最も大関に近かった元関脇

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1待った名無しさん
幕内経験のある力士の多くは三役までは上がっているのに対し
元大関となるとずっと少なくなるよね。最も惜しかったのは?
最近では琴錦、ちょっと前だと栃赤城あたりか?
皆さんの意見キボ〜ん!
2待った名無しさん:02/01/09 16:54
長谷川
3待った名無しさん:02/01/09 18:14
時津山
4待った名無しさん:02/01/09 19:04
栃赤城.明歩谷
5待った名無しさん:02/01/09 20:25
荒勢
6待った名無しさん:02/01/09 20:48
安芸の島
7待った名無しさん:02/01/09 20:51
高鉄山。
なにしろ北の富士と本気でやったら一気に寄り切ってしまったのだから(藁)
8待った名無しさん:02/01/09 21:35
蔵間
八百長にさえ手を染めなければ。
9待った名無しさん:02/01/09 21:38
益荒雄、琴ヶ梅
10待った名無しさん:02/01/09 21:39
金剛
11待った名無しさん:02/01/09 21:44
琴錦
注射のやりすぎで、最後は二次感染
12 :02/01/09 21:44
>>9
益荒雄は怪我がなくても難しいかも・・・
琴ヶ梅は糖尿さえなければ
13待った名無しさん:02/01/09 21:46
追手海
水戸泉の女に手を出すかね
14待った名無しさん:02/01/09 21:47
肥後ノ海
中盆はもう無理
15待った名無しさん:02/01/09 21:49
巌山
借株で頭が上がりません
16待った名無しさん:02/01/09 22:55
黒姫山
義父見守ってくれ
17:02/01/09 23:55
栃乃和歌、ほんのいっときの太寿山
18待った名無しさん:02/01/10 00:48
>>12
確かに益荒雄は難しかったかな。でも「益荒雄旋風」の時の「しぶとさ」は凄かった。
 
191:02/01/10 09:31
なつかしい四股名があがってるけど、中には
優勝経験者もいるよね、皆1回限りだけど。
優勝経験のある元関脇と、優勝経験のない元大関
旭国(大島)豊山(先代、現理事長)とどっちが
幸せだろうね?
20待った名無しさん:02/01/10 09:48
やっぱ琴ケ梅でしょ。
あと魁皇・・・あ、大関だ。あんまりながかったもんで
21待った名無しさん:02/01/10 11:14
益荒雄=安定感で?
かもしれないが益荒雄旋風がもう一場所続いてたら勢いで大関になってたかも・・
案外、名関脇のままで良かった数少ない例かもしれない。
22待った名無しさん:02/01/10 11:19
気持ちは大関でした。 by長谷川
23待った名無しさん:02/01/10 11:38
長谷川は増位山より強かった!
24待った名無しさん:02/01/10 17:47
長谷川、琴錦。
25 :02/01/10 18:32
出羽の花を忘れていないかい?
26名古屋 陣幕会:02/01/10 18:55
怪我が、無ければ、水戸泉
27待った名無しさん:02/01/10 19:21
玉の富士は関脇で2場所連続、2ケタ勝ってなかったっけ?

技能賞モノの引き技をバカ評論家たちが批判しなければ、「ひきおとし」 の名手として横綱になってた
ハズなのに。
28待った名無しさん:02/01/10 19:58
栃赤城
S54、9の11日目に黒瀬川に勝ってれば…
29待った名無しさん:02/01/10 20:08
巨砲
もっともマラは大関どころか横綱級で親方夫人を相当楽しませたらちいが...
30待った名無しさん:02/01/10 20:11
玉ノ海梅吉(解説では横綱級)
玉乃海代太郎(酒のみぶりは横綱級)
31 :02/01/10 20:26
>>27
このころがピーク
関脇で2場所連続、2ケタは勝っていない

