1 :
待った名無しさん:
玉の海、神風両氏が亡くなって以降、相撲中継がつまらないと思っているのは
自分だけだろうか?
2 :
待った名無しさん:02/04/09 23:29
3 :
待った名無しさん:02/04/09 23:47
蔵前国技館時代の相撲を知っている人間なら、
殆どが1に同意だと思う。
玉の海梅吉は不世出の大解説者、神風正一は稀代の名解説者だ。
カツアキや舞の海など、聞く気にもならない。
4 :
待った名無しさん:02/04/09 23:52
漏れは出羽錦さん、緒方昇さんの世代だからほとんど耳にしたことがない。
一度ぜひ聞いてみたいものだ。
5 :
待った名無しさん:02/04/10 00:47
>>3 北の富士は玉ノ海や神風以上の内容があると思うよ。部分的には。
過去を美化するのは勝手だけど。
>>1 スレ立てるなら、しこ名くらい確認したほうがいいよ。
解説で名をなしたのは「玉ノ海」。
九州場所で優勝したのは「玉乃海」。
横綱になったのは「玉の海」。
そこまで解説を信奉するなら、ね。
6 :
待った名無しさん:02/04/10 00:49
神風さんの「徹頭徹尾」という言葉が懐かしいな。
7 :
待った名無しさん:02/04/10 00:54
>5
梅吉氏は解説者としては「玉の海」を名乗ったのですけど、何か?
それと、よりによって、北の富士の解説に内容があるとは…。
せめて八角にすればいいのに。
8 :
待った名無しさん:02/04/10 00:57
>1-3
全く、全く同意。懐かしくて、ちと目が潤んだ。
9 :
待った名無しさん:02/04/10 01:30
ヤオ臭い相撲を見ると黙ったりするのよね〜〜。
10 :
待った名無しさん:02/04/10 01:31
こういう気骨のある解説者、復活きぼ〜ん
11 :
待った名無しさん:02/04/10 06:51
同意。
神風氏は相撲に限らず、全スポーツ解説者の中でナンバーワン。
野球解説の教材にも使われたほど。
時津風理事長が、もう少し長生きしてたら八百長改革が出来たはず。
梅吉さんの遺言は、大鵬の八百長暴露だった。
13 :
待った名無しさん:02/04/10 12:21
そうですね。神風は、大相撲放送史上の大功労者としてだけでなく、全スポーツ放送史上
で語られるべき話芸の才能でした。
角界から身を引いていた師匠の玉の海をNHK専属解説者に、いわばごり押しで採用させた
のは神風でした。「玉の海さんを採用しないのなら、私はNHKを辞める」とまで言ってNHKを
困らせたのでした。玉の海の話芸の天才を見抜いていたのもまた神風でした。
14 :
待った名無しさん:02/04/10 18:11
漏れも
>>3の言うとおりだと思う。
ただ北の富士も舞の海も
時代が違うからけっこういい解説者になると思う。
漏れは好きだ。
親方兼業でないとこがいい。
厨房の頃、神風氏が元力士と知って大変驚きました。
16 :
待った名無しさん:02/04/10 19:03
『これが大相撲だ』(玉の海梅吉著)
『神風一代』(神風正一著)
ともに名著だ。
17 :
待った名無しさん:02/04/10 22:29
>>1-3
漏れも、同意!玉の海梅吉さん、神風正一さんの解説時代(昭和50年代前〜中期)
から相撲を見始めたから。味のある、歯切れの良い解説だったよね。
>>4 出羽錦さん、緒方昇さんの解説も悪くないと思うよ。
18 :
待った名無しさん:02/04/10 22:43
神風さんは著書の中で双葉山関は別格のような事を
書いてるね。やっぱり双葉関はすごいんだね。
いいねぇ。同意見の人がたくさんいるね。
ここに来てる人には[今更]な話だけども、神風さんは正面解説席にいながら
死角になっている(向正面側の)まわしを取った、取らないが見えてました。
「今、上手を引きましたね…」
まるで透視能力があるかのごとく。
玉の海さんと言えば辛口の解説でしたね。玉ノ富士、蔵間、栃赤城なんかは
酷評されてましたねぇ。でも厳しい言葉の中にも素質ある力士たちへの愛情を
感じました。
20 :
待った名無しさん:02/04/11 23:34
ageぼの
21 :
待った名無しさん:02/04/12 22:09
玉の海、神風両氏がもし今も健在なら現在の大相撲をどのようにみるだろうか。
大関の粗製濫造、休場者続出、さぞかし腹立たしい思いで見ているに違いない
と思う。
22 :
待った名無しさん:02/04/12 23:15
>>21 大関の粗製濫造は、玉の海・神風氏が現役だった頃とそんなに変わらないと思うよ。
前田山に至っては、優勝したわけでもないのに、小結から関脇飛び越して大関になったし。
年二場所時代だった事を差し引いても、今と変わらないと思う。
当の玉の海は小結で13勝、翌場所関脇で10勝したのに大関になれなかったのは、
小部屋のせいだと言われたくらいだから。
今なら、この成績ではもともと大関はムリでしょ。
23 :
待った名無しさん:02/04/13 00:32
>>19 >玉の海さんと言えば辛口の解説でしたね。玉ノ富士、蔵間、栃赤城なんかは
>酷評されてましたねぇ。
やはし巨砲の名前も挙げないわけにはいかないでせう。
24 :
待った名無しさん:02/04/13 00:33
前田山はその後横綱に、玉の海はその後全休続き
ま、妥当じゃないでしょうか。
25 :
待った名無しさん:02/04/13 01:59
そりゃあ年2場所だから仕方がない。
ところで安芸の島君、ひとつ、思い切って廃業してみない?
26 :
待った名無しさん:02/04/13 03:08
前田山は横綱の器じゃないぜ
27 :
待った名無しさん:02/04/13 07:04
28 :
待った名無しさん:02/04/13 08:21
>>26 すくなくとも横綱在位勝率が5割あることかな(藁
前田山は4割台です
29 :
待った名無しさん:02/04/13 08:52
前田山は入幕後、前12で7勝4敗、前5で9勝4敗、小結で11勝2敗。
入幕後たった3場所で大関。それもずば抜けた成績ではない。
年2場所時代を考慮しても、今の大関に負けないくらいの粗製濫造でしょ。
横綱になったからと言っても結果論。
その横綱にしても、直前3場所は5勝5敗、11勝2敗、9勝1敗で、優勝なし。
横綱昇進自体、粗製濫造。
また、年6場所時代でも、北の富士のように直前3場所で28勝で大関になれた時代よりも、
今の方が厳しいと思うが。
30 :
KANちゃん:02/04/13 11:00
玉の海さんは、「評伝・玉の海梅吉」の中で北の湖のことを強さ・品格の点で
史上最強の横綱と言っていたと書かれていたよ。
また玉の海さんは、数多くの名言を言っていたのは、有名な話だね。
魁傑が腰高でなかなか大関に上がれなくて、その欠点を評して「未解決な魁傑」
という言葉や貴ノ花の粘り腰を評して「腰の下にもう一つの生命がある」と
いった言葉が有名です。詩人としての才能もあったのではないかという意見も
あります。
その点神風さんも「玉の海さんのようなユーモアたっぷりの解説は、自分には
出来ない」と言っており、玉の海さんの言葉の才を認めていました。
31 :
待った名無しさん:02/04/13 22:16
>>28 っつうことは双葉黒も横綱の器ってことdすね。
32 :
待った名無しさん:02/04/13 22:25
↑双葉黒でなく双羽黒でした。失礼。
34 :
待った名無しさん:02/04/13 23:07
>>29 前田山の幕内通算勝率6割6分5厘。 大関在位約9年
少なくとも彼は粗製ではないかと思うが。
年6場所制以後、直前3場所で30勝以下で大関に昇進した力士は8人と記憶
しているがその内5人が横綱に昇進している。当時の協会の眼力は評価されていい。
35 :
待った名無しさん:02/04/13 23:42
>>23 巨砲を評して玉の海氏は「バケツの中でゴソゴソ動いてるようだ」←違ってたらごめんなさい。
なんと表現力の豊かな人だろう。
また、NHKの解説をやめる時に若嶋津を「彼は必ず横綱になります」と断言した。
残念ながら若嶋津は怪我のため挫折してしまったが、力士の体力的な素質だけでなく
精神面まで見抜く眼力は見事である。
36 :
KANちゃん:02/04/14 00:03
そういえば神風さんは、小錦のことを「大乃国以上の大物になる。」と
言っていたよ。ある意味で当たっていると思うよ。優勝回数では、大乃国
より多い3回だからね。また千代の富士についてもべた褒めしていたよ。
37 :
待った名無しさん:02/04/14 01:02
一度も優勝しなかった北尾だが、
綱を張るのは当時の情勢から問題ないように思っていた。
もちろん北尾は性格破綻者であって、
本当に問題だったのは
品格とか人格だったのだが。
でも親方の指導にも問題があったのだろう。
安念山の立浪、立浪部屋を継ぐには器が小さかったな。
38 :
待った名無しさん:02/04/14 01:23
>>34 前田山の大関在位約9年というのは大関になってからの結果論。
大関昇進時の粗製濫造とは別問題。
それを言うなら、横綱昇進後の勝率4割台はどういう事?
横綱なのに、勝より負けの方が多いんだよ。
横綱昇進当時の協会の眼力は?
また、同じ時代に大関に昇進した五ツ島の直前3場所は、
前2で9勝6敗、前1で11勝4敗、関脇で13勝2敗と、
やはり今では到底昇進できない星で大関になった結果、
いきなり2場所で大関陥落している。
これも当時の協会の眼力は、なかったという事になるんじゃないの?
昇進後の運命は十人十色。力士によってさまざま。
それを個々に取り上げて、相撲協会の眼力云々というのはナンセンス。
39 :
待った名無しさん:02/04/14 01:55
>>38 前田山の時代は今のような年六場所制の時代じゃないだろ。
当時は本場所以外に准本場所というのもあって、そこでの成績も
考慮に入れられていたんだから。
双葉山の連勝記録だって本場所に限っての話で、本場所での連勝中に
准本場所では玉錦に負けている。
40 :
待った名無しさん:02/04/14 02:13
>>39 準本場所は、給金直しはするが、番付は動かしません。
たとえ年2場所を考慮しても、甘い昇進には変わりない。
41 :
待った名無しさん:02/04/14 02:22
要は「粗製濫造」は今に限ったことじゃない、ってことでしょ?
スレ違いの話題で喧嘩しないでよお!
42 :
待った名無しさん:02/04/14 03:01
関脇玉ノ海梅吉(二所ノ関部屋、のち年寄二所ノ関ー廃業)勝率・583
関脇神風正一(二所ノ関のち年寄片男波ー廃業)勝率・541
43 :
待った名無しさん:02/04/14 03:01
技術論の神風
精神論の玉の海
44 :
待った名無しさん:02/04/14 03:06
玉の海のしゃべり方は、やや間のびしているという批評もあった。
45 :
待った名無しさん:02/04/14 05:41
46 :
待った名無しさん:02/04/14 07:11
>>38 ずいぶん前田山が嫌いなようですが、それはどうでも良いとして、
現在の大相撲にもの足りない印象をもっている人も少なくないと思う。
もう一度(21)のスレを読めば、わかると思うが今の大相撲の状況を
2人がどう思っているのかを考えたわけで、いちいち言葉尻をつかまえて
それにむきになって反応するのはいかがなものでしょう。
47 :
待った名無しさん:02/04/14 09:25
昭和52年ごろの『大相撲』を読み返していたら、
本場所の総評座談会の出席者が玉の海、神風、天竜らだった。
史上最強のメンバーだと思った。
北の湖は、何故あんなに慌てるのか
輪島は、横綱としての心構えに問題がある
三重ノ海は、下手な工作などせずに負けは負けと割り切れ
若三杉は、素質だけで取っている
なとなど、辛辣に批判されていた。
48 :
待った名無しさん:02/04/14 10:02
前田山が大関になれたのは大関が鏡岩一人だった為。
横綱になったといっても「粗暴の振る舞いある節、この免許を取り消す」
という条件付き。要するに運が良かっただけ。
だけど「粗暴の振る舞いある節、この免許を取り消す」というの、双羽黒
にも適用すべきだったんじゃないの?
いつのまにか「前田山は横綱にふさわしかったか?」スレになりつつあるな。
まあ東西制をやるとろくなことにならない(出羽一門が膨れすぎたからだが)
っていう典型だな
>>45 前田山の頃は吉田司家、今は横綱審議委員会に諮問して決まるが、
いづれの場合も、まずは相撲協会が諮問することを決めることが前提。
>>48 双羽黒の時は稲葉委員が反対したが、その理由は一度も天皇賜杯を受けていない力士を、
横綱にするのはどうかという理由で、彼の人格についてクレームをつけた訳ではなかった。
スレ違いなのでsage
51 :
待った名無しさん:02/04/14 12:49
戦後、二所ノ関部屋に内部騒動があって、当時の親方だった玉ノ海はつきあげを食って親方を辞める事態になった。
そのとき、玉ノ海を批判する立場にいたのが、神風だった。
後年、神風は「あの時は若かったせいもあり、親方に悪い事をしました」を語っている。
神風にNHK解説の依頼があった時に、玉の海を推薦したのは神風だったが、
神風の心中にあの一件があったのかは知らないと能見正比古著の「相撲部屋物語」に書かれてある。
52 :
KANちゃん:02/04/14 20:26
>>51 この話は、初めて知った。神風さんは、玉の海さんに対して畏敬の念を
示していたからこんな時もあったのかと驚いてしまった。
53 :
待った名無しさん:02/04/14 22:08
前田山云々はもういい。要するに見解の相違とゆうことで終わりにしましょう。
それでも続けるならきっと玉の海さんだったら「だ〜めだね〜」と言うかも、。
>51
神風さんも、借り株の片男波の件で、先代二所ノ関に追い出された。
55 :
待った名無しさん:02/04/14 22:49
いろんな意味で、二所一門は協会与党の出羽一門とは違うね。
56 :
待った名無しさん:02/04/15 06:43
玉錦が生きていたら2人共協会に残っていただろうか?
神風の著書にはそう書かれている。
もしそうなっていたら、解説者神風&玉の海は誕生しなかった。
57 :
待った名無しさん:02/04/15 13:16
神風は玉錦に心酔してたらしいから、協会に残っただろうと思う。
他方、『評伝・玉ノ海梅吉』によると、玉ノ海は玉錦の人間性に反感を持っていたらしいから、
残らなかったかも。
でも、神風の推薦がなければ玉ノ海は解説者にならなかっただろうから、
解説者・玉の海も誕生せず、武庫川の一市井人として生涯を終えていたかも。
58 :
待った名無しさん:02/04/15 19:06
玉ノ海は戦後、身に覚えのない戦犯容疑をかけられて、無罪となった。
この時の相撲協会の態度が「さわらぬ神にたたりなし」で、
何もしてくれなかった事が、相撲界に嫌気をさした原因の一つだった。
>57
玉錦のことを誉めあげる神風に対し玉ノ海は
「富士山も遠くから見てるから美しいんであって、
近くから見ると決して綺麗じゃない」
と言っていた。
60 :
KANちゃん:02/04/16 00:35
昭和55年あたりから神風さんは、病気がちになって解説の仕事を休む
ようになったことが残念に思う。確かテレビ放送の解説は、昭和60年
が、そしてラジオ放送は、昭和62年が最後になったね。
61 :
待った名無しさん:02/04/16 01:17
>59
玉ノ海は二所を継いで苦労したからなあ・・・。
力道山を育てた人でもある。報われなかったが。
62 :
待った名無しさん:02/04/16 10:28
もし玉の海が二所ノ関をずっと続けてたなら大鵬はどのように育てたろうか。
63 :
待った名無しさん:02/04/16 21:26
>>62 大鵬も、柏戸ばりの攻撃相撲になってたかもね。
それにしても、玉の海氏は大鵬を相当嫌っていたようだね。
64 :
待った名無しさん:02/04/16 21:56
大鵬は付け人を経験していなと聞いたが本当?
65 :
待った名無しさん:02/04/16 22:13
>>60 神風さんの晩年はテレビよりもラジオでの解説が多くなったように記憶している。
一時期病気で休んでいたせいもあるかもしれないが、復帰後は往年の切れ味の
良さが衰えていたように感じたが、解説者を引退したのは本人もそこのあたりは
自覚していたのかもしれない。
66 :
KANちゃん:02/04/16 22:29
>>63 昭和46年初場所の大鵬の逆転優勝した時に自分のまな弟子である
横綱・玉の海に八百長を働きかけたからじゃないかと思うけれど。
昭和63年の「週刊ポスト」で玉の海梅吉さんが死ぬ直前にこのことを
告白していたよ。
67 :
KANちゃん:02/04/16 22:48
昭和62年に発行された神風さんが著した「神風一代」を読むと彼の
各力士に対する評価が的確なのは、正直言って驚いてしまった。
さすが神風さんが名解説者と言われるだけのことがあると思った。
68 :
待った名無しさん:02/04/16 22:59
もし今、玉の海さんがご健在なら栃東をどう評価するだろうか。
横綱、大関を狙える素質のある力士には引き技などで勝っても
厳しい批評をされていたが、栃東も時折引き技を見せるのでやはり
厳しい内容のことを言われるのだろう。
皆さんはどう思われますか?
