれで止められただろうが、朝汐が仕切り線から大きく後ろに下がって
一直線にぶちかましてきたので、北の湖は当たり負けして一歩後退した。
朝汐はすぐに左のど輪で攻める。これが角度、腕の伸びとも申し分なく、
北の湖は大きくのけぞりながら後退。慌てて左を差して逃れようとしたが、
その差し手を右からおっつけられてますます上体が起きてしまった。
反り身になると残り腰がない北の湖。朝汐の両はずからの押しに何もできずに東土俵を割った。
484待った名無しさん:2007/01/29(月) 13:44:03
56年3月は確かに北の湖は苦労した場所だった。前半で2敗したものの、千秋楽
相星で新大関千代の富士を破り優勝するのだが、55年11月に三重ノ海、56年1月に
貴ノ花、そしてこの3月に輪島、増位山が引退。若乃花は休場し1人横綱だった。
インタビューで北の湖は「上の人が引退したり休んだりして、自分としては非常に
イヤな気持ちになった」と答え、「横綱としての責任を果たさなければいけない、
という気持ちに強くなったのではないですか」との問いには「いや、もう無我夢中で
何と言うか、とにかくもう相撲しかなかったですね」と答えていた。
北の湖の凄さを感じたインタビューだった。
今の朝青龍のインタビューとか聞いていると、何だかな、と思っちゃうね。
北の湖は56年11月の飛騨ノ花戦で負傷して初の休場。そこから苦悩の土俵が始まった。
485待った名無しさん:2007/01/29(月) 14:27:57
貴乃花が話題にならないのが不思議な奴の数→
486待った名無しさん:2007/01/29(月) 15:05:56
確かに千代の富士が関脇から横綱に駆け上がった頃って
朝潮が北の湖に勝って随分アシストしてもらった気がする
北の湖の天敵だったよね
487待った名無しさん:2007/01/30(火) 13:36:27
初優勝の時は朝潮が北の湖を破ったから相星で決定戦になったんだよな。
488待った名無しさん:2007/01/31(水) 00:59:56
>>484
56年春は北の湖2敗千代の富士3敗で千秋楽に対戦。
相星ではないよ。
489待った名無しさん:2007/01/31(水) 18:25:34
朝汐と北の湖の関係って、麒麟児(大麒麟)と柏戸みたいだな。
490待った名無しさん:2007/02/01(木) 00:42:05
玉の海が存命で強さを5年以上維持していたとしたら
輪湖時代にもう一人加わっていたのでしょうか?
昭和41年生まれの質問です。
491待った名無しさん:2007/02/01(木) 01:02:15
全盛期の大鵬
全盛期の貴乃花(2代目)
全盛期の雷電
連勝記録30あたりの双葉山
昨年の朝青龍
S.60千代の富士
S.50輪島
S.53北の湖

彼らが総当たり戦で対戦したとしたら..
順位をつけて下さい。
492待った名無しさん:2007/02/01(木) 21:01:10
自分で紙相撲やって決めれ
493待った名無しさん:2007/02/02(金) 11:03:05
>>491
S50の輪島って一番悲惨な年じゃないか?w
494待った名無しさん:2007/02/02(金) 22:38:25
S48夏・秋・九の輪島は大相撲史上最強!下手投げの破壊力抜群!
495待った名無しさん:2007/02/03(土) 01:27:24
去年NHKでやってた48秋千秋楽の琴桜戦はメチャクチャ強かった。
496待った名無しさん:2007/02/03(土) 03:42:20
でもこの年の輪島の優勝した場所ってレベル低くない?
最近のドルジみたいなもんで
497待った名無しさん:2007/02/03(土) 10:32:35
その傾向は49年の方が強い
特に春は輪島が千秋楽までに三敗して他が五敗以下での優勝。
498待った名無しさん:2007/02/03(土) 10:44:20
結局、輪島のS50の大不振は何が原因だったのでしょう?
S49頃には兆候があったけど
499待った名無しさん:2007/02/03(土) 10:51:44
>>498
右手の怪我で絞りの力が落ち、下手投げで呼び込まれるようになり、
相撲を変えようとしたが上手くいかなかったという感じ?
500待った名無しさん:2007/02/03(土) 19:36:26
>>491
こんな感じでどうでしょう?
1)全盛期の大鵬
2)昨年の朝青龍
3)S.53北の湖
4)連勝記録30あたりの双葉山
5)全盛期の貴乃花(2代目)
6)S.60千代の富士
7)全盛期の雷電
8)S.50輪島
501待った名無しさん:2007/02/03(土) 19:53:51
>>491
30連勝くらいの双葉山って大関だし大して強くないよ。
502待った名無しさん:2007/02/03(土) 23:11:25
もっと細分化すればいい。とりあえず時代順

1)全盛期の雷電
2)36連勝の双葉山
3)2度目の34連勝の頃の大鵬
4)27連勝の輪島
5)53名、54春北の湖
6)60年千代の富士
7)8秋だけの貴乃花
8)16九州〜17夏の朝青龍
503待った名無しさん:2007/02/03(土) 23:32:11
>>502
この目で見ていないものは抜いて
4、5,6はまあドウイ。
並列でいいと思うけど。
7と8の順番が逆かな。
504待った名無しさん:2007/02/03(土) 23:35:00
>>503
いや、これはただ時代順に並べただけ。順位は皆さんで決めて
505待った名無しさん:2007/02/03(土) 23:46:36
>>502なら
個人的には5、7、3、8、4、6の順かな。
双葉雷電はわからない。
506待った名無しさん:2007/02/04(日) 00:15:40
この頃はヤオ騒動なんかなかったのに・・・
北の湖を頂点として強豪が群雄割拠してたよね
この頃の相撲が一番面白かった
507待った名無しさん:2007/02/04(日) 00:25:53
>>506
八百騒動なんて、いつの時代もあるよ。
508待った名無しさん:2007/02/04(日) 02:37:44
自分はまだ子供だったから、母親の影響で貴ノ花を応援してたっけ。
あのときもうちょっと相撲の知識をたずさえていたらもっと面白かったろう。
北の湖、輪島は完全にヒールだった。でも北よりは輪島のほうが
貴ノ花と好勝負になるんで気に入ってた。まあデカイだけ(実際はそうではなかったが)
の力士より技で勝つ力士が好きだったから、100kgないころの千代の富士や
栃赤城、青葉山、鷲羽山、増位山なんかが好きだったな。あとこれはうろ覚えだけど
小沼って言う力士が上がってきたんだけど怪我でだめになった悲劇の力士としての
イメージが強いんだけど‥‥。この力士のこと知ってる先輩方がいらしたら
教えてください。
509待った名無しさん:2007/02/04(日) 03:22:46
510待った名無しさん:2007/02/04(日) 09:45:02
相撲の入門て拉致まがいが多いな。
511待った名無しさん:2007/02/04(日) 14:28:30
>>510
今はそれがないから力士が弱くなったんじゃまいか。
今時「飛行機に乗せてやる」「東京見物に行こう」と言われて
喜ぶ子供なんていないよなあ。
512待った名無しさん:2007/02/04(日) 15:40:28
人違いで入門して横綱になった人もいたよな〜
513待った名無しさん:2007/02/04(日) 17:24:55
北の湖は本場所千秋楽相星決戦&優勝決定戦に全部勝っていたら
優勝回数32回を越えていたと聞いたことがありますが本当ですか?

そんなにノミの心臓だったのですか?
ビデオのとてつもなく強い印象しか無いもので。
514待った名無しさん:2007/02/05(月) 14:26:05
決定戦の負けは4回かな?
これで28回ね。
515待った名無しさん:2007/02/13(火) 06:07:57
北の湖が大一番で負ける時は心臓が弱いんじゃなくて、
短気だから墓穴を掘る。
516待った名無しさん:2007/02/13(火) 13:49:30
一瞬だけ強かった力士<BR>三重ノ海 益荒男 隆ノ里・・・
517待った名無しさん:2007/02/13(火) 14:42:52
北が決定戦で弱かったのは昭和51年くらいまでだろう
それ以降は決定戦でも強かった気がする
518待った名無しさん:2007/02/13(火) 14:45:37
53年は2度の決定戦の相手がいずれも若三杉、後の二代目若乃花だね。
ここだけじゃないの、強かったのは。
519待った名無しさん:2007/02/13(火) 20:50:43
北の湖の優勝決定戦、相星決戦の記録

49名 対輪島  ● 決定戦
49九 対魁傑  ● 決定戦
50春 対貴ノ花 ● 決定戦
50秋 対貴ノ花 ● 決定戦
51初 対輪島  ○ 決定戦
51夏 対輪島  ○
51九 対輪島  ○
52初 対輪島  ●
52秋 対旭國  ○(14日目の全勝戦なので参考)
52九 対輪島  ●
53春 対若三杉 ○ 決定戦
53夏 対若三杉 ○ 決定戦
53名 対輪島  ○(14日目の全勝戦)
56初 対千代の富士 ● 決定戦
56夏 対千代の富士 ○
56名 対千代の富士 ●
57初 対千代の富士 ○

計9勝8敗。
この他にも「勝てば決定戦」とか「負けたら決定戦」という
「1差」のシチュエーションがごろごろとある。つまり、常にそういう緊迫した
優勝争いの中に身を置いていたという事。そのなかで優勝24回もしているんだから
チキンとはあまりいえないだろう。
520待った名無しさん:2007/02/13(火) 21:05:43
【誇り高き横綱物語】
力士A:横綱、土俵に上がれる状態じゃないみたいですね・・・
力士B:ああ
A:俺、星売っても良いですよ・・・この国技館も横綱が建てたようなものでしょう。
B:なんで土俵下に倒れた力士に横綱が手をさしのべないのかしらないのか?
A:自分が負けたとき、手を差しだされたら惨めに感じるからだとか・・・
でも〜、別に注射じゃなくても、全力を出さないで負けるとかでもいいんですよ。
B:馬鹿いうな!今場所勝てなくても、時代が横綱を評価するよ。
自分からは決して買いに行かない誇り高い横綱だって・・・
521待った名無しさん:2007/02/14(水) 01:57:39
>>519
一差対決も出すとおもしろそうだね。
522待った名無しさん:2007/02/14(水) 14:58:51
>>519
リアルタイムで見てるのは千代の富士戦だけだなぁ
S51〜53年頃のも見たいけどレンタルされてる?
523待った名無しさん:2007/02/14(水) 16:05:01
普通に考えたら、昔より近年の力士のほうが格段に強いよ。
体も格段に大きくなってるし、それは相撲に限った話ではない。

北の湖の全盛期なら全盛期の朝青龍や貴乃花に勝てるかもしれないと
思うのは多分、幻想なんだろう。

理屈ではわかっていても、俺は勝てるかもしれないと言う気もする・・・
そのような矛盾を感じさせる何かが輪湖にはあるんだろうね。

野球で言うと、現在でも全盛期の王はホームラン王をとると信じている。
524待った名無しさん:2007/02/15(木) 01:56:48
輪湖の頃って水入りの相撲結構あったよね
最近は上位で全然なくてつまんないなぁ
525待った名無しさん:2007/02/18(日) 01:19:20
北の湖
 @確か78年頃結婚したはずだが奥さんが超がつくほどの美人
  だったことを覚えている。
 A若かりし頃アイスクリームを食べながら自転車で後楽園球場
  の巨人戦を見に駆けつけて相撲協会から叱られた?
  子供だったのでうろ覚えですが。

526待った名無しさん:2007/02/18(日) 01:39:59
>>525
思い出を汚して悪いが北の湖の奥さんはそんな美人じゃない・・・
527待った名無しさん:2007/02/24(土) 06:13:39
北の湖を彷彿とさせる非情なダメ押しにワロタ
528待った名無しさん:2007/02/24(土) 21:21:46
今、テレ東で神幸のちゃんこ屋紹介されてたね。
529待った名無しさん:2007/02/24(土) 21:23:22
>>524
汚怒とユルフン戦で二番後取り直しまでいった相撲があったろう?
6時なのにまだ大関戦やっていて。
530待った名無しさん:2007/02/24(土) 22:27:32
輪島、八百長告発されちゃったね・・・。
531待った名無しさん:2007/02/24(土) 22:49:10
北の湖は現代でも体力負けや体重負けしそうにないな。
千代や朝よりはるかに大きいんだから。

北の湖の奥さんは若いときはかなりの美人だったが
年をとって不細工になったの?
532待った名無しさん:2007/02/25(日) 01:49:17
逆に体格を大きな武器としていたから、周囲の体力が強大になっている現在
かつてのような強みは発揮できないと見るべきかもね。
533待った名無しさん:2007/02/25(日) 04:12:56
>>530
ひゅんだいの与太記事は信じられんw
あそこは売り上げさえ伸ばせれば嘘と認定されてもいっこうにかまわないというスタンスだからね。
534待った名無しさん:2007/02/25(日) 15:43:47
身長192センチ体重205キロの横からの攻めに弱い高見山に
わざわざ真っ向からぶつかって勝つのは北の湖くらいだろう。
今の力士は大きくても怪我が多いので体重に耐えられる
体力をつける必要がある。
軽量なのに稽古をせずに北の湖と互角の輪島は天才的だな。
535待った名無しさん:2007/02/25(日) 20:20:59
輪島は稽古嫌いとか練習嫌いと言われながら、マイペースで練習をこなして
いた。ランニングなどを取り入れたのも輪島が最初だったと思う。

小学校時代から大学時代までの猛稽古の積み重ねがあったのでプロ入りした後
少ない稽古量でも通用したのかもしれない。稽古量を多くこなしていれば大横綱
になったと思う。
536太刀山型の土俵入り:2007/02/25(日) 20:21:53
>>535
玉の海も走ってたような。
537待った名無しさん:2007/02/26(月) 00:02:46
>>536
三根山
538待った名無しさん:2007/02/26(月) 00:18:41
現代によると、稽古嫌いは八百長で埋め合わせしていたとか。
なるほど!って感じですね。
539待った名無しさん:2007/02/26(月) 02:12:33
現代の記事で納得できる脳ってどういう構造なんだよw
板井の話のほうがまだ納得できるよ。
540待った名無しさん:2007/02/27(火) 21:15:28
実力差は金で買えないんだよ!
板井もそういってるだろ!
恒常的に星を買えるのは、それだけ実力差が大きいんだよ。
あくまで保険だよ。
長い目で見たら、一番百万円としても、殊勲賞とか金星獲得のほうが
一生食べていく材料になるだろ。
星売ったというほうにも、タニマチはいっぱいいるんだよ。
高見山のタニマチは日本のドンだぞ!
そんなんもしらん、ど素人は退場せい!!!
541待った名無しさん:2007/02/27(火) 23:11:03
第1回笹川賞は野中、昨年の第33回は山崎が優勝。
玄人は知っていると思うけど。
542待った名無しさん:2007/03/01(木) 21:37:48
玉の海が存命なら北の湖の最大の壁になっていた
と聞いたことがありますがどう思われます?

543待った名無しさん:2007/03/01(木) 21:54:45
>>542
年の差が九歳ということは
北の湖が二十歳の頃は30前ですね。
横綱昇進直後の全盛期から4〜5年か?
北の富士が輪島を止められなかったことを考えると
正直それは難しいかもしれませんね・・・
北の湖への世代交代、千代の富士から貴乃花みたいな
イメージが最有力ではないでしょうか?
544待った名無しさん:2007/03/02(金) 00:10:50
歴代最強力士トーナメント結果(全盛期同士の対戦)
【ベスト8】
○雷電 対 千代の富士● 押し出し
○貴乃花 対 大鵬● 寄りきり
○北の湖 対 双葉山● つり出し
○朝青龍 対 輪島● 上手投げ(行司指し違い)
【ベスト4】
○貴乃花 対 雷電● 寄りきり
○北の湖 対 朝青龍● 突き出し
【決勝】
○貴乃花 対 北の湖● 下手出し投げ

近年ほど力士は強いに決まっている。
雷電だけは別格!
545待った名無しさん:2007/03/06(火) 13:12:44
玉の海が健在だったならば、玉輝山は1、2年後には上位に進出し
貴輪湖の天敵になっていたかもしれない。玉ノ富士にしても大関に
なれなくても、もう少し上位で長く活躍できたと思う。
546待った名無しさん:2007/03/06(火) 17:29:15
玉の海が矢倉投げで貴乃花を投げ飛ばしたときは
双葉山みたいになるとおもって鳥肌たった。
547待った名無しさん:2007/03/09(金) 22:50:29
NHK BS 昭和の相撲特集(10年ほど前に放送)

@S,50貴ノ花戦の思い出
  不思議と悔しさはなかった。一生の思い出。物凄い数の
  座布団が舞うのにびっくりした。

AS.52春場所 対 輪島
  (実況)輪島下手投げ。北の湖重い、重い!全く動かない。
   北の湖寄る!寄る寄る! 輪島執念で残しました。
   (中略) こうなると輪島は攻め手が無いか。寄り倒し!
    ついに北の湖全勝なる!!
   (勝負がついた後の青息吐息の輪島と余裕の北の湖の対比が
    映像にはっきりと映し出されていた。)

B番組での北の湖へのインタビュー
 (自身で一番力の出た最強と思うのはいつ?)
 北の湖 ”やはりもう昭和53年です。こう行こうと思ったらそのとおりの十分の
      相撲が取れましたしね。それが1年間続いたわけです。
      右取ったら絶対誰がきても負ける気がしなかった。”
 
 

    
  
548待った名無しさん:2007/03/09(金) 23:13:49
>>497
輪島千秋楽休場ながら、賜杯授与された場所あったな。
後もう一人千代富士もそうだったな。
でも千秋楽不戦勝の旭富士はそれが原因で綱取りダメポorz…
549待った名無しさん:2007/03/10(土) 14:02:35
>>546 「吊り出しスレ」の219参照
550待った名無しさん:2007/03/12(月) 15:07:58
>>549

そう、その一番です、ありがとうございました!
あなた神様ですか?
すごすぎます。
551待った名無しさん:2007/03/18(日) 15:18:26
>>547その場所の千秋楽の一番なら、「吊り出し」ですがな。
552待った名無しさん:2007/03/18(日) 17:03:29
今日流れたのはいつの輪湖戦?
553待った名無しさん:2007/03/18(日) 17:59:27
オレも気になるな。
輪島が力尽きて負けてたから
そのパターンが多くなった53年以降かな?
554552:2007/03/20(火) 14:11:48
>>553
自分なりに推測してみた。
まず輪島のまわしが黄金なので50秋以降は確定。
そして行司が浅井さんなので51九以前も確定。

そしてその期間の中で、
北の湖が寄り切りで勝利した一番をピックアップして
取り口など消去法で51九の対戦ではないかという結論に達した。

どなたか確認お願いしたい。
555待った名無しさん:2007/03/20(火) 16:16:58
>>554
その期間で輪島が寄りきりで負けたのは4回ある。
50年秋、50年九州、51年初、そして51年九州。
この内東横綱として土俵に上がったのは51年九州のみ。
よって間違いないかと思われる。
556552:2007/03/21(水) 22:36:16
>>555
ありがと。51九州の一番は
雑誌で見ただけだったから見れて嬉しかったよ。
557待った名無しさん:2007/03/21(水) 22:44:54
ということは、浅井庄之助最後の一番が流れたのか。
558待った名無しさん:2007/03/22(木) 12:08:24
51年頃から、相撲が長引くと輪島はアゴが上がって絞る体勢を崩され
スタミナの限界!って感じで寄り切りで負ける相撲がみられるようになった
53年以降特に顕著になった
559待った名無しさん:2007/03/22(木) 12:54:51
>>558

輪島は力士間で唯一ランニングをトレーニングに取り入れ
「スタミナには自信があるよ!」って言ってたが
反面スパスパタバコをすってたからな・・・・・
560待った名無しさん:2007/03/22(木) 15:38:31
殆ど天賦の才能だけで横綱なって14回も優勝しちゃうんだもんな。
大相撲入りしてから引退まで20キロくらいしか体重が増えなかったのが惜しいな。
最大130キロ超、全盛時125キロくらいだよね。今ならかなりの軽量だが当時の幕内平均からするとやや軽量というくらいか。
でも肉が付いていれば更に強かったというのは微妙な所かな?
561永遠の北の湖ファン:2007/03/23(金) 01:17:49
輪島さんも来年あたり還暦?1948生まれですよね。理事長、ここは粋なはからいなさるべきです!輪島さんの還暦土俵入りを是非見せていただきたい。北海道から行きますぜ。
562待った名無しさん:2007/03/23(金) 01:19:52
輪島引退した後あっという間に90キロ台に落ちたからね。
あれ以上は体質的に大きくならなかったんでしょ。
あの身体で40キロ以上は重い北の湖とよく互角以上に渡り合ったよ。
563永遠の北の湖ファン:2007/03/23(金) 01:21:42
>>560
>殆んど天賦の才能だけで

いや、あの人もあれで実は稽古はされてたのでは・・・・
564待った名無しさん:2007/03/23(金) 01:25:11
やるときとやらないときの差が激しかった。そしてそれが結果にもろ出た
565待った名無しさん:2007/03/24(土) 11:51:23
goo大相撲でも見られるようだけど、
理事長、初の全勝優勝から30年ということで・・・。
http://www.geocities.co.jp/medianozangai/video/v012/index.html
566待った名無しさん:2007/03/24(土) 13:33:40
>>565
感動した
こんな相撲を毎場所取ってたな
567待った名無しさん:2007/03/24(土) 22:41:10
俺も感動した。
それに比べて何だ今日の朝青龍対白鵬は・・・
あっけねえ相撲(苦笑)
568待った名無しさん:2007/03/25(日) 10:02:38
>>567
輪湖戦はあんな相撲一番もなかったな。
俺は輪島ファンだったが、北の湖に大相撲の末負けても全然悔しくなかった。
むしろ全力を出し尽くしての力負けだったので爽やかな気分だった。
あーあ、懐かしいなあ、あの千秋楽結びの輪湖決戦の緊張感・・・
569待った名無しさん:2007/03/25(日) 16:28:57
>>567
輪湖時代を知る者にとっては、最近の大相撲は全くつまらない!