昭和52年 7月 東前 1  8勝 7敗
昭和52年 9月 西小結  5勝10敗
昭和52年11月 西前 2  8勝 7敗
昭和53年 1月 西小結 11勝 4敗 敢
昭和53年 3月 東関脇  8勝 7敗
昭和53年 5月 東関脇  9勝 6敗
昭和53年 7月 東関脇  7勝 8敗
昭和53年 9月 東小結  8勝 7敗
昭和53年11月 西関脇  8勝 7敗
昭和54年 1月 東関脇  8勝 7敗
昭和54年 3月 東関脇  4勝11敗
32待った名無しさん:02/01/10 20:31
陸奥嵐
その筋のおじさんたちとのつながりさえなければ...
33待った名無しさん:02/01/11 01:48
それなら文句なし天竜三郎。
34待った名無しさん:02/01/11 03:39
サカホコはだめ?
35待った名無しさん:02/01/11 09:28
佐田の海
36A   :02/01/11 12:32
やっぱ陸奥嵐といえばものすごい糖尿病。
長谷川は強かったが、ヤオはやらなかったんでしょ?
てっきり長谷川は苗字じゃないと思ってたので、長谷川さんという苗字を
聞くたび、「相撲取りの家族か?」と勘違いしてた。
先代栃東は肝炎でアウト。
妙に腹の肉がたるんでた。肝炎=腹に来るのかと勘違いしてた。
37待った名無しさん:02/01/11 13:02
38待った名無しさん:02/01/11 23:00
力道山
39待った名無しさん:02/01/11 23:21
琴富士
40待った名無しさん:02/01/11 23:39
やっぱり長谷川。なんと運が悪かったんだ!
ホントなら大関になれる状況だったのに・・・
よく部屋付きの年寄で我慢してると思う。
41待った名無しさん:02/01/12 02:40
いやいや、キャンセルした飛行機が墜落したり
フグ中毒(2名死亡)事件が起きたとき、腹痛でその鍋を食べていなかったり
長谷川は素晴らしい強運の持ち主。
人生欲を出しすぎてはいけないということなのだろうな。
42 :02/01/12 10:28
>>34
逆鉾のピーク時
最高で三場所27勝だった

昭和62年 9月 西前 4  8勝 7敗 殊金(千代の富士・双羽黒)
昭和62年11月 西関脇  8勝 7敗 殊
昭和63年 1月 東関脇  9勝 6敗 殊
昭和63年 3月 東関脇  8勝 7敗
昭和63年 5月 東関脇  8勝 7敗
昭和63年 7月 東関脇  8勝 7敗 殊
昭和63年 9月 東関脇  9勝 6敗
昭和63年11月 東関脇  9勝 6敗
平成元年 1月 東関脇  9勝 6敗 技
平成元年 3月 東関脇  7勝 8敗
平成元年 5月 東小結  8勝 7敗
平成元年 7月 西関脇  2勝13敗
逆鉾 信繁
平成元年 9月 東前 7  6勝 9敗
43 :02/01/12 10:32
>>9
琴ヶ梅のピーク時

昭和63年 1月 東前 7 12勝 3敗 敢金(北勝海)
昭和63年 3月 東小結  8勝 7敗
昭和63年 5月 西関脇  8勝 7敗 殊
昭和63年 7月 西関脇  8勝 7敗
昭和63年 9月 西関脇  8勝 7敗
昭和63年11月 西関脇  5勝10敗
平成元年 1月 東前 3  8勝 7敗 金(大乃国)
平成元年 3月 東小結  8勝 7敗
平成元年 5月 東関脇  8勝 7敗
平成元年 7月 東関脇 10勝 5敗 敢
平成元年 9月 東関脇 10勝 5敗 技
平成元年11月 東関脇  8勝 7敗
平成 2年 1月 西関脇  8勝 7敗
平成 2年 3月 西関脇  7勝 8敗
平成 2年 5月 西小結  4勝11敗
平成 2年 7月 東前 7  8勝 7敗
44名無しさん:02/01/12 10:37
>>25