70 :
待った名無しさん:02/04/16 23:30
神風さんのテレビ最後の解説は昭和61年春場所13日目。
おっ、久しぶりの神風さん!と思った記憶がある。
ラジオでは昭和62年夏場所まで登場されていたようだ。
神風・玉の海さんが去ってからは、確かに解説に味わいがなくなった気がする。
71 :
KANちゃん:02/04/16 23:37
>>70 神風さんは、大阪在住だからNHKがその日をテレビ放送最後の解説を
セッティングしたのじゃないかと思うけれど。
なるほど、そうかもしれない。それにしても昭和28年の相撲中継草創期から、昭和62年まで、解説に携わるのは、空前絶後でしょうね。
73 :
待った名無しさん:02/04/17 00:50
自分も、おお久しぶりの神風だ!と思った記憶があるので、たぶん61年春場所だと思うが、
少し呂律が回らなくなっていたように思う。だいぶ痩せられていたし、往年の神風を知るもの
には、あの日の放送はちょっとショックだったのではないかな。
74 :
待った名無しさん:02/04/17 20:05
どうでもいいけど、玉ノ海の幕内通算141勝101敗 勝率0.583は
大関としても決して恥ずかしい成績ではないだろうな。
神風も5割超えているし。
勿論、あたる相手が違うと云われればそれまでなのだが。
75 :
KANちゃん:02/04/17 23:28
>>74 実際玉の海さんは、大関級の実力があったと言われているよ。
玉錦の死によって、若くして二枚鑑札になったのが痛かったね。
76 :
待った名無しさん:02/04/21 23:01
age
77 :
KANちゃん:02/04/22 00:01
NHKアーカイブスで玉の海梅吉さんが出た
「明るい農村」を放送してくれないかな。
78 :
待った名無しさん:02/04/22 00:20
昔NHKで「この人」という番組があったような覚えがある。違っていたらゴメン。
そこに玉の海氏がメインゲストとして出ていたことを記憶している。当時すでに
70代だったと思うが、番組のなかで股割りをいともたやすくやって見せた。
まるだ体操選手のようだった。また神風氏も後半にゲストとして出演し当時、親方
だった玉の海氏について司会者が稽古は厳しかったですかと質問すると例の歯切れの
良い口調で「厳しかったね〜」と話し、また戦時中に弟子の食料調達のため自分の
稽古の時間を割いてまであちこち駈けずり回った話しもしてくれた。
79 :
KANちゃん:02/04/22 00:47
>>78 玉の海さんは、弟子達に対して面倒見の良かった人だったのですね。
80 :
KANちゃん:02/04/22 23:12
ひょっとしたら玉の海さんは、角界の北大路魯山人じゃないかなと思う。
魯山人と共通なところは、頑固なところがあって、今ひとつ融通が利かな
くて彼のことを嫌っている人もいるし。また別の共通点としては、二人とも
芸術的才能に恵まれていて共に書道や陶芸が得意でした。玉の海さんの詩吟
の才能もなかなかなもので解説者時代に詩的感覚が随所に表れました。
81 :
待った名無しさん:02/04/23 20:51
相撲中継のなかで玉の海さんは盆栽も趣味だと言っておりました。
82 :
待った名無しさん:02/04/23 21:40
玉の海は力道山の自伝映画では強欲で根性の悪い親方ということになってるね。
83 :
KANちゃん:02/04/23 21:47
玉の海さんの自宅は、甲子園球場から近い所にあって、長崎県出身という
こともあって、高校野球の長崎県代表の高校の激励を頼まれていました。
そこで玉の海さんは、「甲子園が勝つことよりも負けても何かを得ること
のほうが重要だ。」と言っていたそうです。彼は、高校生に対して勝て
と言うのは、おかしいと本に書かれていました。
84 :
KANちゃん:02/04/23 22:14
>>82 玉の海さんは、かなり誤解されていたところがあるからね。
85 :
待った名無しさん:02/04/23 22:33
力道山は相当のワルだと思うけど、先代二所のおかみに言わせると「いろいろな事情が
あって力道山ひとりが悪者になってしまったけど、決して力道山ひとりが悪いわけでは
なかった。プロレスやってる息子さんにもお話ししましたけど」とかばっている。
玉の海さんにも落ち度が有ったのかな、と思ってしまいます。
そりゃあ誰でも性格の不一致ということはあるだろう。
83の話、気に入った!
87 :
待った名無しさん:02/04/24 22:04
あげましょう
88 :
時津風VS玉の海:02/04/25 22:27
横綱玉の海急逝時、時津風が雑誌に
「非常に失礼な話と思いますが、解説の(略)と思いました」
元学生横綱尾形が天ノ山と改名して再入幕したころ
玉の海「どこの部屋の力士が知りませんが下半身がぜんぜんなっていませんね」
そのとき向正面解説が時津風!
時津風(すかさず)「ウチの部屋の力士です」
実況アナ(しょうがなく)「時津風さんはニコニコしておられます」
その後まもなく時津風は解説陣から降りてしまった…
もう20年以上前の話か…
89 :
待った名無しさん:02/04/25 22:42
90 :
KANちゃん:02/04/25 23:01
>>88 梅吉さんは、力士のことをよく見てますね。
「禿」しくワラタ!
92 :
KANちゃん:02/04/26 02:39
神風さんが三共の風邪薬・ルルのCMでナレーション役で出演したこと
あるね。まだ大竹しのぶが20代でかわいかった頃だけれど。
93 :
待った名無しさん:02/04/26 22:12
>>88 師匠の先代片男波も、横綱の死を聞いたとき「梅吉さんのことだと思った」
と言ってました。
>>92 30年以上前、テレビやラジオの番組で神風さんのものまねが流行ってました。
「神風さん、ハナが出てますね。」「かみかせ」とか・・・・を思い出して
しまった。
94 :
KANちゃん:02/04/27 17:53
神風さんは、若秩父(現常盤山親方)が新入幕した頃、彼のことを
「角界の長嶋茂雄ですよ。」とアナウンサーに言ったそうです。
同期入幕の私を差し置いて何と失礼な!
まあ、私とて、監督として老醜を晒した奴と一緒にされたくはないが
あれでも現役時代はプロ野球を背負って立っていたのだから
やはり私こそが「角界の長嶋茂雄」と呼ばれるべきであろうに!
あんなだから、角界では出世できなかったのだな。
96 :
KANちゃん:02/04/28 11:59
>>95 神風さんは、大鵬より柏戸のほうを褒めていたよ。
柏戸の一直線に攻める相撲は、素晴らしいものがあると言っていたよ。
97 :
待った名無しさん:02/04/28 20:32
「ね」の連発。
98 :
待った名無しさん:02/05/01 21:08
二人とも双葉山を基準として力士を見てるのかな?
若瀬川泰二さんの解説もわかりやすくて好きだったんだけど、俺だけか?
背毛の方じゃないぞ!
100 :
待った名無しさん:02/05/01 23:19
>>99 同意ではあるが、ただ玉の海、神風の二人は野球にに例えれば
ONみたいなもんだからな。
なるほど。じゃあ若瀬川は土井といったところか?野球はよー知らんが。
ということは琴桜はヤクルトの土橋監督でOKだな?
102 :
KANちゃん:02/05/02 00:11
玉の海・神風両解説者は、勝負よりも相撲内容にこだわっている感じが
する。
特に玉の海さんは、勝っても内容の悪い力士は、強く批判してたよ。
逆に負けても内容のいい力士は、褒め称えるようが傾向があったよ。
>>101 スレ違いの議論になるかもしれないのですが、
要するに二人のプレゼンスがプロ野球におけるONと似ているのではないか
ということです。
その意味では今の解説陣は二人と比較されて気の毒とは思う。
玉の海が死んだのも、自分自身の八百長経験を告白して
大相撲浄化に立ち上がろうとしていた直後のこと。
なんか気になるな・・・
105 :
待った名無しさん:02/05/02 19:49
東 西
玉の海梅吉 横綱 神風正一
若瀬川泰二 大関
北の富士勝昭 関脇 舞の海秀平
106 :
待った名無しさん:02/05/02 20:57
おもしろい、どうせなら出羽錦や緒方など、もっともっと充実させてよ。
107 :
KANちゃん:02/05/03 01:40
神風さんの著した相撲の本は、一般人に理解しやすくて、
面白い本だなと思った。
高校の図書館に神風さんが著した本があって、よく読んでいました。
108 :
待った名無しさん:02/05/03 02:44
>>105 関脇〜前頭10枚目あたりは空席でよろしいかと(藁
あ、東大関に天竜三郎氏、東張出大関に東富士、
西張出大関に先代秀ノ山(元笠置山、協会の人間だが)を
あとは空白でいい。
109 :
待った名無しさん:02/05/03 11:11
どうみても舞の海は十両だろ
110 :
待った名無しさん:02/05/03 11:51
旭富士(安治川親方)の解説をもう1度聞きたい。
アナ「あ、足が滑りました」
親方「包帯まいてるからいかんのですよ」等々
111 :
待った名無しさん:02/05/03 11:52
やっぱり、コンビのアナは、北出、杉山がいいね。あと向坂かな。
麒麟児は?
113 :
待った名無しさん:02/05/03 20:22
舞の海の何処がいいんだか
114 :
待った名無しさん:02/05/03 20:38
工藤誠一(巴潟・友綱)も良かったらしいね。
残念ながら、俺は記憶にないが。
115 :
待った名無しさん:02/05/03 21:15
工藤誠一はただピントのはずれた話をベラベラ勝手に喋ってたとしか記憶してない。
116 :
柿 久家子:02/05/05 11:02
昭和56年九州場所千秋楽。隆の里対巨砲。血だらけの一戦
となったこの取り組みを解説されていた神風さんが、感動して
泣いていたのがとても印象に残っています。
>>116 そんなこと、あったんですか。
知りませんでした。
あの厳しい神風さんにも
意外な一面があったんですね。
>>116 「わし、こんな真剣な取り組み見たことないです」ってやつな。
東富士−吉葉山の方がよっぽどすごかったと思うけどな。
(東富士が高熱でダウン寸前でも2番取り直しまで持ち込むが、
東富士が棄権、吉葉山が痛み分けを受け入れる)
119 :
KANちゃん:02/05/06 11:53
>>116 その頃は、巨砲が大関候補と言われていたときだった気がするけど。
この一番かすかな記憶があるよ。
120 :
待った名無しさん:02/05/06 20:22
昭和30年秋の千代の山VS若ノ花(17分15秒の引き分け相撲)も凄かったらしいね。
解説は玉の海か、神風だったのだろうか?
121 :
待った名無しさん:02/05/07 01:14
良スレ上げ
122 :
柿 久家子:02/05/07 17:06
>>117-
>>119 「相撲」誌に「私はプロレスを見ているのだろうか?」
というヒトコマ漫画も載っていました。隆の里、巨砲ともに
大関候補と言われていた頃でした。私は昭和45年生まれなので
東富士−吉葉山、千代の山−若ノ花戦は分かりません。でも、名勝負
だったらしいですね。
123 :
待った名無しさん:02/05/07 19:56
今から20数年前の『大相撲』の座談会は、
玉の海、神風、天竜(三郎)らが固定メンバーで、
とにかく批判が辛辣だった。
>>123 しかし神風は協会大本営じゃなかった協会機関紙「相撲」では
180度違った意見(大相撲で"勝ってもあれではこの先が…"とけなした
力士を"よくやった、今後楽しみ"などと誉める)
をいう世渡り上手だった罠
125 :
待った名無しさん:02/05/07 22:36
正面解説の神風さん、玉の海さん。
向正面には巴潟の工藤さん、安芸ノ海の永田さん…。
相撲をテレビで見始めた消防時代の思い出の面々だな〜。
126 :
KANちゃん:02/05/08 00:11
>>124 「評伝・玉の海梅吉」の中でも神風さんが八方美人的な記述があったよ。
どこのページかは、忘れたけれど。
127 :
待った名無しさん:02/05/08 21:11
昭和57年5月場所の横綱千代の富士VS大関隆の里、
千代の投げ、内掛け、寄り等のあらゆる技を
隆がしのいで寄り倒した大相撲だったが、
解説の玉の海氏も『力の入ったいい相撲だった』と誉めていたのを覚えている。
128 :
KANちゃん:02/05/08 21:14
その玉の海さんも若い頃の千代の富士が投げ技にこだわっている
相撲を評して「身の程知らずの相撲を取っている。こいつは、上位に
上がれない。」と酷評したとのことです。
129 :
待った名無しさん:02/05/09 13:39
>>123 当時、15日間の戦評を書いていた杉山圭四郎って人も辛口だったね。
立ち合いの、待ったとか中腰立ちとかこき下ろしていた。
130 :
柿 久家子:02/05/09 16:36
>>129 神風さんや、玉の海さんといった元力士がいうなら分かりますが、
杉山氏のような素人に評論家を名乗る資格はないと思います。
131 :
待った名無しさん:02/05/09 17:02
最近は、三杉里、栃乃和歌、久島海あたりの解説がいいね。
頭の回転が早いね。特に浜風にはびっくり。
安芸や浪岡のあおりをうけて協会を追われても食っていけそうだ。
滑舌の悪い水戸泉は素人にはおすすめできない。
132 :
柿 久家子:02/05/10 11:28
神風さんの最後のラジオ解説聴いていましたが、もうろれつも
あまりまわらなくなっており、本当に痛々しく感じました。
133 :
柿 久家子:02/05/10 11:32
若瀬川さんは70歳で勇退されましたが、その後も亡くなるまで、
NHKのラジオに電話で出演され、取り組みの解説をされていました。
134 :
KANちゃん:02/05/10 20:16
>>131 水戸泉は、野球解説者の金村のように
マルチ・タレントだったら活躍しそうな
感じがするけど。
136 :
待った名無しさん:02/05/11 00:13
>>131 三杉里って現役時代より大分かっこよくなったんじゃない?
137 :
KANちゃん:02/05/11 01:06
>>133 かつて若瀬川さんは、KRテレビ(現TBS)の相撲解説をしていたよ。
昭和30年代の話だけれど。
138 :
待った名無しさん:02/05/11 14:51
玉の海さんには、生前は誰も頭上がらなかっただろうなあ
後年は双葉山とも親交が深く、師匠玉錦のような猛者に鍛えられ
その急死によって二枚鑑札の難局を戦中という嵐の時代の中で経験し
ニ所ノ関一門を支えた(発展させたとまでは言えないが)
現役時、驚異的なかいなちからに頼った相撲も魅力があったが
引退後、ご意見番としてより相撲界に貢献したといえるだろう
「週ポス」の八百長キャン記事に出ていた大鵬-玉の海(三代目故人)戦の疑惑から
栃若の2人(当時は春日野理事長とニ子山理事)を呼び出した玉の海さんは
怒鳴りつけて、この2人が縮みあがったというのは本当なんだろうか?
139 :
待った名無しさん:02/05/11 15:09
>>138 大鵬-玉の海(三代目故人)戦は昭和46年の事だろう。
怒鳴りつけるなら、その時にやったかもしれないが、
春日野理事長とニ子山理事になった時代に、
今さら呼び出して怒鳴りつけたとは思えん。
140 :
待った名無しさん:02/05/11 15:22
しかしその大鵬がついにポストに貴乃花批判!
内容はどんなんだ?自分のこと棚に上げてバカなことしゃべったんだろうな
141 :
柿 久家子:02/05/11 15:47
>>137 それは知りませんでした。そういえば、30年代は民放も
相撲を中継していましたね%8Pr
玉の海さんの北の湖に対する最大級の賛辞は今まで何度も見聞きしてきたが、
大鵬に対するそれは一言一句すらなかったなあ・・
143 :
KANちゃん:02/05/11 23:32
>>142 玉の海さんは、大鵬のことを強い横綱と言っていたよ。
144 :
亜井 上男:02/05/12 00:49
>>140 大鵬は貴を擁護してたよ。マスコミを批判してた。
145 :
KANちゃん:02/05/12 01:05
>>144 あと大鵬は、横綱審議会のことも批判していたね。
146 :
待った名無しさん:02/05/12 02:20
あとは何時もの如く、四股を踏め、鉄砲をしろ、最近の力士はなっておらん、といったところ。
>>143 そのまんまやないか(ワラ
事務的で投げやりな評価・・
148 :
KANちゃん:02/05/12 22:01
>>147 玉の海さんは、大鵬のことを強い横綱とは、言っていたけれど、
彼の人間性は評価していなかったよ。
>>148 でしょう?(笑)。
北の湖の事は
”戦後最強の横綱”
”大相撲史上最強の横綱。(解説を引退した直後のあるテレビ番組で)”
”戦後初めて出た、双葉山と比肩しうる横綱”
”土俵一筋、相撲一筋に打ちこんだ姿勢は素晴らしい。大鵬以上の横綱だ(北の湖引退の方に接したコメント)”
って数多くあるんだけど、大鵬に関しては、この手の賞賛を聞いたことがないよ。
150 :
待った名無しさん:02/05/15 17:47
相撲中継のなかでも玉の海さんは北の湖について戦後の横綱の中で最もすばらしいと
言っていた。しかも優勝回数や記録だけみれば上の人はいるがと前置きしながら。
151 :
KANちゃん:02/05/16 00:04
昭和38年秋場所の千秋楽で大鵬ー柏戸の全勝対決でテレビ中継の解説を
担当していた玉の海さんが、「柏戸に勝たせてやりたいね。」とポロと
もらしたそうです。結果は、柏戸が勝って優勝していましたが、玉の海
さんのコメントに対する抗議は、一切なかったそうです。
152 :
待った名無しさん:02/05/16 16:10
「柏戸に勝たせてやりたいね。」くらいなら、別に問題ないんじゃない?
勝昭あたりも、似たようなこと言うじゃない。
もちろん、公平な解説ではないと思うが。
「柏戸が勝ちます。」と言ったわけじゃないし。
153 :
待った名無しさん:02/05/16 19:57
大鵬って玉の海の孫弟子でしょ?
どうしてそんなに嫌われなきゃいけないの?
154 :
待った名無しさん:02/05/16 21:32
ロシア人だから?
155 :
待った名無しさん:02/05/16 21:47
>>153 大鵬の師匠である先代二所の関と梅吉さんとは仲が悪かった。二代目玉乃海とも
仲が悪く、片男波部屋を興すときも揉めて片男波が連れて行く力士の廃業届を
勝手に出してしまったりとか。そんな二所ノ関に育てられた大鵬は梅吉さんたち
のことを「悪者」と思っていた。そして態度にも出ていた。
156 :
2ちゃんねるで長〜有名サイトだよ:02/05/16 21:53
157 :
待った名無しさん:02/05/16 23:04
>>155 梅吉氏と代太郎氏が仲が悪かったってこと?
