【業師】 栃 赤 城 【半身】

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480472:2007/05/19(土) 21:52:36
>>473
>>474
即レスありがとうございました。
栃赤城、惜しくも対戦がなかったのですね。了解です。
仮の話ですが、ケガする前の彼がもし若貴と当たったら
どんな相撲になったか、考えるとワクワクしますね。
481待った名無しさん:2007/05/19(土) 23:45:13
平成9年夏は少年相手に相撲を取り汗を流していた。
群馬テレビでのインタビューでは「第二の栃赤城関を目指してほしいですね」
の問いに笑顔で「そうですね、できれば」と答えていた。
482待った名無しさん:2007/05/22(火) 01:18:10
栃赤城名勝負集8

昭和55年初場所千秋楽 西関脇・栃赤城(寄り倒し)東関脇・増位山

立つやいなやノド輪で攻め立てる栃赤城に対し、
わずかに下がった増位山は左からいなし相手の体を泳がせた。
これを残した栃赤城は、右をこじ入れさらに増位山の右腕を
押さえつける格好で赤房下へ寄って出た。
土俵際で増位山は左上手を引きつけるも遅く、
栃赤城はかまわずに寄り立て、左で相手の右肩を押し上げると
増位山は腰から土俵下へ崩れ落ちた。


※既に12勝、大関昇進を決定的としていた増位山を一方的に攻め立て快勝。
この場所1横綱1大関を破り11勝、殊勲賞を3度目の獲得するとともに
上位で2場所合計21勝、翌春場所2ケタ勝てば大関昇進という記事が掲載されたのだが…
483待った名無しさん:2007/05/23(水) 01:17:53
幕に上がってきた頃、岩下との区別がつかんかった・・・・・
484待った名無しさん:2007/05/27(日) 03:11:07
栃赤城名勝負集9

昭和55年名古屋場所13日目 西(張出)前頭2・栃赤城(掬い投げ)西前頭2・千代の富士

栃赤城の両手突きを右へ回りかわした千代の富士は、左の上手を取り頭を付ける格好となった。
右半身となり粘る体勢となった栃赤城を、千代は上手から起こして出ようとしたが
右から下手投げを打たれなかなか決めに出られない。
1分を越える長い相撲となり、千代はじれたか両廻しを引き付け一気に攻め立てた。
西土俵に詰まりかけた栃赤城だがのぞかせていた右から思い切りのいい掬い投げを放つと、
千代は脳天から土俵外に飛び出し、一回転して土俵下へ転落した。

※栃赤城の数多い異能相撲の中でも強烈なインパクトを放つ一番。
春場所のケガでこの場所も休場を勧められる中での強行出場ながら、
1横綱1大関を倒し上位で見事10勝、敢闘賞を受賞し関脇返り咲きを決めた。
485待った名無しさん:2007/05/27(日) 09:11:30
>>483
岩下って照の山のことか
そう言ゃ両者とも故人だよな
486待った名無しさん:2007/05/30(水) 01:33:47
あの頃憎らしいほど強かった北の湖に対して、何かやってくれそう・・・という
期待を持たせてくれたな〜栃赤城。
あとこの人も何かやってくれそうオーラが出ていたけど、幕下より下のほうへ
行ってしまったんじゃなかったな〜 き(漢字出てこん)ノ嵐。
487待った名無しさん:2007/06/05(火) 01:31:07
栃赤城名勝負集10

昭和55年秋場所4日目 西関脇・栃赤城(押し出し)西前頭1・隆の里

名古屋場所四つ相撲に著しい伸展を見せた隆の里に対し、
両差しの良い体勢になりながら投げの打ち合いにより物言いが付く相撲で敗れた栃赤城は
この場所は立ち合いいつもの右半身の格好から両手押しで攻めた。
前日魁輝を突き合いの末破っている隆の里もこれに応戦し押し合いとなったが、
押しでは横綱若乃花らを一気に持っていったこともある栃赤城のほうが威力が勝り、
隆の里後退しながら叩きを見せた。
だがこれがまともすぎる叩きで、栃赤城はここぞとばかりに東土俵へ一気に押し込むと
腰の重い隆の里も何もできず土俵を飛び出した。