モンゴル相撲になりつつある…。日本力士奮起せよ
570待った名無しさん:2007/03/25(日) 17:40:21
え!?何なの?今の一番!つまらん決定戦
571待った名無しさん:2007/03/25(日) 17:52:13
犬も喰わないゴミ相撲ばっかりだね
572待った名無しさん:2007/03/25(日) 17:55:02
>>565
懐かしいな。
リアルタイムの興奮が甦ったよ。
もう30年か・・・
573待った名無しさん:2007/03/25(日) 18:48:13
相撲を汚したモンゴル野郎共氏ね上げ
574待った名無しさん:2007/03/25(日) 20:35:22
>>565
サクっと保存させていただきますた♪
リアルタイムでは生まれてもなかった時代ですが
北の湖の時代と千代の富士の横綱になってから4、5年の時代あたりの映像を
好んで集めてますです
575待った名無しさん:2007/03/25(日) 22:43:33
今日の千秋楽の最後の二番見て、
輪湖は毎回ヤオやったということがつくづくよくわかった。
まあ、長相撲で面白かったけど。
576待った名無しさん:2007/03/26(月) 05:19:31
>575
その書き方だと、今日の千秋楽の変化が「ガチ」だと言ってるように見えるが?
そもそも輪湖対決は毎回、微妙に立会いの変化をしてる訳で。
577待った名無しさん:2007/03/26(月) 14:05:11
北の湖が上手取るためにいつも右側に少し動いてたな
578待った名無しさん:2007/03/26(月) 16:14:42
>>412
その一番!
土俵下で見てました。懐かしい…もう30年になるのかぁ…お互いに歳は取りたくないですなぁ…
579待った名無しさん:2007/03/26(月) 16:56:16
輪島の出身地七尾の皆様
この度の地震災害お見舞い申し上げます
一日も早い復興を念じております
580待った名無しさん:2007/03/26(月) 17:22:47
輪島vs北の湖は北の湖が上手を取れないというシーンが殆ど無かったよね
それも立った瞬間に取る事が多かった
輪島のほうが左半身の十分になれば向こうが十分でも構わないという事だったんだろうが
後半はそれだと通用しなくなってきたんだよな
でもあの体勢だからこそ力の入った大相撲が数多く観れたわけだが
若乃花が何とか上手を切ろうとしてたのとは対照的だ
581待った名無しさん:2007/03/26(月) 18:35:18
>>575
ヤオであれだけ精魂尽きたような相撲やるかね。
水入りの一番とおかもあったけど。

ヤオならもう少し簡単に勝負を決めていたと思うけど。
582待った名無しさん:2007/03/26(月) 20:12:23
輪湖対決のDVD売ってませんか?
583待った名無しさん:2007/04/01(日) 22:52:48
>>582
DVDはないが、VHSなら
(NHKビデオ)大相撲大全集昭和の名力士 ( 第9巻)横綱 輪島 北の湖
ビクター音楽産業(発売) 3000円
584待った名無しさん:2007/04/01(日) 22:59:11
>>583
それと同じ奴でDVD版いなかったっけ?
585待った名無しさん:2007/04/02(月) 00:31:31
この頃貴乃花も頑張ってたよ
586待った名無しさん:2007/04/02(月) 15:57:40
>>584
583だけど、ネットで検索したがDVD版は無いなぁ
587蔵前の星:2007/04/02(月) 22:55:31
>>580
2人の相撲は毎度お馴染みの体勢で、新鮮味はあまりなかったですね。
輪島も北の湖もあの型に自信があったんでしょう。
北の湖は、できれば胸を合わせてしまいたいけど、深かろうと上手さえ
取ってればある程度安心。輪島は、深く差されて胸を合わせるのは禁物で
とりあえず左廻しを取りたい。ってことで2人の利害が一番調和されたのがあの型だったんでしょう。
588待った名無しさん:2007/04/02(月) 23:15:24
>>586
国技館の売店で見たことがあったんだけどな〜。
日本画で力士の顔が描かれていて、昭和版と平成1桁版と
各10巻セットで3万円くらいするやつ。
589待った名無しさん:2007/04/02(月) 23:22:53
590待った名無しさん:2007/04/03(火) 12:08:46
591待った名無しさん:2007/04/04(水) 21:53:10
大相撲大全集〜昭和の名力士〜五(NHK、DVD、118分 3,800円税抜)
収録内容、前編、輪島・北の湖 後編、三重ノ海・若乃花(2)・隆の里があります。
前編の内容・北の湖最年少記録を塗り替える活躍
     ・輪島と北の湖の対決
     ・輪島、強さの秘密
     ・北の湖初優勝から横綱昇進まで
     ・輪湖時代
     ・北の湖、4回目の全勝優勝の軌跡(S、53,7)
     ・輪島引退、怪我と戦う北の湖
     ・復活、横綱北の湖         
後編の内容(三重ノ海)
     ・三重ノ海、入幕から大関昇進まで
     ・けがからの復活、横綱昇進へ
     ・大器晩成の三重ノ海
     (若乃花・二代目)
     ・若乃花、入幕から大関昇進まで
     ・母の前で初優勝(S、52,5)、そして横綱昇進へ
     ・横綱昇進後の活躍、そして引退へ
     (隆の里)
     ・隆の里、入門から大関昇進まで
     ・横綱千代の富士との名勝負
     ・綱とり、そして全勝優勝へ       です。 
592待った名無しさん:2007/04/05(木) 04:05:11
>>591のDVDに収録されてる輪湖戦を出来るだけ詳しく教えてください

全部で何番か
ノーカットはどの場所か・・・などなど
因みに輪島ファンの自分としては52年名古屋がベストです

また、輪島vs若乃花戦、北の湖vs若乃花戦もどのようなものか知りたいです


593待った名無しさん:2007/04/05(木) 22:55:43
収録されている輪湖戦、47,7(初顔)、47,9、48,1、48,11、49,1、49,7(本割、決定戦)、51,1、51,5(決定戦)、53,7(全勝同士)
52,7の輪湖戦は残念ながら収録されてません。どちらかといえば北の湖中心です。49,7戦の輪島(当時45歳ぐらいかな)のコメントがおもしろい。
前編、(輪島、北の湖)約50番ぐらい、後編、三重ノ海、22番 若乃花2、15番 隆の里、24番 
輪島vs若乃花(若三杉)、52,9(下手投げ輪島の勝ち)49,11、53,11(若乃花の勝ち)
北の湖vs若乃花(若三杉)、49,7、52,1、53,5、53,11、55,9  が収録されてます。
後編の三重ノ海の輪島戦、50,1、53,11、54,7(本割)北の湖戦、50,1、50,11、54,5(湖、32連勝ストップ)、54,11、
45,7に大鵬、玉の海に勝った一番も収録されてます。
隆の里の輪島戦、55,9、北の湖戦55,9、57,9、59,5(前編)
輪島の収録時間が少ないのが少し残念です。
前編は583さんのNHKビデオと内容は同じかもしれません。

594待った名無しさん:2007/04/05(木) 23:54:21
三重ノ海が栃赤城に逆とったり喰らった一番も収録されてる。
595待った名無しさん:2007/04/06(金) 00:01:57
栃赤城に逆とったり喰らったのは三重の綱取り場所初日の相撲だからね。
あの強引な相撲を見る限りとても綱取りに成功するとは思えなかった。
596592:2007/04/06(金) 01:38:23
>>593
丁寧な書き込み有難うございます。
52年名古屋が入ってないのは残念!
輪湖戦は全部で9番ですか。両者の力が最も拮抗していた51〜52年は全部みたいですね。
この中では53年九州の輪島vs若乃花も確か水入り4分超えの大熱戦ですね。
輪島vs若乃花は実は熱戦が多いですよね。
ところで購入を考えてはいるものの輪島絡みが意外に少ないと聞いてましたがやはりそうなのですね。
北の湖理事長の間に何とか改訂版を新たに編集して欲しいところです。
597待った名無しさん:2007/04/06(金) 09:46:11
話は変わるが、俺は下記のDVDを持っている。
大相撲伝説(1) 栄光と涙 栃錦対 若乃花  日本ソフトサービス  3780円 2004年1月11日発売
大相撲伝説(2) 柔と剛名勝負数え唄 柏戸対大鵬 日本ソフトサービス  3780円 2004年3月10日発売
当然、輪島対北の湖も発売されると思っていたが、2巻が発売されて3年経ったのに未だ3巻以降は発売されていない。
どうやら、打ち切りになったようだ。
特に第2巻の柏戸対大鵬は39回(決定戦を含めた)の全対戦がノーカットで収録されている。
輪島対北の湖の全対戦が収録されたDVDが発売されれば最高なのになぁ・・・残念だ・・・
598593:2007/04/07(土) 01:38:55
596さん、自分も同感です。輪湖戦44戦すべて見たいですけど少なくとも51〜52年の勝負は全部みたいところです。
ご存知かもしれませんけど日本相撲協会のH,Pの記録台帳の蘇る名横綱の54代輪島のところで
輪湖戦52,7の映像が見れます。時間は省略されてますけど、、
599待った名無しさん:2007/04/07(土) 15:41:30
輪島の右上手投げ、北の湖の左下手投げという逆パターンの相撲となった
74年春12日目は貴重ですね。映像はもう観られませんかね。
勝った北の湖が腰を打った。
600待った名無しさん:2007/04/07(土) 16:26:30
>>597
俺も持ってる。
第3巻は北玉の予定だったようで
その次は当然輪湖だと思ってたのに打ち切られて残念無念。
601待った名無しさん:2007/04/14(土) 12:41:24
相撲が長引いて輪島の「疲れたぁ」って表情に萌える そして、根負けしたように
絞りをやめてがっぷりになり、スタミナの限界って感じで土俵を割る
昭和51年後半からこのパターンが増えた
602待った名無しさん:2007/04/14(土) 21:30:18
昭和51年名古屋の輪湖決戦(輪13-1、湖12-2)の時、輪島は
「本割で敗れても決定戦で勝てばいい思ったら自然と力が出て北の湖を寄り切っていたというわけです。」
昭和52年名古屋(輪14-0、湖13-1)の時
「ジタバタしてもはじまらん。あとはおもいきりいくだけだ。くれぐれも同点決勝にだけは持ち込まない」と念じた。
「勝った瞬間しばらく起きれなかった。われながら力の入った一番、執念の勝利だった。」
    
603待った名無しさん:2007/04/17(火) 10:19:00
>602
昭和52年名古屋、負けた北の湖の談話を覚えている。
『まさか巻き替えにくるとは思わなかった。頭をつけてくるもんとばかり思っていた。
とにかく(輪島は)力が強いよ』
当時、高校3年生で輪島ファンだった俺はこの一番に感動して、翌日のスポーツ新聞を
買い集めて喜びをじっくり味わったのを覚えている。
604待った名無しさん:2007/04/17(火) 22:16:00
輪島は北の湖との対戦で印象に残っている一番を49年名古屋と53年名古屋と
引退してから言っていた。
俺も52年名古屋がベストだと思っているが、実際相撲を取った本人からすれば、
本割り、決定戦と逆転優勝した一番と、13戦全勝同士の水入りの対戦の方が
強烈な印象なのだろう。
605待った名無しさん:2007/04/17(火) 23:00:08
上のレス見て、49年、51年、52年、53年と名古屋場所の話題が多いねw
あと565さんが挙げた52年春の水入り、それに54年春も水入りの大相撲を取っている。
輪湖戦は地方場所が名勝負が多いようだな。
蔵前国技館での東京場所はこれといった名勝負がないような気がする。
まあ、北の湖自身は51年初場所2敗同士の決戦に勝ったのが印象に残っていると言っているけど。
606待った名無しさん:2007/04/17(火) 23:15:48
東京場所はなぜか消化試合が多いんだよね。両者とも優勝の可能性がある状態で当たったのが、
51年初(12-2の相星決戦)、夏(北の湖1敗輪島2敗)、52年初12-2の相星決戦)、
54年夏(若乃花全勝北の湖1敗輪島2敗)、55年夏(北の湖1敗輪島2敗)の5回しかないから。
607待った名無しさん:2007/04/18(水) 02:11:29
53年名古屋は二人の優勝回数が遂に逆転した場所でもある
608待った名無しさん:2007/04/18(水) 10:08:28
>>607
そうだな、それまで輪湖は優勝12回、全勝3回と並んでいた。
ただ惜しいのは14日目、しかも結び前の取組での全勝決戦だったこと。
あれが千秋楽結びの全勝決戦ならば、もっと後世の歴史に残ったのに・・・
609待った名無しさん:2007/04/18(水) 10:36:17
栃若、柏鵬、それに千代隆さえも千秋楽結びの全勝対決があるけど、
あれだけ名勝負を繰り広げた輪湖にはない。
俺もそれだけが悔やまれる。
610待った名無しさん:2007/04/18(水) 11:53:11
番付のめぐり合わせで、
若乃花昇進以後輪湖戦が千秋楽結びになったのは1回だけ。
611待った名無しさん:2007/04/19(木) 22:03:42
54年秋場所、前半戦好調の輪島は名古屋場所に続き2連覇かと思われたが、
後半負けが込んでしまった。
612待った名無しさん:2007/04/22(日) 14:29:06
>>611
中日、貴ノ花にうまく取られたな。栃赤城戦は痛かった。
613待った名無しさん:2007/04/23(月) 22:21:21
54年秋場所、これが最後の千秋楽結びの輪湖戦になったんだな。
614待った名無しさん:2007/04/24(火) 22:35:40
たぶん53年ごろのことなんだけど、常にこれより三役は
北の湖−輪島
若三杉−旭国
三重海−貴乃花
で、このうち輪島か貴乃花が休場すると繰り上がって対戦が組まれていたはず。
こういう順番に強いんだと妙に納得したが、いつのまにか
北の湖−若乃花
輪島−三重海
貴乃花−旭国
に変わっていたな。
615待った名無しさん:2007/04/24(火) 22:52:53
>>614
三重は53年半ばまでハチナナや負け越しが多かったのに対し
旭国は14勝したり強かった時期だからな
53年後半から両者の力が逆転して三重が東正大関になる機会が多くなった
輪島と若乃花も同様に輪島が衰えたのにともない若が浮上した形だね
616待った名無しさん:2007/04/25(水) 11:31:13
三重ノ海は54年夏〜55年初、彼の巧さ、早さ、闘志が完成され凄い充実ぶりで、結局横綱になり連覇もした。
引退前は輪島に8連勝、若乃花に5勝1敗、北の湖に4勝2敗と横綱戦も強かった。
ただ、55年春二日目千代の富士に24連勝をストップされてからガタガタと崩れていった。
千代の富士は当時、輪湖若の三強に勝てない時期であったが、三重ノ海戦は捕まえて力でねじ伏せていた。
この55年という年は、新旧交代の過渡期でもあったね。
617待った名無しさん:2007/04/25(水) 13:13:31
>>616
三重ノ海の相撲は立ち合い手を着き相手をずらし、後の先の立ち合いで張り差し、先に上手を取り、相手に両廻しを与えず頭をつけ相手に相撲を取らさない技能相撲だった。
それで輪湖若の三横綱はこの時期苦戦した。特に輪島は相当苦手になったね。
618待った名無しさん:2007/04/25(水) 13:26:47
輪島は若乃花にも引退前5連敗、北の湖にも1勝5敗だ。
若乃花が右の前みつを取り輪島の左を殺し、頭をつけてくるようになった。
北の湖には相変わらずのパターンで体力負け。
輪島は以前と変わらず平凡に左を差しに行く立ち合いを相手に読まれ、晩年は北若三重の3人には勝てなくなった。
ただ千代の富士には強かったね。
立ち合い突っ張り左の前みつを取らせず、右四つ上手を切り吊りで勝負した。
負けたのは引退前の56年初だけだ。
619待った名無しさん:2007/04/25(水) 13:54:12
三重ノ海は52年九州中日、輪島戦の張り差し圧勝の一番が
彼の転機(吹っ切れ?)になったみたいだね。
後に、むちゃくちゃ強かった時期だったと思うけど、
「張り差しが汚い」と言われた時期もあったかな?
620待った名無しさん:2007/04/25(水) 15:09:20
>>619
張り手に関しては非難はなかったように思う。
その前の時代も前の山、福の花など闘志むき出しで張り手をやる力士はいたしね。
ただ、輪湖若の他の三横綱が四つ相撲の実力者で地力で相手をねじ伏せていたのに対し、三重ノ海は下位の力士にも常に自分優位な体勢でないと苦戦する相撲だったので横綱としては見劣りしていた。
晩年は頭が上がって動きが止まると、千代の富士だけでなく琴風にも勝てなかった。
621620:2007/04/25(水) 15:24:45
>>619
ごめん、質問は張り差しだね。
とにかく当時は北の湖がメチャクチャ強い時代だったから非難はされなかった(笑)
現に54年夏場所北の湖の32連勝をストップした相撲も立ち合い変化して勝ってもお客さんは大喜びだったしね。
ただ彼が54年九〜55年初連覇して負けなかった頃、一部のファンから「立ち合いが汚い、張り手が汚い」と相撲誌の読者の意見で見たことはある。
まあ、強い時期が短かったから張り手も彼の個性として受け止められていると思う。
622待った名無しさん:2007/04/25(水) 19:21:23
>>618
輪島は右四つの方が型は良かったよ。
上手を切るのが巧く、隆の里にも同じようなパターンで勝っていた。
昭和55年九州場所9日目、千代の富士と8戦全勝同士で対決し、突っ張り→右四つ、相手の上手を切って吊り出しの見事な横綱相撲だった。
負けた当時関脇の千代の富士が「横綱は懐が深く力が強い。ビクともしなかった。」と言ったのを覚えている。
623待った名無しさん:2007/04/25(水) 22:23:43
輪島はつくずく稀有で不思議な力士だよ。
左下手右おっつけが得意だが
ガップリになった時は右四つの方が吊り、上手投げが強かった。
身体が硬くややぎこちない面もあったが
下半身は常に低く安定していて投げで負ける事は殆ど無かった。
スタミナが最大の弱点だったが腕力はトップクラスだった。
晩年には立会いが甘くなり不利な体勢で相撲を取る事が多かったが
73〜74年頃までは比べ物にならない位鋭い踏み込みで主導権を握ってた。

624待った名無しさん :2007/04/25(水) 22:34:09
下手からの芸を得意技にして横綱にまでなったのは輪島ぐらいだろうな。
625待った名無しさん:2007/04/25(水) 23:06:16
北の湖の述懐「輪島さんはよく黄金の左と言われるけど、自分にとっては黄金の右なんです。
右のしぼり、おっつけが強いから左からの投げが決まるんです。
とにかく自分は輪島さんの右攻めを封じることしか頭になかったです。
それくらい右が強かった。逆に左は強いと思ったことないです」
626待った名無しさん:2007/04/26(木) 00:33:51
>>625
輪島が引退した昭和56年春場所三日目、北の湖の談話を付け足す
「ポッカリ穴が開いたみたいだ。あの横綱とはいつも長い相撲になったし、あの
右から挟みつけるようなおっつけの強さはこの左腕が一番よく知っている。
負けて悔しい思いもしたし、勝って嬉しい思いもした。今ではいい思い出だ」
627待った名無しさん:2007/04/26(木) 10:12:12
北の湖の輪島攻略法の発言(99年12月31日放送-NHKのBS1『スポーツ20世紀
―名力士・名勝負百年』より)
「攻略法として、おっつけにきた時、右から上手投げを打つようにした。
それと長い相撲を心掛けるようにした。上手を取ったとき、重心を相手に
かけるようにした。そうすると下手の方が疲れが激しくなるから、それから
攻めていった。それとガップリなった方が取りやすいので相手が上手を取って
くれるような体勢に持っていった。」
628待った名無しさん:2007/04/26(木) 10:39:11
>>627
まさにそれを実行したのが52年春、53年名古屋、54年春の水入りだね。
この持久戦にもって行く作戦は若乃花も実行している(53年九州、54年夏)
若乃花の場合は最初からガップリ左四つにもっていき、輪島の吊りをこらえて疲れを待つ作戦だけどね。
629待った名無しさん:2007/04/26(木) 11:28:55
しかし、輪湖若は三つ巴で名勝負を見せてくれたなあ。
北若も昭和55年初14日目水入りの大相撲を取っている。
それ以来横綱同士の水入りはないなあ。
その後、千代の富士―隆の里、貴乃花―曙、貴乃花―武蔵丸、朝青龍―白鵬と名勝負が何番かあるが、輪湖時代はホント数が多いもんなあ。
特に優勝を賭けた一番で輪湖若の3人はアッサリ勝負がつくことは殆どなく、四つ相撲の醍醐味を味わせてくれた。
630待った名無しさん:2007/04/26(木) 12:18:20
全盛期の北の湖は立会いから一気に相手を根こそぎ持っていくような相撲を取ってたのに
輪島に対しては徹底して慎重に持久戦に持っていったもんな。
やはり一目も二目も置いていたんだろう。

631待った名無しさん:2007/04/26(木) 12:53:14
55年九州、輪島最後の優勝に北の湖が援護射撃をしている。
輪島は14日目若乃花に敗れて1敗で並ばれ、千秋楽結び前の貴ノ花戦を鬼のようの形相で押し出し結びの北若戦を待った。
北の湖は大熱戦の末、若乃花を寄り切りで破って輪島に優勝をプレゼントした。
この時の北の湖は53年九州の若乃花戦、54年九州の三重ノ海戦でアッサリ負けたのと段違いの気迫だった。
彼の談話は聞いていないが「輪島に優勝させてやりたい」と気持ちが伝わるような相撲だった。
632待った名無しさん:2007/04/26(木) 15:06:27
横綱同士の水入りがそんなに出てないとは知らなかった
輪湖以降大相撲の取り口や流れが淡白になったというのが象徴されてるね
633待った名無しさん:2007/04/26(木) 17:13:06
北の湖って「北・玉」時代の横綱大関陣−北の富士、琴桜、清国、前の山、大麒麟−
との対戦成績はほとんどが負け越してるね。
北の湖横綱昇進の時期は世代交代が激しかったんだな。
48年から>615さんの言う55年までの間、
輪湖の時代は始まりと終わりがくっきりしていたと実感する。
634待った名無しさん:2007/04/26(木) 18:07:47
>>633
あと北の湖は横綱昇進まで弱かったこともあげられる。
横綱昇進時での勝率六割未満は歴代最低だった。
635待った名無しさん:2007/04/26(木) 18:32:04
それは面白いデータだ。
最年少記録を書き換えてきた北の湖の昇進までの勝率が最低だったとは。
でもマジ?輪島より低いのは想像できるけど例えば千代の富士や隆の里みたいに
平幕で停滞してた時期があった人より低いのはちょっと信じられんが。
636待った名無しさん:2007/04/26(木) 18:43:55
昭和47年 1月 西前12  5勝10敗
昭和47年 5月 西前11  9勝 6敗
昭和47年 7月 東前 7  9勝 6敗
昭和47年 9月 東前 3  6勝 9敗
昭和47年11月 西前 6 10勝 5敗
昭和48年 1月 東小結  4勝11敗
昭和48年 3月 西前 5  9勝 6敗 敢
昭和48年 5月 西前 1  6勝 9敗 金(北の富士)
昭和48年 7月 東前 4  8勝 7敗
昭和48年 9月 東小結  8勝 7敗
昭和48年11月 東関脇 10勝 5敗 殊
昭和49年 1月 東関脇 14勝 1敗 優殊
昭和49年 3月 東大関 10勝 5敗
昭和49年 5月 東大関 13勝 2敗 優
昭和49年 7月 東大関 13勝 2敗 同