158 :
待った名無しさん:02/05/16 23:59
佐賀ノ花と代太郎でしょう。
代太郎の独立を佐賀ノ花はなかなか許さなかった。
159 :
待った名無しさん:02/05/17 06:27
梅吉氏は、協会を追放されていた代太郎氏の復帰に尽力し
廃業する時には四股名まで譲ってくれたのだから、仲が悪いなんて事はあり得ない。
もっとも、そのことが佐賀ノ花を刺激したのかも知れんが。
160 :
待った名無しさん:02/05/17 21:19
>>157 書き方がヘタでごめん。158さんの言うとおりです。
梅吉、代太郎、神風は仲良し。
佐賀ノ花は誰とでも喧嘩する難しい男。佐賀ノ花には常に騒動が付きまとっていた。
大麒麟が平幕のころから、「あいつは佐賀県人特有のひねくれた性格だから大成しない」
などととんでも無い悪口を平気で言っていた。
161 :
KANちゃん:02/05/18 01:40
神風さんも大鵬のことをあまり褒めていなかったよ。
「神風一代」の中で大鵬は、32回の優勝を飾っている割りに強い印象が
ないと書かれていたよ。相手に頭をつけさせて相手が疲れてから攻める
相撲でそつが無く、相撲に面白みがないと書かれていたよ。それでも大鵬
のことを今まで見てきた力士の評価として双葉山に次ぐ第2位になって
いたけど。これも相撲の印象と言うより記録の面という意味だけれど。
162 :
待った名無しさん:02/05/18 08:37
代太郎さんの福住時代からのすさまじい人生遍歴は何度聞いても驚嘆する
163 :
あぁ、代太郎:02/05/19 09:00
昭和16年、上海で憲兵殴って、協会追放
↓
徴兵されて、ガダルカナルへ
↓
病気(赤痢かなんか?)になって、軍に見捨てられ、
トカゲやネズミを食べて飢えをしのぎ、いかだを作って島を脱出
↓
輸送船に拾われ、内地送還、病気回復
↓
再度徴兵、満州へ
↓
ロシア軍の猛攻で、部隊全滅、代太郎氏他数名だけ生き残り、終戦
↓
シベリアへ護送される途中、脱走
↓
中国人のふりをしながら、どぶさらい、物乞いで露命をつなぐ
↓
昭和23年、奇跡の帰国
↓
昭和25年、二所関(梅吉)のとりなしで、幕下付け出しで相撲界復帰
↓
荒法師として、八面六臂の大活躍
164 :
待った名無しさん:02/05/19 09:14
>>163 病気はマラリア。大関挑戦の場所に再発してしまった…
165 :
待った名無しさん:02/05/19 22:02
玉ノ海梅吉、玉乃海代太郎、玉の海正洋と「の」の字が違うのは何で?
梅吉氏が解説者としては、「の」を使ってたのは横綱玉の海の追悼の意とかではないよね。
166 :
待った名無しさん:02/05/19 22:09
梅吉氏は、横綱が亡くなる前から「の」を使っていたと思います。
167 :
待った名無しさん:02/05/20 02:48
>165
待ってましたその質問!
実は代太郎氏は初め「玉ノ海」を名乗っていた。
そこで解説者としてデビューした梅吉氏は混同を避ける為に「玉の海」にしたのだが
不成績が続いた代太郎氏は師名に恥じるとして「玉乃海」に改めた。
(そして九州場所で全勝優勝を遂げた)
月日は流れ、シマちゃんが横綱になった時
何故かシマちゃんはこわい師匠ではなく、梅吉氏に名前を譲ってほしいと頼んだ。
かくして横綱「玉の海」が誕生したというわけ。
(ああややこしいなあ...)
>167
サンクス!!
ほかの由緒あるしこ名と比べるとそれほど歴史が長いわけじゃないけど、エピソードや名乗っていた人物からして伝説的なしこ名と言ってよさそうだね。
玉乃島あらたは安易に玉の海を襲名してはならないね。
169 :
待った名無しさん:02/05/20 20:03
>>168 玉ノ海が改名したのはなかなか幕内上位の壁を破れなかったころだよ。
玉乃海に改名してから初めて上位で大勝して三役に上がったの。
九州場所全勝はマラリア再発で大関獲り失敗してからのこと。
玉の海になっていたころはなかったはず>代太郎
170 :
待った名無しさん:02/05/20 21:14
次に「天龍」を名乗る人は何をしでかしてくれるかな。
171 :
待った名無しさん:02/05/20 21:22
>169
うん、要するに
梅吉 玉ノ海→玉の海(廃業後)
代太郎 玉ノ海→玉乃海(昭和31年頃?)
横綱 玉乃島→玉の海(昭和45年3月)
現役 玉乃島→玉の海(当分無理そう)
って感じですね
173 :
KANちゃん:02/05/21 00:51
もし横綱・玉の海が今でも生きていれば協会の幹部に間違いなくなって
いただろう。真面目な性格だったから理事長になっていたかもしれないね。
神風さんの話によると玉の海は、双葉山の攻めの極意を修得しようとして
いたらしい。彼は、神風さんに双葉山のことをよく質問していたとのこと
です。
174 :
待った名無しさん:02/05/21 01:50
「神風」の名を継ぐ力士は出ないのかな。
尾車部屋あたりでどうだろう、ちょうど同じ一門だし。
海外巡業で注目度ナンバ−ワン間違いなしだと思うが。
175 :
待った名無しさん:02/05/21 12:02
>174
いかにも、戦時中のしこ名だからね。
ハワイ勢からは、良く思われないかもしれない。
176 :
待った名無しさん:02/05/21 21:39
『神風』を名乗るなら、朝青龍なみの激しい闘魂と、思い切った技をかけられる力士でないと、名前負けすると思う。
『玉の海(玉ノ海)』は、もし今の玉乃島が名乗ったら、間違えなく名前負けしそう…
177 :
待った名無しさん:02/05/22 01:41
「神風」という四股名は、朝日新聞社の飛行機「神風号」によるもので
戦時中は、軍部からのクレームで「海山」に改名させられていた。
でもって「神風特攻隊」は、正しくは「しんぷうとっこうたい」と読む。
だから本来、あれとは関わりがない筈なのだけど、向こうにはそんなこと分かってもらえないよなあ...。
178 :
待った名無しさん:02/05/22 08:17
国が違えば、歴史観も違うのだから、
分ってもらえなくてもいいんじゃない?
179 :
待った名無しさん:02/05/22 21:15
怖いモノ見たさで代太郎さんに声をかけた「子供の時ファンでした」と。
すると「君、いくつだ?私の現役時代を知ってるわけないだろう」ワッハッハ。
「今からチャンコ食べていきなさい」と言われ、その間親方と話していて「理事長(栃錦)
を、はさみつけるようにいっぺんに寄り切った相撲を覚えてます」「ほー」会話の途中、玉の富士が
ファンというものは、小さいときのことでもよく覚えている。そんなもんですよ。
それから代太郎さんに可愛がってもらった。自宅に電話してきて、「引退パーティーに来てくれ」
とか「東京の部屋に遊びにおいで」とか言ってもらって。
玉の海17回忌法要の手拭いもいただいた・・それから2ケ月後急死してしまった。
もっと早く知り合えれば良かったと後悔してます。
180 :
待った名無しさん:02/05/23 03:01
そりゃ嬉しかっただろう、代太郎氏。
で、その覚えている相撲というのは、本当にリアルタイムで見た記憶なの?
ビデオとかじゃなくて?
181 :
待った名無しさん:02/05/23 07:23
もちろんリアルタイムです、
そのころは兄に手を引かれてテレビのある家に見せてもらいに行ってました。
ゴッツァンデス!
えぇ話やな。
lll
185 :
きたでせいごろう:02/05/23 09:42
「千代の富士は、土の匂いがする。」⇒玉の海コメント
186 :
待った名無しさん:02/05/23 13:02
大受にも云っていたような気がするけど、使いまわし?
187 :
きたでせいごろう:02/05/23 13:58
大受にも使っての?それはしらなんだ。
188 :
待った名無しさん:02/05/23 14:06
玉の海さんの著書『これが大相撲だ』では、旭国について
「土俵の土の香りがする」と書いている。
189 :
さきさかたけひこ:02/05/23 18:44
「水戸泉には。塩の匂いがする。」→これも玉の海梅吉さんのコメント。
190 :
KANちゃん:02/05/23 23:26
>>189 水戸泉が入幕した頃には、玉の海さんは相撲解説を引退していたんじゃ
なかったけ。玉の海さんの相撲解説最後の場所は、昭和57年九州場所
だったはず。水戸泉が新入幕したのは、昭和59年名古屋場所だったから。
191 :
待った名無しさん:02/05/23 23:28
イマダ モッケイ タリエズ フタバ
魁傑は未解決 ウメキチ
>181
やっかみ半分で失礼な質問をしてすみません。
やはり、自分ちのこたつでゴロゴロしながら観るのとは違うのだなあ。
193 :
待った名無しさん:02/05/24 13:34
綱取り場所で一敗の三重ノ海が十四日目に優勝争いから脱落していた北の湖と
対戦するとき(輪島が全勝だった)アナウンサーに「この一番どうでしょうか?」
と聞かれた玉の海さんが「ああ、大丈夫、間違いなく三重ノ海が勝ちます」と
ヤケクソ気味に言ったのが印象に残っています。
194 :
待った名無しさん:02/05/24 13:42
初代貴ノ花が初優勝決めたときの解説ってどなたですか?
196 :
待った名無しさん:02/05/24 16:27
〉154 わたし
197 :
待った名無しさん:02/05/24 17:46
このスレ初めて見たとき「偉大な・・・・」と書いてあって、
ほんと嬉しかったです。
>>195 三重の綱昇進は八百説高いからないまだに
199 :
待った名無しさん:02/05/25 09:26
>>198 梅吉さんは、三重の引退の時は誉めてたね。
引き際がいさぎよいと。
200 :
KANちゃん:02/05/25 10:13
だけれど三重ノ海は、八百長の少ない力士だったんじゃないの。
横綱昇進時の八百長の有無について知らないが。
昭和51年頃の「大相撲」座談会で、
天竜や玉の海が当時ハチナナ大関だった三重のことを、
「何とか地位を保とうと工作している噂もあるが…」
「魁傑みたいに負けは負けと割り切って、出直せばいい」
などと発言してる。
大関復帰をかけた場所の対貴ノ花・旭国との親友対決
2度目のカド番のときの勝ちこし方とかね
203 :
待った名無しさん:02/05/25 13:42
大島は、取組前どこかの後援会長に「せっかく来てもらったけど、今日は勝てないです。
病気の時など助けてもらっている義理があります。」とはっきり言ってます。
>>203 そしてその義理はみずからの負傷・引退で三重からかえされたわけだな。
新横綱三重海絶体絶命の場所、旭国に勝って窮地脱出。
旭国はその一番に負けた上大怪我して引退
205 :
待った名無しさん:02/05/26 15:29
舞の海は、神風さんを目標にしているそうだ。
206 :
待った名無しさん:02/05/26 18:54
とりあえず梅吉さんは協会に消されたということでOK?
207 :
待った名無しさん:02/05/29 00:31
舞の海の解説は悪いとは思わんが、なんせ彼の声質が悪い。太くこもった声は
通りにくく非常に聞きずらい。
208 :
待った名無しさん:02/06/08 22:56
もうネタ切れ、限界か?
209 :
待った名無しさん:02/06/09 10:03
まだまだ・・・いくらでもネタ有りますよ。
いいスレだからゆっくり永く行きましょう。
210 :
待った名無しさん:02/06/13 22:31
とうとう亡くなってしまった村田英雄。代太郎さんの親友だった。
211 :
待った名無しさん:02/06/16 00:48
「冨士櫻を誉めない訳にはいかない」玉の海梅吉
「あれの立ち合いはいつ見ても気持ちがいい。
特に対貴ノ花戦は」天竜三郎
中村親方の真面目さが伝わる。
212 :
待った名無しさん:02/06/16 01:02
某ネタスレから。ま、まさか...。
>868 :待った名無しさん :02/06/08 21:01
>天皇陛下が実は闘牙のファンであることが判明。
>番付編成の際、極端に有利になり
>きわどい勝負の時は必ず彼に軍配が上がり、決して物言いがつかない。
>NHKも闘牙マンセーになり、勝昭が何か悪口を言っても、即座にピーと修正がかかる。
>870 :待った名無しさん :02/06/08 23:10
>天皇陛下が実は高見盛のファンであることが判明。
>ロボが花道に登場すると
>全観客はスタンディングオベレーションで迎えることが義務付けられる。
>番付編成の際、極端に有利になり
>きわどい勝負の時は必ず彼に軍配が上がり、決して物言いがつかない。
>NHKはますますロボマンセーになり
>境川が何か悪口を言っても、即座にピーと修正がかかる。
871 :待った名無しさん :02/06/09 00:17
>>868 >>870 ところで、実のところ天皇陛下&皇后って誰のファンだか知ってる?
知ってたらおしえてよ。
874 :待った名無しさん :02/06/09 01:17
今上陛下は相撲に興味ないだろう。
先代は富士桜がお気に入りだったらしいが。
213 :
待った名無しさん:02/06/17 22:17
昭和天皇は押し相撲が好きだったようです。
富士桜、麒麟児、黒姫山などかな?
214 :
待った名無しさん:02/06/17 23:07
>212
富士桜と投棄を一緒にされては困る!
215 :
待った名無しさん:02/07/04 23:28
age
216 :
待った名無しさん:02/07/16 22:16
もう終わり?
217 :
待った名無しさん:02/07/23 01:34
2002年になくなられたけれど、緒方昇(元関脇北の洋)の解説も、明るくて、わかりやすくて、思いやりがあって、よかったとおもいます。
>>217 「えー、そうですね。まず立会いからあたって…」
これバッカ
219 :
待った名無しさん:02/08/27 22:34
age
220 :
待った名無しさん:02/08/30 23:29
もう一度玉の海さんと神風さんの相撲解説を聞いてみたいね。
221 :
待った名無しさん:02/08/31 01:40
しかし一時代を築いた名横綱が
自由な立場から好き放題しゃべるのを聴ける現在も
かなり恵まれた時代であるとは思う。
222 :
待った名無しさん:02/08/31 08:07
>>173 玉の海は生きていれば今頃理事長。
勝昭も協会を辞めずに済んでいたのでは。
223 :
待った名無しさん:02/08/31 08:14
>>195 先代武蔵川が裏で動いたという話だよ>三重ノ海の横綱
何せ大関時代優勝ないからね。
だけど、横綱で連続優勝したのは何よりだった。
双羽黒だって横綱でそこそこの成績残せば以後横綱昇進があれだけ厳しくなること
もなかっただろうに。
224 :
待った名無しさん:02/08/31 09:04
>222
佐渡ヶ嶽は師匠が死んだおかげで部屋を相続でき
玉の海が死んだおかげで協会で出世できた。悪運の強い人だな。
225 :
待った名無しさん:02/08/31 10:57
>>224 琴桜は玉の海が亡くならなければ横綱にも理事にもなれなかったという訳だな。
なるほど。
226 :
青山祐子に一票お願いします:02/08/31 14:36
227 :
待った名無しさん:02/08/31 16:50
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>>222 理事長は絶対ないと思われ。(ニ所一門じゃねえ)
ただ琴桜は綱張れないだろうからいいとこ監事だろうな。
玉の海自身の理事も怪しいものだ(現役のコロよろしく大鵬に
義理たててやらない可能性がある)
229 :
待った名無しさん:02/09/02 00:07
もし両氏が健在なら貴乃花の連続休場と去年のケガをおしての優勝決定戦を
どう評価するのだろうか?
