>>8 詳細。
子供の時から体格が大きく、大和小学校 3年生の時から剣道を習っていたが、
4年生で相撲を始めて中野区大会で 3位に入賞した。
相撲の稽古をする間に体格が大きくなって胴着が入らなくなったので
6年生から本格的に相撲を始めたが、
当時の中野区には子供向けの相撲道場が無かったので
月に 2〜 3回ほど藤島部屋へ稽古に通い、二子山部屋や出羽海部屋にも行った。
日本大学相撲部道場へも中野第四中学校 3年生の時まで稽古に通い、
ここで目を掛けてくれた人を慕って埼玉栄高校へ進学した。
卒業後は大学への進学を志していたが、
願書を提出に行った時に大相撲の話を聞かされて気が変わり、
叔父が関係者と親しく中学校卒業の時に勧誘されてもいた春日野部屋に入門した。
史上初の大学へ行かずに入門した高校横綱だった。
当初は順調に昇進して入門した年に早くも幕下に昇進したが、
平成 6年 9月前に受けた蓄膿症の手術で用いた麻酔の後遺症で
右半身が麻痺してしまい、一時は歩けない程で幕下で低迷したが
気を腐らせず鍼治療を続けて治した。
しかし10年に 2回の十枚目昇進を果たすも今度は負傷に見舞われて
何れも皆勤できず三段目に降下してしまったが、再起して入幕を果たした。
栃ノ巖の名は「負傷が多いので体が丈夫になるように」
との願いを込めて命名され、栃栄の名は出身高校に因んだ。
趣味は演劇鑑賞。