三役昇進まで二桁勝利が一度しかなく、その三役昇進から1年で横綱に昇進
勝率が上昇する暇もなく横綱になってしまった
最年少記録を作るスピード出世だからこその記録とも言える
637待った名無しさん:2007/04/26(木) 19:51:55
>>635
昇進した当時で最低だったので仰られる通り、
千代の富士、隆の里、三重ノ海らよりは高いと思われます。
638待った名無しさん:2007/04/26(木) 23:18:20
北の湖はやはり48年九州場所が転機だったね。当時関脇で12日目足首を怪我しながら
千秋楽まで出場して10勝あげた。
それまでは怪童と言われながら勝ったり負けたりで今の稀勢の里みたいだった。
輪島が後に語っていたが、『48年九州場所12日目、貴ノ花戦で人差し指と中指の
間を切り裂き診療所に行くと、富士桜戦で足首を捻挫した北の湖とばったり出会った。
足首が物凄く腫れていて「大丈夫か?」と声をかけると「大丈夫です」と彼は答えた。
この時初めて彼と話をした。その後ビッコを引きながら千秋楽まで取った姿を見て
「これは大物になる」と思った』。その通り、翌年初場所初優勝、その後はトントン
拍子で横綱に昇進した。
639待った名無しさん:2007/04/26(木) 23:30:20
>>638
輪島自身は翌13日目強行出場して北の富士に外掛けで負けて27連勝でストップし、14日目と千秋楽の二日間は休場したんだよね。
輪湖の診療所での出会いか・・・
二人はやはり宿命のライバルになる運命だったんだよw
640待った名無しさん:2007/04/28(土) 10:23:47
輪島の北の湖の印象(NHKビデオ「第9巻 横綱 輪島 北の湖」より抜粋)
『とにかく腰が重かった。最初は右からおっつけて左から投げを打つとグラグラとしていたが、
2〜3年経ったらビクともしなくなった。これは作戦を変えなきゃいけないと思った。
コンクリートの壁で押し潰されそうな感じだった。対戦成績がいいのは開き直っていたからだ。
「彼は強いんだ」と開き直ったのが良かったんじゃないかな』
641待った名無しさん:2007/04/28(土) 18:16:26
>>640
そのビデオの中で北の湖が最後に言っているね。
『印象に残っているのは輪島戦、特に交互に優勝した頃(51年、52年)が一番
楽しかった』と。
北の湖はよくテレビで過去の名勝負があると、大騒ぎだった50年春の貴乃花初優勝、
56年初の千代の富士初優勝の負けた相手役と登場する。
でも、彼にとっては常に右の上手を取らしてくれて、何回も優勝を賭けて死闘を演じた
輪島が最高の存在だったんだろう。
642待った名無しさん:2007/04/28(土) 18:23:11
彼が理事長に就任してから「横綱会」に協会を離れていった横綱も呼ぶようになったんじゃなかったっけ
643待った名無しさん:2007/04/28(土) 19:48:23
>>642
そうだよ。北の湖が理事長に就任したのは平成14年2月で3年後の平成16年4月21日に「横綱会」があった。
例年は相撲協会在籍者で開いていたが、この回に初めて協会を離れた輪島博、花田勝(三代目若乃花)、北尾光司(双羽黒)を呼んだ。
644643:2007/04/28(土) 19:50:15
訂正・1行目は3年後じゃなく2年後
645待った名無しさん:2007/04/28(土) 21:03:14
その時の横綱会の集合写真です
http://www.sumo.mn/viewphoto.aspx?id=136
646待った名無しさん:2007/04/28(土) 21:10:02
>>643
北の富士も
647待った名無しさん:2007/04/28(土) 21:29:22
>>645
これは感慨深い写真だ

この中の何人かは輪島を好意的に見てくれてるんだよね?
648待った名無しさん:2007/04/28(土) 22:06:21
写真の中に曙がいないね
何か用事があったのかな?
彼は双羽黒より背は高いぞw
649待った名無しさん:2007/04/28(土) 22:11:42
この時、曙と千代の富士と琴櫻は欠席してるんだよ
曙は遠慮して欠席したんじゃないかな。
千代の富士は・・・
650648:2007/04/28(土) 23:30:22
>>649
なるほど曙だけじゃなく千代の富士と琴櫻もいないね。
確認不足だった(汗)
651待った名無しさん:2007/04/29(日) 10:24:54
つくづく思うが、双葉山以降で一桁目に5と8が付く横綱は凄いね。
大横綱、名横綱揃いだ(第38代 照国は例外だが)
5・・・第35代 双葉山、第45代 若乃花(初代)、第55代 北の湖、第65代 貴乃花
8・・・第48代 大鵬、第58代 千代の富士、第68代 朝青龍
652651:2007/04/29(日) 10:45:18
あと、4は上記の5のライバルで優勝10回以上の名横綱が多い。
4・・・第44代 栃錦、第54代 輪島、第64代 曙
653待った名無しさん:2007/04/29(日) 12:37:55
>>647
好意的に思っているかどうかはわからないけど、輪島と対戦した横綱は彼の強さを
認めているよ。
北の湖の輪島についての発言は上のレスで前述されているので省略するけど、例えば
あの中にいる元横綱は次のような発言をしている。
北の富士は平成10年6月NHKスタジオパークで、現役時代一番強いと思った
のは?の質問に「色々いたけど苦手と言う意味で輪島」と答えている。
若乃花2も現役を引退したときの会見で、一番印象に残っている一番は?の質問に
「昭和49年九州初日に輪島関に勝った相撲、それまで全く歯が立たなかったから」
と答えている。
三重ノ海も平成14年春“土俵人生あの時”で「転機になったのは昭和52年九州
8日目の輪島戦、あの相撲がその後の相撲人生を左右した」と答えている。
あと、大関の増位山も現役を引退したときの会見で、一番印象に残っている一番は?
の質問に「昭和55年初場所初日に輪島関を外掛けで倒した一番、あの相撲は大関
取りの場所だっただけに大きかった」と答えている。
654大相撲評論家:2007/04/29(日) 12:41:49 BE:437833229-2BP(0)
>>651>>652
やはりなにか運命的な因果関係があるんですかね。

655待った名無しさん:2007/04/29(日) 17:48:28
>>653
当時の輪島の存在の大きさを物語ってるね
656待った名無しさん:2007/04/29(日) 21:21:45
57代横綱三重ノ海(武蔵川親方)の還暦土俵入りが出島、雅山を従えての予定で6月に都内のホテルで行われる模様、
同じ年の輪島の還暦土俵入りも北の湖理事長太刀持ちで露払い間垣さんは無理やろうから、誰かで、、
やってもらいたいですね。
657待った名無しさん:2007/04/29(日) 22:39:39
653の文で三重ノ海の“土俵人生あの時”の発言は平成14年春じゃなく平成15年春でした。
修正します。
658待った名無しさん:2007/04/29(日) 23:40:21
>>656
北の富士は2002年に弟子である千代の富士、北勝海の2横綱を従えての還暦土俵
入りを行なったが、既に相撲協会から退職していたため国技館が使えなかった。
ただ今度の三重ノ海は国技館で開催する権利があるが、本人が「照れくさいから」
と都内のホテルで武蔵川部屋25周年パーティーと兼ねて行うらしいね。
輪島もどこでもいいからやってほしい。
659待った名無しさん:2007/04/30(月) 01:23:42
やはり、後楽園ホールしかないだろうな。
露払い北尾、太刀持ち曙で。
660待った名無しさん:2007/04/30(月) 11:41:09
>>659
それは受けるな、プロレス、K1出身の3人組でやるのはw
しかも場所は格闘技のメッカ後楽園ホールとはwww
661大相撲評論家:2007/04/30(月) 11:43:41 BE:851340757-2BP(0)
>>659
そんな還暦土俵入りしてはすごいバッシングを喰らうんじゃねぇか・・・
662待った名無しさん:2007/04/30(月) 23:32:03
現実どこでしてもバッシング喰らうでしょう。
輪島が還暦土俵入りは夢のまた夢のような事、
輪島にはやってもらいたい魅力がある。
663待った名無しさん:2007/05/01(火) 01:26:01
輪島の肩に力が入った土俵入り見てみたいな。北の湖理事長なら可能性あるんじゃないか
664待った名無しさん:2007/05/01(火) 01:59:31
輪島の気持ちも問題だな、
理事長が推しても固辞するかもしれない。
665待った名無しさん:2007/05/01(火) 20:58:26
ベースボールマガジン社、相撲別冊、大相撲熱闘譜、Vol、1、栃若時代、柏鵬時代に続き
Vol、2北玉時代、輪湖時代(1,200円)が5月12日に発売。相撲夏場所展望号に載ってるのを見て鳥肌が立った。
今から楽しみです。
666待った名無しさん:2007/05/01(火) 21:47:22
これは買いだな
情報サンクス
667待った名無しさん:2007/05/04(金) 11:01:39
還暦土俵入りをした横綱
昭和12年・・・太刀山、(太刀持ち)太刀光、(露払い)太刀ノ海、(場所)上野精養軒
昭和27年・・・栃木山、(太刀持ち)羽黒山、(露払い)安芸ノ海、(場所)蔵前仮設国技館
昭和31年・・・常ノ花、(太刀持ち)双葉山、(露払い)千代の山、(場所)蔵前国技館
昭和60年・・・栃錦、(太刀持ち)若乃花T、(露払い)佐田の山、(場所)両国国技館
昭和63年・・・若乃花T、(太刀持ち)若乃花U、(露払い)隆の里、(場所)両国国技館
平成12年・・・大鵬、(太刀持ち)北の湖、(露払い)千代の富士、(場所)両国国技館
平成14年・・・北の富士、(太刀持ち)千代の富士、(露払い)北勝海、(場所)都内のホテル

今後の予定
平成17年6月・・・三重ノ海、(太刀持ち、露払いは雅山、出島だが、どちらがやるか未定)、(場所)都内のホテル

※鏡里、栃ノ海、佐田の山、琴櫻は還暦土俵入りは行なわず、赤い綱だけを受け取っている。
また、朝潮は赤い綱は作ったものの、土俵入りを行う直前の58歳で死去している。
668待った名無しさん:2007/05/04(金) 11:03:56
>>667
訂正・・・三重ノ海は平成19年6月の予定
669待った名無しさん:2007/05/04(金) 11:08:23
還暦土俵入りって意外と少ないんだなぁ
特に理事長までやった佐田の山がやらなかったのが以外だ
670待った名無しさん:2007/05/04(金) 11:26:33
そういえば昭和28年生まれの北の湖理事長、若乃花U(間垣親方)も今年54歳。
還暦まであと6年か・・・
特に北の湖のとき誰が太刀持ち、露払いをするか見ものだ。
予想だが太刀持ち千代の富士(九重)、露払い貴乃花と思うが・・・
671待った名無しさん:2007/05/04(金) 12:25:57
三保が関全盛時を偲んで北天佑と増居山2でどうよ
672待った名無しさん:2007/05/04(金) 12:29:34
↑ちよつとあなた?
673待った名無しさん:2007/05/05(土) 18:44:43
>>669
特に、常ノ花から栃錦までの間に約30年の間隙が空いているね。
この間、12人の横綱が出ているが、還暦まで存命だったのは
男女ノ川、安藝ノ海、鏡里の3名のみだった。

男女ノ川と安藝ノ海は還暦時にはすでに角界を離れていたので辞退し、
(あるいは、誰からも声をかけてもらえなかったからか?)
鏡里は身体を悪くしていたので辞退している。

なお、佐田の山が還暦に達した年は
彼の提示した年寄株協会収公案が角界内部の猛反発を喰らって
理事長辞任に追い込まれた年でもあった。

恐らく、ひどい孤立感にさいなまれていた彼は、
「自分が還暦土俵入りなどやっても誰も祝ってくれないだろう」と
思って辞退したのでは?
674待った名無しさん:2007/05/05(土) 19:33:02
>>659
露払い 田淵 太刀持ち 江夏でやってもらおう。
どこでやるかが問題だけど。。
675待った名無しさん:2007/05/05(土) 20:28:55
菊池凛子を語るスレはここでっか?
676待った名無しさん:2007/05/06(日) 19:31:16
そうか、自分も51年の初場所から相撲を見始めて、輪島のファンになったクチだよ。
同じ時期から見始めた仲間が多いんだなあ。

その前の年、50年は、輪島は絶不調で、引退勧告され兼ねない、剣が峰での51年初場所
だったらしい。しかも初日から2連敗。
しかし、この次の日から連勝を重ね、輪湖の、本当の黄金期が始まったのだ。同時にこれは、
北の湖がようやく輪島を乗り越え始めた頃で、この2人の拮抗していた時期が一番、見ていて
も楽しかった。

55年になると明らかに輪島関の衰えが見られるようになり、北の湖関独走、と世間からは
見られた。ところが実はこの頃から、北の湖関は他の横綱たちが休場、不調、引退などして
いく中、一人責任を取って土俵に上がって優勝を重ねていくのだが、本人の膝、足は、壊滅的
なほど痛みを増してきていたというのである。

それを最初に見破ったのが、56年、急に力を伸ばしてきた千代の富士関。
本割で千代関が敗れたときの北の湖関の倒れこみ方を見て、一瞬で見破ったというのだからすごい。
決定戦ではそこをせめて千代の富士関の優勝。これ以降北の湖関は今までの皆勤がうその
ように休場がちになり、千代の富士時代が始まった。

北の湖関という人は、責任感の強い横綱だったのですね。
顔に似合わず(?)とても温和な人らしいです。
677待った名無しさん:2007/05/06(日) 21:35:30
輪島が引退したのは56年だけど、半年に二横綱二大関が去る大変な時期だったね。
北の湖時代から千代の富士時代に転換したのもこの頃だけど、
この覇者交代は玉錦−双葉山の交代についで際立ったてるよね。
678待った名無しさん:2007/05/06(日) 23:01:57
この頃消防低学年で輪島ファンだったが、ガキ達の輪島人気は貴乃花(先代)
の比じゃなかった。王、長島のNは引退してた時期だから、王の次くらいに
人気あったと思う(俺は輪島と阪神田渕ファンだったがw)。

阪神が負けてもちぇっとなったくらいだが、輪島が負けた翌日は一日
憂鬱だった。田渕のトレードと輪島の引退は正直泣きじゃくった。

いや、個人的なことより、当時のガキ共には相撲人気は野球人気に
次ぐくらいだったといいたかったわけで・・・
679待った名無しさん:2007/05/06(日) 23:22:39
輪島vs北の湖の仕切りの緊張感は半端じゃなかったなぁ
優勝がかかってる事が多かった所為かもしれないがTVの前でいつもドキドキしてたよ
解説の神風サンの展開予想も緊迫感あって良かった
680待った名無しさん:2007/05/07(月) 07:58:04
昭和51年から52年にかけては
輪湖が千秋楽結びの一番で優勝(あるいは決定戦持込み)を争う場所がほとんどだった。

だから、千秋楽になると今とは比べ物にならないほど気分が高揚したものだ。
ボクシングファンに例えるなら、
「今夜は具志堅の防衛戦があるから、とてもウキウキする日曜日だ」
…そんな気分だった。

特に自分の場合、輪湖決戦と具志堅の世界タイトルマッチとが重なる日曜日は、
午前中から気もそぞろで、どこにも行きたくない気分だった。
681待った名無しさん:2007/05/07(月) 13:35:15
俺は53年名古屋の14日目ハラハラドキドキで見た記憶ある。
それまで両者全勝での対決、見ごたえあったな。
北の湖もあの一戦が思い出に残っているって後年語ってたけど。
682待った名無しさん:2007/05/09(水) 23:11:17
>>679
思い出すねえ、昭和51〜52年の輪湖対立時代。
実況・北出アナウンサー、解説・神風、向正面のゲストが二子山、この3人のコンビが最高だった。
52年九州の輪湖1敗同士の決戦の時には、中入りで二子山は栃若全勝決戦前の心境を語ってくれたよ。
それに、あの頃の千秋楽のテレビ解説は東京場所が玉ノ海で地方場所が神風だった。
幸い地方場所に輪湖の名勝負が多いので神風の出番が多かったので良かったよw


683待った名無しさん:2007/05/09(水) 23:55:58
>あの頃の千秋楽のテレビ解説は東京場所が玉ノ海で地方場所が神風だった

気付かなかった!そうだったんだ。
玉の海の解説も味があるし間違いなく名解説者だけど俺も神風派かな。
どちらかというと輪島ファンだった俺としては
やや輪島に厳しかった玉の海より神風の方が好意的に論じてたってのもあるかも。
因みに行司は「のこったのこっ!」の人が好きでした。
684待った名無しさん:2007/05/09(水) 23:59:20
神風は名解説者だったな。
歯切れの良い語り口、力士の動きをわかりやすく解説してくれた。
当時、大相撲の千秋楽は北出・神風コンビ、夏の高校野球の決勝は土門・松永コンビが最高だったな(笑)
685待った名無しさん:2007/05/10(木) 00:05:43
玉の海の「そうねえ・・・」という口調、子供ながらによく真似たなあ。
見た目が怖いのと、神風のような気風の良さが全くなかったのとで
人気は神風に大きく劣ってたけれど、
身体のあちこちに包帯サポーターしまくって出てきた荒勢を
「ミイラじゃないんだから(だったかな?)」とユーモアたっぷりに揶揄したのなんて、
結構クスっとくる感じで、味わい深かったと記憶してる。
686待った名無しさん:2007/05/10(木) 00:29:24
>>683
24代伊之助だね〜
初対戦、53名、最後の対戦もこの人。
687待った名無しさん:2007/05/11(金) 21:33:57
北の湖が新入幕の47年は貴輪時代なんて期待されてたけど、
当時は無理矢理でも貴ノ花−輪島戦を千秋楽に組んでいたことがよくわかった。
688待った名無しさん:2007/05/12(土) 11:03:21
47年秋の千秋楽、貴輪は水入りの大相撲を取り、場所後二人は大関に同時昇進した。
この時、北の富士が『貴ノ花はしぶといだけという感じだが、輪島は強い。これから
警戒するのは輪島だ』とコメントしている。
事実、48年の夏から輪島が第一人者になり、貴ノ花は置いて行かれてしまった。
この48年は高校野球の江川卓、競馬のハイセイコーと並び称され”江川・輪島・ハイセイコー”
と言う人もいた(笑)
結局、貴輪時代は幻に終わったね。
689待った名無しさん:2007/05/12(土) 11:28:06
輪島と貴ノ花は親友なのに勝負の世界は非情だ
強い者だけが生き残る・・・
690待った名無しさん:2007/05/12(土) 11:46:51
>>688
北の富士は平成10年6月にNHKスタジオパークに来たとき、『現役時代一番強いと思った力士は輪島』と答えているよ。
彼は昭和39年初が新入幕で、大横綱大鵬の全盛期と戦っているのに・・・
まあ、北の富士のような横綱にまで上がって優勝10回した人が言うことだけに重みがある。
確かに本当に強くなかったら、いくら半身とはいえ、あの怪物北の湖に右上手をがっちり取られ、あれだけの大相撲は取れんからなあ・・・、納得
691待った名無しさん:2007/05/12(土) 12:44:23
>>690
大鵬についてだが、確かに対戦した力士は『強い』と答えている。
でもそれは北の湖と対戦した力士が『本当に強い』と言っているのと若干印象が
違うようだ。
ベースボールマガジン社発行の昭和の名横綱シリーズがある。
その中の『柏戸剛』の中に長谷川のコメントがある。『柏戸さんは破壊力があり
正直言って大鵬さんより強いと思った』と言っている。
またライバル柏戸も『大鵬幸喜』の中で[『大鵬君はじっくり攻めてくる感じで
怖いという印象はなかった』と言っている。
つまり大鵬の場合、柏戸のような筋肉質で一直線に前に出る出足、北の湖のような
重さ、馬力、輪島のような腕力の強さなど相手に強烈なダメージ、威圧感を与える
ような印象ではなかったと思う。
北の富士が大鵬より輪島の名前を挙げたのは、左四つ右上手を取り、相手の上手を
切って十分になっても右から強烈におっつけられ、身体が浮いてしまい下手投げを
何度も食らった苦手意識から輪島の名前が出たのではないかと思う。
事実『色々いたけど苦手と言う意味で輪島』と答えている。
692待った名無しさん:2007/05/12(土) 12:59:46
昭46名 中 日 東横綱 北の富士 ○(上手投げ)●西前02 輪島 初顔(7-5)
昭46九 10日目 東横綱 北の富士 ○(そと掛け)●東前01 輪島 輪島:敢闘
昭47初 04日目 東横綱 北の富士 ●(掬い投げ)○東小結 輪島 輪島:新小結,殊勲
昭47春 02日目 東横綱 北の富士 ●(寄り切り)○西関脇 輪島 輪島:新関脇
昭47夏 07日目 東横綱 北の富士 ●(下手投げ)○西関脇 輪島 横綱出場200回 優勝力士12-3(1) 輪島:殊勲
昭47秋 中 日 東横綱 北の富士 ○(掬い投げ)●東張関 輪島 勝越 天覧 輪島:殊勲
昭47九 千秋楽 東横綱 北の富士 ●(寄り切り)○東大関 輪島 O10-5 千秋楽結び 輪島:新大関
昭48初 14日目 東横綱 北の富士 ○(浴せ倒し)●西大関 輪島 幕内出場800回
昭48春 14日目 西横綱 北の富士 ○(寄り切り)●東大関 輪島
昭48夏 14日目 東横綱 北の富士 ●(下手投げ)○東大関 輪島 優勝力士15-0(1)
昭48名 13日目 東張横 北の富士 ○(寄り切り)●東横綱 輪島 輪島:新横綱
昭48九 13日目 東張横 北の富士 ○(そと掛け)●東横綱 輪島 優勝力士12-2(1) 輪島:27連勝でストップ
693待った名無しさん:2007/05/12(土) 17:47:56
>>692
俺は昭和42年九州場所から相撲観戦している。今年で丸40年だ。
当時北の富士ファンだった俺は輪島の台頭に恐怖を覚えていた。
北の富士は立ち合い左からかち上げて、突っ張って先手を取り、左四つ右上手を先に引き、
相手の上手を切れば、寄り、上手投げ、外掛けと技も多彩で、この体勢になれば、
まず負けることのなかったが、輪島にはこの型は通じなかった。
それが47年初〜47年夏までの3連敗だ。
突っ張っても下からおっつけられ、上手投げにいけば下手投げで返され、外掛けに
いけば内掛けで返される。何をやっても通じなかった。
この3連敗を機に北の富士はスランプの落ち?、夏、名古屋と休場し、打倒輪島に
執念を燃やす。
47年秋8日目の7戦全勝同士の天覧相撲に勝ってから対戦成績を挽回し、最終的には
7勝5敗となったが、当時、玉の海亡き後、四つ相撲の強敵がいなくなった頃、輪島が
台頭して来て、「輪島は対戦するたびに強くなっている」としきりに言っていたのを
思い出す。
48年九州の最後の対戦では北の富士が勝っているが、輪島が前日の貴ノ花戦の
右手負傷で右が使えない状態だったので勝たせてもらったようなもんだった。
当時の輪島の印象としては腕力だけでなく、足腰が強く、北の富士得意の上手投げが
通じない相手だった。
初対戦の上手投げも土俵際追い込まれて捨て身で打った上手投げで輪島が一瞬早く
落ちて辛勝したもので、玉の海や大鵬を倒したような切れ味鋭い上手投げが決めら
れない相手だった。
後の大横綱北の湖も輪島に対して右上手投げを決められなかったところを見ると、
輪島の足腰の強靭さが物語れる。