230 :
待った名無しさん:02/09/09 19:17
い
231 :
待った名無しさん:02/09/09 21:47
6
232 :
待った名無しさん:02/09/09 23:25
玉の海 「う〜〜ん、そーねー。」
神風 「そおーですねー!」
233 :
待った名無しさん:02/09/10 09:30
・
234 :
待った名無しさん:02/09/10 13:44
やくみつるも指摘していたが
誉めの解説だらけでつまらん
235 :
待った名無しさん:02/09/10 17:35
。
236 :
KANちゃん:02/09/15 01:11
先月江東区深川の富岡八幡宮行ったら境内の大関力士碑のところで強豪関脇
の碑に玉の海梅吉さんの名前があったよ。
237 :
KANちゃん:02/09/15 01:22
もし戦前に三賞制度があれば、
梅吉さんは間違いなく殊勲賞か敢闘賞を獲得していただろう。
238 :
増厨 ◆33HuFT0E :02/09/15 01:24
もし十両に三賞制度があれば、
増健は間違いなく残念賞か惜しかったで賞を獲得していただろう。
>>88 遅レスでスマンが、
似たようなことを、先代春日野(元横綱栃錦、後の理事長)にもやってるよ。
その頃は北出、杉山の時代だったから、アナのツッコミも鋭かった記憶がある。
確か栃富士という幕内と十両のエレベーター力士について、実況アナからふられた時、
玉の海
「どこの部屋の力士が知りませんが身体も恵まれ、怪我をしている様子もない。
稽古もやってるみたいだから、幕内上位に上がってもいいと思うんですが・・・」
向正面の春日野(血相を変えた様子で)「ちょっといいですか!」
実況アナ(春日野に気を使いながらも)
「栃富士は春日野部屋ですから、親方も黙ってはいられませんよね。
体格がよくて、稽古をしているのに番付が上がらないということは、
師匠が悪いということですからね(これはかなりきつかった)
玉の海さんはそれをご承知で、どこの部屋か知らないとおっしゃったんですよね。」
玉の海(シカトを決め込む)
その後しばらく春日野の言い訳が続いたが、歯切れの悪いものだった。
栃富士は「ノミの心臓」の持ち主だったのがなあ…
(幕下時代、部屋に「ヤクザに囲まれて殺されそうです。助けてください。」
とTELをいれて笑われたことあり)
それでも柏鵬ぁら1コずつ金星あげているけど。
241 :
待った名無しさん:02/09/15 17:43
6h
243 :
待った名無しさん:02/09/21 22:44
NHKも取り組みだけでなく玉の海と神風両氏が解説した部分も含めてビデオを
発売してくれれば、すぐ買っちゃうけどな。
244 :
待った名無しさん:02/10/12 22:30
あげ
245 :
待った名無しさん:02/11/04 23:09
246 :
待った名無しさん:02/11/20 01:03
誰もいないようですな。ここは。
247 :
待った名無しさん:02/11/22 21:36
いいスレなのに、留守が多いようですな。
248 :
木村今夜三:02/11/25 10:40
1982年九州場所から20年たった九州場所も終わりましたが
玉の海梅吉さんの解説引退からも20年経ったことになります
当時見る目聞く耳のないガキだったので、耳触りのいい神風
さんに対して、時代がかった精神論を説教されている気がし
て玉の海さんの解説は「年寄り向け」「んなことだから相撲
は若い者受けしない」「野球解説者のように若くてハキハキ
したのがいいのに(根拠無し、村山実氏のような精神論好き
の人もいたのに)」と思ってきましたが、「引退解説」をラ
ジオでだったか聴いて考え直しました。「相撲というものは
ね、重い荷物を背負ってですよ…坂道を一つ一つ登って行く
そんな厳しさがないといけないと思うんですよ…単なる勝ち
負けでなくてね…」それとて普段の精神論と変らない言葉な
はずなのに「今日で最後」のためか何か不意にジーンときた
当時荒れた中学校で教室中私語で騒がしかったのに、大正う
まれの年配の教師が不意に戦争中のことや当時の人の本音の
考え方生き方を話すと教室中が少しずつ静かになっていった
ことを想起させる…中学生から見てそんな最後の解説だった。
後日の別番組だったか、最後の解説の日だったかは忘れたけ
ど孫娘の作文に涙しておられたのも印象に残った。
故郷でも東京でもなく、戦中戦後の混乱期の疎開先だったっ
け…兵庫県(西宮?尼崎?)で余生をおくられると聴いた。
武庫川の川縁を散策するのが日課…これもどこかで聴いた。
玉の海さんが引退20年後の現代の日本や角界をみたらどう思
うのかと考えてしまう昨今です
249 :
待った名無しさん:02/12/01 20:56
玉の海さんは、単なる説教好きの解説者だけかと思っていたら、意外と時代
の先端を行く進歩的なところもあったらしい。
例えば昭和20年代の尼崎巡業の時も触れ太鼓で宣伝するのは、時代遅れだ
ということでバスを使って巡業の宣伝をしたとのことです。また30年代当時
は、同門対決が無くて、それでは、相撲の興味が半減するとのことで当時の
理事長だった双葉山に同門対決を進言したのも玉の海さんでした。
250 :
待った名無しさん:02/12/29 03:54
もし昭和40年代に流行語大賞があったら、玉の海さんが、魁傑の腰高の
欠点を評した「未解決な魁傑」や先代・貴ノ花の足腰の強さを評した
「腰の下にもう一つの生命がある」と言ったコメントが入賞していた可能性
があっただろう。
251 :
待った名無しさん:02/12/29 11:13
平幕で長い間低迷していた魁輝が頭角を現してきた頃、玉の海さんが見違えるような速攻を「う〜ん。いいね。魁輝晩成だね〜◎」と評しておられました。不覚にもワラタ。
仮にも師匠が死んですぐの場所で八百長するなんざろくなもんじゃない
253 :
待った名無しさん:02/12/30 04:44
>>253 そうです。玉の海さんは相撲が遅い力士には非常に厳しかったですね。魁輝も酷評された力士のひとりでした。
255 :
待った名無しさん:03/01/03 01:17
>>254 ということは、玉の海さんは、柏戸のことを結構好きだったんじゃないの。
神風さんは、柏戸の相撲をべた褒めしたのに対して、大鵬の相撲のことは、
褒めていなかったからね。
256 :
待った名無しさん:03/01/11 23:20
神風さんの的確な批評がわかるのは、彼のいろいろな著書を読むと
よくわかるね。おそらく彼最後の著書である「神風一代」は、特に
内容もよく、自分の現役時代から87年現在の主な幕内力士の批評が
かなり的確であったと思います。
257 :
待った名無しさん:03/01/12 22:42
もし玉の海さんと神風さんが生きていたならば、
昨今の貴乃花の相撲をどのように評価するのだろうか。
貴乃花のことをほめるのだろうか、
それとも厳しく批判するのだろうか。
(^^)
259 :
待った名無しさん:03/01/14 23:44
もし玉の海さんと神風さんが生きていたならば、
初場所の貴乃花を手厳しく批判していただろう。
260 :
待った名無しさん:03/01/18 23:11
玉の海さんが健在ならば、今場所の貴乃花について北の湖理事長同様に
「出場する限りは、勝ち越さなければならない。」と言うのかな。
(^^)
262 :
待った名無しさん:03/01/20 22:42
今日引退した横綱・貴乃花に対して、玉の海・神風両氏は、天国で
「長い間よく頑張ったね。ごくろうさま。」と言っているに違いない。
263 :
待った名無しさん:03/01/20 23:59
貴乃花は少なくとも千代の富士よりは評価していいとは思うのだが。
264 :
待った名無しさん:03/01/21 21:31
>>263 私も同感です。
おそらく玉の海・神風両氏も千代の富士より貴乃花を評価するだろう。
まあ、北の富士も貴の方を評価してるでしょうし(w>263−264
(^^;
>>262 まったく同感ですね。そのとおりだと思います。
268 :
待った名無しさん:03/01/24 22:03
今場所、全然盛り上がんないな。
269 :
待った名無しさん:03/01/24 23:13
昔、貴ノ花―玉ノ富士戦で、玉ノ富士が勝ったとき、当時の実況をしていた阿部アナが、「稽古をつけてもらっている後輩力士が、先輩力士に本場所で恩返しするのが、大相撲の伝統なんですよね!玉の海さん!」と振ったら、
玉の海:「そんなもんに伝統なんかありませんよ!負けたら厭ですよ!」
その後、阿部アナは消息不明に…
270 :
待った名無しさん:03/01/25 01:26
玉の海さんが昭和63年に亡くなられたとき、相撲関係者で葬儀に
出席したのは、神風さんと片男波(元関脇・玉ノ富士)だけだった。
週刊ポストで玉の海さんが死ぬ直前に八百長が無くなっていないことを
指摘して、協会関係者が葬儀に出席することをボイコットしたためでした。
玉の海氏は引退後、自分も一度だけ八百長をしたと告白したんだよね。
氏はこの事を悔やんでいた。その上で時津風(双葉山)理事長に八百長相撲の改革
は、現役時代ガチンコで通した、貴方しかいないと訴え、時津風はこの改革に乗り
出すも他界。双葉山の寿命が長ければ、千代の富士&板井の様なコンビは生まれな
かっただろう
>>248 テレビじゃなっかたか?実況が杉山アナ様で
神風は、その四股名から政府、軍当局者から「けしからん!」と
謹慎処分を受けたが、双葉山の取り成しで復帰がかなった
274 :
待った名無しさん:03/02/02 02:48
神風の四股名は、東京ロンドン間1万5千キロを当時の世界記録94時間強
で飛んだ朝日新聞社の飛行機「神風」に由来したものです。
275 :
待った名無しさん:03/02/02 03:18
確か玉の海さんは、解説者を辞めた昭和57年のNHK紅白歌合戦で
審査員として出演していたような気がするけれど。
276 :
待った名無しさん:03/02/03 01:06
玉の海さんの自著「これが大相撲」の中で
紅白歌合戦に出演している写真があったよ。
277 :
待った名無しさん:03/02/04 17:03
そういえば神風さんて千秋楽には解説しながら
来場所の番付予想もマメにやってたね。○○がこれに勝って十番になったから
この後の××の星いかんでは関脇のメもでてきますねえ....
なんて、結構一番終わるたびにアナと一緒になってやってた記憶があります。
ねえ、〜さん柏戸に勝たせてあげたいねえ
>>274 はぁ?その話は関係ないだろう。こっちは軍部の対応の話をしてんの
今更、ご大層に知識をご披露か!ご苦労なこった
280 :
待った名無しさん:03/02/07 22:34
>>279 神風の四股名の由来を書いただけ。むきになることじゃないでしょう。
281 :
待った名無しさん:03/02/07 22:40
282 :
待った名無しさん:03/02/08 01:26
「神風一代」の中で神風さんは、安念山のことをすごく気にしていた記述が
あったね。細かい内容は、忘れたけれど、安念山が結局大関になれなかった
ことを歯がゆく感じていたみたいだよ。確かに安念山の気の弱さが現役時代
・親方になってからも様々な災いが出たからね。
現役時代には、大鵬との対戦成績が21戦全敗の記録が残ったり、立浪親方
になってからは、例の双羽黒の脱走騒動で指導力の問題が出たね。
283 :
待った名無しさん:03/02/08 02:45
気が弱いなら気が弱いで、せめてケチでさえなければ...。
284 :
待った名無しさん:03/02/08 03:51
若羽黒はともかく他にいなかったのかあ?立浪部屋は。時津山、北の洋は問題外だったの?
285 :
待った名無しさん:03/02/08 04:19
安念山が大鵬に21戦全敗したことは災いと言えないけれど、
気の弱さが大関になれなかった原因であることは間違いない。
286 :
待った名無しさん:03/02/08 08:39
立浪は過去の恩讐を越えて大島に継がせれば
よかったんだよ。わざわざ大島の弟子の旭豊に継がせるなんて
ことさせてなあ。
大島部屋の部屋開きって一門から誰もお祝いこなかったという
エピソードがあるくらい立浪は大島がきらいだったとかいうしな。
287 :
待った名無しさん:03/02/08 21:48
安念山は、二代目羽黒山の資格なしと言うことでよろしいか。
288 :
待った名無しさん:03/02/08 21:53
ちょっとまえまで先代立浪はこのスレでは残念山って
いわれてたが定着しなかったな
289 :
待った名無しさん:03/02/08 21:53
怨念山 執念山もいいかも
290 :
待った名無しさん:03/02/09 00:28
若羽黒は、元大関にもかかわらず、私生活の問題で立浪を後継ぐことが
出来なかった。それに昭和44年に34歳で早死にしちゃったからね。
291 :
待った名無しさん:03/02/09 00:56
立浪で思い出したけれど、神風さんは、双葉山と対戦する機会が
なかったことをものすごく残念がっていやよ。
因みに玉の海さんと双葉山との対戦成績は、1対5です。
292 :
待った名無しさん:03/02/09 01:05
玉の海さんが双葉山関に勝ったのは、安芸の海が双葉山の70連勝を阻んだ
昭和14年春場所でした。それが玉の海さんの双葉山関の唯一の勝利でした。
293 :
待った名無しさん:03/02/09 10:34
>>290 それに以前に年寄株買えなかった>人望なくて誰も譲らない
&花札バクチで負けまくり&後援会からも見放される
若羽黒の後援会長は相鉄社長だったのだが。
294 :
待った名無しさん:03/02/09 12:32
双葉山時代の力士で九州山、清美川、斜里錦、松前山、松浦潟の事に詳しい方いますか。写真で見て格好良いとおもったので。
295 :
待った名無しさん:03/02/09 13:03
>>293 結局立浪は、安念に跡継がせて正解ということだね。
(双羽黒脱走の問題があったにせよ。)
296 :
待った名無しさん:03/02/09 13:07
>>291 神風さんが双葉山関と対戦しなかったことを残念がっていたよを
いやよになってしまった。書き込みミスをしてしまった。
柏戸に勝たせてあげたいねー
298 :
待った名無しさん:03/02/09 14:01
玉の海梅吉さんの本どこかで読んだ記憶が。神風さん辛口解説でしたよね。
柏戸は露人大鵬よりはるかに立派な横綱だった。
300 :
待った名無しさん:03/02/09 21:05
大鵬は、柏戸のことを嫌な存在というより怖い存在だと言っていたよ。
事実大鵬は、柏戸の一気の速攻に苦しめられたから。
大鵬は、横綱になるまで3対7と柏戸にかなり苦手にしていたからね。
(最終は、大鵬の21勝16敗です。)
柏戸だけがライバルじゃないんですよ。他にもいっぱいいるわけですから。
ただその中でも柏戸が一番こわかったと大鵬は言っています。
302 :
待った名無しさん:03/02/09 21:12
大鵬の自伝の中で柏戸に関する記述がかなり多くさいていたよ。
それぼど大鵬にとって、柏戸は大きな存在だと言えるだろう。
もちろん柏戸にとっても大鵬は、大きな存在だと言えるけれど。
303 :
待った名無しさん:03/02/09 22:14
>>299
露人って、半分は日本人だろうが。
玉の海さんが大鵬を嫌っていたのも、その辺にあると思うが。
304 :
待った名無しさん:03/02/09 22:17
>>302 ある時期までは大鵬は柏戸が目標であり、コンプレックス対象
でもあったからねー
それと2,3年前かな、大鵬のラジオインタビュー(NHKの夜やってた)に
「私は弟子育成でも柏戸さんにはかなわなかった。
大関も育てられなかったし、優勝力士もだせなかった」
といってた。
(大関はどっちも育てられなかったが、多賀竜の優勝ということで
柏戸にアドバンテージがあると大鵬が感じたのだろう)
305 :
待った名無しさん:03/02/09 23:10
>>303 玉の海さんは、大鵬が半分ロシア人だから嫌っていたじゃないと思うけれど。
なぜならば玉の海さんは、朝鮮人の力道山を養子縁組にしたぐらいだから。
306 :
待った名無しさん:03/02/10 03:30
そういや旭道山が柏戸の養子になるって話があったような...。
一門外から後継者をむ迎えるなんてありなの?
307 :
待った名無しさん:03/02/10 19:53
>>303 大鵬最後の優勝が八百長だったから嫌っているんだよ。
その対戦相手が、自分が可愛がっていた横綱玉の海で、しかもその玉の海が急逝しただけに。
308 :
待った名無しさん:03/02/10 21:39
横綱・玉の海は、横綱に昇進した期に梅吉氏に玉の海の四股名を継ぎたい
と言ったとのことです。
そのとき梅吉氏が当時の玉乃島に玉の海の四股名を継がせる条件として
「今までどれほど八百長をやったのか知らないけれど、横綱になったら
二度と八百長をするな。」と言いました。
それだけに昭和46年初場所に玉の海が大鵬戦で本割、優勝決定戦で
八百長をしたのは、梅吉氏にとってショックだったと思います。
八百長云々は関係ないでしょ。力士の理想像を「双葉山=完成された型=こだわり磨きぬいた一芸」に
置いていた人としては大鵬の所謂「自然体相撲」を最強力士の相撲と認められなかったのでは。
310 :
待った名無しさん:03/02/11 22:56
>>309 確かに神風さんは、双葉山を完成された型としてほめたたえていたのに対し、
大鵬の取り口についてはほめていなかったよ。
ただ玉の海さんが大鵬のことをほめなかったのは、彼の取り口についてでは
ないと思う。玉の海さんは、八百長について厳しかった人で八百長くさい
取組を見つけた時に中継中に指摘しようとしてアナウンサーに必死に止めら
れたぐらいだから。
>309
猿のオナニーじゃないんだから何でもかんかんでも「ヤオ、ガチ」で語るのやめたら?
312 :
待った名無しさん:03/02/13 21:17
玉の海さんが怪しい取組を八百長だと指摘しようとしたら、隣に座っていた
アナウンサーが彼のひざをつねったそうです。
313 :
待った名無しさん:03/02/15 23:58
神風さんは、NHKの相撲解説者になる前、「グリル神風」という
洋食屋さんを経営していた。
阪神の選手の溜まり場になっていて、阪神入団の噂があった。
実際神風さんは、若く余力もあり、運動神経も抜群だったから
西鉄ライオンズからもスカウトされたとのことです。
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315 :
待った名無しさん:03/02/19 23:58
神風さんは運動万能だったから、相撲以外のスポーツでも成功していた
だろう。仮に野球選手になっていても一流だったと思う。
316 :
待った名無しさん:03/02/25 12:49
元NHKアナ北出清五郎さん死去
大相撲中継などで親しまれた元NHKアナウンサーの北出清五郎さん(きたで・せいごろう)が1月19日、心不全のため死去していたことが25日分かった。80歳。東京都出身。
自宅は公表していない。連絡先は東京都渋谷区神南2の2の1、NHK広報局。葬儀・告別式は故人の遺志で親族のみで済ませた。
47年NHK入局。テレビ放送が始まった53年夏場所から大相撲中継を手掛け「相撲の北出」として数々の名勝負を中継した。59年に皇太子ご成婚の沿道中継を担当したのをはじめ、
64年の東京五輪開会式のテレビ中継では「世界中の青晴れを全部東京に持ってきてしまったような、すばらしい秋日和でございます」と名文句を残した。
このほか72年の札幌冬季五輪で日本がメダルを独占したジャンプを担当し「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ−飛んだ! 決まった!」と臨場感あふれる中継で日本中を沸かせた。
79年にはNHK理事待遇に昇進。80年に退職した。(共同)
http://www.nikkansports.com/news/flash/f-so-tp0-030225-15.html
317 :
待った名無しさん:03/02/25 12:54
北出氏のご冥福をお祈りします。
318 :
待った名無しさん:03/03/02 22:48
玉の海さん・神風さんの解説者と北出アナは、名コンビだったね。
319 :
待った名無しさん:03/03/05 01:29
昔多くの力士が自分の取り口を参考にするために玉の海さんと神風さんの
解説をテープ・レコーダーで録音したけれど、現在もしこの二人が健在
ならばビデオで録画して参考にしていただろう。
320 :
待った名無しさん:03/03/05 10:54
今お二人がご存命だったら、高見盛にどのようなコメントをするだろうか。
321 :
待った名無しさん:03/03/05 11:12
>>320 玉の海氏:
気合が入って無意識でやってるのならともかく、
相撲の本質と関係ないことで目立とうとしてやってるのなら、
私は感心できませんねぇ…
神風氏:
元気があっていいんじゃないですか?
もっとも、空回りして相撲がおろそかになったら、本末転倒ですが。
322 :
待った名無しさん:03/03/05 22:37
玉の海さんの高見山に対する解説は、結構ユーモアがあった記憶がある。
玉の海さんは、高見山について「彼は、脇が甘いからね。」といつも
コメントしていたことを思い出してしまった。この解説に玉の海さんの
高見山に対するユーモアと温かみのあるコメントを感じた。一生懸命
やっているんだけれど、なかなか勝てない高見山に対する励ましの意味
があるのかなと感じてしまった。
323 :
待った名無しさん:03/03/06 01:25
神風さんは小錦が幕内上位で活躍していた頃、彼の素質・力をべたほめ
していたけれど、玉の海さんは小錦に対してどのような評価をしていた
のだろうか。玉の海さんも小錦については、北の湖同様にべたほめして
いただろう。あと2、3年長く玉の海さんが解説を続けていたら、小錦の
ことを解説する機会があっただろう。
324 :
待った名無しさん:03/03/08 20:01
325 :
待った名無しさん:03/03/08 20:04
>>323 神風氏はすでに小錦が新弟子のときNHK中継で
「こんなビッグな新弟子がハワイから・・」とやってたときに
「彼は絶対にモノになる。あの目がいい。」といっていた。
若高見や京竜、大韓山、伯山ら当時の外人勢が
伸び悩んでいた時代だった。
(^^)
327 :
待った名無しさん:03/03/17 01:48
玉の海さんの解説は、賛否両論があったけれど、
神風さんの解説は、多くの人が褒め称えているね。
もちろん二人とも名解説者であることは、変わりないが。
328 :
待った名無しさん:03/03/24 17:40
保守age
329 :
bloom:03/03/24 17:43
330 :
待った名無しさん:03/03/25 00:49
神風さんが相撲放送の解説を担当していた最後の時代は、
北勝海・双羽黒・小錦らが中心となったサンパチ組が
活躍していた頃だった。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
konnyamo,zettaini,sunpalasede,corchsaifuwo,kanetoissyoniget!
