87 :
名無し行進曲:
お金がないと嘆く前に、楽器以外のことでも努力すればいいと思う。
5年前、漏れは新設校の1期生で出身高校に入った。
統合前の2校には吹奏楽部がなかったけど、来た先生が吹奏楽部を
つくるという噂が最初からあったからか、18人最初に入った。
楽器はなかったよ。個人持ちで買った奴が2人、あとはまず
近隣の学校に頭下げにいきまくることからはじまったよ。
楽譜とか備品とかも全部自腹。でもそれでもやっぱり限界があった。
「働かざるもの吹くべからず」
顧問にはそういわれた。廃品回収もやったし、バザーもやった。
依頼演奏は少々でも謝礼が出れば全部出た。入部してから夏のコンクールまでに
月に4回本番があった。半分は先生が本番取ってきてくれた。あとは俺らに
近隣の老人施設とか幼稚園とか小学校とかの電話番号が載ったリストを
顧問から渡されて、みんなで徹底的に交渉した。
最初の年はBで県銅(予選はなし)。でも結果に悔しがる余裕なんてなかった。
気がついたら年末のスーパーでのガーデンコンサートまで、本番がぎっしりになってた。
アンコン前に、中古でクラリネットを3本、サックス1本、バスドラム1台、貯まったお金で
買った。その年のアンコンで金5が県大会金賞取ってから、流れが変わってきた。
本番の数は減らなかった。校内では吹奏楽部ではなくてなんでも屋って呼ばれてた。
だんだん謝礼の額も増えてきたし、学校も頑張ってるってことで
翌年は特別予算をつけてくれた。それでも5千円が5万円になっただけだったけど
大きかった。2年、新入生が10人入って28人になった。
やっぱり何でもやった。当然28人になって楽器は足りない。でもやっぱり
夏までにバザーが2回くらい、廃品回収が2回くらい、本番どっさり。
これと部費とで、やはり中古でなんとか楽器も揃えた。
この年やっとはじめて、地元の教育学部の先生を1回呼んで指導してもらうこともできた。
Bの部県大会金賞。3年なしで。すごくうれしかった。
88 :
名無し行進曲:2005/10/06(木) 22:16:27 ID:zcoGJyMN
ところがその後、もっと信じられないことが起こった。
県のテープをそのまま管楽合奏に出したら、なんとテープ審査を突破。
急遽東京まで行くことになった。でもそんなお金はない。
そこでどうしたか。定演スタート。28人のまだそんなにうまくはないメンバーでの演奏。
でも、入場料1000円。近隣のA強豪校でもこんな額は取らなかった。
それでも、プライドもなにもなかった。お金取るならいい演奏しなきゃいけないし、
練習も燃えた。定演の宣伝活動やプロムナードもたくさんやって
「これこれこういう理由で入場料を取っています。自分たちが東京で演奏するため
自分たちも頑張りますので、どうかご協力お願いします」って何度も叫んだ。
募金箱も用意した。見方によっちゃ、乞食同然の活動してたと思う。
迎えた管楽1ヶ月前の定期演奏会、全く期待してなかったのに、当日は
学校の体育館が満員になった。コンクールで金取ったときよりも泣いた。
そして、管楽合奏。結果は優秀賞だったけど、これで学校からも
正式に強化対象部として認められ、年200万円の予算が取れるようになった。
それでも今でも、バザーも廃品回収も地域清掃も慰問演奏もやめてないらしい。
相変わらず月3回の本番が入りつづけてる。
3年の時はじめてコンクールAの部に出場、代表こそ逃したものの、県金が取れた。
お金がないなら、がむしゃらに動く、働く。これって何でも基本だと思うけど。
高校の部活でそれを教えられたよ。