※隠れた会心の一番。
栃赤城は翌日の横綱・輪島戦で右足首を負傷し休場となるが、隆の里は最後まで
兄弟子・若乃花と優勝を争い1差での準優勝。結果的にあまりに痛い1敗となった。
488待った名無しさん:2007/06/08(金) 01:00:27
>>486
騏ノ嵐だな。彼はこれからという時にケガをしてしまったので栃赤城よりも悲惨だった。
三段目まで落ちてなんとか幕に復帰したものの往年の勢いはなく…
ケガした後十両に落ち、幕内へ復帰するため無理に出場してなければと思うと悔しい。
最後は休場続きで序二段まで落ちてたからなぁ。

調べてみたら幕内で騏ノ嵐と栃赤城は対戦したことがあったんだね。
489待った名無しさん:2007/06/08(金) 15:49:15
騏ノ嵐はこれから上位に定着する時だったから、本当に悔しかった。
場所前の一門の連合稽古で鳳凰との稽古で怪我をしたと記憶している。
十両に落ちた後無理に出場していなければ、もしかしたら三段目まで
落ちることもなかったかもしれない。

この時の怪我がなかったならば、三役に定着し1,2年後には大関に
なっていたと思う。
490待った名無しさん:2007/06/15(金) 01:58:46
栃赤城名勝負集11

昭和56年春場所初日 東前頭2・栃赤城(掬い投げ)東大関・千代の富士

栃赤城のケガによる休場があり4場所ぶりの対戦。
左から踏み込んだ千代の富士は、左上手を引きつける良い体勢となり黒房下へ出た。
その寄りに対し栃赤城は右から掬い投げを放つと、千代は上手投げを打ち返し残した。
だが、栃赤城はその瞬間再度掬い投げを敢行、
上体が傾いた千代は右手が土俵に付き栃赤城の勝ちとなった。

※先場所優勝、新大関の千代の富士に初日いきなり土を付ける殊勲の星。
千代とは幕内で15回の対戦があったが最終的に栃赤城が8勝7敗と勝ち越している。
491待った名無しさん:2007/06/24(日) 03:26:19 0
名古屋場所が終われば亡くなったあの日から10年が来るのか…。
もし今でも生きてたとしたら52歳なんだもんなぁ。つくづく早すぎたよ。
492待った名無しさん:2007/06/24(日) 23:58:08 0
早逝した力士はたくさんいるが、
これほどファンの追想を集めている力士は彼以外にはいない。

彼はついに大関にはなれなかったが、
並の大関など足元にも及ばない鮮烈な印象をファンの記憶に刻み付けてくれた。

泉下の彼は今無念に思っているかもしれないが、
ファンの立場からすれば、「あなたはプロとして大成功だったよ」と
言ってやりたいね。
493待った名無しさん:2007/07/08(日) 03:23:55 0
栃赤城名勝負集12

昭和56年春場所7日目 東前頭2・栃赤城(寄り切り)東横綱・北の湖

北の湖は立ち合い右から張り差しを狙い、黒房方向へ突き放しじわじわと栃赤城を後退させた。
土俵に詰まりかけた栃赤城は蹴たぐりを見せ相手を牽制させるも、かまわず北の湖は前へ出た。
栃赤城はこの攻めを右からの掬い投げで残すと、次の瞬間巻き替えに成功し両差しの絶好の体勢となった。
そのまま正面へがぶり寄りを見せると北の湖は強引な小手投げを打ったが、
これで完全に体が伸びてしまい土俵を割った。

※初顔から10連敗していた北の湖に11戦目で念願の初勝利。
この場所北の湖は優勝、準優勝の千代の富士も破り
2枚目で10勝を挙げた栃赤城は文句なしの殊勲賞を受賞した。
494待った名無しさん:2007/07/14(土) 02:35:24 0
「相撲」最新号の尾車・湊川・琴千歳・斎須による同期生トークのページで、彼の名前が出ていた
相撲教習所で四股を踏んでたら「中山(琴風)と金谷(栃赤城)来い」と呼ばれ、
「こんな四股踏んでたら絶対出世しない」と悪い例として挙げられたそうだ