334 :
待った名無しさん:03/05/04 22:24
age
335 :
待った名無しさん:03/05/05 01:07
玉の海・神風両氏は、最近つり出し・うっちゃりといた下半身の強さが
ものをいう決まり手が少ないことを天国で嘆いているに違いない。
彼らがもし生きていたら現在の力士に足腰の鍛錬を強く要求するだろう。
二人とも荒稽古で鍛錬して幕内上位で活躍していたから。
336 :
待った名無しさん:03/05/05 23:49
玉の海・神風両氏は、双葉山を崇拝しているけど、昔の相撲が今の相撲
よりよかったと言っているだけの懐古主義じゃないのも確か。
337 :
待った名無しさん:03/05/06 21:21
338 :
待った名無しさん:03/05/06 21:41
神風さんの翌日に大鵬親方が解説についた日はとても聞いてられなかった。
いや、大鵬親方は立派な方なんですが、
「おきてんのかよ!」と突っ込みたくなるような。
339 :
待った名無しさん:03/05/06 22:35
>>338 確かに大鵬親方の解説が聞きづらいという声をよく聞く。
340 :
待った名無しさん:03/05/17 00:47
今日、ラジオで往年の玉の海、神風の解説をながしていたよ。
玉の海のあのゆったりして重厚な声質からの精神論、
神風の軽快で歯切れのよく、かつ理路整然としてわかりやすくまとめた解説
大相撲が、国技って感じで品位があったよ。
341 :
待った名無しさん:03/05/17 02:51
>>340 テレビでもやってた。
神風さんは北の湖全盛時のだったんだけど、解説聞いてて思わずタイムスリップしたような感じだったよ。
ああ、こりゃ今場所の北の湖は期待出来るなと。
玉ノ海さんは相撲を例えて、エレベーターを重い荷物を背負って逆に昇るような気持ちで行かなきゃならんみたいなこと言ってた。
例えウマーとオモタ
342 :
待った名無しさん:03/05/17 07:15
初めてこいつの解説を聞いたぜ。北の富士なんかよりこいつや出羽錦の方が面白い
343 :
待った名無しさん:03/05/17 19:24
神風さんは、阪神ファンだったのかな。四国出身だからその可能性が
大きい感じがするけど。
現に阪神の選手になる可能性もあったから。
344 :
待った名無しさん:03/05/17 19:26
>>343 阪神からスカウトされたのは有名な話だな
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
347 :
待った名無しさん :03/05/23 11:28
野球のレベルが低かったんだね。
今なら絶対ありえない。
348 :
待った名無しさん:03/05/23 11:42
昭和30年代頃までは観光気分のマイナーリーガーに本気で臨んだ
プロ野球選抜チームがボロ負けしてたからね。
その頃のプロ野球OBが現在のプロ野球レベルを昔より低下したと
嘆いているんだから片腹痛い。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
350 :
待った名無しさん:03/06/09 22:57
あげ
玉の海さんの解説 記憶があいまいで間違いあるかもしれないのだが・・・
若三杉(後の横綱若乃花→現間垣)が綱とりの場所だったと思う
三重ノ海(確か同じ大関だったと思う)との一番、立ち合いが合わず、
先に突っかけた三重ノ海に若三杉はふっ飛ばされてしまった
(5月場所九日目の朝青龍―旭鷲山戦みたいな感じね)
若三杉はそのことに切れてしまい、露骨に怒りを顕わし、
三重ノ海の差し出した手を邪険に振り払う(険悪なムード)
しかし、相撲は三重ノ海の勝利となり、若三杉は痛い一敗を喫した
アナにこの一番について聞かれた玉の海さん
「横綱に上がろうというものが、立ち合い腰を割っているのに
突っかけられたくらいで、もんどりうって倒れるなんて話にならないですよ
とても横綱の器じゃない ましてや、相手が差し伸べた手を打ち払うなんて・・・」
勝負のことにはあまり触れず、大層おかんむりだったのを覚えています
352 :
待った名無しさん:03/07/08 09:37
age
353 :
待った名無しさん:03/07/10 21:45
玉の海さんが健在なら朝青龍はボロカスだろうね。
ちょっとひどすぎるよ。彼は強い弱い以前の問題だよ。
354 :
待った名無しさん:03/07/11 22:37
朝青龍は市中引き回しの上、打ち首獄門。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
356 :
待った名無しさん:03/07/18 13:59
神風さんの声、相撲中継で久しぶりに聞いた。90年に亡くなったんだよね。
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
358 :
待った名無しさん:03/08/02 23:50
>>351 結局若三杉は、この1敗だけで優勝決定戦で北の湖に敗れたものの
前場所の昭和53年春場所に続き夏場所も優勝決定戦に出場しての
準優勝であったことと本割で北の湖を2場所続けて破ったことを
評価されて横綱に昇進した。横綱昇進後先代の名横綱・若乃花の
四股名を継承した。
しかし北の湖の厚い壁に阻まれたことと投げ技中心の取り口が災いして
優勝回数は、わずか4回にとどまった。
359 :
待った名無しさん:03/08/03 00:09
360 :
待った名無しさん:03/08/04 21:15
玉の海さんは、若三杉のことを顔がかわいいと言っていたらしい。
若三杉は、甘いマスクで女性にもてて当時の芸者や女子高生に人気が
あったね。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
363 :
待った名無しさん:03/09/10 20:17
age
364 :
待った名無しさん:03/09/18 01:06
365 :
待った名無しさん:03/09/21 22:36
今の相撲中継はダイジェストで十分。
神風さんや玉の海さんがいた頃は仕切りの間も退屈しなかったが
今の相撲中継は仕切りの間が非常に長く感じるよ。
全日、勝昭がやるならいいけどねえ。
367 :
待った名無しさん:03/09/26 01:08
368 :
待った名無しさん:03/10/02 00:58
最高だったよ!絶賛
369 :
待った名無しさん:03/10/21 18:49
370 :
待った名無しさん:03/11/18 16:42
お留守ですか?みなさん。
371 :
待った名無しさん:03/12/13 00:59
玉の海さんが相撲解説をためらっていた時期に彼が国技館に来た時、
双葉山が玉の海さんに対して、何もいわず右四つに組んできて、
そのとき玉の海さんの迷いがふっきれたそうです。
今でも友情の右四つとして語り草になっています。
372 :
待った名無しさん:03/12/14 01:12
力道山がプロレス転向した原因は、神風さん同様自分の番付に対する
不満があったことも理由の一つにされている。
当時は、出羽一門が番付で幅を持っていて、二所ノ関部屋が協会内で
冷遇されていたとのことです。
プロレス転向のもう一つの理由が養父だった玉の海さんとの金銭トラブル
も原因らしい。すでに力道山は、故人だからはっきりとした理由は、
わからないだろう。
プロレス転向後も力道山は、大相撲に強い愛着を持っていて、東富士・
千代の山と親交があったとのことです。
力道山は、一度力士に復帰しようとしましたが、力士会の反対で実現
しませんでした。
373 :
待った名無しさん:03/12/15 00:42
力道山が後に初代若乃花・琴が濱という二人の名横綱・名大関を
育てたことは、つとに有名です。
おそらく神風さんは、力道山に稽古をつけさせていたのだろうね。
昭和20年代の二所ノ関部屋の稽古の厳しさは、定評があった。
374 :
待った名無しさん:03/12/15 00:49
おそらく玉の海さんと神風さんは、今のように二所一門から
横綱・大関が一人もいない時代が来るとは、夢にも思わなかった
だろう。おそらく彼らは、天国で二所一門の現状にため息を
ついているに違いない。
376 :
待った名無しさん:03/12/15 01:29
現在の二所一門の衰退振りは、目に余るけど、
その二所一門の隆盛の功績は、玉の海さんによるところが大きい。
出羽一門は、なかなか分家を認めなかったけど、
玉の海さんは、分家を認めることによって、一門が繁栄するという
考えを持っており、後に佐渡ヶ嶽・花篭・片男波・二子山部屋など
から多くの名力士が育ち、二所一門が繁栄した。
377 :
待った名無しさん:03/12/15 13:40
>>372 当時は外国籍のものを大関にあげるべきではないという空気も
協会内にあったらしい
378 :
待った名無しさん:03/12/16 11:52
昭和50年代前半から中盤にかけての『大相撲』(読売新聞)の本場所総評座談会って、出席者が
天竜三郎
玉の海梅吉
神風正一
らが常連で、おおいに読みごたえがあった
379 :
待った名無しさん:03/12/16 22:46
>>377 その当時だったら朝青龍・曙・・武蔵丸・小錦は、
大関以上に昇進出来なかっただろうね。
380 :
待った名無しさん:03/12/16 23:36
玉の海さんが相撲解説者を辞めた昭和57年九州場所当時は、
説教調の解説者がいなくなると思った程度だけれど、
今となっては寂しい。
北の富士は、玉の海の解説を目指しているのかな。
北の富士の親友の横綱・玉の海の大師匠だから当然意識するだろうね。
北の富士の解説は、玉の海ほど言葉の重みを感じないのは、
私だけだろうか。
381 :
待った名無しさん:03/12/17 00:59
>>378 玉の海さんと神風さんは、NHK専属でNHK出版発行の
相撲雑誌にしか載らないのかと思っていた。
読売新聞発行の相撲雑誌にも載っていたんだね。
382 :
待った名無しさん:03/12/18 16:15
>>380 たしかに、北の富士の解説は面白いけど、玉の海氏のような重みは感じない。
玉の海氏は戦中戦後の大変な時期を二枚鑑札で大変な苦労をした人らしいから、言葉にも重みがあったんじゃないかな?
戦争経験が有るか無いかなんて、北の富士には何の責任も無いことだけどね。
383 :
待った名無しさん:03/12/19 00:48
>>382 現役時代の北の富士は、むら気があって横綱になってもいい成績を残す
場所と平幕並みの成績しか残せない場所があったからだと思う。
彼の現役時代を知っている相撲ファンからすれば自分のことを棚に
上げて手厳しいことばかり言っているという気持ちじゃないの。
野球解説者に例えると巨人の監督に就任した堀内恒夫みたいな感じ
とよく似ていると思う。
384 :
待った名無しさん:03/12/21 00:04
北の湖の解説は、いいと思う。あまり口が上手くないのが弱点で
あるが、的確だし、でしゃばりじゃないからかなり好感が出来る。
大鵬のように様々な力士に対して批判的なことを言わないから。
武蔵丸の引退の時にも自分の体験談を交えて彼に対して同情的な
インタビューに好感を持てた。
385 :
待った名無しさん:03/12/21 16:57
堀内は私生活は悪たれだったけどグラウンドでは
エースの責任ちゃんと果たしてたんじゃないの?
386 :
待った名無しさん:03/12/21 21:05
>>385 堀内は、確かに200勝したけど、ONを中心とした強力打撃陣を
バッグに投げていて、金田正一・鈴木啓志のように弱いチームで
300勝したのとは、違うからね。
本当はもっと勝ち星が多くても不思議じゃない投手だから。
要するに堀内と北の富士が天性の才能だけで好成績を残した点が
共通しているということだよ。多少の努力は、しているだろうけど。
387 :
待った名無しさん:03/12/22 01:56
片男波親方の現役時代の四股名・玉の富士は、横綱・玉の海と親友・
北の富士から付けられた。現役時代彼は貴ノ花・魁傑といった大関に
強く、上位で安定した成績を残した。一時期大関候補と言われたが
気の弱さが災いして関脇どまりに終わった。
現在の玉乃島は、横綱・玉の海の大関時代の四股名から付けられた。
現在の彼は、少し名前負けしている感じがする。先場所引退間際の
武蔵丸とはいえ勝ったからかなりの自信になったと思う。
388 :
待った名無しさん:03/12/23 21:22
玉の富士は、玉の海さんの孫弟子になるのならば、
さしずめ現在の玉乃島は、玉の海さんのひ孫弟子にあたるのだろう。
玉乃島の兄弟子・玉春日が現在では上位に通用しなくなっている
のは、残念だね。
389 :
待った名無しさん:03/12/24 21:03
玉乃島が今のような相撲を取っていたら
大関は、間違いないと思う。
390 :
待った名無しさん:03/12/25 16:57
>>387 玉の富士より明らかに実力が下の増位山はあれよという間に大関になってしまったね。
しかし実力が伴わないから惨澹な結果におわったけど。
391 :
待った名無しさん:03/12/27 23:38
>>390 増位山は、本当にワンチャンスで大関になったね。
趣味も多彩で歌や絵画もかなり得意だったね。
実際歌手デビューもしているし、二科展に出展しているしね。
392 :
待った名無しさん:03/12/31 13:36
393 :
待った名無しさん:04/01/01 00:33
謹賀新年!
394 :
待った名無しさん:04/01/02 21:30
このスレも3年目だ。
肩ロース リブロース サーロイン ランプ
│ __,,,,,, │ / /
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
( ,' ヒレi:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
! '、:::::::::::::::::::i
'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ │ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
バラ │`" \>
モモ
396 :
待った名無しさん:04/01/02 21:36
(;゚Д゚) <動けッ!!動け曙ォッ!!
(((φφ))
[ ̄ ̄] ガチャガチャ
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
( ,' i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
! '、:::::::::::::::::::i
'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
``" \>
397 :
待った名無しさん:04/01/03 17:26
曙は、力道山と違うということだ。
東富士・輪島・北尾など元横綱は、
なぜか異種格闘技で成功できない。
なんでだろう。
398 :
待った名無しさん:04/01/03 20:08
プロレスで活躍した力道山と天龍は、偶然にも元二所ノ関部屋の力士。
天龍は、昭和50年の二所ノ関騒動の犠牲者でもある。
彼自身は、押尾川部屋に移籍したかったけど、願いかなわず二所ノ関
部屋に残るはめになって、土俵に集中出来なくなって、プロレス入り
した。
399 :
待った名無しさん:04/01/03 23:27
>>398 同じく移籍できなかった大徹(当時三段目)は三役まであがっている。
理由にならない。
400 :
待った名無しさん:04/01/04 01:40
>>399 人それぞれでしょう。
人によって性格が違うから一概に言えない。
401 :
待った名無しさん:04/01/05 15:06
その頃、青葉城もプロレスに誘われたらしいね。
402 :
待った名無しさん:04/01/05 23:28
>>401 結局青葉城は、息の長い力士になったね。連続出場数では、高見山を
抜いて歴代1位。これは、ギネスブックに載っているよ。
相撲にスピード感は、なかったけど、力強さを感じさせる力士だった。
高見山同様に相撲が淡白だったせいか細く長く幕内で活躍する力士に
なったけど。
403 :
待った名無しさん:04/01/08 00:35
玉の海さんは、元大関・大受のことを
「土のにおいがする力士だ。」と評していました。
大受は、小兵ながらも突き押しの相撲で上位で活躍していました。
ただ彼は、怪我のためにわずか28歳の若さで引退したのが残念です。
404 :
待った名無しさん:04/01/08 00:46
大受は、27歳で引退しました。年齢を1つ間違えてしまった。
また大受は、一場所で殊勲・敢闘・技能の三賞を独占した最初の
力士です。(後に大錦・貴花田がこの快挙を達成。)
大受は、技能賞を6回獲得しました。
おそらく押し相撲で技能賞6回獲得した力士は、大受だけだと
思います。
405 :
待った名無しさん:04/01/08 00:54
琴ノ若バカ、琴ノ若死ね、琴ノ若殺す、琴ノ若アホ、琴ノ若ボケ
407 :
待った名無しさん:04/01/08 01:25
>>405 もう一人いたような気がしたけど、出島が三賞独占したのですね。
出島が三賞独占した平成11年名古屋場所は、曙と優勝争いをして
いて、優勝決定戦で曙を破って優勝しました。
今の出島は、なかなか上位に定着できませんが、全盛期のような
一気の攻めで再び上位に定着してほしいものです。
408 :
待った名無しさん:04/01/08 02:36
神風さんは、「自分は、玉の海さんのようなジョークを交えた
ユーモラスな解説が出来ない。」と語っていました。
玉の海さんは、「自分は、神風のような明確でテキパキとした
解説が出来ない。」と思っていたんじゃないかな。
結構玉の海さんは、神風さんの解説にジェラシーを感じていたと
思う。あくまで想像だけれど。
409 :
待った名無しさん:04/01/12 01:21
「大相撲・幕内の全取組」を今NHKで放送しているけど、
おそらく玉の海さんと神風さんはわしらが現役解説者の時に
放送してくれればよかったのにと天国で思っているだろう。
もし神風さんが生きていたなら技術論が聞けていただろう。
たった今放送終わったよ。
411 :
待った名無しさん:04/01/12 01:39
>>410 大錦は、三賞独占したことを404のレスで書いているよ。
すいません。
413 :
待った名無しさん:04/01/12 16:12
×「玉の海梅吉」○「玉ノ海梅吉」
既に突っ込んでいる人もいるかもですが・・・。
414 :
待った名無しさん:04/01/12 16:28
現役の時はカタカナだったんだけど、
解説者として復帰した時には代太郎の玉ノ海(後の玉乃海)が現役
だったので、まぎらわしくないように「玉の海」を名乗ったの
です。もっとも、後に玉乃島は横綱昇進した時に改名の許可を
もらったのかもしれません。
415 :
待った名無しさん:04/01/12 16:33
へえ〜。そうなんだ。勉強になりました。
僕がNHKで相撲見ていた頃(25年程前)には玉の海、神風両氏が
いい解説してましたね。それで相撲覚えた世代です。
416 :
待った名無しさん:04/01/12 16:37
漏れは玉の海さんはリアルでは知らないんです。(泣
神風さんがぎりぎりで聞けた世代です。ちょうど
若瀬川さんが解説者になった頃から見始めました。
玉・神のご両人は同意。辛口でしたね。
それに対し甘口なのが田子ノ浦(出羽錦)や緒方さんだった。
417 :
待った名無しさん:04/01/12 16:50
僕は玉=辛口、神=饒舌って印象でした。
田子ノ浦(出羽錦)さんは外国人力士にだけは厳しかった印象が(笑)
元北の洋の緒方さんは両国(非開催時)に出掛けた時、偶然見かけ
「デケェな」と思った印象が。
玉の海さんの魅力は、解説を引退された後に
辛口というか力士に厳しく語れる解説者がいなくなった後に気付きました。
元旭富士の解説も厳しいだけなら凄いものがありますが・・・。
418 :
待った名無しさん:04/01/12 17:00
神風さんは手さばきとかは随一でしたね。
ただ、リアルでは数回しか聞いたことがない(泣)
神風さんが病気でテレビに出れなくなったので代わりに
若瀬川さんが登場したんです。
出羽錦は千秋楽で一句ひねるのが個人的には楽しみだった。
○場所や 終わってみれば 貴乃花 とか。
安治川は今はあまり解説には登場しませんね。恥ずかしい話ですが、
この人で一番印象に残っているのは、関根勤のモノマネなんです(w
419 :
待った名無しさん:04/01/12 17:16
>>418 最後の一文がウケました(笑)
今日の出島の相撲など、玉神両解説者ならどう言うでしょう。
今の解説者は出島が元大関だからか、
怪我のみで弱くなったような、まるで気を使った言い方しますけど。
地位が上だろうと解説者は、
相撲内容に関しては厳しく言って貰いたいです。
元大関の親方が横綱に対して何も言えない状況と似てるとまでは
言いませんけど・・・。
420 :
想像した解説の一例:04/01/12 17:32
玉:「よく博多人形のように白い肌だといわれますが、
相撲まで人形になってはいけません。怪我のせいもあるでしょうが、
そればかりとはいえない印象もありますね。」
神:「玉の海さん、それはちょっと言い方がきついんと違いまつか?