694待った名無しさん:2007/05/12(土) 18:12:23
北の富士ー輪島、二人の力が拮抗した頃の相撲
昭和48年春場所
優勝決定の一番 14日目 北の富士(寄り切り)輪島
北の富士は猛突っ張りから叩いて泳がせ右上手を取り左四つ、引きつけて
寄り、右外掛け、右上手投げと矢継ぎ早に攻め立て、輪島が堪えるとさらに
上手投げから右の外掛け、輪島は左下手一本で掛け投げに返すが、北の富士
残して持久戦ののち北の富士が上手を引きつけ、上手投げで崩して青房に
輪島を寄り切り、大相撲を制して優勝回数を10回にした

昭和48年夏場所
優勝決定の一番 14日目 輪島(下手投げ)北の富士
北の富士が突っ張って叩いたが、輪島はつけ入って左差し右から絞る得意の
体勢、北の富士が上手を欲しがると輪島は下手投げ、北の富士は外掛けに
いったが上手が取れなくては効き目がなく、はね上げられて横転した。
この場所、輪島は全勝優勝し場所後横綱に昇進。
695待った名無しさん:2007/05/12(土) 19:07:26
確かに輪島は投げを殆ど食わなかったね。
53年名古屋、54年春の北の湖との水入りの相撲でも、水が入って取組再開後、
北の湖が輪島の頭を押さえつけて上手投げを打ったが決まらなかった。
元井筒親方(元関脇鶴ヶ嶺)が「輪島は足首が細く、膝のバネが抜群に強い。
あの下半身の強さは初代若乃花に似ている」と話していたのを思い出す。
696待った名無しさん:2007/05/12(土) 19:22:34
この時代の木村庄之助&式守伊之助はどちらも好きだったなぁ〜
伊三郎は…まぁいいや(以下省略)

他にも庄太郎・庄二郎・庄三郎や、与太夫・錦太夫・玉光…どの行司も懐かしい。
697待った名無しさん:2007/05/12(土) 19:24:31
>>695
そうね。
自分が記憶にあるのは引退前の場所で驀進千代の富士に上手投げ食らったぐらいだなー。
698待った名無しさん:2007/05/12(土) 20:04:12
いや、増位山、豊山、三重ノ海、金城の投げでエロく転がっていたシーンも有名。
699待った名無しさん:2007/05/12(土) 22:05:01
あと55年夏場所13日目、若乃花2と長い相撲になり、最後頭を付けられ正面土俵に
寄られて、残すところを上手投げで負けたことがある。
負けたあと、輪島の背中にべっとり砂が付いていたのを思い出す。
上手投げ得意の若乃花2だったが、輪島に投げを決めたのはこの一番だけと記憶する。
上記のように確かに何番か食っているが、下半身が強靭で投げを食いにくい横綱
だったことは確かだね。
700待った名無しさん:2007/05/12(土) 23:52:49
北若戦は投げで決まった相撲が多いよ

昭和49年 9月 7日目 ○北の湖(上手投げ)若三杉●
昭和49年11月 8日目 ○北の湖(上手投げ)若三杉●
昭和50年11月初日  ○北の湖(下手投げ)若三杉●
昭和51年 1月 6日目 ●北の湖(上手投げ)若三杉○
昭和51年 3月 5日目 ●北の湖(下手投げ)若三杉○
昭和51年 5月14日目 ○北の湖(上手投げ)若三杉●
昭和51年 9月12日目 ●北の湖(上手出し投げ)若三杉○
昭和51年11月 5日目 ●北の湖(上手投げ)若三杉○
昭和52年 3月14日目 ○北の湖(掬い投げ)若三杉●
昭和52年 7月14日目 ○北の湖(上手投げ)若三杉●
昭和52年 9月13日目 ○北の湖(上手捻り)若三杉●
昭和53年 3月千秋楽 ●北の湖(上手投げ)若三杉○
昭和53年 5月14日目 ●北の湖(上手投げ)若三杉○
昭和53年 5月決定戦 ○北の湖(上手投げ)若三杉●
昭和53年 7月千秋楽 ○北の湖(掬い投げ)若乃花●
昭和54年11月13日目 ●北の湖(上手投げ)若乃花○
昭和55年 1月14日目 ○北の湖(上手投げ)若乃花●
昭和56年 1月13日目 ○北の湖(下手投げ)若乃花●
昭和57年 3月14日目 ●北の湖(上手投げ)若乃花○
701700:2007/05/13(日) 00:13:23
北の湖―若乃花戦は45回の対戦(決定戦2番を含む)で、北の湖の27勝18敗(1不戦敗)
そのうち投げで決まったのは19回(北の湖の11勝8敗)
702待った名無しさん:2007/05/13(日) 00:26:04
>>700
俺は51年に北の湖が当時の若三杉に1勝5敗と苦手にしていたのが印象に残る。
実はこの年の名古屋も上手投げで崩され、寄り切られている。
この51年は毎場所のように北の湖が上手を切られ、よく投げを食らっていた。
52年春にすくい投げで勝ってから苦手意識がなくなったように思う。
703待った名無しさん:2007/05/13(日) 00:39:06
輪湖時代前半期の千秋楽結びの一番を裁いたのが浅井庄之助。

彼の行司生活最後の一番となった昭和51年九州場所では、
両横綱は、いずれも若三杉(後の二代目若乃花)に負けただけの13勝1敗同士で
相星決戦を行ない、55秒の大相撲の末に北の湖が輪島を寄り切った。
この一番も非常に力の入った見応えのある攻防で、
輪湖の名勝負のうちの一つに挙げられるだろう。

なお、この場所5日目の北の湖−若三杉戦は、
土俵際での投げの打ち合いで両者ほぼ同時に倒れるというもつれた展開となった。
熊谷伊之助の軍配は、北の湖の下手投げを有利と見て上げたが、
若三杉の上手投げが有利ではないかと物言いがつき、
協議の結果、行司指し違いで若三杉の勝ちとなった。

勝負の模様はビデオで何回もリプレイされていたが、
確かに北の湖の体の方がわずかに早く落ちていた。
逆転勝利のアナウンスがあった時、若三杉のニコッと笑った顔が
テレビの画面にアップになったシーンが忘れられない。
704703:2007/05/13(日) 00:42:05
熊谷伊之助は直ちに高砂審判部長(元朝潮)に進退伺を提出、
慰留されたものの、場所後に予定されていた庄之助昇格が
差し止められるという事態になった。

結局、この差し違いのお蔭で
熊谷伊之助の庄之助昇格は翌年九州場所後まで延期され、
「庄之助空位・伊之助一人立行司」時代がまる1年も続くことになる。

ちなみに、浅井庄之助は後に週刊ポストの「角界糾弾シリーズ」で
行司の待遇の悪さを告発していた。
「立行司なのに、退職金など雀の涙にもならない額だった」と
非常に立腹していたのが印象的だった。昭和59年没。

熊谷庄之助も、
「懸賞金は渡すばかりで一度ももらったことがない。一度はもらってみたかった」
と述懐していた。行司の報酬って、よっぽど安いんだろうね。
705待った名無しさん:2007/05/13(日) 01:01:54
>>704

最後の3行を読んで、過日あの朝青龍が花道で定年退職する木村庄之助に懸賞金の
おすそ分けをして握手したシーンを思い出したよ。
こんなことがあってもいいと思う。
706待った名無しさん:2007/05/13(日) 01:14:05

玉輝山:「オレは風呂屋のあんちゃんだ!」
707703:2007/05/13(日) 01:17:24
>>705
自分もそう思っていた。
朝青龍はああ見えて結構『日本の心』がわかる奴なんだなと思った。
708ひふみん:2007/05/13(日) 01:35:09
高校時代に双津竜のファンがクラスメートにいた。
特に目立つ力士ではなかったのでなぜだと聞いたら
腿の肉がブルンブルン波打つのがシビレルそうだ。

そんなことってあるんかいな?
ちなみに輪島&北の湖には勝ったことなかったと思ふ。
709待った名無しさん:2007/05/13(日) 02:11:39
>>708
ドリフの「相撲コント」(ウレタンの着ぐるみ)を地で行くような力士が
本当にいるんだなというのが、彼を見た最初の印象だった。

今は、目の下の肉をプルンプルン引きつらせて
ドルジの「破壊活動」に抗議しているね。
710706:2007/05/13(日) 04:10:21
おおお双津竜ぅぅぅ
前頭上位で10勝したときは新関脇確実と思われたのになぁぁぁ
その時の東関脇が7勝8敗ながら西に回った(半枚降格)あおりで
関脇昇進を逃し、結局小結でオワタ…残念だったな〜双津竜…
711待った名無しさん:2007/05/13(日) 07:28:06
子供の頃巡業でサインもらったことあるよ。
てか、向こうが勝手にサインしてきたw
当時十両力士だったはず。
親に「サインもらったんだから応援しなさい」と言われて、注目はしていたけど、
結局幕に戻ることはなかったっけ。
712待った名無しさん:2007/05/13(日) 10:27:17
>>703
浅井は式守伊之助時代の昭和44年春場所2日目に大鵬−戸田戦を裁いたな。
戸田が大鵬を押し出したが、その前に戸田の足が土俵を割っていたとして
大鵬に軍配を上げた。
しかし物言いがつき、協議の結果、行司差違えで戸田の勝ちとなった。
当時45連勝中の大鵬の連勝はこれでストップした。
写真で見ても確かに大鵬が土俵を割る前に戸田の右足が出ており、ファンから
抗議の電話が殺到し、マスコミでも誤審と話題になった。
結局、この一番を機に勝負判定にビデオが採用されるようになった。

713待った名無しさん:2007/05/13(日) 12:06:37
その第26代木村庄之助(浅井正)が引退したとき、次の52年初場所にインタビュールームに出た。
その時、最後の裁きになった51年九州の輪湖戦の立ち合いの写真パネルを記念に受け取った。
そして大鵬対戸田戦の話も出た。
『あとでビデオや写真を見て自分の目が間違っていなくて嬉しかった』と言っていた。
714待った名無しさん:2007/05/13(日) 12:58:18
他レスにも書いたが、熊谷伊之助(のち27代庄之助)さんの声が、とにかく好きだった。
>>703>>704さんの出来事、当時自分は小学生だったが、よく覚えている。

立行司は差し違いをすると、進退伺いを出さねばならぬほどの世界なのか、また、
短刀を持っていて、差し違いをすれば切腹ものだった、と言うような話をどこかで聞いて、
(何せ小学生だったので)このご時勢に切腹しなければならないのか、と、ちょっとばかり
真剣に心配したよ。

でも、うろ覚えだけど、この熊谷庄之助さんって、結構おっちょこちょいの方だったような記憶が…
ヒゲの伊之助さんほどの強烈な個性ではないけどね。
715待った名無しさん:2007/05/13(日) 13:47:16
>>714 >この熊谷庄之助さんって、結構おっちょこちょいの方だったような記憶が…

本当に性格の良さそうな人だったね。

現役最後の場所となった平成2年九州場所の千秋楽、
彼は最後の勤めに向かうべく花道の奥で待機していたのだが、
自分の桟敷がわからなくなったのか、不慣れな観客のおばさんが
彼に何かを尋ねてきた。

しかし彼は、ニコニコ笑いながらそのおばさんに手で方向を指し示して
会釈までしていた。
そして、たまたまこの一部始終がNHKのカメラにまる映りになっていたのだった。
普通なら、現役最後の一番に向けて集中力を高めている時だから
それどころではなかっただろうに、彼は本当にいい人なんだなと感心した。

ちなみに、この熊谷庄之助が「先輩10人抜き」ぐらいで伊之助に大抜擢され、
結局、18年もの長きにわたり立行司を勤めたのも
裁きの正確さのみならず、所作の格調高さと声質の良さも高く評価されていたからと聞く。
716待った名無しさん:2007/05/14(月) 10:24:14
双津竜も金色の廻しをしていた時期があったと記憶する。
輪島のものとは微妙に色の濃さが違ってオモロカッタ。
717スポーツ好きさん:2007/05/14(月) 10:28:36
双津竜は金というかベージュ色っぽいやつだったね。
718待った名無しさん:2007/05/14(月) 11:47:04
先輩輪島に倣ったのか、
荒勢が銀色の廻しをしていた時があったよね。
719待った名無しさん:2007/05/14(月) 19:40:02
輪島が金色の廻しを付け始めたのは、50年秋からだと思う。
それまでは緑色の廻しだった。
休場が続いていたので心機一転で変えたのかな?
間違っていたらゴメン。
720待った名無しさん:2007/05/14(月) 20:48:26
>>719
その通り。輪島にとってはまさに「開運」のまわしになった。

ちなみに、朝青龍が一場所だけ黄金のまわしを締めていたことがあったが、
締める前に、ちゃんと輪島のところへ「黄金使用許可」の仁義を切りに行ったとのこと。
721待った名無しさん:2007/05/14(月) 21:46:12
>>718
荒勢が銀色の廻しをしていたのは俺も記憶がある。
輪島とは日大時代からの先輩後輩の間柄だし、確かに倣ったのかもしれんw

>>720
そうか、朝青龍も仁義深いなw
722720:2007/05/14(月) 22:27:21
>>721 >そうか、朝青龍も仁義深いなw

うん。いくら彼でも「綱の会」では新弟子扱いだからな。
ここは「先輩には絶対服従」の体育会的組織で、
さすがの朝青龍も大鵬の横に正座しておとなしく説教を聞いていた。
「土俵が丸いのはなぜだかわかるか?丸いからこそうまく伝って残せるのだ。
人生も同じだぞ」って感じでね。

20年ほど前、「綱の会」の模様がNHKで放送されていたが、
当時一番新米の双羽黒が一番先に会場の料亭にやって来て、
決して座につかずに室内の棚に腰掛けてじっと先輩横綱たちの到着を待っていた。

「体育会」って、まさにこんな感じなんだろうね。
723クレージークライマーとパックマン:2007/05/14(月) 23:47:52
三重の海のスカイブルーも当時としては目だったと思ふ。
最近だと大関昇進前のカロヤンが装着していたよん。
724クレージークライマーとパックマン:2007/05/14(月) 23:48:44
× 三重の海
○ 三重ノ海 スマソ
725待った名無しさん:2007/05/15(火) 00:07:20
三重ノ海はスカイブルーから横綱昇進を機にナス紺に変えたね。
当時、杉山邦博アナウンサーが力士の廻しの色を正確に伝えるため、色の呼び名を
研究していると言っていた。
三重ノ海の『ナス紺』という呼び名も当時車の中のラジオの中継で杉山アナウンサーが
言ったのを覚えていたから書いたんだw
726待った名無しさん:2007/05/15(火) 00:16:12
杉山アナウンサーは貴ノ花ファンだった。
50年春の初優勝のときラジオの実況中継を担当したそうだ。
その実況放送の再現をNHKの他の番組でゲストに来たとき聞かされたよ。
56年初場所に貴ノ花が引退したとき、テレビの実況放送中に泣いていたな。
727待った名無しさん:2007/05/15(火) 00:27:10
大関時代の三重ノ海のスカイブルーのまわしは、軽い感じだったが、
横綱時代の紫のまわしは、地味だが重厚さがあって好きだった。
728待った名無しさん:2007/05/15(火) 01:20:03
一方で北の湖は青〜濃紺の間でほとんど色が変わらなかったね。
729待った名無しさん:2007/05/15(火) 01:36:47
荒勢は白無垢のまわしで出場したことがある。(昭和51年名古屋場所)

しかし、審判部から注意されて一場所で引っ込めた。
その上、この場所の荒勢は、若三杉戦(待った5回)や金城戦(待った7回)など
立会いの乱れの元凶とされて批判の矢面に立たされるわ、
結局負け越すわで、全くさんざんだった。

自分としては、冷そうめんや水羊羹よろしく
猛暑の名古屋に一服の清涼感をもたらしたので
白無垢のまわしもまたおつなものだと思ったのだが、
これ以後「純白まわし禁止」という不文律ができてしまったようだ。
730待った名無しさん:2007/05/15(火) 02:14:14
>>725-726
杉山元アナウンサーは今でも客席に来ているね。

なお、杉山アナウンサーと同時期に相撲中継で活躍した向坂アナウンサーは
定年退職後、病気を苦に自殺されたね。合掌。
731待った名無しさん:2007/05/15(火) 10:01:32
俺が向坂アナウンサーを最後に見たのは平成8年12月に柏戸が亡くなったときに
大鵬と共に民放のワイドショーにゲスト出演したとき。
柏戸と大鵬の違いなど熱っぽく語っていた。
その2年後に亡くなったんだな。
彼の実況では千代の富士初優勝のときが印象に残る。
俺も合掌。
732待った名無しさん:2007/05/15(火) 10:35:26
近頃このスレ、伸びがいいね。

北の湖は「責任感 A」
(当時の読売大相撲より)
733待った名無しさん:2007/05/15(火) 11:18:27
輪湖戦というと、毎場所同じようなパターンで長い相撲が多かったが、一場所だけ
北の湖が一気に前に出て勝負をつけた相撲がある。

昭和50年11月千秋楽 ○北の湖 (寄り切り) 輪島●
北の湖は左を覗かせ右から攻めて一気に正面に出た。輪島はこの攻勢に忽ち後退、
両廻しを引いて右へ振ろうとしたものの、逆転ならず寄り切られた。

既に三重ノ海初優勝が決まっており、この結びの相撲は消化相撲だったが、
輪湖戦にしては珍しい一番だな。
734待った名無しさん:2007/05/15(火) 11:25:14
>>733
まったくだw
その文“左を覗かせ”を“左前みつを引き”に置き換えると、
○柏戸(寄り切り) 大鵬● かと思うよ(笑)
735待った名無しさん:2007/05/15(火) 12:55:56
ここで、輪湖時代のインタビューの口癖(必ず次の言葉が入っていたのを思い出す)
北の湖『一番一番大切に〜』、※理事長になってからは『土俵の充実』
輪島『一生懸命〜』
三重ノ海『自分の相撲を取るだけですよ』
あと、親方では先代二子山親方(初代若乃花)『とにかく稽古以外ありませんよ』
736待った名無しさん:2007/05/15(火) 13:13:26
>>735
輪湖三重はそれぞれの特徴が出ているなw
あと、先代二子山は確かに”稽古”ばっかり言っていたw
さすが土俵の鬼だw
737待った名無しさん:2007/05/15(火) 14:17:35
>>730
杉山アナは輪湖後半、向坂アナは千代の富士のアナという印象
738待った名無しさん:2007/05/15(火) 15:58:19
>>735
あと先代二子山は「今の力士は稽古が足りない、我々が現役の
ころは1日何十番・・・」
739待った名無しさん:2007/05/15(火) 16:56:57
先代二子山「人間、辛抱だ」
高見山「マルハッチ!」
千代の富士「ただいまの協議についてご説明致します」
露鵬「フッフッフ」
西川きよし「小さなことからコツコツと」
財津一郎「あ〜りゃりゃん こ〜りゃりゃん お〜へそのね〜じが〜♪」
740待った名無しさん:2007/05/15(火) 20:38:09
高校時代の知人に熱心な輪島のファンがいた。
そいつが新聞の見出しで「北若時代」を見ると
いつも不機嫌になっていたのを思い出すよ。

でも今から客観的に見れば「輪湖」だったな。
741待った名無しさん:2007/05/15(火) 21:27:17
北若時代は残念ながら砂上の楼閣に終わったからなぁ
若乃花はもっと千代の富士の壁になると思ってただけに残念
742待った名無しさん:2007/05/16(水) 00:30:57
北若時代というと、あと北天佑と若嶋津が出てきた頃を思い出すなw
二人とも期待されたが、結局は大関止まりで千代の富士独走時代になった
743待った名無しさん:2007/05/16(水) 00:58:38
北若時代はマスコミの掛け声に終わった感がある。
それは若乃花本人がイマイチだったこともあろうが、
やはり千代の富士の予想外(昭和54年頃から見れば)の
躍進が大きかったな。

その仇討ちってわけではなかろうが、同期同部屋の“隆のサティ”が
かなり千代の富士を倒してかなり目立ったもんだ。
輪湖時代のサティはいまいちだった。

744待った名無しさん:2007/05/16(水) 00:59:57
やっぱ北出さんだよ
745待った名無しさん:2007/05/16(水) 01:05:55
>>742
特に北天佑は下の頃から期待されていた。
『北の天の下に生まれ末は人の右に出る力士になるように』と四股名も凄い名前だったしな
北の湖→北天佑と三保ヶ関の天下が続くと思っていた。
結局、同社大学の学生横綱服部もそうだが、過剰期待されて伸びなかったね。
746待った名無しさん:2007/05/16(水) 01:15:42
北出清五郎さんは皇太子(今上天皇)ご成婚の沿道中継や
東京五輪の開会式も担当したテレビスポーツ中継の草分け的存在の一人。
大相撲がテレビ放送開始と同時に中継に携わり輪島が引退する直前の1980年まで
約30年間担当してきた正に昭和の相撲を見届けた人だね。
747待った名無しさん:2007/05/16(水) 01:18:17
>>743
隆の里の打倒千代の富士への執念は凄かったらしい。
ビデオのヘッドが壊れるくらい研究したらしいし、ウエイトトレーニングで腕力、背筋を鍛えた。
結局、北の湖、隆の里が完全に衰えた59年九州から独走するんだな。
748待った名無しさん:2007/05/16(水) 01:20:14
>>745
それでも北天佑は優勝2回、大関44場所と結果を残したからまだいいよな。
服部(藤ノ川)はデビュー時の注目度はハンパじゃなかったが、
まさか幕内上位とほとんど対戦することなく終わるとは思わなかった。
腰痛もあったがこれほど期待を裏切った例も珍しいな。
749待った名無しさん:2007/05/16(水) 01:44:36
>>748
まったくだ。
彼は同志社大学4年のとき学生、アマの二冠を取った。
彼がデビューした58年春場所、杉山アナウンサーが確か『50年に一人の逸材』と言ったよ。
それが最高位前頭3枚目で、26歳で廃業とは・・・
大相撲生活も僅か4年で終わった。
750待った名無しさん:2007/05/16(水) 02:10:45
服部は体が硬かったようなイメージがある。
上位には殆ど通じなかったが、なぜか学生相撲の
朝青には初顔で勝っている。(小手投げだったか?)
751待った名無しさん:2007/05/16(水) 09:11:03
>北天佑と若嶋津
今ではあまり語られることがないが、