初めて聞いたがなんとも栃赤城らしいエピソードではあるw
495待った名無しさん:2007/07/15(日) 23:01:16 0
斉須にとっての思い出の一番は、
新入幕の場所に栃赤城をすそ払いで倒した一番だと言うことです。
自分にとっては、麒麟児戦での大怪我、抱えられて退場の次に、
思い出したくない場面なんだが・・・。
栃赤城にとって、斉須はある意味一番苦手な相手だったかも。
496待った名無しさん:2007/07/17(火) 01:35:16 0
栃赤城の全盛期の苦手なタイプは、蔵間、黒瀬川、隆の里、出羽の花で
晩年では斉須や神幸など四つ身の型を持っている力士に苦戦した。
497待った名無しさん:2007/07/17(火) 01:44:45 0
>>495
斉須が足を飛ばして背中から土俵にひっくり返った相撲だな
調子が落ち始めていた時期の相撲といえ確かにあれは思い出したくない

斉須にとってはこれが新入幕の場所初白星だったので、
思い出の一番に挙げるのもわからなくはないが…
498待った名無しさん:2007/07/22(日) 21:09:17 0
昨日の朝赤龍ー稀勢の里での朝赤の上手投げからかわず掛けを見て、昭和55年
初場所の栃赤城ー千代の富士と同年春場所の同取組を思い出した。

前期は栃赤城が上手投げを切り返しで逆転したが後期は栃赤城の外掛けー切り返し
を掛け投げで千代の富士が逆転した。この時栃赤城は足をちょっと負傷し、後の
14日目の麒麟児戦での大怪我につながる。
499待った名無しさん:2007/07/31(火) 22:40:30 0
栃赤城名勝負集13

昭和56年春場所中日 東前頭2・栃赤城(ちょん掛け)西前頭1・蔵間

中に入ろうとした栃赤城に対し蔵間は左から突き放し中にもぐらせんと抵抗した。
だが栃赤城は相手の突きを払いのけ、右を差すことに成功する。
そして右が入った瞬間、右足を送り蔵間の右足に掛けると
きれいなちょん掛けが決まり蔵間は右手を付き横転した。

※奇手が決まった一番。栃赤城自身これまで幕内で裾払いは何度か決めていたが
ちょん掛けはこれが初めて(幕内ではこれ1度のみ)。
翌場所は小結・朝汐を外無双の奇手で沈めており、異能力士としての本領を発揮した。
500待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:03:02 0
名勝負集すごいですね。思い出します!
若くして亡くなった栃赤城関ですが、亡くなられた後お母様は、
「辛いけど、まさおには随分と楽しませてもらったから(力士として)」
とおっしゃってました。
名勝負12の北の湖戦は、決まった瞬間の写真を引き伸ばしたものを
新聞記者からもらったらしく、部屋に飾ってありましたね。
501待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:17:46 0
>>500
ありがとうございます。
その母親の話は初めて聞きました。テレビで放送されていたんですかね?

以前新聞の記事で読んだのですが実は栃赤城の兄も30代前半で早逝しており、
さらに栃赤城も42で亡くなってしまい母としては相当辛かったと思いますね…
502待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:25:14 0
>>501
栃赤城関と知り合いでしたので、直接お聞きしたのですよ。
そうなのです、お兄様は栃赤城関が確か現役中に亡くなったのでした。
引退後はお父様も亡くなり、追うようにご自身も亡くなりました。
お母様はさぞかし辛かったと思います。
503待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:38:30 0
>>502
そうでしたか。貴重なお話をありがとうございます。
引退後母とともに二人で実家の呉服店を経営しているのが
テレビや雑誌でも報道されていただけに、
自分より早く息子が亡くなってしまったということを思うと
どれだけ辛かったか想像を絶するものだと思います…
504待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:45:41 0
>>503
名勝負集を書かれておられる方ですか?
自分はあまりココには来ないのですが、朝青龍問題をのぞきに訪ねたら、
この栃赤城のスレを見つけて驚きました。
亡くなってこんなに月日が経っても、自分のことをこの様に
回想してくれる方がいらして、栃赤城関も幸せですね。
きっと喜んでいると思います!
505待った名無しさん:2007/07/31(火) 23:55:10 0
>>504
そうです。
今年に入ってからこのスレで栃赤城に関して書き込みが増えてきていたので、
現役時代を知ってる方はもちろん知らない方に栃赤城のことを知ってもらいたいのと、
自分自身も懐かしむ意味も込めて書き続けていたのですが、そう思っていただけると嬉しいです。

