【萌える行司スレッド】 part2

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911待った名無しさん:02/12/24 19:00
『大相撲』1月号の名鑑では当然ながら旧名ですね。
でも、行司・呼び出しとも全員を掲載したのは良い。
912待った名無しさん:02/12/24 20:05
歴代 木村庄三郎

初代         文化8年2月〜文政5年閏正月 のち年寄木村瀬平
2代 木村鬼十郎   天保14年正月〜弘化2年2月 先代倅
3代 (前歴不明)  安政4年正月〜安政4年11月  先代倅?
4代 木村角次郎   元治元年10月〜明治18年1月 のち15代庄之助 初代養子分
5代 木村鬼永造   明治19年1月〜明治23年1月 3代倅、先代甥
6代 初代木村玉治郎 明治28年1月〜明治44年2月 のち10代伊之助 17代庄之助
7代 木村角治郎   大正2年5月〜大正14年1月  4代弟子 年寄常盤山兼務
8代 2代木村玉治郎 大正15年1月〜昭和26年5月 6代弟子 のち19代伊之助
9代 式守正夫 昭和49年7月〜平成13年9月(正三郎。60年1月より庄三郎)8代弟子 のち32代伊之助
10代 4代木村玉治郎  平成15年1月〜                         
913待った名無しさん:02/12/25 08:23
雅之助改玉治郎さんも、いづれ庄三郎さんになるのでしょうか?
914待った名無しさん:02/12/25 19:36
先輩の城之介は庄三郎を名乗らなかったか…。
そろそろ孔一は庄太郎か庄二郎になってもいい気がするが。

915待った名無しさん:02/12/25 20:16
改名した名前はやく覚えないとなー
テレビでちゃんと紹介してくれるものなんですか
庄之助が引退すると改名が増える?
916待った名無しさん:02/12/26 08:16
>>913
去年の相撲1月号を読めば、彼が27代を慕って入門したのが分かる。
したがっって彼は庄三郎になんかならないと思われ。
917待った名無しさん:02/12/26 18:56
>>913
五代・玉治郎(雅之助)は、三代・玉治郎(宗吉)を慕って三代目に弟子入りしたため、
庄三郎を継ぐことは、まず考えられないと思いますね。
五代目は、「玉治郎」と言う名前に、相当な思い入れをもっていると思いますし。
918待った名無しさん:02/12/26 22:25
>>912

こうして見ると
庄三郎という名は歴史のある名前ですね。

919待った名無しさん:02/12/26 22:44
現在、名乗られていない、昔からある行司名
木村家
木村庄太郎(14代)
木村誠道(4代)
木村多司馬(6代)
木村竜五郎(4代)
木村喜代治(6代)
木村庄治郎(庄二郎)(6代)
木村庄五郎(4代)
木村庄九郎(9代)
木村宗四郎(3代)
木村銀治郎(2代)
木村一学(2代)
木村容堂(2代)
木村林之助(3代)
木村正蔵、木村庄蔵、木村庄吾
920待った名無しさん:02/12/26 22:49
現在、名乗られていない、昔からある行司名
式守家
式守鬼一郎(5代)
式守卯之助(4代)
式守見蔵(6代)
>>919、920さん

情報サンクスです。

庄太郎は恐らく善之輔さんが継ぐでしょう。

朝之助さんが誠道を継がなかったから、
この名前は絶えてしまいそうな気がします・・・・。

鬼一郎は復活して欲しいな・・・・
922待った名無しさん:02/12/27 08:15
太一郎は復活するでしょうか?
923待った名無しさん:02/12/27 10:49
太一郎って実にいい名前・・・・
木村ですか式守ですか
924待った名無しさん:02/12/27 15:11
7代木村庄三郎(11代常盤山吉太郎)明治43年1月に緋房(三役格)
大正14年4月18日脳溢血のため数え54歳で現役没
長男の常盤山清三郎は伊勢ノ海部屋へ木村清太郎の名で大正15年1月、初土俵を踏み
昭和6年5月式守姓に改め式守清太郎
昭和7年2月限り満15歳で廃業した。
925待った名無しさん:02/12/27 15:16
その清太郎さんと3年位前に辞めた清太郎さんは何か関係あるのでしょうか?
926待った名無しさん:02/12/27 15:35
>>924

つまり平成の式守清太郎さんも9代木村庄三郎(現32代伊之助)と親子であったか
という事ですが、それは100%ないとおもわれ。
927待った名無しさん:02/12/27 15:54
平成の式守清太郎、とても良い行司さんだった。
彼の退職は行司部屋はおろか角界の大きな損失であった。
彼は第二の人生でも活躍されている事だろう。