とにかく壮絶な超睨み合い
→そして大相撲
752待った名無しさん:2007/05/16(水) 10:17:37
輪湖時代の千秋楽結びの一番ってホント盛り上がったよな。
当時小学生のオレはいつも手に汗握ってTV観戦してたよ。
753待った名無しさん:2007/05/16(水) 11:38:22
貴ノ花「それ、鬢付け油?」
輪島「ノー、アウスレーゼ!」
754うわっ古い!:2007/05/16(水) 11:42:16

そりゃ日本シリーズのときのコマーサルだったのを覚えているぞ
755待った名無しさん:2007/05/16(水) 13:06:02
>>746
北出清五郎さんは輪島、北の湖を高く評価しているよ。
大相撲写真画報 昭和の名勝負100番(昭和56年刊)日刊スポ−ツ出版社の中で、
名勝負として49年名古屋の輪島逆転優勝を取り上げ、他にも昭和48年九州場所12日目に
二人が負傷して相撲診療所で顔を合わせた因縁の出会いから数々の名勝負の素晴らしさを
熱心に書いている。
彼は少年時代は双葉山を見て、昭和28年テレビの大相撲放送初期から実況しているだけに
その論評、分析は素晴らしい。
756待った名無しさん:2007/05/16(水) 13:11:44
>>755
49年名古屋の輪島逆転優勝を取り上げたということは輪島ビイキだったのかな?(笑)
まあ、輪湖戦といえば北出・神風コンビが最高だったねw
757待った名無しさん:2007/05/16(水) 14:52:56
>>756
昭和49年名古屋場所の北の湖は、本割・優勝決定戦とも、
全く同じようなパターンで輪島に下手投げを喰らっちゃったね。

あの頃の輪島戦の北の湖は、まるで蛇に睨まれたカエルのようだった。
758待った名無しさん:2007/05/16(水) 17:14:21
大相撲熱戦譜vo2 北玉時代、輪湖時代発売記念
輪島 太刀持ち・露払い一覧表(再掲載)その1

S48・6*****魁傑・若ノ海
S48・7*11−4*魁傑・龍虎
S48・9*15優0*魁傑・龍虎
S48・11*12優2*魁傑・荒瀬
S49・1*12準3*魁傑・若ノ海
S49・3*12優3*魁傑・若ノ海
S49・5*10−5*魁傑・荒瀬
S49・7*13優2*魁傑・荒瀬
S49・9*14優1*魁傑・若ノ海
S49・11*9−6*荒瀬・若ノ海
S50・1*10−5*龍虎・荒瀬
S50・3*0−4*魁傑・荒瀬
S50・5*0−3*魁傑・龍虎(初日)魁傑・荒瀬(二日目)
S50・7*0−0*
S50・9*10−5*魁傑・荒勢
S50・11*11−4*荒勢・大豪
S51・1*12準3*魁傑・荒勢
S51・3*13優2*魁傑・荒勢
S51・5*13同2*荒勢・魁傑
S51・7*14優1*荒勢・魁傑
S51・9*12準3*荒勢・魁傑
S51・11*13準2*魁傑・荒勢
759待った名無しさん:2007/05/16(水) 17:51:59
輪島 太刀持ち・露払い一覧表(再掲載)その2

S52・1*13優2*魁傑・荒勢
S52・3*12−3*荒勢・大ノ海
S52・5*11−4*荒勢・大ノ海
S52・7*15優0*荒勢・若ノ海
S52・9*10−5*魁傑・荒勢
S52・11*14優1*荒勢・魁傑
S53・1*10−5*荒勢・魁傑
S53・3*1−1*荒勢・魁傑
S53・5*9−6*荒勢・魁傑
S53・7*14準1*荒勢・三杉磯
S53・9*1−3*荒勢・三杉磯
S53・11*13準2*三杉磯・荒勢
S54・1*10−5*三杉磯・荒勢
S54・3*12準3*荒勢・三杉磯
S54・5*12−3*荒勢・三杉磯
S54・7*14優1*荒勢・三杉磯
S54・9*10−5*荒勢・三杉磯
S54・11*10−5*三杉磯・荒勢
S55・1*0−3*荒勢・三杉磯
S55・3*11−4*荒勢・三杉磯
S55・5*11−4*荒勢・三杉磯
S55・7*1−4*麒麟児・荒勢
S55・9*11ー4*荒勢・三杉磯、麒麟児・荒勢(ニ日目のみ)
S55・11*14優1*荒勢・三杉磯、麒麟児・荒勢(十日目より)
S56・1*10−5*麒麟児・荒勢
S56・3*1−1*麒麟児・荒勢
S56・10引退相撲*北の湖・若乃花
760待った名無しさん:2007/05/16(水) 18:06:33
>>758、759
麒麟児も太刀持ちをやったんだな。
俺はまだ買っていない。
情報ありがとう。
761待った名無しさん:2007/05/16(水) 18:31:51
http://www.sportsclick.jp/magazine/sumo/0706b/index.html

     大相撲 熱闘譜 Vol.2 北玉時代、輪湖時代

できれば輪湖だけで一冊作って欲しかったが早速買おうと思う
762待った名無しさん:2007/05/16(水) 20:36:46
>>760
ていうか魁傑は大関になっても太刀持ちをやっていたんだな。
763待った名無しさん:2007/05/16(水) 20:41:03
大関陥落後
764待った名無しさん:2007/05/16(水) 21:12:53
52年秋だけは大関だな
765待った名無しさん:2007/05/16(水) 21:36:18
>>761
おぉー
こりゃすごいな
766待った名無しさん:2007/05/16(水) 22:47:48
昭和50年は魁傑は大関だな。
北の湖も調べたら掲載するよ。
767待った名無しさん:2007/05/16(水) 23:00:29
まだ売ってるかな?品切れとかならないよね?

明日買いに行こうっと
768待った名無しさん:2007/05/17(木) 00:03:12
けっこう40代の人が買っていくんじゃね?
この頃は相撲が面白かったとつぶやきながら…
769758、759、766:2007/05/17(木) 04:33:45
輪湖の再評価は嬉しい限りだが、初代貴ノ花は語られなくなっているな。
息子たちが現役の時は美化されすぎたかもしれないが。
輪島ファンであった自分だが、成績では語れない貴ノ花の魅力も忘れてはいけないな。

今の土俵も楽しんではいるが親方衆も大変だろうな。
770待った名無しさん:2007/05/17(木) 08:41:17
今の相撲つまらないよ!日本の国技の相撲が、モンゴル相撲になっている。

日本人の関取が、弱いというか、ハングリー精神足りないんじゃない?

今の上位に期待しても無理だから、若手で強い力士が出てきてほしい
771待った名無しさん:2007/05/17(木) 12:17:51
確かに輪湖時代を見てきた人にとっては今の相撲はつまらない。
というか千代の富士が独走し出した昭和60年頃から面白くなくなった。
その後も貴乃花→朝青龍と独走が続いたしな。
やはり二人の強豪横綱が対立して千秋楽雌雄を決する時代が一番面白い。
その点、輪湖時代時代は簡単な勝負は殆ど無く、四つに組んで、お互い
力の限り出し尽くし合う素晴らしい時代だった。
772771 :2007/05/17(木) 12:22:15
↑5行目は輪湖時代時代じゃなく“輪湖時代”
773待った名無しさん:2007/05/17(木) 12:38:25
俺は輪湖戦の実況放送入りの全取組が収録されたDVDが発売されれば〜万円でも買うよw
まあ、夢のような話だけど・・・(笑)
それだけ二人の対戦はワンパターンだけど面白かった。
栃若戦もビデオ見て確かに面白いが、軽量級同士で今一つ俺の好みじゃない。
その点、輪湖戦は重量級と中量級の戦いで、見た目も重みがあり、迫力あった。
774待った名無しさん:2007/05/17(木) 15:36:41
千代の富士は相手の力を封じて自分だけが思う存分取るスタイルだからね。
見てるほうは物足りないよね。一方的な相撲を向坂が「見事な横綱相撲です!」とかいってたけど
「それは違うだろう」って思ってたよ。横綱相撲はそういうもんじゃない。
廻しを引き合っての力相撲も取ってたけど負け相撲が多かった。
隆の里が典型で北天佑や霧島にもガップリじゃ分が悪かったしね。
だからS60以降使用した黒い締め込みをキツく締めて相手はまともに掴む事が出来なくなっちゃった。
お互いが十分で力と技を出し尽くす輪湖のような相撲はもう二度と見れない気がするよ。
775待った名無しさん:2007/05/18(金) 00:07:30
買いましたよ。
北の湖と輪島のインタビューが特に良かった。
776待った名無しさん:2007/05/18(金) 00:32:11
>>775
インタビュー良かったね。
やはり輪湖は最高のライバルだ。
今でもお互いたたえ合っているw
777待った名無しさん:2007/05/18(金) 00:38:02
>>774
見る人は見ているなw
千代の富士は横綱、大関クラスの四つ相撲の実力者には相手の上手を切るか、
前みつを引き付けて相手の差し手を殺すか、頭を付けるかしないと勝てなかった。
要するに強い相手には力を封じ込めないと勝てなかったわけだ。
栃ノ海が大横綱になったような感じだった。
横綱相撲というのは自分だけが力を出すのではなく、相手にも十分にならして、
地力でねじ伏せる相撲だ。
これは先場所千秋楽の表彰式でテレビの解説の北の富士さんも言っていた。
輪湖戦がこれだけ評価されるのはワンパターンの組み手でありながら、お互い十分で
小細工などせず、堂々と力の限り戦ったからである。
このことは上記の『ライバル激突!大相撲熱闘譜vo2 北玉時代、輪湖時代』中で
北の湖理事長が対輪島戦を素晴らしく分析して書いている。
778待った名無しさん:2007/05/18(金) 01:07:22
千代の富士のことだが、同じ身体の小さい横綱の先代若乃花や玉の海はどんな相手でも絶対頭を付けず、上手も横ミツを取ってガップリ四つの勝負をした。
そういうスケールの大きな相撲を取ってほしかった。
確かに大記録は作ったが、ガップリ四つで相撲が長引くと負けるケースが多かった(北の湖、若乃花U、隆の里、北天佑、若嶋津、双羽黒戦など)
記録では年間最多勝以外は北の湖を抜いたが、北の湖の方が相撲のスケールが大きく、強いというイメージが強い。
779待った名無しさん:2007/05/18(金) 01:15:47
>>778
北の湖はガップリ四つでは大鵬より強いよ。
大鵬も千代の富士と同様ガップリ四つでは柏戸、豊山、明武谷、玉の海に苦戦した。
ただ、曙、武蔵丸とガップリなれば勝てないかもw
相手は200キロを越すスーパーヘビー級だから(笑)
780778:2007/05/18(金) 01:21:49
>>779
曙、武蔵丸には上手を切って上手投げにいくことだね。
高見山をカモにしたようにw
781待った名無しさん:2007/05/18(金) 01:24:10
>>778
>そういうスケールの大きな相撲を取ってほしかった。

千代はそれやってたよね。平幕時代までは。
でも壁に当たって(脱臼も癖になって)ガラリと取り口を変えたんだよね。
相手に十分力を出させて尚且つ勝つというのはある意味力士の(横綱)の理想だが
最盛期の貴乃花がそういう相撲を取ってた(取ろうとしてた)ように思える。
でも>>779に挙がってる超大型力士も居たから限度があったけど。
782待った名無しさん:2007/05/18(金) 01:29:04
>>777
そうそう。千代はルックスいいから人気有ったし
仕切りとか勝負後の一礼とか凄く綺麗でそれは良かったんだけど
相撲内容という点で不満がある。
783待った名無しさん:2007/05/18(金) 01:55:31
吊り出しがねーよ近頃…
相手が両足バタバタさせるなんてシーン、全然見なくなったよね。
よって輪湖時代の青葉山のような力士フカーツしてくりえぇぇ!
784待った名無しさん:2007/05/18(金) 02:01:33
>>783
絶滅危惧種A=吊り出し
785待った名無しさん:2007/05/18(金) 02:07:52
つり出しは部屋での稽古でも教えない技かもね…今時の相撲。
786待った名無しさん:2007/05/18(金) 10:59:02
ライバル激突!大相撲熱闘譜vo1,vo2を見たが、北の湖、輪島のインタビューが一番いい。
二人の話の中で共通しているのは49年名古屋の逆転優勝だね。
その後、特に優勝を賭けた一番で長い相撲が多かったのも、あの相撲が原点になっている。
特に北の湖の『(輪島戦は)相手も十分だが、こちらも十分だ。堂々と行くぞ!〜よけいな
小細工をせず、堂々と美しく勝ちたい〜』という言葉の中に“横綱同士の戦いとはこういものだ”
という彼の相撲哲学を感じるね。
787待った名無しさん:2007/05/18(金) 11:09:55
北の湖は現役時代も引退してからも同じニッパチ組の若乃花Uや後の大横綱千代の富士については、
あまり相手を誉めたのを聞いたことがない。
平成4年1月にNHKのBS1でNHKビデオ昭和の名力士刊行記念の特番があったが、その中でも杉山アナウンサーが
『千代の富士が56年に初優勝してウルフブームが起きましたけど、その時、これは大横綱になると感じましたが?』の問いに
北の湖は『いや、その時はそう感じませんでした。でもその後どんどん優勝していきましたからね』と素っ気ないもんだった。
それは、千代の富士に負けた相撲は右の上手が取れなかったり、頭を付けられたからで、決して地力負けしたのではないという
彼のプライドがあったのではないかと思う。
でも輪島戦となると、今回のインタビューでもそうだが本当に熱っぽく語る。
それは輪島が常に得意の右の上手を取らしてくれて、五分五分の勝負ができる強い相手だったからこそ高く評価しているのだと思う。
788待った名無しさん:2007/05/18(金) 12:02:19
>>787
二人が短期であったが対抗した56年初〜57年春は相星決戦または1差の
決戦は3勝3敗。
でも確かに千代の富士の勝った相撲は北の湖に上手を取らさず、頭を付ける
とか前ミツとって出し投げ、寄りで勝った相撲だね。
その後の57年秋、58年九州でも頭を付けて勝っている。
つまり横綱同士の対戦になっても頭を付けてきた。
まるで三重ノ海みたいだった。
そこが北の湖が評価していないところだろう。
789待った名無しさん:2007/05/18(金) 14:14:27
>>788
やはり体重、体力の差じゃねえの?
これは上記の強豪との対戦でもそうだ。
ガップリに組んで胸を合わせば、彼得意の左前ミツが横ミツになってしまい
引き付けが効かず、相手の身体を腕を広げて抱える形になり力が出せない。
彼が大成したのは立ち合い鋭く踏み込んで左前みつを取り、拝むように引き付けて
相手の差し身を殺し、腰を浮き上がらせるという流れるような動きにある。
それが実力者相手に先に上手を引かれ動きが止まると、53連勝でストップした
大乃国戦みたいになる。
でも、あれだけの大型時代に鍛え上げた身体と抜群の集中力で相手を投げ飛ばし、
吊り上げた豪快な勝ちっぷりは見事だった。
北の湖とは違った意味で偉大だったと思うよ。
790待った名無しさん:2007/05/18(金) 15:15:28
みんな大相撲熱闘譜買ってるみたいだね
特典で輪湖戦何番か収録したDVDとか付いてれば最高だったんだが
値段が1000円くらいあがっても構わないからさ
あと輪湖以外の名勝負も解説つきでもっと載せて欲しかったな
791待った名無しさん:2007/05/18(金) 17:29:12
>>790
確かに。
次の千代の富士が一人時代で1冊になっている。
輪湖戦も1冊で、DVDの中に優勝を賭けた一番とか、他の脇役達との戦いも入れてほしかった。
ただインタビューは良かった。
輪湖が現役時代お互いをどう思っていたかなど述べられて面白かったw
792待った名無しさん:2007/05/18(金) 17:50:59
若乃花と輪島の熱戦も結構あるのになぁ
793待った名無しさん:2007/05/18(金) 17:55:35
若乃花ももっと取り上げてほしかったな。
794待った名無しさん:2007/05/18(金) 18:51:54
輪島対北の湖戦の歴史   (○●の横は対戦成績)
昭和47年 名古屋13日目 1○輪島(上手投げ)北の湖●0 (5秒4)
昭和47年 秋12日目 2○輪島(寄り切り)北の湖●0(47秒6)
昭和48年初 初日 2●輪島(上手投げ)北の湖○1(10秒7)
昭和48年 春10日目 3○輪島(叩き込み)北の湖●1(1秒1)
昭和48年 夏 4日目 4○輪島(寄り切り)北の湖●1(10秒5)
昭和48年 名古屋 7日目 5○輪島(寄り切り)北の湖●1(46秒5)
昭和48年 秋 8日目 6○輪島(下手投げ)北の湖●1(45秒0)
昭和48年九州 5日目 7○輪島(寄り切り)北の湖●1(49秒0)
昭和49年 初 初日 7●輪島(寄り切り)北の湖○2(13秒5)
昭和49年 春12日目 7●輪島(寄り切り)北の湖○3(20秒5)
昭和49年 夏千秋楽 8○輪島(寄り切り)北の湖●3(16秒8)
昭和49年 名古屋千秋楽 9○輪島(下手投げ)北の湖●3(7秒4)
昭和49年 名古屋決定戦 −○輪島(下手投げ)北の湖●−(7秒5)
昭和49年 秋千秋楽 10○輪島(寄り切り)北の湖●3(37秒4)
昭和49年九州千秋楽 11○輪島(切り返し)北の湖●3(21秒0)
昭和50年 初千秋楽 12○輪島(寄り切り)北の湖●3(16秒8)
昭和50年 秋千秋楽 12●輪島(寄り切り)北の湖○4(15秒4)
昭和50年九州千秋楽 12●輪島(寄り切り)北の湖○5(5秒2)
昭和51年初千秋楽 12●輪島(寄り切り)北の湖○6(23秒1)
昭和51年 春千秋楽 13○輪島(下手投げ)北の湖●6(18秒2)
昭和51年 夏千秋楽 14○輪島(寄り切り)北の湖●6(1分22秒6)
昭和51年 夏決定戦 −●輪島(寄り切り)北の湖○−(32秒2)
昭和51年 名古屋千秋楽 15○輪島(寄り切り)北の湖●6(1分46秒1)
795待った名無しさん:2007/05/18(金) 18:52:43
輪島対北の湖戦の歴史   (○●の横は対戦成績)
昭和51年 秋千秋楽 16○輪島(寄り切り)北の湖●6(39秒5)
昭和51年九州千秋楽 16●輪島(寄り切り)北の湖○7(1分42秒2)
昭和52年 初千秋楽 17○輪島(浴びせ倒し)北の湖●7(18秒7)
昭和52年 春千秋楽 17●輪島(吊り出し)北の湖○8(3分3秒7)
昭和52年 夏千秋楽 17●輪島(寄り切り)北の湖○9(51秒6)
昭和52年 名古屋千秋楽 18○輪島(掬い投げ)北の湖●9(1分44秒0)
昭和52年 秋千秋楽 18●輪島(寄り切り)北の湖○10(28秒8)
昭和52年九州千秋楽 19○輪島(切り返し)北の湖●10(1分28秒6)
昭和53年 初千秋楽 19●輪島(寄り切り)北の湖○11(1分12秒6)
昭和53年 夏千秋楽 19●輪島(寄り切り)北の湖○12(35秒0)
昭和53年 名古屋14日目 19●輪島(寄り切り)北の湖○13(3分16秒6)
昭和53年九州14日目 20○輪島(下手投げ)北の湖●13(37秒2)
昭和54年 初13日目 20●輪島(寄り切り)北の湖○14(58秒0)
昭和54年 春14日目 20●輪島(寄り倒し)北の湖○15(3分30秒5)
昭和54年 夏14日目 21○輪島(寄り切り)北の湖●15(37秒1)
昭和54年 名古屋13日目 22○輪島(浴びせ倒し)北の湖●15(12秒5)
昭和54年 秋千秋楽 22●輪島(吊り出し)北の湖○16(1分49秒8)
昭和54年九州 14日目 22●輪島(寄り切り)北の湖○17(34秒2)
昭和55年 春14日目 22●輪島(寄り倒し)北の湖○18(2分55秒8)
昭和55年 夏14日目 22●輪島(寄り切り)北の湖○19(1分48秒5)
昭和55年 秋14日目 22●輪島(寄り切り)北の湖○20(1分19秒0)
昭和55年九州13日目 23○輪島(下手投げ)北の湖●20(1分52秒5)
昭和56年 初14日目 23●輪島(寄り切り)北の湖○21(58秒4)
796待った名無しさん:2007/05/18(金) 18:53:40
輪島対北の湖戦の歴史 

一取組当り平均56秒4
全取組合計43分14秒3
対戦成績 輪島23勝(決定戦1勝)―北の湖21勝(決定戦1勝)

優勝がかかった一番
(優勝決定戦)輪島1勝ー北の湖1勝(49名、51夏)
(上記決定戦前の1差本割)輪島2勝ー北の湖0勝(49名、51夏)
(千秋楽本割相星決戦)輪島2勝ー北の湖2勝(51初、51九、52初、52九)
(千秋楽1差決戦)輪島2勝ー北の湖0勝(51名、52名)
(14日目以前の相星決戦)輪島0勝ー北の湖1勝(53名)
(14日目以前の1差決戦)輪島0勝ー北の湖1勝(54春)