ひざを怪我してからかばう取り口が目立ちますな。こう、もっと恐れず
前にぶつかっていくということをしないと、ただの元大関で終わるかも
しれまへんな。」
玉:「神風さん、あんたの方がきついじゃないか。わしはそこまでは
とてもじゃないが、いえないな。もう相撲とるのはやめたらなんて。」
421 :
待った名無しさん:04/01/12 19:50
>>414 当時大関だった玉乃島が横綱に昇進するさいに大先輩である解説者の
玉の海氏に「私に玉の海の四股名を継がせてください。」と頼んだ。
そうしたら玉の海氏が「今までどれほど八百長をしたのか知らないが、
玉の海の四股名を継ぐならば、横綱になったら一切八百長をするな。」
と言い、玉乃島にそのことを条件として、玉の海の四股名を継がせた。
玉の海さんは、横綱・玉の海を自分の子供のようにかわいがった。
「神風一代」の本の中で横綱・玉の海が双葉山の相撲を目指して
おり、彼は神風さんに双葉山のことをよく質問していたと書かれていた。
422 :
想像した解説の一例:04/01/12 20:20
423 :
待った名無しさん:04/01/15 00:56
玉の海さんが八百長をすごく嫌った最大の理由は、
八百長相撲をすることによって暴力団が関与することだった。
玉の海さんは、力士と暴力団とのつながりを無くしたいと考えていた。
424 :
待った名無しさん:04/01/15 01:19
元小結・大潮(現式守)は、八百長を一切しない力士で模範とされた。
玉の海さんは、大潮のことを「彼の土俵態度には、頭が下がる思いだ。」
と語っていた。
425 :
待った名無しさん:04/01/16 14:12
大潮って全部ガチで、あんなに長く現役続けたなんて凄いね。
426 :
待った名無しさん:04/01/19 01:42
>>425 高見山が常に幕内を維持して40近くまで相撲取ったのと比較すると
大潮は、幕内と十両を往復していた典型的なエレベーター力士だけに
価値が半減すると思う。
しかし大潮は、幕内や十両で随所に活躍していただけに長く現役を
続けたことは、立派だと思う。
427 :
待った名無しさん:04/01/20 02:07
3人の玉の海の中で最も早く亡くなったのは1971年の死んだ横綱・
玉の海正洋、次に亡くなったのは1987年の玉乃海代太郎(当時片男波
親方)、最後に亡くなったのは1988年の玉の海梅吉だった。
3人の玉の海の中で一番若い玉の海正洋は、27歳の若さで世を去り、
中間の玉乃海代太郎が64歳で死んだ。そして相撲解説者の玉の海梅吉が
75歳で死んだ。3人の玉の海は、年が若い順から亡くなっていった。
428 :
待った名無しさん:04/01/24 00:42
玉の海梅吉さんは、横綱・玉の海が活躍したときに彼のことを放送中に
アナウンサーから触れられるといつもご機嫌だった。
玉の海さんは、横綱・玉の海を相当かわいがっていたのが良くわかる。
玉の海さんは、横綱・玉の海の死を彼の親友・北の富士とともに
最も悲しんだ一人だった。
429 :
待った名無しさん:04/01/30 01:40
現役時代無口と言われた力士が放送でマイクに向かうと饒舌になることが
よくあるけど、玉の海さんは現役時代無口と言われており、放送中何も
しゃべらないのではないかと心配されていたが、ぼそぼそとしゃべって、
時々面白いことを言って、視聴者からも人気が出るようになった。
神風さんは、饒舌で理論的でわかりやすい解説として人気を博した。
そもそも神風さんが解説者になったきっかけは、ラジオの街頭番組で
相撲ファンからの質問に対して、的確にわかりやすく答えたことで
NHKから相撲解説者の依頼がきたことだった。玉の海さんが解説者に
なったきっかけは、NHKから神風さんにもう一人解説者を紹介して
ほしいということで、自分の師匠である玉の海さんが紹介されたこと
だった。
430 :
待った名無しさん:04/01/31 00:33
神風さんは、玉の海さんが後に名解説者になったわけだから
先見の明があったということか。
431 :
待った名無しさん:04/01/31 00:54
>>427 玉乃海代太郎はすごいよな。
時代背景から考えても、あんな人はもう二度と出てこない。
幕下のホープ→上海で酔って憲兵を殴る→破門→海軍、陸軍を経て満州で終戦→
シベリアに送られる寸前に脱走→四国、九州で草相撲荒らし→
昭和25年、玉ノ海梅吉に声を掛けられ、幕下付け出しで9年ぶりに角界へ復帰(27歳)→
昭和32年11月場所、黄金の締め込みで平幕優勝
映画に出来そうな人生だ。
代太郎は酒癖が悪く、泥酔して都電の線路の上でグースカ寝込んで都電に
轢かれそうになり、都電を止める騒ぎを起こしたことが、一回だけでなく
3回もあったらしい・・。
433 :
待った名無しさん:04/01/31 01:40
玉乃海は、憲兵に銃殺される危機に玉ノ海と羽黒山の懸命の懇願によって、
相撲協会の破門だけですんだ。
そして昭和28年5月場所2日目に命の恩人・羽黒山と対戦して勝った。
この一番が羽黒山の現役最後の一番となった。
434 :
待った名無しさん:04/01/31 12:46
玉乃海の弟子・玉ノ富士も波乱万丈な人生だよ。
昭和42年5月場所に初土俵を踏んで序の口で好成績を残したにも
かかわらず、角界のしきたりになじめず、職を転々として、自衛隊に
入隊した。自衛隊を退職した後、再び角界の門をたたいて昭和45年
9月場所に再土俵を踏んだ。後に昭和49年9月場所新入幕を果たした。
435 :
待った名無しさん:04/02/09 00:48
玉乃島は、片男波が二所ノ関から独立するさいに当時幕下だったにも
かかわらず将来有望だということで両部屋で争奪戦になった。
結局玉乃島は、片男波部屋の配属になった。そのおかげで後に同門対決
が実現することになり、大鵬と玉の海の好取組が実現した。
大鵬と玉の海の対戦成績は、21対7で大鵬の圧勝だが、佐田の山・豊山・
北の富士など他の上位と大鵬との対戦成績を比較すると玉の海は、大鵬に
対して善戦したといえる。実際大鵬は、小兵・玉の海に対して取りにくく
若干苦にしていた相手だった。
436 :
待った名無しさん:04/02/09 23:48
初場所の玉乃島を期待したけど、関脇で6勝9敗。期待はずれだった。
家賃が高かったのかな。まだ先代には、追いつきそうにない。
437 :
待った名無しさん:04/02/13 23:57
玉の海梅吉さんが、横綱・玉の海をかわいがっていたエピソードをひとつ。
大相撲中継の中で
北出アナ 「横綱・玉の海が三人の玉の海の中で自分が一番偉いと言って
いましたよ。」
玉の海梅吉「自分は元関脇だからねえ。」
と玉の海梅吉さんは、うれしそうに語っていたそうだ。
438 :
待った名無しさん:04/02/15 00:55
出羽錦忠雄さんは、玉の海・神風と比べて甘口の解説という印象が
あります。しかし時折厳しい批評も聞かれます。
これは、出羽錦さんがひざの怪我のために攻めの相撲が出来なくなって
守りの相撲にならざるを得ません。そのために勝ち星が伸びず上位を
断念せざるを得なくなりました。その無念さが時折見せる厳しい解説に
つながっているのだと思います。不本意ながらも相撲を楽しむことに
よって39歳まで幕内で相撲を取ることが出来ました。人生とは、本当に
わからないものです。しかしなかなかの実力者で初代若乃花に対して
2つの金星と3つの引き分けを演じています。軽量の若乃花は、腰の重い
出羽錦に対してかなり苦戦しました。また大鵬に対しても2つの金星が
あり、決め出しで勝ったこともあります。あの大鵬を決め出しで破るくらい
ですからかなりの実力者であることがわかりますね。
玉の海さんも出羽錦さんと事情が違うとはいえ、大関を断念せざるを得ない
状況になったわけですから解説者時代には、無念さを感じていたと思います。
玉乃島が横綱に昇進するさいに玉の海の四股名を継がせてくださいと言われた
時は、梅吉さんは内心とても嬉しかったと思います。
玉乃島は、玉の海さんの人間性を尊敬していたと思います。
梅吉さんは、横綱・玉の海を自分の分身と思い、自分の無念を晴らしてほしい
と思っていたはずです。そして梅吉さんは、彼を応援して実の子供のように
かわいがっていたそうです。
439 :
待った名無しさん:04/02/15 07:48
>>438 自分から継がしてほしいと言ったのか。初めて聞いた。
440 :
待った名無しさん:04/02/15 21:05
神風さんが著した「神風一代」は、とても読み応えがあって面白い。
各時代の力士評も的確でなかなか良かった。紙面の都合で幕内で
活躍した全力士を載せることが出来なかったのがちと残念ですが。
この本で神風さんが名解説者であることが良くわかりました。
最近図書館でこの本を読めないのが残念ですが。
高齢スレは、カキコが長いなw
442 :
待った名無しさん:04/02/15 21:11
443 :
待った名無しさん:04/02/15 21:14
これほど長く続くと重複レスも多くなってしまう。仕方ないか。
444 :
待った名無しさん:04/02/17 03:45
玉の海梅吉さんと神風正一さんの解説が入った好取組のテープを
販売してくれないかな。販売したら即買うのだが。
445 :
待った名無しさん:04/02/18 00:10
このスレは、あと2年位続きそう。
本当に息の長いスレだ。
446 :
待った名無しさん:04/02/18 00:39
玉の海、神風、出羽錦ときて、
緒方昇さんが「北ノ洋さん」ではなかったのは呼びづらかったからかな?
447 :
待った名無しさん:04/02/18 01:48
>>446 本人が本名で呼ばれることを望んだからじゃないの。
北の富士だって四股名で呼ばせているから。
緒方昇さんの解説は、力士を持ち上げる典型的なヨイショ解説
だったね。緒方さんの娘婿が武隈親方(元関脇・黒姫山)だから
厳しいことは、言いづらかったのだろう。
448 :
待った名無しさん:04/02/18 02:02
大相撲の解説が甘口になったのは、緒方さんがNHKの専任解説者に
なった1988年ごろかな。
尾車・北陣(共に技術解説はすばらしいが)も甘口の解説者に入ると思う。
449 :
待った名無しさん:04/02/18 02:54
出羽錦はアナウンサーのいうことに
いちいち反論する解説でウザかった。
450 :
待った名無しさん:04/02/23 00:06
玉の海さんは、1982年九州場所千秋楽に70歳でNHK解説者を
勇退したけど、それまで病気ひとつしなかったのは、立派だと思う。
「評伝・玉の海梅吉」の中で一人息子がいたことが記述されていたが、
もうすでに亡くなったらしい。
451 :
待った名無しさん:04/03/03 00:45
玉の海さんが解説者生活を勇退する記事が昭和57年九州場所千秋楽の
日に朝日新聞に載った。
そこでの彼は、「土俵の取組を解説することは、簡単だけれど、土俵の
見えない部分を解説することが難しかった。」とコメントしている。
神風さんが技術的な観点の解説なのに対し、土俵を通しての力士の生き様
など精神的な観点の解説が多かった。また敢闘精神のある力士には、負けて
も惜しみない称賛をした。厳しいだけでなく温かみのある解説だった。
452 :
待った名無しさん:04/03/03 01:31
玉の海・神風両氏にとって柏鵬時代が大鵬の独走だったのは、残念に違い
ない。両氏とも柏戸のスピードがある威圧感のある立会いは、好みだった
と思う。もし柏戸が怪我や糖尿病におかされなければ、拮抗した2大横綱
時代になっていたと思う。玉の海・神風両氏とも大鵬より柏戸を褒め称えて
いたから。大鵬も相手力士に合わせて様々な立会いをしていたから今は、
大鵬の取り口についてそれほど高い評価を受けていないが、将来後年には、
考えた取り口として高い評価を受けると思う。
453 :
待った名無しさん:04/03/05 22:41
玉の海梅吉さんは、北玉時代の北の富士対玉の海の取組を楽しみにして
いたみたいです。横綱昇進直前の北の富士の取り口を高く評価して80点
の高得点を与えていました。やはり玉の海さんも横綱・玉の海の親友・
北の富士のことも気にかけていたみたいです。
454 :
待った名無しさん:04/03/05 22:55
神風さんは、千代の富士の取り口について土俵際のねばりが初代・若乃花
譲りで技の切れは栃錦譲りと高く評価していた。
455 :
待った名無しさん:04/03/05 23:11
梅吉さんが、遺言状として週刊ポストに語った大鵬、玉の海戦の八百長問題。
今でも切り抜きを持っているが、内容が凄まじい。
456 :
待った名無しさん:04/03/05 23:20
>>455 昭和46年初場所の大鵬最後の優勝の時に
優勝決定戦で大鵬が玉の海に逆転したときでしょう。
457 :
待った名無しさん:04/03/05 23:27
昭和57年11月のアサヒ芸能の記事で梅吉さんは、大鵬より
北の湖のほうが戦後最高の横綱と語っていた。
458 :
待った名無しさん:04/03/06 00:37
459 :
待った名無しさん:04/03/06 01:10
>>456 そうです。私と同じ蒲郡市出身の玉の海を応援してて本割り決定戦ともに敗れて
ものすごくショックでした。その負けた夜、玉の海は皇居あたりを走っていたというのを
聞かされ・・・
あとになって八百長と知り腹がたちました。
460 :
待った名無しさん:04/03/06 01:13
玉の海さんは、現役時代の四股名は「玉ノ海」だったが、確かに解説者時代は「玉の海」だったよな。
「ノ」が「の」に変わった事情を知っている方がおられたら、教えて下さい。
黒海バカ、黒海死ね、黒海殺す、黒海ボケ、黒海アホ、黒海クソ
黒海死亡、黒海オナラ、黒海死んだら最高、黒海朝鮮帰れバカ
黒海だけはガチ、黒海ウンコ、黒海は漢字が読めない
黒海は地球に一番いらない人間 黒海はクソして寝ろ
このボケクソ黒海め、早く日本から出てけ、黒海、お前は早く死ね
黒海お前は大バカ者だ、早く相撲やめろ、ボケ
黒海、お前はクソして寝ろ
463 :
西澤真佐雄:04/03/06 02:39
黒海このボケ、お前は早く相撲辞めて死ねっていってるんだよバカ
黒海お前がいるせいで相撲は目茶苦茶になっていくんだよ
464 :
待った名無しさん:04/03/07 10:43
>>459 確かこの一番は、水入りの熱戦になったと本で読んだけど。
私がまだ物心をつく前だから良くわからない。
465 :
待った名無しさん:04/03/07 12:56
>>464 そうかもしれない。
大鵬が土俵中央で、いい体勢になりながら、なかなか動かなかったことを覚えてます
466 :
待った名無しさん:04/03/07 13:21
>>460 解説を始めたときに先代片男波が「玉ノ海」を
名乗っていたからです。のちに玉乃島が横綱昇進時に
名前をもらいますが・・。
467 :
待った名無しさん:04/03/07 13:40
>>465 意外と大鵬も体が固くなったんじゃないの。
先場所の昭和45年九州場所は、玉の海が大鵬を
優勝決定戦で下したはず。
468 :
待った名無しさん:04/03/07 17:45
昭和46年初場所千秋楽・優勝決定戦のの大鵬ー玉の海戦は、好角家の間
でも名勝負といわれているだけに八百長が行われている話は、意外でした。
大鵬が玉の海に八百長を持ちかけたということは、大鵬本人が体力に
かなり自信を失っていたのでしょう。
469 :
待った名無しさん:04/03/07 22:48
力道山の映画で玉の海梅吉さんのことを極悪非道の大村親方として
描かれていた。NHKは、この映画を相撲解説者・玉の海梅吉の
人柄を視聴者に誤解を与えかねないとして映画会社を相手取って
裁判を起こそうとした。
しかし玉の海梅吉さんは、裁判を起こさないでくれと頼んだ。
それは、裁判を起こすことによって力道山の生い立ちについて
触れることになり、力道山本人も傷つくし、自分も傷つくことに
なるから虚像の中で力道山を生きさせたほうがいいと考えていた
からだった。
470 :
待った名無しさん:04/03/07 22:58
>>461-463 頼む。黒海のことを悪く書かないでくれ。
政情不安のグルジアからはるばる日本まで来て
一生懸命相撲で生計を立てようとしているのだから。
471 :
待った名無しさん:04/03/08 00:45
472 :
待った名無しさん:04/03/08 01:04
都内のどこかのデパートで玉の海梅吉と神風正一展を開催してほしい。
去年日本橋島屋で力道山展を開催していたね。見逃してしまったけど。
玉の海梅吉さんは、角界の大久保彦左衛門と言うより角界の北大路魯山人
と言ったほうが的確な感じがする。芸術にも精通していたし、絶対的な
相撲観を持っていたから。
473 :
待った名無しさん:04/03/15 23:49
他のサイトのネット検索すると玉の海さんより
神風さんの解説が好きな人のほうが多かった。
神風さんは、素人好みの解説で
玉の海さんは、玄人好みの解説という風評があった。
その差かもしれない。
474 :
待った名無しさん:04/03/16 00:47
玉の海さんは、神風さん同様に各力士の技術的長所と欠点を指摘していた。
しかし表現が婉曲だったからあまり素人には、好かれなかったのかも
しれない。ただし表現が面白かったからかなりのファンがいた。
北の湖が横綱に昇進した時、
玉の海さんが「北の湖は、よく稽古をする。」と誉めていたのに対し、
神風さんは、北の湖の技術的欠点を指摘して要注意力士の名前を
挙げていた。
精神論の玉の海、技術論の神風という対比がよく表れているような気がする。
475 :
待った名無しさん:04/03/16 23:46
玉の海・神風両氏は、北玉時代が長く続くことを願っていたのかも
しれない。玉の海・神風両氏は、北の富士と玉乃嶋二人が横綱に昇進
する直前の相撲を高く評価していたから。二人が横綱に同時昇進した
昭和45年は、大鵬がすでに力が衰えていて、北の富士と玉の海が土俵
の主役になっていた。そして昭和46年夏場所大鵬が引退して北玉時代が
本格化すると思った矢先に昭和46年10月に玉の海が盲腸で急死した。
あっけなく北玉時代は、終焉を迎えた。しかし柏鵬時代が大鵬の独走に
終わったのに対し、北玉時代がわずか1年とはいえ両者が拮抗して非常に
理想的なライバル関係にあったと思う。北の富士が横綱になっても成績に