昭和初期の式守清太郎も第二の人生で、クリーニング業界で名を挙げたと聞く。
928待った名無しさん:02/12/27 16:01
ここをクリックすると、平成の式守清太郎さんがご覧いただけます。
http://hashiweb.jp/sumo/gyouji/SSeitarou.html
929待った名無しさん:02/12/27 17:30
ここに現在の清太郎さんの活躍ぶりが載ってます
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1040790390/l50
930待った名無しさん:02/12/27 18:25
本当に玉治郎の名を継いだのか、雅之助
激しくおめでとうと言いたい。
931待った名無しさん:02/12/28 10:20
昔(明治あたり)の番付の行司の順位ってどう見るんですか?
バックナンバーがあれば追っていけるんですが、
雑誌や書籍に載っている単発の番付しか見たことがないので
順位がわかりません。今出先からなので具体例が手元にありません^^;
932待った名無しさん:02/12/28 11:31
 凄い人気の明治末期大正時代の式守家名人三太夫


与太夫(明治三十二年夏〜大正十年夏)は、勘太夫、錦太夫(のち与太夫)とともに名行司三太夫といわれ、実にさっそうたるものだった。
933待った名無しさん:02/12/28 15:53
>>932
今の三太夫はどうなの?
特に勘太夫の情報きぼんぬ。
934待った名無しさん:02/12/28 17:34
935待った名無しさん:02/12/28 17:38
平成の式守清太郎さんに三太夫のいずれかを継いで将来、三役の土俵で活躍してほしかった。
936待った名無しさん:02/12/28 20:59
現役の若い式守家の行司さんたち
名三太夫を目指しがんばってほすい
937若い式守家の行司さんたち:02/12/28 21:02
式守慎之助   式守修   式守玉男   式守大輔
938待った名無しさん:02/12/28 21:05
数少ない式守家において
あらためて式守清太郎さんの退職は惜しまれる。
939待った名無しさん:02/12/28 21:30
>>932
今の三太夫はどうでしょうか?
与太夫の情報もきぼんぬ。
940待った名無しさん:02/12/28 21:43
清太郎さんが辞めた今、勘太夫を継ぐのは修さんでしょう。
錦太夫は慎之助さん。与太夫は元基さんでしょう。
941待った名無しさん:02/12/28 21:52
最近、清太郎ネタが多いですね。
具体的にどんな行司さんだったのでしょうか?
942待った名無しさん:02/12/29 04:25
昭和54年の相撲雑誌買ったら、ヒゲの伊之助がドアップで載ってますた。
力士名を紹介する相撲字は、番付を書いていた行司さんが書いたものらしい。
古い本を探すと面白いね。
943待った名無しさん:02/12/29 04:30
ヒゲの伊之助さんって、おばあちゃんクラスの年齢の人は皆知っています。
ずいぶん人気があったみたいですね。
944待った名無しさん:02/12/29 04:46
>>943
じいちゃんに聞いてみる>ヒゲの伊之助
あのヒゲの手入れは大変だったらしいですよ。
タマゴの白身を泡立てて洗ったと何かで読みますた。
手入れするのは弟子だったらしい…(今の伊之助もやらされたのでは)
94522代庄之助一代記より:02/12/29 11:40
ヒゲの伊之助そこつ話

 私が幕内格のどんジリで、私のすぐ下が、十両最上位の木村玉治郎だった。
のちのいわゆる”ヒゲの伊之助”である。
 この人は本名高橋金太郎。明治十九年十二月十五日、茨城県那珂郡勝田村(現勝田市)勝倉の生まれ、明治三十三年夏場所、木村金吾の名乗りで初土俵を踏み、
大正二年夏に玉治郎となった。

 このすぐあとの大正十五年春、木村庄三郎を襲名して幕内格に上がり、
昭和十年夏、三役格、二十六年秋十九代目式守伊之助となった。
私といっしょに三十四年十二月、定年退職。四十一年十二月十四日に没した。

 この人は、私が庄之助のときの伊之助だから、付き合いも長く、いろいろな会合でもいっしょになったが、

 昭和三十三年秋場所初日の北の洋−栃錦戦で、うちわを栃錦にあげ、物言いがついて、
検査役からあげ直しを命じられながら、自分のうちわは正しいと、土俵をたたいて抗議。

 その結果、出場停止処分となり〃ヒゲの伊之助涙の抗議〃として評判になった。

 硬骨漢だが、若いころは非常にそそっかしいので有名で、勝ち名乗りを「おまえさーん」とあげたり
「○○じゃない、△△やまぁ−」とあげて「おまえさん」「じゃないさん」というアダ名をもらっていた。
声がかん高いので「カナリヤ行司」というニックネームもあった
946トンボ軍配:02/12/29 14:33
ヒゲの伊之助が使用したトンボ軍配、実はヒゲの伊之助の師匠17代庄之助から譲られたもので、