1分以上の大相撲
(水入りなし)輪島5勝ー北の湖6勝(51夏、51名、51九、52名、52九、53初、54秋、55春、55夏、55秋、55九)
(水入り)輪島0勝ー北の湖3勝(52春、53名、54春)
797待った名無しさん:2007/05/19(土) 00:42:06
どこ行っても売ってない…

書店に頼んだ方が早いか?直接出版社に頼んだ方が早いですかね?
798待った名無しさん:2007/05/19(土) 00:54:45
書店在庫に期待するなら大きい書店だろな
1200円で資料性桶、輪湖回想記も桶!
799待った名無しさん:2007/05/19(土) 10:26:18
>>794
昭和48年春は僅か1秒1か・・・
立ち合い変化したんだな。
先場所の千秋楽を思い出すw
800待った名無しさん:2007/05/19(土) 21:13:56
買いましたよ。52年までは輪島の力が、やや勝っていたが……

53年に入り、北の湖が持久戦に持ち込み水入りの相撲が何回も。

DVD作ってくれ
801待った名無しさん:2007/05/19(土) 21:46:46
ここで話題になっている「大相撲熱闘譜」北玉時代・輪湖時代を買ったが、
なんだかその前のやつ(栃若・柏鵬)も欲しくなってきたな〜
802待った名無しさん:2007/05/20(日) 11:43:18
俺も自宅近くの小さな書店には売っていなかったので、町の大きな書店で見つけて買った。
幸いVol1の栃若・柏鵬時代もあったので、まとめて買った。
実は最近の相撲が面白くなく、相撲雑誌は殆ど買っておらず、このスレに来るまでこの本の情報を知らなかった。
感想は、前のレスにもあったが、やはりDVD付きのビデオを見たかったw
803待った名無しさん:2007/05/20(日) 17:27:48
栃若&柏鵬編が一冊だけあったので俺も買っちゃった。
804待った名無しさん:2007/05/20(日) 18:42:53
>柏鵬時代

スレ違い気味だけど、
柏戸と話をするようになったのは、
柏戸引退の直前になってからだったと後に大鵬が述懐していた。
ライバルってそんなものなんだろうね。

輪湖も、巡業中ですらあまり親しく話をしている場面を見なかったな。
取組外でベタベタしていたら、
緊張感がなくなって、とても名勝負など演じられないんだろうね。

漫才でも、面白いコンビほどプライベートでは仲が悪いと言うしな。
805待った名無しさん:2007/05/20(日) 22:06:16
>>797
首都圏在住であれば高田馬場「芳林堂」に10冊以上平積みにして売っていりゅよ。
(本日19時現在のハナシ)
806待った名無しさん:2007/05/21(月) 00:16:00
芳林堂池袋以外にあるの?
807待った名無しさん:2007/05/21(月) 13:47:48
>>806
西武・高田馬場駅早稲田口の前にある
808待った名無しさん:2007/05/21(月) 19:19:03
>>804
いつだったか、昭和57年頃だったと思う。
輪島が引退して勝負審判員になり東の土俵下に座った。
北の湖はその前の勝負に勝って、次の力士に力水を付け、輪島の隣りに座った。
輪島は北の湖の方を見て微笑み、北の湖も笑って二人は話していた。
このシーンを今でも覚えているw
二人は小細工などせず、全力を出し尽くして戦った仲だけに、お互い認め合い、
好感を持っていたと思う。
809待った名無しさん:2007/05/21(月) 19:19:40
本日神奈川県西部へセールスへ行った折、書店を覗いたら
平塚駅ビル内の書店→平積みで10冊以上あり
小田原駅ビル内の書店→棚に4冊あり

都心に比べてハケ具合が緩やかな感じダター
810待った名無しさん:2007/05/21(月) 19:54:23
千代の富士は、輪湖と若貴時代の間のここしかないと言う
時代の大横綱だな。
811待った名無しさん:2007/05/21(月) 20:29:55
ここしかない時期というが、それが何年続いたか知ってるのか?
812待った名無しさん:2007/05/21(月) 21:27:20
大鵬は、栃若と輪湖の間のここしかないと言う
時代の大横綱だな。

大鵬の戦績
@栃錦戦に勝ち無し、若乃花と対戦無し
A輪湖と対戦無し、後のザコ大関貴ノ花昇進前にほぼ互角
813待った名無しさん:2007/05/21(月) 23:27:41
このスレのテキストが書店に積まれてからカキコが増えた
814待った名無しさん:2007/05/22(火) 20:17:34
815待った名無しさん:2007/05/22(火) 21:25:39
>>814
おお
これがようつべにあがってたとは!
それとも>>814があげてくれたのかな?
816待った名無しさん:2007/05/22(火) 21:59:57
>>815
自分は814ではないが、YouTubeを一通り検索した。
しかし、輪湖戦はこの2番しか上がっていないね。
まあ、一番ドラマチックだった場所だからいいけど。

輪島はYouTubeでは知名度がないのか、
「輪島」や「Wajima」で検索すると、プロボクシングの輪島やプロレス時代の輪島、
果ては輪島大地震の映像ばかり出てきて、肝心の大相撲の映像はこれだけだよね。
817待った名無しさん:2007/05/22(火) 23:21:23
>>811
あんた何歳?
輪湖時代からリアルタイムで継続して見てない世代なら
相手する気にならん!
40歳以上なら、俺と意見の全く違う人ですね・・・
818待った名無しさん:2007/05/23(水) 01:19:57
>>788
そんなこたあない。
北の湖だって51年初の輪島との相星決戦で
頭つけてようやく輪島に勝てるようになった。
819待った名無しさん:2007/05/23(水) 10:45:26
北の湖は51年夏の優勝決定戦でも輪島に対し途中で頭を付けている。
今売られている大相撲熱闘譜・輪湖時代の北の湖の手記にも書いてあるが、
やはり49年名古屋の逆転優勝が大変な屈辱だったようだ。
あれを教訓に右上手を取ったら無理して寄って出ず、全体重を上手の方に
かけるようにしたと言っている。
北の湖に頭を付けさせるほど当時の輪島は強かったわけだ。
二人は体重が40kg近く違うが、身長が6cmほと輪島の方が高いし、肩幅も広かった。
さらに三保ヶ関部屋の闘竜が初めて輪島と対戦したとき、「根が生えたようにビクとも
しなかった。横綱って凄いですね」と言っていた。
以上のことから我々が見て感じる以上に輪島は懐が深く、力が強く、足腰も強靭で、
さすがの北の湖も一気に攻め切れなかったと思う。
だから怪物北の湖とあれだけの勝負ができたのだと思う。

820待った名無しさん:2007/05/23(水) 11:28:10
上のレス見て、輪湖ばかり賞賛されているね。
確かに二人は凄かったが、この二人に対抗した若乃花Uも誉めていいのではないか?w
北の湖の上手を切るのが巧く、何回も投げで勝っているし、輪島ともガップリ四つになれば
早く輪島が吊り上げれば輪島、長引けば若乃花Uが有利だった。
この輪湖若の三つ巴の熱戦は51〜55年まで、ハイレベルな四つ相撲の醍醐味を味わせてくれた。
821待った名無しさん:2007/05/23(水) 13:31:50
>>820
個人的に輪湖戦以上に輪島×若乃花の相撲は好きだった
対戦後半は輪島が勝つときは殆ど吊りだしで勝ってたが若乃花が段々それをしのいで
北の湖同様持久戦にもちこんでたね。結構水入り級の熱戦が多くて毎場所楽しみにしてた。
822待った名無しさん:2007/05/23(水) 16:01:37
輪島と若乃花は体格もあまり差がなかったから、ガップリ組んでもどちらが勝つかわからない面白さがあった。
あと、俺が印象に残っているのは52年秋の14日目、結びで北の湖ー旭国の全勝対決があり、輪島ー若三杉戦はそのセミファイナルだった。
このとき、若三杉が左四つ右の上手を取り、頭を付けたが、輪島は左下手一本で柔道の内股のような掛け投げ気味の下手投げを強引に決めた。
次の日、向正面ゲスト二子山が『輪島が下手投げに来たら上手投げを打ち返すようじゃないといかん』と少し怒った表情で言っていた。
まあ、この年の夏に若三杉は初優勝し、横綱を期待されたが、名古屋、秋と低迷していただけに、二子山親方も歯がゆかったのだろう。
823待った名無しさん:2007/05/23(水) 16:08:39
>>822
俺もその相撲を覚えている。
まるで井上康生の内またのように見事に決まったなw
解説の玉の海さんが「まだまだ大変な地力の差がありますね」と言っていた。
824待った名無しさん:2007/05/23(水) 17:13:29
若乃花Uも四つ相撲の地力はあったのに北の湖、輪島と同時代に当たり気の毒だったな。
これは大鵬、柏戸と同時代に当たった佐田の山にも言える。
優勝も僅か4回に終わった。
のちに四つ相撲の地力がない北勝海が千代の富士と当たらず8回も優勝しているのを見ると、
やはり力士の価値は優勝回数では測れないものがあるな。
825待った名無しさん:2007/05/23(水) 18:43:34
>>824
北勝海って相手に何もさせないで自分だけが力を出して勝つ相撲だったな。
突いて押していなして相手を横向きにさせ食い付き、とにかくどんな手を
使ってでも勝つという相撲。
平成元年名古屋場所の優勝決定戦で千代の富士にガップリ左四つに捕まり
ものの見事に右上手出し投げで転がされ、ボロが出たw
まるで横綱と平幕の対戦のようだったw
826待った名無しさん:2007/05/23(水) 20:43:28
北勝海って輪湖時代の上位陣に当たり前だった四つ相撲主流の流れを変えた存在だったんじゃないか。
今の味気無い突き押し相撲主流の先駆者というか。
もちろん突き押し相撲も無くてはならないものだがやはり上位は重厚な四つ相撲であって欲しい。
本来の素質だったら富士桜とか麒麟児的な存在になるべきだったはず。
千代の富士も四つ相撲だけど、ここで指摘されてるように相手に力を出させないで勝つ相撲だし
客が湧くような力相撲が無くなった大元はここら辺からという気がしてならない。
827待った名無しさん:2007/05/23(水) 22:07:13
>>819
輪島が、腕力が強いっうのは本当だね。

49秋場所、北の湖が新横綱の時の千秋楽に、輪島が寄り切りで勝ったわけだが!

北の湖の巨体が、輪島の右おっけで浮かびあがったもんね。

輪湖対決全取り組みDVD化してくんねえかな
828待った名無しさん:2007/05/23(水) 23:36:56
>>827
1999年12月31日放送NHK-BS1『スポーツの20世紀・名力士、名勝負百年ー輪湖時代』の中で、
北の湖は輪島の右のおっつけについて、『輪島さんは左より右の力が強い。いい角度から
おっつけてくるもんだから、左の腕が上に持ち上がるような感じだった』と言っている。
あと、旭国が引退して、向正面にゲストに来た時、輪島について『とにかく腕力が抜群ですね。
それに小さい人と相撲を取るのが巧く、私は全く歯が立たなかった』と言っていた。
829待った名無しさん:2007/05/23(水) 23:49:47
ボク谷嵐です
830待った名無しさん:2007/05/24(木) 00:09:09
>>826
俺もそう思う。
だから輪湖時代が終わって25年以上経っているのに今でもこうやって『あの時代は
よかった』といわれる所以だよ。
北の湖理事長も「大相撲熱闘譜 北玉・輪湖時代」の中で次のように言っている。
『あの時代(輪湖時代)のように、時間的にも見応えがあり、応援し甲斐のある、
手に汗握る勝負をまた見たいというご意見を、最近、団塊の世代の方からお聞き
することが多い。なぜ、ああいう相撲が減ったのか、とも聞かれる。
今の力士たちは、自分の型になったら、早く攻めることを心掛けている。止まって
勝負をする、というやり方ではなくなった。逆に言うと、ガップリになって勝負が
できる人が少なくなったように思う』と。
831待った名無しさん:2007/05/24(木) 00:23:53
>>830
確かにな。
中年の人で「輪湖時代はよかった」と言う人はいても「千代の富士独走時代はよかった」と言う人はいないもんな(千代の富士ファンを除いて)w
832待った名無しさん:2007/05/24(木) 00:27:08
四つ相撲の醍醐味はリアルで輪湖をみてきた俺も同意だが、
それだけが相撲じゃない。体重制がない相撲は小さい者が
大きい者の力を封じて勝つのもまた相撲の醍醐味。
北の湖だってもし小錦や曙相手ならがっぷりに行ったかどうかは
疑わしい。事実パワーで勝る隆の里にはがっぷりで決めだしを
食らってたし、半身で相手不十分の体勢で勝っていたよ。
833待った名無しさん:2007/05/24(木) 00:46:27
ガップリ四つなら確かに北の湖は大鵬より強いと思う。
大鵬はガップリになると、柏戸、豊山、明武谷、玉の海に苦戦した。
でも、小錦、曙、武蔵丸のスーパーヘビー級には勝てないと思う。
相手は動かないよw
勝てるとすれば、高見山をカモにしたようにガップリは避け、右の上手を取り、
上手投げで崩すことだ。
いずれにしても北の湖の現役時代と後の大型時代は比較がしにくい。
現にそういう大型時代でも独走したのは千代の富士、貴乃花、朝青龍の決して体の大きく
ない力士だから。
ただ、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍に共通するのは脇が硬く、相撲が巧いこと。
やはり、負けない大横綱になるには相撲が巧くなければ相手に付け込まれる。
強いのに横綱になれなかった貴ノ浪とか魁皇はその典型ではないか。
834待った名無しさん:2007/05/24(木) 00:57:04
大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍・・・見事に10年ごとに出てきた大横綱ですね。
835輪島vs北の湖@:2007/05/24(木) 11:07:33
大相撲史上最高級のライバル対決
相撲史に残る数多のライバル対決の中で、「輪島vs北の湖」はまさに最高と呼ぶに
相応しいと考えている。私が、他の有名な対決をさしおいて、何故「輪湖対決」を
イチ押しするか、まずは理由を述べておく。次の数字をご覧頂きたい。
栃錦(優勝10回)19-15若乃花(優勝10回)
柏戸(優勝5回)16-21大鵬(優勝32回)
輪島(優勝14回)23-21北の湖(優勝24回)
曙(優勝11回)21-21 貴乃花(優勝22回)
直接対戦成績をみる限り、どれも拮抗しており、なるほど名勝負と思わせる要素が
あるが、輪湖対決に較べると、栃若は2人の優勝回数の合計の少なさで、柏鵬は直接
対決以外での2人の実績に差がありすぎること、曙貴の2人はそれぞれ輪湖と較べて
一回り劣った成績であることを減点材料とした。輪島と北の湖の場合、2人の優勝回数の
和が最大であるのみならず、当時の角界の中で抜きんでた実力の持ち主であったこと
(リアルタイムで観た者には明らか)が高く評価できる。加えて、この2人の強い横綱の
対決は千秋楽で相星または1差で迎えることが多く、その緊張感はたまらないものであった。
836輪島vs北の湖A:2007/05/24(木) 11:08:38
共に左四つを得意とするが、十分の体勢が微妙に異なる。輪島は右で相手の左腕を絞って
差し手を殺し、「黄金の左」と称された左下手投げから相手を崩す相撲。北の湖はガップリの
体勢で両廻しを取り、恵まれた体格を生かし堂々と前に出る相撲。
しかも、輪湖対決には世代闘争としての面白さがあった。1973年に輪島が横綱に昇進してから
1976年頃迄は、輪島の方が北の湖を圧倒していた。輪島といえば、学生横綱→幕下付け出しで
デビューした後、驚異のスピードで横綱に出世し「天才」と呼ばれた力士である。
しかし、真の「天才」は北の湖の方だった。1976年後半以降は、成績的にも内容的にも次第に
北の湖の方が優位に立っていく。元々の素質に加えて相撲から弱点が消えて心技体ともに充実した
北の湖は、まさに“憎たらしいほどの強さ”を感じさせた。
837輪島vs北の湖B:2007/05/24(木) 11:09:50
そんな北の湖に勝つには、僅かな隙を突いて自分が有利な相撲に持ち込むしかない。
輪島は、自らに追いつき追い越していく強敵に対し常にギリギリの戦いを挑んでいた。
廻しに霧を拭きキツク締め上げて上手を取らせないようにした
逸話もある。ほんの僅かでも相手有利の状況を作ることは即敗北を意味するからだ。
2人の対決の最後期には、TVのアナウンサーは輪島に対し「先輩横綱の意地」という
表現を用いるようになる。
北の湖の方が格上であることを暗に認める表現である。
北の湖は大相撲史上屈指の大横綱であった。とはいえ、最後の一つ前の対戦で輪島が
北の湖に勝って見せたことや、最終通算対戦成績では輪島の方が上回っていることなどを
考えると、やはり輪島も並の横綱ではない。
四つ相撲を得意とする正統派の強い横綱による極上の名対決であったと言えよう。
838輪島−北の湖:2007/05/24(木) 11:10:56
「定型の大勝負」とでも言おうか。立ってすぐ左四つに組み、胸を合わせよう
とする北の湖と、それを避けようとする輪島との攻め合いが見ものだった。
いつも同じ形で、それでいて内容のある大相撲となるのだから、やはり両横綱は
並ではない。
がっぷりではないが、四つ相撲の醍醐味が存分に味わえた好勝負である。
839若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/05/24(木) 12:34:56
今の朝青龍時代と千代独走時代とかぶる。
でも、違うのが次世代の若手のコマが少なすぎること。
840待った名無しさん:2007/05/24(木) 20:50:14
輪島ってもし、48九州場所で貴乃花戦で右手をケガしなければ……

連勝記録は、どこまで延ばせたと思いますか?まぁ49初場所、初日、二日目と連敗は除いて…
841待った名無しさん:2007/05/24(木) 21:51:11
>>838
これは評論家さんのサイトの文だね。
842待った名無しさん:2007/05/24(木) 23:38:47
>>840
その場所は確実に全勝優勝していただろうから、
二場所連続全勝優勝で30連勝はしていたはず。

ただ、彼の性格上それが裏目に出てテングになり、
しかも国民的な輪島人気の爆発のために
年の瀬にはオチャラケテレビのゲストやタニマチとのお座敷が目白押しで、
結局、翌49年初場所は稽古不足のメロメロ状態だっただろう。

よって、やはり初日に心境著しい北の湖に負けて連勝は30で途切れていたと見る。

彼は、この大怪我のために相撲スタイルを変え、後にあの独特の型を確立した。
昭和51年以降の「輪島後期」の7回の優勝は、この型の賜物であった。

すなわち、あの大怪我がなかったら、
翌49年には絶対的稽古量の不足と、相手にパターンを研究されたことで伸び悩み、
次の50年には旧失速して、
結局優勝7回程度の中堅横綱に終わっていたのではないだろうか?

昭和48年九州場所12日目の貴ノ花との取組は
良い意味で輪島の相撲人生の一大転機となった一番だと思う。
843待った名無しさん:2007/05/25(金) 10:31:41
>>842
俺もリアルタイムで見た。
本当に当時は”江川・輪島・ハイセイコー”というくらい国民的人気だった。
13日目北の冨士の外掛けに敗れ27連勝でストップし、14日目から休場したが、
黒姫山が不戦勝の勝ち名乗りを受け、結びの北の富士ー琴櫻戦の仕切り最中に
館内の一部のファンが帰り支度を始めたのがテレビで映し出されたのを覚えている。
横綱同士の対戦なのに、輪島の出ない相撲は見たくないと・・・。
それくらい当時の輪島は人気があった。
844待った名無しさん:2007/05/25(金) 10:40:04
>>843
作新学院の怪物江川も高校時代は“江川・輪島・ハイセイコー”というくらい人気があったが、
昭和54年に巨人に入団したときは“江川・ピーマン・北の湖”というくらい不人気だったなw
845待った名無しさん:2007/05/25(金) 10:54:39
若三杉が待ったして土俵下へ転落したのって三重ノ海戦だったっけ??
846待った名無しさん:2007/05/25(金) 11:28:58
>>845
土俵下へ転落じゃなく、土俵上での尻モチじゃないかな?
それなら昭和53年夏場所11日目の三重ノ海戦だよ。
この日は母校の大鰐中学3年生が修学旅行で国技館に見物に来ていた。
立ち合い若三杉が待ったをしたら、三重ノ海が突っかけて両肩をポンと押した。
すると若三杉は尻モチをついた。
このあと、三重ノ海が起こそうとすると若三杉は怒った顔をして手を払って拒否した。
相撲は三重ノ海がもろ差しになり、若三杉は両廻しが取れず一方的に吊り出されて負けた。
若三杉は後輩の前で尻モチをついたうえ負けて恥をかいたわけだが、取組終了後訪問に
訪れた後輩の前で、「今日は負けてゴメン。でも、このあと頑張って絶対横綱になるから」と
笑顔で言ったのを、その日の夜のNHKニュースで放送されたので覚えている。
847待った名無しさん:2007/05/25(金) 13:51:43
>>846
若三杉は滅法気が強いね。

昭和51年九州場所12日目の麒麟児戦でも、
あの機関銃のような突っ張りを何十連発ももろに浴びた末に土俵下に吹っ飛ばされて負けた後、
麒麟児の差し伸べた手をムキになって思いっきり払いのけていた。

露鵬が同じことをすると「審判部長注意」だが、
若三杉がやると「中々元気があってよろしい」ということになるのだから、
日本人でかつ色男は得だね。
848待った名無しさん:2007/05/25(金) 18:04:02
ソース若三杉のCMはS52年頃だっけ?
妙にあのCMソングが耳に残ってるな〜
849待った名無しさん:2007/05/25(金) 19:37:29
>>848
そう。大関に昇進した頃だった。
有力タニマチがキ○コーマンの創業者(茂○家)だったから、
そこのCMにはよく出ていた。

対照的に、魁傑はヤ○サ醤油だった。
「ワシも、差し身はいいって言われてるからなあ…」と
無理やり言わされている刺し身しょうゆのCMが悲惨だった。
850待った名無しさん:2007/05/25(金) 20:28:21
>>837
>輪島は、自らに追いつき追い越していく強敵に対し常にギリギリの戦いを挑んでいた。
廻しに霧を拭きキツク締め上げて上手を取らせないようにした
逸話もある。