栃赤城が引退して以来、彼のような力士の誕生を期待しながら毎場所観戦していますが、
さすがに出てこないですね。そういう意味でも本当にオンリーワンな存在だったと感じます。
506待った名無しさん:2007/08/01(水) 00:04:10 0
>>505
久しぶりに栃赤城を知ってる方に会った気分で嬉しかったです。
金ちゃんと呼んでいましたが、本当に人柄もいい人でした。
久しぶりに取り組みのビデオを見てみたくなりました。

507待った名無しさん:2007/08/01(水) 11:13:46 0
彼が店主をしていた時にテレビ番組(「あの人は今」)で紹介されていた
沼田駅前商店街の金谷洋品店のことをネットで検索してみましたが
結局見つけられませんでした。

もうお母さんも80歳を超えられているでしょうし、
夫と息子二人に先立たれ、加えて近年の商店街衰退の波ももろに受けて
とうとう店を閉められたのかもしてませんね。
508待った名無しさん:2007/08/08(水) 01:42:48 0
高見山を二場所連続逆とったりで転がしていたことがあったな
昨今の土俵にはこういう異能力士が途絶えて久しい
509待った名無しさん:2007/08/12(日) 07:58:11 0
このスレ読んでると涙出てくるお
510待った名無しさん:2007/08/12(日) 14:45:40 0
十両に落ちてからの取組で、若獅子とのとったりと逆とったりの
攻防は見ていて面白かった。
511待った名無しさん:2007/08/18(土) 00:29:58 0
今日で亡くなってからちょうど10年か…早いもんだな。
当時あのニュースを聞いた時は嘘だろうと絶句したもんだ。
彼の名前と相撲は一生忘れることはないだろうな…合掌。
512待った名無しさん:2007/08/18(土) 00:54:28 0
ライバルだった北の湖理事長が苦戦しています。
どうか栃赤城、相撲を見守ってください。
513待った名無しさん:2007/08/18(土) 13:45:04 0
>>511
早いもんだね。もう10年か。
今日のように炎暑の日だった。

死因は心臓発作ということだったが、
こんな炎天下にゴルフをしていたのだから、
熱中症が発作のきっかけとなったのではないか?

それにしても42歳か…本当に早過ぎる。
514待った名無しさん:2007/08/29(水) 21:52:32 0
押し相撲ではないけれど、連勝、連敗が意外に多かったような印象がある。
彼のような力士は今後2度と出てこないと思う。
515待った名無しさん:2007/08/29(水) 21:55:21 0
この人はなぜか圧倒的に荒勢に強かったのを思い出す。
当たるたびにビデオテープで見るかのように右からの投げで倒していた。
対戦成績10−2ぐらいだったはず。荒勢が晩年近くなってからの対戦が多いとはいえ驚きだ。
516待った名無しさん:2007/09/03(月) 17:17:07 0
普段栃赤城に対し厳しいことを言っていた春日野理事長が、昭和55年初場所
千秋楽の増位山戦の取口を褒めていたことが印象に残っている。
正に圧勝という感じの内容だった。

特に最後は押し倒す様な、増位山に対する意地を見せた感じがした。
517待った名無しさん:2007/09/03(月) 21:00:05 0
結婚してなかったの?
ダシは年齢的に子供の年だね。
518待った名無しさん:2007/09/03(月) 21:01:36 0
>>516
逆に増位山は、この時の負け方の情けなさで引退の潮時を悟ったそうな。
裏返しで尻もちという体たらくだったからな。
519待った名無しさん:2007/09/13(木) 17:35:21 0
一時期起利錦・琴錦・琴稲妻・湊富士と一気に群馬出身幕内力士が誕生したが、
湊富士が引退してから関取すらいなくなってしまった。
今場所の番付では幕下50枚目の若堅固が最高位。群馬勢の復活に期待したい。
520待った名無しさん:2007/09/14(金) 22:56:51 O
当時の福田総理に激励されていたのを思い出した。群馬出身だったんですね。
521待った名無しさん:2007/09/14(金) 23:17:33 0
新入幕のとき群馬県65年ぶりの幕内力士誕生と話題になっていたな
正直ここまで活躍するとは思わなかった
522待った名無しさん:2007/09/16(日) 09:51:15 0
晩年、幕下上位での取り組みの仕切り最中、
解説の親方(黒姫山だったか?)「ひとまわり、ふたまわり・・・三まわりくらい
                細くなりましたか。」

