1 :
待った名無しさん:
定義としては、
A.十両1から3枚目が最高位
B.もしくは十両15場所以上。
Aのみ該当=ホープであったが怪我で挫折 例 栃泉、鶴嶺山、
、出羽ノ邦、朝ノシ寿、鶴ノ富士など
Bのみ該当=十両で精一杯 例、大竜など
A.B両方=チャンスを活かしきれず 例、維新力、花ノ藤、前進山
星タンゴ、須佐の湖、金親など。
間違いがあったらスマソ
2 :
待った名無しさん:02/08/26 16:03
3 :
待った名無しさん:02/08/26 16:32
白鬼 龍 ABとも該当
A 榛名富士
B 公地
5 :
待った名無しさん:02/08/26 20:42
かなり古いんですが、修羅王(二子山)って覚えてますか?
十両優勝もしました。
6 :
待った名無しさん:02/08/27 00:04
例の基準によると(昭和40年以降の新十両に限る)
若隼人 最高位3 在位27
朝乃濤 3 3
星安出寿 2 16
大岳 2 11
熊翁 5 15
前進山 2 37
出羽の邦 3 6
大竜 4 20
花ノ藤 筆 17
維新力 筆 20
栃泉 3 5
榛名富士 2 14
鶴嶺山 2 7
白鬼 龍 筆 47
松山 筆 19
翠竜 2 22
龍門 筆 18
7 :
待った名無しさん:02/08/27 00:04
春日洋 3 17
晃山 1 8
大寛 4 21
真鶴 筆 8
江戸響 筆 9
上潮 2 12
黒鷲 3 5
朝風 2 18
柏梁 3 24
安芸の国 9 15
現役での該当者
岩木山 筆 3
泉州山 2 ?
隆の鶴 3 ?
壽山 2 11
若東龍 3 ?
須佐の湖 2 18
星誕期 3 16
金親 2 24
尚、増健は該当しない。
8 :
待った名無しさん:02/08/27 00:06
>>1 鶴ノ富士は該当しない。
>>5 修羅王(二子山)は4枚目で在位は10場所
十両優勝しながら入幕出来ず、この表にも該当しない力士として
秀ノ花がいる。
幕内昇進のチャンスをつかみ損ねた力士としては、
龍門が一番ではないかと思う。そこで、龍門が十両
上位にあった6場所のうち、76年9月から77年
5月までの5場所の成績を見てみよう。76年7月、
3度目の十両復帰を果たした龍門は、東11枚目で
10勝を挙げて一気に番付を上げた。
9月 西2・7−8 ●●●●○●○●○○○○●●○
11月 西3・8−7 ○○○●●●○○○○○●●●●
1月 西2・8−7 ○●●○○○●●○●○○●○●
3月 西1・7−8 ●●○○○●●●○●○○●○●
5月 西2・7−8 ○●○○●○●○○●●●●○●
その後、77年7月は西3枚目で4−11に終わり、
9月は東12枚目で6−9。一気に幕下へ陥落し、
再度十両に返り咲くものの5枚目以内に上がることは
なく、最後は7場所連続休場で番付外まで落ちて廃業
するのである。
続いて、場所ごとの昇降について検証してみよう。
76年9月は、金剛(東11)と二子岳(東12・0−7)の
引退、天龍(東13・8−7)が場所後に廃業、琴ヶ嶽(西11・
5−10)大豪(東14・5−10)の陥落による5人の空きに
対し、安達(西1・10−5)琴乃富士(東3・9−6)若ノ海
(東4・10−5)隆ノ里(東5・9−6)舛田山(西6・9−6)
の5人を入幕させた。隆ノ里の昇進は幸運であり、舛田山は普通なら
昇進不可能な成績である(最近では安美錦の例がある)。
従って、龍門(西2)は勝ち越しさえすれば確実に入幕できた。
76年11月は、安達(東9・5−10)双津竜(西10・全休)
琴乃富士(東12・4−11)大鷲(東13・1−14)の陥落に、
琴風(東1・9−6)大ノ海(西1・9−6)大登(東4・10−5)
大豪(西4・11−4)を昇進させた。
龍門は、勝ち越しを決めてからの4連敗が痛い。特に、14日目に
西前頭13枚目で6−7の舛田山に敗れたのが大きい。ただ、十両
上位では東2枚目の琴ヶ嶽が8勝しているので微妙なところだ。
舛田山に勝って10勝すれば、龍門(西3)の入幕は濃厚だったろう。
11 :
待った名無しさん:02/08/27 14:55
77年1月は、大豪(東11・2−13)と引退した栃東(西13・
0−5)の2人分しか空きがなく、安達(東1・8−7)と琴ヶ嶽