出羽の花のピーク時
三場所30勝しているから基準が甘いときなら
大関になってもおかしくなかった

昭和56年11月 東前 6 10勝 5敗
昭和57年 1月 西小結 10勝 5敗
昭和57年 3月 東関脇  9勝 6敗 殊技
昭和57年 5月 東関脇 11勝 4敗 技
昭和57年 7月 東関脇  8勝 7敗
昭和57年 9月 西関脇  6勝 9敗
昭和57年11月 西前 1  9勝 6敗
昭和58年 1月 東小結  7勝 8敗
昭和58年 3月 東前 1 11勝 4敗 技
昭和58年 5月 西関脇  8勝 7敗 敢
昭和58年 7月 東関脇  7勝 8敗
昭和58年 9月 西関脇  3勝12敗
45名無しさん:02/01/12 10:45
栃赤城は当時大関昇進の機運が高まっていたので
大関候補の最右翼と言われていたが
最高で三場所27勝しかしていない
55年の1月場所で仮に13勝していたとしても
(13勝で当確と言われていた)
三場所29勝だからかなり甘い昇進になっていたと思われ
(増位山は三場所31勝で昇進)

昭和54年 3月 東前 4   10勝 5敗 敢
昭和54年 5月 東関脇   7勝 8敗
昭和54年 7月 西関脇   9勝 6敗 殊
昭和54年 9月 東関脇   6勝 9敗
昭和54年11月 西前 1   10勝 5敗 殊金(輪島・若乃花・三重ノ海)
昭和55年 1月 西関脇   11勝 4敗 殊
昭和55年 3月 東関脇   6勝 9敗  (左足首関節捻挫)
昭和55年 5月 西前 2   15休    (公傷)
昭和55年 7月 西張前(2) 10勝 5敗 敢金(若乃花)
昭和55年 9月 西関脇   1勝 5敗9休(右足首関節捻挫)
46名無しさん:02/01/12 10:50
栃乃和歌も三役で三場所30勝しているので
大関になっていてもおかしくはなかった

平成 3年 9月 東前 1 11勝 4敗 敢
平成 3年11月 東小結 10勝 5敗
平成 4年 1月 東小結  8勝 7敗
平成 4年 3月 東小結 12勝 3敗 次殊技
平成 4年 5月 東関脇  2勝 9敗4休(右腓腹筋断裂)
平成 4年 7月 東前 5  5勝10敗
47名無しさん:02/01/12 10:58
琴錦は三場所30勝が2回ある
優勝も2回しているし、立派な大関クラスの戦績と言える

平成 2年 7月 東前 1  9勝 6敗 殊金(千代の富士)
平成 2年 9月 東小結  9勝 6敗 殊
平成 2年11月 西関脇 10勝 5敗 殊技
平成 3年 1月 東関脇 11勝 4敗 技
平成 3年 3月 東関脇  9勝 6敗
平成 3年 5月 東関脇  8勝 7敗
平成 3年 7月 東関脇  4勝11敗

平成 5年 5月 東前 3  8勝 7敗
平成 5年 7月 西前 1 12勝 3敗 次敢
平成 5年 9月 西張関  9勝 6敗
平成 5年11月 西関脇  9勝 6敗
平成 6年 1月 東張関  9勝 6敗
平成 6年 3月 東関脇 10勝 5敗 技
平成 6年 5月 東関脇  9勝 6敗
平成 6年 7月 東関脇  3勝12敗
48名無しさん:02/01/12 11:00
長谷川も三場所30勝+優勝を考えると
上がってもおかしくなかった