全盛期をほとんど知らない俺(当時18歳)はこの言葉に驚いた。
たしか宮田(のちの竜興山)戦だったか。行司差し違えで栃赤城が勝った相撲か、
もしくは宮田の足を掃いながら寄り切った相撲か。今は昔のことになってしまって
記憶が定かでなくなってしまった。
523待った名無しさん:2007/09/16(日) 15:17:57 0
宮田とは5回対戦しているが勝ったのは1度だけなので
昭和63年九州場所12日目でしょうね

当時182p・123kgで全盛期より10kgほど体重が落ちており、
それ以上に体の張りがなく本当に細く見えたものだった…
524522:2007/09/17(月) 14:35:30 0
>>523
レスどうもです。確かに宮田に勝ったのは1度だけのようですね。
その宮田戦は栃赤城が簡単に押し出されたかに見えましたが栃赤城が土俵際回りこんだ
際、宮田の足の指が土俵の外にわずかに出ており物言いがつき、長い協議の結果ビデオ
判定で栃赤城に軍配が上がった相撲でした。

取り組み終了後、
解説「しぶといですね。」
アナ「サーカス相撲とよばれた粘りですね。」

というようなやりとりもあったのが懐かしく思います。
上記の「みまわり細くなった」の話は何場所か前の大岳戦だったかもしれません。
2勝3敗からの6番相撲で、勝って星を五分にもどした相撲だったように思います。

そのころの栃赤城の相撲はほんとに元気が無く、不調で十両から落ちてきたような
人からなんとか星をかせぐものの、これからどんどん強くなるような若手には刃が
たたないような印象で、頑張ってはいるものの十両に復帰できるような気配が感じ
られませんでした。
525待った名無しさん:2007/09/21(金) 08:55:05 0
栃赤城名勝負集14

昭和56年九州場所12日目 西前頭5・栃赤城(掬い投げ)東大関・琴風

得意の右半身で当たった栃赤城に対し、
琴風は左上手を取り一気に西土俵へ出た。
土俵際に詰まった栃赤城だが、その瞬間右から強烈な掬い投げを放った。
この投げで右足が流れる格好になった琴風は、
相手が土俵を割るよりも先に膝からバッタリと崩れる格好となり
栃赤城の逆転勝ちとなった。

※ここまで2敗で優勝争い2番手につけていた新大関を破る殊勲の星。
この場所は他に横綱・北の湖、関脇・大寿山、小結・北天佑ら
三役以上5人を破る活躍で敢闘賞を受賞した。
526待った名無しさん:2007/09/21(金) 11:14:51 0
幕内上位で元気な姿を見せたのも昭和56年九州場所だった。まさか翌年から
番付が急降下していくとは夢にも思わなかった。
527待った名無しさん:2007/09/21(金) 11:16:52 0
>>526
訂正 幕内上位で最後に元気な姿を見せたのは昭和56年九州場所。
528待った名無しさん:2007/09/21(金) 21:42:07 0
何しろ昭和57年は初場所筆頭で2−13を皮切りに、全6場所負け越しで十両落ちしちゃったんだよな。
いったい何がどうしちゃったのか、見ていてホントに歯がゆかった記憶があるよ。
529待った名無しさん
このスレの1です。
久しぶりに来てみたらまだスレが残っていて、いろんな人が思いを語っ
てくれいるので、感激。

>524
63年名古屋の大岳戦。何度も引きずる様な下手投げをうって、苦戦の末
星を五分に戻した相撲でしたね。あの場所7番相撲で勝ってたらなぁと
いう場所でした。