(西1・10−5)が入幕した。安達は千秋楽に勝っての勝ち越しで
あり、もし負け越していたらどうだったか。ただ、西3枚目で9勝
した蔵間が翌3月場所では東筆頭になっているところを見ると、
龍門は4番手ということになる。いずれにしても、陥落者が少ない
ことは龍門には不運だった。
77年3月は、大受(東9・4−11) 大錦(西9・3−9−3)
玉輝山(西10・3−12) 安達(東13・5−10)の陥落に、
蔵間(東1・10−5) 琴乃富士(東3・14−1) 栃赤城(西3・
9−6) 大旺(西4・9−6)を昇進させた。
龍門にとっては、大旺(6日目)や不振の玉輝山(10日目)に
敗れた星が非常に痛い。あと1勝していれば、文句なく入幕できた。
77年5月は、琴乃富士(西9・5−6−4) 大ノ海(西11・
5−10) 千代櫻(東12・4−11)の3人が陥落。これに対し、
青葉山(東1・10−5) 岩下(東3・9−6) 大豪(東4・
9−6)の3人が入幕を決めた。
龍門は、幕内へのキップをかけて千秋楽に大豪と対戦して敗れた。
これに勝ってさえいれば、龍門は待ったなしで入幕できたわけで、
大変惜しまれる一番であった。
翌7月場所、龍門は初日から6連敗して4勝11敗に終わる。
以後、入幕のチャンスは龍門には訪れなかったのである。
12 :
待った名無しさん:02/08/27 20:02
大豪→大剛(弓取りをやっていた)では?
ところで、龍門は幕内の土俵で勝って懸賞金を取った
ことはあるんですか?
13 :
待った名無しさん:02/08/27 22:51
良スレの予感
14 :
待った名無しさん:02/08/27 22:57
護国山 絶対にあがれる実力あったはず。
ねぇよ。馬〜鹿!
16 :
待った名無しさん:02/08/28 06:51
十両どまりで終わった力士にも、中入り後の取組みを経験した
人は何人もいるよね。生涯の思い出の一番になったことだろう。
霧島と対戦した若隼人もそう言っていた。
17 :
待った名無しさん:02/08/28 22:21
やっぱり維新力が印象深いね〜
18 :
待った名無しさん:02/08/28 22:31
よ!維新力、イイ男!!
19 :
待った名無しさん:02/08/28 23:01
魄龍や翠竜はどう?
20 :
待った名無しさん:02/08/28 23:05
大鷹、玉麒麟、大富士、出羽ノ洲、卓越山
などは誰もが幕内に上がれると思ったはず。
あと豊富士、星安出寿、なども若い頃は期待されてたのに・・・。
21 :
待った名無しさん:02/08/28 23:07
まさかの幕内力士はやはり
貴ノ嶺
でしょう。
>>10 >龍門は、勝ち越しを決めてからの4連敗が痛い。特に、14日目に
>西前頭13枚目で6−7の舛田山に敗れたのが大きい。ただ、十両
>上位では東2枚目の琴ヶ嶽が8勝しているので微妙なところだ。
>舛田山に勝って10勝すれば、龍門(西3)の入幕は濃厚だったろう。
同じ出羽一門だからねー といってみるテスト
>>20 玉麒麟と卓越山は精神面でねえ…(玉麒麟のハート面は辞め方みてもわかるように
論外だが)
出羽の洲はねえ・・・最低三役と見る向きも多かったが若くして腰
やっちゃたのが致命傷か。
大富士も精神面(のんびりや)がやっと本気に成ったと思ったら
あの怪我が…
24 :
待った名無しさん:02/08/28 23:55
大富士はまだたけし軍団にいるの?
翠竜と三宅裕司のEXテレビ良かった。
25 :
待った名無しさん:02/08/31 21:14
漏れの世代で思い出されるのは大岳と前進山かな
26 :
待った名無しさん:02/08/31 21:37
27 :
待った名無しさん:02/09/01 17:55
白岩はどの程度だったっけ?
28 :
待った名無しさん:02/09/03 00:42
十両6枚目くらいだったかな?
昭和60年の日航機事故で伊勢ヶ浜親方夫人が亡くなった時に、
親方と若瀬川や斉須と4人で棺を持っていた記憶があるが……
29 :
待った名無しさん:02/09/05 19:43
若貴、曙がいたときの十両はほんとに面白かったな
みんな闘志剥き出しでぶつかっていって。
維新力が曙に勝ったのって知ってる?