明治末期17代庄之助が6代木村庄三郎時代にご贔屓から贈呈された。



>>931さん

大戦前後の番付だと、
真ん中から右、左、右、左・・・・と並んでいます。

偶数人並んでいる場合は、
真中の右側が最上位、左側が2番目です。
同列でも文字の大きさが違っていたりするので、
そのあたりも参考にされるといいでしょう。
あと定年制以前は、
三役格とか幕内格という呼称ではなく
格草履(現在の三役格)、本足袋(幕内格)、格足袋(十両格)
あるいは三役格のことを緋房、などと呼んでいて
人数も多かったりするので、現在の感覚でいると
ややこしくなってしまうかもしれません。

庄之助も元々は緋房だったわけですしね。
950松翁木村筆之助:02/12/29 16:27
副官閣下、玉之助や庄九郎、誰か名乗らないかねえ?
激しく復活きぼん。
筆之助殿

「玉之助」ってのは難儀なのでは。
一応立行司格ですからね・・・・・。

「庄九郎」ってのは、うーむどうなんでしょうか?
そも先代の「玉光」から「庄九郎」ってのが意外に感じたんで....。

「庄九郎」って東京の名前ですよね?
大阪行司が継ぐイメージじゃないような・・・・
952待った名無しさん:02/12/30 15:00
>>946
ずいぶん古い軍配ですな。
953待った名無しさん:03/01/05 22:56
過去(明治20年ごろから)および現役の三役、幕内格行司を色々な資料から
ピックアップしました。
間違いの指摘や、色々な追加情報をいただけませんか?
かなりの行司さんが漏れているかもしれません。

三役格
木村多司魔 6 ←由三郎 →11庄太郎
木村進
木村清之助
式守与太夫 8 ←喜三郎 定年退職
木村庄太郎 13 ←善太郎 初善之輔
式守錦太夫 7 ←真之助 5錦之助 →9与太夫 房錦父
式守伊三郎 ←利雄 三役
式守与太夫 10 ←清三郎 昭和58年5月没 三役
式守勘太夫 7 ← 勘之助 6与之吉
式守錦之助 7 ←守 菱(?) 十二郎 → 三役
木村咸喬 ←郁也
木村光之助 ←光彦
木村朝之助 3 ←要之助  
木村錦太夫10 ←忠男 慎之助 
954待った名無しさん:03/01/05 22:58
幕内格 現役省略
木村庄治郎 3 ←常吉 明治19没
木村喜代治 5 ←語郎 24年1月まで
木村亘り 3 →12庄太郎 明治38年没
木村直 
木村銀次郎 初 明治32まで
木村大蔵
木村庄三郎 7 大正14年4月18日現役没
木村吉之助
木村鶴之助
木村庄五郎 4 ←庄吾 →7瀬平
木村?? 
木村善明
木村福松
木村清治郎
式守付治郎
木村誠道 3 ←藤太郎 大正7-昭和3 幕内格へ昇進
木村光之助
式守錦太夫 5 ←式守勝己 昭和13年7月18日没
木村今朝三
木村友次郎
木村善太郎 ←木村哲夫?
木村幸之助 (←木村滝夫? 校之助?)
木村朝之助 2 ←庄次 →4誠道
木村筆之助 →今朝三 筆之助
木村玉光 ←時夫 登喜光 現役死
>>953殿

木村庄太郎 13 ←善太郎 初善之輔

森山喜多雄氏(ママ)だとすれば、
善太郎とは名乗っていないような気がするのですが?

あと今朝三と宗四郎(2代目?)と誠道(4代目)がいませんね。

先代錦之助の「菱」は「葵」(まもる)ではないでしょうか?(推測ですが)
失礼しました。

木村朝之助 2 ←庄次 →4誠道

幕内格のところにあったのですね。
ただ誠道で退職した時には三役格になっていました。

あと戦前戦後に放送を担当していた式守善吉さんという方がいて、
のちに善太郎と改名したそうです。

ttp://village.infoweb.ne.jp/~fwjd1124/home/oldgyoji.htm

ここに詳しいですが、荒磯部屋の木村庄太郎というのが少々わかりません。
そういう方がいたのでしょうか?
ご教授願います。
またまた訂正です。宗四郎(2代目?)→宗四郎(3代目?)

そういえば、宗四郎(3代目?)の本名は善之助といいます。
また喜多雄を喜太郎と書くと善太郎と似てみえます。

昔の番付は、当て字、誤記入が多々あり、
また新聞・雑誌等も代数に関して(今でも)でたらめなので
複数の資料から判断されたほうがいいでしょう。

木村庄三郎 7 大正14年4月18日現役没

年寄常盤山となった木村庄三郎は三役(緋房)格まで上がっております。
959待った名無しさん:03/01/06 22:43
古い時代の行司さんでつね
漏れ、今の庄之助が引退する前に一度、本物を見てみたくて
桝席買いますた(桝席Bだけどはっきり見えるか心配)
好きな行司さんたくさんいるので、楽しみでつ
960待った名無しさん
玉次郎はなぜ庄三郎に改名したの?

初場所は現庄之助最後の場所・・・。