ムラがあるのに対し、玉の海が横綱になって安定した成績を残した。
さぞかし北玉時代があまりにも短かったことを玉の海・神風両氏は、終生
残念に思っていたに違いない。
476 :
待った名無しさん:04/03/28 10:42
読売新聞社発行の「相撲」の中で玉の海さんは、柏戸が怪我が無く
万全な状態だったら大鵬より強いと語っていた。
玉の海さんは、「柏戸の腕力の強さ・立合いの出足の速さは、別格だ。」
と語っていた。
477 :
待った名無しさん:04/04/04 02:30
来場所の夏場所の幕内中入りに玉の海さんと神風さんの解説を放送して
欲しいのだが。去年見逃したから。
478 :
待った名無しさん:04/04/11 18:58
神風さんは、栃錦の技能相撲と初代若乃花の土俵際の粘りを
とてもほめていた。
479 :
待った名無しさん:04/04/12 03:06
神風さんは、二所ノ関部屋の力士だから初代若乃花に対して
稽古を良く付けていたのだろう。
当時の二所ノ関部屋は、かなりの荒稽古だったという定評が
あったから若乃花もかなり鍛えられていたのだろう。
480 :
待った名無しさん:04/04/14 23:14
>>476 玉の海さんが柏戸の強さについて語ったのは、昭和42年名古屋場所で
最後の5度目の優勝を飾った時です。
玉の海さんも神風さんも柏戸の怪我、病気が無ければ柏鵬時代が
もっと白熱していたと強く感じていました。
481 :
待った名無しさん:04/04/25 01:33
玉の海さんは、神風さんと同じような解説にならないように技術的な
点より精神的な解説をするように心がけていたのかもしれない。
玉の海さんも神風さん二人とも視聴者に大相撲を楽しんでもらうことを
主眼にしていたと思う。
482 :
待った名無しさん:04/04/25 01:43
神風さんは、口が達者で饒舌な解説をされていたけど、
玉の海さんは口下手だったけど、朴とつで表現のうまい解説をされていた。
神風さんは、取り口の内容を事細かに説明したけど、
玉の海さんは、全力を尽くして負けた力士をほめていた。
483 :
待った名無しさん:04/04/25 03:07
関取名鑑のサイトで神風正一さんの出身地が香川県東かがわ市に
変わっていた。かっこで旧香川県大川郡と書かれていた。
最近の市町村合併で知らない都市名が増えた印象が強い。
そろそろ新しい地図帳を買わないといけないなあ。
玉の海さんの出身地は、長崎県大村市だけれど、実家は
当時大村市でなくて後に大村に合併されたとのことです。
>>476 柏戸って自分で腕力ないっていってたような。
腕力なくて四つ身になると不利だから立会い一気に持ってく相撲を
磨いたとなんかに書いてあったな。
>>484 名前付け忘れた。
私生活だけを見て玉錦の土俵人格を受け継げなかった玉ノ海は半端もん。
自分だけが正しいと思って、相手の意見を聞けないタイプ。
玉錦を評して「富士山は遠くから見るときれいだが実際は石ころがゴロゴロ
していて見れたもんじゃない。神風は遠くから見ているだけだったが、
わしゃ登ったんだ」とかいったらしいが、石コロにばかり気がいって、
富士山の美しさに気づかなったのはあんたの方だろといってやりたい。
486 :
待った名無しさん:04/04/25 05:05
>>484 柏戸ファンだった知り合いのお町医者が、柏戸は相手の足を蹴飛ばしながら前に出るから強いんだよ、と教えてくれたけど、子供の自分にはよく理解できない技だったな
487 :
待った名無しさん:04/04/25 13:30
玉の海さんは、見に覚えに無い罪でGHQに捕まった。
釈放されたけど相撲協会の冷たい態度に嫌気がさして
昭和26年にに所ノ関部屋を佐賀ノ花に譲った。
488 :
待った名無しさん:04/04/25 13:35
玉の海梅吉さんは、誤解されやすい性格であることも事実。
不器用な性格が災いしているのだろう。
489 :
待った名無しさん:04/04/25 22:24
大相撲の解説者で疑惑相撲(当時は無気力相撲と呼ばれていたな)をずばり取り上げて苦言を呈したのって玉の海梅吉さんぐらいだよね
協会からはお覚えが宜しくなかったのは言うまでもないが、よくNHKが使い続けたという気がする
やはり人望というか人徳があっただろうね
490 :
待った名無しさん:04/04/25 22:37
>>489 確かに玉の海梅吉さんは、人徳があったと思う。
NHKアナの中で志村アナを筆頭に北出・杉山・向坂アナは、
完全に玉の海フリークだったからね。
491 :
待った名無しさん:04/04/25 23:10
玉の海さんは、佐田の山・豊山・北の湖が特に気に入った力士であったが、
いずれも理事長になっているわけだから結構人を見る目があったと
いうことだね。ただの偶然では、無いと思う。
別に玉の海さんは、彼らだけがお気に入りだったわけじゃないけど。
492 :
待った名無しさん:04/04/26 00:15
玉の海さんは、盆栽が趣味で豊山が巡業で盆栽の手入れが出来ない時、
代わりに盆栽の面倒を見たのは、有名な話です。
豊山が巡業から本場所に戻ってきた時、手入れのされた盆栽を届けら
れた時、感動したとのことです。
玉の海が現役時代に大関になれなかったのが不思議。
494 :
待った名無しさん:04/04/29 11:31
>>493 玉錦が急死して玉ノ海が二枚鑑札になって、親方と力士を
兼務したため土俵に集中出来なかった。
門前仲町の富岡八幡宮の大関碑の最強関脇に玉ノ海梅吉さんの
名前が刻み込まれています。
玉ノ海さんが強豪力士であった証明といえます。
星取り表からも昔の基準なら大関にしても良いのになあ、と思う。
496 :
待った名無しさん:04/05/05 13:25
>>495 二所ノ関部屋だったせいもあるかもしれない。その当時は、番付面で
出羽の海部屋が優遇されていたから。事情は、よくわからないが。
神風さんは、昭和25年1月場所で東前頭2枚目で羽黒山・東富士の
2横綱に金星を挙げて9勝6敗の好成績だったが、西前頭筆頭に
留まったことから番付編成に不満を持ったことから翌5月場所に28の
若さで引退した。この時も出羽の海部屋の力士が優遇された。
497 :
待った名無しさん:04/05/05 13:38
神風さんが相撲協会に不満を持っていたのは、番付編成面以外にも
2横綱を破りながら三賞をもらえなかったこともあると思う。
その場所の羽黒山は、12勝3敗の準優勝だったからなおさら
神風さんが殊勲賞を獲得していないのは、おかじい。
二所ノ関部屋の力士を相撲協会が冷遇していたか一目瞭然と言える。
498 :
待った名無しさん:04/05/08 02:43
昭和25年1月場所で吉葉山が殊勲賞を獲得しているが、しかし金星が
照国に勝った1個だけでしかも照国は、2勝2敗11休だから神風のほうが
殊勲賞をもらうべきだった。吉葉山は、東前頭3枚目で10勝5敗だから
敢闘賞に該当すると思う。ただこの場所で初代・若乃花が新入幕でいきなり
11勝4敗で敢闘賞を獲得するのだから入幕当初から非凡なものを持って
いたのだろう。
>>493-496 本人が八百長受けなかったからっていってたらしいぞ。
ソースは「大相撲こてんごてん」
500 :
待った名無しさん:04/05/08 11:10
>>499 玉の海梅吉さんは、出羽湊の八百長を受けて一生後悔したと自伝の中で
書いていた。それ以後八百長の依頼がきても断るようになった。
そのことが玉の海が大関に昇進出来なかった原因であることは、初めて
知った。
501 :
待った名無しさん:04/06/01 17:08
あげ
502 :
待った名無しさん:04/06/18 22:03
そういえば先場所の夏場所では、大相撲中継で玉の海さんと神風さんの
解説を中入りの時しなかった。
やっぱり去年は、大相撲中継50周年だから特別放送したのかな。
ちなみに大鵬32回目の優勝の裏の話も玉の海梅吉経由で聞いたな
3代目もからんでるから客観的な話かどうかはわからないが。
504 :
待った名無しさん:04/06/19 01:28
>>503 大鵬が横綱・玉の海との八百長で逆転優勝したこと。梅吉さんが言うぐらい
だからかなり信憑性があると思う。梅吉さんは、金や名誉を欲しがるような
人じゃないから。
505 :
待った名無しさん:04/06/19 01:38
玉の海梅吉さんがなくなったのは、昭和63年10月だけれど週刊ポストの
八百長告発記事で協会関係者の告別式の参列がなかった。その当時の理事長
は、初代若乃花だった。玉の海さんは、初代・若乃花に対しても批判的な
ところがあったからかな。
正洋も非常にためらいつつ、「でも断れない・・」と落ち込んでた
そうで、梅吉の心も痛んだそうだ。
ところで梅吉は「双葉山は腕相撲は弱かった」と言ってた。
双葉の腕力はさほどでもなかったといわれるが
玉の海の腕力が頭抜けていたせいもあるだろうね。
507 :
待った名無しさん:04/06/19 22:25
玉ノ海梅吉
情にもろく、男気はあるが剛直で誤解されやすい。
二所一門の大所帯を背負い、ついに大関になれなかった男。
508 :
待った名無しさん:04/06/20 13:36
>>506 玉の海正洋が大鵬に逆転優勝をさらわれた時、玉の海は、
支度部屋でやるせない気持ちでたばこを吸っていたそうだ。
玉の海は愛想が悪く後援者に対し上手く立ち回れなかったという。
ある宴席で後援者(多分玉の海のではなく部屋の後援者だったのであろう。)が
「玉の海というのは失礼な奴だワシに酌のひとつもせん」といわれ
「私は男芸者じゃない」と言って席を立ったところお膳を倒してしまったが、
謝るのもなんなので「失礼!」と一言残して去っていったそうだ。
当の後援者は男気のある人らしく玉の海は面白い奴だということで
その後も贔屓したという。
相手がいい人でよかったねという相撲にとって良い時代の話。
510 :
待った名無しさん:04/06/21 22:39
玉の海さんの怪力は、有名で大の男2人を両腕に乗せたり
小柄な芸者と大柄な芸者を両肩の上に乗せたりしたことが
あるそうだ。
511 :
待った名無しさん:04/06/22 01:26
「神風一代」の本によると玉の海が双葉山と腕相撲をやると玉の海の
ほうが強いに稽古になると双葉山を玉の海を軽々と吊り上げたそうだ。
また神風さんは、大鵬と双葉山の共通点として共に腕力が弱い点だと
言うところを見ると実際双葉山は、腕力が弱かったみたい。
しかし双葉山は、下半身と腰がかなり強かったとのことです。
512 :
待った名無しさん:04/06/22 02:21
神風さんの取材熱心さは、かなりの定評があった。各力士のささいな欠点を
見逃さなかった。また素質のある力士に対しては、的確なアドバイスをした。
その裏づけがあったからこそ誰もがうなる的確な技術的な解説が出来た。
VTRがなかった時代各力士は、神風さんの解説をテープで録音していた。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい:04/07/22 19:42
玉の海梅吉さんが今でも生きていれば、優勝や三賞以外に別の表彰項目を
設けることを相撲協会に提案していたかもしれない。解説でも例え勝負に
負けても敢闘精神がある力士を褒め称えていたし、勝ち星の数だけで評価
するのは、おかしいと自著の本に書かれていたから。
514 :
待った名無しさん:04/07/22 19:56
番付も超越していたように思います
千秋楽の放送でアナが来場所の番付予想を聞いても
神風さんは楽しそうに話したが
玉の海さんはあまり興味なさそうだった
(特に三役に上がれるか上がれないかの時)
515 :
名無しさん@お腹いっぱい:04/07/22 23:24
玉の海梅吉さんは、変化技で勝った力士に対して
手厳しい批評だった記憶があります。
516 :
待った名無しさん:04/07/23 12:55
>>511 神風一代を読んだ限りでは
神風は佐賀ノ花のことがキライだな。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい:04/07/25 01:43
>>516 神風さんは、佐賀ノ花のことをどのように書いていたの。
神風さんは、大鵬のことを大記録を残したわりに取り口の印象が薄いと
書かれていたけど。確かに大鵬は、相手に合わせた取り口で自分の型で
勝つというタイプの横綱でなかった。
大鵬の師匠・佐賀ノ花に対して神風さんは、いい印象を持ってなかった
みたいですね。
518 :
待った名無しさん:04/07/31 09:42
>>517 遅レスですが
戦後すぐの二所ノ関部屋は玉ノ海派、佐賀派その他に分裂しており
神風さんは梅吉さんの懐刀として働いていたので
分派行動をする佐賀に対して批判的な記述になっていました。
519 :
待った名無しさん:04/07/31 16:19
玉の海さんは末期の頃ラジオで解説時、優勝がかかった一番で勝負が終わった後まで
解説出来ず優勝決定後コメントをアナウンサーに求められたところ「私が解説したか
ったのにあんた聞いてくれなかったじゃないか!」と怒り爆発したことがあった。
テープに録音したのでもう一度聞きたいがいつの場所だったか忘れてしまった!
520 :
待った名無しさん:04/08/22 12:03
521 :
待った名無しさん:04/08/22 14:32
>>520 是非聞きたいが効きたいになってしまった。
文章間違ってすまん。
522 :
待った名無しさん:04/08/28 12:14
神風さんは、千代の富士を高く評価していた。千代の富士が引退する
一年前に亡くなったけど、もし千代の富士引退後も神風さんが生きて
いたならば、どれくらいの評価をしていたのだろうか。
523 :
待った名無しさん:04/08/28 22:35
神風さんは、「神風一代」の本の中でも千代の富士のことを
べた褒めだった。北の湖より高い評価だった。
高鉄山さんは、「八百長」の本の中でも増健のことを
べた褒めだった。板井より高い評価だった。
525 :
待った名無しさん:04/08/29 00:12
>>524 あの例の内容が疑わしい八百長暴露本のことか。
526 :
待った名無しさん:04/09/01 01:56
神風さんは、輪島が学生出身初の横綱になった時、「学生相撲のレベルが
上がったのか、周りの力士のレベルが落ちたのかわからない。」と言った。
神風さんの輪島に対する評価は、高かったような気がする。
527 :
待った名無しさん:04/09/03 02:05
輪島は、常識外れの力士だったから神風さんは、強く興味を
持っていたのかもしれない。
528 :
待った名無しさん:04/09/03 02:10
輪島は、常識外れの異能派力士だから
神風さんは、強く彼に興味を
持っていたと思う。
529 :
待った名無しさん:04/09/03 02:13
>>527-528 書き込みが出来たことを知らなかったから
同じ内容の書き込みになってしまった。
530 :
待った名無しさん:04/10/05 05:36:16
>>522 >>523 でもその神風氏は、千代の富士に凄く厳しい事を言った事もあったぞ
千代の富士が1981名古屋から1982秋にかけて隆の里に8連敗した後に
千代の富士が「もう隆の里は顔も見たくない。」と弱音を吐いたが
その隆の里に負け続ける千代の富士に対して
神風氏は「横綱が同じ相手に8連敗もするなんてあまりにも情け無い。これじゃ横綱失格だ。」と凄く厳しい事を言った。
神風氏に厳しい事を言われた千代の富士は次の1982九州場所で9場所ぶりで久しぶりに隆の里に勝った。
神風氏に厳しい事を言われて千代の富士は発奮したのだろうか?
531 :
待った名無しさん:04/10/11 02:03:14
>>530 この事は、知らなかった。千代の富士は、とにかく隆の里に弱かった。
昭和57年九州場所に千代の富士が隆の里に勝ってからもなかなか勝て
なかった。隆の里の引退間際に千代の富士が勝てるようになったけど。
532 :
待った名無しさん:04/10/11 19:51:55
千代の富士は、隆の里に脱臼癖をつかれて右上手を差させない
取り口だったような気がした。遠い昔だから記憶違いかも。
533 :
待った名無しさん:04/10/11 20:11:09
<右上手を差させない
記憶違いのまえの問題ですね
534 :
待った名無しさん:04/10/12 18:26:06
横綱 輪島 北の湖
解説 神風 玉の海
この時代がサイコー!
535 :
待った名無しさん:04/10/14 23:04:44
>534
実は俺もそう思ってたよ。
あとアナウンサーとのコンビネーションも良かった。
536 :
待った名無しさん:04/10/14 23:17:00
>535
北出清五郎さんだよね?
もはや大相撲中継の伝説だね。
あの人は実は大鵬と輪島の大ファンだったみたいだよ(有名かな?)
537 :
待った名無しさん:04/10/14 23:31:45
今じゃ相撲中継はダイジェストで十分。
538 :
待った名無しさん:04/10/15 21:01:36
>>536 北出アナは大鵬が有利な体勢になると
「大鵬有利!大鵬絶対有利!」とよく口に出たな。
539 :
待った名無しさん:04/10/17 22:45:16
杉山アナは、柏戸だと「一気に出た。」という一言だけで終わったけど、
大鵬の時は、じっくりと取り口を実況できて実況しがいがあったと
本の中で書いていた。
540 :
待った名無しさん:04/10/19 19:11:55
大鵬は、柏戸のように一気に出る力士や栃ノ海や玉の海など小兵力士
に対してビデオで見て取りにくそうだった。
逆に佐田の山・豊山・北の富士など中型力士に対しては、取りやす
そうな感じだった。
大鵬は、大型力士に合口が良かったっけど、柏戸だけは、苦手に
していた。裏を返せば柏戸だけが大鵬に拮抗する力があったと
いうことだと思う。
玉の海梅吉さんも柏戸が大鵬と同等の力があると言っていた。
541 :
待った名無しさん:04/10/22 00:57:54
日刊ゲンダイで陸奥嵐がひざにサポーターをつけていたことに解説を
していた玉の海に怒られて、腹に立ったと書いていた。
どうして玉の海梅吉さんは、陸奥嵐のサポーターに怒ったのかな。
他にサポーターをする力士がいるだろうに。
凶器を隠していたからさ!