輪島はユルフンでしたよ。武双山みたいな。
硬くまわしを締めるのは北の湖のほうじゃないですか?
851待った名無しさん:2007/05/25(金) 20:53:55
>>850
ゴメン、この文はあるサイトからコピーしたもの。
俺もリアルタイムで輪島を見たが、確かに廻しのゆるいことで有名だったねw
一瞬、この文を載せるのをためらった。
でも、この文を書いた人は相当相撲に詳しい方のようなので、そのまま載せた。
輪島が北の湖戦だけに廻しをキツク締めたのかな?とも思った。
まあ、各人の想像に任したい。
ちなみにコピーしたサイトはここ。
http://www.dslender.com/kaiko/wajikita.html
852845:2007/05/25(金) 21:55:17
>>846
スマソスマソ、尻モチだったんだね。
冷静に考えれば待ったで突き飛ばされて土俵下転落はさすがに無さそうだ。
三重ノ海がスカイブルーの廻しだった時代は、ある意味で激しかった。
横綱昇進直前だったか、対玉輝山戦の張り手(往復ビンタ)が凄かったな。
853851:2007/05/25(金) 22:13:55
>>850
名前を入れ替えるのを忘れた。
851は835〜838を掲載した本人です。
854待った名無しさん:2007/05/25(金) 22:38:41
廻しをキツく締めたとか若三杉の話が出たので思い出した。
846の言う昭和53年夏場所は若三杉の綱取りの場所だった。
11日目三重ノ海に負けて1敗となった若三杉は12日目千代の富士、13日目輪島を破り
14日目全勝の北の湖と対戦した。
取組前、向正面のアナウンサーが『仕度部屋で若三杉は廻しを一回巻くごとに霧を拭き
キツク締め上げていました、北の湖に絶対上手を取らせない作戦でしょう』とリポートした。
その後の展開は下記の通り。
若三杉(上手投げ)北の湖
バッタリ左四つに組んだが、若三杉は北の湖の上手を切り、自身は上手側に体を寄せた。
北の湖が右から攻めて出ようとしたが若三杉は寄り返した。土俵中央で数呼吸の後、
若三杉が仕掛けて寄り立てた。北の湖は赤房に詰まって無茶な左下手投げ、若三杉は
揺らいだが、右で上手投げを打つと北の湖は土俵に転落し、両者 1敗の相星となった。
1分の熱戦を制して横綱に大きく前進した若三杉だったが、相手に上手をやるまいとして
廻しを大いにきつく締めたせいもあり、肋骨を骨折した。
855待った名無しさん:2007/05/25(金) 22:47:34
>>848
そのころ「ソウル若三杉」って唄もなかったっけ?
本名と生年月日を歌詞にされている歌w
856待った名無しさん:2007/05/25(金) 22:54:09
若乃花は北の湖戦に関してはキツく締めてたよな。
対戦前の支度部屋レポートでその模様がよく報告されてた。
もっとも80年代半ば以降の千代の富士の異常なキツフンには及ばないが。
あちらは堅く締めてるというか強力な接着剤でも付けてるような感じだった。
若乃花は上手切るのが上手くて北の湖のわき腹に
手を押し当てて引っ剥がす感じだったが
千代の富士のは腰を軽く振るだけで簡単に切れてた。
857本割三重ノ海・決定戦輪島:2007/05/25(金) 23:46:14
>>855
♪わっかみすぅぎぃ
♪うっわってなげぇ
858待った名無しさん:2007/05/26(土) 09:46:01
三重ノ海と言えば綱とりの場所の初日に栃赤城の「さかとったり」を食らったことが有名だが、
その翌場所にその栃赤城を「とったり」でしとめたのは、少々意地になっていたのかなぁ?
859待った名無しさん:2007/05/26(土) 11:03:08
>>858
当時の栃赤城は三重だけでなく輪若も手こずっていた。
突っ張り、押し、四つに組みとめて横向きにさせても小手投げ、とったりありで
土俵際に追い込まれても異常な粘りで逆転していた。
気性の荒い三重ノ海も負けじと動いてとっさに「とったり」が出たんだと思う。
でも翌年の55年春場所、栃赤城は大関取り失敗、三重ノ海は24連勝でストップした
ことを境に、二人ともその後はパッとしなかったな。
860待った名無しさん:2007/05/26(土) 21:07:47
白鵬横綱昇進?

朝青龍や白鵬強い?全然そうは感じない…

日本の力士が、弱すぎる!
861待った名無しさん:2007/05/26(土) 22:59:18
>>859
まさに指摘の55年春場所、2日目の千代×三重が大きな転機となったな。
862待った名無しさん:2007/05/27(日) 01:02:39
優勝の可能性のなくなった後のあきらめの速さは
輪島からドルジに引き継がれてるな。
863若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/05/27(日) 01:39:20
>>859

意表をつくのがうまかった。
半身になっていやらしい相撲をするかと思えば、立会いから一気に突っ張っる相撲。
若乃花は一気に押し出されたこともあった。いつか忘れたけど。
正攻法でも業師でもどちらでもいけた。

若乃花ももう少し富士桜に強かったなら、イメージは変わったかもしれないのに惜しい。
土俵際の逆転も多くて、ちょっと歯がゆかった。
864待った名無しさん:2007/05/27(日) 01:43:18
>>863
> 若乃花は一気に押し出されたこともあった。いつか忘れたけど。

昭和54年九州の初日だね。
865待った名無しさん:2007/05/27(日) 09:08:36
>>862
今場所は特にそんな希ガス
866待った名無しさん:2007/05/27(日) 13:26:41
>>858
その次の場所にはとったりで敗れてるというw
867待った名無しさん:2007/05/27(日) 13:34:26
若乃花をとったりで破ったこともあったからなw
古今とったり逆とったりの技術で彼に勝る力士は出てないように思う。
868待った名無しさん:2007/05/27(日) 13:43:29
>>867
とったりなら旭國もいるぜ
869待った名無しさん:2007/05/27(日) 17:06:13
ひっかけなら双津竜
870待った名無しさん:2007/05/27(日) 17:37:11
今日の結びはここ最近では最高の熱戦だったね
でも輪湖若戦であれくらいは毎場所当たり前
もっと輪をかけたよう大相撲がいくらでもあったんだよな
今日の観客の沸き方観てもいかにつまらん相撲ばっかりだったかが解るよ
871若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/05/28(月) 21:18:35
>>864
どうも。また、引っ掛けてくるだろうと思った矢先のあの相撲、完全に意表つかれた。

栃赤城のとったりや逆とったりは、半身で腕をわざとにたぐらせるような仕掛けが
あったと思う。


872待った名無しさん :2007/05/29(火) 11:50:40
栃赤城は異能力士だったな。
よく当時の相撲放送で”珍しい決まり手”の特集があると必ず栃赤城が入っていた。
それを見て師匠である春日野理事長が『こんな特集に毎回出てくるようじゃいかん』と
笑いながら言っていたみたいだw
873待った名無しさん:2007/05/29(火) 23:51:19
輪島×朝汐ってあまり話題にならないけど・・・
874待った名無しさん:2007/05/29(火) 23:59:08
いまにして思えば栃赤城の逆とったりは柔道の立ち技からの脇固めの応用じゃないかなと思う。

昔、斉藤仁が韓国の選手にひじを壊された技。
875待った名無しさん :2007/05/30(水) 09:23:50
>>873
輪島×朝汐は相撲に関してはこれといった思い出はないな。
でも、朝汐は輪島を尊敬していた発言をしている。
51年に長岡がアマ横綱になったとき、インタビューで『好きな相撲取は誰ですか?』の問いに
『今は輪島ですかね』と言った(子供のときは元横綱玉の海だったと他の雑誌で話している)
あと、55年名古屋で初めて輪島に勝ったとき『輪島さんは俺ら学生相撲出身者にとって英雄だ。
この気持ちは学生相撲出身者でないとわからない』と言っていた。
876待った名無しさん:2007/05/30(水) 11:31:39
確かに朝汐が学生出身の輪島を崇拝するというのはありそうな話だね
877待った名無しさん:2007/05/30(水) 18:39:06
朝汐はアマチュア時代のタイトル獲得数は上でもプロとしての実績は結局足元にも及ばなかったからな
まあ学生出身力士にとって輪島は今でも英雄的存在だと思う
878待った名無しさん:2007/05/30(水) 20:14:26
>>875-877
学生相撲出身者で大相撲の横綱にまでなった者は
未だに輪島一人だけだからな。しかも彼の昇進後34年間も出ていない。
そして、もう二度と出ないんじゃないかと言われているほどだ。ゴメンヨ→( ̄↓ ̄)

その理由はあちこちで議論し尽くされているけど、
それだけ輪島が超越した存在であったことは事実。
学生相撲出身者にネ申のごとく崇拝されても無理はない。
879待った名無しさん:2007/05/30(水) 20:17:35
旭富士(ry
880878:2007/05/30(水) 20:38:07
>>879
スマン! 正しくは学生相撲出身で「幕下付出し」の力士だな。
881待った名無しさん:2007/05/30(水) 21:43:18
北の湖が朝汐に苦戦したのと対照的に、輪島は現役最晩年ながら朝汐を
上手く捌いていた気がする。確か最後の勝利も朝汐じゃなかったっけ?
882待った名無しさん:2007/05/30(水) 22:41:10
>>881
その通り。
56年春場所初日に押し出しで勝っている。
その翌日に琴風に負けて引退した。
対戦成績も輪島6ー2朝汐で、まあ嫌な相手ではなかったね。
883待った名無しさん:2007/05/31(木) 00:04:50
ぶつかり稽古みたいな感じで朝汐をあっさり放り投げた場所もあったような希ガス

ところで“朝汐”ってちゃんと辞書登録しておかないと出ないんだね…
884待った名無しさん:2007/05/31(木) 00:15:23
朝汐にとって輪島は「雲の上の人」という感じだったからね
怖いもの知らずで北の湖にも向かっていった朝汐でも
とても敵わないという意識が輪島にはあったのかも知れないな
885待った名無しさん:2007/05/31(木) 01:34:06
朝汐や豊山にはここ一番って勝負どころに弱いアマチュアっぽさがあったが輪島は大一番にはめっぽう強かった
学士力士でありながらプロ中のプロといえよう
886待った名無しさん:2007/05/31(木) 02:24:46
当時から北出アナや解説の玉の海さんが、
「輪島の最大の武器はここ一番の集中力」と指摘していたね。
ほんと、「集中力の人」だった。

今思えば、集中力だけでは慢性的な稽古不足をカバーし切れなくなったのが、
昭和53年以降の「晩期」だね。
887待った名無しさん:2007/05/31(木) 02:29:53
今の白鵬と53年頃の北の湖が戦ったらどうなるだろう
北の湖は前捌きも上手かったから左四つの持ちこみそうだけどな
右四つがっぷりになれば白鵬に勝機ありって感じかな
888待った名無しさん:2007/05/31(木) 10:08:34
>>887
右四つでもガップリだと北の湖は朝青龍より20キロ近く重いだけに苦戦しそう。
やはりこの前の夏場所のように上手を切っての投げが有効だと思う。
白鵬は今後ガップリで吊りをマスターすれば、もっと相撲の幅が広がり強くなると思う。
889待った名無しさん:2007/05/31(木) 10:48:04
>>873
>輪島×朝汐
昭和55年2月の大相撲トーナメントで初対決してるんだよね。
ちなみにそのトーナメントでは貴ノ花×若乃花もベスト8で当たってる。
890待った名無しさん:2007/06/01(金) 00:46:29
>>889
昭和54年2月の大相撲トーナメントだよ。
朝汐が翌春場所の前頭筆頭に上がり、横綱・大関初挑戦する前に
このトーナメントで当たった。
輪島が勝ったけど、決まり手は記憶にない。
貴ノ花は若乃花をもろ差しからう出しに破ったのは覚えている。
決勝は三重ノ海ー貴ノ花で三重ノ海が優勝した。
891待った名無しさん:2007/06/01(金) 00:48:04
青葉山は、「横綱に一番も勝てずに引退するのは残念」と言ったそうだが、
これも当時の輪湖の強さを表しているだろうね。
892890:2007/06/01(金) 00:49:56
↑6行目
“貴ノ花は若乃花をもろ差しから吊り出しに破ったのは〜”に修正。
893待った名無しさん:2007/06/01(金) 00:50:56
昭和54年2月の大相撲トーナメントは朝汐が活躍、890氏が言うように
本場所よりも前に横綱大関と当たり、大関旭國には勝った。
ところが本場所での朝汐×旭國ってないんだよね。
なんと朝汐の不戦勝が1回だけ…
意外だった。
894待った名無しさん:2007/06/01(金) 01:04:42
朝汐が上位初挑戦で不戦勝貰った場所から数場所負け越しが続いて
番付を落としているうちに旭國が引退してしまったからね。
下位で大勝ちしたとき貴ノ花とは当たったが旭國とは当たらなかった。
895待った名無しさん:2007/06/01(金) 01:22:07
旭國の現役最後の相撲が54年秋7日目の三重ノ海戦だったね。
あのとき、三重ノ海が新横綱の場所で3勝3敗と苦しんで7日目旭國と対戦し、
下手投げで勝ってから快進撃が始まり、結局11勝4敗で乗り切った。
その後、翌九州、55年初と連覇した。
まさに、二人にとって明暗を分けた一番となった。
896待った名無しさん:2007/06/01(金) 01:54:11
旭國生涯最高の場所=14勝1敗を記録した52年秋は不運としかいいようがない
いよいよ無敵ぶりが垣間見えてきた北の湖が全勝したからね
貴ノ花も魁傑も優勝してるのに一回も出来なかった
897待った名無しさん:2007/06/01(金) 02:11:42
旭國が決定戦に出たこともあるけど、
輪島に負けたからね。
輪湖の両者に優勝を阻まれたことになるね。
898待った名無しさん:2007/06/01(金) 03:01:07
>>860
北の湖の全盛期は今の朝青龍や白鵬よりも大関以下と力の差があったことは
確か。圧倒的過ぎて相撲にならなかったから。
ちなみに当時北の湖と戦って最も相撲らしい相撲になったのは
ライバル最有力が若乃花に移った後でもやはり輪島だった。
899待った名無しさん:2007/06/01(金) 10:43:02
そうかなぁ?
900待った名無しさん:2007/06/01(金) 20:50:45
旭国か…なんで若乃花にはあれだけ強かったんだろう。
対戦成績で1つ勝ち越してるはず。三重の海にもほぼ互角。
でも貴ノ花や輪湖には分が悪かったね。
とくに北の湖には引退まで何連敗していたことか。
901待った名無しさん:2007/06/01(金) 21:54:43
あのころの綱対決は
立会い同時にガップリ左四つ
毎回大相撲展開していた
これぞ大相撲と毎場所感動していた
千代の富士辺りから立会い一気の相撲になって興ざめしてきた
902待った名無しさん:2007/06/01(金) 22:45:02
貴ノ花の話題がないな
やっぱり彼は人気だけの大関だったのか・・・
903待った名無しさん:2007/06/01(金) 23:27:17
あれだけファンに愛された力士はいないよ。
904待った名無しさん:2007/06/01(金) 23:35:58
>>902
貴ノ花は52年春に13勝して、夏に10勝した。
この夏に若三杉が13勝で初優勝して綱の期待がかかった。
一部のマスコミでは貴乃花が優勝して、若三杉が準優勝すれば二子山部屋の二人が
同時昇進か?と騒がれた。
場所前、二人で出羽一門の連合稽古にも参加し、北の湖と申し合いもした。
結果は北の湖の圧勝だったようだ。
結局、次の名古屋は若三杉9勝6敗、貴ノ花8勝7敗に終わり夢に終わった。
貴ノ花にとってはあれが最後のチャンスだった。
でも、仮に横綱になっても若乃花Vみたいになったのではないか?
やはり、実力がないと情け容赦なく負け続けるからねえ。
体重もホント増えなかったな。
905待った名無しさん:2007/06/02(土) 00:13:08
>>904
あの昭和52年は横綱二人と大関ではかなり力の差があった。
若三杉も輪島に春〜九州まで5連敗、北の湖にも2勝4敗で分が悪かった。
俺は貴ノ花に関しては2回優勝した昭和50年より、大関になる前、大鵬、北の富士を相手に
脅威の粘り腰を見せたり、輪島と水入りの相撲を取った昭和45〜47年頃の方が印象が強い。
あまりの凄い足腰の強さに解説の玉ノ海さんが「命のこもった下半身」と言ったほどだ。
906待った名無しさん:2007/06/02(土) 00:17:37
貴ノ花亡くなって2年経つね
最初知った時はマジで泣いた
当時ファンという訳でもなかったんだが
やはり自分が一番熱心に観ていた頃の象徴だからかな
二子山親方時代には場所後の打ち上げに
輪島を招待してるという話を聞いて凄く嬉しかった
輪島が角界から追放された時どんな気持ちだったんだろうか
907待った名無しさん:2007/06/02(土) 00:36:52
>>906
確かに人気は凄かったね。
貴ノ花が呼び上げられて土俵に上がると物凄い歓声だったw
あの頃は貴ノ花、輪島、若三杉、魁傑と人気の阿佐ヶ谷勢といわれたw
その中でも貴ノ花が一番根強い人気があった。
908待った名無しさん:2007/06/02(土) 00:53:59
あの人気は図抜けていたよ。
909待った名無しさん:2007/06/02(土) 01:15:29
>>905
貴ノ花
「大関になった時には私はすでにボロボロだった」
910待った名無しさん:2007/06/02(土) 04:23:20
輪島VS北の湖はいつも楽しく見ていた。
あのころ前頭の下のほうでわしゅう山といい勝負だった千代の富士も忘れられない。
細くて弱そうだった。
911待った名無しさん:2007/06/02(土) 16:01:45
>>910
輪湖全盛期の千代の富士は、
追い込まれると柔道みたいな大技を繰り出しては自滅していたね。
体重も関取唯一の二ケタ台だった。

ただ、平幕・十両時代とも女性と子供の応援だけは凄かった。
時代は少し下るが、十両取組での維新力に対する異様な声援と似ていた。
やはり「判官びいき」があったんだろうね。

千代の富士は、新入幕わずか一場所で十両落ちしてから
強引な大技による脱臼のため幕下まで落ちていた時期もあった。
元横綱でこんなキャリアを持っているのは彼だけだろう。

30年前の「相撲」誌で「十両ぬるま湯クラブ」的な特集があり、
いつまでも「十両棟内エレベーター状態」の力士が叱咤激励されていたのだが、
その中に何と千代の富士の名も含まれていたのだった。

ちなみに、彼とともにやり玉に挙げられていたのは
やはり当時「十両の主」だった龍門・蜂矢・安達(のちの蔵玉錦)の面々であった。
記事は、彼ら4人を評して「十両四天王」と呼んでいた。
もちろん皮肉たっぷりのホメ殺しである。

率直に言って、そんな千代の富士が後に「国民栄誉賞横綱」にまでなろうとは
当時は誰一人として思っていなかったのである。
912待った名無しさん:2007/06/02(土) 16:12:26
>>812
大鵬晩年と登り調子の貴乃花(ある意味最盛期)が互角なら、
大鵬の最盛期はいかほどだったのかと思いを馳せています。
>>826
まあ千代の富士はがっぷりで魅せる相撲ではなかったですね。
前褌を引いたら一直線に。 良く知らないが柏戸に近いのでしょうか?

ハワイ勢あたりが全盛の頃は思いっきり大味な相撲が幅を利かせていたような
気がします。 最近モンゴル勢によって、ましな相撲に戻りつつ有ると思って
いますが、その辺りはどうでしょうか?

どなたか教えてください。
913待った名無しさん:2007/06/02(土) 17:25:00
先場所千秋楽結びの様な相撲が毎場所観たいという期待も込めて
白鵬の昇進で久々にじっくり観ようかとは思う
不知火型のジンクスを破って欲しいというのもある
914待った名無しさん:2007/06/02(土) 21:26:38
>>912
相撲の醍醐味を「互いの力と技を競う」要素に求めるならば、
夏場所千秋楽の白鵬−朝青龍なんかは堪能できたのではないかと。
昭和30年代ならあの引きつけあいのさ中に二枚蹴りが入ってただろうけどw
やっぱり千代の富士独走以後、相手の力を封じてナンボの相撲が
ずっと続いていたように思うので、白鵬のような力士を見られるのは嬉しい。
915若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/03(日) 02:02:59
蔵間の講演で、相撲は自己主張のぶつかり合いと言っていたのを思い出した。
確かに攻め疲れを待って勝つというのも、最近では全く見ない。

>>904
初日北瀬海に押し倒しか突き倒し(忘れた)かで倒されて負けたとき、
また今回もだめかと思ったらやっぱりだめだったと言う記憶がある。
綱がかかると、相当硬くなるんだなあと。

この頃は上位安泰ってあんまり聞かなかったなあ。
しかも、52-3以降大関候補はいても挑戦した場所も少なかった。
(玉ノ富士・荒勢ぐらいかな)
916待った名無しさん:2007/06/03(日) 11:40:12
プロ野球・・・人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグ
大相撲・・・・人気の貴ノ花、実力の北の湖
917待った名無しさん:2007/06/03(日) 11:43:36
>>916
当時の貴ノ花ー北の湖戦はその象徴だったなw
918待った名無しさん:2007/06/03(日) 11:51:11
北の湖36-10貴ノ花だったけど、北の湖が横綱昇進後は32-4だからね。
横綱―大関の対戦成績とはとてもじゃないが言えない。
919待った名無しさん:2007/06/03(日) 11:56:34
>>915
荒勢が大関盗りと言われたときの成績
昭和52年 7月 東小結  8勝 7敗
昭和52年 9月 東関脇 11勝 4敗 技
これで12勝すれば大関も・・・と言われた。(結局8勝 7敗)