30 :
待った名無しさん:02/09/08 00:50
あげとく
31 :
待った名無しさん:02/09/15 01:20
32 :
待った名無しさん:02/09/15 01:21
33 :
待った名無しさん:02/09/15 01:23
>>32 福岡県浮羽郡田主丸町どす。
芳昇が入幕せんやったとが残念やった。
34 :
増厨 ◆33HuFT0E :02/09/15 01:27
幕内昇進のチャンスをつかみ損ねた力士としては、
増健が一番ではないかと思う。そこで、増健が十両
上位にあった6場所のうち、76年9月から77年
5月までの5場所の成績を見てみよう。76年7月、
3度目の十両復帰を果たした龍門は、東11枚目で
10勝を挙げて一気に番付を上げた。
9月 西2・7−8 ●●●●○●○●○○○○●●○
11月 西3・8−7 ○○○●●●○○○○○●●●●
1月 西2・8−7 ○●●○○○●●○●○○●○●
3月 西1・7−8 ●●○○○●●●○●○○●○●
5月 西2・7−8 ○●○○●○●○○●●●●○●
その後、77年7月は西3枚目で4−11に終わり、
9月は東12枚目で6−9。一気に幕下へ陥落し、
再度十両に返り咲くものの5枚目以内に上がることは
なく、最後は7場所連続休場で番付外まで落ちて廃業
するのである。
35 :
待った名無しさん:02/09/15 01:30
>>33 芳昇なつかしかー。こまかとやったもんね。
おいどんは長崎でおりがいんとは筑紫野たい。
36 :
待った名無しさん:02/09/15 01:37
>>35 まさか、天下の二日市在住さんやなかろうね???
長崎といえばデブか出羽荒らしが好きやった。ばってん、デブかとは
やっぱ豊ノ海(福岡)やね。あと栃ノ藤(福岡)も好きやった。
古かとでいえば玄海鵬(福岡)現役では魁ノ若(福岡)もデブかねえ。
37 :
待った名無しさん:02/09/15 01:45
増 厨 も お 引 取 り 下 さ い
38 :
待った名無しさん:02/09/15 01:45
>>36 今は東京ばでてきちょって、長崎も福岡にもおらんけん、さみしかー。
出羽嵐は幕内ば上がらんかったとやろか。おいどんも好いちょった。
39 :
待った名無しさん:02/09/21 00:19
>>38
何場所かあがったばってん、すぐに十両を突き破って、幕下まで落ちた。
40 :
待った名無しさん:02/09/26 00:14
増 厨 も お 引 取 り 下 さ い
41 :
待った名無しさん:02/09/26 01:12
42 :
待った名無しさん:02/10/26 17:34
kkkkkkkkkkkkkkkkkkk
43 :
待った名無しさん:02/10/26 18:01
oooooooooo
44 :
待った名無しさん:02/10/27 23:28
45 :
待った名無しさん:02/10/31 03:36
綾の海金太郎
46 :
待った名無しさん:02/11/24 01:53
>>906 5011は荒手放置プレイコーナーにて茶ドルトと並んで展示されている。
5012は見あたらないです。
どちらもなぜ動かないかはわかりません。
>>918 あらためて見ると、イモも愛嬌のある顔しているなぁ・・・
47 :
待った名無しさん:02/11/25 19:55
剛堅 大二朗
翠竜
49 :
待った名無しさん:02/11/26 00:33
悲劇の人・龍門という気もするが、関取になり損ねたのではない
だけ、救いはある。
50 :
待った名無しさん:02/11/28 19:40
江戸響!苦労して十両になったのに・・・・。
51 :
待った名無しさん:02/11/28 19:41
きな、家の近ぐの吉野家さいったんず吉野家。
したっきゃ、なんだがさ人がっぱいで座らいねーんず。
んで、よぐ見だっきゃ垂れ幕さがってで、ふぇぐごんじゅえん引きって書いじゅーんず。
もうな、ほんずがと、バガがど。
ふぇぐごんじゅえん引きぐらいでいっつも来ね吉野家さくるなじゃよ、ほんずが。
ふぇぐごんじゅえんだよ ふぇぐごんじゅえん。
なんが家のやづみんなきちゅーし。
一家そろっで吉野家な おめでてーじゃ。
「とっちゃ、特盛り頼むじゃ」とかいっちゅーんず。 もう見でらいね。
おめ達や、ねぷた煎餅やるはんでその席空げろって。
吉野家ってのはもっと殺伐としちゅーべぎなんだね。
いづ Uの字カウンターさ向かい合っちゅーやづさやすめらいるがもわがんねー
やすめらいるがふんじゃまがいるが、、そった雰囲気がいいんでねーんずな。
かっちゃわらしだば家さ引っ込んでろ。
で、やっと座るにいいがと思ったっきゃ、となり奴が、つゆだぐけじゃ〜とか言っちゅーんず。
そごでまんだブヂ切れだべさ。
