いきなりツッコミだけ入れて去るってのも何なんで、ウチも最高傑作と思ってるのを。
なお、ここでは敬称を略すのでご了承を。
まずは古典作品。これはホルストの「第1組曲」と、シュミットの「ディオニソスの祭り」。
「第1組曲」は簡潔な中にも基本をしっかりと散りばめた構成。「ディオニソスの祭」は、
サクソルン属などの楽器をフル活用し、様々な展開を経て熱狂的なフィナーレへと人を
引きつける絶妙な構成を持っているということで推したい。
もちろん、原編成でという条件付きだが。
標題作品としてはチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」と、リードの「メキシコの祭」。
「朝鮮民謡」はアジアの民謡を発掘し、原曲「アリラン」の雰囲気を失わずに様々な形で展開させている
という面で、また「メキシコの祭」は全楽章通して表題としている「祭」の雰囲気を感じさせ、
またTuttiでもアンサンブルでも華麗であり美麗な部分があるということで評価したい。
現代作品は難しいが、ここはフサの「プラハ1968年のための音楽」と、シュワントナーの
「静められた夜に」を推したい。「プラハ」は「プラハの春」という悲劇をを全楽章通じて
「現代音楽」という形式で表現し、その悲劇の存在を曲として強くこの世に刻み込んでいるということで評価。
特に、戦争の足音が近づいてくるような不安さを醸し出している第3楽章は秀逸。「静められた夜に」だが、
もちろん「…そしてどこにも山の姿はない」もいいとは思う。しかし、ここはあえてハミングなどの
「人声」を排し、すべてを楽器の音色で表現したこの曲を推す。不協和音と純和音で色彩豊かに
展開されていくという世界は、他の曲ではあまり味わえないものではないだろうか。
邦人作品は、まず古典作品として兼田敏の「パッサカリア」、表題作として夏田鐘甲の
「ファンタジー」、そして現代作品として平石博一の「時は時の向こうにある」を推したい。
本来なら「古祀」「木挽歌」を入れたいところだが、両方とも原曲が管弦楽曲ということで
ここでは除外する。
「パッサカリア」は易しいながらも基本に忠実で、形式を遵守し、曲の内容も充実している。
「ファンタジー」はすべての楽器を生かす構成で、また日本と韓国の音楽を融和させたという点で
評価したい。
「時は時の向こうにある」は、ミニマルという形式をとりながらも非常に色彩感が豊かで、
作曲者の独自の世界を見事に作り上げていると思う。打楽器の使い方も絶妙。
……と書いてみたが、いかがなものか。もちろん反論はあると思う。
特に30年前に発表された「パッサカリア」を古典として扱うには抵抗がある人もいると思うが、
それだけ日本の吹奏楽の形が見えてくる時期が遅かったのではないだろうか。
……いやぁ、この口調は疲れるわぁ。ここじゃキャラが出しにくいっす。
未熟な上に、お目汚しスマソ。