189 :
名無し行進曲:
各学校で製作する学習指導要項(教師がつくる授業指導案など)を読むと、
「やる気を育てる授業の創造」だの「生きる力を育む」だのと、イッチョマエなコト言ってるが、
実際の教師は授業中に生徒に
「出荷できないイチゴ」
「からかいやすい生徒だった」→福岡県公立中学(後に生徒が自殺)
「字が汚い」「もやし」→愛知県公立中学(卒業後に教え子が母校にて殺人未遂事件)
など、イジメられている(あるいはイジメられやすい)生徒を中心に暴言を吐く始末。
こんなこと、教師が言ってて果たして言われた生徒は、学習指導案に書くような「やる気を育てる授業の創造」だの「生きる力を育む」ことが出来るだろうか?
言われた生徒は、徐々に性格的・精神的に追い込まれ、前出のように自殺をしたり、あるいは事件を起こしたりすることもある。
つまり教師は、生徒の才能や人生を育てるどころか、生徒の才能や人生を潰しているのである。
プロ野球の広岡達朗(元ヤクルト・西武監督)が書いた『野球再生』(集英社・07年1月)の本ので、2年前の福岡県の中学での事件を背景に
「プロ野球も学校教育同様に、“教え、育てる”という(指導者)として共通事項がある」と述べ、
「いい加減な監督やコーチに指導を受けた野球選手は、選手引退後に指導者にはなれない。あるいは、指導者になったとしても、いい加減なコーチにしかなれない。自身がいい加減な指導しか受けてないからだ」
と、広岡氏は触れている。
これを学校教育に置き換えたら、
「いい加減な先生に教育を受けた生徒は、教師にはなれない。あるいは、教師になったとしても、やはりいい加減な先生にしかなれない。いい加減な教育しか受けてないからだ」
ということになる。
大分県の教員採用試験の汚職事件で例えたら、「矢野容疑者の娘(小学校教師)に教育を受けた生徒らが、将来教員を志す際、採用試験などで“コネ”“賄賂”などに頼ったり、カネや親の権力で問題を解決する性格の先生になる」ことも考えられる。
愛知県の中学で、元担任教諭に恨みを持って殺害しかけた卒業生が、もし教師を目指したとしても、少なくても“いい先生”にはなれなかったでしょう。
なぜなら、良い教師から教育を受けず、歴代の(担任の)先生の悪い教育(暴言など)やいい加減な教育、デタラメ・間違った教育ばかり受けてきたからである。