なーよ、つゆだぐだの今時流行らねんだいな、ほんずこの。
なにいい面してつゆだぐけじゃ〜、よ。
吉野家通のわぁがら言わさへりゃ今、吉野屋通での最新流行だっきゃやっぱし、
白、これだねな。
大盛り白ギョク。これが通の頼みがだや。
白ってば白飯だげ。そんかわり肉も汁もなんも入ってね。これや。
で、それさ大盛りギョク(玉子)。これ最強。
だばってこれとば頼むど次がら店員さ目とば付けらいる諸刃の剣。
素人さだっきゃ薦めらいねな。
まぁ、おめみてった素人だば、十万国でめぐねウニでも喰ってろってごったね。
52 :
待った名無しさん:02/11/28 21:43
江戸響は、1969年5月に東2枚目で8勝するも新入幕はならなかった。
この場所は、二子岳(東9・4-11) 朝嵐(東12・5-10) 禊鳳(西12・1-11-3)
若浪(東13・6-9)の4人の陥落に対し、栃勇(東1・9-6) 黒姫山(西2・9-6)
旭國(西5・11-4) 錦洋(西8・12-3)が入幕した。江戸響はあと1勝していれば、
または黒姫山が8勝止まりだったら新入幕は濃厚だったろう。あるいは、
前頭西6枚目で4-11の栃富士を陥落させてでも江戸響を入幕させることは
可能だったと思う。
江戸響にとって悲劇だったのは、東筆頭に据え置かれた翌7月場所である。
初日から3連勝と絶好のスタートを切りながら、4日目から休場してしまったのだ。
実に不運なことである。9月場所は東10枚目で1-14に終って幕下へ陥落。
1970年9月場所に十両に復帰するも1勝8敗から途中休場し、翌場所限りで
廃業している。
江戸響は十両昇進まで11年を要した。幕下に上がってから8年かかっている。
1966年1月(西6・6-1) 同年3月(西2・5-2) 1967年3月(東2・4-3)などは、
昇進しても決しておかしくない成績だ。昇進できたのは1968年7月である。
番付運に恵まれなかった力士といえるかもしれない。
53 :
待った名無しさん:02/11/28 21:46
>>52で追加しておくと、1967年3月の場合、番付削減の影響で
十両昇進はならなかった。巡り合わせが悪かったということなのだろうか。
維新力。
55 :
待った名無しさん:02/11/29 15:47
>52
今でこそ幕下に8年なんてザラだけど、あの当時は珍しかった。
竜虎の記録を超して、もう破られない記録になるだろうと江戸響が新十両に上がった場所の「相撲」に書かれていたよ。
56 :
過去を懐かしむ男:02/11/29 19:16
花ノ藤はたしか筆頭で勝ち越したけどなれなかったよね?
57 :
待った名無しさん:02/11/29 20:45
>>56さんが指摘する通り、花ノ藤は筆頭で勝ち越しながら入幕を
逸した力士である。
1988年9月場所、西筆頭の花ノ藤は8勝を挙げたものの入幕は
見送られた。この場所は、麒麟児(東13・0-2)が引退し、栃司
(西13・4-4-7)と騏乃嵐(東14・5-10)の陥落による3人の空きに対し、
佐賀昇(東1・8-7) 鳳凰(西2・10-5) 貴ノ浜(東5・11-4)が入幕した。
花ノ藤にとってツイてなかったのは、南海龍の廃業問題である。
酒の問題で親方ともめ、当時の高砂親方がその後亡くなった一件だ。
廃業届の提出が番付編成会議前であったなら、間違いなく花ノ藤は
新入幕を果たしたことであろう。
東筆頭へ回った翌11月場所の花ノ藤は5勝10敗に終わり、1990年7月に
ケガで休場。幕下へ落ちた翌9月限りで廃業している。
なお、花ノ藤は幕下付け出しながら、十両昇進まで6年半余(40場所)を
費やした。この記録は、現在でもトップである。
58 :
待った名無しさん:02/11/29 20:57
>>57に追加しておくと、9月場所中に問題を起こした南海龍の廃業届は
10月に提出されたので、11月場所は東前頭9枚目に名前だけ残っている。
59 :
待った名無しさん:02/11/29 21:10
昭和40年初場所から九州場所までの北椿が一番悲惨ではないでしょうか。
40年初 東十両5 10-5
40年3 東十両2 9-6
40年5 東十両1 8-7
40年夏 東十両1 8-7
40年秋 東十両1 7-8
40年11 西十両3 11-4
そして41年初場所も東十両筆頭に据え置かれ、その後4場所連続負け越しで
幕下に転落していった。
60 :
待った名無しさん:02/11/30 08:29
61 :
待った名無しさん:02/11/30 08:31
S40年夏場所の東十両筆頭は北ノ国(3-12)では
なかったかと小一時間
(^^)
63 :
投稿された内容はコピー、保存、引用、転載等される場合があります:03/01/14 00:28
フジのうみ
(^^)
増健
(^^;