昭和46年 3月 西前 2  8勝 7敗
昭和46年 5月 西関脇  9勝 6敗
昭和46年 7月 東関脇  8勝 7敗
昭和46年 9月 東関脇  8勝 7敗 殊
昭和46年11月 西関脇  8勝 7敗
昭和47年 1月 東張関  10勝 5敗 次
昭和47年 3月 東関脇  12勝 3敗 優敢
昭和47年 5月 東関脇  8勝 7敗
昭和47年 7月 東張関2  5勝10敗
49名無しさん:02/01/12 11:03
単純に星勘定だけで考えると最も大関に近かった元関脇は
琴錦、出羽の花、長谷川、栃乃和歌(全員三場所30勝)
となる
50待った名無しさん:02/01/12 12:40
>45
55年初場所は前年の九州場所に続いて片大関だったから
協会としてはなんとしてももう一人大関を作りたかった。
栃赤城がもしその場所13勝していたら、昇進の可能性は
確実だったでしょうね。
勝昭が三場所合計28勝で昇進できたのも片大関だったからですし。
51待った名無しさん:02/01/12 12:44
「大関関脇」長谷川や琴錦には
この称号をあげたいな。しかし、二人とも佐渡ヶ嶽というのは
何か因縁めいたものがあるな。
「平幕大関」の称号は陥落した某荒川区の部屋の2人にあげたい。
521:02/01/12 17:24
星勘定ではなく素質という点で見ると
蔵間あたりが最右翼かな?
53待った名無しさん:02/01/12 17:31
 昭和46年からの相撲観戦者です。
 琴錦・長谷川・栃赤城の順だと思います。
 増位山は、ワンチャンスを生かしたのは大したものだと感心しますし、その時の一人大関という状況も良かったですね。
 一番弱い大関という感じです。
 雅山・大受よりも。
54 :02/01/13 00:24
>>27
現役時代は「引いて何が悪い」と言っていたけど
引退後は「やっぱりついつい引いてしまうんだよね。それが
体制崩すのはわかっているんだけど」

安念山、大寿山、玉ノ富士、貴ノ浪など引きで素質を無駄にした力士は
古今多いのだよ。」
55待った名無しさん:02/01/13 01:40
琴錦の場合、
星を売っててなおかつ「三場所30勝」だから凄過ぎる。
56名無し:02/01/13 08:24
そりゃあ琴錦に決まっとる!
三役在位場所34(内関脇21)両方ともトップ。
幕内在位中、三役率が0、515。
幕内勝率は、0、534で過去の関脇力士では3位
長谷川は0、510でした。
関脇で4場所連続勝ち越し1回、3場所連続も1回あり。
また、3賞獲得は18回で2位。5場所連続で受賞もした。
この時期に(H2,夏〜H3,夏)にあの事件さえなかったら、
若貴より早く大関にあがっていたのに、、、、無念。
57待った名無しさん:02/01/13 10:14
あの事件って何?

二重婚約?
58待った名無しさん:02/01/13 16:38
いや、印象の強い相撲を取ったのは、やはり長谷川だよ。
59待った名無しさん:02/01/13 19:02
 >41
 幼少期、シベリア若しくはサハリン・樺太から引き上げるときに、船から落ちそうになったが助かったという強運も何かで読みました。
60待った名無しさん:02/01/13 19:07
 長谷川は、大関への番付運は無かったですね。
 前佐渡ヶ嶽親方の急死が、長谷川の引退後だったらきっと佐渡ヶ嶽部屋を継いでいたでしょうに、そこも又運がありませんでした。
61投棄:02/01/14 19:24
霧島が昇格したのは5場所連続2ケタ勝利したからだったが…