玉ノ富士も似たような成績あり。
昭和52年11月 西前 2  8勝 7敗
昭和53年 1月 西小結 11勝 4敗 敢
昭和53年 3月 東関脇  8勝 7敗
でも別に大関盗りとは言われなかったように思う。
920待った名無しさん:2007/06/03(日) 12:29:15
北の湖からしたら貴ノ花ほど安心して取れた上位陣もいないんじゃないかな?
立会い変化は無いし左の相四つ、しかも出し投げとか横の揺さぶりも無く
ひたすら引き付けての正攻法だからね。力は強かったものの如何せん
70`の体重差で圧倒してたね。
921待った名無しさん:2007/06/03(日) 18:51:22
>>918
その北の湖横綱昇進後の貴ノ花の4勝のうち2勝は立ち合い変化して勝っている。
S52年初とS55年秋だ。
実はこの2勝が輪島と若乃花Uの優勝への援護射撃になった。
S52年初14日目、北の湖がカチ上げてくるところを立ち合い変化して、残すところを押し出した。
北の湖は2敗となり輪島と並び、千秋楽2敗同士の相星決戦で負けた。
S55年秋13日目、立ち合い右に変化して上手を取り、北の湖に全然廻しを与えず寄り切った。
北の湖は3敗となり、1敗で走る若乃花Uと2差になり優勝争いから後退した。
まあ、この立ち合いの変化も毎場所立ち合い変化せず思い切ってぶつかっているからこそ
北の湖は意表を突かれ見事成功したということだけどね。
922待った名無しさん:2007/06/03(日) 19:14:20
>>921
その貴ノ花の立ち合いの変化覚えている。
北の湖に何回負けても『俺は正攻法で行く』と言っていたが、変化したねw
でも変化でもしなければ当時の貴ノ花の力じゃどうすることもできなかった。
923待った名無しさん:2007/06/03(日) 19:53:53
貴ノ花は輪島にもかなり分が悪くなっていったけど毎場所熱戦にはなってたよな。
今じゃ先ず見れない吊り合いもこの二人の時は定番だったし。
だが北の湖には毎場所のように蹂躙されてたな。
924待った名無しさん:2007/06/03(日) 20:56:16
昭和54年版の「大相撲大百科」では、
貴ノ花が北の湖に勝つのは立会いの変化あるのみ、と書かれていたw
925待った名無しさん:2007/06/03(日) 20:59:25
プロ野球・・・人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグ
大相撲・・・・人気の増健、八百の濱錦
926待った名無しさん:2007/06/03(日) 21:00:50
平成15年版の「大相撲大百科」では、
増健が濱錦に勝つのは5万円以上の支払いを約束あるのみ、と書かれていたw
927待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:05:57
>>924
おお、「大相撲大百科」!懐かしいw
俺も持っていたが手帳サイズながら結構分厚い、初心者から通もうならせる
(?)内容だったと思う(俺はまだ小学生のガキだったがw)

貴ノ花の対北の湖の欄は「立会いの変化か食い下がりか」だったと
記憶しているが。
ちなみに輪湖の欄は「がっぷりよつなら地力は逆転」だったと思う。
928待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:27:21
ここではがっぷりの相撲を評価する声が多いようだが輪島が貴乃花や武蔵丸と
がっぷりになったら正直厳しい。輪島の体では貴乃花や武蔵丸相手には寄り切ること
なぞできない。北の湖なら左四つである程度の勝負はできるだろうが
武蔵丸との体格差は厳しく寄り切るのは難しい。
929待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:34:14
輪湖時代に関しては評価する、ただその時代にはハワイ勢はいなかったという
事実は受け止めなくてはいけない。吊りに定評のある輪島だが貴乃花を
吊りだすことはできない、寄り切ることさえ厳しい。貴乃花を吊りだせないのだから
武蔵丸を吊りだせるわけがない。貴乃花と武蔵丸、曙あたりには通用しないというのは
否めない事実。貴ノ花に関してもハワイ勢と対戦したら2,3発どころか1発で
ふっとばされる、体重があまりにも軽すぎる。
930待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:35:45
高見山は?
931若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/03(日) 23:36:03
>>919

玉ノ富士は大関候補であって、大関挑戦した場所は特にない。
三役に定着していた時があって、大関候補といわれていた。
大関挑戦と言われたのは、増位山(成功)、朝汐(失敗)かな。

旭国引退後の場所ぐらいに、貴ノ花はカド番になって悲壮感があるとか言われてた。

>>921
勝ち方はともかく北の湖に勝てたのが感動した。
その数場所後に引退するとは思わなかった。逆に増位山のほうがいつ辞めるか
わからんかった。
932待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:37:20
当時はがっぷりで最強だったとしてもハワイ勢や貴乃花相手にがっぷりになれば
正直勝てない。当時の力士にはハワイ勢のような圧力を持つ力士が
いなかった。ハワイ勢がいたら輪島はたまに上位を倒して注目を
浴びる力士で終わっていたような気がしてならない。今でいう安美錦の
ような力士だろう。130キロの体では逃げ回る以外はハワイ勢には勝てない。
933待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:39:41
高見山に関しては小錦、曙、武蔵丸とは違いすぎる。旭鷲山と朝青龍、白鵬は
違うのと同じで比較にはならない。高見山の全てを上回っているのがその3人。
輪島は高見山に苦戦している、しかも圧力負けが多かった。その輪島がハワイ横綱に
勝てるはずがないというのがまともな意見だろう。
934待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:39:49
時代ごとに名選手、名力士っているんだと思うよ。
例えば沢村栄治が今の球界で10勝できなかったとしても
彼が創世期のプロ野球で超一流選手だったことに変わりない。
相撲も同じでそれぞれの時代がそれぞれの第一人者を
決めるのであって、他の時代の第一人者と比べることは
あまり意味がないと思うよ。
昭和50年代は北の湖が第一人者であり、
60年代は千代の富士が第一人者であって
平成は貴乃花、朝青龍だった。
それ以上でも以下でもないと思う。
935待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:39:57
千代の富士は小錦を途中からカモにしていましたが、何か?

失礼。ここは輪湖時代について語る場でした。
936待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:43:51
>>928

まぁ晩年は対若乃花さえ攻め切れなくてスタミナ切れしてたからガップリじゃ勝ち目は薄いだろうな。
でもそれがどうしたの?別にガップリの四つ相撲だけで輪湖時代を評価してるわけじゃないし。
色々な名脇役も居て今なんかよりも様々な攻防があったからこそ皆評価してるわけで。
937待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:46:54
>>936
いえ、この方は以下↓のような誘導をされて、ここに迷い込んできてしまったのです。
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1178998033/875

このスレは本当に相撲が大好きな方ばかりで、すごくいいスレですね。
938待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:47:08
今の時代は正直評価していない、曙貴丸時代には名脇役も多く非常に
見ごたえがある相撲が多かった。曙と貴乃花の相撲、貴乃花と武蔵丸の
相撲にかつてなかった攻防があり余りのレベルの高さに呆然とする
好角家も多かった。
939若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/03(日) 23:48:31
>>929

晩年であるが、北の湖と小錦・北尾が実現。
小錦には一発でもっていかれ、北尾には寄りきれず投げられてしまった。
大型力士との戦いはまともにはできないかもしれない。

しかし、高見山に北の湖は動きで翻弄していたり、がっぷりで転がすのもあった。
高見山は充分な四つにはなってないけど
940待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:49:47
千代の富士は小錦を正面から寄り切ったりしてたのか?
ハワイ勢を正面から攻めることのできる力士は存在しない、貴乃花は
あくまでも例外。貴乃花の場合は自らの命と引き換えに地獄の釜の上を
常に歩く覚悟で臨んでいた、毎日が命のやり取りでそれだけの覚悟があったから
こそハワイ勢に対抗できた。千代の富士は基本的に圧力をかわすことで
小錦に勝っていただけ、貴乃花とはとても同列に語れない。
941待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:51:22
>>939
北の湖は「輪湖時代」限定で語ってあげないとさすがにかわいそう。
942待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:51:24
>>931
あと55年春の栃赤城も大関挑戦と言われていたな
(2ケタで昇進と場所前の記事→6-9で失敗)
本当に若三杉・魁傑の同時大関昇進以降は大関にチャレンジする力士すら少なかった
943待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:51:47
なんかおかしなのが紛れてきたけどスルーしときましょ。
944若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/03(日) 23:53:02
輪湖時代の千代の富士と小錦が対戦したら、肩を脱白していただろうね。

この時代の良さは、トップだけではなく脇役の充実していた時代。
その脇役にいかに取りこぼさないのか重要だった。
苦手力士を乗り越えれば最終決戦みたいな感じだったし。
945待った名無しさん:2007/06/03(日) 23:53:48
輪島と北の湖は輪湖時代では最強の力士、それでいいだろう。曙貴丸時代では
通用しない、それは周知の事実。それは曙貴丸時代が高レベルであり
強豪が揃っていたのであり輪島や北の湖が弱いわけではない、実際朝青龍や
白鵬には通用しそうだしな。
946若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/03(日) 23:58:51
>>942
栃赤城もありましたね。平幕で10勝だったために場合によってはというような
記憶だったと思います。
でも、ここがピークで足首とかおかしくなって残念な結果に。
入れ替わるように隆の里と千代の富士が一気に出てきた。
947待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:04:55
輪湖時代をリアルタイムで経験されている方に伺いたいのですが、
隆の里や千代の富士は現役力士で例えると、どの程度の期待度だったのですか?

私が知っている中で大関以上になった力士のうち、霧島を除く全員が
少なくとも幕下時代から末は大関、横綱という大器とみなされていたように感じるのですが、
隆の里や千代の富士もそんな感じだったのでしょうか?

途中まで苦しんでいた両力士が何かきっかけをつかんで、一気に強くなった(霧島型)
ようにも見えるのですが、輪湖時代の両力士についての感想をお願いします。
948947:2007/06/04(月) 00:06:27
ちなみに私がリアルタイムで知っている
大関昇進は若島津が最初、
横綱昇進は隆の里が最初です。
949若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2007/06/04(月) 00:13:23
隆の里
応援するようになったのは昭和56年頃
それまでは、攻めが遅いし技もなかった。そこまで期待されてなかったような
気がする。大関・横綱と当たっても、期待をしてなかった。
(またがっぷりなられて負けるんでしょという目で見てた)
950待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:19:42
>>947
あなたの言う通り、二人とも「化けた」タイプ。

隆の里は昔から稽古場横綱と言われていて、地力は認められていたのだが、
立ち合いの踏み込みの甘さと腰高と糖尿病のため、三役は勤まっても大関以上は・・・と見られていた。

千代の富士は根性・度胸と運動神経の良さでは20歳で入幕した頃から注目されていた。
だが軽量とやたらに振り回したがる雑な相撲と脱臼癖のおかげで「いいものは持っているけど過度の期待は禁物」っていう扱われ方だったな。

面白いことに二人とも本格的なブレイクは昭和55年名古屋場所と見事に一致している。
951待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:20:10
>>947
>途中まで苦しんでいた両力士が何かきっかけをつかんで、一気に強くなった

それでFAだと思うけど千代に関していえば54年3月の播竜山戦で右肩までも脱臼したことが
小さい身体に見合わない相撲を改める、
つまり上位に昇っていく決定的なターニング・ポイントだったんじゃないかと。
それまでは派手に投げたり吊ったりして人気はあったけどとても上位に上がっていく器ではなかった。

隆の里も平幕中位をウロウロしてて糖尿で体重も増えず
こちらも大関候補として期待されては居なかったと思う。
でもその糖尿を克服して行く過程でウェイト・トレを取り入れ
身体も逞しくなり千代の天敵ということからきっかけを掴んでいった印象かな。
952待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:31:35
>>947
隆の里は若いときから稽古場では滅法強いと言われていたよ。
若乃花Uが昭和53年横綱になったとき『俺のライバルは今でも隆の里だ』と言っていた。
本場所では北の湖、輪島にカモにされていたので、この言葉信じられなかったけどw
あと昭和55年ごろ大相撲ダイジェストに旭国が来たとき、『隆の里は右四つになったら
メチャクチャ強い、横綱並みだ』とも言っていた。
千代の富士に関しては北の湖の述懐を週刊誌で読んだことがあるけど、若い下のころは
「とにかく足腰のバネが抜群でしぶとい」という印象だったそうだ。
北の湖が千代の富士のことを力をつけてきたな感じたのは昭和56年夏の相星決戦からだそうだ。
千代の富士初優勝のときはそれほど強いとは感じなかったと平成4年1月放送のNHKBSの特番で言っていた。
953947:2007/06/04(月) 00:36:42
>>949-952
さすがに皆様、詳しいですね。
こういう印象というものは、リアルタイムで見ていないと分からないものなので、ありがたいです。
お礼は早めにと思ったので、ここでレスを入れますが、
まだ何かイメージの湧く情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
レスをお待ちしております。
954待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:44:56
隆の里は一緒に入門して早々と出世した
一つ年下の若乃花が衰えるのと相反して
どんどん力を付けていった印象。
若乃花が輪湖のライバルだったのに対し
隆の里は千代の富士のライバルだね。
955待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:47:00
>>952
確かに隆の里の若い頃は本場所の相撲はぎこちなかったね。
俺も若乃花Uの言葉は聞いたことあるが、同期生で入門して自分だけが出世して情けで言っているのかと思った。
見る側にとって951さんが言っているように千代の富士キラーとして頭角を現してきた56年頃から注目され出した。
筋トレで凄い筋肉を付け、体重も150kgを超えてガップリ四つで千代の富士を再三苦しめたからね。
隆の里が衰えたあと、北天佑が千代の富士の対抗馬になると思ったけど、期待外れで千代の富士の独走になった。
956待った名無しさん:2007/06/04(月) 00:59:55
今は全然言われないけど、58年名古屋〜59年初まで千代の富士と隆の里は
4場所連続千秋楽結びで相星決戦をやった。
向坂アナウンサーが「千隆時代と言いましょうか、千代隆時代と言いましょうか」
と言ったのを思い出すw
957待った名無しさん:2007/06/04(月) 01:06:11
北若時代同様幻ですな。
でも隆の里の左上手、右で差し手を返すという型は完璧だったね。
もの凄い怪力で右は廻しを引かなくても相手を吊り上げることも出来た。
958待った名無しさん:2007/06/04(月) 01:07:05
ガキの頃に必死で見てたけど、前後の文脈もわからないまま食い入るように
見てたこの時代はおれにとって宝。

北の湖は気の毒だな、ゲストが来るたびに稀に負けた相撲ばかり放映されて。
同時代で見てるからこそ、「あの北の湖が〜」って物語として印象深いわけ
で。
959待った名無しさん:2007/06/04(月) 03:40:47
確かに、あの時代は北の湖にたった一回勝ったことが勲章だっただろうからね。
大徹が初めて向正面に座ったときに、
「思い出の一番は?」と聞かれて、千代の富士に勝った一番を挙げたとき、
時代が変わった(そういう力士が親方になる時代になった)のを感じた。
960待った名無しさん:2007/06/04(月) 18:17:05
千代の富士ー隆の里戦は立合いが勝負だった。
隆の里が頭を下げ左前ミツを取った場合、殆ど隆の里の勝ちだった。
例え途中で上手を切られても、身体を密着して取り吊り上げた。
逆に隆の里が頭を上げ左に大きく上手を取りに行くと千代の富士に懐に飛び込まれ、
左前ミツを引き付けられ、上手も下手も取れないで一方的に負けていた。
このパターンは57年九州場所から最後の対戦の60年名古屋場所まで続いた。
961待った名無しさん:2007/06/04(月) 19:15:22
>>957
59年初場所、千代の富士(2敗)ー隆の里(2敗)の相星決戦。、
隆の里は立ち合い頭から当たり左上手を浅く取り、右も差して充分、
千代の富士に廻しを与えない。千代の富士は左から何とかおっつけ、
上手を手を掛けようとしたその瞬間、隆の里は上手一本、下手は
引かずにグイと吊り上げ高々と正面に吊り出して圧勝した。

勝った隆の里の談話「先場所負けたので何としても雪辱したかった。」
負けた千代の富士の談話「凄い怪力だ。さすがポパイだね(完敗して苦笑い)」
962待った名無しさん:2007/06/05(火) 00:52:09
いつまでが輪湖時代?
例のテキストだと昭和55年九州場所になっている
いわゆるウルフフィーバーの直前で輪島最後の優勝
963待った名無しさん:2007/06/05(火) 01:07:59
三杉磯も一回だけ北の湖に勝ったな
あと飛騨乃花なんかも確かそう
964待った名無しさん:2007/06/05(火) 01:24:39
北の湖に一回だけ勝った力士
龍虎(49.9) 大峩(50.7) 三杉磯(54.9) 蔵玉錦(56.9) 飛騨乃花(56.11)
若の富士(57.5) 騏ノ嵐(57.9) 陣岳(59.9) 小錦(59.11) 北尾(59.11) 多賀竜(60.1)

参考
板井(不戦勝のみ1, 59.9)
965待った名無しさん:2007/06/05(火) 08:57:40
>>962
昭和55年九州場所の輪島優勝は北の湖の援護射撃が大きカター
966待った名無しさん:2007/06/05(火) 09:14:14
>>965
昭和55年九州場所千秋楽
優勝決定の一番(輪島14回目の優勝を北の湖がプレゼント)
輪島(押し倒し)貴ノ花
決定戦もあり得るということで期待が持たれた結びまでの 2番の相撲。
まずは輪島の登場。
貴ノ花は突っ張って右へ飛んだ。
輪島は鋭い踏み込みで対処、貴ノ花の動きについていき右筈左挟みつけで
行司溜まりに吹っ飛ばす圧勝である。
北の湖(寄り切り)若乃花
一方、若乃花は北の湖と対戦、左四つで若乃花が右上手投げを打つと北の湖が
残して上手を取る。但しこれは一重。
暫し動かず、北の湖が寄ると若乃花は下手投げで堪えて動きが止まる。
さらに北の湖が向正面に寄れば若乃花は下手投げで応酬したが、この瞬間北の湖は
一重だった上手を取り直して充分。
若乃花は遂に起きてしまった。
北の湖は胸を合わせて正面に寄り進み、寄り切った。
若乃花は死闘に敗れ 2敗、輪島の優勝が決まった。
967待った名無しさん:2007/06/05(火) 17:42:45
>>966
当時輪島ファンだった俺は北の湖の援護射撃が嬉しかった。
輪島は当時下位の力士には滅法強く安定感があったが、横綱陣に弱く、
三重ノ海に8連敗、北の湖に5連敗、若乃花に5連敗だった。
北の湖には13日目勝って連敗を止めたが、14日目若乃花戦は同じパターンで負けた。
千秋楽、この日の輪島の気合は凄まじく、仮に決定戦があっても勝ったと思うが、
一抹の不安があったので、本割で北の湖が勝ったときは彼に本当に感謝したよw
968待った名無しさん:2007/06/05(火) 23:31:06
このスレも1000に近くなったので、ここで話題に載っていない増位山太志郎について
昭和42年初場所初土俵で、北の湖と同期生。三保ヶ関部屋。父も元大関増位山大志郎。
昭和54年11月関脇で11勝4敗、翌55年初場所12勝3敗で大関に昇進、本人いわく
「最初で最後」のワンチャンスを見事ものにして、史上初の親子大関が実現した。
しかし大関昇進後は、終盤まで優勝を争う大きな活躍は一度もなく最高の成績でも
10勝止まりに終わり、大関在位わずか7場所で引退。
得意は右で廻しを取って引きづるような上手投げ・左右の内掛け・内無双・肩透かしを
始めとする多彩な技を繰り出した。
多彩な趣味の持主で絵は二科展入選の常連、レコードも数枚リリースし、ヒット作の
「そんな夕子にほれました」は130万枚の大ヒットを記録した。
969待った名無しさん:2007/06/05(火) 23:39:28
増位山といえば伝家の宝刀内掛けだなw
あと相撲より歌が上手かったこと
「そんな女のひとりごと〜♪」
輪島と若乃花Uにはなかなか勝てなかったな
970待った名無しさん:2007/06/05(火) 23:45:20
この人こそ、最弱大関の最たる存在だと思うね。
輪湖時代の汚点とも言える。
971待った名無しさん:2007/06/05(火) 23:56:41
輪湖も曙貴も横綱のレベルはともに高いけど、
大関のレベルは曙貴>輪湖であるのは確かだね。
972待った名無しさん:2007/06/06(水) 00:02:06
輪島の晩年は結構増位山にひっくり返されてなかったっけ?
あと三重の海昇進後1年余りの4横綱時代も直接対決で殆ど勝てなくなってしまった
973待った名無しさん:2007/06/06(水) 00:05:31
北の湖が横綱になってしばらく使ってた化粧まわしは
師匠の先代増位山が横綱になったら巻こうとしていたものなんだよね
974待った名無しさん:2007/06/06(水) 00:34:40
>>972
輪島と増位山は28ー7で輪島が断然勝ち越しているが、晩年のS55年に増位山が3勝している。
特に55年初の外掛けと秋の内掛けは、それまで食っていなかったのに食ってしまったw
輪島は増位山戦は自ら右四つに行き、吊り上げて勝つのが多かった。
特に50年秋から54年九州まで17連勝してカモにしていた。
975待った名無しさん:2007/06/06(水) 00:45:28
輪島が一番多く吊り出しで勝った力士が多分増位山。
次が貴ノ花かな。
976待った名無しさん:2007/06/06(水) 01:14:56
この時代は吊り出しってけっこう多かったよね。
ちなみに例示の増位山は良く吊られていたような希ガス。
今は吊られて両足バタバタさせるシーンなんて全然見なくなった…
977待った名無しさん:2007/06/06(水) 01:45:57
つり出しといえば、蜂矢
978待った名無しさん:2007/06/06(水) 02:06:04
>>971
大関はともかく、
北の湖や輪島と電波や曙さんと一緒にしないでください
大迷惑です。
979待った名無しさん:2007/06/06(水) 09:35:54
増位山は若乃花Uにも3勝22敗と分が悪かった。
若三杉が大関になった昭和52年春から17連敗し、引退するまで勝てなかった。
つまり大関取りの55年初まで輪島、若乃花Uに共に17連敗していたわけだ。
増位山が引退のとき『印象に残っているのは55年初の輪島を外掛けで破った相撲』
と言っていたが、優勝もしていないし、これしか殊勲の星はないような気がする。
大鵬、北の冨士、輪島、北の湖と思い出の相撲が沢山ある貴ノ花とは段違いだな。
980待った名無しさん:2007/06/06(水) 09:47:35
あと、増位山は昭和52年の第1回大相撲トーナメントの1回戦で北の湖と当たっている。
左四つ増位山が上手を取り頭を付けて寄ったが、土俵際北の湖に右上手を取られ、
高々と吊り出された。地力の違いを感じたねw
北の湖とは同部屋だったが、二人は申し合いの稽古は殆どしなかったらしい。
当時の三保ヶ関親方も二人の性格や地力の違いを理解して、無理なことは言わなかったようだ。
981待った名無しさん:2007/06/06(水) 10:08:27
増位山といえば吊りのえじき。
上記にあるように輪島に吊られまくってたし
貴ノ花にも同様だった。
今思い返しても増位山が大関というのはピンとこないなぁ。
982待った名無しさん:2007/06/06(水) 10:22:12
非力で軽量の増位山が吊り出しの標的になってたのはしょうがないね
同じ軽量でも貴ノ花は力が強かったから吊ったり吊られたりしてたけど
増位山は前に出る圧力も弱かったしまさか大関になるとは思わなかったけど
内がけのキレは本物だったな。あと肩透かしや切り返しとかね
983待った名無しさん
増位山の弟子は肥後ノ海、濱ノ嶋、白之波、里山と技が切れる力士が多いのはそのせい?

しかし「吊りのえじき」と聞くと、アフリカで肉食獣のえじきになるレイヨウのことを思い浮かべて、可愛くなっちゃうね。