543 :
待った名無しさん:04/11/03 03:20:41
544 :
待った名無しさん:04/11/03 05:29:08
神風と犬猿の仲だった、元横綱安芸の海との話は出ないね。
現役時代は神風対安芸の海戦は「因縁相撲」と角界では言われていたんだが。
(対立の原因)
・ 幕下時代の神風が、大阪の巡業先で、当時既に幕内だった、安芸の海より
先に風呂に入り、安芸の海に「幕下の分際で関取とより先に風呂に入るな」と
殴打されたのが対立の原因。
一般社会ならともかく、角界で若い衆(幕下以下)が関取より先に風呂に入る
など論外。それを逆恨みする神風は執念深いというか。
>544
このまえテレビでプロレスの高山が、新入り時代うっかり馬場の入ってるシャワーに、
失礼します、って一緒に入ってしまったことがあると話してた。馬場は笑って応じたらしいが。
あとで先輩から、お前それはでもないことだって叱られて以後、シャワーの順序には特に
気を付けたらしい。全日本プロレスは、序列が相当厳しく、その中でも馬場は神的存在だったそうだ。
馬場と安芸の海の反応の差が、そのまま人間性の差だと思われ。
546 :
待った名無しさん:04/11/03 20:52:15
安芸の海は、攻めの遅い力士だったらしい。三重ノ海が横綱になった時、
安芸の海二世と呼ばれていたのを思い出した。
547 :
待った名無しさん:04/11/03 22:24:09
攻めが早いの間違いだろ。
548 :
待った名無しさん:04/11/03 22:32:31
>>547 三重ノ海は、攻めが遅かったよ。横綱に昇進する直前は、攻めが早く
なったけど。
549 :
待った名無しさん:04/11/04 16:36:48
いや、安芸ノ海の攻めが早かったってこと。三重ノ海が安芸ノ海二世と呼ばれたのは安芸ノ海の相撲の早さを言ったのでは?
550 :
待った名無しさん:04/11/04 19:39:36
>>549 それは、失礼しました。安芸ノ海のことは、双葉山の70連勝を
阻止した以外のことは、あまり知らないものでして。
551 :
待った名無しさん:04/11/05 00:58:42
>545
日本のプロレスは元力士の力道山が作ったから、上下関係の厳しさは角界の
伝統を引き継いでいる。厳しいのは当然か。
>550
安芸の海は出身地の広島でも無名に近い存在。元関脇の安芸の島(広島県出身。千田川親方)
と混同してる奴も多いし。
双葉山は出身地宇佐市の市役所HPで「郷土の偉人)として紹介されているが。安芸の海は
出身地広島市の市役所HPで紹介ないしだし。
神風もあの世で喜んでると思われ。
552 :
待った名無しさん:04/11/13 18:27:16
北の湖のセクハラ暴行事件は、本当なのかな。嘘だと思いたい。
もし本当だったら天国の玉の海梅吉さんが泣くに違いない。
553 :
待った名無しさん:04/11/13 23:04:35
天国の玉の海梅吉さんも北の湖の身の潔白を信じているぞ!
554 :
待った名無しさん:04/11/15 18:35:57
話は変わるけどさ、日本相撲協会に現存する昔の取り組みって、明治くらいまで
遡れるの? それとも昭和初期から? 神風さんの現役時代の相撲が見たいですな。
序二段の解説者に推薦
増(゜∀゜)健
556 :
待った名無しさん:04/11/18 01:02:55
>>554 玉の海さんと神風さんのビデオは、見れると思う。
玉の海さんは、双葉山との対戦があるから見ることが出来る
可能性が高いと思う。
『そうですね』だけで解説やりきる蒼樹山
558 :
待った名無しさん:04/11/18 20:18:23
559 :
待った名無しさん:04/11/18 20:56:26
>>554 文政2年、大戸平と関の戸の取組のフィルムが最古。
写真では1022年の相撲節会かな。
560 :
待った名無しさん:04/11/18 22:11:23
>>559 文政2年は、西暦に直すと何年になるの?
1022年だったら写真じゃなくて絵巻じゃないの。
561 :
待った名無しさん:04/11/18 22:57:59
あと江戸時代末期は、写真があったけど、動画はなかったはず。
エジソンが映画を発明したのは、明治時代になってからだよ。
(詳しい年代を忘れた)
562 :
待った名無しさん:04/11/18 23:06:51
みんな何で馬鹿レスにマジレスしているんだ?
563 :
待った名無しさん:04/11/18 23:34:03
>>562 559のレスは、おふざけということなの?
564 :
待った名無しさん:04/11/20 12:40:18
だって平安時代に写真なんかないだよ。
江戸時代に幻灯機なんかないし。
565 :
待った名無しさん:04/11/20 13:44:53
566 :
待った名無しさん:04/11/23 01:30:21
玉の海梅吉さんは、昭和57年NHK紅白歌合戦の審査員になっていた。
白組と赤組どっちが勝ったか忘れてしまった。
因みに常連の和田アキ子が紅白に出場できなかった時期でもあった。
567 :
待った名無しさん:04/11/23 01:57:42
理論家でならす神風さんが人間臭いところがあって、
人の子なんだなと思ってしまった。
このスレで神風さんの意外な一面が見えた感じです。
568 :
待った名無しさん:04/11/29 00:59:05
「神風一代」を読みたい。しかし出版されたのが1987年と古いから
なかなか読めないのが実情。東京だったら都立中央図書館で読むことが
出来るかもしれないけど。
569 :
待った名無しさん:04/12/11 17:21:15
日韓合作映画で「力道山」が製作されるみたいです。
玉の海梅吉さんは、この映画でどのように描かれるのでしょうか。
実際玉の海さんは、一時期力道山の養父でした。
570 :
待った名無しさん:04/12/12 00:38:14
力道山は、一時期玉の海梅吉さんの故郷である
長崎県大村市の出身ということにしていた。
571 :
待った名無しさん:04/12/12 00:45:08
>>554 双葉山全盛期の本場所の取り組みはよく見る。
それ以前のフィルムは感度が低かったらしく、
国技館内での取り組みの映像は残っていないかもしれない(はっきりとは知らない)。
ただ常陸山、梅ヶ谷の巡業先での土俵入りの映像は以前NHKで流していた。
そのときに大砲や常陸山の取り組みの映像などもあったが、
これはスタジオでとったものらしく、取り組み内容もいかにも花相撲と言った感じで、
常陸山らの実際の取り口をうかがわせるものではないと思う。
あと小坂秀二氏が書いていたが、栃木山の巡業先での取り組みのフィルムを見たとのこと。
すごい出足でしかもすり足、驚いた、と言うことを書いていた。
572 :
待った名無しさん:04/12/12 19:56:25
>>571 昭和10年代の土俵を8ミリか16ミリのビデオで見たことあるけど、
当時の力士は現在の力士と比べてかなり細身だけれど、動きがかなり
きびきびしているね。
玉の海梅吉さんは、177センチで107キロぐらいで小兵横綱と
言われた栃ノ海と同じくらいの体格だった。
573 :
待った名無しさん:04/12/12 20:34:20
大正時代以前(というより昭和初年代以前か)の本場所の取り組みのフィルムは全く見たことがないの、たぶん残っていないのだろうなあ。
常陸山、太刀山、栃木山あたりの本場所の取り組みを見ることができないのは実に残念。
ただ双葉山の取り組みが見られるのは幸運だった。
以後ああいう相撲を取った人はいないのではないか。
玉の海梅吉氏・神風正一氏スレなのでこのぐらいにしておこう。
574 :
待った名無しさん:04/12/12 20:55:26
妄想幻想だけはどんどん膨らむけどね。
実際どうだったかは知らんが
575 :
待った名無しさん:04/12/17 15:23:41
以前、能見正比古氏が紹介していたエピソード。
玉の海は師匠玉錦の急逝により若くして二枚鑑札になり、部屋の経営もすることになった。
そのとき玉の海が最初に考えたのは、ヤクザとの関係を絶つことだったそうだ(玉錦は当時の大親分と義兄弟の杯を交わすなど、ヤクザとの交流もあったらしい)。
そこで玉の海は自分の結婚式にこの関係の人間を一切招待しなかった。
すると、巡業先だったか支度部屋だったか、この人達が大挙して押しかけ、玉の海を取り囲んでそのことを難詰するという出来事があったそうだ。
目をつぶり腕組みをして黙って話を聞いていた玉の海は、やおら目を開け、あの細い目でその人達をぐるりと見回しながらこう言ったそうだ。
「あんたらを呼んだら、日本中の人間を呼ばなきゃなりませんでなぁ。」
社会常識に加えて、剛胆さとユーモア感覚のあった人だね。
576 :
待った名無しさん:04/12/20 02:26:47
>>575 玉の海さんは、角界とやくざの関係をかなり嫌っていたからね。
八百長を毛嫌いしたのも暴力団に付け入られることを嫌って
いたためだった。
悪いと思っていてもなかなか暴力団と関係を断ち切れない力士が
多い中で暴力団との関係を排除した玉の海さんは、立派だと思う。
577 :
待った名無しさん:04/12/29 21:27:12
玉の海さんは師匠玉錦が、現役中になくなり、孫弟子玉の海正洋が現役中になくなっている。こんな経験をした人も他にいないのでは。
578 :
待った名無しさん:05/01/02 20:22:09
出羽錦さんが亡くちゃった・・・・。(泣
579 :
待った名無しさん:05/01/02 21:14:08
出羽錦さんは、終戦後の出羽海部屋では、千代の山につぐ期待の二番手の存在だったらしいね。腰を痛めて以降守りの半身の相撲になったそうだ。ご冥福を祈ります。
580 :
待った名無しさん:05/01/02 22:58:15
>>579 そうですね。出羽錦忠雄さんは、かなりの力を持っていました。だから上位で
長く相撲を取れていたのでしょう。39歳まで幕内を務めて、金星10個という
輝かしい記録を持っています。土俵の外でもかなり活躍しました。また一人
神風さんと同世代の力士が亡くなりました。
581 :
待った名無しさん:05/01/03 12:58:34
さすがの出羽錦をしても玉の海神風の域には遠く及ばなかったか
582 :
待った名無しさん:05/01/03 23:16:36
神風さんは、出羽錦と少なからぬ因縁があります。昭和25年1月場所で
神風さんが東前頭2枚目で9勝6敗の好成績にもかかわらず、西前頭筆頭に
据え置かれたのに対し、出羽錦は、東前頭筆頭で8勝7敗で西小結に昇進
しました。神風さんは、番付編成に不満を持って現役を引退しました。
583 :
待った名無しさん:05/01/03 23:31:47
玉の海、神風が解説のメインのころに相撲ファンになった世代だが、
あのころの相撲放送は好かったね。
協会内部にいる人間、協会と密接な関係を持っている人間が解説者になっても率直なことは言えないよ。
584 :
待った名無しさん:05/01/04 10:30:37
>>583 本当にそうですね。特に双葉山が理事長していた時は、玉の海さんの
意見に拝聴していまいた。お互いに強い信頼関係が、ありました。
585 :
待った名無しさん:05/01/19 23:28:31
586 :
待った名無しさん:05/01/20 00:21:57
>>585 出羽錦さんは、現役時代映画やテレビのドラマにも多く出演していましたよ。
本当に華のある多芸な人でした。
587 :
待った名無しさん:05/01/21 04:16:27
合掌
588 :
待った名無しさん:05/01/29 02:15:28
同門対決が実現した昭和40年初場所初日で大鵬がいきなり玉乃嶋との対戦
で取りにくかったと述懐していました。稽古をつけていた相手だからそう
感じたとのことです。この一番は、玉乃嶋が大鵬に勝ちました。それ以降
大鵬は、玉乃嶋を苦手にしました。しかし大鵬の度重なる研究で21対7と
玉の海に大きく勝ち越しました。因みに玉乃嶋は、柏戸に14対10で勝ち
越しています。対戦したのが柏戸の衰退期に重なったということもあります
が、玉乃嶋はかなりの実力者なんですね。
同門対決の実現は、玉の海梅吉さんが当時の双葉山理事長に提案したことに
よるものだと言われています。同門対決の実現によって、多くの好取組が
生まれました。玉の海さんは、本当に先見の明があると思います。
589 :
待った名無しさん:05/02/02 19:34:29
評伝玉ノ海梅吉ってどうよ?
590 :
待った名無しさん:05/02/07 01:49:23
琴櫻が万年大関から横綱になったのは、神風さんの助言のおかげと言われて
います。昭和47年九州場所と翌昭和48年初場所で共に14勝1敗の
好成績で2連覇を果たして横綱に昇進しました。
万年大関の魁皇も神風さんのような名解説者がいたらいいアドバイスを
もらって横綱に昇進できるかもしれません。しかし魁皇は、性格が優し
すぎるから横綱昇進が難しいかもしれません。
591 :
待った名無しさん:05/02/08 23:57:54
琴櫻は、大鵬と海乃山を大苦手にしていた。兄弟子で大横綱の大鵬は、別格
としても下位の海乃山にはかなり苦手にしていた。
琴櫻と海乃山の対戦成績は、15対13で大関以上と関脇以下の下位力士の
対戦としては、かなり接近していた。琴櫻は、海乃山のけたぐりを何度も
食っていた。
因みに大鵬と海乃山の対戦成績は、22対4です。しかし大鵬は、海乃山の
けたぐりを食っており、やりにくい相手の一人だった。下位の力士で4回も
大鵬に勝つわけだからかなりのくせものだったことがわかります。大鵬も
海乃山のことをちょこまか動いてやりにくいと語っていました。
秀ノ山(元・長谷川)さん解説やってほしいな。似たような立場の若の里に対して、
どんな批評をするのか聞いて見たい。あと、勝昭氏との舌戦もきぼん。
593 :
待った名無しさん:05/02/09 20:41:05
随分以前に相撲雑誌で読んだことなので、多少記憶違いがあるかも知れないが、
小坂秀二氏がこう言う思い出話を語っていた。
小坂秀二氏がNHKからTBSに移った後、
TBSが各局の相撲中継競争(当時は民放各局も相撲中継をしていた)
を勝ち抜く切り札として、
神風さんのNHKからの引き抜きを計画したことがあったらしい。
その話を託された小坂氏が神風さんに持ちかけたところ、
神風さんはこう言う意味のことを言ったそうだ。
「民放に移ることは次の二つのことを保証してもらわなければ、できない。
一つは民放というものは全国津々浦々まで放送できるのか、ということ。
もう一つは大相撲に人気がなくなったときに、手を引かないのか、ということ。
この二つの点の保証がなければ、
自分のNHKに対する気持ちということは別にしても、移ることはできない。」
小坂氏はこれを聞いてもっともだと思った、と語っていた。
神風さんは自らの解説を通じて多くの人に相撲を理解してもらう、
ということを真剣に考えていたんだな、と。
そして自分はそんなことを保証することはできないので断念した、ということだった。
神風さんはテレビ界のことも正確に見ていたんだね。
神風さんが危惧したとおり、
民放はその後大相撲の人気衰退に伴って、中継からすべて撤退してしまった。
594 :
待った名無しさん:05/02/09 21:14:04
>>593 これは、確か小坂氏と神風さんがゴルフ場で話し合ったとのですね。
因みに神風さんは、ゴルフがシングルの腕前だったらしい。
595 :
待った名無しさん:05/02/09 21:55:46
そうでしたね。思い出しました。ゴルフ場で話した、ということだったですね。
596 :
待った名無しさん:05/02/26 09:39:17
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 。。。。。誰もいな(ry
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日 ∨ U A V | そりゃ禁句です!
≡≡≡≡≡≡≡≡ ∧ ∧ <___________________
V ∩ [] W 目 (゚Д゚,,)─┛~~
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( ,,)日  ̄ ̄ ̄ ̄
― / つ―――――――
〜(___ノ
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 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄
597 :
待った名無しさん:05/02/28 23:48:16
598 :
待った名無しさん:05/03/02 08:47:06
ビデオでは神風さんは取り組みの最中もしゃべるからよく声が残ってるけど
玉の海さんの声はあまりないね あれば教えて
599 :
待った名無しさん:05/03/03 22:48:47
>>589 神風さんのことは、あまり良く書かれていなかった感じかな。
600 :
輪湖のファン:05/03/04 10:37:49
二人は元師弟だけど性格はぜんぜん違うから合わなかったのな
と600
師匠が死んだ翌場所に八百長の頼みを受けて鼻唄まじりに土俵に上がった最低野郎。
二所はこの時既に死んだ。
だから何
玉ノ海は恩知らずのクソ
八百長なら王者は千代の富士だろ 玉の海さんは暗に批判してたじゃないか
605 :
いつを:05/03/05 10:23:52
玉の海さんと神風さんの相手をしたアナウンサーは志村正順か?
あいつまだ生きているみたいだなあ。といってもこれは
ラジオの時代だけどね。
テレビは杉山 北出でしょ
607 :
待った名無しさん:05/03/05 14:35:39
志村もぎりぎりでテレビにも出ていた気がする。
608 :
待った名無しさん:05/03/06 00:49:54
神風さんは、玉の海梅吉さんの葬式に行ったぐらいだから仲が悪いことは
絶対あり得ない。
ただ梅吉さんは、神風さんが師匠の玉錦を褒め称えたのを批判していたけど。
梅吉さんは、やくざの親交のあった玉錦のことをどうしても好きになれな
かったらしい。
609 :
待った名無しさん:05/03/06 00:52:11
610 :
いつを:05/03/06 10:50:12
608>>
あなた、かなりお年を召されていますね?玉錦って明治時代のお相撲さん?
611 :
待った名無しさん:05/03/06 11:26:42
>>610 玉錦は、昭和初期の横綱だよ。1903年生まれで1938年に
現役で死んだよ。彼の奥さんは、5年前の2000年に88歳で
死んだよ。
612 :
いつを:05/03/06 16:04:32
へー知らなかった。ありがとうさん。今茨城に住んでるんですけど
常陸山のことおしえてくれません?
>>608 玉錦と玉ノ海じゃ人間としての器量が違いすぎるからね。
玉ノ海じゃヤクザとかかわっても食い物にされるだけだろうし。
まあ離れたのは懸命だったかな。
常陸山は角聖と呼ばれる相撲界の功労者
優勝8回 出羽の海取締として 旧両国国技館を建設するなどの功績を残す
器量云々を太刀山型に言われるとは……玉の海さんは相撲界の功労者
>>614 尻拭いさせられた佐賀ノ花のこともちったあ考えろ。
まあ結果的にやる気も能力もないのがやるよりはよかったわけだけど。
616 :
待った名無しさん:
玉の海さんと神風さんは、違うタイプの解説だったからお互いの個性が
出て良かった。
意外と玉の海さんも技術的な解説が多かったような感じがする。