昇格条件3場所33勝なんて言い出しやがった奴は誰だ?
62 :02/01/14 19:42
二重婚約もそうだけど、平成三年九州場所千秋楽の若花田戦が痛かった。
前場所13勝2敗で平幕優勝、この九州場所も14日目に1敗の小錦に勝って
12勝2敗で並ぶ展開となった。連続優勝すれば、一気に大関昇進もあり得ると、
二子山理事長も言っていただけに、千秋楽若花田戦に勝てば,最低でも小錦との
優勝決定戦に進出できたところ。しかし、この若花田戦で左足首骨折の重症、
優勝は小錦にさらわれた。翌初場所は大関取りの可能性があったものの,怪我による
稽古不足で7勝8敗に終わってしまい、大関取りは振り出しに戻ってしまった。
63待った名無しさん:02/01/14 22:36
強さ的には時津山だと思うが。
調子のいい時には栃若にも互角に戦った。
64国営放送NHK:02/01/15 20:28
>>1
それを言うなら先代栃東(大関栃東の師匠)だろ・・・。
65待った名無しさん:02/01/15 20:45
そういえば長谷川は今どういう仕事してるの、親方として?
66待った名無しさん:02/01/16 12:49
自分が見た範囲では琴錦、長谷川。
昔の力士は知らないので・・・
67待った名無しさん:02/01/17 01:20
栃乃和歌は大関取りの場所が何と小結!ですが、それでももう少し星を重ねていれば
大関になれたのですか?千秋楽に勝って、小錦との決定戦に勝って優勝していれば、
さすがに31勝でも大関になったかな?
68待った名無しさん:02/01/17 04:03
長谷川は晩年のころしか知らないんですが、
栃赤城もいいとこまでいったような記憶があるね。
同時代の、幕内勝率5割未満大関の増位山よりは強かったような。
69待った名無しさん:02/01/17 08:13
長谷川かな。
清国、大麒麟、前の山、大受より迫力があった。
70待った名無しさん:02/01/17 14:39
怪我が無ければ吉村。
71待った名無しさん:02/01/17 15:40
白いウルフ、益荒雄はどうかな?
阪神優勝の年に三役で大暴れしていた記憶があるんですが。
7271:02/01/17 15:43
失礼しました。
阪神優勝の年に入幕、昭和61〜62年にかけて、でした。
73待った名無しさん:02/01/17 16:49
玉の海梅吉の全盛時代を知るものは、さすがにもういないのかな...
74待った名無しさん:02/01/17 17:01
安芸乃島の名前がないね
75待った名無しさん:02/01/17 17:06
これからなるから
76待った名無しさん:02/01/17 18:20
>>75
大いにありうることだね、マジで。
77待った名無しさん:02/01/17 18:39
安芸乃島って3場所30勝以上を4回もやってたんだ。
うち2回は32勝。
やっぱり、33勝たないとダメなんかな。
あるいは優勝を含むとか。
準優勝絡みならあるのに…
78待った名無しさん:02/01/17 21:14
貴闘カも大関取りの場所があったという説があるらしい・・・
79待った名無しさん:02/01/17 22:39
あきのしまも、琴錦も、大関に上がっていたら、陥落を経験していたであろう。
80待った名無しさん:02/01/17 23:28
>>78
平成8年九州に失敗。
81 :02/01/17 23:45
>>49
ちょっと古いが三役三場所で9勝,11勝,11勝の31勝で
大関を見送られた先代玉乃海は?
82 :02/01/17 23:45
>>73
小坂氏クラスじゃないか?年齢的にも
83待った名無しさん:02/01/18 05:48
>>81

戦前、憲兵数名をぶん殴ったりして各界追放されていた経歴が影響したのかな。
84待った名無しさん:02/01/18 09:48
貴闘力は大関獲りの場所で尿管結石になって
だめだったんだよね
85待った名無しさん:02/01/27 06:31
明武谷
86 :02/01/27 07:45
このスレ,実は重複スレ
「大関になれなかった不運な力士たち」ががいしゅつ

これだから厨房は・・・
87待った名無しさん:02/01/27 09:28
>>86
いいじゃん。
あんた 2CHの運営者か!
でけえ口きくなよ。
人気のねえ相撲で
80以上のレスがついてるってことは
相撲オタに支持されてるってことだろが。
88待った名無しさん:02/01/27 10:39
長谷川
89待った名無しさん:02/01/31 02:13
琴錦
90待った名無しさん:02/01/31 02:43
長谷川は気の毒だった。
琴錦の時はそうは思わなかったけど、大関になってもおかしくなかったですね。

時津山は強かったそうですね・・・。同時代では、安念山とかはどうでしょうか。
91待った名無しさん:02/01/31 02:49
>86
今更何言ってんの?
92待った名無しさん:02/01/31 05:43
増位山の大関昇進、当時納得しがたかった記憶があるけど。
昇進前の3場所の勝ち星知っている人いますか?

93  :02/01/31 06:56
>>92
79.9 小結8-7
79.11 関脇11-4
80.01 関脇12-3
94ん?:02/01/31 13:59
逆鉾関はおしくなかったのですか??
95待った名無しさん:02/01/31 18:55
>>94
逆鉾は惜しくない。
確かに連続9場所、関脇張ったという実績はあるけど、その間に二桁勝ちはゼロ回。
幕内トータルで見ても10勝5敗が3回あるのみ(もちろん連続なんて無い)。
しかも、どれも幕内下位。
96KANちゃん:02/01/31 20:20
高見山も当然入るでしょう。一説には、彼の全盛期の実力は大関以上だって
言われていたぐらいだから。輪島キラーという異名はつとにも有名であるが、
貴ノ花・三重の海・魁傑といった実力派力士にはかなり勝っているし、
大受には大勝しているしね。
ただ高見山の現役当時は、今以上に外人力士の活躍に眉をひそめる人が多かっ
たからね。彼自身も身の程をわきまえていて大関以上を狙わなかったし、
長く現役を続けてお金をもうけることに執着していたせいもあるだろうね。
曙の祝儀を東関がピンはねすることもあって、この両者の仲が悪くなったぐ
らいだから。世界的な雑誌の「PLAYBOY」のインタビューも金銭面で
折り合いが付かなくなって取りやめになったぐらい。要するにギャラが少な
いということだろうけど。とにかく高見山が金に執着していたことが様々な
本で書かれていたね。
97 :02/01/31 21:15
>>96
高見山のピーク時
平幕での成績も含めて3場所29勝だから
大関に上がる力はなかったと考えるのが適当

昭和49年 1月 西前 4  8勝 7敗
昭和49年 3月 西前 1 10勝 5敗 殊金(琴櫻・輪島)
昭和49年 5月 西関脇  8勝 7敗
昭和49年 7月 西関脇 11勝 4敗 次殊敢
昭和49年 9月 東関脇  6勝 9敗
98待った名無しさん:02/01/31 21:30
安芸乃島、貴闘力の名前が出てたが、現役では土佐ノ海が幕内勝率
5割越えてる。でも連続二桁勝利が一回もなし、全然大関に近く
ないんだよな。大勝ちと8勝が多いのが理由か。
99KANちゃん:02/01/31 21:40
>>97
小錦が「ビデオで見るとジェシーは、怪我をしないように土俵際で無理に粘ら
ないんだ。」と言っていたよ。その頃から高見山は、大関を狙わないで現役
生活を長く続けることを考えていたのじゃないのかな。高見山の相撲は、淡白
に映ることがしばしばあったね。
100待った名無しさん:02/02/01 00:36
禿同。

それにジェシーは下半身がもろい、もろいといわれていましたね。
101KANちゃん:02/02/01 00:49
高見山の下半身がもろいのは、子供の頃の交通事故が原因らしい。
10292:02/02/02 00:24
>>93
サンクス。やっぱ、8−7が納得できなかったんだろうな、当時。
10392:02/02/02 00:27
>>93
サンクス。やっぱ、8−7が納得できなかったんだろうな、当時。
104待った名無しさん:02/02/02 11:25
琴光喜がもしこの先大関になれなかったら
最高に惜しかったってことになるだろうね。
105KANちゃん:02/02/02 13:33
>>92
増位山は、技のデパートと言われて多彩の技を使っていましたよね。
私生活でも多彩な趣味を持っていましたよね。歌手としても有名でいつ紅白
に出るのかなと期待をしていた記憶があるね。当時の紅白は、今より出場
歌手のレベルが高かったから増位山は出場出来なかったけどね。それ以外に
絵がうまくて二科展にも出展しているよね。
106待った名無しさん:02/02/02 13:54
体に毒だわ そんなに飲んじゃ・・・
(中略)
・・・そんな女のひーとりごとー。

というのが増位山の歌。
107待った名無しさん
「そんな有子に惚れました」